環境とあいだ 木村敏

文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/03/09
環境とあいだ
木村敏
p.027-p.062
自然が自然環境として意味づけられるのは、人間と自然の〈あいだ〉に関係が持たれるからである
あいだ
物と物のあいだで生じる感情や雰囲気、場
精神医学:人と人のあいだ
→自然・世界との関係全体にまで広げることができる
ex.)音楽、合奏
音楽 → 音と音の関係をつくること(ひとつの音の中に、すでに〈あいだ〉が存在する)
合奏 → 音と音の〈あいだ〉どうしをあわすこと、タイミングを合わすこと、〈あいだ〉と〈あいだ〉
をあわす
個別的な自分と、「集合的」な自分とに二重化される
⇒対人関係においても、この合奏と同じ〈あいだ〉が重要になる
⇒お互いが二人の共有の場と一体になる
⇒お互いが個別的な自分であるのに、それが〈あいだ〉そのものにもなっている。そこで〈あいだ〉で
あるこちらの自分と、やはり〈あいだ〉であるあちらの自分とが出会う
〈あいだ〉の喪失と離人症 (p.33-)
■離人症 depersonnalisation
自分というものが感じられなくなる
〈あいだ〉が感じられなくなる
→
時間と空間の実感が失われる
■時間の流れの喪失
時間とは〈あいだ〉の積み重ねによって感じられるものである
→〈あいだ〉の流れを失うと、時間を失う
■空間の喪失
自分と対象物との〈あいだ〉を感じることによって何らかの感情を抱き、それによって距離を感じる
→自分と対象の〈あいだ〉何の感情ももてなくなると、空間を感じることができなくなってしまう
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和辻哲郎の〈風土〉と自然 (p.38-)
風土≠(自然科学のいう)自然
自然科学的な自然と人との〈あいだ〉が成立することによって風土が存在
〈自然〉
一般的に言われる自然→自然科学の研究対象になるような〈自然界〉
ex.)自然〉環境、〈自然〉保護、〉〈自然〉破壊
⇔しかし、自然という言葉がそういう意味で使われるようになったのは比較的最近のことであり、古く
は、
〈自然〉という漢字は中国や日本で〈おのずから〉、
〈それ自身から〉という意味で用いられてきた
→現在でも「自然に」や「自然さ」という言い回しの中にそれらの意味が残されている
明治時代に nature という英語に自然という名詞を当てるまでは、nature に該当する日本語はなかった
■西洋においての自然観と日本においての自然観の違い・・・
西洋
→
自然は人間によって征服され、人間によって管理される客観的対象
日本
→
自然と自己とは、まったく一つのこととして、〈あいだ〉で出会うものであり、山川草木、
花鳥風月、四季のうつろい暑さ寒さといった自然界のものや出来事を、
〈自然〉という一語で対象化し
て客観化するという姿勢を持ち合わせていなかった
■〈自然〉のなかの〈自〉という語に注目すると・・・
〈自〉→始まりの意
何かがそこから始まり、そこから湧き出してくるような根源的な自発性をあらわす
〈おのすから〉〈みずから〉
⇒〈あいだ〉にはそのままで手を加えない〈おのずから〉のものと〈わが身〉のほうへひきつけ、自発
性を認めた〈みずから〉のものとがある
→合奏における〈あいだ〉の二重性
西洋の公園と日本の庭 (p.41-)
■西洋と日本の自然観の違いのあらわれ
西洋の自然
→
規則的・合理的、制御しやすいもの
⇒自然を客観視してその法則を探求する自然科学が形成された
日本の自然
→
非合理的、対象化しにくいもの
⇒優れた芸術や文学、それに宗教に根ざした哲学が発達したが、自然科学では見るべきものが生まれな
かった
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また、西洋と日本のそれぞれで発達したものの性質を比較すると・・・
自然科学
→
公共的
哲学・文学・芸術
→
私的
といえる
■間主観性(フッサール)
主観的な人と人とのあいだに間主観性が形成されることによって客観的で公共的な判断が形成できる
⇔(木村):私的な性格の間主観性も存在し得る
日本の庭
→
私的な空間
⇒自分自身の内部に取り込んで、自己の成立の場所と見ている
西洋の公園
→
市民の誰もが立ち入れるパブリックなもの
⇒人間の外にあってすべての人に開かれている公共の場とされる
対談 (p.44-)
ニス:「自然ははたして対象になりうるものなのか。」
■西洋における〈自然〉という言葉の成り立ち
ギリシア語
ピュシス:自然の自におけるおのずからと同じ意味を持つ
↓
ラテン語
ナトューラ:おのずからの意は薄い
↓
フランス語/英語
ナチュール/ネイチャー:だんだんと〈おのずから〉の意味合いが薄れていく
人間と自然との関係 (p.45-)
自分の置かれている環境に対してどのようにアプローチすればいいのか
→さまざまな対比の展開
〈自然と芸術〉〈自然と歴史〉〈自然と精神〉
