18 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 l 北太平洋における鮭鱒の再生産じ関するソ遠の鋭 I :E ワレンツ海域に極東産鮭類を風 土馴化させる仕事について 中央生産風土岡1 1 化ステーシヨン技師長 エム・エス・ラーザ、レプ 聞 1 11 1 9 3 3年から 1 9 3 9年にかけて,自海及び 村山久郎訳 山… 1 川H 川 叩目 1111 来た。 乙極東産の鮭類を風土 ワレンツ海の海域 i 風土馴化が成功するか否かはこの新し 周1化させる仕事が行われた。オネガ Mの い種類の魚を定化させる水槽の必要欠く オ不ジスキー養魚場にアムールれJ l から夏 べからざる生態学上の諸条件が備わって いるかに懸っているのである。鮭類が風 鮭の魚卵が 8 2 7万 5千 筒 輸 送 さ れ て 来 た。タコラ Mのタイポリスキー養魚よきおこ i 土馴化するに都合の良い主な条 f l ニの中の 3 3万 9千 筒 の 魚 卵 が 輸 送 さ れ て 来 は2 ?こ。しかし人工併化によってオネジスキ ー養魚場では 6 明 万 1千)もタイポリス 一つはえんぶりお()凶)が発注する 1寺 期 の水温である。 キー養魚場では 2 1 2万 9千品の卵黄嚢を 場の養魚家ブェー・アー・ボダーロプは J [ ぶらさげた稚魚が山たにも拘わらず鮭'f 1 9 4 8から 1 9 5 1年にかけて人工僻化の際 l 己 負t の卵が死滅する原因を解明する研究を して来た。すなわちカールブーシヤ(樺太 の風土問1化について ( " J浮f 催予 7 こる結果を 件ることがなかった。 外国文;献によれば,アメリカの r~ 魚矧 保護 ) jで極東 1 去最l'紛の風土矧1化の試みが 実施されたことが I 1 ) Jらかである。 ( 1 9 3 7 1二にダビドソン氏及びハッチンスン L ( ;に よって)すなわちカルホルニア及びアラ Aをハワイタ I ] ) : ! jタ スカのinJ川より鮭のがW スマニア品,ニュージーランド 11~?j ,チリ i 除 ) , . : 1 毒 魚l 々場のプガチョウスキー養魚 , 鱒)の人工ー附化は好結果を得るに [jし I I l jじ条件の下で自主の卵が死滅するという 理由を角平明することである。 j u Jから人工作?化場に入って来る水の温 度が 0 . 20迄 下 っ て い る こ と が 解 明 さ れ た。このような i 品皮ドではガルブーシヤ の卵の人工附化は正常に行われるが,東: 1 ー,アルゼンチン,北アメリヵ ~t 7'tん英 の卵は死滅するのである。下 r i 己の表は 国,アイルランド,独逸,伊太干 J I,芥 l 鏑 1 9 4 8年から 1 9 5 1年にかけての鮭の卵の人 1 i J 川I 乙放流した c のi 工瞬、化の結果である。このことは産卵期l 紅鮭の風土馴化の確子たる結果はニュ ージランド,チリーの北部及びアメリカ の白然条件 によって確認される。 の五大湖地│乏の河川のみに見ることがけ l 鮭(ケター)はより温い河床の水が流れ A ガルブーシヤは砂洲で産卵するが,白 19 出る場処で産卵をするのである。ソ同盟 の欧洲地区の北部の河川,特にムルマン スク州の河川は貴重な企業魚類に乏ぼし いのであるが,鮭類にとっては絶好の産 卵場処である。コラ半島の河川でもっと も貴重な企業魚、はシヨムガ(鮭 salmo s a l a r ) である。しかしシヨムガは砂州 で、産卵をしない。このために産卵場処の ζ とからシヨムガ(鮭)とガルプーシヤ (樺太鱒〕が競争することを心配する必 要はない。またガルプーシヤとシヨムガ の幼魚が栄養のことで競合をすることも 河様にない,何故ならシヨムカ、の幼魚、は 河に三年間留っているに反し,ガルプー シヤの幼魚は河床から生れると直ちにいI 口から海域に流下して行くのである。 1932年から 1939年にかけて,鮭炉、の風 土馴化の試みに際して見逃がされた誤謬 や極東産の鮭類の生態学上の要求を検討 し,中央生産風土馴化ステーシヨンは, ケターの卵でなく,ガルプーシヤの卵を, o rからで またアムール河のような大きな i なく,その水学体系が多くの点でコラ 半島の河川と似ている樺太の小川)けか ら輸送して来ることに決したのである 0 1 9 5 6年の魚卵の輸送方法は 1932年 か ら 1 9 3 9年にかけてのそれと異っている。 1 9 3 2年から 1939年には魚卵を活滋に動く えんぷりおの状態でしかも稚魚になる間 際のものを枠の中に入れて1.5の層で輸 956年にはガルプーシヤの卵 送したが, 1 を眼が色素沈着した段階で 3.5センチの 厚みの層に積み重ねて輸送した。魚卵は 樺太からムルマンスク迄 6昼復かかって 輸送される。試験用に,ケターの卵を受 0センチの層をなして函につめ 精後すぐ 3 た。輸送問に魚、卵のすたれは 28%に達し T こ。すたれの理由は魚卵を受精後すぐ輸 送したからでなく,魚卵と容器の蓋の間 に空間がすいており,そのため魚卵が自 由に位置を変へ,振動するに当って損失 fることから起きるのである。 を蒙 t 表面の魚卵のみがすたれを生じ,下の )留によりぎっしりと詰っているがすたれ は少ないのである。 樺太ではこのような容器で魚、卵を養魚 場から他の地区の養魚、場へ輸送するに際 し,上 l i己の結果を生んでいる。 人工併化の場合,ケターの卵は全部死 滅した。 樺太からカかルプーシヤ(樺太鱒)の卵 を二組飛行機で輸送した。一組の魚卵は 冷却!と湿気を与えるため氷をつめて送っ た。すなわち輸送時において空気の泊度 放にである。今一つの組は, 1 0月 が高い l の末に,空気温度が航程零度以下の時 l 乙 行われた。航程中は航空機に温房をする ので,機内の空機は乾燥する。この故に 乙 晩l 乙2j l : ij ,容器に 1 1'JI0.5立注 魚、卵 l 水してやらなければならなかった。また 魚卵を入れる上部の枠には,湿った綿で 956年度にタイポリスキ おおっていた。 1 ー養魚、場からガルプーシヤのJ31jを 4 03万 7千箇を輸送した。 魚、卵の損耗は輸送Ir i ーを稚魚発生迄全部 で 7%にしかすぎない。黄嚢をつけた稚 魚を障接河に 320万尾を放流している。 最初の組のガルプーシヤの稚魚、は 5月に 放流をしたし,次の組のは 6月 l 乙放流し た 。 7月末には稚魚、は 8センチの大きさ になってコラ河の河口で釣れることがあ る 。 A │人工勝化に使!魚卵損│水 温 年次!った魚卵の数民両富市町キ百 │ 1 9 4 81 1 9 4 91 1 9 5 i1 単位千尾 6 2 19 8 . 6 1 0 . 2 ; 2 . 4 1 1 .3 7 0 : 8 9 . 1 ! 0 . 3 2 . 8 ! 1 .5 2 5 11~í00|0.21 1.610.9 ( 19 5 9 .7 . 14訳 〕
© Copyright 2024 Paperzz