北京の人々の食文化の変遷

北京の人々の食文化の変遷
谷澤
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智也
はじめに
食べることは人として生きるために必要なことであるだけではなく,人に幸せを与えることである.
どのように幸せを感じるかは人それぞれであり,人によっては異国の味を知ることによって,あるい
は大人数で楽しく食べることによって感じるのではないだろうか.また食べるものあるいは食べるこ
とには,つまり料理や食事には,その土地の文化や習慣といったものが満ち溢れている.本稿では中
国の首都である北京に滞在して体験した食事を基に,中国とりわけ北京の食文化の変化について紹介
する.
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中華料理の文化
(1)中華料理の歴史
張(1997)によると中国の食文化ほど歴史が長く,また変化を遂げてきたものはないという.それ
は中国には多くの民族が共生してきたということが関わっているという.これらの民族がはげしく交
差・衝突し,また王朝の交代が頻繁に行われていた.つまりそれぞれの時代にそれぞれ違う民族が中
国大陸を支配していた.そうした変動が起こるたびに,辺境民族と漢民族とのあいだに文化の拡散と
吸収が繰り返された.そのなかで人々の生活様式が変わるのだから,料理も当然同じであったはずが
ないという.
具体的に言えば,中華料理はよく「四千年の歴史」といわれるが,四千年前の中国人が現在の「中
華料理」を食べていたかと問われると,答えは食べていないということになる.これは古典を読むこ
とによって証明されている.
「左伝」や「史記」などに酢豚,エビチリソース,青椒肉絲や餃子といっ
た今日の中華料理の定番を食べている古代中国人の記述は見当たらない.今日の定番料理が現れるよ
うになるのは宋代以降であり,それも少しずつ出てくる程度なので,一般庶民も口にするようになっ
たのはそれよりもずっとあとのことであったという.
(2)南甜北咸―南部と北部の違い
國學院大學日本文化研究所編(2004)によると中華料理は,食材の味付けに数多くの調味料が使用
され,それぞれの地域の独特な料理を作り出している.調味料の割合と調理法の変化が,各地の味付
けの特徴と伝統となり,次第に地域ごとの料理系統を形成することとなった.古くからの地域ごとの
料理を系統的なものとみなし,
「菜系」と呼ばれており,歴史の古いものとしては表 1 に挙がっている
四大菜系があったが,その後の発展により現在は八大菜系,十大菜系とも言われるほど,各地の料理
の特徴がますます発展してきたという.
南部と北部の味付けの違いを表す言葉として,「南甜北咸」がある.「甜」と「咸」は甘味と塩味の
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ことである.南部の味付けは塩を使ってあっさりした味にし,新鮮な魚介やみずみずしい野菜などの
食材の甘味を引き出す手法がよく使われる.すべてではないが,調理の際によく砂糖を少量入れるの
が,南部系料理の特徴の一つであるという.
「南甜」とは,すべての料理が甘い味というわけではなく,
一部の甘い味付けのほか,あっさりしている薄味の料理で,素材のうまみが甘い味わいを出している
ことをも指している.一方,
「北咸」といわれる北部料理の特徴として,食材に肉類が多く,味の濃厚
な料理が多い.漬物が多く料理に使われているし,一般の料理にも醤油や味噌を入れて調味するため,
味付けが濃いといわれている.これは気候が寒冷であるためであるとされている.実際に北京料理と
広東料理を食べ比べてみて,北京料理は日本人の我々からしたらだいぶ味付けが濃く食べづらかった
が,広東料理は割りと味が日本人向きであったといえるのではないだろうか.
表 1 中国四大料理の特徴
(出所)北京観光局より作成.
北京料理
本来"北京料理"という概念はなく,おもに黄河流域地方に発展したものと,宮廷料理の
流れが一体化して形成された.気候が寒冷地であるため油を使ったエネルギーの高い濃
特
徴
厚で装飾的な料理が多く,饅頭や麺など小麦粉を使った粉食が発展している.味付けの
特徴としては,鹹,甜,酸,辣の他に,五香,香糟,黄醤,麻醤,邪(香菜等の特殊刺
激性の味)の9種がベース.
