文学 - Culture.pl

傑作は(もう)待ち望まない――1989 年以後のポーラン
ド文学
1989 年以後のポーランド文学を一瞥するとただちに、それが、長い長い年月を経て
初めて、思想的課題からも政治的課題からも解放されていることがわかる。では、
それによってポーランド文学はより普遍的になっただろうか?
やがて過ぎ去ろう
としている最近四半世紀間に、文学に起こったことを振り返ってみよう。
詩
ポーランドにおいて、詩と詩人は常に格別の尊敬を享受してきた。最後の大詩人た
ちがこの世を去り、新しい詩は多種多彩ではあっても読者との対話という課題を主
たる目標にはしていないように見える今日、状況に変わりはないのか?
2012 年に、最も著名で、20 世紀と 21 世紀の境目に最も盛んに翻訳されたポーラン
ド詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska)が死去したことは、世
代間のリレーに変化が起こったことをこのうえなくはっきりと示す。シンボルスカ
――そして、チェスワフ・ミウォシュ(Czesław Miłosz)――からのバトンを受け
取 る 準 備 が で き て い る の は 、 間 違 い な く ア ダ ム ・ ザ ガ イ ェ フ ス キ ( Adam
Zagajewski)だろう。彼は、何年も前から、ノーベル文学賞候補に挙げられている、
擬古典的で明晰で、アポロン的な詩を代表する彼は、偉大な先行者たちと同じ領域
で創作活動を行っている。
同じ世代、同じ価値観の世界に――形式となると話は別だが――属する詩人として
挙げるべきは、タデウシュ・ルジェヴィチ(Tadeusz Różewicz)である。大きな尊
敬を受け、人気がある(詩集『母の死』)。最小限まで削った簡素な言葉を操る名
手であり、かつてはニヒリストと呼ばれたこともある。その妥協を知らない創作は、
ホロコーストと戦争と 20 世紀における文化の非人間化と格闘している。この世代で
同じく重要なのは、2 人の女性詩人、内密で個人的な詩を書くユリア・ハルトヴィ
グ(Julia Hartwig)とクルィスティナ・ミウォベンツカ(Krystyna Miłobędzka)だ
ろう。
1990 年代にポーランド詩世界の方向性を定めた「ブルリオン〔Brulion、帳面〕」世
代が分裂した後、今日の詩の世界の風景は混沌としてはいるものの、興味深い様相
1
を呈している。より若い作家に影響を与えている詩人の中では、ボフダン・ザドゥ
ラ(Bohdan Zadura、詩的話法の弛緩は彼の功績とされる)、ピョトル・ソンメル
(Piotr Sommer、ポーランドにアメリカ詩のモデル、例えばフランク・オハラ主義
〔現実観察を基にした口語詩〕を移植した)、アンジェイ・ソスノフスキ(Andrzej
Sosnowski、最も前衛的で、閉鎖的で――逆説的にも、影響力が大きく、目立つ
――ポーランド語詩人)の名を挙げるべきだろう。我が道を行く――流派も模倣者
もなしに――のは、相変わらず極めて頑固一徹の創作を続けるマルチン・シフィェ
ト リ ツ キ ( Marcin Świetlicki ) と エ ウ ゲ ニ ュ シ ュ ・ ト ゥ カ チ シ ン = デ ィ ツ キ
(Eugeniusz Tkaczyszyn-Dycki)だ。後者の詩は、近年のポーランド詩における最
大の事件で、大方の読者層に発見されたのは遅い(彼の『さまざまな相関性と依存
性の歌』がニケ賞とグディニャ賞を受賞したのは、2009 年)。室内楽のような詩、
難解でそれ故にあまり大衆受けのしない詩人は、ルィシャルド・クルィニツキ
(Ryszard Krynicki)とエヴァ・リプスカ(Ewa Lipska)だ。
今日最も重要な若手詩人は、トマシュ・ルジツキ(Tomasz Różycki)、タデウシ
ュ ・ ド ン ブ ロ フ ス キ ( Tadeusz Dąbrowski ) 、 ア ダ ム ・ ヴ ィ デ マ ン ( Adam
Wiedemann)、ヨアンナ・ミュレル(Joanna Mueller)、マルタ・ポドグルニク
(Marta Podgórnik)、ロマン・ホネト(Roman Honet)だろう。より年少の詩人の
うち、特筆すべきは、コンラド・グラ(Konrad Góra)、シュチェパン・コプィト
