モグラ塚の上に - プール学院大学・プール学院短期大学部

プール学院大学研究紀要 第51号
2011年,1∼13
モグラ塚の上に
―『ヘンリー六世・第三部』の二場面を中心として―
李 春 美
はじめに
『ヘンリー六世・第三部』K LQJH HQU\Ⅵ P DUW 3の上演に必要な舞台上の装置の中で、台詞に明
らかに言及されているものの、当時どのような演出がなされたのか今となっては推測の域を出な
い装置がある。それが、舞台上に「一段と高く設えられた場所」
“platform”すなわち「モグラ塚」
“molehill”である 1)。
『ヘンリー六世・第三部』には、「モグラ塚」が二カ所登場する。一つは、一幕四場、王冠への
志半ばにして敵方にとらえられたヨーク公リチャードが、紙でできた王冠をかぶせられた最期の場
面であり、ヨーク公リチャードの野心を侮るために考案された。しかし、
「モグラ塚」に火刑にく
べる薪を配して殉教者としてのヨーク公を前景化したという例から伺えるように、実際のところ、
本作品における「モグラ塚」の表象に確かな解釈はない 2)。まして、この「モグラ塚」が同じ作品
の二幕五場に再び登場し、タウトンの主戦場から遠く離れ、独り瞑想する国王ヘンリー六世の腰掛
けとなることを考えると、ますます謎は深まる。
「モグラ塚」を山と対照して、
「針小棒大」を意味する“Don’
t make a mountain out of a molehill.’
という慣用語句の初出は、O [IRUGE QJOLVKD LFWLRQDU\によると、1570年である 3)。また、より一層に
野心を前景化するため、「王」“king”と結びつけた造語――「モグラ塚の王」“king of a molehill”
―― の初出は、1583年、ブライアン・メルバンク(Brian Melbancke)の『フィロティモス』
P KLORWLPXVであるが、おそらくこの表現には原型がある 4)。それは、1563年11月、フロリダ植民計
画への野望に満ちたサー・トーマス・スタックリー(Sir Thomas Stukeley)が女王と交わしたと
される言葉であり、1662年死後出版されたトーマス・フュラー(Thomas Fuller)の『イングラン
ド名士伝』T KHH LVWRU\RIWKHW RUWKLHVRIE QJODQGにおいて、今日我々に詳細が知られることになった。
So confident his ambition, that he blushed not to tell queen Elizabeth,“that he preferred
rather to be sovereign of a mole-hill, than the highest subject to the greatest king in
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Christendom ;”5) 下線は筆者
サー・ウィリアム・セシルが1563年11月28日にサー・トーマス・スミスに宛てた手紙の中に、その
前日のスタックリーの謁見の事実が記載されているが、おそらくは、女王を前にしての、その大胆
不敵な物言いはセンセーショナルなものとして宮廷人の間で語られたのであろう 6)。真実かどうか
は別にして、ヘンリー八世の隠し子であるとの噂が拍車をかけて、人々の記憶に残りそうなもので
ある 7)。
また、スタックリーが活躍した時代は、海外進出においてスペインやポルトガルの二大強国から
大きく遅れを取っていたイングランドが「発見」
“discovery”から「植民」“settlement”へと移
行する端境期に位置していた 8)。スタックリーが示したような「モグラ塚」の野心は、決して、スタッ
クリーの向こう見ずな性格に起因する個別な事例ではない。例えば、サー・ウォルター・ローリー
(Sir Walter Ralegh)を動かして、倦むことなくヴァージニア入植に励ませたように、「モグラ塚
の野心」は、海外の植民地に限定されているとはいえ、エリザベス女王の特許によって、いかなる
キリスト教徒の君主にも未だ占有されていない土地において享受できる権利や自由、富への野心と
いう植民者の動機と通底する。いわば、イングランドの入植活動が始動する16世紀末においてきわ
めて同時代的なトピックであったと言えよう 9)。
「イングランドのピサロ」“English Pizarro”とも言うべきサー・トーマス・スタックリーとの
アナロジーによって「モグラ塚」が野心を前景化する言説は、植民地支配という同時代のコンテク
ストと相俟って、結果として、1589年初演、1594年初版のジョージ・ピール(George Peele)によ
る『アルカサルの戦い』T KHB DWWOHRIA OFD]DUにおいて、「モグラ塚の王」という一つの定型表現を
得た 10)。
I am the marques now of Ireland made,
And will be shortly king of Ireland,
King of a mole-hill had I rather be,