木村:「ツーハンデンザイン(Zuhandensein)」と「フォアハンデンザイン(Vorhandesein)」
→人間にとって抽象的な存在「フォアハンデンザイン」というものは存在し得ないのではないか
⇒自然科学が対象とするような〈自然〉も人との〈あいだ〉をもって存在する
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■中世の哲学における二つの〈ナトゥーラ〉
〈ナトゥーラ・ナトゥランス〉と〈ナトゥーラ・ナトゥラータ〉
ナトゥラータ
:
生み出された自然
ナトゥランス
:
生み出す自然、中世の哲学における神の意〈おのずから〉の意の〈しぜん〉
→ピュシスからナトゥーラに翻訳された際に失われたもの
人間と歴史、自然、自由 (p.48-)
人間
→
歴史
人間
→
自然
〈庭〉
:歴史の中における人間のように完全に自由なものであるのか、自然のサイクルの中における人間
のようにある程度の拘束を受けるものなのか・・・
■自然・歴史・自由に対する考え方
西洋
→
自然⇔歴史、自然⇔文化、自然⇔人工
日本
→
上のような対立は見られない
などの対比の構図
〈自ら〉と〈おのずから〉が一体
自然
歴史
自由
↓
↓
↓
自己
みずから
みずから
おのずから
おのずから
西洋の庭と都市 (p.50-)
■芸術としての庭の起源
ニス:ギリシア
→
都市間の優越性の誇示のため建築の美や荘厳さが重要視され、庭は二次的なもの
→
ヴィラをつくるようになり、庭が建築の一部として重要性を帯びてくる
とされた
ローマ
このころの庭はプライベートな性格が強かった
■Garden の語源
ギリシア語 その場の主(友人とともに楽しく過ごす空間としての庭)
→ゲルマン語 友人たちのためにつくられた喜びを分かちあう場所
→英語/フランス語 garden/jardin
⇒ガーデンやジャルダンはそもそも非常にプライベートな意味合いの強い特定の場所を指した
(中世ラテン語〈オルトゥス〉庭→〈オルト〉→〈トポス〉場所、土地→horticulture 園芸)
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ニス:Park
Garden
……
都市の〈あいだ〉としての概念の重要性をもつ
……
建物と建物の〈あいだ〉という重要性をもつ
どちらも〈あいだ〉に存在するものであり、スケールは違っても本来の果たしている役割にはさ
ほど大きな違いはない
木村:Park
Garden
……
パブリックな性格のもの、三人称的
……
私的な性格のもの、一人称複数の場
科学の公共性と個人のプライバシー (p.54-)
科学
→
公共的で民主的なもの
精神医学
→
プライベートな営み、プライバシーを大切にする、私的なものが対象
…プライバシー
:
〈みずから〉というものが生まれ、これは絶対に公共的にはなり
えない部分/主観的な部分
→
科学とは相反するもの
〈自己〉と〈われわれ〉 (p.56-)
木村:人間の一人称的主観性は個別主観と集合主観の重層構造となっている。つまり、一人称単数と一
人称複数のあいだに差異はない
日本語では〈わたし〉や〈あなた〉などの一人称・二人称代名詞を言わないことが自然であるよ
うに、〈moi〉や〈I〉、〈Ich〉のような自我を強調するような代名詞がない。また、〈アイデンテ
ィティ〉に当たる言葉もない
都市における公共空間と私的空間の必要性 (p.58-)
木村:公共的空間にたいして、私的領域も重要なものである
いくら公共的になっても、私的領域を忘れてしまってはいけない
ニス:あまりにもパブリックな部分ばかりになると、都市は個性をもたない、つまらないものになって
しまう。また、あまりプライベートな部分が多くなると、それは反民主的なものになってしまう
⇒一人称複数こそが共通の世界、共通の場、瞬間的な〈あいだ〉である
⇒都市の構築をするとき、中間的な一人称複数的なパブリック・スペースの導入が必要になる
ex.)ギリシアなどの古代都市のコモン・スペース
田路:建築や庭の空間が、そこで生活する人にとにとっていかに実感をともなうアクチュアルな〈あい
だ〉として経験されているのか・・・
一人称単数の空間が実際の都市や庭園、個々の建築など、さまざまな施設のなかでどのような形
態をとるのか・・・
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/03/17
環境とランドスケープ
三谷徹
p.063-p.100
三つのキーワード (p.67-)
<コトを映す>
:
生じるコトによって空間をつくる
<大地をあらわす>
:
その場所の地面のあり方を決めることが重要
<場を育てる>
:
維持、管理を継続して育てていく
モノではなくてコトとしての空間 (p.68-)
■つくば研究所の中庭
季節という自然の変化を植物の色の変容という出来事で映し込む
植物素材を並列的に並べる手法
→植物の微妙な変化が空間をつくり出す状態を純粋に感じさせる刈り込み(日本の庭園技術)
