院長の独り言 - 精神医療相談室ドンマイ

精神科読本 12:『院長の独り言』
川谷医院、株式会社精神医療相談室ドンマイ:川谷大治
Ⅰ 普通人コンプレックス
不登校→家庭内暴力→引きこもり,の青少年の治療の中で気づいたことがあります。
彼らが如何に普通人であることを望んでいるか,ということです。自分のなかに彼らは普
通と違う部分を秘めて悩んでいます。それが社会適応を悪くし,「普通でありたい」と切
望してやまないのです。この普通人コンプレックスという言葉は,私が福岡大学病院で
精神療法を学んでいたときに東京慈恵医科大学名誉教授の牛島教授(当時福岡大学
医学部精神医学教室教授)から教わったものです。今では,私の日常の診療の中でキ
ーワードの一つになってきました。
1 「普通」とは何か
家庭内暴力は70年代後半から増え始め、1977年の開成高校生徒事件や1980年
の金属バット事件で社会問題化しました。家庭内暴力は非行を伴う場合もあるのです
が、多くは不登校の際に親から「学校に行け」、「学校に行かないでどうするの」と、現実
を突きつけられたときに起きるのが一般的です。彼らの家庭環境を見ますと、父母と兄
弟からなる核家族が大半で生活レベルは中流程度。決して貧しい生活を強いられては
いません。もちろん高校は普通高校に進学します。何故、普通の家庭に育った「普通の
子」が親に暴力を振るうのでしょうか。
「普通の子」とは、中流家庭に育ち、どこにでもいる、他の子どもと比べても特に変わった
ところもない、あるいは特別の能力も持っていない、子どもと定義できるのではないでしょう
か。この普通の家庭に育った「普通の子」の多くが、幼い頃より小さな問題を出してSO
Sを出しています。爪噛みが長く続いた、保育園や幼稚園に出すときに号泣して母親か
ら離れなかった、離れたとしても他の子どもたちの輪に入れなかった、という事態が長期
にわたって続いていることがあるのです。しかも運動会や遠足のときなど、環境が変わる
とよく熱を出したり、自家中毒を起こしたりする。手先も人間関係も不器用な子どももい
ます。必ずしも普通ではないのです。
ところが幼い頃から子どもたちは習い事や塾に通わされます。子どもは泳げるようにス
イミングスクールに通い、勉強が遅れないように塾に通います。何かを習っているのが一
般的です。当院での調査では習い事の第1位はスイミングでした。四方を海で囲まれた
日本人にとって泳げることは大切なことなのです。
皆が習うことをやる,そういう意味では「普通の子」です。このことは何を意味するので
しょうか。習い事に通うことは以下の二つの重要なことが含まれているように思えます。
一つには子どもたちの居場所が学校と家庭と塾などの三つの世界に限定されているこ
とです。これら三つの世界には必ず大人が介在し、もはや子どもたちだけの世界はない。
路地裏や空き地や雑木林のような想像を刺激する遊びに満ちたワクワクする中間領域
はありません。大人に管理された世界で子どもたちは生活しているのです。承知のよう
に管理社会では個性は生かされません。わが国が管理社会だからこそ「普通の子」を求
めるのかもしれません。何れにしろ、現代の子どもたちは個々の個性を認めない社会で
生活しているようなものです。
第二に、学校教育で不足するものを習うことによって「他人と比べて劣っていない」と
いう超人を目指していることです。親は何でも普通にできる子どもに育てているのです。
教育現場では競争は避けられ、平等という言葉で、突出する能力はもたないが、「普通
に何でもできる子ども」に教育されます。裏を返せば「何かができない」という現実は子ど
もにとって脅威なのです。しかし現実には、背が低い、太っている、かけっこが遅い、縄
跳びができない、計算がのろい、手先が器用でない、性格的に消極的で友達も少ない、
などといったように違いが見られます。それを親と教育者は子どもに体験させないように
偽りの生活を送らせていると言っても過言ではありません。
つまり、「普通」という超人を目指して、「自分は何でもできる」という現実を否認した生
活を送らせているのです。ところが、自我の芽生えと同時に、自分を客観視できるように
なるので、「自分が普通でない」という万能感の幻滅を体験するようになります。その幻