Than the richest subiect of a monarchie,
Huffe it braue minde, and neuer cease t’
aspire,
Before thou raigne sole king of thy desire. E [HXQW. 11) 下線は筆者
さらに時代が進んでシェイクスピアの『ヘンリー六世・第三部』において、ヨーク公リチャードを
「モグラ塚」に立たせるという演劇行為は、正統な王を尻目に王位を目指した野心家としての意味
づけを可能とする。
しかしながら、シェイクスピアは、ヨーク公リチャードを野心家から、キリストの受難をパロ
モグラ塚の上に
3
ディー化した政治的殉教者へと変貌させることを目的とした演出をこの場面に施した。
本稿では、野心家としてのヨーク公を愚弄するために、
「野心」の代替的なメタファーと化した
「モグラ塚」から紙の王冠に至るまでの舞台上の装置と小道具が、国王を国王たらしめる「王権」
“regalia”として機能する一方で、血染めのハンカチが、最終的にヨーク公を殉教者へと昇華させ
るプロセスを検証する。
また、王権を表象する小道具は何一つないように思われるタウトン戦場が、イングランド王国の
災厄の縮図と化すことにより、先行する場面では野心を象徴した「モグラ塚」を逆転的に玉座へと
変容させたヘンリー王の瞑想について考えてみたい。
1
マーガレット王妃がヨーク公を一段高い「モグラ塚」に立たせて愚弄したというエピソードは決
してシェイクスピアの創作ではなく、確かな材源がある。それは、バラ戦争時代と同時代を生きた
セント・オールバンズ寺院の修道僧ジョン・ウェサムステッド(John Whethamsted)による歴史
記述である。
Of this matter Holinshed gave two versions, both of which I quote. The former is
an abridgment of Halle(251); the latter―whence we learn that York“was taken
aliue, and in derision caused to stand vpon a molehill”―is, in part, a translation from
Whethamstede(489).12)
マーガレット王妃も「針小棒大」を意図として、この言葉を発し、王位という「山」を得ようとし
て、結局のところ「モグラ塚」ほどの価値しかない「山の影」を得たにすぎないヨーク公の野心を
皮肉ったと思われる 13)。
さらに、受難においてイエスがローマ軍兵士から受けた愚弄とヨーク公リチャードのそれとの類
似性を明らかに指摘したのはラファエル・ホリンシェッド(Raphael Holinshed)であるが、志半
ばにして武運尽きたヨーク公リチャードが、アマゾネスと化した王妃マーガレットと復讐心に燃え
るクリフォードの手に落ちる一幕四場は、磔刑にのぞむキリストの「受難」
“Passion”のパロディー
として認められる 14)。
キリストの受難の細部は四人の福音史家によって異なるが、多くにおいて一致しているのは、
ローマ軍兵士たちが、国王を国王たらしめる儀礼すなわち「王権」の象徴である“regalia”の代替
品――紫の服、茨の冠――で、イエスを「ユダヤ人の王」と愚弄したことである 15)。興味深いのは、
『ヘンリー六世・第三部』一幕四場においても同じく「王権」“regalia”の代用品が巧妙に利用され
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ているものの、マーガレット王妃がローマ軍兵士同様にヨーク公を愚弄するために自ら彼に被せた
紙の王冠が、いつの間にか王妃の目に燦然たる黄金の王冠と化して見えたという事実である。大場
建治は空しい王冠が黄金の王冠と化してしまう演劇のダイナミックスに着目し、頂点に達した王妃
の怒りを読み解いた。
シェイクスピアはホリンシェッドの叙述を主体にホールの紙の王冠を取り入れたという
のが種本を検討したとき浮かび上がる創作プロセスであるが、いま舞台にもち出された紙
の王冠は、もがくヨークの頭上に戴冠式の儀式のようにのせられて、黄金の王冠自体の裏
にある空しさの意味を一瞬に照射する。けれども、才子グリーンを驚嘆させ、羨望の思い
を死の床にまで及ぼしたこの場の衝撃力は、その空しい王冠が、もう一度本物の王冠に見
立てられ、黄金の王冠に化してしまうその瞬間に生ずると言った方がより正確なのかもし
れない。舞台のマーガレットは、自らが指示して持ちださせた空しいおもちゃのような紙
細工に、本物の黄金の冠を重ね合わせて次第に興奮していく。16)
本稿ではさらに、「モグラ塚」の空間的ダイナミックスが紙の王冠に影響を及ぼして、この場に、
一幕一場におけるヨーク公リチャードの王位請求の場面を再現したと主張したい。
ここであらためて本稿の冒頭に示した謎に立ち返ろう。より強力な王位請求権を盾に玉座を占
め、一段と高い目線からヘンリー六世と王妃たちを威圧した一幕一場から、明らかにヨーク公の運