⇒空間とともに、植物特有の変容によって時間軸も仕切る
水による環境の変化の映し込み
水盤
→光の反射による天井への移り込み
⇒風が水の音の動きとなって建物内部に伝わる
ex.)ヴィラ・ランテ:水の流れがつくり出す光と音
空を映す屋上庭園
映し出されるものによる庭の表情の変化
濡れた石盤
→四季や日々の天候による変化の映し込
風見魚
→風の動きの視覚化
■イザール河オフィスパークの畑のパターン
敷地がもつ環境特性を映しこむ
カエデの並木による東西方向の短冊形の構造
→敷地の図化(耕作地の形の抽出)
地域の歴史的地形の特徴(畑のモデュールの採用)
貯水浸透地としての機能(並木の緑地帯)
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大地から掘り出される空間 (p.73-)
■「風の丘」のアースワーク
楕円形のアースワーク
→人間の身体スケールを超えた崇高な空間感覚
普段意識しないあたりまえの環境をあらためて風景として体験する(窪地)
少し異なる時間の流れを感じ取らせる
大きなスケールを感じ取る(円周の石盤の方位)
古墳の発見
→現代と過去のアースワークの対峙
空と自らの顔の映し込み(ステンレス板・御影石の表示板)
風のベンチ
→環境との対話
環境に対する意識
■播磨の原っぱ広場
土木造成の幾何学性を周りの山並みと対比させる
斜面に沿った斜めの植栽パターン
→最大限の距離感(空虚感)
長く斜めに上り下りする(ex.ヴィラ・デステ)
支柱や散水をデザインする (p.77-)
<場を育てる>:維持・管理
■播磨の原っぱ広場
メタセコイアの列植
→普段見て見ぬふりをする支柱をあえてデザインしてみせる
植栽と支柱の列として並ぶ風景
散水システム
→散水管理をショーとして見せる
夕日に映えるスプリンクラー散水(通常は早朝と日没後)
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伝統庭園のなかの工夫 (p.78-)
維持・管理をいかに簡単にするかもデザインの主要テーマ
・慈照寺銀閣の銀沙灘
→熊手で枯葉を掃除するという管理行為と、その道具の自然な結果
・慈照寺の向月台
→銀沙灘のための予備の砂の山
・カースル・ハワード
→羊牧のための牧場を庭園に見立てたもの(ピクチャレスク庭園)
羊による自動草刈り機兼施肥機
庭園を介在させた環境維持のシステム
農地という庭園 (p.79-)
テクノロジー・道具がその土地と反応しあって形が出てくる
→日本庭園、アメリカの現代農業
現代の科学技術のなかにも環境を映し込む可能性が潜んでおり、それを見出さなければならない
対談 (p.80-)
ニス:<環境><景観><自然><田舎>
+
<地面・土地>
プラトン:ピュトゥルゴス=造園家←<植物+光>
アメリカの空間体験 (p.85-)
■<詩的(ポエティック)>と<技術(テクノロジー)>の同一性
→・技術は人間の身体性、手の延長線上にある
・手は環境を触ってみる感覚器官であり、その延長線上にある技術は自然を解釈する方法論=詩で
ある
・自分が感じた経験を、そこを訪れた人に直接的に感じさせる
・身体的な詩(言葉の詩ではない)
プリミティヴィズムの感性 (p.87-)
■プリミティヴィズム:モダニズムの初期の原始主義
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/03/17
→・技術を通して土地そのものを感じる感性を常にもつ
・技術とはその場所・自然を解釈する自分の手の先であるという感性をもつ
ニス:<根本要素(element premier)>
→人間の体、光、五感の感覚、知覚
⇒からだは、技術であり、世界を感じるための道具
敷地のもつ文脈とメディア・言葉 (p.90-)
敷地のポテンシャルを最大限に高めることで、そこを訪れた人が敷地そのものを感じ取る
敷地のもつ<コンテクスト>とデザイナーがもつ<テキスト>
→敷地を分析し、その敷地がもつ特性を抽出し空間化する
ランドスケープ・アーキテクトのデザイン力
解釈する手段としての言葉、テキスト
メディアの重要性
→あるがままの環境をひとつの風景に仕立てる
個人的なその人限りの感動が必要(言葉にならない空間体験)
土地を体験的にみることから出発する (p.92-)
<地面・大地(terre)>
ヒポクラテス:<ゲ(ge)>
ハイデガー:<大地>
フッサール:出発点としてまず具体的な人間の身体がある
ランドスケープ・アーキテクト:
…土地があり、それを体験的に見て、「大地は動くものではない」という感性を出発点
→自分の置かれた体験から出発することが重要
⇒土地、地面に対する執着と、それが伝統的に地域にとって重要であるという考え方
ヨーロッパとアメリカのポストモダニズム (p.94-)
ポストモダニズム
→引用を重ねることによる効果
言葉・記号による操作(⇔人間の空間体験、身体的な体験が重要)
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/03/17