滅が心理的に耐えられるものであれば心の発達は促され成長するのですが、耐えられ
ないと学校を避けるしかない。学校に通うのが怖くなるのです。決して重い精神病をわ
ずらっているわけではありません。自分は普通と思っていたのにそうでない現実に戸惑
いを示すのです。
2.普通人コンプレックスの克服
万能感の傷つきとは何か?中島敦は『山月記』のなかで「臆病な自尊心」と「尊大な
羞恥心」というキーワードを駆使して主人公李徴に語らせます。
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「臆病な自尊心」は森田療法の森田正馬が「箸の理論」(森田正馬)と呼んでいる対
人恐怖症にも見られます。ある青年Aは友人たちと一緒に食堂で食事をしていたとき、
自分が他の友人たちと違って箸の持ち方が変わっていることに気づきました。慌てて彼
は箸を置いて、「具合が悪い」と嘘をついて食事を中断しました。次の日は、箸を使わな
いチャーハンやカレーライスにしました。しかし毎日スプーンを使う料理だと、箸の持ち
方がおかしいと怪しまれるのではないかと怖れ、次第に一緒に食事するのを避けるよう
になり、結局アパートに引きこもってしまうようになったのです。
Aは重要な失敗を犯しました。箸の持ち方がおかしいのに気づいたときに上手く持て
るように練習をしなかったことです。つまりAは自分の欠点を受け入れようとしなかったの
です。Aは練習をすることよりも自分が他人よりも劣っていることを隠そうと懸命だったの
です。この心理が彼を世間から遠ざけ、さらに「臆病な自尊心」を飼い太らせることにな
るのです。普通人コンプレックスの克服にはかなり時間がかかるものです。しかもそれは
一人で達成できるものではありません。「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」と言いま
す。誰かの胸を借りる必要があります。
参考文献 川谷大治:『思春期と家庭内暴力』、金剛出版、2001.
Ⅱ.内申書
また嫌な言 葉を聞くシーズンになりました。「内 申 書」という言葉です。最近,ある公
立中学に通う中学3年生の男子のお母さんから聞いた話です。新学期が始まって,担
任が「受験でいくらよい点数をとっても内申書が悪かったら受験には落ちるよ」,「内申
書が悪いと公立中学は受けられない」と話したというのです。ただでさえわが子が学校
を休みがちなものだから彼のお母さんにとってはショックでした。毎年ゴールデン・ウィー
クが過ぎると学校を休みだす子どもたちが増えてきます。すると,この内申書の問題が
起きてくるのです。
「内申書が悪かったら」という先生の話は,学校を休みがち,授業態度が悪い,教師
に対して反抗的,などの意味を言外に含んでいます。これは教師による内申書の悪用
です。「決してそういうことはありません」と説明しても,お母さん方は「否,そんなことはあ
りません。隣のお母さんからも同じようなことを聞きました」と私の話を聞き入れません。
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診療中に内申書という言葉を最初に聞いたのは,確か10年前の5月だったと思いま
す。ある中学生の息子をもつお母さんに「先 生,うちの子は来年高校受験なんですけ
ど,内申書に何を書かれるか不安なんです」と相談をされました。それまでの私は 「内
申書は中学3年間の成績を高校側に知らせるもの」と理解していたので,その時も「不
安がることはないのではないですか」と話したと思います。しかし私の説明にそのお母さ
んは例をいくつも持ち出して,今の学校はこうなのですよ,と私が世間に無知だ,と非
難しました。私と一 緒 に悩んで、よい手立てを一緒に考えてください,とお母さんは主
張したかったようです。
ところが,最近では教師の主観的報告が内申書に書かれ,高校進学の重要な決め
手になっている,という話をしばしば聞くようになりました。「反抗的で態度が悪い」,「部
活をやっていない」,「成績はよいが性格に難がある」,などと書かれたら子どもたちは
浮かばれません。噂が噂を呼んで,子どもも親もこのシステムに縛られてしまっているわ
けなのです。本来の内申書は,「勉強は苦手だが友達想いの優しい子」とか,「人前で
