参考資料(PDF)

同志社校友会大阪支部産官学部会
LCC・3 月定例会
「アラブの春」のゆくえ
~中東民主化を展望する
講師:同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科
研究科長・教授 内藤正典氏
日時:平成 24 年3月 19日(月)午後 6 時 30 分
場所:同志社大学室町キャンパス寒梅館 6 階会議室
「アラブの春」のゆくえ
~中東民主化を展望する
平成24年3月12日
LCC 北出
至
来る 3 月 19 日(月)午後 6 時 30 分よりLCC定例会が寒梅館 6 階会議室にて
開催されます。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科の内藤教授
が上記の演題にて話されます。
同教授のお話をより興味深く聴くため、関連情報を少し準備致しました。既に、
ご存知のことが多いかと存じますが、ご参考になれば幸いです。
先ず「アラブの春」という言葉は、1968 年にチェコスロヴェキアで起きた改革
の波、「プラハの春」になぞらえた表現です。
2010 年から 2011 年にかけて、中東・アラブ諸国において機運の高まりを見せ
た民主化運動「アラブの春」は、最初チュニジアで 2010 年 12 月から 2011 年
1 月にかけて繰り広げられた「ジャスミン革命」に端を発します。
チュニジアを代表する花、ジャスミンから命名されたこの「革命」の発端は、
2010 年 12 月 17 日、中部の街―シディ・ブジドにて失業中だった 26 歳の青年
ブアジジが、果物や野菜を街頭で販売し始めると、販売の許可がないとして警
察が商品を没収したため、ブアジジがガソリンをかぶり抗議の焼身自殺を図っ
たのです。
一人の若者の焼身自殺事件がキッカケとなり反政府デモが国内全土に拡大し、
軍部も政府から離反したため、ついに、2011 年 1 月 14 日、アリー大統領がサウ
ジアラビアに亡命し、23 年間に亘り続いた政権が崩壊しました。
そして、この「アラブの春」民主化運動は、急激な勢でアラブ諸国へ拡大し、
政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こしたの
です。2012 年に入っても、シリアなどの国では、今も騒乱が継続中ですが、「ア
ラブの春」により政権が崩壊した国は、次の四カ国です。
1
政権が打倒された国家
「アラブの春」の起点となったチュニジアでの動きに触発されたエジプトでも
大規模な反政府デモが起こり、2011 年 2 月に 30 年間も続いたムバラク独裁政権
に終止符が打たれたのは、ご承知の通りです。
リビアでも、2011 年 2 月以降に政権打倒の動きが激化し、8 月に至り事実上
政権が崩壊、独裁者カダフィ大佐は反対勢力の兵士らにより、10 月 20 日に銃撃
戦の末殺害されました。また、イエメンでは、サーレハ大統領の退陣を求める
反政府抗議活動が発生して、結果的に 2012 年 2 月 21 日に投開票された暫定大
統領選挙でハーディーが当選しサーレハ体制は終焉を迎えました。
大規模デモに発展・影響が継続中の国
シリアに於いては、2000 年 6 月ハーフィズ・アサド前大統領が死去し、同年
7 月のバッシャール・アサド大統領就任を機に、政治改革に向けた動きが政権内
外で見られましたが、なんら国民が望む変化をもたらさなかったのです。
やがて、強権的な権力をもつようになったアサド政権に対し、2011 年 4 月 15
日、大規模な民主化を要求する運動が発生します。首都ダマスカスでは、治安
当局と参加者とが衝突し、デモ隊の中から多くの負傷者がでました。そして、
2012 年 3 月アサド政権抗議集会の会場に砲弾が着弾し 10 人が亡くなりました。
現在も「アラブの春」の影響が続くシリアです。
「アラブの春」デモに揺らいだ国々
アラブ諸国の中で「大規模デモ」が早期に飛び火したのは、アルジェリアで
す。ブーテフリカ大統領はデモ側の要求を受け、1992 年以来発令されたままの
「非常事態宣言」を解除し、民主的改革の一環として憲法改正を求めることを
発表しましたが、2012 年 1 月には再び南部の都市で抗議活動が活発化しました。
レバノンの一部でも平等な社会の実現を求めて 2011 年 2 月にデモが実行され、
3 月にはヒズボラ(親イラン、シーア派のイスラム教徒の宗教・政治・軍事組織)の
武装解除を求めるデモが行われました。そのため、政府は賃金の 40%増を約束し
たのです。いずれにしても、レバノンは、2012 年 2 月 12 日付毎日新聞記事(6
ページ参照) のように隣国シリアに大きく影響されます。