ラ・ヴィレット:逆さまになった白鳥(⇔空間はどうなのか)
フランス国立図書館:透明性、技術をみせる
言葉ではないコンセプト
言葉にしない
出発点も言葉にならない空間のイメージであるべき
図面上に描き出す:一本の線や形、パースを用いる
言葉の有用と害
田路:<自然><詩><技術>
<ポイエーシス>:詩作、制作
<詩>と<技術>が一体となった状態が重要
<自然>:<詩>が目指すもの
生成する自然、生成としての自然
→水の反射、風の微妙な動き、木の葉の色の移り変わり
<技術>:自然の変化を受け取ることは、自然の変化の表現をとおして行われ、そのようにつく
られ表現されたものをとおして、見る人が自然の動きを受け取る
技術の蓄積により、技術が自立する→形骸化したポストモダニズム
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/03/23
環境と景観
中村良夫
p.101-p.135
環境から景観へ (p.102-p.105)
ex.)空中写真と人の目線
空中写真:混沌、連続的な流動性(構造)(=「場所」)
人の目線:「図と地」、
「遠と近」という二つの分節があり、それぞれ二つが一組となって意味を持つ。
システムを作る(=「景観」)
…不即不離の関係であり、この関係が景観の意味生成に重要な役割を持つ。地上景観の視点が低いこと
によって発生する重要な視覚現象
⇒「場所」
:たくさんの記号を含み、そのあいだに構造がある。空間としての広がりの中にも構造をもつ。
「景観」
:
「場所」を廻遊しながら見ることでその空間の連続性を解体して再構造化し、組替える。それ
によって景観が生まれる
景観と身体 (p.105-107)
■景観における身体の痕跡
人間の視野には必ず鼻などの身体の一部が映る
⇒視野は身体と遠い対象の不即不離の二項対立的な関係となる
⇒景観には自分の身体のイメージが痕跡として常に映しこまれる。形だけではなく、その中を自分の身
体が仮想的に動き回れる場所として意味付ける(=「仮想行動」、
「アフォーダンス」)。→「空間」に意
味が発生する
空間に区切を入れること (p.107-p.109)
■空間の言語的文節
ex.)京都・東山三十六峰の分節
空中から見ると連続的でも地上から見ると視覚的に分節される(=「視覚的分節」)
連続的なものに区切りを入れることによって意味が発生する
(=「記号的分節」)
■エクリチュールとしての景観
ex.)日本庭園
それぞれの要素に名前を付けて空間を分節し、意味を発生させる。⇔ではその姿(記号表現)はどう
なるのか?
⇒「エクリチュール」としての記号として捉えること
景観というテキストを長く眺め、あちこちを関連させながら味読することが大切
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テキストとしての景観 (p.109-p.113)
ex.)「富岳三十六景」
遠景は同じ富士でも、視点場(=自我の場所)によって全く違う構図となり新しい価値が生産される
プロダクティヴな性質を持つ
■相互テキスト性
二つのテキストを関係付けることによって景観をより豊かにする
ex.)桂離宮の「天橋立」の引用
円通寺の庭の借景…比叡山という見慣れたテキストを斬新に見せるという効果もある
⇒景観が自らに新たな価値を作り出していく
■クリスタリザシオン
景観の全体像は、視野の狭い範囲(=ディテール)の集積としてイメージされ、生成される
⇒全体と部分のテキストが互いに入れ子構造になっておりディテールが大切になってくる。日本庭園の
特徴であり、まさに相互テキスト性
ex.)日本の軒下空間
半分庭であり、半分家であるという二つのテキストの曖昧な境界であり、相互テキト性を持つプロダ
クティヴな空間
結論 (p.113-p.114)
①「場所」の持つスタティックな性質に対して、
「景観」は視点の移動やテキストの相互性といった動的
機会を使いながら堅固で静的な空間の構造的枠組みを壊し、組替えながら新たな価値を創造する
②景観の方法とは、記号学的な枠組みでありながらそれを自在に新たな記号システムに組替えていくと
いう生成的な方法
③そのような自在な非プログラム的生成力をもつものとして捉えた景観を「風景」としたい
対談 (p.114-p.135)
■風景の解釈と言葉
中村氏の考える記号学とは、ポスト構造主義的な記号学
…古典的な記号学では記述できない景観の姿、記号から受ける感覚の問題を取り上げようとする
→限りなく現象学に近い
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/03/23
■ゼロ記号の庭
中村:イタリア庭園の流れ同様、日本でも堆積した記号を放棄するという流れがあった
…禅というイデオロギー。空間の意味をゼロに戻すことで逆に世界をありのままに見ようとする
(=「ゼロ記号」)
情報化という言語過剰の現代もゼロ記号が必要?
