雲仙岳と岳の棚田 上清水の棚田(上岳) 鳥屋平の棚田(上岳) 下岳の棚田 雲仙の文化的景観「雲仙岳と岳の棚田」調査報告書 目 次 はじめに .......................................................... 1 1章 地域の概況(五十嵐 勉) .................................... 2 2 章 雲仙岳と岳の棚田の自然 ...................................... 6 1.雲仙岳と岳の棚田の地形・地質(長岡 信治) 2.雲仙市千々石町の岳・清水棚田と里山の植生(宮崎 正隆) 3章 棚田景観の特性(五十嵐 勉) ............................... 37 4章 地域の歴史・生活文化と文化財(服部 5章 集落の景観構成と地域社会(大森 6章 棚田の景観構成(包清 7章 文化的景観の保存とその活用に関する基本的考え方 ............ 143 英雄、城臺 好文) ..... 55 洋子) ..................... 67 博之) .............................. 101 はじめに 雲仙市北西部は雲仙岳の火山活動と地殻変動により千々石カルデラが形成され、複雑な 断層により島原半島の他の地域と異なった景観を有する。海侵食の岩石海岸と砂浜、海岸 から断層を経て山頂まで続く景観は優れた眺望景観を成している。 「岳の棚田」は、雲仙市千々石町を流れる千々石川の上流部に位置し、雲仙岳のふもと に広がる山間の集落で、谷あいの棚田に水穂を中心に作付けを行ってきた農村地帯である。 石積みの棚田は、千々石川や清水川とその周辺の湧水を水源としており、最大 45 度に もなる傾斜地での農業は、平地と比べると多くの時間と経費を費やする。 本調査事業では、平成 19∼20 年の 2 ヵ年にわたり、 「文化的景観に関する保存活用調査」 を行い、岳の棚田の文化的価値を調査・検討し、住民の理解と参加を得ながら棚田の保存 と活用のための管理計画の基礎データを収集した。 本調査では、雲仙岳と千々石町岳地区の棚田を中心に、 ○「歴史」の側面 生業・生活(土地利用)及び風土の歴史的変遷等 ○「自然」の側面 地形・地質・生息生物・生態系など自然的環境等 ○「生業又は産業・生活」の側面 現在の生業又は産業・生活等 の3つの柱に沿って、景観が構成されてきた調査や分析を行った。 また、平成 19 年 8 月 30 日に「雲仙市文化的景観調査委員会」を組織し、現地調査と住 民説明会を行ってきた。調査委員会は、学識経験者 6 名と地元住民代表 4 名を加えた 10 名で構成され、5 回の委員会を開催した。 本報告書は、これらの調査・検討の結果をまとめたものである。 今後は、この調査結果を受け地域住民との意見交換を行いながら「文化的景観保存計画」 の策定作業を進め、 「選定の申出」のための、 「所有等の同意」に向けての諸調整を図るこ ととする。 1章 地域の概況 五十嵐 勉(佐賀大学農学部) 図1 雲仙岳と岳の棚田 雲仙岳は、普賢岳(1,359m)、妙見岳(1,333m)、野岳(1,142m)、九千部岳(1,062m)などからなる 雲仙山系の総称で、雲仙火山に起因する複式火山をさす。雲仙山系の地形は、火山による溶岩円丘な どのほか、雲仙地溝に伴う千々石断層、金浜断層、布津断層の断層崖や断層谷を形成する。 これらの地形による温泉と湧水も豊富で、雲仙温泉・小浜温泉の温泉集落や、河川沿いの河谷に集 落が立地した。 雲仙山系の美しい山岳景観は、古くは昭和2(1927)年に日本新八景山岳部門で第1位となり、翌年 には史跡名勝天然記念物法により名勝に指定され、普賢岳紅葉樹林・地獄地帯シロドウダン群落・原 生沼沼野植物群落・野岳イヌツゲ群落・池の原ミヤマキリシマ群落が国天然記念物に指定され、昭和 9(1934)年、わが国最初の国立公園に指定された。 こばみょう 雲仙市千々石町木場名の岳の棚田は、島原半島最大の河川、千々石川(流路延長12.98km、流域面積 35.37k㎡)の最上流部に立地し、上岳と下岳の2集落からなる。清水川は、上岳付近で別所ダムから 流下する千々石川と合流する。別所ダムは県営灌漑排水事業により昭和36(1961)年着工、同45(1970) 年に完成した総貯水量192万3千㎥のダムで、千々石川水系の千々石町に7、山領川の小浜町に3の割 合で利用され、同時に雲仙温泉街の上水道用水(3,000t/日)としても利用されるため、浄水場が設置 されている。その結果、農業用水としての水質も良好である。温泉水が流入するためダム湖で4∼ 5ph(平成19年測定値)の酸性水であるため千々石川上流部には魚類が少ない。しかし、上岳付近では 7ph(同)の中性となり稲の生育に適する水質まで中和されている。 千々石川の上流域は、高い落差を有する流量変化の少ない豊かな水量を持つため、岳地区には、明 治43(1910)年から九州電力による水力発電が5箇所建設された。その合計水力は817kWと発電量は少 ないものの、古い発電形式(ベルトン水車・フランシス水車・スパイラル型反動水車)の水車が現役で 稼動しており「生きた近代化遺産」としても意義がある。この地での水力発電は、明治40(1907)年頃 に城台二三郎が有志を募って小浜水力電気合資会社の創立を企て、小浜水力電気会社と称した。同43 年には、島原半島で始めての電灯がついたことで知られる。大正4(1915)年に第2発電所、同7年に第 3発電所、同12年に第4発電所、同14年に第5発電所が建設され、その後は九州電力に吸収される。 この時期の水力発電開発は、建設需要と発電用の用水路からの引水による棚田の開発を後押しする結 果となった。 図2 岳の棚田(上岳・下岳) 岳地区は、千々石川と支流の清水川に沿って、下流の下岳で標高200∼350m、上流の上岳で350 ∼450m付近に集落と農地が展開している。下岳は上岳に比べて平坦地が多く、棚田面積が広い。 千々石川沿いでは右岸が西向き・左岸が東向き斜面、支流の清水川では右岸が南向き・左岸が北 向き斜面に棚田が広がっているが、尾根に遮られる上岳の方が日照条件が悪い。下岳集落の入り 口付近には、女人禁制の霊場であった温泉岳にまつわる女人堂跡があり、雲仙岳との関わりを有 することが伺い知れる。 棚田は、土石流崩壊地に築かれたものが多く、豊富な湧水と河川水、そして石積み用の安山岩・ デイサイトの石材に恵まれた地形条件となっている。棚田は、そのほとんどが野面積みと角石を 四つ目にならないように並べた布積みの石積みで、下岳に約20ha、上岳の岳屋敷(清水川の最奥部) の5ha、千々石川本流の上清水に5ha程が広がっている。農水省の棚田百選である「清水棚田」は、 この「清水川」に由来する。一枚の棚田は、等高線に従って、細く長い曲線を描いていることが 大きな特色である。 下岳地区は戸数38戸(内、農家23戸)、上岳が戸数20戸(内、農家15戸)で、農家の多くが高齢者 による専業、もしくは兼業農家で自給的な第1種兼業農家が増加傾向にある。 写真 1 昭和 50 年頃の下岳と雲仙岳 写真 2 現在の下岳と雲仙岳 図4 基幹的農業従事者数の推移 図3 専兼業別農家数の推移 農家人口の減少や高齢化は、稲作の作業委託や、減反を契機に普及したハナシバ(ヒサカキの ことであるが、地元ではハナシバと呼ぶので、本稿ではハナシバという表現に統一して使用する) 栽培が進展している。ハナシバの生産は、永年作物としての花木を棚田で栽培するもので、耕作 放棄を防止する効果はあっても、棚田の「段々畑化」につながるものとしてとらえると、文化的景 観としての真正性(オーセンシティ)にかかわる問題で、今後の棚田景観の保存・管理を検討す る場合の重要な課題となろう。 このような状況下で、棚田百選の選定以降、「岳(TAKE)棚田プロジェクト」、近年における 棚田でのアイガモ農法による教育ファーム事業などの棚田保全運動の取り組みが注目される。 図5 土地利用図 2章 雲仙岳と岳の棚田の自然 2-1.雲仙岳と岳の棚田の地形・地質 長岡 信治(長崎大学教育学部) 2-1-1.地形地質概略 岳地区は、九千部岳や石割山、 千々石岳など 50 万∼15 万年前に活動した古期雲仙火山群(星 住・宇都、2000)が浸食されて形成された小規模な谷底平野である。その谷底は、標高 230∼ 460m、長さ 3.5km 最大幅 300m、平均勾配 7%、最大勾配 30∼20%以上ある。狭窄部によって 上流部の上岳と下流の下岳の二つの盆地に分かれる。周辺の山地斜面には地すべりなどの崩 壊地形があり、盆地内に頻繁に土砂が供給されていることを示している。また、北側には南 落ちの九千部断層があって、明瞭な断層谷を形成すると共に、九千部岳火山の溶岩ドームや 溶岩台地を 100mほど変位させている。また、岳地区を流れる千々石川の最上流部には、10 万年前以降に活動を始めた新期雲仙火山群に属する妙見岳火山の溶岩ドームが聳え、棚田景 観の美しい背景となっている。 2-1-2.地質 地質は下位より飯岳軽石流堆積物、上岳溶岩 1・2、上清水火砕流堆積物、石割山溶岩、九 千部溶岩 1・2、吹越溶岩、妙見溶岩、苅水地すべり堆積物、下岳地すべり堆積物、土石流堆 積物からなる(図 1、図 2)。岳溶岩、上岳火砕流、石割山溶岩、九千部溶岩は古期雲仙火山に、 吹越溶岩と妙見溶岩は新期雲仙火山にそれぞれ属する。 0万年 沖積層・土石流堆積物・棚田構成物(砂礫層・石垣など) 下岳地すべり堆積物(不淘汰角礫層) 苅水地すべり堆積物(不淘汰角礫層) 期 新 妙見岳溶岩(安山岩・デイサイト) 吹越(野岳)溶岩(デイサイト) 山 火 仙 雲 15万年 九千部溶岩2(安山岩) 九千部溶岩1(安山岩) 期 古 石割山溶岩 上清水火砕流堆積物(デイサイト) 上岳溶岩2(デイサイト) 上岳溶岩1(デイサイト) 飯岳火砕流(軽石流)堆積物(デイサイト) 図1 岳地区周辺の地質層序 30万年 図2 岳地区の地質図 ①飯岳火砕流堆積物 岳地区の地下に潜在的に存在すると考えられる火砕流堆積物で、地上では九千部断層北側の 飯岳付近にのみに見られる。模式地の飯岳付近では、後述の九千部溶岩 1 の下位にある、厚さ 推定 50m 以上の軽石流堆積物で、粘土状に風化した粒径 10cm 以下の黄白色軽石とマトリクスの 灰白色火山灰からなる。軽石の岩質は角閃石デイサイトである。九千部断層の南側では、ボー リング資料などにより、次に述べる上岳溶岩 1 の下位に広く分布するようであるが、詳細は不 明である。地表では同様の火砕流が、金浜断層の南側にも見られる。 ②上岳溶岩 1 上岳溶岩 1 は上岳と下岳の南側山地斜面全体と北側山地斜面下部をつくる。岳溶岩の模式地 は、下岳と上岳の間の清水橋付近とする。岳溶岩の厚さは 150m 以上ある。岩質は紫蘇輝石角閃 石黒雲母デイサイトである。下岳では一部変質して粘土化している部分がある。上岳溶岩 1 に 相当するとみられる火山岩類から 29∼17 万年前というカリウム・アルゴン年代が得られている (宇都ほか 2003)。 ③上岳溶岩 2 上岳溶岩 2 は上岳溶岩 1 の上位に局部的に存在する厚さ 50m 以下の溶岩流で、上岳の東方の 千々石川上流に分布する。岩質は紫蘇輝石角閃石デイサイトである。 ④上清水火砕流堆積物 上清水火砕流堆積物は上岳と下岳の南側山地斜面全体と北側山地斜面下部に分布する。模式 地は上清水付近である。厚さは 50m 以下である。この火砕流は、粒径 1m 以下の紫蘇輝石角閃石 デイサイト質角礫とマトリクスの火山灰からなる不淘汰な Block-and-ash flow 型火砕流である。 ⑤石割山溶岩 石割山溶岩は、千々石川左岸の石割山や千々石岳の斜面上部に広く分布する。石割山北斜面 を模式地とする。厚さは 400m 以上で、溶岩ドームを形成しているようである。岩質は複輝石角 閃石安山岩である。 ⑥九千部溶岩 1 九千部溶岩 1 は、上岳および下岳の北側の山地斜面上部、九千部岳山体の下半部を構成する。 模式地は下岳北方の林道沿いとする、この溶岩は、北東方の九千部岳から流れて、岳溶岩・上 岳火砕流堆積物・石割山溶岩の斜面にのし上がるように分布すること(図3)から、九千部溶岩 1 は上岳溶岩 1・上岳溶岩 2・上岳火砕流堆積物・石割山溶岩岳が一旦浸食された斜面を不整合 に覆っていると考えられる。九千部溶岩 1 は、厚さ 200∼300m で、普通輝石紫蘇輝石角閃石安 山岩からなる。上岳 1・上岳 2・石割山溶岩にくらべ斜長石の斑晶が少なく、流理構造が発達す るのが特徴である。なお九千部溶岩 1 に相当する火山岩から 30 万∼21 万年前というカリウム・ アルゴン年代が得られている(宇都ほか 2003)。 ⑦九千部溶岩 2 九千部溶岩 2 は九千部岳の標高 650∼700m 以上の山体上半部を構成する溶岩である。九千部 岳山頂部の溶岩ドームもこの一部である。模式地は九千部岳山頂である。その厚さは 300m 以下 である。岩質は紫蘇輝石普通輝石角閃石安山岩である。東西走向の九千部断層により南側の岳 地区の本溶岩が 50∼100m ほど沈降している。 ⑧吹越溶岩(渡辺・星住、1995) 吹越溶岩は、千々石川源流標高 900∼1050m に分布する溶岩流である。岩質は黒雲母角閃石デ イサイトである。新期雲仙火山の野岳火山の一部と考えられ、8 万 6 千∼13 万 8 千年前という K-Ar 年代が得られている(Hoshizumi et al.1999)。 ⑨妙見溶岩(渡辺・星住、1995 の妙見岳主山体) 妙見溶岩は、千々石川最上流部、妙見岳を構成する溶岩である。かつては現在の妙見岳・国 見岳より高い山頂を形成していたと考えられるが、山体崩壊などにより現在はカルデラが形成 されている。岳地区からみた妙見岳は成層火山のような美しい円錐台の地形を示し、放射状の 浅い浸食谷も見られる。しかし、カルデラ壁面には溶岩しか確認できないことから、壁に沿っ た中心部は溶岩ドームや厚い溶岩流の集合体からなり(渡辺・星住、1995)。外輪山の斜面にド ームからの火砕流や崩落物が厚く堆積していると考えられる。妙見溶岩の岩質は角閃石黒雲母 安山岩またはデイサイトである。新期雲仙火山の妙見岳火山の中心部を構成し、3 万∼2 万年前 の年代が得られている(Hoshizumi et al.1999)。 ⑩苅水地すべり堆積物 下岳の北側斜面、苅水付近の地すべり堆積物である。九千部溶岩 2 の台地の縁が崩壊したも のである。台地縁には直径 500m の馬蹄形の滑落崖が残る。堆積物は厚さ 10m 以上で。径 10∼ 5m の巨礫を含む破砕された溶岩片の角礫とマトリクスの火山灰からなる。巨礫にはしばしばジ グソークラックが見られる。千々石川に流れ込んだと見られるが、現在は後からの浸食堆積に より平坦な沖積低地となっている。 ⑪下岳地すべり堆積物 千々石岳北斜にも、直径 800m の馬蹄形滑落崖を伴う明瞭な地滑り地形が認められるこれに伴 う地すべり堆積物が下岳地区南斜面を覆っている。堆積物は、厚さ 10m 以上、最大径 2m 以上の 巨礫を含む、破砕された溶岩片の角礫とマトリクスの火山灰からなる。巨礫にはジグソークラ ックが見られる。下岳地すべり堆積物は、浸食の程度などから苅水地すべり堆積物より新しい。 ⑫土石流堆積物と沖積層 礫や砂からなる土石流堆積物や沖積層も現河川沿いに見られる。沖積層は現在の谷底低地を 作っている。 2-1-3.主な岩石の記載 表1 主な岩石の肉眼的特徴 岩石名 色 試料番号(採取番号) 上岳溶岩 1 2537(S-1) 上岳溶岩 2 2538(S-2) 上清水火砕流堆積物 2539(S-3) 石割山溶岩 2540(S-4) 九千部溶岩 1 2541(S-5) 下岳地すべり堆積物 2542(S-6) 九千部溶岩 2 3410282 Pl Hb 黒 7,大、多 3,小、少 黒灰 5,中、少 3,大、多 黒 7,小、少 3,小、中 赤 4,小、少 2,大、多 黒灰 7,中、少 3,大、多 灰黒 4,中、中 5,中、多 4,小、中 2,中、中 特 徴 斑晶多 Pl は小粒、 斑晶多 表2 主な岩石の顕微鏡下の特徴 試料 岩石名および 岩石の種類 斑 晶 石 基 番号 (採 取番 Hb Bt Au Hy Qz Hb Bt Au Hy Mi Gl ◎ ◎ × △ △ ○ × △ △ ○ × ◎ × △ △ △ ○ × △ ○ ○ × ◎ × ○ ◎ ○ △ × ○ ○ ○ × ◎ × ○ ○ △ ◎ × ○ ○ × ○ ◎ × ○<○ × ○ × ○ ◎ ○ × ◎ ◎ × ○ × ○ × ○ ○ × ○ ◎ × ◎ ○ ○ △ × ○<○ ○ × 号) 上岳溶岩 1 2537 (Qz)HyHbBi-D (S-1) 上岳溶岩 2 2538 (Qz)HyHb-D (S-2) 上清水火砕流堆積物 2539 HyHb-D (S-3) 石割山溶岩 2540 2PyHb-A (S-4) 九千部溶岩 1 2541 AuHyHb-A (S-5) 下岳地すべり堆積物 2542 HyHbBi-D (S-6) 九千部溶岩 2 34102 (Qz)HyAuHb-A 82 D:デイサイト Hb:角閃石 ◎:多い A:安山岩 Bt:黒雲母 ○:普通 Au:普通輝石 △:少ない Hy:紫蘇輝石 Mi:微晶 Gl:ガラス ×:ない ①上岳溶岩 1 サンプル番号:S-1 岩石名:(石英)紫蘇輝石角閃石黒雲母デイサイト 肉眼的特徴:黒色、斑晶として斜長石の大きな結晶(最大 7mm)が目立つ、角閃石の結晶は小 さく(最大 3mm)、少ない。 顕微鏡下の特徴:斑晶として角閃石と黒雲母が多く、短冊状・針状の紫蘇輝石がわずかに含 まれ、石英は少ない。石基には角閃石が普通に含まれ普通輝石と紫蘇輝石がわずかに含まれ、 微晶質でやや流理が見える。 ②上岳溶岩 2 サンプル番号:S-2 岩石名:(石英)紫蘇輝石角閃石デイサイト 肉眼的特徴:黒灰色、斑晶が多いのが特徴、斜長石は中程度の大きさ(最大 5mm)で少ない、 角閃石の結晶は全体的に大きく(最大 3mm)多い。 顕微鏡下の特徴:斑晶として角閃石が多く、短冊状の紫蘇輝石、普通輝石と石英がわずかに 含まれる。石基には角閃石と紫蘇輝石が普通に含まれ、普通輝石はわずかに含まれ、微晶質で ある。 ③上清水火砕流堆積物 サンプル番号:S-3 岩石名:紫蘇輝石角閃石デイサイト 肉眼的特徴:黒色、斜長石は小さく(最大7mm)少ない、角閃石の結晶は小さく(最大 3mm)あ まり多くない。 顕微鏡下の特徴:斑晶として角閃石と紫蘇輝石が多く、普通輝石、石英が含まれる。石基に は紫蘇輝石と普通輝石が含まれ、角閃石はわずかに含まれ、微晶質でやや流理がみえる。 ④石割山溶岩 サンプル番号:S-4 岩石名:複輝石角閃石安山岩 肉眼的特徴:赤色、斜長石は小さく(最大 4mm)で少ない、角閃石の結晶は大きく(最大 2mm) 多い。 顕微鏡下の特徴:斑晶の有色鉱物はほとんど結晶の形だけ残して不透明鉱物に変質している。 角閃石が多く、普通輝石、紫蘇輝石が含まれ、石英は少ない。 石基には角閃石が多く、紫蘇輝石と普通輝石が含まれ、ガラス質である。 ⑤九千部溶岩 1 サンプル番号:S-5 岩石名:普通輝石紫蘇輝石角閃石安山岩 肉眼的特徴:黒灰色、斜長石は中くらいの大きさ(最大 7mm)で少ない、角閃石の結晶は大き く(最大 3mm)で多い。 顕微鏡下の特徴:斑晶として角閃石が多く普通輝石と短冊状・針状の紫蘇輝石が含まれ、普 通輝石より紫蘇輝石が多い。石基には紫蘇輝石が多く、角閃石と普通輝石が含まれ、微晶質で ある。 ⑥下岳地すべり堆積物 サンプル番号:S-6 岩石名:紫蘇輝石角閃石黒雲母デイサイト 肉眼的特徴:灰黒色、斑晶が多い。斜長石は中くらいの大きさ(最大 4mm)でやや多い、角閃 石の結晶は大きく(最大 5mm)で多い。 顕微鏡下の特徴:斑晶として角閃石と黒雲母が多く、紫蘇輝石が含まれる。石基には角閃石、 紫蘇輝石、普通輝石が含まれ、ガラス質である。 ⑦九千部溶岩 2 サンプル番号:3410282 岩石名:(石英)紫蘇輝石普通輝石角閃石安山岩 肉眼的特徴:斜長石は小さく(最大 4mm)でやや多い、角閃石の結晶は中くらい(最大 2mm)でや や多い。 顕微鏡下の特徴:斑晶として角閃石と普通輝石が多く、紫蘇輝石と石英が含まれる。石基に は紫蘇輝石と普通輝石が含まれ、紫蘇輝石が多い。角閃石はわずかに含まれ、微晶質である。 2-1-4.地形形成史 30 万年前に飯岳火砕流が発生した。この軽石流は大規模で、雲仙地溝の内部を埋め尽くした。 20 数万年前に、南側で上岳溶岩 1・2 が噴出し、岳地区は溶岩流に覆われた。その後、南側か ら上清水火砕流が流れ込んだ。さらに石割山溶岩が噴出し溶岩ドーム群を南側に成長させ、岳 地区は石割山溶岩ドームの北斜面となった。 20 万年前頃には岳地区の北側に九千部火山が活動を始め、九千部溶岩 1・2 を噴出しながら、 成長した。九千部溶岩 1・2 と石割山溶岩の境界部は渓谷となって、千々石川が形成され、浸 食と堆積により上岳・下岳の谷底平野が形成されていく。 10 数万年前から、千々石川上流で野岳火山の活動が、3 万∼2 万年前から妙見岳火山の活動 が始まった。これら新期雲仙火山の成長に伴い、谷底平野も埋まっていく。 数万年前には、苅水・下岳地すべりが発生した。まず苅水地すべりが起き、千々石川を堰き 止め、下岳付近の谷底平野が形成された。その後、下岳地すべりが起きて下岳付近は一層埋積 された。一方、上岳付近は九千部岳方面からの断続的な土石流などにより谷底平野が出来上が った。 図3 岳地区の地形地質断面図 図4 岳地区の地形発達史 2-1-5.棚田の石組み用石材と灌漑用水源の地形地質学的条件 棚田の石組み石材は、下岳では苅水および下岳地すべり堆積物、土石流堆積物、河床礫が主な 石材である。上岳では、主に土石流堆積物である。 豊富な灌漑用水の水源は大部分が溶岩の節理からの湧水である。すなわち溶岩内部の地下水が 水源である。