代 表 的 料 理
上海料理
糖醋鯉魚,南煎丸子,栗子鶏
揚子江下流および東南沿海地方の料理.この区域は河川,湖沼,海浜等,地形に変化が
あり,人口も多く,料理の材料も豊富で料理が多彩.気候も温暖で豊富な産物に加え米
特
徴
の産地でもある.清代末期に諸外国の租借地となり,国際色豊かな大都市として東洋随
一の貿易港に発展していったと同時に料理も諸外国の人々の口に合うように工夫され
ていった.魚介類と農産物が豊富で,また,酒,しょうゆなどの醸造物が特産,淡白で
蒸し物,煮込み料理に特色がある.
代 表 的 料 理
広東料理
上海蟹,叫化鶏,松鼠魚,蛋焼売,東坡肉,魚頭濃湯,西湖醋魚
この地方は亜熱帯気候で農産物も豊富に収穫される.古くから対外貿易の中心地であっ
た為,外国の影響を受けた洋風食材が用いられている.「食在広州」と称される通り,
特
徴
料理は珍しく美味しい.味付けは"五滋六味"といわれ,五滋とは香,松,臭,肥,濃,
六味は,酸,甜,苦,鹹,辣,鮮を指す.他系の料理に比べ,手が込んでいて,どんな
料理でも主材料に下味をつける習わしがあり,薬味,調味料も種類も多い.
代 表 的 料 理
四川料理
清蒸鮮魚,叉焼肉,酢豚
中国全土のほぼ中央に位置する四川省は,長江(揚子江)四支流を持つ広大な盆地.多
特
徴
湿寒冷地帯な為,収穫できる農産物が限られ,同時に食品保存技術が必要となった為,
今の香辛料を多く使用した料理や乾物類や漬物が育った.味付けの特徴は,鹹,酸,辣,
甜,麻,苦,香の7味があり,辛さでは唐辛子と山椒の辛みが代表的.
代 表 的 料 理
麻婆豆腐,魚香肉糸(青椒肉絲),回鍋肉,四川火鍋,棒々鶏
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北京の伝統的な食文化
(1)北京料理の成立
北京料理のベースはおもに黄河流域地方に発展した山東料理である.そのためか昔から山東省出身
のコックが多いという. また北京は中国の首都として栄えていたため,中国各地から「我こそは……」
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という腕自慢の料理人達が北京にやってきた.その中でも特に優秀な料理人達が宮廷料理を完成させ
ていったのである.従って調理の技術は最も進んでいた筈である.北京料理と呼ばれる料理の多くは
このような極めて高級な料理から生まれてきたが,今日の北京料理はその宮廷料理そのものではなく,
それに北方料理が混ぜ合わされたものであるという.北方料理が入ってきたのには理由がある.北京
を首都とした王朝は明王朝を除けば,遼,金,元,清と,いずれも満州族や蒙古族の王朝であったた
め,都の料理とはいえ,北京料理はそれら北方民族の影響を強く受けたのである(北京観光局).
北京料理の特徴として,北京周辺では,米のご飯よりも麦や雑穀から作った麺類とか饅頭やギョウ
ザ(餃子)類を主食としており(南の方では米を主食としている),どちらかというと魚料理よりも
肉料理に特徴がある.北京は寒い地方なので,料理には油を多く使用しているし,味付けは比較的濃
く,ピーマンやニンニク,ショウガ,大葱,香草などの香りの強い材料が好んで使われる.味付けの
特徴は,鹹(塩辛い),甜(甘い),酸(酸っぱい),辣(辛い,特に唐辛子の辛さ),五香,香糟,黄
醤,麻醤,邪(香菜等の特殊刺激性の味)といった 9 種類の味がベースとなって存在している.
(2)満漢全席
宮廷料理の代表格として満漢全席がある.中野(1989)によると宴席料理として最も豪勢なものを
満漢全席(正式には満漢燕翅焼烤全席)という.この来因については,諸説がいくつかある.一つ目
は各地から献上された有名料理のうち,乾隆帝が百八品選定して組み合わせたもの.二つ目は「隋園
食単」にある満漢席と,
「調鼎集」の満席,漢席をもとに作り出したもの.三つ目は乾隆帝が南方巡視
のさい,揚州で出されたのが最初であるといった諸説がある.いずれにしても中華料理が乾隆帝のこ
ろ(在位 1736-1796)に飛躍的に発達をみせたといって間違いないと思われる.
また満漢全席の基本には薬膳がある.薬膳とは漢方薬を巧みに取り入れ,薬効を効果的に吸収する
ための料理である.この薬膳は北京料理だけでなく,中華料理全般の真髄にといえるもので,この薬
膳は医食同源という言葉のもと成り立っている.