田路:日本では記号の多い「浄土式庭園」、ゼロ記号の「禅の庭」、そして江戸期に再び意味の多い庭園
が登場
英国でも同様の流れがあり、18 世紀半ばにはブラウンの記号を排除した自然的な風景庭園が現れ
る。その後再び視覚的な刺激に富む「ピクチャレスク」な庭が作られるようになる
⇒ブラウンの庭と枯山水の共通点は「ゼロ記号」、ただし
枯山水
……
幾何学的平面性を重視、「理念的空間」
自然的な風景庭園
……
広がりや奥行きを重視、「現象的空間」という違いがある
■味わいを言語化する術
田路:エクリチュールとしての景観にとって大切な要素として「味わい」があり、それは言語化しにく
いもの。それを分析し、近づく方法はないか?
中村:ex.)山の意味を扱う言葉は多くても、山の姿を扱うものは少ない
意味は重要ではなく、姿の類型があることが大切。類型学的でよいから、それだけでもデザイン
にとっては大切
田路:言葉でないものはいかに言葉で解釈されるのか?
ニス:絵画から言葉が生まれるし、テキストが絵画を生み出すこともある
景観や庭園はこうした絵画や詩の表現であり、実際の空間でありながらテキストでもある。ポー
ル・リクールやハイデッガーの解釈学ではすでに「味わい」に言及している
■空間の古典と伝統
中村:①空間の古典
西洋…空間の古典は非常に壮麗な建築
日本…空間の古典は風景。ところが明治以降建築の空間は西洋に倣う事を進めたため、風景の問
題が欠落してしまった
②伝統的な都市観
西洋…都市というものは人間の罪悪と汚辱の象徴。一種の罪悪感をばねにして都市文化を育て、
立派な都市を作った
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/03/23
日本…理想の風景を選んでそこに住む。建築は素朴に自然へと開く。不動の存在ではなく、移ろ
う四季を映す鏡(⇔西洋)
そういった数寄や風流の伝統というものから、地球環境時代を生きる人間の自由と創造性のヒン
トを得られないか?
■景観の成立条件
田路:
「遠と近」の分節と二項対立の中で景観が成立するとしていたが、場の中に溶け込んで場を共有し
た場合、景観として見えるのか?
中村:ルネサンス以降近代の伝統的景観…写真をとるように少し引きを取って客観的に見る。遠近分
風景(=実存的景観)…自分はその内側にいて、見られるものを風景として掴む
「生きられた景観」。したがって対象の客観化にこだわらなくてよい
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/01
環境と建築
内藤廣
p.137-p.177
契機−WTC の崩壊 (p.139-p.140)
ニューヨークで起きた 9・11 の事件
→
なにかとてもすっきりした
・
ある種のカタルシスが抜け落ちるのを感じた
・
閉じていく世界に裂け目があり、その裂け目から風が吹いてくる気がした
⇒世界が閉じていくように見えてもそこにはたくさんの多様な価値がまだまだあるんだということが、
きわめて象徴的に表れた瞬間なのではないか
テクノロジーの一般性と人間のあいまいさ (p.140-141)
人間
…………あいまいな存在
→自然に対する感じ方は人によって様々な捉え方をする
テクノロジー…固有のものではなく一般化されるもの
→(自然に対して)きわめて限られたパラメーターの中に閉じこめて
こたえをだそうとする
↓
うまくいったからといってグローバルに展開してよいのか?