臆病で消極的なところがあるけれどが,こつこつ努力するタイプの子」といった具合に,
成績の報告に「子どもにとっていい要素を付け加える」ものだったと記憶しています。教
師が悪用しているのでしょうか。そうだとしたら大変なことが起きているのですね。
先のお母さんに私は以下のような話をしました。
「内申書が悪いとあなたの子どもの未来はない」という教師の言葉を真に受けて,
日本の目に見えないシステム(呪縛の日本)に巻き込まれてしまったら,誰があなた
の子どもを守るのですか。脅して不安にさせるやり方は一種の洗脳プログラムに近い。
「不安を掻き立てて,私の言うとおりにしないと救われません」という悪い新興宗教家
の手口と同じではないですか。そういう噂は噂にしか過ぎない,と子どもに言ってあげ
ることが大切なのではないですか。噂を信じることはあなたが通わせている学校を否
定することになるのです。
おそらくそれでも彼女は安心しなかったことでしょう。内申書の悪用が事実だと仮
定しても,ここでも「普通」という言葉が独り歩きしているのに気づかされます。内申書
が悪いと普通科に入れない,私立中学にしか自分の子どもの未来はない,というお
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母さんの思考パターンには驚きます。多くの親が普通を求めてきたのでしょう。そうや
って高 校も普 通 科が増えてきたのでしょう。聖徳 太 子の頃からの日本 人にはびこる
「普通人コンプレックス」はなかなか払拭できないですね。
Ⅲ.悩める30歳とフリーター
30 歳前後の女性たちの悩みを聞いていて面白いことに気がついた。それは 20 歳の
女性たちの悩みとの対比である。30 歳前後の女性は上昇志向の道が絶たれるのを嫌
い悩み出す。20 歳前後の女性はさほど上昇志向は強くないので悩みが別のところにあ
る。彼女らの違いはバブルを経験したかどうかである。
バブルを経験した 30 歳の女性は男女雇用均等法を勝ち取り,上昇志向的で結婚は
二の次である。なによりもブランド好きで海外旅行も頻繁に行く。それだけ,上昇志向が
絶たれると,自信を失い,うつ状態に陥りやすい。自分が情けないと嘆き,自分に厳しい。
一方,バブルがはじけて 10 年が経った最近の 20 歳の女性はフリーター生活で十分,と
いう人が多い。親と同居するので生活費が浮く。その分,正社員になってまで働こうとい
う気は薄い。正社員になって体を壊し,うつ病に罹るくらいなら,フリーターの方が楽 で
ある。高卒の3人に1人,大卒の4人に1人がフリーターになっている現実を皆さんはどう
考えますか。
2000 年の労働白書の報告ではフリーターの数は 151 万であったが,2 年後の現在で
は不景気も手伝って 250 万人を超えるという。無職引きこもり青年 80 万人を加えると,
正社員として働いていない若者の数は 330 万人を超え,2002年7月の失業者数よりも
多いのである。労働人口の 10%がバリバリ働いていないことになる。あと10年もすると,
団塊の世代 700 万人が一挙に退職する。そのとき何が起きるのだろう。合計すると20%
の労働人口減になるわけだから,今の生活水準を維持するのは困難になってくるだろう。
節約と倹約が尊ばれ,それを実践する世の中になるのだろうか。とすると,10年後の若
い人たちの悩みは,贅沢な生活を10歳まで送り,その後次第に先細りする生活を強い
られるために,若い人たちの知的老化現象がおきるにちがいない。今の日本の閉塞感
を打破する若い力が育たないということではあまりにもさびしい。
Ⅳ.不安の時代から怒りの時代へ
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1 怒りの時代
最近,受診される患者さんの話を聞いていますと,今日の社会が「不安の時代から怒
りの時代」へと移行しているような印象を持つようになりました。公の前で「ムカツク」と言
葉を吐き出す子どもが現れ,キレル子どもが話題になったのはいつ頃からだったでしょう
か。教育現場ではいじめ,校内暴力が社会問題になり,17歳の少年による凶悪な事件
も相次ぎました。
開業当時の平成9年にはストーカー被害や大学教官からセクシャル・ハラスメントを
