公開講座 - 東京多摩いのちの電話

vol.58 自殺って言えなかった~自殺予防へのメッセージ~・・ 西田 正弘
自殺遺児は聴いて欲しい、話したいという気持ちと共に、この辛い気持ちは自分だけ
では処理できないと感じています。この苦しい気持ちを外に出したい。言葉にならない
言葉があるのです。話したい気持ちと「言ってはいけない」と抑えつける気持ち両方が
せめぎあっているのです。
公開講座
自殺って言えなかった
~自殺予防へのメッセージ~
西田 正弘
平成 15 年 2 月 24 日(月)、国分寺駅ビル L ホールにて開かれたこの公開講座は、
厚生労働省助成による自殺防止対策事業の一環として、全国各地の「いのちの電話」
が主催、地域の皆様に自殺予防の大切さを訴ええる催しとして開かれたものです。
1.はじめに
少しでも痛みを抱えた子どもを理解していただきたく、話をします。自殺で親を失う
子どもが減る気配がなく、「社会はそんなに冷たくないよ」「一人じゃないよ」と思える
子どもが一人でも増えて欲しい。育英会だけでサポートすることはできないので、感
心を持っていただき、自死遺児達が少しでも前向きに生きることができるように一緒
に考えていただけたらと思います。
2.交通遺児として
私は 1960 年生まれの 42 才です。高校生、大学生中心の 3 泊 4 日、5 泊 6 日の「つ
どい」と呼んでいるケアプログラムを担当する仕事をしています。学生達には 2 度目の
20 才をすぎた年と言っています。子ども達と向きあうにはエネルギーが要るので、20
才そこそこの気持ちで一緒に遊んだり、活動しています。子ども達は遊びの中でスト
レスを発散し、ふと力が抜けた時に気持ちをもらす瞬間があります。その時をのがさ
ないで、そばにいて「そんなふうに思っているんだね」と聴きます。すると安心して、子
どもは話したり表現し始めるんです。子ども達が大事なことを話し始めた瞬間にすっと
聴いていく関係が作れると、サポートに入れます。
私は 12 才の時、交通事故で父をなくしました。日曜日、ドリフターズの番組を見て笑
った後、交通事故の知らせがとびこみました。一週間意識不明の後、亡くなりました。
人ってこんなに簡単に死ぬもんだなって思ったことを今でも覚えています。一番辛か
ったのは、高校 2 年の時、突然集中治療室で包帯をまいて横たわる父の姿を思い出
した事です。今でいう「フラッシュバック」でしょうか。それまでしっかりしなきゃと思って
生きてきたのに、途端に力がぬけたのです。何もやる気が起こらない。重たい物をつ
きつけられた気もちで何も手につかないのです。昨日まであたり前だったことがあたり
前でなくなることは、特に子どもにとって衝撃は強いのです。
当時交通事故は社会の問題としてとらえられていて、保険制度の考え直しという世
論もありました。奨学金制度や痛みをわかちあう「つどい」を通して、私はここまでやっ
てこれました。
3.自死遺児の問題に気づく
あしなが育英会が自死遺児の問題に目をむけたのは、3 年前からです。1999 年秋、
1998 年の自殺者が 3 万人を超えたという報道があり、働き盛りの 40 代、50 代男性の
自殺の増加を知りました。2000 年に存在する自死遺児推計数(20 才未満)は約 9 万
100 人です。父の自殺による自死遺児数は約 6 万 4100 人です。母の自殺による自死
遺児約 2 万 6000 人です。圧倒的にお父さんをなくしたこどもが多い。2002 年 9 月遺
児家庭の平均月収(8 月)は 14 万 400 円。母子世帯は 13 万 6000 円です。不況で遺
児の母親の職は「臨時・日雇い」が多いのです。デフレでも教育費は横ばいか漸増で、
進学は困難です。
育英会は奨学金のサポートだけでは不十分と考え、子ども達同志が出会う「つどい」
というプログラムをしています。奨学金を利用して進学し、自立をささえると共に、「一
人じゃないよ」と伝えたいのです。しかし、3 泊 4 日のキャンプに自死遺児が参加した
場合、どういうサポートがいいかわかりませんでした。そこで、当事者である大学生達
に、何が辛くて、何が嫌いで、どうしてほしいのか、せめてどういうことを避けたらよい
のかと、辛いことを聞くようだけれど教えて欲しいと聞きました。
2002 年 2 月自死遺児学生だけのつどいで、自死遺児達の話を聴きました。私には
聴くだけで精一杯でした。半数近くの子どもが自殺現場に遭遇していました。私も病
院で横たわる父の姿を思い出すという経験をしたので、現場に遭遇した子が繰り返し
思い出し、自分でコントロールできない大きな力が襲ってくると何もできない、学校に
行けない、ご飯が食べられない、眠るのも怖くなるというのはどんなにつらいことか想
像できます。
一方で、自殺遺児達は「自殺と言ってはいけない」「事故と言いなさい」とお葬式の
時に家族や親戚から言われています。大きな衝撃がありながら、誰かとわかちあう、
誰かがわけもってくれる可能性が絶たれているのです。「自殺するのは弱い人」「変な
家族と思われてしまう」という偏見を世間から思いこまされていることもあり、家族で痛
みをわかちあう機会をなくしていることもあるのです。
自殺遺児は聴いて欲しい、話したいという気持ちと共に、この辛い気持ちは自分だ
けでは処理できないと感じています。この苦しい気持ちを外に出したい。言葉にならな
い言葉があるのです。話したい気持ちと「言ってはいけない」と抑えつける気持ち両方
がせめぎあっているのです。交通遺児は被害者ということもありますから、「大変だね」
とシェアしてもらえる。しかし、自死遺児はなかなかシェアしてもらえない。昨日までの