上岳や上清水など特に石割山溶岩からの湧水は多い。また下岳北側では、下清水火 砕流堆積物が帯水層となっている。 引用文献 ・星住英夫・宇都浩三(2000)雲仙火山の形成史。月刊地球、22 巻、4 号、237-245。 ・Hoshizumi、H. Uto K. and Watanabe、K.(1999)geology and eruptive history of Unzen volcano、 Shimabara Peninsula、 Kyushu、SW Japan。Jour.Volcanology and Geothermal Research、89、81-94。 ・宇都浩三・星住英夫・松本哲夫・下司信夫・角井朝昭・Nguyen Hoang・栗原新・小栗清和 (2003)火山体形成史とマグマ進化の解明。平成 14 年度科学技術振興調整費総合研究 雲仙 火山:科学掘削による噴火機構とマグマ活動解明のための国際共同研究成果報告書。震災 予防協会、125-175p。 ・渡辺一徳・星住英夫(1995) 雲仙火山地質図 1:25、000 火山地質図 8、地質調査所。 2-2.雲仙市千々石町の岳・清水棚田と里山の植生 宮 正隆(長崎県生物学会会員) 2-2-1.調査方法 棚田と里山の植生は、四季を通して現地を歩きながら記録していった。調査範囲は標高約 500mのやまめの里から清水川に沿って上岳の清水棚田、下岳の岳棚田から県道木場∼雲仙線 の分岐点付近までとした。棚田と隣接する里山の植物も調査に加えると同時に今回はいまも 残る巨樹、巨木にも注目し、幹周り、樹高についても記録することにした。調査は 2007 年(平 成 19)の7月から翌年の 2008 年(平成 20)の9月末までの計9回実施した。 2-2-2.調査結果の概要 ①棚田の水田内の植生 早春の水田、7月の水田に水が蓄えられた状態、9月の稲刈りが始まる季節、12月の 刈り取られて放置された水田内では出現する植物に大きな違いがあったが、水が入った通 常の水田雑草植生を主に見てみると、浮遊植物にはウキクサ、ヒメウキクサ、ミジンコウ キクサの3種が、双子葉植物ではコナギ、ウリカワ、タカサブロウ、ホソバヒメミソハギ、 チョウジタデ、アゼトウガラシなど、また単子葉植物ではタマガヤツリ、ヒデリコ、コゴ メガヤツリ、イヌビユなど全体としてみると県内各地の水田植生とほとんど変わるところ はない。 外来種では熱帯アメリカ原産のホソバヒメミソハギのほかアメリカアゼナやアメリカタ カサブロウなどが入り込んできている。 ②耕作放棄の畑地・休耕地の植生 畑地の典型的な雑草のオヒシバ、メヒシバ、エノコ ログサ、マルバツユクサのほかスベリヒユ、コゴメガ ヤツリなどに混在して外来種のベニバナボロギク、ダ ンドボロギク、アメリカイヌホオズキなどは見られる が、大型帰化植物のセイタカアワダチソウ、アレチハ ナガサがわずかに見られるもののオオブタクサの侵入 イワタバコ 岩煙草(イワタバコ科) まではいたっていない。ただし、このまま放置が続く 地元では「イワチチャ」と呼ばれ、利 と確実にこれらの帰化植物が優占種となるであろう。 尿剤などの薬草として利用している。 ③棚田の石垣に見られる植物 石垣に見られる樹木はウツギ、チャ、ナワシログミと少ないが、カタバミ、カラムシ、 クワクサ、ミチヤナギ、ホトケノザ、オオハンゲ、コブナグサ、チジミザサ等に混じって 珍しいイワタバコや園芸種の四季咲きベゴニアなど20種以上の草本類が多数を占め、つ る植物ではノブドウ、オオイタビカズラ、ヘクソカズラ、テイカカズラ、カラスウリなど が石垣にしっかりと絡みついている。水を好むシダ植物にはイノモトソウ、タチシノブ、 チャセンシダ、マメヅタなど小型シダがしっかりと根を付いていた。 ④農道、あぜ道の植生 農道の大半はコンクリート舗装のため、雑草の入る余地はないが道脇にミチヤナギ、ヒガン バナ、ノビル、オオイヌノフグリなど、あぜ道にはオヒシバ、メヒシバ、タネツケバナ、スズ メノカタビラ、ホトケノザ、オオバコ、ハナイバナ、ナズナ、オランダミミナグサなど畑地か ら逸脱した草本類約30種が生育する。 ⑤清水川の川沿い両岸および川の中の植物 清水川の両岸はほとんどがタブノキ、ヤブニッケイ、 クスノキ、シロダモなどの高木とヒサカキ、ネズミモ チ、ヤブツバキ、エゴノキ、アオキなどの亜高木や低 木が川面を覆った状態となっている。 草本類ではコアカソ、ゲンノショウコ、ミズヒキ、 ドクダミ、シャガ、ダイコンソウなど普通に水辺に見 られる種のほかムサシアブミや南アフリカ原産のヒ メヒオオギズイセンが一部に群落をつくっている。 シダ植物では、ヒトツバ、イノデ、イワガ セキショウ(サトイモ科) ネソ ウ、イノモトソウ、ヒメワラビ等が見られたが種類数 は少ない。 川の浅い流れの中にはサトイモ科のセキショウ(石菖)が至る処で群生している。根茎は横に 這い、葉を切れば菖蒲と同じ香気を発する。花期は4∼5月。 ⑥棚田周辺の里山の植生 棚田をはさむ形で南北斜面には自然林とスギ、ヒノキの植栽林が広がっている。自然林はほ とんどが暖帯性の照葉樹林(常緑広葉樹林)からなり、スダジイ、クスノキ、タブノキ、アラカ シ、アカガシ、ヤブニッケイ、ハクサンボク、クロガネモチ、ナナミノキ、ネズミモチ、オガ タマノキ、ヤブツバキ、アオキなどに混在してアカメガシワ、コナラ、ハゼノキ、イヌビワ、 シラキ、アオモジ、ムラサキシキブなど秋に落葉する木々も多数にのぼる。 台湾、琉球、鹿児島を経て北上してきた南方系植 物にクスノキ、オガタマノキ、アラカシ、カゴノキ、 コバンモチ、ハクサンボクなどがあるが、里山には 普通に見られる樹木である。この中で西山神社のオ ガタマノキの巨木群は特筆に値すると同時に清水 川沿いにもまとまって自生している。 やや珍しいものにボロボロノキ(ボロボロノキ 科)、ヤマヒハツ(トウダイグサ科)やキンショク ダモ(クスノキ科)などの出現があった。 棚田を取りまく里山風景 草本類では、ノシラン、フユイチゴ ミズタマソウ、シマカンギク、ツワブキ、ヤブジラミ、 ゲンノショウコ、ヤクシソウ、オニユリ、コオニユリ、などが季節を変えて里山と棚田の境界線 に沿い花を咲かせている。 ☆国立・国定公園地域内の指定植物【1985 年(昭和 60)3 月 環境庁】が、雲仙国立公園山麓に位 置する調査地域の清水棚田一帯に8種類を確認することができた。 1)ハマナデシコ 別名 フジナデシコ Dianthus japonicus (ナデシコ科) 海岸の草地や岩上にはえる多年草で、葉が厚く光沢があり乾燥に強い。花期7∼9月 *清水棚田の石垣には紅紫色の普通種のほかに白花のハマナデシコもかなり見られる。 指定理由:⑤極端な生育立地条件地に生育する種−海岸段丘、砂丘(海からの強い風衝作用、 紫外線を受けるため、発達した根とクチクラ層で覆われた肥厚した茎葉を備えた 対塩、対乾構造をもつ特殊な植物のみ生育する。) ⑥景観構成に主要な種(特に,きれいな花が群落として一斉に開花し、春、夏、秋の 季節を構成する植物) 2)サザンカ 山茶花 Camellia sasanqua(ツバキ科) 日当たりのよい山林にはえる常緑樹。分布は山口県以西。 花期10∼12月 *長崎県ではどこにでも見られるサザンカだが、本州の人たちには大変珍しく冬の時期に白い花 を見て驚く人が多い。オランダ商館医のシーボルトは学名にサザンカとそのまま日本名でヨー ロッパに紹介している。 指定理由:⑥景観構成に主要な種(特に、きれいな花が群落として一斉に開花し、春、夏、秋 の季節を構成する植物) 3)ホザキキケマン Corydalis racemosa (ケシ科) シイ、カシ帯の林下にはえ、春に黄色の花を咲かせ、実は線形で下向きにつく。 四国、九州、沖縄の南日本に分布。花期3∼4月 *清水川沿いおよびその周辺の湿った場所にムラサキキケマンと共に花を咲かせる。 指定理由:②希少種(地域的に特に個体数が少ない植物) 4)トラノオスズカケ Veronicastrum axillare(ゴマノハグサ科) シイ、カシ帯の林内や林縁にはえる多年草。葉柄に密に小さな紫色の花をつける。 四国(南部)と九州のみに分布。花期8∼9月 *夏、棚田周辺の里山を調査していたとき自然林の林下で偶然見つけ記録する。 指定理由:①分布の特殊性を有する種。 固有種(分布の範囲が数地点に限定されている植物) ②希少種(地域的に特に個体数が少ない植物) 5)イワタバコ Conandron ramondioides(イワタバコ科) シイ、カシ帯からブナ帯の湿った岩壁に着生する多年草。葉はだ円状で光沢をもつ。花の色は 紅紫色でよく目立つ。本州(福島県以南)、四国、九州に分布。花期6∼8月 *希少種のイワタバコが通常では考えられない水が流れ落ちる棚田の石垣に、また上岳の2軒の 民家石垣にもイワタバコの群生を確認する。 指定理由:⑤極端な生育立地条件地に生育する種−岩壁、岩隙地(岩隙に堆積したわずかな土 壌と流下する水に含まれる養分等でかろうじて生育する。) ⑥景観構成に主要な種(特に、きれいな花が群落として一斉に開花し、春、夏、秋の 季節を構成する植物) ⑦鑑賞用種および園芸業者、薬種業者、マニア採取種(専門家による採取の対象と なる商品的価値の極めて高い種) 6)コオニユリ Lilium leichtlinii var. tigrinum(ユリ科) クリ帯からブナ帯の湿地にはえる多年草で、花は橙黄色で黒褐色の斑点があり、先端は著しく そり返り、斜め下向きに咲く。日本全国に分布。花期6∼8月 *清水棚田の夏の風物詩、高さが1∼2mもあるコオニユリ、オニユリがあちらこちらに花を咲 かせ、蝶が花から花へと飛び交っている。 指定理由:⑤極端な生育立地条件地に生育する種−高層湿原、中間湿原(常に水によって飽和 され、樹木は侵入できず、ごく限られた草本植物による湿原群落が形成される。 ) ⑥景観構成に主要な種(特に、きれいな花が群落として一斉に開花し、春、夏、秋 の季節を構成する植物) 7)エビネ Calanthe discolor(ラン科) *岳地区民家の庭先に植栽されているため、名前のみの記録にとどめる。 指定理由:⑥景観構成に主要な種(特に、きれいな花が群落として一斉に開花し、春、夏、秋 の季節を構成する植物) ⑦鑑賞用種および園芸業者、薬種業者、マニア採取種(専門家による採取の対象と なる商品的価値の極めて高い種) 8)ツチアケビ Galeola septentrionalis(ラン科) シイ、カシ帯からブナ帯の林内にはえる多年草で、全草褐色をおびた菌根植物。花は淡黄褐色 で、果実は大きく長楕円形、赤色に熟しぶら下がる。 日本全国に分布。花期6∼8月 *やまめの里下流域の清水川そばに、長さ6∼10cmの赤い大きな果実をつけたツチアケビを 見る。クロロフィルをもたないため腐ったものに着生する腐生植物。 指定理由:①希少種(地域的に特に個体数が少ない植物) ②景観構成に主要な種(特に、きれいな花が群落として一斉に開花し、春、夏、秋 の季節を構成する植物) ※絶滅危惧Ⅱ類【VU】指定種 <ながさきの希少な野生種レッドデータブック2001から> ◆Vulnerable(VU) :絶滅の危険が増大している種 今後10年間もしくは3世代のどちらか長い期間を通じて、20%以上の減少があると予測 される。 この他に、低地では珍しいツクシショウジョウバカマ Heloniopsis orientalis var. breviscapa(ユリ科)が春の調査時に可憐な花を咲かせていた。海抜800m以上の雲仙では 広範囲に群落が見られるが、清水棚田では個体数が極めて少なく北側斜面がわずかな自生地と なっている。 「ツクシ」といわれるように分布は九州のみに限られている。そのため阿蘇国立公園・霧島 屋久国立公園、祖母傾山国定公園では指定植物となっているのに、なぜか雲仙天草国立公園で は除外されている。花期3∼5月 清水棚田および里山一帯で確認された指定植物等 ハマナデシコ(ナデシコ科)の白色花と紅紫色花(普通種) トラノオスズカケ ツクシショウジョウバカマ ホザキキケマン(ケシ科) 棚田とコオニユリ(ユリ科)の花 (ゴマノハグサ科) ツチアケビ(ラン科)の赤い果実 −クロロフィルをもたない腐生植物− 棚田、石垣のイワタバコ(イワタバコ科) 2-2-3.分水嶺−標高 1,000m を越す妙見岳から九千部岳一帯の植物 千々石湾(橘湾)に注ぐ千々石川の源流は石割山(標高 968m)とその背後にそびえ立つ妙 見岳(標高 1,333m)および稜線で連なる国見岳(標高 1,347m)、また千々石展望台の真正面 に位置する九千部岳(標高 1,062m)の山々から流れを発している。 長崎県内にあっては海抜 1,000mを越す山は県土面積の1%にも満たないが、植物地理学的 には冷温帯に属する夏緑樹林(落葉広葉樹林)の日本の西限【西の限界】になっている。 長崎県では暖温帯の照葉樹林(常緑広葉樹林)<ヤブツバキクラス域>と冷温帯の夏緑樹林 <ブナクラス域>との境界は 1,100m 付近にあり、したがって夏緑樹林の代表的なブナ林やコハ ウチワカエデ林は雲仙山系の頂上付近に限られる。 これら分水嶺一帯の植物についても新たに調査対象に加えられたことで、海抜 1,000m 以上の 冷温帯および妙見岳の西斜面、吹越(標高 910m)から続く九州自然歩道に沿った九千部岳ま でのそれぞれについて、景観を特徴づける植生を主眼においてまとめをおこなった。 そのため、出現した個々の植物名一覧(目録)は記載しないことにした。 ①石割山(標高 968m)の植生 石割山の池の原側の斜面下部はヒノキ植林とな っているが、斜面上部から山頂部にかけてはアカマ ツ群落がよく発達している。 この群落の中にはクマシデ、ノリウツギ、ヤマボ ウシ、タンナサワフタギ、カナクギノキ、アオハダ、 ミヤマキリシマ、クマノミズキ、ネジキ、ナツハゼ、 イヌツゲ、ソヨゴなどの木本類が混在している。 草本類には、ツクシアザミ、ダイコンソウ、ヤマ ホトトギス、ヒヨドリバナ、コアカソなど種類数は 意外と少ないが、一方ではウンゼンザサが大群落を なし、林床を覆い尽くしている。 吹越より見た石割山(968m) ②妙見岳(標高 1,333m)と国見岳(1,347m)をつなぐ稜線一帯の植生 標高 1,000mを越す稜線一帯にはヤマボウシ、オオコマユミ、コハウチワカエデ、ウリハ ダカエデ、アズキナシ、マユミ、ツリバナ、ナナカマドなど秋 10 月下旬頃から見事に紅葉し、 葉を落として冬を迎える夏緑樹林(落葉広葉樹林)で広く覆われている。稜線からいっきに 下る吹越へのルートの林内にはタンナサワフタギ、ケクロモジ、オオカメノキ、ニシキウツ ギ、ノリウツギ、ハナイカダ、カマツカなどが生育しており、植生学では「コハウチワカエ デーケクロモジ群集」に分類されている。 分水嶺の有明海側のあざみ谷一帯には巨大なモミ林が広がり、狭い範囲に夏緑樹のブナの 自生と林床には低木のコツクバネウツギ、ハイノキ、シキミなどが生育し「モミーコツクバ ネウツギ群集」を形成しているが、千々石湾(橘湾)側にはまったく見られない。また、落 葉樹林の中に点在し冬でも濃緑の葉をつけた常緑樹のヤマグルマ(ヤマグルマ科)もあざみ 谷側にはあるが、稜線を隔てた西側の千々石湾側には出現しない。 秋に彩りをそえるカエデの仲間のウリハダカエデ、ウリカエデ、カジカエデ、イロハカエ デ、エンコウカエデ、イタヤカエデ、チドリノキなど稜線をはさんで普通に見ることができ るが、雲仙では普賢岳を中心におよそ 10 種類のカエデの仲間が確認されている。 秋の調査の時には、実をつけた樹木が多く目につくと同時に、林床には標高の高い所にし か見られないムラサキテンナンショウ、フクオウソウ、ヤマシロギク、ノコンギク、ウンゼ ンカンアオイ、キバナアキギリ、アキチョウジといった可憐な野草も花を咲かせていた。イ ネ科植物のノガリヤスが噴火後の裸地に急に広がりをみせているのも特徴的である。 フクオウソウ(キク科) ムラサキテンニンソウ(シソ科) アキチョウジ(シソ科) ③九千部岳(標高 1,062m)一帯の植生 ヤマ ボ ウ シ 赤い果実を多数実らせた山帽子(ミズキ科)と九千部岳 九千部岳東側斜面は、ヒノキやスギの植林地がかなり進んでいるが、天然林はアカマツ林で ある。主な樹木はアカマツのほかにはヤマボウシ、カナクギノキ、クマシデ、ウリハダカエデ、 ノリウツギ、ネジキ、オオコマユミなどの落葉樹の優占度が高い。海抜が低くなるとシキミ、 ヒサカキ、ネズミモチ、イヌツゲ、ナワシログミなどの常緑樹が増えてくる。 一方の九千部岳西側斜面にはアカマツが少なく落葉樹の森林が広がるが優占種はヤマボウ シである。九千部岳の山頂部は岩肌がむき出しの露頭がありミヤマキリシマ、ホツツジ、コツ クバネウツギ、シモツケ、シロドウダン、ネジキ、サイゴクミツバツツジ、オオコマユミ、コ ゴメウツギといった背丈の低い低木類の群落となっている。草本類にはコクワガタ、ヤマムグ ラ、ホウチャクソウ、ウンゼントリカブト、ウンゼンカンアオイ、クサアジサイ、コバギボウ シ、キバナアキギリなどが林下に季節を変えて花を咲かせる。 おしどり 山頂からは南東側に国見岳、妙見岳、平成新山の山々、南側には雲仙の街並みと鴛鴦ノ池や 矢岳、高岩山の山々を、西側には千々石断層崖、千々石の街並み千々石海水浴場に橘湾、北側 には田代原をはさんで目前に吾妻岳が見られ 360 度の大展望が楽しめる。 【附記】☆ 「ウンゼン」の名がついた植物 雲仙は古くから植物研究者が訪れた山であり、ここで最初に採集された植物に「ウンゼン」 の名が付けられたものがある。 1)ウンゼンカンアオイ(ウマノスズクサ科) 長崎県を中心に、佐賀県、福岡県西部、熊本県北部に分布するが、雲仙には多い。 *環境省の絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている。 2)ウンゼントリカブト(キンポウゲ科) *長崎県レッドデータブック 準絶滅危惧(NT) 雲仙では九千部岳周辺に多いが、中国地方から九州北部に分布し、母種のタンナリ カブトに比べ、葉の裂片の切れ込みが浅い。 3)ウンゼンマンネングサ(ベンケイソウ科) *長崎県レッドデータブック 絶滅危惧Ⅱ類(VU) 雲仙およびその周辺部のみに分布すると考えられていたが、いまではセトウチマンネ ングサやツクシマンネングサなどと同じ種として扱われたことから、瀬戸内海から九 州北部に分布していることになる。 4)ウンゼンスミレ(スミレ科) アカネスミレとシハイスミレの雑種で、いまのところ雲仙にのみ知られている。 5)ウンゼンザサ(タケ科) 本州から九州まで広く分布するやや小型のササで、長崎県では島原半島と西彼杵半島の 一部に見られる。雲仙には特に多く、しばしば林床に群生する。 6)ウンゼンツツジ(ツツジ科) ウンゼンの名前ながら伊豆半島、紀伊半島、四国南部、鹿児島県南部に分布し、雲仙に はない。地元で「雲仙つつじ」と呼んでいるものはミヤマキリシマのことである。 <引 用 文 献> 長崎県生物学会編 2006. 雲仙岳の生物 185pp. 長崎新聞社 外山三郎 1980. 長崎県植物誌 312pp. 長崎県生物学会、長崎県理科教育協会 長崎県文化財調査報告書第 89 集 1988. 特別名勝 温泉岳 70pp. 長崎県教育委員会 長崎県自然保護課 1994. 森へ、ようこそ 105pp. 長崎県 長崎県生活環境部自然保護課 1999. 長崎県自然環境ガイドブックー多良山系・雲仙山系周辺 104pp. 長崎県 ウンゼントリカブト(キンポウゲ科) ウンゼンカンアオイ(ウマノスズクサ科) *準絶滅危惧種(NT) *準絶危惧Ⅱ類(VU) キバナアキギリ (シソ科) ヤマボウシ 山法師(ミズキ科) *雲仙市の木に指定されている 二シキウツギ 二色空木(スイカズラ科) サワフタギ 沢蓋木(ハイノキ科) 2-2-4.岳棚田、清水棚田および里山一帯の巨樹・巨木 見上げるような大きな樹木。一般に、大きな樹木は巨樹とか巨木とか大木とかの名称で呼ば れるが、名称についてはどうしても曖昧さがある。環境省では、全国一斉巨木調査を実施する にあたって地上高 1.3mでの幹周りが 3m以上のものをすべて「巨木」と定義している。しかし、 特に幹周りが5mを越す樹木に対しては「巨樹」の名称で区別することが定着してきている。 幹周りが 3m以下ながらも風格があり、見応えのある木は「大木」として記録することにした。 但し、岳棚田、清水棚田一帯で国指定、県指定あるいは市指定の天然記念物となっている樹木 はない。 ①下岳地区に残る巨樹、巨木、大木 1)岳バス停のエノキ(ニレ科) 幹周り 3.40m 樹高 17m 高さ 2.5m付近から3股に分かれる。根元はコンクリートで固められているが、樹勢は 極めて良好で太い幹にはムベ、キズタ、ナツフジ、テイカカズラ、ヘクソカズラなどのつ る植物がからみついている。 また、根元にはネズミモチ、サカキ、ナワシログミが取り囲むように生えている。この エノキは下岳の宮本留男(農協組合長)宅の敷地内にある。 2)岳バス停から約 50m離れた清水川側のタブノキ(クスノキ科) 根周り 5.50m 樹高 22m 上記のエノキとは道路をはさみ 50m程上流の清水川側に位置する。根元のすぐ上部で2 本の幹に分かれており、地上高 1.3mでの幹周りはそれぞれ 2.7m、2.6mの見事な巨樹と して君臨し、清水川を覆い被さるように大きな枝々を伸ばしている。幹にはエノキ同様に キズタ、ヘクソカズラ、オオイタビカズラなどのつる植物が巻きつく。 3)岳バス停から清水川対岸の水タンクそばのハゼノキ(ウルシ科) 幹周り 2.10m 樹高 13m 根が大きな岩を抱き込んで力強く生長したハゼノキで、ハゼで幹周りが 2mを超すもの は珍しい。雲仙岳噴火による火砕流で惜しくも消失した島原市南千本木の「昭和福ハゼ原 木」(県指定天然記念物)は、幹周り 3.2mだったという。 4)西山神社のオガタマノキ(モクレン科)とクスノキ(クスノキ科) 「西山神社には地元では【フウノキ】と呼んでいるどでかい樹があるんですよ。」