⇒2つの見解
①テクノロジーのレベルが低いので人間のあいまいさとか順応性を掬いとれない
(テクノロジーのレベルを上げることで掬い取ることができる)
②致命的な欠陥があるので新しいパラダイムを考えなければならない
↓
環境にたいして言及する場合の2つの分かれ道
建築−空気をつくり出すハードウェアとして(p.141-p.142)
物理的環境
≫
建築
≫
空間意識
・
物理的環境−都市、ハードウェアとしての環境
・
建築−空気をつくり出すためのハードウェア
・
空間意識−空気の質
空気の質−(内藤の建築において)建物の形、形式、素材などでかわるものではない
⇒空間意識から出発して、それを支えるテクノロジーとして建築を考えているから
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/01
建築のオリジナリティー (p.143-p.159)
建築がつくる場所の空気感、空気の質がその人の持っているほんとうのオリジナリティ
⇒非常に伝わりにくい
⇒建築とか環境、あるいは人間を考えるときにとても重要なのではないか
⇒どうやって伝えるか、という部分が建築や環境に関わってくる
作品紹介 (p.144-p.159)
■海の博物館
塩にたいしてどうやって建物の耐久性を確保するか
→
外的条件
⇒伝統的な瓦の使用
⇒その場所の最適解を求めた結果
収蔵庫−凍りついたような、止まったような空気感
⇒収蔵とは物質が歳をとっていくスピードを遅くすること
→
空間意識
展示棟−木造空間のなかに流れている日常的な空気
外的な条件と内の空間意識との間を建築がつないでいる
■安曇野ちひろ美術館
どのようにすれば、いわさきちひろとつながることができるのか?
⇒安曇野の自然にたいして共生するような建物をつくる
大きい建物をつくらない
敷地のどこにでも植わっているカラ松の使用
⇒この積み重ねが、自然と環境と空間意識というものをつなげることができるのではないか
■牧野富太郎記念館
自然をできるだけ壊さないように考える
風と雨にたいして建物がどのように配慮できるか
周りに融けていくような、自然と空間とが一体になっているような場所
■倫理研究所
富士高原研究所
建築をつくっている仕組みのようなものが空間に韻律を与えることを考える
形よりも建築の仕組みのようなものが、建築や空間の価値の中心になることがいいと考える
⇒木のジョイントの使用
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/01
■最上川ふるさと総合公園センターハウス
遠くの山にたいしてひじょうに透明で視覚的に抜けの多い、存在感の無いヴォリュームをつくりたかっ
た
まとめ (p.159)
〈世界〉と〈私〉をつなぐものは何か
⇒間に〈環境〉、〈建築〉がある
つまり
〈世界〉−〈環境〉−〈建築〉−〈私〉
関係性をどうつくるのかということが〈建築〉である
〈私〉≒
空間意識
対談 (p.161-p.178)
モダンテクノロジーは「透明性」に向かうのか
ニス:何か新しい透明性、もしくは何らかの不透明性を見つけなければならないのか?
WTC の破壊 = 透明性の神話の破壊と感じたのか?
新しい技術を考えるための新たな出発点だと考えているのか?
伊藤豊雄や妹島和世の建物を美しいと思う反面、本当にそうなのかと疑う
なぜモダンテクノロジーは「透明性」に向かうのか
⇒モダンテクノロジーは本来非常にパワフルで、強暴な力をもっている
その力に支えられた透明性を信用できるか?
非常に弱く見えるものが世界をコントロールする世界をどう考えるか?
⇒建築という場所が、建築の在り方というのがある種の偽りではないか。
WTCがモダンテクノロジーとその結果あらわれる透明性を象徴している
⇒高度な技術によってつくられている反面、表現されているのは鳥かごのような弱さ
コンテクストは我々の中にある
テクノロジーは一般化できる
一般化できないものが大事なのではないか
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/01
「…テクノロジーのなかにコンテクストはない。われわれのなかにあるのが本当のコンテクストなの
だ。」
しかし、テクノロジーを完全には否定できない
否応なく頼らざるを得ない
⇒そのなかでどうやったらわれわれは一人ひとり自分の誇りを持って生きられるかという方法を探す
建築とか環境というのはそういう場所なのではないか。
ニス:「空間意識」の「意識」という言葉は適切か?
