古事記おじさんの日本のはじまり探し 代 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 109 117 天皇名 神武(ジンム) 綏靖(スイゼイ) 安寧(アンネイ) 懿徳(イトク) 孝昭(コウショウ) 孝安(コウアン) 孝霊(コウレイ) 孝元(コウゲン) 開化(カイカ) 崇神(スジン) 垂仁(スイニン) 景行(ケイコウ) 成務(セイム) 仲哀(チユウアイ) 応神(オウジン) 仁徳(ニントク) 履中(リチュウ) 反正(ハンゼイ) 允恭(インギョウ) 安康(アンコウ) 雄略(ユウリャク) 清寧(セイネイ) 顕宗(ケンソウ) 仁賢(ニンケン) 武烈(ブレツ) 継体(ケイタイ) 安閑(アンカン) 宣化(センカ) 欽明(キンメイ) 敏達(ビタツ) 用明(ヨウメイ) 崇峻(スシュン) 推古(スイコ) 舒明(ジョメイ) 皇極(コウギョク) 孝徳(コウトク) 斉明(サイメイ) 天智(テンジ) 弘文(コウブン) 天武(テンム) 持統(ジトウ) 文武(モンム) 元明(ゲンメイ) 元正(ゲンショウ) 聖武(ショウム) 孝謙(コウケン) 淳仁(ジュンニン) 称徳(ショウトク) 光仁(コウニン) 桓武(カンム) 明正(メイショウ) 後桜町(ゴサクラマチ) 在位期間 年数 660 585 75 581 549 32 549 511 38 510 477 33 475 393 82 392 291 101 290 215 75 214 158 56 158 98 60 97 30 67 29 70 141 71 130 59 131 190 59 192 200 8 270 310 40 313 399 86 400 405 5 406 410 4 412 453 41 453 456 3 456 479 23 480 484 4 485 487 2 488 498 10 498 506 8 507 531 24 531 535 4 535 539 4 539 571 32 572 585 13 585 587 2 587 592 5 592 628 36 629 641 12 642 645 3 645 654 9 655 661 6 661 671 10 671 672 1 673 686 13 686 697 11 697 707 10 707 715 8 715 724 9 724 749 25 749 758 9 758 764 6 764 770 6 770 781 11 781 806 25 1629 1643 14 1762 1770 8 資 料№3「歴代天皇一覧表」 年齢 127? 84? 67? 77? 114? 137? 128? 116? 111? 119? 139? 143? 107? ? 111? 143? ? ? ? 56? 62? 41? 38? 50? 18? 82 70 73 63 48 48 ? 75 49 68 59 68 46 25 56 58 25 61 69 56 53 33 53 73 70 74 74 謚名/名 神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコ) 神渟名川耳尊(カムヌナカワミミ) 磯城津彦玉手看尊(シキツヒコタマデミ) 大日本彦耜友尊(オオヤマトヒコスキトモ) 観松彦香殖稲尊(ミマツヒコエシネ) 日本足彦國押人尊(ヤマトタラシヒコクニオシヒト) 大日本根子彦太瓊尊(オオヤマトネコヒコフトニ) 大日本根子彦國牽尊(オオヤマトネコヒコクニクル) 稚日本根子彦大日日尊(ワカヤマトネコヒコオオヒヒ) 御間城入彦五十瓊殖尊(ミマキイリヒコイニエ) 活目入彦五十狭茅尊(イクメイリヒコイサチ) 