(Szczepan Kopyt)、グジェゴシュ・クフャトコフスキ(Grzegorz Kwiatkowski)
だ。
こうした人名一覧に付け加えて記しておくべきは、ヴロツワフにある出版社ビュ
ロ・リテラツキェ(Biuro Literackie、文学事務所)のめざましい出版活動だ――こ
の版元は、10 年前に設立され、詩集出版を専門にし、国内読書界への詩の普及に成
功を収めている。
フィクション
ポーランド散文が抱える問題は、もはや伝統といっていい――それはミウォシュが
提起した批判、すなわちポーランド文学がスタンダール、バルザック、トルストイ、
ドストエフスキーに比肩する傑作を産出するような、リアリズムの伝統を作りださ
なかったというものだが、この問題は、最近 25 周年にも当てはまる。誰一人そのよ
うな傑作が生まれるとの幻想を抱かなくなった現在、偉大な長編小説を持たないポ
2
ーランドにおいて、どのような価値ある作品が誕生したのか、検討して然るべきだ
ろう。
スローガン
体制転換後最初の 10 年間は、「小さな祖国(故郷)」という 標 語 の下に過ぎ去っ
た。その特徴は、ほぼ伝統的な語り口である。パヴェウ・ヒュレ(Paweł Huelle、
『ヴァイゼル・ダヴィデク』1987 年)、ステファン・フフィン(Stefan Chwin、
『ハネマン』1995 年)(二人ともグダンスク出身)、ヴィェスワフ・ムィシリフス
キ(Wiesław Myśliwski、『展望』1997 年)である。彼らとさほど遠くなく、地方と
故郷としての中欧の主題――ただし、歴史的・思想的文脈抜きで――を扱う場所に
位置するのが、アンジェイ・スタシュク(Andrzej Stasiuk)とオルガ・トカルチュ
ク(Olga Tokarczuk、魔術的リアリズムのポーランド版)である。体制転換直後 10
年間の読書界の最重要事件は、もしかしたら、イェジ・ピルフ(Jerzy Pilch)の長
篇小説『度数の強い天使の下で』(2000 年)だったかもしれない。アルコール依存
症の男と愛の救済力についての物語は、絶大な人気を獲得し、13 年後に映画化され
た(ヴォイチェフ・スマジョフスキ監督『天使』は 2014 年初めに、封切りの予定)。
万人が待ち望んでいたのとは違う作品だったかもしれないが、とにもかくにも「大
小説」が生まれたのは 2002 年だった。タイトルは『白と赤の旗の下でのポーラン
ド・ロシア戦争』、作者のドロタ・マスウォフスカ(Dorota Masłowska)は小説が
出版されたとき、19 歳だった。『戦争』の登場は、1989 年以後のポーランド文学
界最大の出来事だった。マルチン・シフィェトリツキは、「これほど面白い作品を
読むためだけでも、40 年生きてきたかいがあった」とまで語った。ポーランド最初
のジャージー小説と喧伝された本書は、言語的な新しさで衝撃を与え、ベストセラ
ーになった――批評家も読者も同じ意見を共有した。その後のマスウォフスカの創
作は、彼女の非凡な才能と言語を聞き分ける聴覚の確かさを証明した。読者の期待
をかなえただけでなく、たえず驚かせつづけたのである――『戦争』後、ヒップホ
ップの決まり文句を使って書かれた『王女の吐瀉物』(2006 年ニケ賞)を刊行し、
その後は戯曲に転じた(『ポーランド語を話す二人の貧しいルーマニア人』〔2006
年〕と『わたしたちの間はうまくいっている』〔2008 年〕)。近年は長編小説に回
帰した――『あなた、私うちの猫を殺しちゃった』(2012 年)。
マスウォフスカのデビュー作は、言語的な正しさの境界線を引き直し、芸術的なハ
ードルをまったく別の高さに設定し、ポーランド文学の新しい節目を成した。『戦
争』は多くの興味深いデビュー作品と新しい発言への道を開き、それらは文学の主
3
題領域を本質的に広げた。そのうち最も重要なのは、ヴォイチェフ・クチョク
(Wojciech Kuczok)の『糞/クソ』(2003)(精神症的な家庭で育った少年につ
いての衝撃的な物語)、ミハウ・ヴィトコフスキ(Michał Witkowski)の『ルビェヴ
ォ』(2004)(「オネエ生活に素材した冒険風俗小説」)、ヤツェク・デフネル
(Jacek Dehnel)の『ララ』(2006)(20 世紀史を背景に、孫が物語る祖母の物