と聞き、 さっそく<第 2 回雲仙市文化的景観調査委員会>の終了を待って平成 19 年 12 月 14 日の夕 刻山口幸春下岳自治会長(65 歳)の道案内で現地に出かけてみた。水路沿いに歩いたあと、 急斜面をよじ登ったところに木造の小さな神社−西山神社が鎮座していた。神社の背後は 巨岩がそびえ立ち、巨岩と共に何本ものオガタマノキの巨木が天に向かって大きな枝を伸 ばしていた。その日は暗くなってきたため年が明けた 1 月末にメジャーを使って計測をお こなった。西山神社は、山口氏が二十歳の頃までは宮相撲がおこなわれていたとのこと。 現地には今も相撲場があったという広場らしき場所が残っている。 岳集落ではいまも 8 月 21 日に年 1 回、地区でお供え物を持参しお祭りをやっておられる そうだ。また西山神社は「風よけの神」を祭っている神社だとのことである。 オガタマノキは神社から約 20mの範囲にあるものに限って計測をおこなった。 オガタマノキ ① 幹周り 3.90m 樹高 28m(目測) オガタマノキ ② 幹周り 3.60m 樹高 25m(目測) オガタマノキ ③ 幹周り 3.18m 樹高 20m(目測) オガタマノキ ④ 幹周り 1.90m 樹高 15m(目測) 千々石町の名称はこれほどたくさんの巨大な石があることから起こったのかと思って しまうほどの巨岩に巨大な幹をぴったり貼り付けたオガタマノキもあったが、どの樹も 樹勢は極めて良好である。神社から 20m以上離れたものも加えると巨木、大木を合わせ ら 10 本ほどにのぼり県下でもこれほどの群生地はないと思われる。 神社上部にはクスノキの大木もあったので計測した結果は、 幹周り 2.73m 樹高 18m(目測)であった。 ②上岳地区に残る巨樹、巨木、大木 5)上岳のタブノキ(クスノキ科) 幹周り 4.42m 樹高 12m 宮本武寿上岳地区自治会長の話では、 地元では『神様の木』と呼んで大事に されてきたことで、道路拡張工事の際 も伐採されずに残されたというタブノ キの巨木だが、上部は朽ち果て寸胴の 樹形となりながらも新たな枝を伸ばし 生きながらえている。 周囲は孟宗竹の竹林となっている。 タブノキの所有者は上岳の宮本キミ 様とのこと。 幹にはマメズタ、イタビカズラが巻 きつき、朽ちた幹上部にはイロハカエ 和名は招霊(おがたま)が転訛したもの デが着生している。 6)上岳のクスノキ(クスノキ科) 幹周り 3.93m 樹高 23m 宮本庄次郎様の宅地内にあり、根元はセメント詰めながら樹勢は良好で、またすぐ側に はスギの大木もある。幹にはオオイタビカズラ、キズタ、テイカカズラ、マメズタ、ヘク ソカズラが巻きつき、枝分かれした樹上にはヤブランが着生し、紫色の花を咲かせていた。 (平成19年9月5日調査の時) 7)ヤマメの里下流の河川敷内のオガタマノキ(モクレン科) 根周り 4.25m 樹高 25m 清水川の河川敷内にそそり立つこのオガタマノキは、地上 0.5m付近から 4 本の大きな 支幹に別れ、枝先は清水川対岸をはるかに超して伸びている。巨大な根元の一部の根は川 の中まで入り込んでいた。 また、この一帯には川沿いにまとまった大小のオガタマノキが自生している。 か ぐ ら *名前は、実が神楽などで使う鈴の形に似ているところからきたという説がある。アマノ ウズメノミコトが、天の岩戸前で踊ったときに持っていた木の枝がこの木だったという 話もある。あるいは弘法大師が高野山でお香を焚いた木とも言われる。 岳バス停のエノキ(ニレ科) 幹周り 3.40m 樹高 17m 岳バス停に近い清水川そばのタブノキ (クスノキ科) 幹周り 5.50m 樹高 22m オガタマノキ①の上部の幹の様子 西山神社のオガタマノキ①(モクレン科) 幹周り 3.90m 樹高 28m 西山神社のオガタマノキ②(モクレン科) 幹周り 3.60m 樹高 25m 西山神社の背後には巨岩があり、そこにも オガタマノキの巨木数本が立つ。 上岳・宮本宅のクスノキ(クスノキ科) 幹周り 3.93m 樹高 23m 水槽そばのハゼノキ(ウルシ科) 幹周り 2.10m 樹高 13m 「神様の木」と呼ばれてきたタブノキ 幹周り 4.42m 樹高 12m ヤマメの里下に立つオガタマノキ(モクレン科) 幹周り 4.25m 樹高 25m オガタマノキの全体樹形 雲仙市千々石町岳棚田、清水棚田および里山で確認できた植物一覧(目録) 門 シダ植物 亜門 種子植物 裸子植物 綱 亜綱 科 種 名 ヒカゲノカズラ科 ヒカゲノカズラ イワヒバ科 イワヒバ(イワマツ) カタヒバ クラマゴケ トクサ科 スギナ ハナワラビ科 フユノハナワラビ カニクサ科 カニクサ ゼンマイ科 ゼンマイ ウラジロ科 ウラジロ コシダ コケシノブ科 アオホラゴケ ワラビ科 イワガネソウ イヌシダ フモトシダ ワラビ タチシノブ イシカグマ イノモトソウ イワガネゼンマイ ホラシノブ シノブ科 タマシダ キジノオシダ科 キジノオシダ オオキジノオシダ オシダ科 ホシダ ベニシダ ヤマヤブソテツ オニヤブソテツ ミゾシダ ゲジゲジシダ イノデ ヒメワラビ クマワラビ シケチシダ シシガシラ科 シシガシラ コモチシダ チャセンシダ科 チャセンシダ トラノオシダ コバノヒノキシダ ウラボシ科 ミツデウラボシ マメズタ ノキシノブ ヒトツバ クリハラン ヌカボシクリハラン ヒノキ科 ヒノキ(植栽) カイズカイブキ(植栽) アスナロ(植栽) イヌガヤ科 イヌガヤ マキ科 イヌマキ(植栽) ソテツ科 ソテツ(植栽) イチョウ科 イチョウ(植栽) 帰化植物 門 亜門 種子植物 裸子植物 綱 亜綱 科 マツ科 スギ科 被子植物 双子葉植物 離弁花 ドクダミ科 コショウ科 センリョウ科 ヤナギ科 ヤマモモ科 カバノキ科 種 名 アカマツ クロマツ モミ スギ(植栽) ドクダミ フウトウカズラ センリョウ(植栽) ヤマモモ ハシバミ(植栽) イヌシデ ブナ科 クリ ツブラジイ(コジイ) スダジイ(イタジイ) マテバシイ シリブカガシ アカガシ アラカシ ウラジロガシ クヌギ ニレ科 ムクノキ エノキ ケヤキ(植栽) クワ科 ツルコウゾ コウゾ クワクサ イヌビワ ホソバイヌビワ オオイタビ カナムグラ ヤマグワ イラクサ科 カラムシ(マオ) コアカソ メヤブマオ ヤブマオ アオミズ サンショウソウ ウワバミソウ ボロボロノキ科 ボロボロノキ ウマノスズクサ科 ウマノスズクサ タデ科 イタドリ ミズヒキ イヌタデ オオイヌタデ ミゾソバ ギシギシ ママコノシリヌグイ ヒメツルソバ スイバ アカザ科 ケアリタソウ シロザ アカザ 帰化植物 ● ● 門 亜門 綱 亜綱 科 種子植物 被子植物 双子葉植物 離弁花 ヒユ科 オシロイバナ科 ザクロウソウ科 スベリヒユ科 ナデシコ科 キンポウゲ科 アケビ科 メギ科 ツヅラフジ科 モクレン科 クスノキ科 ケシ科 アブラナ科 種 名 帰化植物 ヒナタイノコズチ イヌビユ ノゲイトウ ● アオゲイトウ ● ホソアオゲイトウ ● ホソバツルノゲイトウ ● オシロイバナ ● ザクロソウ ● スベリヒユ ハゼラン ● ハマナデシコ ツメクサ ● ウシハコベ アオハコベ コハコベ ミドリハコベ オランダミミナグサ ● ノミノフスマ ノミノツヅリ ボタンズル コバノボタンズル センニンソウ キツネノボタン ヒメウズ アキカラマツ ゴヨウアケビ ミツバアケビ ムベ ナンテン(植栽) アオツヅラフジ ハスノハカズラ シキミ(ハナノキ) ビナンカズラ(サネカズラ) オガタマノキ クスノキ タブノキ ヤブニッケイ シロダモ キンショクダモ アオモジ ジロボウエンゴサク キケマン ホザキキケマン ムラサキケマン タネツケバナ マメグンバイナズナ ● イヌガラシ ハマダイコン オランダガラシ ● ナズナ ワサビ(植栽) スカシタゴボウ 門 亜門 綱 亜綱 科 種子植物 被子植物 双子葉植物 離弁花 ベンケイソウ科 トベラ科 マンサク科 ユキノシタ科 バラ科 マメ科 フウロソウ科 カタバミ科 ミカン科 センダン科 トウダイグサ科 種 名 メキシコマンネングサ コモチマンネングサ トベラ イスノキ ウツギ ノリウツギ コガクウツギ イワガラミ ユキノシタ アジサイ(植栽) ヤマアジサイ ビワ ダイコンソウ オヘビイチゴ カマツカ(ウシコロシ) ウメ(植栽) ソメイヨシノ(植栽) ヒカンザクラ(植栽) シャリンバイ ノイバラ クサイチゴ フユイチゴ ツルキンバイ ナガバモミジイチゴ ユキヤナギ(植栽) ヤブマメ ネムノキ ヌスビトハギ メドハギ マルバハギ ナツフジ ニセアカシア シロツメクサ ノササゲ ゲンゲ イタチハギ スズメノエンドウ カラスノエンドウ カスマグサ ゲンノショウコ アメリカフウロ カタバミ ムラサキカタバミ カラスザンショウ ハマセンダン フユザンショウ センダン アカメガシワ コニシキソウ オオニシキソウ コミカンソウ エノキグサ 帰化植物 ● ● ● ● ● ● ● 門 亜門 綱 亜綱 科 種子植物 被子植物 双子葉植物 離弁花 ウルシ科 モチノキ科 ニシキギ科 ミツバウツギ科 カエデ科 ムクロジ科 アワブキ科 ツリフネソウ科 種 名 ヌルデ(フシノキ) ハゼノキ ヤマウルシ ナナメノキ イヌツゲ クロガネモチ(植栽) マサキ マユミ オオコマユミ ツルウメモドキ ゴンズイ イロハカエデ エンコウカエデ ムクロジ 帰化植物 ツリフネソウ ホウセンカ(逸出) クロウメモドキ科 ブドウ科 ノブドウ キレハノブドウ ヤブガラシ ツタ(ナツヅタ) エビズル ホルトノキ科 ホルトノキ コバンモチ シナノキ科 カラスノゴマ ツバキ科 ヤブツバキ サザンカ サカキ ハマヒサカキ ヒサカキ モッコク チャノキ オトギリソウ科 コケオトギリ スミレ科 スミレ タチツボスミレ ナガバタチツボスミレ ツボスミレ コスミレ アケボノスミレ シュウカイドウ科 シキザキベゴニア(逸出) イイギリ科 クスドイゲ キブシ科 ナンバンキブシ ジンチョウゲ科 コショウノキ グミ科 ナワシログミ ツルグミ ミソハギ科 ホソバヒメミソハギ キカシグサ アカバナ科 チョウジタデ コマツヨイグサ アレチマツヨイグサ ミズタマソウ ● ● ● ● 門 亜門 綱 亜綱 科 種 名 帰化植物 種子植物 被子植物 双子葉植物 離弁花 アリノトウグサ科 アリノトウグサ ウコギ科 ウド タラノキ カクレミノ ヤツデ キヅタ(フユヅタ) セリ科 マツバゼリ ● ツボクサ ノチドメ チドメグサ ヤブジラミ ミツバ セリ ミズキ科 アオキ ヤマボウシ ミズキ クマノミズキ ハナイカダ 合弁花 ノウゼンカズラ科 ノウゼンカズラ(植栽) ツツジ科 ネジキ サツキ(植栽) ヒラドツツジ(植栽) ヤマツツジ アセビ(植栽) リョウブ科 リョウブ ヤブコウジ科 ヤブコウジ イズセンリョウ タイミンタチバナ サクラソウ科 コナスビ カキノキ科 ヤマガキ ハイノキ科 ハイノキ クロキ エゴノキ科 エゴノキ モクセイ科 ヒイラギ(植栽) ネズミモチ トウネズミモチ ● キョウチクトウ科 テイカカズラ ツルニチニチソウ(逸出) ● ガガイモ科 ガガイモ ヒルガオ科 ヒルガオ アメリカネナシカズラ ● ムラサキ科 チシャノキ キュリグサ ハナイバナ クマツヅラ科 クサギ ハマクサギ ヤブムラサキ アレチハナガサ ● シソ科 キランソウ トウバナ ヤブチョロギ ● ホトケノザ 門 亜門 綱 亜綱 科 種子植物 被子植物 双子葉植物 合弁花 シソ科 ナス科 ゴマノハグサ科 イワタバコ科 キツネノマゴ科 ハエドクソウ科 オオバコ科 アカネ科 スイカズラ科 ウリ科 キキョウ科 キク科 種 名 帰化植物 ツルニガクサ アキノタムラソウ メハジキ ヒヨドリジョウゴ アメリカイヌホオズキ ● テリミノイヌホオズキ ● トラノオスズカケ トキワハゼ フラサバソウ ● オオイヌノフグリ ● ウリクサ アゼナ アメリカアゼナ ● シソクサ アブノメ(パチパチグサ) アゼトウガラシ ミゾホウズキ トレニア(逸出) イワタバコ キツネノマゴ ハエドクソウ オオバコ クルマバアカネ ヨツバムグラ ヘクソカズラ ヤエムグラ クチナシ スイカズラ ソクズ(クサニワトコ) サンゴジュ コバノガマズミ ハクサンボク ニワトコ ニシキウツギ カラスウリ キカラスウリ アマチャズル ヒナギキョウ ミゾカクシ(アゼムシロ) キクイモ ● オニタビラコ コオニタビラコ キッコウハグマ ノアザミ ヨモギ ヤマシロギク アメリカセンダングサ ● トキンソウ フキ ハハコグサ ウラジロチチコグサ ● アキノキリンソウ 門 亜門 綱 亜綱 科 種子植物 被子植物 双子葉植物 合弁花 キク科 単子葉植物 オモダカ科 タケ科 イネ科 種 名 シマカンギク ツワブキ ヒメジョオン ベニバナボロギク ムラサキニガナ アメリカタカサブロウ タカサブロウ ハキダメギク オオアレチノギク カワラヨモギ ハルノノゲシ アキノノゲシ ホソバノアキノノゲシ チチコグサモドキ メナモミ セイタカアワダチソウ ヤクシソウ シロバナタンポポ セイヨウタンポポ ヒヨドリバナ ヨメナ ヒメムカシヨモギ ツクシアザミ ヌスビトハギ ホウキギク ダンドボロギク クサヤツデ ニガナ ノボロギク ヌマダイコン コスモス(植栽) ウリカワ モウソウチク メダケ マダケ ヤダケ ウンゼンザサ ササクサ メヒシバ コメヒシバ アキメヒシバ オヒシバ トボシガラ アブラススキ ニワホコリ スズメノカタビラ ススキ オオクサキビ トダシバ ヌカボ チガヤ クサヨシ 帰化植物 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 門 亜門 綱 亜綱 種子植物 被子植物 単子葉植物 科 イネ科 カヤツリグサ科 サトイモ科 ウキクサ科 ツユクサ科 ミズアオイ科 ユリ科 種 名 帰化植物 イヌビエ エノコログサ アキノエノコログサ ムラサキエノコロ シマスズメノヒエ ● タチスズメノヒエ ● ギョウギシバ ● ササガヤ カゼクサ カモガヤ ● チジミザサ ナギナタガヤ ● アゼガヤ ヒエガエリ ネズミムギ ● イヌムギ ● メリケンカルカヤ ● カモジグサ キツネガヤ ミゾイチゴツナギ スズメノテッポウ セトガヤ コブナグサ コスズメガヤ ● ナキリスゲ イヌクグ ヒメクグ カヤツリグサ コゴメガヤツリ タマガヤツリ ヒデリコ シュロガヤツリ ● ヒメカンスゲ コンニャク(植栽) セキショウ マムシグサ ムサシアブミ オオハンゲ ウキクサ アオウキクサ ヒメウキクサ ● ミジンコウキクサ ● ツユクサ マルバツユクサ ヤブミョウガ ノハカタカラクサ ● イボクサ コナギ ツクシショウジョウバカマ ノビル ハラン(植栽) アマナ 門 亜門 綱 亜綱 種子植物 被子植物 単子葉植物 科 ユリ科 ヒガンバナ科 ヤマノイモ科 アヤメ科 ショウガ科 ラン科 カンナ科 ヤシ科 種 名 ヤマホトトギス タカサゴユリ オニユリ コオニユリ ウバユリ ホウチャクソウ サルトリイバラ ノシラン ヤブラン ジャノヒゲ ナルコユリ ヤブカンゾウ ヒガンバナ スイセン(植栽) ヤマノイモ カエデドコロ オニドコロ(トコロ) ヒメヒオオギズイセン シャガ ニワゼキショウ ハナミョウガ ネジバナ エビネ(植栽) *ツチアケビ カンナ(植栽) シュロ(植栽) 帰化植物 ● ● ● 【 追加分 】 平成20年9月22日に実施した最終調査から 種子植物 被子植物 双子葉植物 離弁花 セリ科 ノダケ オトギリソウ科 オトギリソウ トウダイグサ科 ショウジョウソウ(逸脱) ミカン科 マツカゼソウ マメ科 ツルマメ 合弁花 オミナエシ科 オミナエシ シソ科 エゴマ キク科 タウコギ 単子葉植物 イネ科 チカラシバ ノガリヤス キンエノコロ カヤツリグサ科 ヒンジガヤツリ ユリ科 ツルボ ♠ シダ植物 ♠ 裸子植物 ♠ 被子植物 ♦ 44種類 11種類 双子葉植物 346種類 単子葉植物 104種類 (*帰 化 植 物 69種類) 合計 505種類 植物分類は、「長崎県植物誌」1980 外山三郎著 による。 * ツチアケビ:絶滅危惧Ⅱ類【VU】指定植物(ながさきレッドデータブック2001) 3章 棚田景観の特性 五十嵐 3−1 勉(佐賀大学農学部) 棚田の分布と土地利用変化 図1 岳地区の小字分布 図2 石積み農地の分布 (基図:1984 年発行 1/2,500 国土基本図に現地確認調査により作成) 岳地区の棚田は、そのほとんどが石積みである。現在、水田と転作用に畑地として利用されて いる石積み農地の分布は図2の通りである。これ以外にも杉と檜の植林地に、かつての石積み跡 が確認されるが、分布図上には示されていない。石積み棚田は、下岳の苅水・桑木原・菅ノ口・ 杖ノ口、下通山・茅場・下茅場、杉峯、上岳の鳥屋平(通称「岳屋敷」)、上清水・下清水にまと まって分布する。 図3 岳地区の農地分布と土地利用−1984 年− (基図:1984 年発行 1/2,500 国土基本図より作成) 図4 岳地区の農地分布と土地利用−2005 年− ―黄色:水田、黄緑:畑、ピンク:宅地― (基図:1/1,000 地籍調査地図により作成) 現在の土地利用を見ると、岳地区では、過疎化と高齢化、減反に伴う転作によって、棚田の段々 畑化が進んでいる。特に、日照・農道・水利などの面で条件の悪い耕境付近でのハナシバや自己 保全管理が増大している。図3は 1984 年時における土地利用を、図4は 2005 年の地籍測量地図、 図5は現地調査によって、現在の土地利用分布を示したものである。両図に大きな差異は見られ ないが、図5の現地調査では、ハナシバと自己管理保全農地(休耕地・放棄地)の実態が示されて いる。 図5 岳地区の農地分布と土地利用−2008 年− (基図:1984 年発行 1/2,500 国土基本図 に現地確認調査により作成) 棚田は、本来、自給的農業であり、土地利用は時代の状況を反映して、変化しやすい。明治 22 (1899)年の地籍図・土地台帳等の分析から(図6)、岳地区における棚田の土地利用変化につい て考察する。明治 22 年における棚田分布は、現在の主要な棚田とほぼ同じである(図7)。 図6 明治 22 年の地籍図(字図)・土地台帳による土地利用復原―字「茅場」の事例 (明治 22 年地籍図の地目を着色) 図7 明治 22(1889)の農地分布と土地利用の復原 (基図:1/1,000 地籍調査地図に地籍図の土地利用と照合して作成、白地は照合できなかった地筆) 明治 22 年の棚田分布は、現況と大きな違いはなく、下岳の苅水・桑木原・菅ノ口・杖ノ口、下 通山・茅場・下茅場、杉峯、上岳の鳥屋平(通称「岳屋敷」)、上清水・下清水にまとまって分布 しており、その起源は少なくとも明治以前まで遡ることができる。明治 22 年以降は、土地台帳に おける地目転換等から、耕境付近での開墾、畑から田への転換、及びセマチ直しの開墾が進展し た。 図8 山林・畑から田への地目転換 字別に山林・畑から水田への地目転換が比較的多いのは、上岳の上清水・鳥屋平で、下岳では 榎田である。その多くが、明治中期∼大正年間である(図8)。山林・原野から田への変換は、開 墾を伴うもので、畑から田への変換は石積みによる階段化と水利の改善工事を前提とするもので ある。また、特に上清水では田の地籍上の合筆・合併の記載が多いことから、セマチ直しによる 広い田地への整備が、この時期に進展したことがうかがえる。 この後は、戦中・戦後間もない時期における集落北縁辺部の赤溜で、国有林の払い下げ地の開 墾による畑地の造成(通称「開墾山」)、食糧増産期における若干の開田とセマチ直しが実施され たが、農地の水平的拡大はみられない。むしろ、農道・用排水路の拡幅整備、及び畦畔のアゼン コンクリ化などの基盤整備が、平成 13 年の「棚田地域等保全整備事業」をはじめとする補助事業 で進められた(図9)。 しかしながら、1960 年代以降の経済の高度成長期には、戦後の拡大造林に続いて、原野と棚田 への杉の植林が増加し、1970 年代以降の減反政策によって、休耕と転作が進み、特にヒサカキ(ハ ナシバ)の植栽が増加したため、「棚田」面積は減少が続いている(2-3 営農を参照)。 図9 棚田地域等保全整備事業による基盤整備 (平成 13 年度事業報告書により転載修正) 3-2 石積み棚田と水利の特性 図1 岳の石積み棚田の分布 岳の棚田は、そのほとんどが石積みである。岳地区は、千々石川と支流の清水川に沿って、下 流の下岳で標高 200∼350m、上流の上岳で 350∼450m付近に集落と農地が展開している。下岳は 上岳に比べて平坦地が多く、棚田面積が広い。千々石川沿いでは右岸が西向き・左岸が東向き斜 面、支流の清水川では右岸が南向き・左岸が北向き斜面に棚田が広がっている。 棚田は、地すべり跡地や土石流崩壊地に築かれたものが多く、豊富な湧水と河川水、そして石 積み用の安山岩・デイサイトの石材に恵まれた地形条件となっている。棚田は、そのほとんどが 野面積みと角石を四つ目にならないように並べた布積みの石積みで、下岳に約 20ha、上岳の岳屋 敷(清水川の最奥部)の 5ha、千々石川本流の上清水に 5ha 程が広がっている。農水省の棚田百 選である「清水棚田」は、この「清水川」に由来する。一枚の棚田は、等高線に従って、細く長 い曲線を描いていることが大きな特色である。 清水の棚田は、標高約 400mで千々石川の右岸、傾斜 1/3 の急斜面に巨岩が聳えるように勇壮 に築造された棚田である。一番下から道路まで 20 段ほどの枚数を数え、段高は 2∼4m、大きい もので 8 アールほどの棚田がひろがっている。畦畔の長さは最長で 205mほどで、空積みの野面 積み・布積みであり、清水棚田を象徴するものである。2008 年の全国棚田サミットでの現地見学 会の見学場所ともなり、落下防止用の手すり柵も設置されている(写真 1:中央)。しかしながら、 近年、ハナシバへの転換が進み、岳の棚田のもう一つの象徴的な場所にもなっている。上清水の 下側には、一部、暗渠が掘られている。 