平成 22 年度 春の企画展 「桜にまつわるあれこれ」展 ■会期 平成 22 年 4 月 17 日(土)~5 月 16 日(日) ■主催 黒部市教育委員会・黒部市歴史民俗資料館 ■はじめに 春を象徴する花として日本人にとって最も馴染 み深い「桜」は、市の花にも選定されている。黒部 市と桜の関わりについては、古くは、謡曲「鉢の木」 で有名な「桜井荘」の伝承があり、県・市指定文化 財の「明日の大桜」、 「月訪の桜」などの歴史的な桜 ① オクチョウジザクラ(3 月下旬~5 月上旬) の名所も数多くある。 ② エドヒガン(4 月上旬~中旬) また、桜は人と人の心も結び付けてくれる。姉妹 ③ ヤマザクラ(4 月中旬~下旬) 都市アメリカ合衆国メーコン市の桜まつりとの国 ④ オオヤマザクラ(4 月中旬~下旬) 際交流や黒部まちづくり協議会による桜植樹など、 ⑤ カスミザクラ(4 月下旬~5 月上旬) 桜が架け橋となった国際友好親善や地域活性化事 ⑥ タカネザクラ(5 月下旬~7 月) 業が長く継続されている。 今回の企画展は、「全国さくらシンポジウム」を 記念し開催するもので、市内の桜にまつわる歴史や この野生種に加え、10 月から咲きだすコブザク ラやシキザクラ、ジュウガツザクラを入れれば、黒 部では 10 カ月間も桜を楽しめることになる。 文化を写真や芸術作品、記念品等を通して紹介する。 ■黒部市の桜と歴史 ■黒部市と桜 百年桜 (三日市小学校旧校舎跡) 平成 18 年新黒部市誕生にともなって、黒部市の 明治 40 年(1907)、三日市尋常高等小学校の新 花として「サクラ」が選定された。黒部市では海岸 任教師であった森丘正民(1885~1955)が、初任 近くの平野部から、1500mを超える山岳部にいた 給で購入し三日市小学校の敷地に植樹したもので るまで自生のサクラが広く分布している。また「桜 ある。 井町」といった地名や「富山県立桜井高等学校」 「黒 部市立桜井中学校」といった名称にもあるように、 桜が市の歴史・文化と深く関わり、市民に親しまれ ていることなどから選ばれた。 また、黒部まちづくり協議会がサクラ1万本植樹 の運動を展開し、またサクラをとおして姉妹都市ア メリカのメーコン市との交流も活発に行われてい る。 市内には自生種のほかに、多くの栽培種が育てら れており、中には秋に咲くものや、黄色・緑色の花 を咲かせるものもある。自生する野生の桜は 6 種類 知られており、3 月下旬から 7 月まで約 4 ヵ月にわ たり黒部を彩っている。開花順に下記に列挙する。 大正 12 年(1923)校舎が移転した際、桜の木も 移植され、昭和 32 年の校舎焼失の後も、児童を見 守ってきたが、今は一本を残すのみとなった。幹ま 13 ㍍で、15 ㍍四方に枝を伸ばしている。 わり約 2.65 ㍍、樹高約 10 ㍍、枝張りは南北約 16 法福寺では、毎年 4 月第 3 日曜日に、国指定無 ㍍、東西約 11 ㍍。市文化財天然記念物(平成 18 形民俗文化財の「明日の稚児舞」が奉納されている。 年指定) 県文化財天然記念物(昭和 40 年指定) つきとい 月 訪 の桜 (浦山・鶏野神社境内) 宝亀 6 年(775)越中の国司、大伴家持(716~ 785)がこの地を巡視した折に、記念として植えた ものと伝えられている。かつては樹高約 20 ㍍、幹 まわりが 7~8 ㍍あった、といわれているが、現在 は朽ち果てた古株から萌芽が延び、代を継いでいる。 桜の種類はエドヒガン。