デモに揺らいだ他
のアラブ諸国にはサウジアラビア、モロッコ、ヨルダン、イラク、クウエート、
バーレン、オマーン などが挙げられます。
2
小規模なデモに留まり政権側に制圧された国
モーリタリアのヌアクショットの議会前にて、政権に不満を持つ実業家が
車内で焼身自殺を図りました。2011 年 2 月 25 日、首都ヌアクショットで数百人
規模のデモが行われたのです。人口が約 300 万人なので、かなりの割合で参加
したことになりますが、結果的には政権側に制圧されました。
同じような国として、西サハラ、スーダン、ジブチ、ソマリアの国々があり
ますが、モーリタリアを含めて五カ国すべてアフリカの諸国です。
「アラブの春」民主化運動が拡大する背景には・・・
「ジャスミン革命」や「アラブの春」の背景には、ソーシャルネットワーク
の役割が大きいと言われます。衛星放送やインターネットの普及で情報は瞬時
に伝わり、スマートフォン、ツイッター、フェースブックを通じて、市民同士
のリアルタイムな情報交換が行われ、現況が全世界に向けて発信されます。
さらにイスラム教の金曜礼拝は、国民的宗教行事のため禁止は不可能のため
合法的に人が集まり、そして情報交換の格好の場となります。このような状況
が、各国に民主化を促した要素です。
「トルコ共和国」について
内藤教授はご講演の中で間違いなく、トルコについて触れられます。ご存知
のようにトルコは親日国であり、今、国の経済も好調であり、ますます中東に
おける存在感を増しています。この辺りの興味深いお話も聞けるかと存じます。
内藤教授著作一覧
表紙の裏に、内藤教授が書かれた著書を新しい西暦順に並べて、一覧表を作
成しております。ご興味のある書籍をお手すきの時、是非、ご一読下さい。
3
Public of Tunisia チュニジア共和国
新政権発足へ
チュニジアでは、11 年 10 月 23 日、ベンアリ体制崩壊後の初の制憲議会(定
数 217 議席)選挙が実施され、イスラム主義穏健派政党・エンナハダ(再生)
が 38.9%の得票率を得て 89 議席を獲得し第一党となり、第二党中道左派政党の
共和国会議(CPR)と、第三党アリダハ・シャアビア(人民の請願)と暫定の連
立内閣を組閣した。
平成 23 年 12 月 12 日には、チュニジア国民議会は、大統領に共和国会議指導
者で、長い間弾圧されながらも反ベンアリ体制の急先鋒であったモンセフ・マ
ズルーキを暫定大統領として選出した。革命から 1 年、やっと指導者が決まり、
チュニジア共和国憲法草案を 1 年以内に作成する流れが整った。
(中東・イスラーム諸国の民主化HP―現在の政治体制・政治制度・最新転写)
Arab Republic of Egypt エジプト・アラブ共和国
チュニジアのジャスミン革命に触発され、2011 年 1 月 25 日より大規模な反政
府デモが発生した。ホスニー・ムバーラク大統領は 2 月 11 日にエジプト軍最高
評議会に国家権力を委譲し、30 年に及ぶムバーラクの独裁政権に終止符が打た
れた。
その後はエジプト軍最高評議会による暫定統治が行われ、12 月 7 日には同評
議会から指名を受けたカマル・ガンズーリを首相とする暫定政権も発足したが、
現状に反発する民衆によってデモが継続されている[33]。
ムバーラク政権が崩壊してから 1 年目の 2012 年 2 月 11 日にはエジプト軍最
高評議会(軍政)及び選挙で第 1 党になったムスリム同胞団への批判デモがあ
ったが参加者は 50 人程度で散発的にシュプレヒコールをする程度であった。
4
朝日新聞によると今のデモ参加者は不満を口にする程度でデモから距離を置
く市民も少なくないという。(平成24 年 2 月 13 日 朝日新聞)
Libya リビア共和国
カイロ支局が入居するビルの近所にリビア大使館があり、ここのところビザ
(査証)申請に訪れる人々でごった返している。
アフリカ有数の産油国リビアではもともと、100万人を超すエジプト人が
働いていた。だが、昨年のカダフィ政権崩壊につながる内戦で多くが帰国を余
儀なくされ、内戦が終わった今、再びリビアに向かおうとしている、というわ
けだ。
加えて、エジプトでは昨年2月のムバラク政権崩壊後、主要産業であ
る観光の低迷などの影響で経済が混乱し、新たに出稼ぎを望む人も多い。
そうした労働者が連日、数百人は押し寄せるので大使館側の処理が追いつか
ないらしく、いつも道路は人でいっぱい。先日は、手続きの遅れに怒った労働
者らが大使館に投石する騒ぎが起きた。車も通れないほどのあまりの混雑ぶり
に文句を言ったある近所の住人は、袋だたきにされそうになった。
こうした