写真 1 上清水(西)の棚田 道路より上(東)の棚田は、段高 2∼4mの棚田が 20 段ほど広がり、布積みが多く、隅石、寺勾 配、とび重などの丁寧な積み方が特色で、谷側の勇壮な積み方とは明らかに異なっている(写真 2)。また、巨岩を削って根石として活用し、積み上げた棚田も見られる(写真 3)。 図2 上岳 写真 2 清水の棚田と岳屋敷の棚田 上清水(東)の棚田 写真 3 上清水の巨岩を根石にした石積み棚田 上岳の岳屋敷の棚田は、標高で約 450m付近に広がり、水分神社から集落に伸びる農道の上に 8 段、農道と清水川の間の緩傾斜面に 20 段ほどの棚田が広がっている。段高が 1∼2m 程度の布積み が多い。農道東側の棚田は、現在は九電の用水路から、農道西側は清水川から取水される。東側 の耕境付近はハナシバ畑が広がっている。一枚の棚田は、長いもので 200 メートル、細長い曲線 ラインが美しい。しかし、岳屋敷では盤土の透水性が高く、漏水が多い。 写真 4 上岳 岳屋敷の棚田 下岳は千々石川下流から、下岳入口・下岳中央、下岳上に大きく区分される。石積みは布積み が多く、特に下岳中央の棚田は標高 280∼350mの比較的緩やかな斜面に広がり、細長く緩やかに 弧を描くように連なっている。 写真 5 下岳の棚田 図3 下岳の石積み棚田の分布 写真 6 下岳の棚田とレンゲ 公民館から下に広がる棚田は、直線的に延びるものと、等高線状に湾曲するものとがあり、下 段が畦道として利用される 2 段形式の棚田も見られる。1 枚が 3∼4 アールと、岳の棚田の中では 比較的広く、棚田収穫祭や宮中献穀田として利用されている。集落を貫通する道路の南側(千々 石川左岸)は、北向き斜面となり、耕作が放棄された農地が最も多く集中している。下岳入口の 苅水付近は緩傾斜面で段高が 1m未満の棚田が多く広がっており、棚田の造成時は盤土に諫早湾 の森山町地先の潟土を運んで、敷き詰めた箇所もある。盤土用の潟土のみならず、機械化が進展 する以前は、諫早湾岸の干拓地への田植え労働が貴重な収入源で、干拓地との関係が深かった。 これらの棚田は、水量の多い千々石川・清水川と湧水を利用して、主に山裾を走るよう水路か から谷側に水が落とされて利用されている。 「渇水」をほとんど経験したことがないほどに安定し ている。したがって、番水などの厳格な水利慣行はみられない。分水用の井手としては、上流部 の水分神社前と下流部の苅水井手がある。九電の用水路は、発電所建設以前からの用水路を踏襲 するものも含み、暗渠となっているため、溝掃除等の公役もない。湧水点には、水神さんが祀ら れ、水との深い関係が築かれている(図 4)。 図4 棚田の水利 用水路や湧水点から水田への引水は、かつては竹の筧が利用されていたが、現在では塩ビやパ イプが利用されている。水路のほとんどはU字溝に改修されており、畦コンと同様に営農上の不 利はかなり改善されている。しかし、水は冷水が多いため、掛け流しが少なく、石積みの下には 冷水除けの溝がみられる。この冷水除けも土溝からコンクリ化が進んでいる。 3-3 棚田の保全運動 岳の棚田は、その恵まれた稲作環境によって、近年まで石積み景観が守られてきた。しかし、 高齢化・過疎化・担い手の不足や、減反政策の影響で、厳しい状況にある。その中で、耕作放棄 の抑制に繋がる作物として、ハナシバ(ヒサカキ)の生産が広がっている。 写真 1 棚田でのヒサカキ(ハナシバ)栽培 図1 棚田の農地利用 (現地調査により作成) 水田と普通畑以外の農地利用は、特に上岳でハナシバ栽培が、下岳では休耕地や放棄地が目立 っている(図1・2・3)。ハナシバは、その投下労働力やコストが低いことから、高齢者でも栽培 が可能なため、岳の棚田の一つの特色になっている。 図2 ハナシバ栽培と転作率の比較 ハナシバ 図3 上岳におけるハナシバ栽培地 上岳地区でのハナシバ栽培は、上清水と岳屋敷の耕境付近の日陰斜面に最も卓越する。部分的 に棚田の中に点在するハナシバ栽培地もあるが、その多くは団地化しており、今後の棚田の管理 計画を考える上で、重要な課題となるであろう。 景観としての棚田と生業・生活の場としての棚田の両立は、中山間地域等直接支払い制度など の農業政策にも関わらず、難しい状況にある。棚田の持つ自給的農業の場は、兼業によって支え られているのが現状である。 岳地区の棚田の保全活動は、農水省による「棚田百選」の選定後に本格化する(表1)。 表 1 岳の棚田における棚田保全に関連する事業等 1979 「ヤマメの里」建設 1999 農水省「棚田百選 清水の棚田」選定 2000 「清流と石積みの里(千々石ガーデンヴィレッジ)整備事業構想」 「長崎ふるさとを考える会」の開催 2001 「岳(TAKE)棚田プロジェクト 21」設立 棚田地域等保全整備事業 2003 岳棚田収穫感謝祭(∼現在) 2004 「自然観察と伝統の遊び」事業、GAGA 遊長崎合鴨水稲会による教育ファーム 2005 長崎県農業賞「島原地域農業振興協議会長賞」地域活性化部門(地域づくり)受賞 「海外の学生との交流事業」 2007 宮中献穀田 2008 第 14 回全国棚田サミット 岳地区では、棚田百選の選定後に、地元住民と県・町の協働による「清流と石積みの里(千々石 ガーデンヴィレッジ)整備構想)が進められた。 「長崎ふるさとを考える会」などとの連携事業で 進められ、集落点検と活性化計画の立案のためのワークショップが開催された(図 4)。 図4 ふるさとマップと整備構想 これらの活動を通して、翌年にはその実施組織として、「岳(TAKE)プロジェクト 21」が組織 され、収穫感謝祭を中心とする都市−農村交流事業や棚田米のブランド化への試みが進められて いる。しかしながら、10 名程度の少人数による組織であり、地域ぐるみの取り組みには至ってい ないのが現状である。 また、下岳地区では、「GAGA 遊長崎合鴨水稲会」による教育ファーム「らくらく田んぼの会」 が 2004 年度より開催され、不登校児童やニートの若者支援活動を棚田での食農教育として実践さ れている。農地は、地区住民からの借地を活用し、耕作放棄地の復田にも繋がるなど、棚田の保 全活動としても注目される活動である。 図5 GAGA 遊長崎合鴨水稲会による棚田での教育ファーム活動 地区住民も数名、この活動に参加しているが、地区との連携に限らず、岳(TAKE)棚田プロジェ クト 21 との連携は見られない。 棚田保全活動は、その中核的な組織の存在と、住民活動としての地域的な広がりが不可欠であ る。岳地区における棚田保全活動は、現時点では、このような広がりの面で、課題を有している。 第 14 回全国棚田サミットの現地見学会では、岳の石積み棚田に多くの驚きと、地元の歓迎振り に感動を感じたという。棚田で暮らす地元の住民と、他所からのからの眼差しには、大きな隔た りがあろうが、棚田保全活動を通した地域の活性化が、岳地区の将来の根幹であることには間違 いないであろう。 4章 4−1 地域の歴史・生活文化と文化財 服部 英雄(九州大学大学院比較社会文化研究院) 城臺 好文(千々石町郷土史研究会 会長) 聞き取り調査の概要 8月28日13時30分∼(上岳公民館) ・宮本武寿(みやもとたけとし)昭和19年生まれ63歳・自治会長 ・宮本シヲ子(みやもとしをこ)昭和23年生まれ ・山本茂成(やまもとしげなり)大正11年生まれ86歳 ・山本武弘(やまもとたけひろ)昭和16年生まれ65歳・実行組合長 地名●は上岳で、○は下岳にて追加聞き取りしたもの ① 《山の地名》(多くは谷の名前を中心として斜面までを含む。トヤから時計回りに) ●トヤ ●ナギャーリ(ナガ、ナギャー、ナギャール:東斜面、養魚場の上から林道) ●ワダ(養魚場の上から林道) ●丸山(和田にある岩の名前) ●シラス ●オクビラ(奥平) ●フッコシ(吹越) ●ゼダネ(ゼニヤ・センヤ、発電施設貯水池に「銭谷」) ●ウーギリ ●ウーダマ(大玉) ●コダマ ●大黒山 ・上岳と別所ダムの中間に位置する山。風穴がある。 ② 《迫・棚田・集落近隣の地名》 ●シャージロウ ●ノビルガサコ(茅場の名前) ●カンノサコ(上の迫) 「ノビルガサコの下」。シャージロウ・ノビルガサコ・カンノサコは鳥屋平(とやびら) の北西に位置する。畠地であり、ハチン(サツマイモ) ・麦・野稲(陸稲)などが植えられ た。 ●タケヤシキ(岳屋敷) 上岳の中心に位置する。棚田100選になっているところ・屋敷地の一帯。小字の鳥屋 平と重なる地名か。 ●カワナカシマ(川中島) 川の中間にある島。地目は山林。タケヤシキの南。川の北にある田地が氾濫で荒れるた め、川の南の山林に個人の土地に水路を通した。その結果、川が二つできたから、島状の カワナカシマになった。地目は民有の水路。水路を作ったのは、話者の山本武弘氏。川の 中にある矢穴も氏が岩を切り取ったあと。 ●カランタ 水分神社の裏。出水(湧水)があった。この出水は本流に入る。田はない。 上岳には約二〇世帯あるが、その家庭用水はそれぞれの家が水源からパイプで引いている。 上岳の家庭用水には六箇所の水源があるが、カランタはその一つ。パイプのない時代は桶 で汲んできていた。 ●ヒトツジヤシキ(一つ辻屋敷) 一つ辻の別称。 ●フナイタ(船板) 迫状の地形に棚田がある。赤川からウワイデの水を引く。下半分は道路建設の際、土砂 が廃棄されて埋められた。山本茂成氏によれば、かつて造船用の材木が伐り出されたため、 「フナイタ」と呼ばれている。 ●ウーサコ(大迫) 下清水にある迫。かつては棚田があったが、今は杉林に変わってしまっている。ハッタ 井手によって灌漑されていた。牛も入った。 《川の名前》 ●アカガワ(赤川) 雲仙川の別名。浄化施設ができる以前は、温泉(地獄)の硫黄分が川に流れこんで、川 が赤かった。 《井手の地名》 ●ウワイデ(上井手) 赤川の右岸からフナイタを灌漑する水路。シタイデとは異なり、常時流した。冬も水車 を回した。 ●シタイデ(下井手) 赤川の右岸から上清水を灌漑する水路。ウワイデの下を通る。赤川の硫黄分で田が荒れ るため、春の荒ガキ以外は使用しなかった。荒ガキは赤川の水を使うが、本ガキは出水(湧 水)だけを使った。赤川の水だけを利用すると田が荒れた。いま赤川は別所の貯水池で浄 化している。 ●ハッタイデ(ハルタイデ・春田井手) かつて赤川の左岸から下清水を灌漑した水路。水口は稚児落の滝の下あたりにあった。 ウーザコも含む下清水の棚田を灌漑して第二発電所の辺りで落ちた。ハッタ(ハルタ)と は麦が出来ない土地を指す語。現在は下清水の田地が杉林に代わってしまったので、ハッ タイデは現役の水路ではない。跡だけが残る。宮本武寿氏は「(今は)イノシシが・・・。」 と語った。 ③ ☆凍り豆腐 水車で大豆を潰して作った。商売用で、自家用ではない。商品名は「岳の凍り豆腐」。仲 買人がいて、南高来郡内で販売。豆は生産せず深江から買った。生産地は上岳と下岳の半 分くらい(*正しくは下岳も全戸) 。天然だと「一夜で凍らんば腐る」 。いっぱい水につけ て凍らないと腐る。冷蔵庫で作ると失敗がない。昭和33年か34年ごろに冷蔵庫の普及 により、生産終了。(茂成さんたちは凍り豆腐の製作経験有り) ☆木炭 現金収入は木炭と凍り豆腐と米。米による収入は少ない。木炭の収入が多く、年間を通 して夏も焼いた。当時、県営バスなどの木炭自動車に使われた。昭和25年頃、ガソリン 車の普及により木炭車はなくなった。それで焼くのは冬が主になった。冬も夏も品質は変 わらない。普通、冬に高く売れるまで夏の製品を保存することが出来ないので夏には焼か ない。ここはトラックはきたがバスはこなかった。トラックは木炭車。 ☆米 収量が不足する。 (農協に)売っとが多いとです。自家用は選別後の青米(二級米)を食 べる。麦飯、ハチン飯を食べた。ハチンはサツマイモのこと。あれがすかんやった。ハチ ン飯は米1:ハチン2の割合。麦は田の後で植える。平均二反五畝∼三反。 ☆ウーザコ 牛は入る。水路が大きく曲がっているところ。水はどの水か?これはやかましかった。 雲仙川は上下2本の水路。ハッタイデ。アカガワ(雲仙川)のお湯の汁、地獄の硫黄分の ため麦ができんやった。はるの田は一毛作しかできん。米はふしぎに酸性に強い。夏の朝 だけの日しか当たらない。秋ごろの午後にはほとんど日が当たらなくなる。日照の関係で 早くに耕作放棄。 ☆ハッタイデの水田 ハッタイデの水田の一部がウーザコ。アカガワ(雲仙川)の水しか使わないところはハ ッタ。湧き水が入れば麦ができる。 ☆地区の用水一般 この地区の用水にはトンネルの用水はない。 ☆田の収量 一反当たり今は七俵で大豊作。肥料のおかげ。かつては五俵で大豊作。 ☆今年の収量 見たところ、稲穂はきれいかった。暑い日が続くけど、まだわからん。七月に長雨だっ たから。 ☆昔の肥料 草を切ってきて、石灰、窒素を田にそのまま入れた。米には草が、麦には堆肥。堆肥が 米作りまで保った。 ☆飼っていた家畜 牛、豚、山羊、羊、鶏。豚は繁殖させる。羊の毛は農協に頼んで刈ってもらった。豚の 餌は豆腐のカス、芋のクズ、サトイモの葉っぱ、ハチン蔓(サツマイモの葉)で、サイロ に入れた。 ☆田んぼ全般 反当五俵で各家が二反なので、四斗俵で五俵なら、二反の田なら四石。 四分の一か五分の一を出したのか? 身内とかあれば仁義で米やったり土産物をもらえば米を渡したり、結構とってあった。 終戦後、隠匿反別(過少申告?)を受け持つものがいて、一反でも六畝七畝で付け出しを した。 (一反の田でも六畝や七畝と申告していた?)半分くらいで申請する。本当の面積の 反別は倍くらいあった。遅う開墾したところに隠匿反別が多かった。小作人に貸すときは、 台帳一反でも、本当の一反二畝で貸した。その分(二畝)は供出対象外。単にこすか(ず るい)だけ。 ☆水路と発電所水路 発電所が出来た。第一から第五。小さな川から昔は水路があった。今は九電の水路から とっている。昔の水路(敷き)は放棄した。水利権は村が維持保有しており、水路の水(旧 水路の少し上)を自由に使えて、島原電力の時代は、一件あたり電灯は十触が無料だった (下岳のはなしでは凍り豆腐にかかる電気代ということだった)。蛍光灯の電球が二触、今 の電球はもっと太いかもんね。 (島原電力が発電所の営業権を)熊本電力に売った。そのと きに(電灯が無料の)権利がうやむやになった。鳥屋平関係の話、清水は水系が違うので 別。そしてさらに熊本電力から九州電力へ会社が移った。発電所長だった(山本さんの) おじさんにかけあったが、(電灯無料)復活は無理だった。昔の水路は第五発電所から 10 メーターほど下にある。第五発電所から第四発電所までの 2,600 メーターで高低差 4 メー ターの勾配の水路。昔の水路、形はあるが流れているのを見たことはない。 ☆木炭組合 営林署から組合に秋に払い下げ、組合がそれを 40 人に割る。面積や、木の質に不均等が ある。現地で木を削って目印にした。不均等だから、個人に小割が行く前に値段に差をつ けておく。くじ引きを行い、小割を決定。分配が多い人は、窯は一人一個、少ない人は二 人共同で使用する。一人当たりの窯一回焼けば一窯、二回で二窯、三回で三窯と数える。 一年中、冬も夏も焼くには十四、十五窯。一人で十窯焼く人もいる。しださん(できない) 人は土運びの加勢をする。土は焼け土(以前に使った窯の土)を使う。土をかますに入れ て、山を二谷も三谷も越えて運ぶ。小玉の窯土をゼダネまで運ぶ。シラスが当たった人が トヤに前の窯を持っていれば、トヤが当たった人のシラス近くの窯と交換したりした。国 有林でも土だけは所有権がある。 窯の周囲をドイという。ドイは石で積む。ドイは掘ったそこの土で作る。木が混じった りして土が悪ければ燃える。空気が入ったら全部灰になってしまう。ドイでさえも、焼け 土を運ぶ人がいた。土運びの加勢を頼まれれば、頼んでよか。報酬はない。窯は一人で作 ることができるが、一ヶ月はかかる。時間がなければ共同で作る。材をきっちり並べてお く。それが柱になる。ドイは 4 寸か 5 寸叩いて詰め、更に 3 寸詰める。煙がでていないか、 よく見る。もしも穴が開いてて煙が出ていれば、すぐに土でふさぐ。上手な人が作れば十 回でも二十回でも焼ける。一回焼けば固くなる。材は炭になる。長い炭、使いやすい大き さに切って出荷する。取り出しても、もうその後は崩れない。下手な人が作った窯だとド イがぐらついたりして3,4回で駄目になる。 窯は卵型。火を入れる口の近くは酸素が多いから灰になる。そこにはやおか(柔らかい) 木を入れる。真ん中はダツキを入れる。ダツキとはウシコロシ(ヤマボウシ)、サルスベリ、 クヌギのこと。炭には向いている。一番奥に樫を入れる。卵形なので奥は広い。火はドイ の上、煙は底。土用に土を取るなとは言わない。苗植え(田植え)をするのに午の日はつ まらんと昔の人間はそう言った。自分(山本さん)は迷信を信じない人間、午の日はニン プを集めやすい。 ヤマボウシの熟した実はうまい。ブック、イタブクは食える。インブックは食われん。 インザンシュ(イヌザンショ、犬山椒)といっしょ、食われん。ブックは蜜が出る。黒く なる。水分神社のわきに湧き水。お乳がはり出ない若い嫁さんが水を飲めば治る。夏は暖 かい。オクドノ発電所、ゼダネ発電所、ゼニヤダム、2坪がトコロ、畳 4 枚分。世界一小 さいダム。ゼダネは国有林(*ダムには銭谷と表記してある) 。ゼダネの上はヤマメを復活。 本流は無理。産卵した砂が動いてしまう。弘法大師が杖を刺して木の葉を流したのがエノ ハというけれど、もともとこの川にはいない。宮崎県五ヶ瀬(ゴカセ)から連れてきた。 (川のふちに名前があるかと質問) 、橋の真下に石を転がして藁を詰めて水をせき止めた。 橋の底を水が洗うといって怒られた。 ☆サクドウ(索道) 土引きは牛と馬を使うけど、ナギャー(リ)の松の木を全部サクドウで出した。サクド ウの事故、そりゃー、する人はする。ナギャーだったか、和田だったかもしれない。目的 地について降りてほんのちょっと、わずか数分でワイヤーが切れたことがある。乗ってい たままだったら死んでいた。ナガウラ(外海町)でもこのグループで仕事をした。自分(山 本さん)が20歳位だったから、昭和29年くらいだろう。1,000 メーター張った。1 トン ある木をワイヤーに吊る。ワイヤーには上り線、下り線、寄せる線の三本がある。ケーブ ルと一緒で、下る重量と登る重量のバランスで運ぶ。木が引っかかったときにはテコでは ずす。上は緩んでいて下は張っている。外すと一気に木が走る。谷が幾つもある。降りる のが面倒だから上に人も乗っている。怖いもの知らずの若い者を上に乗せ、大将(このひ と)は上でブレーキをかけるだけ。ナギャー(リ)も和田もみんな官山(国有林)。官山の 木は業者が営林署から買う。その山出しをするのが自分たちの仕事。松だった。 よそはキンマ(木の馬)で木炭を出した。こっちにキンマはない。一箇所に土引き、そ のあと集材機。電送は効かない(聞かない?) 。用材は松、ヒノキ、杉の建築材。炭には悪 い。用材はツガ、トガ。鍛冶や松を使う。 ☆虫送り 松からはたいまつを作るけど、たいまつは田の虫殺しに使っただけ。ぐるーっとまわっ てくる間に虫が自殺する。飛んで火にいる夏の虫。てんぷらの廃油をカンカンの容器、少 しずつ落ちるようにしてある。それに入れて田に油を入れた。稲をはたいて回る。虫が落 ちたら出てこれない。鯨の油は使ったことはない。 夜、炭窯を見にいくのはたいまつではなく、提灯をさげて行った。盆提灯を取っておい てある。それを使った。 ☆田の用水 ウワイデは冬も水車があるから使う。田のアラカキには一番初めにウワイデの水を入れ、 不足分を足す。田植えのアラカキに水が足りないとき、アカガワ(雲仙川)の水を足す。 ホンカキをしたらアカガワは止める。 ☆石垣を積んだ人 山本なかじろうさんは自分で積んだ。下手で崩れそうだが崩れない。下 2 メートルはゆ るい勾配。上はきつくて 3 メートル 50。百選のところは三分勾配。地主は腹いっぱい食わ せて仕事をさせる、報酬は払わん。テコを利用して転がして仕事が終わり。そうしてふと か石をはめた。石を動かそう、皆がそう思えば皆が参加する。ご馳走する。割る石は、道 具を持たない人は、石切を雇う。でかい石は割らず、6畳一間ちょうど出ている石もある。 石に合わせて田を作る。矢のかたがある。田の中に土が浅くて下に石のあるところが何箇 所もある。冬に豆腐、夏は新しく開墾して石垣をつくった。石垣をしかけて途中になって いるところがある。食料が続かんかった。石垣に穴があって、 (山本さんが)子供のとき中 に入り行方不明の騒ぎになった。センチュウ虫よけで、鍬で株きりに来とって疲れて中で 休んどった。そのまま寝て騒ぎになっていた。 下清水はほとんど田を放棄。ウーザコは日当たりの問題。ハッタは杉がふとい、50年 以上前に捨てられた。ハッタに中学のとき田植えにいった。牛はみな入った。牛が重くて 土が抜けたことがある。ハッタもテーラーが入った。 学校は第二小の分校に3年生まで行った(山本さん)。中学校は千々石だった。自転車に 4人乗っていった。5年生のとき、修学旅行は小浜の汽車道で愛野まで。小浜鉄道があっ た。2、3年後に廃線。 雲仙吹越を越えて三会(みえ)まで4時間かかる。4年生のとき学校から帰ってから三 会まで行った(山本さん)。母がお産するため三会まで、ばあちゃんを迎えに行った。飯を 炊いたり実家の手助けが必要。木炭販売で深江から布津へ出た。 ○同じ聞き取りで宮本シヲ子さんと宮本武寿さん(昭和19)夫妻からの話 ☆やまめの里 宮崎県五ヶ瀬町から、稚魚を買い、上岳と下岳の11軒で共同養殖(それまでやまめも あまごもいなかったから、えのはともいわない。福岡の方にいけばえのはともいう)。 四月の終わりの連休から9月いっぱいまで、そうめん流しや釣堀、から揚げの販売を行 う。秋になると、おなかから卵をとって、養殖。 今は一軒が買い取って私有。冬は雪があり、道路も凍結するため断念。 冬は用水のパイプが凍るため、水は流しっぱなし。 ☆今、お嫁さんが不足。 