命は逆転しているものの、一幕四場において一段高い場所からヨーク公が王妃たちを見下ろす構図
が同じであることを考えると、一幕一場の玉座と「モグラ塚」は舞台演出上同一であった可能性は
かなり高い。一幕四場における煌びやかな装飾を取り払った高御座は、王妃マーガレットに一幕一
場の屈辱を想起させる心理現象を引き起こし、紙の王冠の変容を助けたのだ。実際、紙の王冠をか
ぶったヨーク公はもはや王妃マーガレットの目には「野心家」というよりはむしろ我が子エドワー
ド皇太子を出し抜いた「次期王位継承者」へと変容して見えたに違いない。それ故、マーガレット
王妃はヨーク公の王位請求権の正統性を論駁するのではなく、破約によってヨーク公を「王位僭称
者」として非難する。
Ay, this is he that took King Henry’
s chair,
And this is he was his adopted heir.
But how is it that great Plantagenet
Is crowned so soon and broke his solemn oath?
As I bethink me, you should not be king
Till our King Henry had shook hands with death.
モグラ塚の上に
5
And will you pale your head in Henry’
s glory
And rob his temples of the diadem
Now, in his life, against your holy oath?
O, 'tis a fault too too unpardonable.
Off with the crown, and with the crown his head,
And whilst we breathe take time to do him dead !
1.4.97−108.
ホリンシェッドが記述しているように、イングランド国王として正統な血統をもつが故に、ヨー
ク公リチャードはヘンリー六世を譲歩させ、次期国王位の約束を得た 17)。にもかかわらず、ヨーク
公は現王の存命中に蜂起するという破約をしたので、当然受けるべき罰を受けたのだという。
Manie deemed that this miserable end chanced to the duke of Yorke, as a due
punishment for breaking his oth of allegiance vnto his souereigne lord king Henrie :
but others held him discharged thereof, bicause he obteined a dispensation from the
pope, by such suggestion as his procurators made vnto him, whereby the same oth was
adiudged void, as that which was receiued vnaduisedlie, to the preiudice of himselfe,
and disheriting of all his posteritie.
18)
では、シェイクスピアは、ヨーク公リチャードを野心家として表象することに専心していたのか
というとそうではない。ここでは、野心家リチャードの最期を悲劇へと転じる重要な舞台上の小道
具、幼子ラトランドの血にそまったハンカチをヨーク公リチャードに突きつけたマーガレット王妃
を聖ヴェロニカのパロディーと読み解く視点を取り上げて考察したいと思う。
イエスがゴルゴタの丘へ向かう途中で、群衆の中の一人の女性がイエスに憐れみをかけ、布でイ
エスの顔をぬぐったら、イエスの顔の写しが布に刻印された。この女性の名をヴェロニカという。
布は、特に、人間性への傾倒とキリストの受難への関心が増した時代である中世後期において聖像
崇拝の対象となり、この布がキリストの顔への信仰となった 19)。
聖ヴェロニカが、受難に沈黙をもって耐えるキリストを憐れみ、血をぬぐい去るため布を差し出
したのに対し、王妃マーガレットはヨーク公リチャードへの憎悪から、幼いラトランドの血が染み
こんだハンカチをヨーク公に差し出した。キリストはその布に自らの顔を血で写し取らせた聖遺物
をもって聖ヴェロニカの人間性に報いたが、シェイクスピアの場合、人間性を喚起させたのは、幼
い息子の無惨な死の聖遺物を父の無念の涙で洗い清めるというヨーク公リチャードの描写だった。
O tiger’
s heart wrapt in a woman’
s hide,
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6
How couldst thou drain the life-blood of the child
To bid the father wipe his eyes withal,
And yet be seen to bear a woman’
s face?
