本日の講義要旨 中世ヨーロッパと教会文化 (神の国) 欧米文化論 第7回 http://harlock.web.fc2.com/ • カロリング帝国や神聖ローマ帝国の成立は 西欧の安定をもたらした。これに加えて気候 の温暖化が人口の増加と技術革新をもたらし た。 • 中世農村社会は独特の発展を遂げ、また中 世都市も成立した。 • ローマ教会によるキリスト教社会は成熟期を 迎え、神の国が完成した。 人口の増加と技術革新 • 他民族の侵入が収まった11世紀頃からヨー ロッパの人口は急拡大する。 – イングランド:110~130万人→370万人 – フランス:600万人→1700~2000万人 – イタリア:500万人→1200万人 • これらの人口増加を支えたのは農業技術革 新であった。 – 当時の農業は、ゲルマン系の牧畜業と地中海世 界の穀物類の生産とが結合したもの。 人口の増加と技術革新(続き) • 農業生産の拡大は、農地の拡大、農機具の 普及、そして、三圃制の導入による。 – 三圃制とは、①冬麦、②春麦、③休耕地の三年 輪作。 • 農地が整理され、農牧業の共同作業が進む に連れ、集村化が起こった。 – 村の教会を建て、それを教区教会として結合を強 め、森林や放牧地、入会地などの共有地を管理 し、共同墓地が作られた。 中世農村社会 • 中世農村社会の領主支配のあり方としては、土 地領主制、バン領主制、体僕領主制の3種類が あった。 – 土地領主制とは、所領の一部を直接経営する(直営 地)とともに、残りの土地を農民に保有地として貸与 し、地代を取り立てるもので、中世初期から見られる 古典的荘園制のことである。 – バン領主制とは、裁判権をもつ一円的な領域の政治 的支配権を指す。土地領主に重複する形で、さらに 農民を搾取し、この適用を受けないのは、戦士と教 会のみであった。 中世都市の成立 • 古代ローマ時代から続く都市はキウィタスと呼 ばれた。 • ローマ教会は、都市を布教の拠点にしていた ので、中世においてはここに司教座を置いて いた。 • これに対して、中世都市は、9~13世紀に主 に2つの地域で生成した貿易港。 – 北中部イタリア:ロンバルディア地方=ベネチア、 ジェノバ、ピサ、フィレンツェなど。 中世農村社会(続き) – 体僕領主制とは、農奴という言葉に代表される「体 僕の集団」を所有する領主制。ただし、体僕が直 接農地を耕すとは限らず、領主役人や戦士である 場合もあり、必ずしも社会的身分が低いことを意味 する訳ではなかった。 • 領主は2つの集団に大別できる。①教会及び 教会人、②世俗領主(封建領主=支配と服従 の関係) • この両方の人材を供給したのは貴族であった。 中世都市の成立(その2) – 南ネーデルランド:フランドル地方=ヘント、イープル、 サン・トメールなど。 • この他には、キリスト教の普及基地として修道院 が建てられた地方(ローマ帝国時代にキウィタス の外側)。 – イングランドで○○ミンスターと呼ばれる町 • 封建領主の城下町。 – カストル、カステッルム、カステルノー、グルグスと付 いた町 • 荘園が発達し、荘園の作物の交易地 – ヴィルヌーヴ、ヴィラノヴァ、ヴィル・マルシェ、マルク と付いた町 中世都市の成立(その3) 中世都市の成立(その4) • 都市には、商人や手工業者の他に、都市領主 の家人や奉公人、聖職者、教師や学生、外国 人、日雇人夫、乞食などが住んでいた。 • 市民権を有する者は、これらの公式の統治 制度から自治に参加できたが、職人や徒弟、 日雇人夫などは対象外であった。 • ギルドが形成され、彼らの親方が組合員にな り、都市自治を求めるようになる。 • ギルドは、10世紀以降のキリスト教化の進 展に伴い、仲間の埋葬や相互扶助に関わる ようになる。 – 市民権の取得には、市内に土地と家屋を所有する 必要があった。 • 都市には、都市領主として、国王や司教、諸侯 が君臨していたが、その下に参事会制度が設 けられていて、市長や参事会員などの名誉職 (無給)が選出され、書記、廷吏、下僕、門番な どの公務員(有給)がいた。 キリスト教世界の成熟 • カロリング期のキリスト教は、社会と一体化し、 地上に「神の国」の建設を目指して政治と統合し た。 • しかし、カール大帝の死後、各地で封建貴族が 地域権力を確立し、教会や修道院は一時国王 や新興諸侯、領主の保護下に入る。 • 「キリスト教世界」という西欧独特のシステムが 発展するのは、11世紀のグレゴリウス改革以降 である。 キリスト教世界の成熟(その2) • 1049年に神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ3世 が教皇レオ9世を任命する。 • 教皇レオ9世は、西欧各地から改革者をロー マに集め、教皇使節を派遣して聖職売買や 聖職者の結婚を禁止する教会会議を開催。 • 1075年、教皇グレゴリウス7世は、国王によ る司教叙任を批判し、皇帝ハインリヒ4世と全 面的に対立する。=叙任権闘争 →カノッサの屈辱 キリスト教世界の成熟(その3) キリスト教世界の成熟(その4) • 1122年、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ5世 とローマ教皇カリストゥス2世との間で、ヴォ ルムス協約を取り決め。 • 一連の改革によって、ローマ教皇を中心とす る統一的な組織が実現した。 • これは宗教的覚醒を人々にもたらし、十字軍 遠征につながった。 • ヴォルムス協約の結果、王は聖職者的性格 を失い、その後の社会の封建化が著しく促進 された。 • カトリックの中央集権化によって、これに反対 する異端運動が次々に生まれた。 – 「叙任権は教会にあり、皇帝は世俗の権威のみ を与える」=司教と修道院長の叙任権を放棄。 – ただし、帝国内の教区教会については皇帝が自 由に叙任し、司教は司教区内の選挙で選ばれる。 • 更に、グレゴリウス改革では、教皇庁を設置 し、教皇が官僚組織をもつ。
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