楽しい思い出はウソだったのかという気持ちもありますし、あの時一声かえていれば
という自責の念もあります。残された親も同じ道を歩むのではという恐怖もあるので
す。
自死遺児にとって、どういう事で亡くなったのかよくわからない部分があります。経済
不況で銀行の貸し渋りや貸しはがしがあり、「追い込まれた死」ということが少しずつ
みえてきます。借金でしぬことはないというように法整備もされてきていますが、苦し
んでいる人になかなかその情報が届かない。「佐賀いのちの電話」で、借金のことで
弁護士に相談にいくエネルギーさえなくなり、なんとか「いのちの電話」にかけている
という話を伺いました。どういうふうに再起を期すのかは、社会の問題です。
4.痛みをわかちあう
「つどい」で一人一人話すとき、「私のお父さんは」と話し始めて「自殺で亡くなりまし
た」という間にしばらく時間があります。話しはじめると車座で 10 人位で話しますが、
おたがい共通していること、違うことに気づき、理解しはじめ、ささえあう仲間になって
いきます。同じ痛みを持つ人のグループ、古くからあるアルコールをやめられない人
達のサポートの会や同じ病気を持つ人のささえあいの会と基本的には同じで、今やっ
と自殺で家族を失った人たちのところまでとどいたということではないでしょうか。
お父さんを自殺でなくした後、お父さんのことが話題になるのを避けるために友達を
作らなかった学生が、お父さんの夢をみたと話してくれました。「つどい」に参加し今ま
で抑えられていたものが外に出てきて、自分の中で動き出したんですね。辛いことも
あったけど、楽しいことも思い出せるように変化したのです。
自死遺児同志の話し合いをきっかけに、「自殺って言えない」という小冊子を作りま
した。僕達と同じ思いをしている子はたくさんいて、わかちあう場がない子達は辛いだ
ろうねえと伝える手段として作りました。
自死遺児の皆さんへ 一人ぼっちじゃないよ
苦しんでいるお父さん、お母さんへ 死なないで
社会の皆さんへ 自死遺児を放っとかないで
と3つのメッセージをこめました。文集出したら、遺児の方からたくさん手紙がきました。
昨年 10 月「自殺って言えない」を単行本として出版し、6 万部出ています。
5.遺児の訴えに社会はどう応えるのか
子供達が学校へ行くときは学校の理解が大切です。子どもの辛い気持ちをお母さん
が学校に話しに行くと、「親が死んだからって、何だ」などと先生が言った極端な例が
あります。かけ手の気持ちに添って聴いている「いのちの電話」の相談員の方々も奮
闘されていると思いますが、大事な話を子どもが話す時には、むきあって聴くことが大
切なのです。そして「辛いことは当然ですよ」と伝え、安心できる場所を提供したいと
考えます。
交通事故は社会の問題としてとらえられ、飲酒運転の厳罰化もあり、昨年は死者数
が減りました。しかし、自殺の問題については何の変化もない。2001 年 11 月自死遺
児の大学生達が小泉首相に会って、実態調査の要望を出しました。誰がどのように
苦しんでいるのか実態調査をしないと、対策は立たないのです。自殺未遂者も自殺
者の 10 倍いるといわれています。その方々はカウンセリングをうけ立ち直っているの
か、家でひきこもっているのか、未遂を繰り返しているのか、統計もないようなのです。
実態を多方面から分析し、自殺予防、危機介入、遺族ケアにつなげることが必要です。
遺族のサポートは第二の悲劇を生まないためにも大事です。
皆さんの近くに自死遺児がいましたら、あしなが育英会があり、奨学金制度などの
サポートがあることをお知らせください。遺児の力になりたい方は、まず自分の自殺に
対する見方をふりかえり、力になりたいと伝えてください。お母さんも子どもも痛んでい
る状態で家庭生活をするのは大変なことなのです。痛みを理解してもらうことで、心の
傷をいやす力を得てくるのです。
私達は自死遺児たちが自分の力で歩いていけるように、奨学金貸与と心のケアに
取り組んでいます。神戸レインボーハウスは 8 年たち、対象を震災遺児から病気遺児
へも広げようとしています。東京でもレインボーハウスを計画中で、あらゆる理由で親
をなくした子達を日常的にサポートするセンターにしたいと考えています。
子ども達に限らず、遺族の理解を深め、子ども達が社会への信頼を取り戻しながら、
前向きに生きていけるようにサポートしたいと思います。ご支援ください。
プロフィール:
西田 正弘 (にしだ まさひろ)
1960 年 6 月 22 日
福岡県生まれ 42 歳
1972 年 11 月
父親を交通事故で亡くす
1979 年
交通遺児学生の会を結成 代表として、少年のバイク問題に取り組む
1982 年
日本ブラジル交流協会派遣でブラジルで 1 年間日本語教師体験をする
1984 年
國學院大學卒業、財団法人交通遺児育英会入局
1997 年
あしなが育英会入局
現在は業務課課長補佐、心のケアプログラム「つどい」の企画・運営の主担当
1.
2002 年のつどい参加者は 2,279 人
2.
死別体験を語り合うプログラム「自分を語ろう」を構築
3.
2000 年には急増する自殺遺児のケアを開始
遺児学生とともに文集「自殺っていえない」を発刊。2002 年 9 月までに 12 万部が読ま
れた
2002 年 10 月に新刊「自殺って言えなかった」を刊行。
ここ 3 年急増する自死遺児(自殺で親をなくした子ども)のケアに力をいれている
4.
2001 年から「遺児の心の傷とケアを考えるシンポジウム」企画・実施。
2002 年 9 月までに、全国 10 会場で開催、1,400 人が参加した。
5.