タージ・マハルとインド

タージ・マハルとインド
2010年11月
大貝威芳
これまで世界の主要国を回ったが、1990年まで閉鎖されていたインドだけは行けず心残りであっ
た。 しかし昨今、インドは21世紀の世界を動かす国として脚光を浴びてきた。人口は12億人で中
国に次ぐが、やがて追い越すと予想されている。経済成長率は2010年9%が見込まれ、オバマ大
統領をはじめ、フランスのサルコジ大統領、ロシアのメドベージェフ大統領、中国の温首相が年内
にインドを訪問する。アメリカでは、大西洋の時代、太平洋の時代は終わり、これからはインド洋の
世紀だとみなしている。老齢化したヨーロッパ、日本、そして老齢化が急速に近づいている中国に
対し、25歳以下が人口の50%を占める若いインドは今後30年間成長を続けると考えられている。
そして2020年にはGDPで世界第3位の経済大国になり、日本は4位になる。IT研究開発では世
界のトップを行き、グローバル企業が競って研究開発拠点を設けている。その一方で政治家・官僚
の腐敗、インフラの未整備、ムスリム(イスラム教徒)とヒンドウー教徒との対立、貧困、階級差別など
の社会的問題を抱えている。
行きたくもあり、行きたくもない国であったが、年齢を考えるといまが最後のチャンスと11月の気
候のよい時季を選んで飛び出した。成田から約9時間で首都デリーに着く。デリーに着く手前で、あ
の世界の尾根といわれるヒマラヤ山脈を見ることができた。乗務員によれば、これほどきれいに見
えるのはめずらしいという。しばし感激にひたる。
デリー空港ターミナルビルは1ヶ月前に開催された英連邦スポーツ大会に間に合うようにつくられ
たもので、素晴らしい設備であった。入国もスムーズであった(ただしビザが必要)。最高気温は28
度から30度であり、2月ぐらいまでは良い時期といえよう。
翌日、デリー市内観光に出かける。デリーは、ムガール帝国時代のオールドデリーと、英国植民
地時代に英国人 Sir Edwin Lutyens が1920年代に設計して建設したニュ-デリーからなる。人
口は300万人で過去と現在が同居する不思議な都市である。ニューデリーは森の中に政府の建物
や、大学、オフイスが配置され、オールドデリーではムガール帝国時代そのままの生活が見られる。
ムガール帝国は16世紀初めムハメッド・バブール(Zahir-ud-din-Muhammad Babur)によっ
て築かれた。バブールは1483年ウズベキスタンの生まれで、サマルカンドを攻めたがジンギスカン
の後裔シャイバニ・カンに破れたので諦め、南下してアフガニスタンを征服し、さらに今のパキスタ
ン、インドを征服した。ムガールはモンゴールから来ている。バブールの後、第2代フマユーン,第3
代がバブールの孫アクバル(Akbar1556-1605)、第4代ジェハンゲル(Jehangir),第5代シャ
ー・ジャハーン(Shah Jahan)、第6代アウラングゼブ(Aurangzeb)と世襲の国王(マハラジ
ャ)が続くのである。ムガール帝国はアウラングゼブの時代に最盛期を迎え、東はビルマ(現ミャン
マー)、西はアフガニスタンまでを統治した。アウラングゼブは1707年にデカン高原のキャンプで
亡くなったがインドの南部だけは統治できなかった。ゴアを拠点とするポルトガルの勢力が強かった
こともある。
世界遺産となっているオールドデリーの赤い城(Red Fort)は17世紀半ばにシャー・ジャハー
ンが、またデリーの東方(バスで約5時間)アグラにあるアグラ城は第3代アクバルが建設したもの
である。いずれも赤砂岩で城壁が築かれている。
さてタージ・マハルであるが、これは第5代のシャー・ジャハーンがアグラのヤムナ河沿いに建設
した廟である。ジャハーンは王妃のマムタズ・マハル(Mumtaz Mahal)の死去を悼み、22年を
かけてこの墓所をつくった。マハールは1631年6月17日、14人目のこどもを生むときに亡くなったも
ので、ときに39歳の若さであった。タージ・マハルはアグラの市街から程近いところにあるが、遺産
保護のため途中で電気自動車に乗り換え、ゆったりと横切る聖なる牛に注意して行く。入り口で持
ち物は厳しく検査され、食べ物は没収される。
門を入ると一瞬その荘厳さに息をのむ。中央に細長い池、その両側に糸杉が植えられた道を
100メートルほど行くとタージ・マハルが聳え立っている。タージ・マハルは白い大理石から出来てお
り、中央に58メートルのドーム、そして4隅にミナレット(塔)が配置されている。廟の壁面にはカラフ
ルな花模様が彫刻されている。そこはまさに中央アジアの世界である。マハールの棺はレプリカが
見られるが、実物はこの地下に安置され、のちにジャハーンの棺も並べて安置された。大理石の建
物は光線のあたり具合で、朝は黄色、昼は白、夕方は茜色に染まるという。 ジャハーンはのちに、
アクバルの作ったアグア城に大理石の宮殿を建て増しし、そこから見える対岸のタージ・マハルを
六角形のベランダから眺めて王妃を偲んでいたという。 タージ・マハルはその美しい姿に加えてこ
うした夫婦愛のストーリーが人々の心をひきつけるのであろう。世界各国から多くの参詣者が訪れ
ている。
ムガール王朝はイスラムであったが、インドの色々な宗教をそのまま大事にした。アグラ城でも赤
い城でもヒンドウー、イスラム、仏教などが渾然と一体化されている。それがゆえに英国植民地時代
でも、一部の宝石が英国に持ち去られたり、偶像崇拝をきらうイスラムが壁画の一部を削いだりした
ものもあるが、建物自体には損傷が無くほぼ完全に遺され世界遺産となった。天災や戦争がなかっ
たことも幸いした。
インドでは高速道路の建設がどんどん進んでおり、日本の1950-60年代のごときである。物売り
のしつこさ、スラムや街の汚さなどの解消にはいま少し待たねばならないだろう。しかしブーゲンビリ
アは年中どこでも優しく迎えてくれるのである。
秋の陽に染まる聖廟端然と
夫婦愛秘む城跡や秋の寂
火焔樹や遅々でも進む若き国
(参考文献:Kaplan, Robert D. Monsoon: The Indian Ocean and the Future of American
Power, Random House, 2010