「慶應義塾と戦争Ⅲ 慶應義塾の昭和二十年」展の開催

プレスリリース
2015 年 6 月 30 日
報道関係者各位
慶應義塾
「慶應義塾と戦争Ⅲ
慶應義塾の昭和二十年」展の開催
慶應義塾福澤研究センター「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクトでは、本学出身者の
戦争体験をアーカイブ化する取り組みを進めています。その取り組みの過程で寄贈された、また
は所在が確認された資料を展示する展覧会を2013年より続けています。プロジェクト始動から3
年目、3度目の展覧会となる本展では、「空襲」「戦死」「終戦」「疎開」「動員」「占領」の6
つのテーマのもと、実物資料の展示を通して「昭和二十年」を中心とした時代を描き出します。
イベント欄へのご掲載およびご取材のほどお願い申し上げます。
1. 会期・会場等
名称:「慶應義塾と戦争Ⅲ 慶應義塾の昭和二十年」展
(主催:慶應義塾福澤研究センター・慶應義塾図書館・慶應義塾大学アート・センター)
会場・開催時間:
第1会場 慶應義塾図書館展示室
2015年6月1日(月)~8月6日(木) 9:00~18:20[土のみ16:50] 日祝閉館
第2会場 慶應義塾大学アート・スペース
2015年7月1日(水)~7月31日(金) 10:00~17:00 土日祝閉館
*慶應義塾大学三田キャンパス内[東京都港区三田2-15-45] 入場無料
*土曜日は7月4日・25日ギャラリートークの時間帯を除き、第1会場のみの開館
2.展示構成
《第1会場》
(1) 空襲
本学は日本で最大の空襲被害を受けた大学といわれる。その被害を示す様々な実物資料を展示
する。
(2) 戦死
本学関係の戦歿者は2200人以上が判明し、特攻による戦死者は30人以上を数える。本コーナー
では、昨年の展示に引き続き、戦争体験者の複雑な心情を示す、多様な資料を紹介する。
(3)終戦
昭和20年8月15日の「終戦」を前後して、価値観が大きく変化した日本において、キャンパス
はどのような変貌を遂げたのか・遂げなかったのかという問題について考える資料を展示する。
【第1会場の主な展示資料】
キャンパスから出土した焼夷弾、空襲で被災した遺物、臨時召集令状(赤紙)、回天特攻で戦死した
学生の音声、出撃直前の特攻隊員達の雑談記録(特攻戦死の上原良司の妹による)、クリスチャンの
特攻隊員の資料(本川讓冶)、ラジオ(慶應出身の3兄弟が戦歿した長野県・上原家のもの)、復員
後制服代わりに軍服で登校した学生写真、BC級戦犯減刑審査申請書、学生の政治活動に関する資料。
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《第2会場》
(3) 疎開
戦況の悪化により学童疎開が進められたことに伴い、慶應義塾では昭和19年8月より幼稚舎生
のうち350人余りが集団疎開を行った。本コーナーでは静岡県、青森県での幼稚舎疎開関係資
料を展示する。
(4) 動員
昭和19年以降、中学校以上は全て学徒勤労動員の対象となった。その実態を示す資料は極めて
乏しいが、学生達の心情などを伝える資料を展示する。また戦時への対応を迫られた研究現場
では、学問の幅を広げる模索も行われ、農学部新設計画などが具体化していたことを紹介する。
(5) 占領
昭和20年9月、慶應義塾は日吉キャンパスをアメリカ軍に接収され、校舎不足の危機に瀕する。
その返還交渉と共に、復興に向けた懸命な努力が重ねられた戦後間もない時期の資料を展示す
る。
【第2会場の主な展示資料】
疎開児童が親等と交わした葉書(113通を読めるように展示)、体調不良を理由に動員から帰宅を希
望する学生の手紙、井筒俊彦の召集解除を求める書類、米兵が撮影した写真、マッカーサーと塾長
の会見記録、米軍接収解除直後の日吉の記録映画、戦後に軍学校から慶應に入学した者達の資料。
日吉キャンパス出土の焼夷弾
疎開中の幼稚舎生と親が交わした葉書
陸軍の飛行服を着た慶應
の学生(陸軍士官学校、
特攻隊長を経て入学)
3.ギャラリートーク
7 月 4 日(土) 10:30~・14:40~ (第 2 会場を特別開館)
7 月 16 日(木) 14:40~
7 月 25 日(土) 10:30~・14:40~ (第 2 会場を特別開館)
7 月 28 日(火) 10:30~
※ご取材の際には、事前に下記までご一報くださいますようお願い申し上げます。
※本リリースは文部科学記者会、各社社会部、文化部等に送信させていただいております。
本発表資料のお問い合わせ先
慶應義塾広報室(平良)
TEL:03-5427-1541
FAX:03-5441-7640
Email:[email protected]
http://www.keio.ac.jp/
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