博物館通りのまちづくり (ドイツ・フランクフルト) 周知のようにフランクフルトはドイツ経済の 中心地であり、欧州中央銀行が本店を置くユー ロ経済圏の中枢でもある。そのイメージが強い ためか文化都市の横顔はあまり知られていない ように思う。 フランクフルトが文化都市づくりに取り組み 始めたのは70年代初めのこと。 金融と経済に偏った都市に未来はない。文 化・芸術施設はクリーンな産業として都市にに ぎわいをもたらし、住環境と余暇環境を大きく 改善する。文化都市は購買力の高い住民と優れ た人材を集め、社会発展と経済発展が期待でき る……。71年から20年近く市の文化局長を務め たホフマン氏は文化と芸術が市民の誇りになる だけでなく経済成長にも有効なことを示し、市 長や議会に文化都市づくりを納得させた。 彼の施策のひとつが市の中心を流れるマイン 川沿いに博物館・美術館の通りを建設するプロ ジェクトだった。元々マイン川沿いには歴史博 物館や古代博物館が建っていたが、いずれも川 の北側。川の南側にもドイツ映画博物館、シュ テーデル美術館など7つの博物館・美術館を整 備し計13館を集中させるのがプロジェクトの概 要だ。博物館・美術館を核として、川によって 隔てられた北部と南部の融合を進め、文化によ る都市のイメージアップを図る。 ホフマン氏が文化局長に就任する以前、市の 文化予算は年間5%であったが、90年代初めに は11.5%まで引き上げられ、支出比率がドイツ 1位となったこともある。 現在この一帯は「博物館通り」あるいは「博 物館の岸辺」と呼ばれ、人々が集うまちづくり の成功例として全国に知られている。その様子 が遠く日本まで伝えられるのだから、イメージ アップの効果はおして知るべしだろう。 私が最初にフランクフルトを訪れたのは90年 代に入ってから。すでに博物館通り建設は終 わっていたが、この後も同市を訪れるたび都市 の変容を肌で感じている。 初めてフランクフルト中央駅に降り立った 際、まず目についたのは50m おきに立つ警官 と警備員の姿だった。駅周辺には路上生活者が たむろし麻薬使用者の姿も珍しくなかったから 仕方ないとはいえ、数と力にものを言わせる防 犯体制に強引さを感じたものだ。 駅を出れば、今度は Sex ショップを含む風 俗街が広がっている。そこを抜けて通りを一本 渡ると急に高層ビルの建ち並ぶ金融街が始まる という、絵に描いたような「殺伐とした都市」 であった。 これは当時フランクフルト近郊に住んでいた 日本人の体験談。彼が風俗街の酒場で飲んでい ると、怪しげな男が薬物か何かの話を持ちかけ てきたそうだ。彼がよほどいいカモに見えたの だろう。つるんでいる店員から男に連絡がゆ き、隙あらば身ぐるみ剥いでやろうという魂胆 だったらしい。その頃に比べると、駅構内の緊 張は薄れ、駅前の風俗街もずいぶん行儀よく なっている。 そういえば最近、フランクフルトの日本人駐 在員から次のような言葉を聞いた。「フランク フルトに住んでいると、毎年毎年、まちが良く なることを実感します」 。まちの雰囲気・人々 の表情や行動・生活の安心感・外国人の住みや すさなどを総合し、極めて高く評価しているこ とが分かる。市民の口からさりげなく出るこう いった言葉こそ、まちづくりに対する最高の賛 辞ではないだろうか。 (在独ジャーナリスト 松田 雅央) 参考文献:春日井道彦著「ドイツのまちづく り」(学芸出版社) シュテーデル美術館と博物館通りの案内板 日経研月報 2010.5 63
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