上岳は一人暮らしや老夫婦の世帯が多い。下岳は二世帯住宅があるが、やはり少ない。 現金収入が得られるため、兼業農家や、長崎や諫早に勤めに出る人が多い。 リンドウやユリ(花)の栽培も行っていた。 雲仙市に野菜や卵(湯せんぺいに使う)を売りにいっていた。 小学校は分校が3年次まであった。今ははじめから山の下の学校に通っている。 中学校は下、橘神社の所まで下ったところにしかなかった。自転車に4人乗った。 病院や役場も千々石にしかない。 ☆炭窯について 炭窯は山の斜面を削り、平らに積んで、そこに半々球の窯を土で作る。窯を作る土はそ れ専用のいい土を使う。 窯は、手前は酸素が入りやすく燃えてしまうので狭く、奥の方がいい炭ができる。それ で奥が広くなっており、卵型になっている。窯は2、3年使えるので、雨で痛まないよう にとたんやススキ(かや)で屋根を作った。燃やす木は窯の上から順に切ってきて、上か ら坂道をすべり落とす。窯を直撃すると穴が開くので、葉っぱ(おそらく枝)でレールの ようなものを作って、すべる道を作っていた。 冬の食料が少ないときは、春にぜんまいを取って湯がいて干して保存食にしていた。今 は木が大きくなってぜんまいが取れない。 ☆菜種油は自分の家で使う分だけ作っていた。 椿油は椿の実をた(炊)いて、食用や装飾用に使った。 ☆こびれ・こぶれ(小休止、小昼) だご・こめんだご 米粉にあんこを入れた饅頭。 田植えは順番に家を回って地域でお手伝い。いけない時は一日分のお金を出していた(出 不足料のことであろう) 。稲刈りは各々(親戚が来ることはある)お正月の餅つきも共同作 業。山の上の方の水は冷たい。山の影になるところは米の出来が悪い。 カンノサト(カミノサト) :麦とハチンを作った畑。野稲(畑で育てる稲、水がいらない) も育てた。 カワナカシマ:山林。田を水害で荒らさないように。 4−2 ① 聞き取り調査概要 2007年8月29日 雲仙調査 上岳(立ち話) 石垣の草はお盆に抜いた。草引きしやすいように、石を積むときに足場用の隙間やく ぼみ・出っ張りを作った。積むときにぐり石(=小さな石)を積んでおいた。石垣が崩 れないようにぐり石を入れた。石垣の奥行きもあるので丈夫である。大きな岩は動かせ ないので、そこを中心に石垣を作った。 水口の稲は成長が遅いので10日ぐらいに分けて収穫(他の人は一緒に刈る)。コシヒ カリは早稲なので、水口の方はコシヒカリ、それ以外はヒノヒカリを育てている。 昔は牛や人が通る道と今は、軽トラなどが通れるように水路の上を道にした。 ② 2007年8月29日 雲仙調査 下岳地区 山本貞弘さん(大正12年生まれ) 山口幸春さん(昭和17年生まれ) (岳棚田プロジェクト21副会長) 現金収入のため凍豆腐を作っていた。水車が当時あったおよそ50軒全ての家にあった。 (今は36軒程度)当時は牛、水車は一軒に1つずつはあった。水車では米・あわ・麦をつ いたり、大豆を引いていた。ひえは邪魔者として除草していた。あわはフケイリ(=間引き) して、実を大きくした。今はあわは馬の飼料として、島原のほうで作られている。下岳では、 あわは食糧難のときに作っていた。もちあわとうるちあわがあり、両方作っていた。反当で いうことはあまりなかった、あわは2,3俵とかそんなものだろう。少なかった。米は7俵 とれれば豊作といえた。麦の後にあわ・かんしょを作っていた。あわとかんしょは夏で取れ る時期がいっしょ。どちらかを作った。そのあとは冬の麦。あわとかんしょ、どちらを作る かは各家庭による。かんしょは自家用として、蒸したり、 (あわと一緒に)米と炊いたりし て食べていた。かんしょは「ハチン」と呼ばれていた。ハチンは「はちり」で、栗(九里) ほどおいしくないという意味。小学校の時には、秋に栗や椎の実をとりに行った。椎もおや つ代わりで生で食べていた。 連作障害はあったのかもしれないが、知らなかったので、そんなことは考えずに作れるだ け作っていた。牛糞・稲藁などを肥料として田畑に入れていた。 冬は木炭と凍豆腐作りがメインだった。(凍豆腐のために)家は日当たりの悪い寒いとこ ろに作っていた。凍り豆腐が第一。その収入のおかげで、千々石町内でも割合裕福であった。 木炭は官山で上岳と一緒に焼いていた。木炭組合は上下の両岳地区だけで作っていた。官 山は国のものだったが、ほかの山や田は庄屋が持っていた。 ジェダネやシラスという名前は書物には残っていない。 営林署の担当官に(炭焼きの)払い下げのお願いに行っていた。担当官はいばっている。逮 捕権を持っていた。手錠を持って、山の(きのこなど?)盗掘を防いでいた。みんなは(担当 官を)「シェンシェイ(=先生)」と呼んでいた。 雑木は炭にしていた。杉檜は業者に渡していた。木を売らなければ生活ができなかった。松 は営林署に頼まれて(切らずに)残していた。今はマツクイムシの害で伐採。マルヤマにマツ タケがあった。入札するようなものではない。知っている人間が勝手にとっていた。だれにも 場所は教えない。 山葵を小玉あたりで作ってみた人もいたが、サワガニやホウジョウミナが食べてしまうので、 うまくいかなかった。ブロックを組むので、元手がかかった。 田んぼにはウツロ・カヤバ・カリミネなどもある。水路はスギミネ・カゲビラ・カリミネの 3つがある。を今使っている。カゲイデと影平井手は同じもの。 羽山の出水は町営水路の一部に使われている。 シモウツロ(=下宇津路)に銭岩という岩があって(公民館の裏)、そこに出水があった。 「イワシタ(=岩下)の出水」と呼んでいた。冬は温かく夏は冷たい。「イワシタの出水」と 呼ばれるのは他にもいくつかあった。田んぼに引いていた。(水路・用途を確認) 水神様を5軒で奉っている。毎年8月第1日曜に行っている。水分神社は(旧暦の)10月 9日に温泉神社から神主を呼んで奉っている。水分神社は末社で、このような末社は7名それ ぞれひとつずつあって、末社7つと本社の温泉神社の計8社ある。 ツルヤマ(=通山)の西山神社があって、風除けの神様である。8月27日に地区だけで祭 事を行う。展望台のところにある神社は弘法様を祭っている。弘法さまには馬頭やお稲荷さん がいるが、誰かが持ってきたものだ。 ハッタ(=ハルタ・春田)は2週間くらい早く田植えをすると、収穫の時期が合う。 昔はニホンバレ、のうりん22号、バンセイアサヒ(背が高い)、タカラといった品種を植 えていた。背が高いものは台風で倒れるので、農試で背が低いものを開発し、今はそれを植え ている。背が高いもののわらで、凍豆腐をつるしていた。 (ミツアミ・図が必要か??)今は 多収の品質を作っているが、たくさん取れるものは味が落ちる。 肥料は穂肥えと実肥えのときもまいていた。穂肥えは穂が1センチくらいできたときで、 実肥えは収穫直前から1月まえくらいにまく。実が大きくなるがおいしくない。今は穂肥えし かやっていない。 ワゴヤ(上高野)は県道のすぐ下で、40年位前に耕作放棄し、今は石垣・杉林となって い る。)牛の堆肥と下ゴエ(人糞肥料)、下肥を担いでフミタテ道をいった。ミカン・梨・柿など の畑によく効く。30分ほどかかった。下肥は町から買わなくとも自家用で間に合った。下肥 を味見する人がいたらよほどの篤農家。むかしあんたたちみたいな九大の先生が来て、ネクタ イしたままで腕まくり。下肥に腕をつっこんでかき混ぜた。あれにはほんとにびっくりした。 稲かりも加勢しに行っていた。頼まれたら頼んでよい。取り入れも肩で担ぐので大変だった。 ハッタの上の水路から水を引いていた。上の水路は森のしらべの滝の下から引いていてウーサ コを回ってきていた。100年以上前からある。県道の100メートルシタを流れている。ハ ッタの下の水路は第一発電所辺りから引いている。ワゴヤの水量が少なく自然に流れが終わる。 テッポウユリが自生していた。ユリネはイノシシぐらいしか食べていなかった。 別所ダム付近にはヨケバ(=よけえるところ、憩い場、休むところ)という休憩所があって、 そこの出水を使って凍豆腐を作っていた。田んぼもあって米の栽培、炭焼き等も行っていた。 昔は3軒あって、生計を立てていた。ヨケバは下岳地区に入る。茶店を経営していて、外人に ラムネ・サイダー・イタアメなどを売っていた。ヨケバは今は一軒だけ空き家があるが、荒地 になっている。むかしは登山者が多かったからそれで生活できた。 戦時中は、千々石から普賢岳に、戦勝祈願に行く人がたくさんいた。祈願は半強制的であっ た。武運長久を祈祷した。 昔は3月にも雪が降ったり、豆腐が凍る日もあった。雲を見て、凍豆腐が作れるかを判断し た。曇ると凍らない。白木原によく冷えるところがあった。他のところは霜がなくても、そこ だけ霜があることもあった。雲仙道路の入り口、左第1カーブ、ブルドーザーが止まっていた ところがよく冷えた。そこは大日様の近くで、女人堂の近くにあった。谷間の中で、場所を分 け合った。場所はくじで決めた。豆腐は荷車でそこまで運んだ。凍らせてる途中で、凍らない と判断したら夜中でも大八車で子供が取りに行って家に持って帰ってきた。半凍りは水につけ て戻して保存し、また凍り豆腐にしたりしたが、長くはもたないので、半凍りのまま、下に売 りに行っていた。岳の半凍りはほんとうにおいしかったという人もいます。今は半凍りは作っ ていない。凍り場は下岳の共有地で、税金を集めて払っていた。草地に丸太を物干し竿のよう に並べ、そこにつるして凍らせた。上岳は各々の自宅で凍らせていた。 茅場も共有地であった。5,6ヶ所あり、それぞれ管理する部落名がついていた。ウサコ(大 迫)、羽山の中のイタチビラ、ミノツバ(己ノ鍔)、カミトオリヤマ・カミツルヤマ(上通山) に上下2ヶ所、コバノナカグミなど。茅場は今も植林して管理している。昔は7人ほどで管理 していた。葺き替えは10年に一度でいいので、7人くらいでちょうどよかった。(→地図) ワゴヤの上の草地は、牛の放牧をしていた。次から次に草を切るので、わざわざ野焼きをす る必要はなかった。町有林の立ち入りは自由ではなかったけれど、じっさいは割と自由に出入 りしていた。ド引きに使う牛もいた。 屋号はないと思う。下岳はソラ、ナカンエ、シタンエと呼ばれる屋号はあった。 川には名前はなかったが、(子供のころは)自分たちで勝手に名前をつけて呼んでいた。チ ャノキゴヤンシタ(茶木高野の下) 、ヒロコガエンシシタ(ひろこの家の下)などと呼んで、 自分たちではそこに行くといえば分かっていた。下清水の水溜りで遊んでいた。水中眼鏡は、 当時存在はあったが、買ってはもらえなかった。水中眼鏡がなくても魚は見えたし、石拾いゲ ームなどしていた。石拾いゲームは、色のついた石を川に投げ入れて、それを拾いに行く。 古文書のようなものは、昭和30年ごろに処分してしまった。昔は刀箪笥もあった。中に刀 がいっぱい入っていた。掛け軸も処分した。自分はそういうことに興味がない人間。 アカガワは雲仙から流れてくるので硫黄が含まれており、石なども赤くなる。今はダムの浄 水場できれいにしているので、清水と同じに使える。昔のアカガワは魚もカニもいなかった。 米はアカガワに強く、むしろ肥料になっていた。栄養分があって水が温かいので水口の部分は よく育った。逆に麦は育たなかった。水路はアカガワの硫黄分が付着してどんどん狭くなり、 毎年井手削ぎをしなければならなかった。ふつうはどんどん太くなっていくから逆だった。 (→ ハッタ用水の地図) ハッタの水路は上下とも今もある。イノシシだらけで歩けない。自然薯が山にはあるが、イ ノシシが食べてしまう。イノシシは今もいっぱいいる。タケノコやサツマイモを食べる。田ん ぼに入って水浴びするが、そうすると米がイノシシくさくなって米が食べられなくなる。だか らフェンスに網を張ってイノシシを避ける。ワナをかけているがつかまらない。下岳には10 個以上ワナがある。 水力発電所を作るときに、10燭光を無料でもらった。豆腐作りに使っていた。名前のつい ている水路は無駄水をなくすために、九電からセメントの補助を受けていた。ここ10年はも らっていない。九電が水路の手入れ、入り口の草刈りなどを年1回はしてくれる。この水は、 発電にも使うが、灌漑用水が優先されていた。だから、 (別所ダムができる前は)干ばつのと きに水量が減って、第4発電所をとめることがあった。別所ダムができてからは、発電所が止 まったことはない。発電所は、島原電力、熊本電力、九州電力と変わった。発電所の近くにも との水路の跡があるが、たどるのは困難性がある。 陶土用にシロツチをとった場所があった。雲仙の別所に出ている白い土といっしょ。企業が 数年採掘していた。 町おこし(プロジェクト21)の活動 宮中献石や毎年の感謝祭、炭窯の復元など。 ③ 戦争の話 ビルマのラグーンやフィリピンはルソン島、インドシナのサイゴンに行った。昭和22年の 7月20日に帰ってきた。8月15日は知らなかったけど、「休戦」と言うことになって、2 年間捕虜として労役についた。(イギリス) 戦争中は、マラリアや、アメーバ赤痢、脚気や、爆弾などで亡くなる人が多かった。戦友会 を開いていたが、今はもうメンバーがいない。戦友会のメンバーで浅間温泉(長野県松本市) までもいったことがある。 首実験て知ってますか。ビルマはイギリスの支配だった。捕虜になって労役中、収容所では 首実験が行われた。家族を日本人に殺された現地の人が、一列に並べられた日本兵の顔を見て、 犯人を指差す。指さされたら最後、本当の犯人かどうかは別、アリバイがあると主張しても関 係はない。指名された人間はつれていかれて、どこかで射殺された。あの首実検はほんとうに 思い出す。タイメン鉄道の関係者がよく首実検された。3年かかるところを3ヶ月で作ってし まった。そうとうに無理なことをしたんだろう。 地元で呼ばれる山や谷などの地名 5 章.集落の景観構成と地域社会 大森 洋子(久留米工業大学建築・設備工学科) 5-1.集落の景観構成 5-1-1.目的と方法 この章では「雲仙岳と岳の棚田」文化的景観の 保全を今後進めていく上で基本となる景観の特性 を明らかにすることを目的としている。 「雲仙岳と 岳の棚田」文化的景観は集落と棚田及び山林景観 を含んでいるが、ここでは人々が暮らしを営んで いる集落景観を分析の対象としている。 方法としては、景観構成要素がどの様な秩序に 基づいて配置されているのかという景観構造を把 握することにより景観特性を明らかにする(図 1 参照)。雲仙岳から橘湾までの地形景観を大景観と すれば、集落はそれを構成している中景観の一つ となる。先ず①中景観である集落景観を構成して いる道路、河川、屋敷地、農地、の各要素の配置 を分析し、次に②小景観である屋敷地を構成する 要素とその配置について、最後に③重要な景観要 素である建築物や工作物の特徴について分析する。 具体的には建築物の外観と工作物及び環境資源の 悉皆調査を行うと共に建築物の建設年代を家屋台 帳より把握した。その上で、伝統家屋の主屋 3 棟 と納屋 1 棟の実測調査とヒアリングを行い、特徴 を分析した。 図1 景観構成 5-1-2.中景観(集落の景観構造 ) 上岳集落は急峻な谷を東から西へ流れる清水川右岸(つまり北側)が比較的緩やかな傾 斜となる南斜面の谷地に棚田と屋敷が立地する「岳屋敷」集落とその少し下流に「むかえ」 集落があり、南から北へ流れる雲仙川の右岸(つまり東側)の急峻な東斜面に棚田と屋敷 地が立地する「清水」集落、そこから東へ谷を挟んで「船坂」集落がある。清水川に沿っ ては上流の「小玉」にも 2 軒、更に上流に 1 軒の屋敷地がある。周囲を杉林に囲まれてい る。 (図 2 参照)。清水川と雲仙川が合流する地点は更に山が迫り上岳の集落はここで終わ る。合流地点より下流は千々石川と呼ばれ蛇行しながら西流していく。200m ほど下流で流 れを北に変えその右岸に再び棚田と屋敷地が築かれ始める。ここからが下岳の集落でその 中でも最も上に位置する西側斜面の棚田と屋敷地が「宇津路」集落、更に流れを西に変え た千々石川の左岸の北斜面に棚田と屋敷地がある「茅場」集落と最も下に位置する「つり やま」集落がある。上岳には現在 20 世帯、下岳には 36 世帯が生活を営んでいる。いずれ も急峻な樹林地に囲まれている。川に沿っては緑豊かな樹木が繁っている。上岳の岳屋敷 集落では南斜面に広がる棚田の西端の南流する水路に並行する道路に沿って屋敷地が雛壇 状に並ぶ。急斜面の棚田が広がる清水集落区では棚田中央を道路が走り、道路の東側に屋 敷地が立地する。下岳では集落の中央を道路が走り、それに沿って屋敷地が雛壇状に並び、 その外側に棚田が立地する。下岳集落東端の集落を見渡せる位置に集団墓地が立地する。 いずれの敷地も平地を確保するために棚田と同様に地元産の石で石垣の擁壁が築かれてお り、棚田の石垣と相まって個性的な集落景観となっている。道路や集落内の小径に沿って 水路が走り、洗い場が設けられている。棚田の外には昭和 30 年頃までは茅場があったが現 在は杉が植林されている。 5-1-3.小景観の構造(屋敷地内の景観構造 ) 農業が主産業であった岳地区では、南斜面 や西斜面など地区の地形による違いに拘わ らず、屋敷地の北側に主屋を配置し庭を挟ん で南端に納屋が配置されている(図 2 参照)。 主屋の日当たりを確保し、農作物を干したり 作業をする広い庭を必要としたためにこの 様な屋敷地内の構成になったと考えられる。 従って母屋は南入りとなる。庭の隅には植栽 された庭園があり、湧き水が豊富な地域を象 徴するように池が設けられている屋敷が多 い。池には観賞用の鯉が飼われている。池の ある泉水式庭園は上岳に 6 軒、下岳には 5 軒 ある。かつて凍り豆腐の産地として有名であ ったこの地ではどこの家も大豆を挽く為に 水車が設けられており、その為に飲料水とは 別に水車用に湧き水を引いていた。現在は、 水車はないがその水を利用して池が造られ た。泉水式庭園まではいかなくても池だけを 造り鯉を泳がせたり、水槽を置いて農作物の 洗い場として利用されている。このような水 の利用は豊富な湧き水がある岳の特徴であ る。敷地境界には高木が植えられている場合 もあるが、庭に影を落とさない位置に配慮し て植栽されている。 写真1 写真2 写真3 写真4 下岳の集落 岳屋敷の棚田 上岳の集落 庭を挟んで建つ主屋と納屋 図2 用途別建物分布 図3 建設年代別建物分布図 5-1-4.建築物の特徴 ①主屋 伝統的な主屋は下屋のない茅葺寄棟真壁造の平 屋建ての直屋である。外壁の仕上げは土壁中塗り 仕上げで漆喰は塗られていなかった。明治時代や 大正時代の伝統家屋も残っているが(図2、表1参 照)、昭和40年代から茅葺きを瓦葺きに改造する 家が増え始め、その際小屋組から改造されて切り 妻になっており、かつての茅葺きの形態を残すの は化粧鉄板で覆われている上岳の山本奉彦家1軒 のみである。外壁も木目模様の化粧鉄板が張られ 写真5 宮本弘行家へと上る坂 ている主屋が多い。伝統家屋のゴゼン(ドマに面 した上がり段のある部屋)の床下には石積みの深 さ1.3m 程のいも窯が掘られている。建設年代に拘 わらず切り妻屋根の建物が多い。主屋は庭との関 係から東西に長い直屋で南に玄関を設ける平入り となっている。戦前に建設された平屋建ての伝統 的主屋の上屋梁間は4間程度である。以下に実測 調査を行った伝統家屋3軒の特徴について記述す る。 写真6 宮本弘行家の裏側 写真7 宮本弘行家ザシキ ■上岳清水の宮本弘行家 清水の棚田の端に位置する農家住宅で、坂を上っ てアプローチする。登り口には樅の木の大木が2 本 聳えている。敷地北側に主屋があり庭を挟んで南側 に石壁の納屋が建つ。主屋は明治40年建設と家屋台 帳に記されているが世帯主へのヒアリングによる と明治の始め頃の建設という。現在は増築が行われ 屋根も小屋組から変えられ切り妻瓦葺きになって いるが、元は下屋を回さない茅葺き寄せ棟の梁間 3.5間の平屋建て真壁造の建物であった。痕跡によ り平面を復原すすると図(宮本家復原平面図参照) の様になる。広いドマに面して4.5帖のゴゼンと4.5 帖のチャノマが並びチャノマには囲炉裏がある。ま たチャノマには水屋と板の間がついていた。両方と もドマとの境には建具はなかった。ゴゼンの奥には 4.5帖のザシキがあり床の間と仏壇があった。ゴゼ ンとザシキの南側には半間の縁側あった。チャノマ の奥には3帖のナンド(寝室)があり押入がついて いた。ナンドの外には半間の縁側があった。典型的 写真8 宮本弘行家屋根裏の小屋組 な「田の字」平面である。ザシキとゴゼンは大引天 井であったが、チャノマとナンドに天井が張られて いたかどうかは、小屋組が変えられた際に天井も変 えられているので分からない。おそらく囲炉裏があ ることからチャノマは天井が張られていなかった と考えられる。ドマは作業をしたり農作物を収納す るために広く、奥にはカマドがあったと考えられる が、ヒアリングからは確証は得られなかった。ドマ 写真9 山口ハル子家南外観 に面する柱は165角から205角と大きい。裏口から出 た外に風呂場である釜屋と便所があったという。ま たかつては裏に凍り豆腐を作るための大豆を挽い たり、精米のための水車があった。現在は池のある 庭園になっている。仕上げは内外共に土壁中塗り仕 上げであったと考えられる。ゴゼンの床下にはゴゼ ンとほぼ同じ広さのいも窯が掘られている。伝統形 式の間取りと当時の良質な木の柱や梁が残る貴重 写真 10 山口ハル子家座敷 な建物である。 ■下岳の山口ハル子家 下岳のつりやまに位置する農家住宅で、敷地 の北側に主屋が建ち、庭を挟んで南側にはかつ て石壁の納屋があった。納屋は現在取り壊され、 道路境界の石積みだけが残っている。主屋に繋 げるようにして東側に新たに倉庫が建設されて いる。昭和 8 年に建設された主屋は寄せ棟瓦葺 き真壁造の中 2 階建ての建物。上屋梁間は 3.5 間で下屋の部分に半間の縁側がある。現在はド マの部分が増改築され、外壁には化粧鉄板が張 られているが、元は土壁中塗り仕上げであった。 また粘土瓦が寒で割れることから戦後にセメン ト瓦に変えられた。