「経験」「体験」の方が適切ではないか。
内藤:まだないものをどうやってつくり上げるかを考えイメージする、その部分を「空間意識」といっ
ている
田路:「風格」−ある威厳とか尊厳をもった人格のこと
パーソナリティーをあらわすときに、そのあたまに「風」と言う語をつける
内藤はそういうことを含めて「空間意識」といっているのではないか
ニス:空間体験は建築からはじまるものではない
一つのイメージ、一つの写真からはじまり、それを求める欲求からはじまる
長い道程を辿っていくうちに何かが起きる
建築物の存在感について
「素形」−自分の心のなかの底にあるようなもの、長い年月(7年半)動かなかったもの、そういう一
つのプロトフォーム
設計のプロセスにおいていつももどらなくてはいけないのは、最初にその場所に訪れたときに何を直感
的に捕まえたか
そこで捕まえたものをプロジェクトの最後までもっていけば、新たな海を渡ったことになるのではない
か
まとめ
田路:「空気」というのは、無機質なものではなくて、ひじょうに個性をもったものとして捉えるべき
⇒その個性は建物が建てられる場所と、その場所を読みとる建築家の解釈の双方に基づいてあら
われてくる
「裂け目」から建築家のパーソナリティがあらわれてくるのではないか
⇒人が生まれ育った環境、周りを取り囲んでいた人々、といった自然に「裂け目」
「穴」は向かっ
ている
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/01
⇒自然に向かっているはずの穴が、人工物に置き換わってしまったとき、自然の上につくられた
人工物を自然だと思ってしまう
⇒停滞感、息苦しさという感じをもつ
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/06
環境・場所・世界 風土の美学
大橋良介
p.179-p.211
どんな環境も、かならずその場所の風土性を含んでいる
その風土性を含んだ場所を「世界」と呼ぶことができるのです
環境、場所、世界の重なりの軸を風土と名づける
漢字…事物の具体的な意味や形といったものが入ってきて、抽象的な概念にはすぐにはならない
ex.)風土=風と土
クリーマー
美学
エステティクス
自然
ネイチャー
明治以前
「山河草木」「花鳥風月」具体的な言葉を並べてきた
日本の伝統の中で形成された美学的な考え、あるいは芸術表現が問題
ヨーロッパの美学あるいは芸術表現と、性格を異にするようなところがある
風土の美学――四つのエレメント (p.182-p.183)
風土…地水火風という自然の要素を含んでいる
地水火風というとき、時代と場所によって性質が違ってくる
ex.)砂漠に住んでいる人にとっての水、日本のように梅雨を毎年迎える国での水
和辻哲郎も指摘
モンスーン地域のわれわれにとっては、サバクというのは「砂」
サバクの人にとって砂は河のようであって「沙」を書く
地水火風空というエレメントに着目すると日本の美学というものが浮かび上がってくるのではないか。
今のところそういった見通しを立てています
「風土の美学」というとき、基本的には地球上のどの環境、どの場所、どの世界においてもそれぞれ成
り立つのではないかと思う
ここでは風土の美学の日本バージョンを述べる
風の美学 (p.183-186)
「文化」という言葉は culture の翻訳として明治から用いられた
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/06
明治以前
→ 「風」という言葉が浮上してくる
ex.)風貌、風体、風采、気風、風格、風流、風狂、家風、国風、風習、風潮
ヨーロッパ的:人間の内面、家の習慣、国の傾向、あるいは社会の伝統=人間の形成するもの、人間が
責任をもつもの
風をつけると、どこかから吹いてきてどこかへ吹き去っていくという感じになる
ヨーロッパ
……
人格的な倫理、キリスト教的な倫理
日本
……
いうなれば自然倫理的
水の美学 (p.186-191)
水:自然のエレメント、流れるという性格おもち固定的な物体とは違う
「はかなさ」を含んだ古典的な日本の文学感情、詩的感情、芸術感情といったものが表現されるとき、
「水」という自然要素が浮上してきます
ex.)みずみずしい、水もしたたる好い男、水臭い、水際立った、水商売、濡れ場、濡れ事、瑞穂の国
日本の美的造形表現のなかでの水
ex.)伊勢神宮の屋根の形の「流造り」、広重の「大はしあたけの夕立」
雨の絵は、日本絵画のなかで浮世絵以外にも明治から現代に至るまで絵画のテーマになってきた
言語表現においても「水の美学」というものが成立する、造形表現でも「水」というものがひじょうに
重要なテーマとなってくることがわかる
火の美学 (p.191-193)
稲作における水の経験と、火の経験
狩猟文化における火とは違い、肉を焼くのではなくて、穀物を煮る火
水と火が日本人の性格形成の中にも入りこんでいる
ex.)和辻哲郎『風土』のなかで日本人の特性を「しめやかな激情」
ルース・ベネディクト『菊と刀』
火というと一般的に三つの性格がある
焼き滅ぼす火、命を育てる火、照らす火