大足彦忍代別尊(オオタラシヒコオシロワケ) 稚足彦尊(ワケタラシヒコ) 足仲彦尊(タラシナカツヒコ) 誉田別尊(ホムダワケ)、大鞆和氣命(オオトモワケ) 大鷦鷯尊(オオサザキ)、難波天皇 大兄去来穗別尊(オオエノイザホワケ) 多遅比瑞齒別尊(タジヒノミズハワケ) 雄朝津間稚子宿禰尊(オアザズマワクゴノスクネ) 穴穗尊(アナホ) 大泊瀬幼武尊(オオハツセワカタケ) 白髪武廣國推稚日本根子尊(シラガタケヒロクニオシワカヤマトネコ) 弘計尊(ヲケ) 億計尊(オケ)、大脚島郎 小泊瀬稚鷦鷯尊(オハツセノワカサザキ) 男大迹王(オホド)、彦太尊(ヒコフト) 勾大兄廣國押武金日尊(マガリノオオエヒロクニオシタケカナヒ) 武小廣國押盾尊(タケオヒロクニオシタテ) 天國排開廣庭尊(アメクニオシヒラキヒロニワ) 訳語田渟中倉太珠敷尊(オサダノヌナクラフトタマシキ) 橘豐日尊(タチバナノトヨヒ) 泊瀬部(ハツセベ)、長谷部若雀命(ハツセベノワカサギ) 額田部(ヌカタベ)、豐御食炊屋姫尊(トヨミケカシキヤヒメ) 田村(タムラ)、息長足日廣額尊(オキナガタラシヒヒロヌカ) 宝(タカラ)、天豐財重日足姫尊(アメトヨタカライカシヒタカラシヒメ) 軽、 天万豐日尊(アメヨロズトヨヒ) 中大兄, 天命開別尊(アメミトコヒラカスワケ) 大友皇子(オオトモノオウジ) 大海人皇子(オオアモトノオオジ) 鸕野讃良(ウノノササラ) 珂瑠(カル)、倭根子豐祖父天皇(ヤマトネコトヨオオジ) 阿閇皇女(アベノヒメミコ) 氷高(ヒダカ)、新家(ニイノミ) 首(オビト) 阿倍、高野姫 大炊、淡路廃帝 白壁 山部(ヤマノベ) 興子(オキコ) 智子(トシコ) 女帝は10回。皇極と斉明は同一、孝謙と称徳も同一なので、実質は8人。 http://kojinazo.net 備考 初代天皇、邪馬台国より東遷? 欠史1代 欠史2代 欠史3代 欠史4代 欠史5代 欠史6代 欠史7代 欠史8代 初の実在天皇説有り 出雲神宝事件 皇女が倭姫命 この天皇時、第一回出雲大社造営説有り 九州熊襲征伐 大臣竹内宿禰が政務を総括 熊襲征伐中に筑紫で没 全国八幡神宮の祭神、神功皇后が宇美で出産 陵墓は世界最大 倭王 讃? 履中の同母弟、倭王 珍? 反正の弟、倭王「済」 倭王「興」 倭王「武」 非実在説もあり。 履中の曾孫、兄と皇位を譲りあい 顕宗の兄、雄略の女を皇后とした 紀では残虐性を記す、平郡真鳥親子を殺害 越前から招いた天皇?万世一系断絶の疑い説有り 継体天皇の第一皇子 継体の第二皇子 継体の第四皇子 天然痘大流行、天皇も病で崩御 これより飛鳥時代、物部・蘇我の対立に決着物部大連家は滅亡 大臣:蘇我馬子 我が国初の女帝、聖徳太子を摂政とする 父:押坂彦人大兄皇子、大臣:蘇我蝦夷の姉が妃 女帝 大臣:蘇我蝦夷 →乙巳(いっし)の変 中大兄皇子・中臣鎌子の傀儡、大化の改新 女帝 皇極の重祚(再度即位する事)百済救援軍大敗 出雲大社 飛鳥から近江へ遷都 皇妃:十市皇女、明治3年に皇位追贈 壬申の乱後即位、皇女を斎宮(イツキノミヤ)とする 女帝 天智の娘で天武の后 藤原宮造営 天武の子である草壁の子、大宝律令制定 女帝 草壁の妃、母:蘇我姪娘 女帝 養老律令制定、独身 出雲大社完成説有り 長屋王の変、藤原広嗣の乱 女帝 橘奈良麻呂の乱、 恵美押勝の反乱時に廃帝となる 女帝 孝謙の重祚、弓削道鏡を法王とする 天智の孫、蝦夷を大伴駿河麿に撃たせる 坂上田村麻呂をして蝦夷を平定。平安京の始まり。 平安以来の女帝。徳川の圧迫を逃れる為女帝が即位。 女帝。次の後桃薗天皇が幼かった為暫時即位。 三省堂 日本史年表他による
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