vol.128 28-33

認める
褒める
励ます
そして鍛える
vol.128
28-33
正しく知ること(正しい知識)の大切さ
放映中の大河ドラマ『真田丸』は脚本の面白さもあって高視聴率をキープしています。平幹二朗の息子が
演じた武田勝頼や高嶋政伸の北条氏政とともに治部・刑部コンビ(石田三成・大谷吉継)も人気を博してい
たようです。
さて、大谷吉継といえば、関ヶ原において小早川秀秋の裏切りを予見し、その防波堤とならんと陣を敷い
たものの、衆寡敵せず討ち死にした悲運の義将とのイメージが一般的かと思います。
また一般的と言えば、関ヶ原参陣の折の彼の白頭巾姿です。当時「業病」とされた病にかかっていたとさ
れることが白頭巾により象徴的に表現されています(これは『真田丸』だけでなく、私の知る限り多くの映
画やドラマでも見られる表現です)。また、『真田丸』では、眼疾に加えて皮膚の炎症?や手足の不自由さな
ども表現され、直接の言及はないものの、その疾病が今日で言うところの『ハンセン病』であることを想像
させます。
ただし、関ヶ原での吉継の白頭巾姿は江戸時代中期以降に描かれるようになったもので、同時代史料とし
て彼の疾病を特定できるものはないと言われます。
たとえば放射能(放射線)に対するように、私たちは、分からないことに恐れを抱きます。
『ハンセン病』もその原因が分からず、恐れから忌避され排斥されてきた長い歴史を有します。また、日
本の場合は、制度としての「隔離」が、原因が分かった後までも続けられたことにも大きな問題があります。
行政の責任はもちろん重いですが、正しい知識を持って偏見を克服してこれなかった私たち(社会)の責任
も共に重いと思うのです。
ハンセン病は、らい菌が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症ですが、その感染力は弱く、ほとんどの人
は自然の免疫があります。そのためハンセン病は、“最も感染力の弱い感染病”とも言われています。
また、罹患した際の治療法も確立され、現在では、6か月から12か月の投薬で完治します。最初の投
薬の直後から、患者から周囲の人にハンセン病が感染することはありません。
ですので、今なお療養所での生活を余儀なくされている人々も「ハンセン病患者」ではなく、すでに治
癒した「元患者」なのです。・・・しかし故郷が遠いのです(社会は受けいれても世間が拒むのです)。
政党の代表選挙の折に、候補者の二重国籍が話題となりました。
ネット上の喧噪だけでなく、報道機関の中にも世論調査を行うところなどがあったり、大きな関心を集め
ました。物事について考える前提として「知る」ということは大切なことかと思います。
ここでは、二重国籍と類似する問題である「無国籍」について、右掲書から若干の
例を紹介したいと思います。
ケース1
1972年、日中国交正常化により日本は中華人民共和国を「中国」として承認し、
同時にそれまでの「中国(中華民国)」は国交のない台湾となりました。この時、中華
民国の国籍を有し日本で生活していた数万人は、①中華人民共和国に国籍変更する、
②日本国籍となる(いわゆる「帰化」する)、③中華民国の国籍のまま国交のない国で
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生活する、④そのいずれでもない道(中華民国の国籍を離脱し(無国籍となり)、将来の選択(日本国籍か、
中国国籍か)に備える)のいずれかを選ぶことが迫られました。
法務省民事局の資料では、1974年時点で9200人余りの「無国籍者」が存在しています。
ケース2
日本の国籍法は1984年に改正され、それまでの父系血統主義から父母両系血統主義に変わりました。
父系血統主義とは、父親の国籍が自動的に子の国籍となるもので、父母両系血統主義は、父母いずれかの
国籍を子の国籍とするものです。
これに対し、アメリカやオーストラリア、ブラジルなどのように「どこで生まれたか」を基準とする生地
主義を採用する国もあります。
沖縄に多く存在する「アメラジアン」とよばれる人々のケースは次のとおりです。
アメリカ人である父と日本人である母の間に日本で生まれた子どもは、84年以前であれば、日本で生ま
れているのでアメリカ国籍を取得できず、父親が日本国籍ではないので日本国籍も取得できません(生地主
義をとっているアメリカでも、海外で子をなした場合、アメリカ国籍を有している親が一定期間本国に住ん
でいた経歴が証明できればアメリカ国籍を取得できますが、沖縄ではこうした証明手続きをされなかったが
ための「無国籍児」が多く誕生しています。)
他にもさまざまなケースから生まれる「無国籍」者がいます。たとえばプロ野球の草創期に活躍をしたス
タルヒン投手や朝鮮半島にルーツをもつ人々の中にも戦後の日本国籍離脱の後の南北の分断により
「無国籍」
状態となっている人が少なからず存在します。
自ら思考し判断することは確かに大切なことだと思いますが、その前提として「なぜ」から始まる問いを
持ち、正しく知ろうとする営みが必要だと思います。
人は分からないことを恐れます。分からないことから距離をとろうとします。分からないことにきちんと
向き合い理解しようとする姿勢が大切なのかと思います。
もう一つ別の話題を
(
『学校にできること』志水宏吉から)
20 世紀初頭のケニアが舞台の映画の一場面…
キクユ族の老酋長は、主人公の英国人女性が始めようとしていた「学校」の柱に傷を付けて、
「この傷より背の高い子どもは字を習ってはならない。」と言います。
「子どもには学校が必要です。」と憤る英国人女性に対し、彼女の秘書として働いていた現地の青年は
「酋長は彼です。あなたではありません。酋長より物知りは要りません。子どもたちが大人になったら
酋長は死にます。」と言います。
しばらくのちに、老酋長は戻ってきて、彼女にこう告げます。
「背の高い子も学校へ。子どもたちはあなたに感謝する。」…そして
「英国人は読み書きを習い、何の益があったか?」と言って答えを聞かずに立ち去ります。
さて、老酋長にどう答えましょうか・・・
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