21 世紀に聖書を読む~「テモテへの手紙第1」シリーズ 20~ 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。アダムが初めに造られ、次にエバが造ら れたからです。また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。 (12 節~14 節) 女性が静かにすることは、創造の秩序か? 混乱を極めるエペソの教会で、男性も女性もすべての人が、すべての人のために祈る、敬虔で、尊敬を勝ち取るあり方へと導くた めに、パウロがどのような指示を出しているかということを、詳しく学んでいます。前回は、女性が教えることが一時的に禁じられ ているということを学びました。そのときに、学びが不足している状態が問題であると述べました。 しかし、読み進めるとパウロは「アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです」と言っています。これが直接の理由であ るとすれば、それは創造されたときに神様が定めた秩序に基づくので、普遍的な定めではないか、という疑問が生まれるかもしれま せん。そして 14 節をひいて「女は惑わされやすい」ということが引き合いに出されると、女性はそもそも聖書を読み誤るものだとい うようなことが言い出されてしまうのです。 「男を支配する」ことと女神信仰 しかし、やはりここでも文脈を丁寧に調べていく必要があります。その際、12 節の「男を支配したりする」という部分に注目しま しょう。この「支配する」という言葉は、全聖書中、ここだけで用いられるものです。「支配する」という表現は、他にもいくつか の単語がありますので、パウロはわざわざこの言葉を使った理由を考えなくてはなりません。この言葉は、ほとんど同じ形で、エジ プトの古い文書に出てきます。すなわち、これは聖書の外側にあった言い慣わしにパウロは言及しているのです。どんな言い習わし かというと、女性が男性の権威や知恵の授与者であるというものです。 エペソだけではなく、エジプトにも女神信仰がありました。イシスという女神です。この女神は、権力や支配をつかさどる神とし て崇められていました。そしてこの女神はギリシャ世界では美の女神アフロディテと同一視されたのです。エペソにはアフロディテ 神殿はありませんが、エペソから 150 キロほど離れたところには、その名もアフロディシアスという町があり、アフロディテ神殿が あったのです。エペソはこのあたりの中心地ですから、当然人の行き来、そして宗教の行き来があったわけです。グノーシスという 教えが、こういった数々の神話的な信仰をキリスト教に統合しようとしていたとすれば、女性たちの中に、アルテミス派とアフロデ ィテ派のような派閥ができてもおかしくはありません。ギリシャ神話の世界ではこの二人の女神は仲の悪い関係にあります。そうす ると、どちらが上かというような言い争いがなされていたとしても不思議ではありません。そして、アフロディテのように、男性に 権威を与え、男性に指示を出す女性たちがいたということもすぐに目に浮かびます。これをパウロが見過ごすはずはありません。そ ういう背景ですから、ここでパウロが禁じていることは、女神のような振る舞いという流れの中でのことだと理解できます。 正しい聖書の筋が解決する 12 節のギリシャ語は、「女性が教えるということを私は目下のところ許可しません。まして、男性の支配者になるということ は。」という流れになっています。そして、アダムとエバの話になるのです。ここでエバがギリシャの女神と結びついていたという ことは容易に想像できるでしょう。偽教師たちは、エバがアダムに権威と知恵を与えたという偽りの物語を吹聴し、女性が女神のよ うに振舞うことを肯定していたのです。こういう事態に対して、パウロは正しい聖書の物語の筋をもって応えているのです。ですか ら、この最初のパターンがすべての女性に適用する意図はパウロにありません。エバは知恵をもたらしたのではなく、悪知恵を、堕 落をもたらしたのだから、偽教師の言うような、知恵の授与者であるはずはない、というのがポイントになるのです。 今でこそ、聖書を一人一冊持てる時代。何かあればすぐに聖書を紐解ける時代ですが、この当時は、書かれた書物は教会に一冊あ ればよいほうでした。ほとんどユダヤ人クリスチャンの記憶が頼り。けれどもエペソで中心的に教えていたのはおそらく異邦人の信 者です。混乱したとしても不思議はありません。この箇所から、聖書をしっかり読むことの大切さ、尊さを改めて教えられるので す。 C ○ Masayuki Hara 2015
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