Women are soft, mild, pitiful and flexible;
Thou stern, obdurate, flinty, rough, remorseless.
Bidds’
t thou me rage? Why, now thou hast thy wish.
Wouldst have me weep? Why, now thou hast thy will.
For raging wind blows up incessant showers,
And when the rage allays, the rain begins:
These tears are my sweet Rutland’
s obsequies.
And every drop cries vengeance for his death
'Gainst thee, fell Clifford, and thee, false
Frenchwoman ! . . .
See, ruthless Queen, a hapless father’
s tears.
This cloth thou dipp’
d’
st in blood of my sweet boy,
And I with tears do wash the blood away.
1.4.138−58.
このように、マーガレット王妃を聖ヴェロニカのパロディーと化することによって、
「憐れみの心」
が前景化され、再び「モグラ塚」が舞台に登場する二幕五場の場面における国王ヘンリーの瞑想へ
とつながる。
2
「モグラ塚」に再び焦点が当てられる二幕五場はシェイクスピアによるオリジナルな場面である。
「モグラ塚」は、「丘」“hill”や「ここに」
“here”と言い換えられ、計3回この場面に言及される。
前章において、一幕四場の「モグラ塚」が玉座と舞台演出上同一である場合にこそ可能となる王妃
マーガレットに起こった心理現象を考察したように、二幕五場の「モグラ塚」と玉座との同一性を
前提にすると、ヘンリー王の瞑想の場面はいかに読み解かれるのだろうか。まず、最初の言及を見
てみよう。
Here on this molehill will I sit me down.
To whom God will, there be the victory.
2.5.14−15.
モグラ塚の上に
7
国王ヘンリー六世は戦場から遠く離れ、独り「モグラ塚」
“molehill”に腰を下ろす。天蓋付きの
玉座ならぬ「モグラ塚」に腰掛けるというヘンリーの劇的行為は、自らの王権を卑しめ、その無能
さを表象するかのように思われる。実際、戦争の大義を象徴する人物でありながら、ヘンリーは王
妃と皇太子、臣下にまで邪険にされ、戦場から追い払われていた。ヘンリーは現実逃避から死さえ
望み、シェイクスピアのイングランド歴史劇に登場する国王たちのように、慣 習ともいうべき「王
侯の苦悩」をこれから物語る。
Would I were dead, if God’
s good will were so.
For what is in this world but grief and woe?
2.5.19−20.
興味深いのは、他の国王たちの独白と異なって、ヘンリーが王侯の苦悩を物語るよりも、卑しい
羊飼いの生活に憧れる思いに傾倒しているということである。それを助けたのが、偶さかに身を休
めた「モグラ塚」であり、ヘンリーの瞑想を現実化させた。羊飼いのごとく時の経過を刻みつけて
いるという心地よい瞑想に耽るヘンリーは、この瞬間、確かに羊飼いと化し、
「モグラ塚」も玉座
から腰休めの小丘に変じて見える。
O God ! Methinks it were a happy life
To be no better than a homely swain,
To sit upon a hill, as I do now,
To carve out dials quaintly point by point,
Thereby to see the minutes how they run:
How many make the hour full complete,
How many hours bring about the day,
How many days will finish up the year,
How many years a mortal man may live.
2.5.21−29.
しかし、
「モグラ塚」の木陰が、玉座を覆う天蓋の落とすそれに見事に重なった時、ヘンリーはつ
かの間の心地よい変容から我に返り、国王たる身に生まれた自らを羊飼いと比べてこの上ない悲惨
と感じるのだ。
そこへ、若い兵士が敵方の老兵の死体を担いで登場する。心地よい空想をもたらした「モグラ
塚」は次に、内乱に苦しむイングランド国土を鳥瞰するという地図製作に欠かすことのできない空
間的視点をヘンリーに提供することになる 20)。
若い兵士はそうとは知らずに実の父親を殺してしまったことを嘆き、先ほどまで我が身の不幸を
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託っていたヘンリーはこのような災厄をもたらした時勢の犠牲者に共感の涙を寄せる。
O piteous spectacle ! O bloody times !