語)、そしてスィルヴィア・フトニク(Sylwia Hutnik)の『女性のためのポケット
版地図帳』(2008)(大都市の安定した生活から排除された女たちの物語)である。
もう一つ付け加えるべきは、ヤクッブ・ジュルチック(Jakub Żulczyk)の『ラジ
オ・アルマゲドン』(2008)だ。これは、文学者において十分に代弁されたことの
ない、最も若い世代を記述する試みである。
ノン・フィクション
ポーランド産フィクションにおけるリアリズムの供給不足は、ルポが占める高い地
位と水準によって説明され得るのかもしれない。特に近年、ポーランドのルポ文学
は輸出品目となったが、その伝統はもっと古い。代名詞的存在は、『皇帝』と
シ ャ ヒ ン シ ャ フ
『王のなかの王』の作者ルィシャルト・カプシチンスキ(Ryszard Kapuściński)で、
彼は 1990 年代に、話題作『帝国』(1993)『黒檀』(1998)『ヘロドトスとの旅』
(2004)を刊行した。カプシチンスキの国内における地位を証明するのは、作家の
死後数年を経て出版された、アルトゥル・ドモスワフスキ(Artur Domosławski)
(ちなみに、彼もまたルポライターだ)著の作家伝が、スキャンダルを引き起こし
たことだろう――ルポ文学のテキストに許容される虚構化の限界をめぐる問いを提
起し、公的人物のプライバシー権をめぐる議論を引き起こした。この本は、ポーラ
ンドにしては膨大な数である、13 万部を売り尽くした。
カプシチニスキは、外国――とても遠い、またはさほど遠くない――についてのル
ポを書く作家たちのパトロンと呼んでよい。そのうち最も重要な作家として名を挙
げるべきは、アフリカを記述するヴォイチェフ・トフマン(Wojciech Tochman、
『今日、私たちは死を絵に描く』 )とヴォイチェフ・ヤギェルスキ(Wojciech
Jagielski、『夜の放浪者たち』)、ロシアについて書くヤツェク・フゴ=バデル
(Jacek Hugo-Bader、『白い熱病』)、チェコをテーマにするマリウシュ・シュチ
ギェル(Mariusz Szczygieł、 『ゴットランド』)、トルコを描くヴィトルド・シャ
ブウォフスキ(Witold Szabłowski、『杏の街から来た殺人者』)、アジアと南アメ
リカが専門のアンジェイ・ムシニスキ(Andrzej Muszyński、『南』)、最近の作家
4
としては、フェロー諸島とピトケアン諸島を取り上げるマルチン・ヴァシレフスキ
(Marcin Wasielewski、 『81:1』『女王の船が到着するとき』)である。彼らの
著者はしばしば翻訳刊行されている。
国内ルポはポーランドの読者の間では今も人気があるが、外国でさほどの人気は期
待できないかもしれない。その先駆者は、『神さまより先に』や『そこにはもう川
は流れていない』の作者ハンナ・クラル(Hanna Krall)だ。現代ポーランドを記録
した最も優れた本として間違いなく特筆されるべきは、ヴォイチェフ・トフマン
(Wojciech Tochman)の『神様も感謝されることでしょう(有難う)』、リディ
ア・オスタウォフスカ(Lidia Ostałowska)の『さらに痛くなった』、ヴウォジミェ
シュ・ノヴァク(Włodzimierz Nowak)の『民族の心、停留所の近く』、マリウシ
ュ・シュチギェル(Mariusz Szczygieł)の『水曜に起こった日曜』で、これらは現
代ポーランドについての知識の宝庫となり得るものだ。
と同時に、ルポではないが、この四半世紀で最大の国民的論争を引き起こしたある
書物に言及すべきだろう。歴史家のヤン・トマシュ・グロス(Jan Tomasz Gross)
は『隣人たち』(2000)のなかで、イェドヴァブネという小都市でポーランド人が
ユダヤ人住民に対して行った犯罪行為の詳細を暴き出した。『隣人たち』の副産物
は、例えば、アンナ・ビコント(Anna Bikont)のルポ『イェドヴァブネ出身の私た
ち 』 で 、 本 書 は 大 評 判 を 呼 ん だ タ デ ウ シ ュ ・ ス ウ ォ ボ ジ ャ ネ ク ( Tadeusz
Słobodzianek)の戯曲『NASZA KLASA(ナシャ・クラサ)
私たちは共に学んだ』
――歴史の授業・全 14 課―― の原作となった。
著者:ミコワイ・グリンスキ
翻訳:久山 宏一
5