ドマ以外はほぼオリジナル な間取りが残っている。痕跡から復原すると以 下の間取りとなる。これも典型的な「田の字型」 ドマに面して 8 帖のゴゼンと 6 帖のチャノマが あり、チャノマには囲炉裏が設けられていた。 ゴゼンの奥には 8 帖のザシキがあり床の間と押 入があった。チャノマの奥はナンド(寝室)で 写真 12 山口ハル子家ゴゼン下の芋竃 写真 11 山口ハル子家大黒柱 写真 13 残っている山口ハル子家納屋の石垣 押入が設けられていた。これらの部屋の境には壁はなく襖や障子で仕切られている。チャノマと ナンドには天井が設けられておらず、中 2 階まで回っていた。ザシキとゴゼンは大引天井で、そ の上の屋根裏が中 2 階として農作物などの収納として用いられていた。そこへは梯子で上ってい たが、現在は天井で塞がれており、中 2 階へは屋根と下屋の間にある 2 階小窓からしか出入りで きない。ドマへの出入り口の傍に小便所が設けられていた。ドマの奥には竈と流しがあった。釜 屋は裏口から出た所に設けられていた。ドマに建つ 4 本の柱の内、大黒柱は 355 角、他も 280 角 あり、その大きさにより重厚な空間となっている。ゴゼンの床下には芋窯が掘られており、上が り段の下から出入りする様になっている。伝統家屋のほぼオリジナルな空間を残す貴重な建物で ある。 ■上岳小玉の山本奉彦家 上岳の九州電力千々石第五発電所の川向かいに建つ農家住宅。北側を急峻な山に、南側を清 水川に挟まれた細長い敷地に建つため、主屋のみで納屋はない。庭も狭いが植栽がされ、清水 川に野面積みの石垣が築かれており、緑の山を背景に、清水川と石垣、その上に庭木を前面に 配した主屋が美しい景観をつくっている。主屋は昭和 20 年に建設された下屋のない寄せ棟茅葺 き真壁造りの建物である。ドマの部分は増改築され、茅屋根は鉄板で覆われているが、茅葺き の骨格を残す唯一の建物。戦後すぐの物資の乏しい時期に施主自らが造作した建物であるため、 小規模で凝った仕口や材料は用いられていないが、他の伝統家屋が茅屋根から瓦屋根に改造さ れた中で、茅屋根の伝統家屋の原形を示す貴重な建物である。平面は、上屋梁間 2.5 間内にド マ、4 帖のチャノマ(3 帖の畳と 1 帖の板張り)、押入と床の間がついた 6 帖のザシキが一列に 並び、その南側に縁側を設けた簡素な造りであり。北側に下屋を出して 1 間の幅で炊事場とナ ンド、便所が並んでいる。ザシキとそれに附属している床の間や押入は大引き天井が張られて いるが、それ以外は天井は張られていない。チャノマには囲炉裏が設けられている。小屋組は スギ丸太の叉首で合掌を組み、叉首間に母屋となる丸竹を渡し更に丸竹の垂木を架けて茅を葺 いている。勾配は 1.17 程度と急である。外壁は現在化粧鉄板が張られているが、元は土壁中塗 り仕上げであった。 写真 14 写真 16 山本奉彦家南外観 山本奉彦家庭 写真 17 写真 15 山本奉彦家チャノマの芋竃 山本奉彦家屋根裏小屋組 写真 18 山本奉彦芋竃への入口 ②納屋 岳地区の伝統的な納屋は石の産地らしく壁が石の野面積みであることが特徴である。切石布 積みで積まれている納屋もあるが、多くが石垣と同様の野面積みである。石壁の上に軒桁を敷 いて木の小屋組を架けている場合と、腰壁を石造でつくり、その上に土台を回して束を建て小 屋組を架けている場合がある、納屋は敷地の南端に位置する場合が多く、隣地境界或いは道路 境界に石垣を築きそれに小屋組を架けている。この様に境界に位置する壁は桁下まで石垣を築 き、庭に面して出入口をとる壁は腰だけが石積み、或いは石積みはなく独立柱で構成されてい る。納屋の中では農耕用の牛が飼われ堆肥作りが行われていた。このため、土壁よりも湿度や 強度が強い石が用いられた。一部にしか石積みが用いられていない納屋も含めると 10 棟確認で きた。棚田や屋敷地の石垣と同様の材料が納屋に使われていることで景観に統一感が生まれて いる。全国的に見ても石造の納屋は稀少であり、岳の個性を現す建物である。以下にその納屋 の中でも最も原形に近い形で現存する山本哲郎家の納屋について報告する。 写真 19 下岳の石造の納屋 写真 20 上岳の石造の納屋 ■下岳の山本哲郎家の納屋 昭和 28 年に建設された寄せ棟 2 階建て瓦葺の納屋である。上屋梁間は 2.5 間で四方に下屋 を回す。他の納屋は切り妻屋根であるが、この納屋は主屋並みに寄せ棟の粘土瓦葺きとなっ ている。 南側の敷地境界に建つ壁は野面積みの石垣が 1.8m の高さまで積まれ、西側は同様の高さで 切石が布積みされている。石壁の上に土台を回し束を建て下屋を支えている。東側は 1m の高 さの切石布積みであり、北面はほぼ全面開口部となっている。内部の間仕切りも石壁であり、 馬が 2 頭飼われ、堆肥作りも行われていた。2 階は倉庫として利用されている。現存する石 造納屋では使われている材料の質が最も高い納屋である。庭を挟んで北側に日当たりのよい 主屋が建つ。庭の隅には湧き水を引いた泉水式庭園がある。 写真 21 山本哲郎家納屋 写真 22 庭を挟んだ山本哲郎家主屋と納屋 写真 23 写真 25 山本哲郎家納屋西外観 写真 24 山本哲郎家納屋南側の野面積みの壁 山本哲郎家納屋の石積みの内部間仕切り 写真 26 山本哲郎家納屋の飼葉桶 12,051 946 946 3,079 11,105 3,105 3,072 904 946 3,079 3,105 3,072 904 か わ 4,401 を る ぬ 880 り 水屋 1,027 チャノマ 押入 ナンド 996 996 ほ 仏壇 ドマ ゴゼン ザシキ 2,002 1,248 に 床間 754 は 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 宮 本 邸 現 況 平 面 図 1/100 十 一 十 二 十 三 縁側 出入口 い 二 三 四 五 六 1,036 1,036 ろ 七 八 九 宮 本 邸 復 原 平 面 図 1/100 十 0 十 一 500 十 二 2,000 1,000 十 三 4,000 7,108 へ 2,048 囲炉裏 2,047 と 12,389 1,027 ち 420 1,125 878 ザシキ 2,315 590 325 縁側 仏壇置場 床間 1,725 ナンド 床柱 磨き丸太(筍面付) 床柱 磨き丸太(筍面付) 床框 床框 777 632 45 座敷FL GL.1 GL.2 880 り 1,027 ち 2,048 と へ 993 ほ 1,240 に 760 は 1,047 ろ い 芋釜 宮 本 家 現 況 矩 計 図 1/30 0 500 1,000 2,000 14,798 890 890 1,070 2,918 1,985 13,018 1,990 1,990 1,012 2,053 1,070 2,918 1,985 1,990 4,043 1,012 ナンド 押入 り チャノマ 3,142 囲炉裏 ち と ほ ナンド 8,145 へ に ゴゼン 3,980 押入 ザシキ は 床間 1,023 ろ 縁側 出入口 い 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十 一 十 二 山 口 ハ ル 子 家 現 況 平 面 図 1/100 十 三 十 四 十 五 三 四 五 六 七 八 九 十 十 一 山 口 ハ ル 子 家 復 原 平 面 図 1/100 十 三 十 二 0 十 四 500 十 五 2,000 1,000 4,000 1,988 1,993 1,083 373 3,142 10 棟木 6 1,217 牛梁末口270φ 母屋115*105 230 230 374 374 1,218 屋根 瓦葺 化粧根太 杉 成90 真壁小舞下地漆喰塗り 76 落し掛け 杉丸太 太鼓 361 つなぎ梁 2,700 床の間 ナンド 床柱 磨き丸太(筍面付) 縁側 1,735 2,020 ザシキ 1,735 2,700 差鴨居 松 成1尺2寸 差鴨居 22 948 床框 805 645 105 座敷FL 160 GL.1 芋釜 り ち と へ ほ 0 山 口 ハ ル 子 家 復 原 矩 計 図 1/30 500 に 1,000 は 2,000 ろ い GL.2 11,826 5,153 切石布積み壁 5,153 2,464 2,154 14,483 野面積み石壁 山 本 家 納 屋 現 況 1階 平 面 図 1/100 山 本 家 納 屋 現 況 2 階 平 面 図 1/100 0 500 2,000 1,000 4,000 443 1,592 1,940 2,151 2階桁天端 1階梁天端 2,610 150 100 FL GL 山本家納屋現況矩計図 1/30 0 500 1,000 2,000 13,128 630 572.5 1,971 982 982 1,002.5 10,625 1,045 1,120 999 1,951 1,873 572 1,971 982 982 1,003 1,045 1,120 999 1,951 へ 便所 ナンド 1,975 と ダイドコロ 押入 951 ほ 押入 2,028 囲炉裏 ドマ は ザシキ チャノマ 962 床間 998 ろ 縁側 出入口 い 出入口 一 二 三 四 五 六 七 山 本 奉 彦 家 現 況 平 面 図 1/100 八 一 二 三 四 六 五 七 山 本 奉 彦 家 復 原 平 面 図 1/100 0 500 2,000 1,000 4,000 6,914 に 860 トタン葺き屋根勾配は1.22 1.17 1.00 3,108 叉首間に6から8本垂木竹 合 掌 杉 丸 太 末 口 145φ 小屋裏 茅屋根 48 頭つなぎ丸太末口90φ 60 1,037 合板天井(最近の補修工事) 縁側 ナンド ザシキ 床柱 杉磨き丸太 末口120φ 2,247 1,727 2,247 押入 波板鋼板#24アスファルト塗り アスファルトフェルト 野地板 t15杉板2等 皮付き 1,700 床間 490 座敷FL GL.1 芋釜 997 2,989 山本奉彦家復原矩計図 1/30 964 0 500 1,000 1,914 2,000 ③工作物の特徴 集落内の工作物で先ず目につくのは斜面地に平地を確保するために築かれた屋敷地の石垣で ある。ほぼ全ての屋敷地が石垣を持つ。棚田と同様に地元産の「デイサイト」が用いられ野面 積みされている。また湧き水が豊富であるので、棚田への用水路だけでなく、生活用の水路も 多くあるが、その護岸も野面積みである。最近は道路整備に伴いコンクリート 3 面張りや暗渠 化されその良さが失われつつある。水路に沿って洗い場や石橋が分布している。池や水槽が多 いことは前述したが、その傍に石造の水神様を奉っている家庭が多い。地区の共有の水神像で はなく、個人で水神像が奉られているのは、水に関係が深い岳ならではの特徴である。また、 引いてきた湧き水を集落の近くで溜めるためのコンクリート製のタンクが多いのも岳の特徴で ある。 ④環境物件の特徴 景観上重要な集落内の樹木と庭園を調査したが。前述のように低木で庭造りをした泉水式庭 園が岳の特徴であるが、高木では敷地境界などにマキが多く、その他にもタブ、エノキ、モミ、 クロガネモチ、カキノキが敷地内に植えられていた。上岳の宮本弘行家の 2 本のモミは高さが 20m程の樹勢のよい木で、清水の棚田の中で目立っている。その他にも下岳のバス停の傍にあ るエノキやその向かいのタブやスダジイも樹齢の高い景観上重要な大木である。棚田や庭に陰 を落とさないように集落内に高木が多いわけではないが、河川沿いに高木が多く見られる。 ⑤まとめ 集落景観の特徴を空間のレベルごとに述べてきたが、石積みと水の豊かさが岳の景観を特徴 づけている。急峻な山に囲まれた斜面に棚田と屋敷地を築き、豊富な湧き水を棚田と生活に利 用し、その営みが岳の特徴的な景観を造ってきた。展望台から岳の集落を眺めると、緑の樹林 地に囲まれた棚田の石積み、その中に点在する建築物や庭木、そして高木の少ない集落内に線 状に繋がる河川沿いの緑豊かな高木が、景観を形成していることが分かる。集落内に入ると池 や水路、水神様など水に関わる景観要素が多いことが分かる。水車が石臼を回していた頃は現 在よりもより岳らしい景観が広がっていたことを想像すれば、水車の復原もまちづくりの一つ として考慮してもよいのではと考える。 写真 27 小径の両脇を流れる水路と石垣 写真 28 屋敷地下を隧道で流れる水路 写真 29 水分神社の鳥居と石段、灯篭 写真 31 写真 33 写真 35 写真 30 下岳の墓地 九電の堰 写真 32 下岳のタンクと水神 水電橋 写真 34 下岳の水路とタンク 写真 36 上岳 上岳の船坂の水路 岳屋敷の水路 図4 景観資源分布図 表2 石積みリスト(図の番号に一致) 番号 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 名称 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 水路護岸 石垣擁壁 石垣擁壁 水路護岸 石垣擁壁 石垣擁壁 13 石垣擁壁 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 水路護岸 類型 野面積 野面積 野面積 割石間知積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積モル タル詰め 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 割石間知積 野面積 割石間知積 野面積 野面積 野面積 野面積 割石間知積 野面積 野面積 野面積 野面積 場所 ヤマメの里の裏 ヤマメの里 山本奉彦 山本奉彦 山本弘 山本 山本 山本の向かい 水分神社 両側 水分神社 小林等 山本茂成 番号 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 名称 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 水路護岸 類型 野面積 野面積 割石布積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 場所 中村幸生 山本松一 北浦俊男 山本克明 本田兼好 城戸 宮本密義 山口県 井上義行 山口 山口定光 山本マサヒロ側 宮崎弘 45 石垣擁壁 野面積 山本マサヒロ 平坂進 森崎ハナ 森崎ハナ 下田栄の側 山口義治 宮本弘行 宮本武寿 宮本武寿向かい 宮本武寿向かい 宮本武寿向かい 小林忠義 山口教文 宮本進 宮本カズヨ 宮本カズヨ向かい 山本貞弘 山本マッサージ 中村 宮本徳男 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 石垣擁壁 水路護岸 水路護岸 石垣擁壁 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 野面積 山本保宏 山本保宏 本田國男 出田秀光 宮本テルヨシ 宮本秋穂 山口幸春 山口幸春 山口ヨシオ 進藤利男 山口野一 山口ハルコ 山口正太郎 城戸博 山口徹 山口県 中村 両側、山本貞弘 写真 湧き水を引いている水槽 表3 番号 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 石積み以外の工作物リスト(図の番号に一致) 種類 石塀 石段 鳥居 灯篭 灯篭 石段 石段 石段 灯篭 石橋 水槽 石仏 灯篭 水槽 洗い場 石神 石神 洗い場 石神 水槽 石橋 灯篭 石段 洗い場 石橋 タンク 石橋 石碑 石碑 洗い場 洗い場 石碑 石碑 石橋 石神 洗い場 石橋 石仏 石段 石神 石神 水槽 石段 石神 タンク 石神 水槽 タンク 石段 洗い場 洗い場 灯篭 石橋 石仏、神 洗い場 水槽 石橋 石段 水槽 水槽 石碑 水槽 石橋 洗い場 材質・材料 野面積み 石 石 石 石 石 石 石 石 石 コンクリート 石 石 コンクリート 石 石 石 石 石 コンクリート 石 石 石 石 石 コンクリート 石 石 石 石 石 石 石 石 石 石 石 石 石 石 石 コンクリート 石 石 ブロック 石 コンクリート コンクリート 石 石 石 石 石 石 石 コンクリート 石 石 コンクリート コンクリート 石 コンクリート 石橋 石 建造年 明治 22 年 4 月 大正 7 年 2 月 9 日 平成 20 年 2 月 9 日 大正 9 年 10 月 8 日 場所 山本弘 山本 水分神社 水分神社 水分神社 水分神社 水分神社 水分神社 水分神社 水分神社 山本勝 宮本進 宮本進 宮本進 昭和 50 年 9 月 1 日 昭和 37 年 4 月 山本智吉と記銘 寿百歳記念 コンクリート祠内に 庭 山の神 水神 山本貞弘 山本マッサージ 山本マッサージ 中村 中村 中村 中村 消防団第 9 分団 消防団第 9 分団 宮本時男 井上善行 明治 36 年 5 月 大正 4 年 5 月 備考 里道開通記念碑 木電橋 山口定光 山口定光 山口保宏 山口保宏 宮本照義 水電橋 水神 山口義男 山口義男 進藤利男 水神 弘法大師+2 体の計 3 体 水神 神田浅松 神田浅松 3 基(池の周り) 山口正太郎 山口正太郎 山口テツ 山口イツヨ 山本奉彦 公民館 宮本久 山本貞弘 山本貞弘 5 体(弘法大師、火災の神、水神等) 橋のそば 橋のそば 図5 石積み資源分布図 1 図6 石積み以外の工作物資源分布図 2 写真 水路や湧き水を利用した荒い場 写真 水神・山の神・弘法大氏の石像 写真 池のある庭園 表 4 樹木等の環境要素リスト (図の番号に一致) 番号 名称 種類 1 庭園 2 樹木 メタセコイヤ 3 樹木 タブ 4 庭園 5 庭園 池+植栽 6 生垣 カイヅカイブキ 7 池 池 8 屋敷林スギ 9 樹木 マキ 10 樹木 カキ 11 庭園 12 樹木 ケヤキ 13 生垣 スギ 14 生垣 チャノキ 15 庭園 池+植栽 16 生垣 17 樹木 タブ 18 樹木 モミ 19 樹木 スギ 20 庭園 池+植栽 21 樹木 ウメ 22 庭園 池+植栽 23 庭園 池+植栽 24 庭園 池+植栽 25 池 池 26 樹木 クス 27 樹木 クス 28 樹木 スギ 29 池 池 30 庭園 池+植栽 31 庭園 32 樹木 クロガネモチ 33 庭園 池+植栽 34 庭園 池+植栽 35 樹木 ハゼ 36 樹木 アキニレ 37 樹木 マキ 38 庭園 39 庭園 高さ× 樹冠(m) 備考 20×4 10×10 2本 1本 10×6 5×5 10×5 6本 1本 2本 9×9 1本 8×6 20×6 20×6 1本 2本 3本 5×5 1本 9×6 20×15 19×6 1本 1本 1本 6×5 1本 6×5 6×5 6×3 2本 1本 場所 水分神社 水分神社 山本勝 山本勝 山本勝 平坂進 平坂進 山本武弘 森崎ハナ 森崎ハナ 下田栄倉庫 下田栄倉庫 下田栄倉庫 山口義治 山口義治 宮本弘行 宮本弘行 宮本武寿 宮本武寿 宮本弘行 小林忠義 宮本進 宮本進 宮本カズヨ 宮本カズヨ 宮本カズヨ 山本貞弘 山本貞弘 山本マッサージ 北浦俊男 山本松 山口県 山口定光 山口定光 山本マサヒロ 山本保宏 写真 番号 名称 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 池 庭園 樹木 庭園 庭園 樹木 樹木 庭園 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 樹木 種類 タブ スダジイ エノキ タブ タブ マキ ケヤキ マキ 池 池+植栽 マキ サクラ マキ 池+植栽 マキ ハゼ エノキ スダジイ マキ スギ ハゼ ヒノキ スギ ヒノキ ヒノキ カキ マキ モミジ カキ スギ ヤヴニッケイ タブ ヤヴニッケイ モチノキ ヤマグワ ムクロジ 高さ× 樹冠(m) 22×18 18×6 16×6 13×6 13×6 8×4 20×10 12×6 2本 5本 1本 1本 1本 1本 1本 1本 8×4 4本 7×6 6×4 1本 1本 8×4 8×6 6×6 11×8 7×5 12×4 12×6 12×4 12×4 12×5 10×4 5×4 6×4 7×5 7×6 8×6 5×5 7×6 10×8 10×8 10×8 7×6 1本 1本 1本 1本 1本 4本 1本 6本 3本 2本 4本 3本 5本 1本 1本 1本 1本 1本 1本 2本 1本 1本 屋敷林の樹木と川沿いの大木 備考 場所 出田秀光向かい ポスト前 バス停前 宮本留雄向かい 宮本留雄向かい 宮本留雄向かい 墓地の前 墓地の前 宮本テルヨシ 山本良市 山口ヨシオ 神田浅松 山口野一 山口ハル子 山口ハル子 山口一丸 城戸博 山口徹 山口徹 出田秀光向かい 出田秀光 山口 山口 山口 山口 山口県 山口県 本田多兼好 山口県 山口県 山口県 山口 墓地の前 墓地の前 山本マッサージ 山本マッサージ 山本マッサージ 水分神社 図7 樹木等の環境要素分布図 3 5-2.住民の生活と景観に関する認識 5-2-1.目的と方法 地域社会の集落景観に関する意識と生業及 び生活の現状を知るために、岳地区の 56 全世 帯主を対象とした留め置き式のアンケート調 査を平成 20 年 10 月上旬に上岳と下岳の自治会 長氏に配布と回収を依頼して行った。アンケー トは無記名で回答を求めた。回収率は表 1 のと おりである。上岳は 100%であるが、下岳は 55.6%と約半数であるので回答の結果から言 えることは断定はできないが傾向は窺える。 表5 アンケート回収率 5-2-2.地域住民の家族構成と就業構造 上岳の人口は 57 人、下岳は 111 人(平成 20 年 1 月末現在)で、年齢別人口構成を図 1 に示す。