Whiles lions war and battle for their dens,
Poor harmless lambs abide their enmity.
Weep, wretched man; I’
ll aid thee tear for tear,
And let our hearts and eyes, like civil war,
Be blind with tears and break o’
ercharged with grief.
2.5.73−78.
次に、可愛い我が子を手にかけたと知った父親がプリアモス王のごとく嘆く様を見て、ヘンリー
は災禍に苦しむイングランド王国の救いを、自らの死でもって贖うことができればと望む。
Woe above woe ! Grief more than common grief !
O that my death would stay these ruthful deeds !
2.5.94−95.
現実逃避をして死を願った以前のヘンリーとは異なって、天に憐れみを乞うヘンリーの自己犠牲
はキリストの受難に似通う。先行する場面において、そのパロディーというよりは「政治的受難」
“political martyrdom”に仕上がったヨーク公の最期と比べても、これは特筆すべきであろう 21)。
O pity, pity, gentle heaven, pity !
The red rose and the white are on his face,
The fatal colours of our striving houses:
The one his purple blood right well resembles,
The other his pale cheeks methinks presenteth.
Wither one rose, and let the other flourish;
If you contend, a thousand lives must wither.
2.5.26−102.
内乱終結のためにランカスターの敗北さえ祈るヘンリーは、王国の福利を左右する国王の責務をお
そらく初めて意識した。
How will the country for these woful chances
Misthink the King, and not be satisfied !
2.5.107−08.
モグラ塚の上に
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そして、国王の苦悩を自己中心的に語った時とは異なり、王国をおそった災厄に苦しむ民の痛みを
初めて語った国王として、ヘンリーはシェイクスピアのイングランド国王たちと異なることにも注
意を喚起したい。
Was ever king so grieved for subjects’woe?
Much is your sorrow; mine ten times so much.
2.5.111−12.
自らの座する「一段と高く設えられた場所」をおおいに意識した最後の台詞において、同じ場面
の冒頭において初めて「モグラ塚」が言及される時とは異なり、もはやヘンリーは羊飼いの生活に
憧れはしない。
Sad-hearted men, much overgone with care,
Here sits a king more woful than you are.
2.5.123−24. 下線は筆者
むしろ、自らの命と引き替えに天に憐れみを請う自己犠牲的な行為によって初めて、王たり得た
ヘンリーは、あたかも「ディッチリー・ポートレート」のエリザベス女王のごとく威容を誇って、
「モグラ塚」の玉座に座しているのを認めることができる。
おわりに
「モグラ塚」での瞑想後のヘンリーは、王として自らができる行動――慈悲、民を憐れむ行
為――に専心し、予言者的な性質を帯びていく。例えば、三幕一場において、フランス王の救援を
求めて行ったウォリックとマーガレット王妃の行く末を予想し、マーガレット王妃の敗北を確信し
たように、自らの利益を超えた、世の中を支配する「利益」の存在を見通すことさえ可能となる 22)。
再び戴冠した後も、ヘンリー王は自ら進んで王冠の影となることを選び、無力な王であるがため
に苦しむ国土の「利益」を尊重する。この隠遁は、自らの延命と引き替えにヨーク公を次期後継者
とした譲歩とは明らか異なる。しかも、神との仲介者である聖職者のごとく祈りの生活に身をおく
ことによって、予言者的性格がヘンリー王に付与されることになる。
おおむね、シェイクスピアは、ある目的をもって、ヘンリーを予言者たるに相応しい存在へと変
容させている。その目的とは、ヘンリー・リッチモンド(テューダー王朝の開祖)を「イングラン
ドの希望の星」とし、リチャード三世を「イングランドの恐怖」として位置づけるテューダー王朝
を支援する摂理的史観の確立のためである。
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10
Come hither, England’
s hope. L D\VKLVKDQGRQKLVKHDG
If secret powers
Suggest but truth to my divining thoughts,
This pretty lad will prove our country’
s bliss.