混乱も、中東・北アフリカ各地で長期独裁政権が倒れた「アラブの春」の余波
と言えるかもしれない。
ところで、申請者の中には、受理されるまで路上で野宿する人も多く、彼らを
当て込んだ近所のキオスクは深夜営業を始めた。わが支局はといえば、野宿者
の立ち小便のにおいという、思わぬ“余波”に悩まされている。(大内清)
(平成 24 年 3 月 1 日
産経新聞)
Republic of Yemen イエメン共和国
イエメンの首都サヌアの大統領宮殿で27日、大規模反政府デモの混乱収拾
のため、対立する各勢力の統一候補として暫定大統領に就任したハーディー氏
に対し、サーレハ前大統領から権限を移譲する式典が行われ、約33年の
サ
ーレハ政権の独裁体制に正式に幕が下ろされた。中東の民主化運動「アラブの
5
春」で、親・反政権各勢力の合意に基づき政権トップが退陣、選挙を通じて独
裁政権後の新体制を発足させたのは初めて。
(平成 24 年 2 月 27 日 共同通信)
Syrian Arab Republic シリア・アラブ共和国
反体制派への激しい武力弾圧が続くシリアで、アサド政権への抗議集会が行わ
れていた会場に砲弾が着弾、ロイター通信によると、少なくとも10人が死亡
した。砲弾が着弾する瞬間をカメラがとらえていた。
インターネット上に2日に公開された映像によると、反体制派の人々や子供
が、アサド政権成立以前のシリア国旗を振って、抗議デモを行っていたところ、
大きな爆発音とともに、政府軍によるとみられる砲弾が着弾、会場は大混乱に
陥った。ロイター通信によると、この砲撃で少なくとも10人が死亡した。
事態収拾のメドが立たない中、フランス・サルコジ大統領は2日、シリアの
首都・ダマスカスにあるフランス大使館の閉鎖を発表。アサド大統領を激しく
非難し、「独裁者はいつかその報いを受けるだろう」と話した。
(日本テレビ系(NNN) 3 月 3 日(土))
Lebanese Republic レバノン共和国
レバノン北部トリポリで11日、シリアのアサド大統領支持派と反体制支持
派の住民が銃撃戦となり、AFP通信によると2人が死亡、18人が負傷した。
レバノン軍が出動し事態の沈静化を図っている。
シリアの騒乱は、スンニ派と、シーア派の一派とされるアラウィ派の対立の
側面があると指摘する専門家もあり、両派が住むレバノンなど周辺国への拡大
が懸念されている。
衝突したのは、トリポリでは多数派のイスラム教スンニ派でシリア反体制派
を支持する住民と、アサド大統領の出身母体であるアラウィ派の住民。自動小
銃や対戦車弾が使用された模様だ。
6
内藤正典教授著訳書
著
書
★イスラム
恵
ー癒しの知
集英社、2011
★なぜ、イスラームと衝突
★アッラーのヨーロッパ
するのか―この戦争をし
―移民とイスラム復興
てはならなかった
中東イスラム世界
明石書店, 2002
東京大学出版会, 1996
★もうひとつのヨーロッ
★ イ ス ラ ム の 怒 り
集英社、2009
★激動のトルコ 9・11 以降
パ―多文化共生の舞台
★「パパ」の国日本、「父
内藤 正典 (編集)
親」の国トルコ
古今書院, 1996
マガジンハウス, 1999
のイスラムとヨーロッパ
明石書店、2008
★トルコ人のヨーロッパ
★地球人の地理講座〈6〉
―共生と排斥の多民族社
うちとそと地球人の地理
会
★イスラーム戦争の時代
講座
明石書店, 1995
暴力の連鎖をどう解くか
内藤正典, 関啓子、 落合
NHK ブックス日本放送出
一泰、足羽与志子, 李里花,
★トルコのものさし日本
版協会、2006
辻内鏡人、宇佐美久美、
のものさし
伊豫谷登士翁の諸氏(著)
筑摩書房, 1994
★ヨーロッパとイスラー
大月書店, 1999
ム 岩波書店,
2004
内藤 正典 (編集)
★ドイツ再統一とトルコ
★空飛ぶ大学―「文明の衝
人移民労働者 シリーズ外
突」のヨーロッパを行く
国人労働者 2 内藤 正典
★「新しい戦争」とメディ
内藤 正典 (著), 一橋大
(編集) 明石書店, 1991
ア―9・11
学社会学部内藤ゼミ (著)
以後のジャー
ナリズムを検証する
出窓社, 1999
訳
明石書店, 2003
書
★トルコから世界へ―
★ イスラームの脅威―神
イスラームと西欧化の
話か現実か
内藤 正典 (編集), 片倉
はざまで
John L. Esposit (原著)
もとこ (編集), 後藤 明
1998
★イスラーム世界事典
明石書店,
内藤 正典 (翻訳), 宇佐
美 久美子 (翻訳)
(編集), 中村 光男 (編
集), 加賀谷 寛 (編集)
★絨毯屋が飛んできた―
明石書店, 2002
トルコの社会誌
筑摩書房, 1998
明石書店, 1997