上 岳は 14 歳以下の子どもがいない少子高齢化のアン バランスな人口構成になっている。下岳は就学と 就職の機会を求めての転出により 15 歳から人口が 減少しているが 14 歳以下の子どもは存在する。し かし 70 歳代の年齢層が最も多く高齢化が進んでい る傾向は窺える。アンケートから分かった世帯主 の職業は上岳も下岳も兼業農家が最も多く約 3 割 を占める。専業農家は上岳が約 2 割、下岳が 6%と 少なくい。専業農家だけでは成り立っていないこ とが窺える。世帯主の年齢は 50 代、60 代、70 代 がそれぞれ 2 割ずつを占めている。次いで 80 代が 16%を占めるが上岳の方が高齢の世帯主の割合が 高い。家族数は独居或いは 2 人暮らしの核家族が 上岳では 53%、下岳では 20%となっており、上岳 の高齢化と核家族化が進んでいる。下岳では 2 世 代同居の割合が高い。敷地や建物の来歴について は少ない回答しかなかったが、山を削って敷地を 整備したり、畑や田を敷地に代えた世帯もあるこ とが分かった。家を住み継ぐ後継者がいないと回 答しているのは上岳が 4 人(25%)、下岳が 3 人 (17%) で他は現在は同居していない場合も含め 後継者は確保されている。家業の後継者について 職業別に見ると、専業農家及び兼業農家で後継者 が確保されず廃業になる可能性があるのは上岳が 2 軒、下岳が 1 軒ある。岳の景観を維持していく上 では農業の後継者の確保は課題である。 図8 表6 世帯主の職業 表7 世帯主の年代 年齢別人口構成 表8 家族数 表9 家を住み継ぐ後継者の確保状況 5-2-3.棚田の築造と作付け品目 棚田の築造時期については回答が少なく参 考程度に表を示す。ヒアリングの結果から補足 すると、棚田は明治時代から昭和 30 年頃まで 築かれており、石工を雇って本人も手伝いなが ら石を積んだと言う。凍り豆腐の売り上げ収入 で石工を雇い少しずつ棚田を増やしていった 家もある。水田として利用するために多大な労 力で築かれた棚田であるが、減反対策の対象と なり、全てが水田として利用されているわけで はない。アンケートには全ての世帯からは回答 が得られていないので実体とは少し異なるか もしれないが、所有する棚田の利用について分 析を行った。上岳では所有する棚田の枚数が世 帯により 1 枚から 33 枚までと差が大きい。下 岳では 4 枚から 28 枚までとなっている。両地 区とも本来の姿の水田としての利用が最も多 く、次いでハナシバに転作している棚田が多い。 上岳では特にハナシバへの転作の割合が 25% と大きく、その他(主に野菜)も 6%ある。下 岳ではハナシバが 12%となっている。 表 12 棚田の築造時期 表 10 職業別家業の後継者確保状況 表 11 敷地や家屋の履歴 表 13 棚田の作付け品目 5-2-4.住民が認識する岳らしい景観 岳らしさを感じる景観としては上岳と下岳で大 きな差はなく、川の流れ(約 7 割)や棚田(約 7 割)、 集落を囲む山(約 5 割)など岳の生業に関係する農 林業の景観が多くの人に認識されている。上岳に位 置する水分神社は地元上岳が 6 割認識しているの に対して下岳では 3 割と半数になる。2 地区で最も 異なるのは農作業のための庭を岳らしいと認識し ている割合で、上岳 4 割に対して下岳は全くいない。 岳の特徴である石壁の納屋や屋敷地の石垣は両地 区とも 3 割程度が認識している。石仏・石神も 3 割 程度は認識されている。川沿いの大木や土壁の家屋 などの認識率は低い。反対に岳らしさの喪失要因は、 水車が見られなくなったと答えている割合が両地 区とも最も高く 6 割になっている。また茅葺き屋根 が少なくなったことも岳らしさをなくした要因と して約 3 割の人に認識されている。他にも石壁の納 屋が少なくなったことや伝統家屋の建具がアルミ サッシに変わったことなど家屋に関すること、及び 川の護岸が石積みからコンクリートに代わったこ と、田畑が少なくなったことが約 2 割となっている。 外来の動植物が増えたことも上岳では約 3 割認識 されている。岳に多い建物の外観を化粧鉄板で覆う ことは岳らしさをなくし要因としては二人の世帯 主にしか認識されていない。 日頃の生活で景観に 配慮していることとしては、道路などのゴミ拾いや 庭木や花の手入れが主で、商店がない岳地区では看 板もなく建物や看板への関心は低い。住宅の建て替 えに関しても現代的なデザインを志向する割合と デザインに関心がないと回答している割合が高い。 茅葺き屋根の伝統家屋を懐かしむ人は多くても自 分の家は現代的なデザインが好まれている。ただ割 合は低いが、上岳では茅葺き屋根の建物を志向して いる人が 2 人、下岳では瓦葺き土壁漆喰塗りの伝統 家屋を志向している人が 2 人いる。 5-2-5.景観やコミュニティの維持 景観を維持するために行政に望む施策として は棚田の維持のための補助が約 6 割と最も高く、 ついで家屋や石垣の修理への補助や固定資産税 の減免など経済的な要望が大きい。景観法や文化 的景観制度を利用した整備により、これらの要望 に全てではないが応えることが可能となる。景観 を保全することに関しては、「維持していくこと はいいことだが、経済面や後継者で不安が残る」 という回答と「現在の景観は岳の特徴的な要素な ので、それらをある程度規制して維持していくこ とは大切なこと」という回答が最も多く約 5 割を 占めている。景観保全についてある程度のコンセ ンサスが形成されているが、後継者確保や保全の ための経済面に不安を抱えている。規制すべきで ないという回答も 26%あり、もし保全するとすれ ば、保存計画について住民間で理解を深めるため に時間をかける必要がある。観光資源としての保 表 14 岳らしい景観 表 15 岳らしい景観の喪失要因 表 16 日頃から景観に配慮していること 全を望む割合も 2 割ある。地域コミュニティの活 力度を知る目安の一つに祭への参加状況が挙げ られる。かつては神社や農事に関する祭が地区全 体で行われていたが、現在は地区挙げての伝統祭 事は殆ど無くなっているが、水分神社の 10 月の 祭事は上岳地区で行っている。伝統行事に変わり 棚田サミットなどの新しいイベントが地区で開 催されている。アンケートからは、近所への声か けなどの日常的な行いや、地域での集会・イベン トへの参加などで、コミュニティ維持のための努 力がなされている。景観を維持する上で大工や石 工などの職人の確保は重要である。アンケートか らは出入りの職人として 2 人の大工と 3 人の石工 及び 2 人の庭師の名前が挙げられており、職人の 確保はできていると考えられる。生活環境上の問 題としては、駐車場やトイレ、休憩所などの観光 施設が無いことが挙げられている。特に下岳では 8 割の人が問題と考えている。最近棚田に関する イベントを訪れる観光客が増え始めているにも 拘わらず、観光施設いる。他には街灯の整備や初 期消火体制への不安が 3 割弱の人から指摘されて いる。自由意見として、バスの運行がなく不便で あること、少子高齢化の不安、猪駆除の要望、下 岳から県道への道路建設の要望が挙げられてい る。この地域への永住志向については、30 人( 上 岳では 17 人、下岳では 13 人)がここに住み続け たいと回答し、どちらでもないという曖昧な回答 は 5 人(上岳が 1 人、下岳では 4 人)であり、住 み続けないと言う世帯主はいない。現在の世帯主 は岳に愛着を持ちこれからも住み続ける意向が 強い。 表 19 表 17 建て替える場合の外観デザイン 表 18 景観を守るために行政に望む施策 表 20 集落の維持のために日頃意識していること 景観を維持(保全)することへの意見 表 22 表 21 出入りの職人 居住環境上の問題 5-2-6.観光活動 岳の清水棚田が「日本の棚田百選」選定されたり、 平成 15 年からは「岳棚田収穫感謝祭」が開催され るなど岳の棚田を訪れる観光客が徐々に増えてい る。観光客が来ることに対して、地域の世帯主は「歓 迎する」が約半数、「歓迎はしないが良いことだと 思う」も加えると上岳が約 8 割、下岳が約 9 割と肯 定的な回答になっている。地域が誇りとする棚田や 集落景観が評価されことへの喜びや観光客との交 流による人脈の広がりや文化的刺激等の精神的な 要素が大きい。まちづくり活動の活性化への期待も されている。経済的な期待は少ない。逆に課題とし ては、マナーの悪い観光客が残していくゴミの問題 が約 7 割挙げられているが、騒音やプライバシーの 侵害などの観光公害は大きくは意識されていない。 岳を魅力的にするために必要なものとしては、トイ レ・休憩所・ベンチなどの観光利便施設が望まれて いる。特にイベントを開催している下岳でその要望 が大きい。更に下岳では、観光客との交流施設や遊 歩道の整備、対外 PR も望まれており、観光活動が 活発である。 5-2-7.地域の将来像 地域の将来像としては、棚田のある現在とほぼ同 じ景観が約 8 割の世帯主に望まれている。それに加 え、観光客が訪れる集落を望む割合も上岳で 2 割、 下岳で 4 割ある。現在の景観を保全しつつそれを生 かして外部からの来訪者と交流できる地域になる ことが志向されている。現在岳の特徴である石積み の棚田を行かしたイベントの創出により、棚田米の ブランド化や交流人口の増加が図られ、その効果が 徐々に現れてきているが、岳のもう一つの特徴であ る豊富な湧き水は生かされていない。かつてどこの 家にもあった水車を懐かしむ住民も多くいること から、豊富な湧き水を象徴する水車の復原や水路及 び池の整備により、生業と一体となったかつての岳 らしい文化的景観を形成しまちづくりに貢献する ことができる。また、棚田米だけでなく、美味しい 湧き水やそれを利用した例えば豆腐などを地場の 名産にすれば、景観と共に地場産の食品で観光客を 惹きつけることが可能となる。 写真 棚田サミットの準備風景 表 23 観光客への思い 表 24 観光客が来ることの利点 表 25 観光客が来ることの問題点 表 26 より魅力的にするために備える必要があるもの 表 27 岳に住み続ける意志 表 28 望む将来像 6章 棚田の景観構成 包清 博之(九州大学大学院芸術工学研究院) 6−1.調査目的 九州には「日本の棚田百選」に選定された棚田が 47 ヶ所存在する(図1参照)。雲仙市千々 石町「岳の棚田」の一部である「清水棚田」はその1つである。前年度は、この「清水棚田」 及びその周辺の特徴を明らかにするため、自然資源や観光資源とともに、棚田について近づ きやすさ、面積、地形条件、さらに立地条件について検討した。その結果、「清水棚田」は、 九州に位置する「日本の棚田百選」の中では、周辺に自然資源が多く存在し、山間部の急傾 斜地に位置しながらも、鉄道や自動車を用いた都市部からの接近性が高いといった特徴を有 していることがわかった。 このような特徴を踏まえ、本年度は雲仙市千々石町の上岳・下岳地区に存在する「岳の棚 田」の景観特性を把握することを目的とした。そのため、次の三つの点について調査した。 (Ⅰ)「岳の棚田」における地理的条件 (Ⅱ)主要要素の組み合わせからみた景観構成の類型 (Ⅲ)個別要素の存在特性 図1 九州地方における「日本の棚田百選」 6-2.調査の概要 6-2-1.調査内容 ① 『(Ⅰ)「岳の棚田」における地理的条件』について、以下の調査を行った。 「岳の棚田」とその周辺地域の地理的条件を把握するため、1/2,500 地形図及び 1/25,000 地形図を用いて、 「岳の棚田」に係わる河川流域界を把握した(図 3-1-1)。 この河川流域について尾根筋と谷筋に囲まれた調査ブロックを設定し、地形傾斜方 向と勾配を地理的条件として把握した。 1)地形傾斜方向の把握 各調査ブロックにおける標高の最も高い地点から最も低い地点へと結んだ直線 の方向を傾斜方向とし、傾斜方向の方位を 8 方向に分類し色分けをして地形図上に 表示し、棚田との関係を認識した(図 3-1-2)。 2)地形の平均勾配の把握 各調査ブロックについて、(最上点と最下点の標高差)/(最上点から最下点へと結 んだ直線距離)×100=平均勾配(%)とし、地形勾配とレクリエーション行動との関 係を基調に勾配を区分し、色分けをして地形図上に表示し、棚田との関係を認識し た(図 3-1-3)。勾配の区分にあたっては、 『斜度とレクリエーション行動』 (日本観 光協会:東北地域観光開発の構想計画と開発の指針、1968)を参考に次のように区 分した。 平均勾配 0%-8% :あそび・キャンピング 平均勾配 9%-17% :やすむ・かける 平均勾配 18%-35%:ハイキング・そり 平均勾配 36%-57%:すべる 平均勾配 58%-88%:登山・のぼる ②『(Ⅱ)主要要素の組み合わせからみた景観構成の類型』について、以下の調査を行った。 主要要素とそれらの組み合わせからみた景観構成の類型を把握し、「岳の棚田」 及びそれを取りまく景観構成の特徴を捉えた。そのため、まず地形断面図を作成し、 主要要素を把握した(図 3-2-6)。次に、展開写真を撮影し、主要要素の組み合わせ の有無状況を把握した。 1)地形断面図からみた主要要素の把握 「岳の棚田」の各断面図の作成箇所は、上岳地区については図 3-2-1 に、下岳地区 については図 3-2-4 に示した。断面図は各々図 3-2-2 から図 3-2-3 及び図 3-2-5 に 示した。 なお、各断面図の作成にあたって、棚田の高低差は地形図から判読できないため、 現地調査の中で測量した。 2)展開写真の撮影及び類型 「岳の棚田」の景観を形成する主要要素の組み合わせを把握するため、棚田(農地) の存在している地域を、1/2,500 地形図で判読できる道、農地の状況によって進入 可能なところ、各棚田の標高が最も高い位置と標高が最も低い位置を目安に合計 61 地点を展開写真の撮影ポイントに設定し、水平方向 360°の展開写真を撮影した。 撮影した展開写真の分析にあたっては、図 3-2-6 に示した見上げる棚田(石垣)・ 見下ろす棚田(石垣)・樹林・山の稜線、の4つの主要要素の存在する領域の水平 距離の割合を計測した。次に、展開写真を撮影した 61 地点を、各主要要素の割合 の平均値を基準に分類し、その組み合わせによって類型した。 ③『(Ⅲ)個別要素の存在特性』について、以下の調査を行った。 「岳の棚田」の景観に係わる個別要素の存在特性を把握するため、現地調査を通じ て次の個別要素を把握・検討した。 (a)水路 (b)農道 (c)石垣・岩 (d)植物 6-2-2.現地調査実施日 雲仙市千々石町「岳の棚田」を対象に、次の日程で現地調査した。 第一回:2008 年 6 月 6、7 日 第二回:2008 年 7 月 29、30 日 第三回:2008 年 8 月 29∼31 日 第四回:2009 年 2 月 15 日 6-3.調査結果 6-3-1.「岳の棚田」における地理的条件 ① 千々石町の流域単位・国立公園範囲・棚田の位置 千々石町の河川流域界は図 3-1-1 に赤線で示した。今回の調査では上岳地区および下 岳地区の棚田を含む流域単位を調査対象とした。島原半島の大部分が雲仙天草国立公園 の範囲に指定されており、上岳地区および下岳地区の棚田は普通地域もしくは特別地域 内に位置している。また、前年度での調査結果として、本地区の棚田を取りまく景観の 基本的な特徴は、優れた自然環境に囲まれていることから、本年度の調査対象は千々石 町「岳の棚田」の中で、雲仙天草国立公園区域内の範囲とした。 図 3−1−1 千々石町の棚田河川流域界及び国立公園区域 ②上岳・下岳地区の地形傾斜方向 図 3-1-2 に地形傾斜方向と棚田の位置を示した。この図から「岳の棚田」は、日射時間 の長さを確保しやすい南方向や南西方向の傾斜面に加え、日射時間を確保することが難し い北西方向の傾斜面にも多く存在していることがわかる。このことは、棚田が稲作の場と して存続を図ることについて、日射条件からみて比較的容易そうではない棚田が存在する ことが、地理的条件となると認識できる。 図 3−1−2 上岳・下岳地区の地形傾斜方向 ③ 上岳・下岳地区の平均勾配 図 3-1-3 に地形の平均勾配と棚田の位置を示した。この図から、 「岳の棚田」は、36%を 超える急傾斜の地形に囲まれながらも、傾斜面でのレクリエーション活動等が比較的展開 可能な 18%∼35%の勾配のところに多く分布していることがわかる。このことは、稲作の場 としての棚田の役割に加え、他のレクリエーション活動を組み合わせることが可能な地形 条件を有していると考えられる。また、棚田の周囲には、急傾斜の山が存在していること から景観のみられることが棚田と山並みが一体となった地理的条件となると考えられる。 図 3−1−3 上岳・下岳地区の平均勾配 6-3-2. 主要要素の組み合わせからみた景観構成の類型 ① 地形断面 棚田の景観を構成する主要要素を把握するため、棚田を取りまく地形の断面図を作成 し、主要要素を把握した。 断面図は、上岳東側において 3 方向、上岳南側において 3 方向、雲仙天草国立公園の 範囲内の下岳(以下、下岳とする)において 2 方向、計 8 方向の断面図を作成し、断面 位置と合わせて図 3-2-1 から図 3-2-5 に示した。作成にあたっては、現地で実測した石 垣の高さおよび各種地形図を参考に、水平方向と垂直方向を同じ縮尺比で作成した。 断面図から、傾斜の緩やかな場所に多くの棚田の分布がみられ、傾斜の急な場所では 山林地や樹林地が存在している状況にあることが認識できる。人の移動経路となる道路 や農道は、棚田の広がる範囲の最上部(山林地との境界部)や最下部(川沿い)、棚田の中 央部に多くみられた。 これらのことから、棚の石垣を下から見上げる方向と、水田の面を見下ろす方向とで 人々が認識できる棚田の状況が大きく異なり、また、その背景に存在する山林地や山の 稜線の印象も異なると考えられる。このような状況から、自然環境を特徴とする「岳の 棚田」の景観を捉えるためには、見上げる棚田、見下ろす棚田、樹林、山の稜線を主要 要素として、それの組み合わせを理解する必要があると考えた。 図 3−2−1 上岳地区断面の位置 図 3-2-2 上岳地区の東側の断面図 図 3−2−3 上岳地区南側の断面図 図 3−2−4 下岳地区断面の位置 図 3−2−5 下岳地区の断面図 ② 展開写真 前節での断面図の検討から、見上げる棚田(石垣)、見下げる棚田(石垣)、樹林、山の稜 線を棚田の景観に係わる主要要素として把握した(図 3-2-6)。 これらの主要要素の組み合わせを把握するため、上岳地区および下岳地区の各所において 展開写真を撮影した。それぞれの撮影地点は図 3−2−7、図 3−2−8 に示した。上岳・下岳 において計 61 地点で撮影した展開写真を、西を中心に方角を揃え、 写真 3-2-1 から写真 3-2-8 に示した。 図 3−2−6 棚田の景観に係わる主要要素 図 3−2−7 展開写真の撮影地点 (上岳地区) 図 3−2−8 展開写真の撮影地点 (下岳地区) ■主要要素 写真 3−2−1 展開写真 (上岳地区)(1−8) ■主要要素 写真 3−2−2 展開写真 (上岳地区) (9−16) ■主要要素 写真 3−2−3 展開写真 (上岳地区) (17−24) ■主要要素 写真 3−2−4 展開写真 (上岳地区) (25−32) ■主要要素 写真 3−2−5 展開写真 (下岳地区) (33−38) ■主要要素 写真 3−2−6 展開写真 (下岳地区) (39−46) ■主要要素 写真 3−2−7 展開写真(下岳地区) (47−54) ■主要要素 写真 3−2−8 展開写真(下岳地区) (55−61) (3)主要要素の組み合わせからみた景観構成の類型 (2)で示した各展開写真について、各主要要素の存在する割合の平均を算出し、平均以 上の存在がみられる主要要素の組み合わせから表 3-2-1 に示した 16 類型を設定した。こ の類型に従って、展開写真の撮影地点を類型し、表 3-2-2、表 3-2-3 に示した。また、 類型結果の分布状況を図 3-2-9、図 3-2-10 に示した。 これらの類型の分布状況から以下の諸点が「岳の棚田」の特徴として認識できる。 ・見上げる棚田、見下ろす棚田、樹林、山の稜線の 4 つすべての主要要素の組み合わ せによって構成される類型 1 に該当する地点は、上岳地区で 6 地点、下岳地区で 2 地 点となり、上岳地区で多いことがわかった。このことから、類型 1 に該当する主要要 素の様式がみられる地点は貴重であり、「岳の棚田」の景観を保全する上で重要な地 点となると考える。 ・見上げる棚田が主要要素として係わる類型 1,2,3,4,6,7,8,12,についてみてみると、 上岳で 38 地点中 22 地点、下岳で 23 地点中 13 地点となり、両地区とも多くみられる。 このような類型に該当する地点は、「岳の棚田」の特徴となる棚田の石垣を人々が認 識し易い地点といえ、その地点が広く分布していることが「岳の棚田」の景観の構成 を考える上で重要となると考える。 ・また、見上げる棚田が係わる地点の多くでは、山の稜線との組み合わせによる類型 の構成がみられる。 ・見下ろす棚田のみが主要要素となる構成の類型 13 に該当する地点は、上岳、下岳 のいずれの地区でもみられなかった。このことは、 「岳の棚田」では、石垣がみえず、 水田の面のみが目立つ地点は殆んど存在しないことが、景観の構成上の特徴の一つで あり、保全上も重要であると考えられる。 ・また、見下ろす棚田が係わる地点の多くでは、樹林との組み合わせによる類型の構 成がみられる。 