His looks are full of peaceful majesty,
His head by nature framed to wear a crown,
His hand to wield a sceptre, and himself
Likely in time to bless a regal throne.
Make much of him, my lords, for this is he
Must help you more than you are hurt by me.
自らの延命と引き替えにヨーク公を次期後継者とした無能なヘンリー王に、このような役回りが
宛がわれることはない。しかし、内乱に苦しむ国土を鳥瞰する「モグラ塚」において、国民の嘆き
を目の当たりにしたヘンリー王は、内乱に苦しむ国土を贖い戻すため、自らの命と引き換えにする
ことも厭わないと思った。キリストの受難にも似たこの自己犠牲が、血統や力を誇示するヨーク公
リチャードと対峙する国王としてヘンリーの憐れみと慈悲を照らし出す。いわば、幼いヘンリー・
リッチモンドを世の中のバランスを崩す「利益」を超越する神意によって定められた真の王位後継
者として指名するためにこそ必要な変容として、「モグラ塚」の瞑想は創造されたのだろう。
଎
『ヘンリー六世・第三部』からの引用は全てアーデン版による。
1)3H6 , ed. Martin 1.4.67n. また3H6 , ed. Cox & Rasmussen 1.4.67nを参照。
2)3H6 , ed. Martin 1.4.67n.
3)OED , molehill, 2.2.
4)Dent 537.
5)Fuller 1:414.
6)Q XHHQE OL]DEHWKDQGH HUT LPH 1:150−52.
7)Simpson 5.
8)Brimacombe第6章を参照。
9)Montrose,“The Work of Gender in the Discourse of Discovery.”
10)Doyle 56.
11)T KHB DWWOHRIA OFD]DU 2.2. 505−07.
12)Boswell-Stone 299.
13)3H6 , ed. Martin 1.4.67n. また3H6 , ed. Cox & Rasmussen 1.4.67nを参照。
14)Holinshed 3:269 またHall 251.
モグラ塚の上に
11
15)
「ルカによる福音書」23章では、
「茨の冠」は登場しないし、34節においては「父よ、彼らをおゆるしくださ
い。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と、父である神に祈ってさえいる。
16)大場 25.
17)Holinshed 3:266.
18)Holinshed 3:269.
19)Butler & Farmer 84.
20)Imhof 1.
そもそも、「モグラ塚」“molehill”は地図製作においては実際に「山」の記号であり、エリザベス時代の地
図製作者クリストファー・サクストン(Christopher Saxton)による1579年の「イングランドとウェール
『ヘンリー六世・第三部』
ズの地図」A WODVRIE QJODQGDQGW DOHVにおいて実際の使用例を見ることができる。
において、シェイクスピアは「モグラ塚」で国土を表し、その上に足を置く、あるいは腰掛けるという所
作で国王たること、「王権」を表象させている。この意匠は、1592年9月中旬の女王行幸にあわせて描かれ
たと思われる「ディッチリー・ポートレート」
“Ditchley Portrait”の図案に通底している点を指摘してお
きたい。
21)Strohm 82−86.
22)シェイクスピアが後に執筆したイングランド歴史劇『ジョン王』K LQJJ RKQの二幕一場において、このよう
な「利益」はフィリップ・フォーコンブリッジによって見事に言い表されている
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本論文は、第42回シェイクスピア学会における口頭発表に加筆したものである。
モグラ塚の上に
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(ABSTRACT)
On the Molehill :
Two Scenes in T KHT KLUGP DUWRIH HQU\WKHS L[WK
LEE Choon Mi
In Act One Scene Four in T KHT KLUGP DUWRIH HQU\WKHS L[WK, royal claimant Richard Duke of
York ends his life on the battlefield, caught by Queen Margaret and her Lancastrian followers.
He was forced to stand on the molehill and wear a paper crown as mock coronation. It is well
known that Shakespeare created the death of Richard Duke of York so elaborately that his
death can be represented as“political martyrdom.”
Another scene with a molehill on stage is Act Two Scene Five, where King Henry the Sixth
appears to meditate on his troublesome life. It is highly probable that this scene was created to
correspond to the former molehill scene. This paper points out that the molehill on the stage
signifies chair of state, throne of England.