受ける学生が相次いで受診していましたが,この2年間はひとりも受診しなくなりました。
法の整備もあって,ストーカーやセクシャル・ハラスメントに対して女性ははっきりと怒りを
向けることができるようになり,不当な扱いを受けると我慢するのではなく,怒りを向ける
ことができる時代になってきたからでしょうか。
2 なぜ平和な時代に強迫が増えるのか
精神医学界では次のようなことが定説として語られています。戦争下ではヒステリー
が増え,平和なときには強 迫が増えるという説です。「強迫」の代表的な疾患は強迫性
障害です。強迫性障害は強迫観念と強迫行為によって特徴づけられます。強迫観念
とは,考えるのは無意味でばかばかしいとわかっていても,意志に逆らって反復して生
じてくる思考やイメージや衝動のことです。それを考えまいとすると強い不安や苦痛が
生じてくるので,この強迫観念を打ち消そうとするための行動や行為が強迫行為になり
ます。従来,強迫症状は「不合理性の自覚」が強調されてきましたが,近年では,必ず
しもそうではないと考えられています。また強迫症状は,健康人の生活の一部にも見ら
れ,特に小児にはしばしば一過性に認められることがあるので,強迫症者はその程度
が著しく苦痛で日常生活の障害を引き起こしているのが診断のポイントになります。
この強迫症状を形成しているのは不安だと言われていますが,私の臨床経験では強
迫者の内奥には「怒り」がどっかと居座っているという印象を持っています。どういうこと
かといいますと,強迫者は「怒りを外に表すのが不安」なのであって,その怒りを心に納
めることができなくて苦しんでいるのです。ですから,強迫の中核は「怒り」というわけな
のです。強迫者は過去の栄光にしがみつき幼少期の万能感に満ちた時代を捨てきれ
ないでいます。それは蒼古的な自己愛と表現され,自己愛が現実に幻滅を味わい,怒
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りが生じるのです。
3 目に見えない日本のシステム
強迫者が増えている事実をどう理解したらよいでしょうか。社会に目を向けると答え
が得られるような気がします。今,福岡市は迷走しています。スーパーブランド・シティー
の失敗,採算が取れなくなってきた地下鉄事業,二部リーグ降格のアビスパ,不安視さ
れる人工アイランド計画,土地が売れ残っている百道浜,などなど口にはしないが市民
は怒っているのです。すべて市民の税金を使った役人による素人事業だからです。
なぜこのような事態になったのか。私なりに考えますと,家産官僚制の弊害が起きて
いるのではないかと思います。家産官僚制は,法に従って行動する成熟した依法官僚
制とはまったく反対のものです。官僚が「公のものはオレのモノ」といった具合に,権力
を行使し,市民の税金を自分の金と勘違いして支配欲を満たそうとしたのです。良心は
麻痺し,おろかな行動を起こしては新聞を賑わせていますね。
家産官僚制は中国の科挙そっくりの受験制度によって生まれたと小室直樹は指摘
しています(『資本主義のための革新』)。家産官僚制は日本社会の至るところで目に
します。学校の先生になるには厳しい採用試験に合格しないといけません。そこでは教
師に向かない子ども嫌いな教師が多く生み出され,校長になるにはさらに試験が待ち
受けています。市民の安全を守る警察も然りです。現場でいくら手柄を立てても出世は
望めません。昇級試験にパスしないといけないからです。現場をおろそかにする警官が
試験にパスしていくのです。医学界でも同様です。論文の数が幅を利かせ,腕の立つ
医師はトップを張ることはできません。私のような開業医は論文の数 ではなく,病気をい
かに治すか,患者にいかにサービスするかに命がかかっています。評価するのは試験
ではなく市民の厳しい評価です。常に自己改革をしていかないと食いぱっぐれる可能
性もでてきます。
そして,一 部の官 僚が政治 家と攣るんで権力を握り,若 者に力を持たないように社
会をコントロールしているのです。それが受験戦争の弊害なのではないかと私には思え
るのです。この硬直した社会システムの中で不登校,家庭内暴力,無職引きこもり青年
が増えているのです。引きこもり青年は若者が閉塞感にくたびれた姿なのです。