表 3-2-1 主要要素の組み合わせからみた景観構成の類型 ※表中の○は、存在する割合が平均以上のものを示す 表 3-2-2 撮影地点(写真)と景観構成の類型(上岳) 地点 番号 見上げる棚田(石垣) (45%以上) 4 5 11 13 28 37 19 6 7 9 25 29 24 27 34 10 31 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 15 12 14 8 30 16 33 32 3 18 36 23 26 1 2 17 20 22 35 38 21 ○ ○ ○ ○ ○ 見下 ろす棚田(石垣) (25%以上) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 樹林 (75%以上) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 山 の稜線 (50%以上) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 見 上げる棚 田 + 見下ろす棚 田 + 山の稜線 類型3 見上げる棚田+樹林 +山の稜線 類型4 見下 ろす棚田+ 樹林+山の稜線 類型5 見上げる棚田+見下ろす棚田 類型6 見上げる棚田+樹林 類型7 見上げる棚田+山の 稜線 類型8 見下ろす棚田+樹 林 類型9 見下ろす棚田+山の 稜線 類型10 樹林 + 山の稜線 類型11 見上げる棚田 類型12 樹林 類型14 山の稜線 類型15 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 類型 見 上げる棚 田 + 見下ろす棚 田 + 樹林 + 山の稜線 見上げる棚田+見 下ろす棚田+ 樹林 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 類型1 類型2 表 3-2-3 撮影地点(写真)と景観構成の類型(下岳) 番号 44 49 56 57 60 40 42 48 58 59 55 46 61 52 53 54 39 47 41 51 43 50 45 見上げる棚田(石垣) 見下ろす棚田(石垣) (45%以上) (25%以上) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 樹林 (75%以上) 山の稜線 (50%以上) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 類型 見上げる棚田+見下ろす棚田 +樹林+山の稜線 類型1 見上げる棚田+見下ろす棚田+樹林 類型2 見上げる棚田 +見下ろす棚田 +山の稜線 類型3 見下ろす棚田+樹林+山の稜線 類型5 見上げる棚田+樹林 類型7 見上げる棚田+山の稜線 類型8 見下ろす棚田 + 樹林 類型9 見下ろす棚田+山の稜線 類型10 見上げる棚田 類型12 樹林 類型14 なし 類型16 図 3−2−9 撮影地点 (写真)と景観構成の類型の分布(上岳地区) 図 3−2−10 撮影地点 (写真)と景観構成の類型の分布 (下岳地区) 6-3-3.個別要素の存在特性 「岳の棚田」の特徴的な景観を構成する個別要素として水路、農道、石垣・岩、植物を取り 上げ、その存在特性について調査した。 現地調査では、特徴的な要素の位置とその様子を写真撮影した。 写真の撮影地点を図 3-3-1 から図 3-3-8 に、撮影した写真を写真 3-3-1 から写真 3-3-4 に示 した。 (a)水路 水路には、水深や水路幅といった水路そのものの形状に加え、道の舗装と石垣の境界に水 路が存在する場合、石積み護岸がみられる場合、水路両岸に植物の生育がみられる場合など、 写真に示す如く多様な存在特性がみられた。 (b)農道 農道には、幅員や材質の種類に加え、道の縦断方向に家屋あるいは山林がある場合、地形 形状に応じた自然的線形がみられる場合、横断方向に棚田の石垣や水路がある場合などを含 め、写真に示す如く多様な存在特性がみられた。 (c)石垣・岩 石垣・岩についてみると、棚田の石垣に加え、家屋の基礎の石積みや農道の石積みなどが みられた。それらは、上段と下段とで異なる石積みがみられる場合や、岩と組み合わされて いるなど多様な存在特性がみられた (d)植物 棚田周辺の植物には、当然のことながら作物とそれ以外の植物が多くみられる。農耕物以 外の植物では、周辺の傾斜地には人工林が多く、棚田に面した所にはツツジなどの低木やウ メなどの中高木の植栽がみられ、それらの位置は道や家屋との位置関係や集落の中での位置 によって多様な存在特性がみられた。 図 3−3−1 水路の写真撮影位置(上岳地区) 図 3−3−1 水路の写真撮影位置 (上岳地区) 図 3−3−2 水路の写真撮影位置 (下岳地区) 写真 3-3-1 水路 図 3−3−3 図 3−3−3 農道の写真撮影位置 農道の写真撮影位置 (上岳地区) (上岳地区) 図 3−3−4 農道の写真撮影位置 (下岳地区) 写真 3−3−2 農道 図 3−3−5 石垣・岩の写真撮影位置 (上岳地区) 図 3−3−6 石垣・岩の写真位置 (下岳地区) 写真 3-3-3 石垣・岩 図 3-3-7 植物の写真撮影位置(上岳地区) 図 3−3−8 植物の撮影位置 (下岳地区) 写真 3-3-4 植物 6-4.まとめと課題 以上、本調査では次の三つの視点からの調査を通じて、「岳の棚田」の景観の特徴を把握 するとともに、景観保全に係わるいくつかの課題を認識した。 (Ⅰ)「岳の棚田」における地理的条件について ・ 「岳の棚田」の景観保全にあたって、稲作を継続し易い棚田とそうでない棚田のある こと。 ・ 「岳の棚田」の活用にあたって、レクリエーション活動等を付加し易い傾斜地が多く 存在すること。 ・棚田を取りまく傾斜地が多く、山並みの稜線と棚田の組み合わせを確保することが、 「岳の棚田」の景観の保全上の地理的条件となること。 ・これらの地理的条件に配慮した地域類型を計画段階で検討する必要があること。 (Ⅱ)主要要素の組み合わせからみた景観構成の類型について ・見上げる棚田、見下ろす棚田、樹林、山の稜線の 4 つの主要要素についてみると、16 通りの組み合わせがみられ、その中で、4 つすべてがみられる構成を有する地点は、 上岳、下岳の両地で貴重であること。 ・棚田の石垣を主要要素として認識し易い見上げる棚田が構成に係わる地点は多く存在 し、山の稜線との組み合わせが重要であること。 ・棚田の石垣が見えず耕作面である水田のみが見えやすい地点は「岳の棚田」には殆ん どみられないが、見下ろす棚田と樹林との組み合わせで構成される地点は多く存在す る。これらのことから、棚田の石垣と山の稜線の組み合わせや棚田の耕作面と樹林の 組み合わせなどの景観構成のパターンを基調としたタイプの異なる保全領式の設定 のけ咽頭を通じて「岳の棚田」の保全を計画的に進める必要があること。 (Ⅲ)個別要素の存在特性について ・「岳の棚田」では水路、農道、石垣・岩、植物の形状や組み合わせ、それらの位置関係 は多様である。それらの存在特性にどのような秩序が存在するのかを探ることは個別 要素の保全を通じて「岳の棚田」の景観の特徴を守る上で重要となると考えられる。 7章 文化的景観の保存とその活用に関する基本的考え方 本委員会は、雲仙市岳の棚田の文化的価値を調査・検討し、住民の理解と参加を得ながら棚田 の保存とその活用のための管理計画の策定を目指した。しかしながら、景観計画区域や重要文化 的景観地区の設定、および保存管理計画の策定については、雲仙市における景観計画、景観条例 の制定を考慮しながら、平成 21 年度に継続して行うこととなった、さらには、地域座談会の開催 等を通じて、文化的景観の保全と管理のための住民参加を進めることとなった。 本章では、雲仙市文化的景観調査委員会の発足から今日までの協議の経過を整理し、委員会で の審議内容を踏まえた上で、特に地域住民による重要文化的景観に対する理解を深化させる意味 で、今後の基本方針を示すこととした。 今後の概略スケジュール 143 7-1.本質的価値、保存管理の視点について 7-1-1.文化的景観としての本質的価値の所在(案) 岳地区をとりまく自然環境や土地利用の変遷、生活・生業の視点等から、地域固有の 岳地区らしさと捉えることができる視点を次の5点に整理した。 1 背景の山林や集落と一体となった谷あいの棚田 岳の棚田は、妙見岳の西麓に位置し、谷あいに広がる。雲仙岳に水源を持つ河 川に沿って発達しており、地域固有の景観となっている。 2 いりくんだ地形を利用して築かれた棚田の石垣 棚田の石垣は、多くは付近の山麓の石を利用してつくられたもので、地形をた くみに利用し、谷あいのいりくんだ傾斜地の山肌に連続して張り付くように築か れている。 3 先人が築き、現在も利用されている水利システム 雲仙岳の水系から流れ込む水は水路により棚田へ配水している。地下式水路「暗 渠」が築かれた所もみられる。取水に関する工夫などが多く見られる。 4 棚田の営農を支えてきた生活の場としての集落 棚田の間に集落が存在し、棚田と周囲の里山と一体となって景観を形成してい る。家屋や納屋が石垣の上に建てられているなどの特徴がみられる。 5 稲作や水にまつわる文化・信仰を伝える有形・無形の諸要素 水分神社や集落内の所々に存在する水神様など棚田を中心とした生活や信仰の 象徴となるものは、地域住民にとって特別な意味を持つ場所として多様な景観を 形成している。 7-1-2.保存管理の視点(案) ●営農を支える生産環境の保全・改善・創出 棚田での営農を継続しうる生産環境を維持するとともに、農業形態の変化や発展に 伴う環境の改善や土地の形質の保全等を行っていく。 ●棚田としての造成基盤、土地利用の維持 谷あいの傾斜地に沿って耕作地が連なる地形的特徴を維持するとともに、棚田や背 景の山林等を含む現有の土地利用をできる限り継承し、棚田としての造成基盤を守る。 ●棚田景観を維持するための修景・修復 老朽や災害等による破損に対する措置、或いは景観阻害する要因の改善などを営農 環境と景観保全の2つの視点に立ち、修景や修復の技術的検討と実現化の仕組みづく りを行う。 ●現状変更、開発行為に対する誘導・制御(コントロール) 土地利用の現状変更や開発行為、建築物の建て替え等に対しては、景観保全の視点 から、できる限りの誘導や制御(コントロール)を行う。 ●地域主体で取り組んでいく体制の整備 景観保全の管理・運営の手段として、景観の保全方策や農地の活用方策等を地域自 らの力で検討し、継続可能な体制を築く。 144 7-2.文化的景観と捉える区域について ○文化的景観と捉える区域→ 上岳区・下岳区及び雲仙岳に連なる周囲の山林 ・岳地区の生業を反映する棚田の景観を構成する様々な要素について、文化的景観として 包括的に捉えるため、本計画においては、山林、棚田、集落までを含めた雲仙岳から棚 田の広がる場所までの一体を文化的景観の区域として設定する。 ・具体的には、地形的特徴による一定のまとまりや水系、水利のしくみ、或いは耕作地の 所有形態及び行政単位としての区や字との関係を考慮し、文化的景観として捉え、保存 管理計画の対象範囲として調査、検討を行う範囲を下図の範囲と想定する。 【範囲を設定する視点】 (1)上岳、下岳としての行政区の範囲 (2)棚田地域から視認できる山林の範囲 これらを鑑みて範囲を設定 (3)棚田に水を供給している分水嶺の範囲 周囲の山林(国有林、私有林) 棚田が広がる範 水源としての流域 文化的景観として捉える範囲(案) 水源としての鴛鴦ノ池 145 7-3.重要な構成要素について 岳の棚田における文化的景観における景観を構成する要素は以下の通りである。また、その うち重要な構成要素として捉えるものは赤枠で囲んだものである。 土地 構成要素 保存管理に向けての考え方 利用 水田 畑地 棚田 石垣 農道 畦畔 景観の核となる要素で、地形形状そのものが棚 田の景観特性となり、固有の風土的特色を現し ている。 段高は平均して3~5m 程度、主に野面積みが用 いられる。 棚田としての形状が 傾斜地での営農を支える基盤。 残された農地は、水 耐久性や維持管理の面からコンクリート化が進 田、畑地、ハナシバ 農地(棚田) む。 用水路、暗渠 棚田に水を供給するための設備で、先人の知恵 湧水 が継承されているものである。 耕作放棄地・休耕地 河川 営農条件の悪さ等の原因により営農の継続が困 として位置づける。 安定した水量のある小河川や湧水から流れ出る 沢水などがある。 県道、町道、農林道。 電柱・電線 集落へ電気を送るために設置されている。 集落との距離が長く、農具や肥料を補完する小 屋が点在する。 案内サイン 棚田や地区を案内するサイン看板のあり方。 住居、納屋、石垣 棚田と住宅が共存する。一般民家が大半だが、 事業所 数軒、古い石垣を残した住宅がある。 畑地 め、重要な構成要素 難になった農地。 道路 作業小屋 等の転作農地を含 自家消費用の作物栽培や園芸作物などの農地で 集落 ある。 水源池 道路(県道、市道) 地区内の生活道路として利用される集落内の幹 小路(その他) 線道路及び集落道路が通る。 電柱、電線 集落へ電気を送るために設置されている。 案内看板 棚田や展望地を案内するサイン看板のあり方。 信仰に関る施設 水分神社などの信仰施設。水神様、ほこら等 溜池、ダム湖 棚田の水源となっている鴛鴦ノ池など。 地区内の巨木は古く から地域に親しまれ、 山林 地区内の生活道路として利用される集落内の幹 かつ景観としても特 線道路及び集落道路が通る。 徴になっているため、 電柱、電線 集落へ電気を送るために設置されている。 重要な景観要素とし 背景の山林 国有林、私有林からなる山麓の森林である。 て位置づける。 特徴的な樹木等 西山神社のオガタマノキ等の巨木 林道・農道 山林の中を道が通る。 道路 河川・砂防 河川には護岸、砂防ダムなどの構造物が存在す る。 146 (資料) 検討体制 雲仙市文化的景観調査委員会 (平成 19~20 年度) 役名 委員長 氏名 五十嵐 所属 勉 佐賀大学 農学部 調査内容 生物環境学科 准教授 棚田の構成・営農 委員 服部 英雄 九州大学 大学院比較社会文化研究院 〃 包清 博之 九州大学 大学院芸術工学研究院 〃 長岡 信治 長崎大学 教育学部 〃 大森 洋子 久留米工業大学 建築設備工学部 〃 宮崎 正隆 長崎県生物学会 委員 〃 城臺 好文 千々石町郷土史研究会 〃 宮本 武壽 上岳地区自治会長 地元代表 〃 山口 幸春 下岳地区自治会会長 地元代表 〃 山本 哲郎 岳棚田プロジェクト 21 会長 地元活動団体代表 指導 アドバイザー 事務局 プロジェクト チーム 委託 コンサルタント 教授 教授 歴史・民俗 集落と景観構成 教授 地形・地質・水利 教授 構築物・地域社会 植生 会長 氏名 歴史・民俗 所属 井上 典子 文化庁記念物課文化財調査官 伊藤 修一 長崎県教育庁学芸文化課指導主事 氏名 所属 川鍋 嘉則 雲仙市 教育委員会 生涯学習課長 (平成 20 年 4 月から) 和田 実 雲仙市 教育委員会 生涯学習課長 (平成 20 年 3 月まで) 田中 卓郎 雲仙市 教育委員会 文化財班係長 (平成 20 年 4 月から) 柴崎 孝光 雲仙市 教育委員会 文化財班係長 (平成 20 年 3 月まで) 徳永 真幸 雲仙市 教育委員会 文化財班主査 氏名 所属 渡辺ゆかり 雲仙市 政策企画課主査 柴田 英知 雲仙市 観光物産まちづくり推進課主事(観光担当) 上田 泰秀 雲仙市 観光物産まちづくり推進課課長補佐(まちづくり担当) 江口 秀司 雲仙市 農林水産課課長補佐 吉崎 誠 雲仙市 農漁村整備課課長補佐 松下 隆 雲仙市 千々石総合支所係長(産業建設課) 氏名 所属 徳永 哲 株式会社エスティ環境設計研究所 木藤 亮太 株式会社エスティ環境設計研究所 森口 貴文 株式会社エスティ環境設計研究所 147 所長 調査においては、上岳、下岳地区およびその周辺地域の住民のみなさま、また調査協力者の 方々に多大なご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。 調査協力者(敬称略) 調査の様子 氏名 所属 森永 久祥 佐賀大学 農学部 生物環境科学科 首藤 和音 佐賀大学 農学部 生物環境科学科 清澤 直美 佐賀大学 農学部 生物環境科学科 斎藤 嘉宏 佐賀大学 農学部 生物環境科学科 柴田 二朗 佐賀大学 農学部 生物環境科学科 八谷友紀子 佐賀大学 農学部 生物環境科学科 貴田 潔 九州大学 大学院比較社会文化研究院 舛岡 翔 九州大学 大学院比較社会文化研究院 大島 健司 九州大学 大学院比較社会文化研究院 畑山 朋美 九州大学 大学院比較社会文化研究院 青野 亮一 九州大学 大学院比較社会文化研究院 栗原 なお 九州大学 大学院芸術工学研究院 張 俏男 九州大学 大学院芸術工学研究院 石田 直也 九州大学 大学院芸術工学研究院 豊崎 修平 九州大学 大学院芸術工学研究院 通 拉嘎 九州大学 大学院芸術工学研究院 岡本慎太郎 九州大学 大学院芸術工学研究院 坂口 真崇 九州大学 大学院芸術工学研究院 陳 嵐 九州大学 大学院芸術工学研究院 宮原 敏樹 九州大学 大学院芸術工学研究院 劉 巧琬 九州大学 芸術工学部 環境設計学科 中之丸諭志 久留米工業大学 建築設備工学科 竹内 恒平 久留米工業大学 建築設備工学科 持田 宏之 久留米工業大学 建築設備工学科 竹内 洋平 久留米工業大学 建築設備工学科 堀 弘 久留米工業大学 建築設備工学科 内山 徹 久留米工業大学 建築設備工学科 石丸裕佳子 久留米工業大学 建築設備工学科 大森 久司 大森設計室 土橋 潤二 長崎大学 教育学部 荒木 忠厚 長崎大学 教育学部 宮崎ミチ子 宮崎委員の奥様 山口 長崎大学 知子 148 雲仙市文化的景観調査委員会の経過 第 1 回委員会 (平成 19 年 8 月 30 日(木) 14:00~17:00) 雲仙市千々石総合支所 3 階中会議室 ・事業計画説明(教育委員会) ・調査内容について ・調査体制について ・その他 第 2 回委員会 (平成 19 年 12 月 14 日(金) 13:30~16:30) 雲仙市千々石総合支所 3 階中会議室 ・調査の経過報告 ・今後の調査の課題について ・その他 ・指導助言(文化庁井上調査官) 第 3 回委員会 (平成 20 年 2 月 22 日(金) 13:30~16:30) 雲仙市千々石総合支所 3 階中会議室 ・調査の経過報告 ・今後の調査の課題について ・その他 ・指導助言(文化庁井上調査官) 第 4 回委員会 (平成 20 年 7 月 9 日(水) 13:30~16:30) 雲仙市千々石総合支所 3 階中会議室 ・今年度調査内容の報告 ・今後の予定(景観計画、文化的景観保存管理計画について) ・蕨野の棚田における事例紹介 第 5 回委員会 (平成 20 年 12 月 5 日(金) 13:30~16:30) 雲仙市千々石総合支所 3 階大会議室 ・調査報告 ・保存計画策定に向けた検討案について ・今までの経過と今後のスケジュール(案)について ・文化的景観の本質的価値の捉え方(案)について ・文化的景観と捉える区域(案)について ・重要な構成要素(案)について 149 雲仙市文化的景観調査委員会設置要綱 (名 称 ) 第 1 条 こ の 会 は 、 雲 仙 市 文 化 的 景 観 調 査 委 員 会 (以 下 「 委 員 会 」 と い う 。 )と 称する。 (目 的 ) 第2条 委員会は、雲仙市の文化的景観の価値を把握し、その保存活用につい て調査・検討する。 (事 業 ) 第 3 条 委 員 会 は 、前 条 の 目 的 を 達 成 す る た め に 次 に 掲 げ る こ と に つ い て 調 査 、 検討を行う。 (1) 「 歴 史 」 の 側 面 生 業 ・ 生 活 ( 土 地 利 用 ) 及 び 風 土 の 歴 史 的 変遷等について調査・検討する。 (2) 「 自 然 」 の 側 面 地 形 ・ 地 質 ・ 生 息 生 物 ・ 生 態 系 な ど 自 然 的 環 境 等 に つ い て調査・検討する。 (3) 「 生 業 又 は 産 業 ・ 生 活 」の 側 面 現 在 の 生 業 又 は 産 業 ・ 生 活 等 に つ い て 調 査・検討する。 (4) そ の 他 、 文 化 的 景 観 の 保 存 と 活 用 に 関 す る 資 料 の 収 集 と 保 存 を 行 う 。 (委 員 会 の 組 織 ) 第 4 条 委 員 会 の 委 員 は 、 10 名 以 内 で 構 成 す る 。 2 委員会に特別な事項を検討する必要があるときは、臨時委員を置くことが できる。 3 委 員 は 、次 に 掲 げ る 者 の う ち か ら 、雲 仙 市 教 育 委 員 会( 以 下「 教 育 委 員 会 」 という。)が委嘱する。 (1) 学 識 経 験 者 (2) 地 元 関 係 者 (3) そ の 他 教 育 委 員 会 が 認 め た 者 (委 員 等 の 任 期 ) 第5条 委員会の委員の任期は、文化的景観調査が終了するまでとする。 (委 員 ) 第6条 委員会に次の役員を置く。 (1) 委 員 長 1名 (2) 副 委 員 長 1 名 (役 員 の 職 務 ) 第7条 委員長は、委員会を代表し、会務を総括する。 2 副委員長は委員長を補佐し、委員長に事故があるとき、又は委員長が欠け たときは、その職務を代理する。 (委 員 会 の 招 集 ) 第8条 委員会は、必要に応じて委員長が招集する。 (委 員 会 の 庶 務 ) 第9条 委員会の庶務は、教育委員会生涯学習課において行うものとする。 (補 則 ) 第 10 条 こ の 要 綱 に 定 め る も の の ほ か 、委 員 会 の 運 営 に 関 し 必 要 な 事 項 は 、委 員長が別に定める。 附 則 この要綱は、公布の日から施行する。 150
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