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/06
雨をテーマにする絵画がヨーロッパに少ないことに対応するように火そのものを描くという作品がまず
少ない。以上から日本における「火の美学」もヨーロッパにはあまりない系譜として浮かび上がってく
る
「風土の美学」というアプローチで「環境・場所・世界」というテーマに現象学的に、近づく道が開か
れている。
一見普遍的なテーマに対して現象学的な比較文化論的なアプローチとして「風土の美学」というのを考
えることも、意味がある
対談 (p.193-211)
自然と文化の関わり方を問い直す
大橋:
「環境の解釈学」主体と環境の関わり方、主体が環境に関わる関わり方が根本的に問い直されなけ
ればならない
風土の美学における主体というのはどういう主体か。風土的に捉えた環境というのはどういうこ
とになるのかが問題
ギリシャのルーツに返る
ニス:西洋あるいは西洋の歴史、それらのアイデンティティをキリスト教のみに還元してはならない
キリスト教文化
ラテン語の層
ギリシャの層
ギリシャの最初の要素を覆い隠してしまう
隠されてしまった深い意味、その十全たる意味、多義的な意味をギリシャのルーツに立ち返って
問い、再び発見すること
ex.)ヒポクラテス、ホメロス、「ロクス・アモエヌス」
バシュラール…火、水、土、風といった自然の要素の詩学に言及
日本文化、中国文化と、それからヨーロッパにあるいくつかの要素とのあいだの対応関係、照合
関係、コレスポンデンスを見つけるということに私は関心がある
コレスポンデンスをどこで見つけるか
大橋:三点に絞って対話したい
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/06
①ギリシャ的な経験というものを隠された覆われた部分、覆われた経験とおっしゃいましたがも
っと大きな根源性をもって現代に作用していると捉えました
遠い距離よりは、近い比較においてコレスポンデンスを見つけることが大事だというとき、その
コレスポンデンスをどこで見るか
連続性と同時に非連続性もありますね、断絶を含まない連続というのは浅い表面でしか成立しえ
ないコレスポンデンスだと思います
②比較とかコレスポンデンスをバシュラールのどこに見るか
特殊な美学を見つけるだけでなくて、同時にコレスポンデンスを見つける、そういう観点からバ
シュラールをどのように読み得るか
③根本経験の違いや非連続性を含んだところでどのようにコレスポンデンスを探していったらよ
いか
ニス:美的な知覚、感性的な体験、肉体的な体験、すなわちギリシャのアイステーシスを詩学的にそれ
から解釈学のパースペクティブで見るということ、こうしたことをハイデッガーは十分の行って
いなかったのではないでしょうか。いずれにせよハイデッガーを避けて通ることはできないこと
は確かです
かならずしもコレスポンデンスを歴史のなかに見ることはできない
ex.)ヒポクラテスのテキスト、紀元前五世紀の中国の医学論
解釈=ある一つの歴史的な枠組みのなかである暗黙のうちにあった意味を表現させることになり
ます
日本の水経験、倫理感、清潔感について
田路:日本と西洋の風土のコレスポンデンス
「水」という点でどのような照合があるか考えていく
大橋先生の「美学」…美意識、倫理、行為の規範
西洋において「水」をとおして語られることがあるのか
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/06
大橋:日本語で「水」を含む表現は他の言語に直訳しにくい=文化の特質をみる指標
「美学」…世のなかを現象学的に見るうえでの一つの括り方
日本…水を美的に経験するという伝統
中国…教訓的、教育的、倫理的
ヨーロッパ…書物においてイメージを語っているが風土性までは立ち入っていない
田路:日本で「水」というと、美的な観念と同時に清潔さがあり、倫理感に通じているではないか
大橋:「清」、「濁」のサンズイ=ミズヘン
中国で成立した漢字=中国的な経験
西洋の水経験
ニス:西洋の水についてのレファランス
イリイチ『H2O』…水の系譜学
沼…危険なものとみなされる水の形式
風景の美的な演出
草地
リバーサイド
→マイナスのイメージはなくなる
プラトンの詩的次元を探る
ニス:プラトン『パイドロス』
「真理の野」…真・善・美がまだ区別されていない
プラトン『クリティアス』
アトランティス…洪水によって破壊
大橋:沼も一つのコレスポンデンス
日本…沼には怪物がいる
『パイドロス』…哲学的なコンテクストのなかで水がとりあげられる
水…根拠、原理を映す
文献購読 環境の解釈学/田路貴浩[編] 2004/04/06
ニス:プラトン…詩的なものと哲学的なものとの結節点で議論
アリストテレス…詩学、ポエティックの「説明」
プラトン→アリストテレス 大きな転換=現代の諸問題の重要な契機
イメージの実践、芸術の科学
田路:人工物が世界を一様に覆い尽くす現代世界にあっても、依然として自然要素のあり方、あるいは
それとの接し方がそれぞれの文化の独自性に深く関わっている
文化の差異のうえで、なお共鳴しあう要素、コレスポンデンスを見い出していくことはよりいっ
そう重要な課題