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そうした閉塞 感を打ち破ってくれたのは象徴 的には元巨 人軍の長 島監 督です。長
島監督は若い原監督にジャイアンツの将来を託しました。アビスパも若いサッカー・ファ
ンに運営を任せて,天下り人事を排除すると,あっという間に一部リーグ昇格間違いな
いのです。日本の経済低迷も若い人の台頭によって打ち破られると思います。それが
ベンチャー企業の哲学だったのではないでしょうか。
精神医学の分野では強迫障害がこの社会の閉塞感と関連しており,怒りを人間のも
つ大切な感情であると認知するようになることで病気から開放されると考えています。こ
の閉塞感に怒りを向けたのが親に振るう子どもの家庭内暴力だったのです。欧米では
家庭内暴力という言葉は,もともと親から子ども,夫から妻への暴力も含まれていました
が,日本では子どもの振るう暴力のみを「家庭内暴力」と取り上げた歴史があります。こ
こに暴力を振るうこと,怒りを出すことは見っともない社会悪と考える硬直した目に見え
ないシステムが日本にはびこっているのです。
ですから,怒りの感情 を悪しき感情と認知せずに,一人の人間として生きていくうえ
で大切な感情であると再認識する必要があるのではないかと思うのです。
Ⅴ.森鴎外の『高等遊民』―『妄想』『かのように』からー
武士道のことを知りたくて資料を集めているときに森鴎外の『妄想 もうぞう 』を読んだ。
29歳で『舞姫』を書いて,その21年後の50歳で書いた半生記である。短い小説で30
分もかからずに読める。長編が苦手な私にはうってつけだったので日曜の昼に読んで
みた。刺激的だったのは,社会問題化している「無職引きこもり青年」の理解に新しい
光を当ててくれた。働かない引きこもり青年は世間から好奇の目で見られているが,誰
一人として彼らの心理をよく説明できる人はいない。いたとしても彼 らの引きこもりを解
決する手立てを私は知らない。
私はこれまでに中島敦の『山月記』から借りた「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」と
いうキーワードを駆使して彼らの理解と治療について述べてきた。今回は,さらに鴎外
を知ることで新たな理解を得たので以下に述べてみよう。
小説は千葉の寒村に立てた別荘の一室で主人公は一生を振り返る。鴎外の一生の
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仕事と思想がよく現されている小品である。鴎外は,4年間のドイツ留学時代,眠れな
い夜に,心の飢えを感じ,生について考え,死について考えた。
自分は小さい時から小説が好きなので,外国語を学んでからも,暇があれば外国 の
小説を読んでいる。どれを読んでみてもこの自我がなくなるということは最も大いなる最
も深い苦 痛だと云っている。ところが自 分には単に我がなくなるということだけならば,
苦痛とは思われない。ただ刃物で死んだなら,その刹那に肉体の痛みを覚えるだろうと
思い,・・・・・・・,自我がなくなるための苦痛はない。
侍の子として生まれた鴎外にとって,死は怖くなかった。侍は,没主体的 で,命は殿
さまのものだと教えられて育 つからである。鴎外は幼い頃から頭脳明晰で親族一同の
期待を背負って育った。それだけ後世に名を残さずに死んでいくことは大いに苦痛で
あったはずである。名誉を傷つけることは侍の子にとって最も耐え難いから。
そんなら自我がなくなるということについて,平気でいるかというに,そうではない。そ
の自我というものがある間に,それをなくしてしまうのが口惜しい。残念である。漢学者
のいう酔生夢 死(何の為すこともなく一生を終わること)というような生涯を送ってしまう
のが残念である。
と鴎外は口惜しがる。そして洋行帰りの保守主義 者の鴎外があくせくと学問に駆り立
てられる不安を
別に何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる。策うたれ騙られてばか
りいるために,その何物かが覚醒する暇がないように感ぜられる。勉強する子どもから,
勉強する学校生徒,勉強する官吏,勉強する留学生というのが,その役である。