サクラの脇には大伴家持が 詠んだといわれる和歌の石碑があり、 よもすがら 「鶏の音も聞こえぬさとに 終 夜 月よりほかに 訪う人もなし」 と刻まれている。市文化財天然記念物(昭和 36 年 指定) ば ば ざくら 馬場 桜 (三日市・旧天神社境内、現黒部市民会館内) 謡曲「鉢の木」の主人公、鎌倉武士、佐野源左衛 門常世がこの土地に創建したのが天神社(天満宮) であると言われている。この地にある桜の古木はエ ドヒガンで、樹高約 6 ㍍、幹回り約 2 ㍍、推定樹 齢 300 年。常世の練武の馬場(乗馬の練習や競馬 をする平地)という故事から「馬場桜」とよばれて いる。 あけび 明日の大桜 (高野山真言宗法福寺境内) 景勝桜 明日の大桜のある明日山法福寺は、戦国時代末期 には前田家の祈願所となっていた。この桜は、文禄 元年(1592)に境内に植えられたと伝えられ、樹 齢 400 年あまりのエドヒガンの古木である。高さ 景勝桜は、戦国時代越後の武将、上杉景勝に由来 している。天正 10 年(1582)に、柴田勝家、前田 利家、佐々成政らが魚津城を攻めたとき、景勝は三 万騎を率いて三日市に入った。その際、爛漫と咲き 誇るエドヒガンの大樹の壮麗さに感激し、意気高ら ○絵馬:阿倍仲麻呂図 かに天神山へ向かった、とのいわれから景勝桜と呼 年代 ばれている。樹齢 800 年、樹高 22 ㍍、幹回り 4. 所蔵 3 ㍍で、昭和 56 年に枯死し、伐採された。 百人一首の歌人、阿倍仲麻呂の肖像画を絵馬にした 市文化財天然記念物(昭和 30 年指定 もの。「好月堂龍渓八十五才写意」という記述があ 昭和 49 年指定解除) 文政 12 年(1829)サイズ 135×90 八心大市比古神社(三日市) ることから、作者は三日市出身の画家、好月堂龍渓 と思われる。 ■展示品 ○絵馬:タイトル不明 ○ 年代 天明元年(1781)サイズ 所蔵 八心大市比古神社(三日市) 看板:メリヤス特約販売店の宣伝看板 メリヤス肌着販売店の地域密着型の宣伝看板で ある。看坂下の英語は「洋服仕立業の検査 丈夫で 88×68 「泰納御神前」「堀屋」「寺嶋屋」の記述がある。 耐久性があり、衛生的なメリヤス肌着」と書いてあ る。昭和初期のものと思われる。 所蔵 ○ ウラトラ洋品店(三日市) 屏風:歴吏畫 六つ折、金箔張。左隻の第六扇には、謡曲「鉢の 木」の中で佐野源左衛門尉常世が、寒夜に秘蔵の盆 栽の枝を切り、薪として燃やして僧をもてなした場 面が描かれている。 右隻の第三扇には、桜の絵が描かれている。作者 ふう こ の松本楓湖(1840~1923)は歴史人物画を得意と した、著名な日本画家である。 所蔵 ウラトラ洋品店(三日市) ■謡曲「鉢の木」の物語 北条時頼は、諸国を潜行視察するうち、大雪に遭 い、佐野源左衛門常世の家で一夜の宿を借りた。旅 僧姿の男を招じ入れた源左衛門には、もてなす薪炭 がない程の貧しさであったが、秘蔵の鉢植えの梅・ 松・桜を焚いてもてなした。 佐野源左衛門常世は、自分は一族の横領にあって このように落ちぶれているが、もし鎌倉に事が起き たら一番に駆け付けて命を捨てて戦う覚悟だと話 した。 後日、鎌倉から諸国の軍勢に召集がかかると、源 左衛門はやせ馬を駆って鎌倉へはせ参じた。源左衛 門は将軍の御前にまかり出るように呼ばれたが、あ の雪の日の僧は北条時頼であったことを知る。時頼 は源左衛門の志に報いるため、奪われた領地を源左 衛門に戻し、焚き火で燃やした鉢植えの御礼にと、 越中の桜井・加賀の梅田・上野の松枝の三ヶ所を与 えた。
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