大辞林によると,医食同源とは中国では古くから言われる言葉で,病気を治療するのも日常の食事
をするのも,ともに生命を養い健康を保つために欠くことができないもので,源は同じだという考え
だという.また中野(1989)医食同源の語源的根拠としては隋の楊上善が述べた「五穀,五畜,五菓,
五菜はこれを用いて飢えを満たすとき,これを食といい,それをもって病を療すとき,これを薬とい
う」言葉があるという.
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時代の変化による北京の食文化の変化
(1)伝統の衰退
東洋文化研究会(2005)によると,1980 年代以降,中国の食文化を衰退させる問題が出始めたとい
う.それは養殖の車えびの普及である.車えびの調理法としては素茹でにするか炒めるかでどの店も
似たり寄ったりであるのだが,ある四川料理の店が「辣子蝦」という料理を出した.これは骨ごと叩
いた鶏肉を大量の唐辛子と中国山椒で炒った重慶の名物料理である「辣子鶏」を応用したものである.
この料理を他の四川料理店も真似たが,問題なのは江南料理店で出されるようになっていることであ
る.江南料理は元来,唐辛子を主役に使う料理がひとつもなくマイルドな味が特徴であった料理であ
る.これはあくまで具体例のひとつであるが,今まで伝統的にその地域で受け継いできた料理を放棄
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するかのようにその地域に根づいていなかったものを採用するようになったことである.これはジャ
ンルを無視し,売れる料理,儲けの大きい料理を互いに探りいれていくためで,料理の境界線がだん
だん失われ始めている.それを表すかのように訪れた店でも,いくつか同じような料理を目にするこ
とがあった.
そしてそれは北京の代表料理である北京ダックも例外ではない.例えば北京ダックの元祖,
「全聚徳」
集団は,年間 200 万羽を売る最大手だが,食通の間では評判が落ちる一方だという.それは環境保護
政策の影響で,棗などの果樹木の入手が困難になったうえ,排煙規制も厳しくなり,ガス炉で焼くよ
うになったからだ.年間 500 万人の来客の大量消費に対応するには,手間,費用,時間を節約できる
ガス炉のほうが効率的でもある.つまり果樹木の燻し香は大量消費の前に北京ダックから逃げ出した
のである.
また調理法だけでなくダックと一緒に包む薬味にも変化が現れているという.これまでのネギやキ
ュウリだけでなく,カイワレ大根,にんにくのすりおろし,甘い味噌の味を好む人向けに砂糖といっ
たものまでが使われているという.これらは店側からすれば,市場経済を生き抜くためには消費者の
舌に迎合する以外選択肢がないということではあるが,このようなことによって伝統の味は失われ,
新たな食文化が作られていくという.
(2)ファーストフードの出現
改革開放によって中国の国際化は急速に早まり,本格的な和食やエスニック系のお店だけでなくマ
クドナルドやケンタッキーといったファーストフード店が現れるようになった.これらの店は予想に
反して,売り上げはうなぎのぼりに上昇し,短い期間内に市民生活に定着した.張(1997)によると,
これらの店によって中国人の味覚は大きく変化したという.若者はマクドナルドに対し偏愛しきって
いるという.実際に店に行ってみると,若者が夕方や深夜近くになっても店に多くいることが確認で
きた.同様なことは日本でも起こってきたはずだが,日本にせよ中国にせよ,食の多様化,大衆化は
食文化を進化させるより,退化させるものではないかと思う.それは自国の料理がまず大本として存
在しなければいけないはずなのに,グルメブームのあおりで自国料理の境界線がなくなり,次第にフ
ァーストフードのようなものに侵され,自国の料理がいったいどのようなものであるかがわからなく
なっていき,最終的には自国民としてのアイデンティティすらもなくなってしまうのではないだろう
かと危惧する.
[文献]
國學院大學日本文化研究所編 2004.『東アジアにみる食とこころ』おうふう.
周
達生編
2004.『世界の食文化
中国』農山漁村文化協会.
張 競 1997.『中華料理の文化史』筑摩書房.
東洋文化研究所編 2005.『中国の暮らしと文化を知るための 40 章』明石書店.
中野謙二 1989.『東アジアの食文化』研文出版.
北京観光局 http://japan.visitbeijing.com.cn/ys/zhys/llx.htm(2008 年 1 月 9 日閲覧).
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