と述べる。そしてこの不安から脱出するための方策としてゲーテの詞を持ち出すので
ある。「いかにして人は己を知ることを得べきか。省察をもってしては決して能わざらん。
されど行為をもってしてはあるいは能くせん。汝の義務を果たさんと試みよ。やがて汝の
価値を知らん。汝の義務と何ぞ。日の要求なり」と。鴎外は自分にはできないと正直に
語る。
日の要求に応じて能事畢るとするには足ることを知らなくてはならない。足ることを知
るということが,自分にはできない。自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のい
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ないはずの所に自分がいるようである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることができな
いのである。道に迷っているのである。
鴎外は自分の半生を振り返り,道に迷っているという。鴎外は50年以上も悩み続け
るのである。侍の子に生まれ,医学を修め,西洋に渡航し,鴎外の自我は引き裂かれ
る。鴎外は医師でありながら軍人でもあり小説家でもある。落ち着くところがない。一体
あなたは誰?と突っ込みを入れたくなる。平たく言えば,欲張りで何かを捨てる決心が
できないとも云える。意気地がないだけかもしれない。
多くの師にはあったが,一人の主には会わなかったのである。
と語る鴎外は孤独だった。こうして見ると,「無職引きこもり青年」 と重なるところが多
い。鴎外は別の小説『かのうように』で洋行帰りの主人公に次のように語らせている。主
人公は,東大の歴史科を卒業し,親の金で渡航し,帰国後,家に引きこもり,一向に働
こうとしない,引きこもり青 年である。以 下は,絵 描きの友 人との対 話である。友人は,
「それでは僕のかく画には怪物が隠れているからいい。君の書く歴史には怪物が現わ
れて来るからいけないというのだね」と彼の葛藤を明確にしていくくだりの後で,主人公
は
「まあ,そうだ。」
「意気地がないねえ。現れたら,どうなるのだ。」
「危険思想だと云われる。それも世間がかれこれ云うだけなら,奮闘もしよう。第一父
が承知しないだろうと思うのだ。」
「いよいよ意気地がないねえ。そんな葛藤なら,僕はもうとっくに解決してしまってい
る。僕は絵描きになるとき,親爺が見限ってしまって。現に高等遊民として取り扱ってい
るのだ。君は歴史家になると云うのをお父さんが喜んで承知した。そこで大学も卒業し
た。洋行も僕のように無理をしないで,気楽にした。君は今まで葛藤の繰り延べをして
いたのだ。僕の五六年前に解決したことを。君は今解決して,好きなように歴史を書く
がいいじゃないか」。
主人公は最後に,
「・・・正直に,真面目にやろうとすると,八方塞がりになる職業を,僕は不幸にしてえ
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らんだのだ」
このあたりの台詞は無職引きこもり青年 が吐く言葉 そのものである。ここに引きこもり
青年の治療の可能性も見えてきそうである。治療というと彼らから叱られるかもしれない
が。彼らに目に見えない葛藤を洞察させても何の解決にならないことも私はよく知って
いる。よき理解者として彼らの前に現れても彼らの生活が変わるわけでもない。どう生き
ていったらよいか,求められてアドバイスを与えても役に立たない。
一度,引きこもり青年を侍の子として生まれた悲劇と読み直すことは価値がありそうだ。
現代の侍とは何か。詳しくは今後の課題に取っといて,特攻隊で死んでいった若者は
なぜあのようなことができたのか。名誉という目に見えない力が彼らを支配していたよう
にも思える。親族,ひいては政府の期待を放り出すこともできずに小説にのめり込めな
い鴎外。小説家になっても軍人として医師として生きることもできない鴎外。引きこもり
青年を苦しめているのは何か。鴎外のこれら2つの小説はそのヒントを与えてくれるよう
である。
(2014年4月30日)
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