死と弔いの文化の考察 西尾真澄 - Lifestudies.Org

大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート 2011年度
死と弔いの文化の考察
:失われる日本人の精神世界と生き方への問い
西尾真澄
はじめに
日本人は精神世界が豊かである。私はそう感じる。もちろん、豊かな精神世界をもつことは他の民族
でも変わりはないと思う。数々の文化を創りだしてきた人類の奥深い想像と精神世界の豊かさ。その中
には、聖なる世界と闇の世界も創りだされた。闇によって、人類は恐怖や畏れ、近寄りがたさ、異界、
聖なる空間といった非日常的な感情を生みだし、それらの気持ちとのさまざまなつきあい方をいつの間
にか創りだしていったのではないだろうか。その非日常的な感情が生みだした世界の中に、私は深い
精神世界を見出している。
今回私は、日本人の心の底、とりわけ日本人の死と弔いに関する心の根底をみてみたかった。なぜ
なら、死と弔いの世界にあると私が感じている日本人の心の中の豊かな闇の世界が、もっといえば人
類が創りあげてきた豊かな闇の世界が今を生きる私達の生活実態とかけ離れつつあり、否応なく失わ
れてきているように思うからである。具体的には、お墓の継承や自然の中に存在するさまざまな霊魂や
神さまへの祈りや鎮魂といった祀る気持ち、先祖供養などにみられていた精神世界が失われてきてい
るように感じる。異界といったものからの関心が薄れ、「この世」といった現実世界がすべてになった平
面的な精神世界へと、現代を生きる私達の心が変化してきているように思う。豊かな精神世界の闇の
部分の喪失が進んでいるように思う。
それと同時に、現代の生活実態の中で、継承が難しくなってきているお墓について考えたいと思って
いた。人間の創りだしてきた豊かな文化が今の私達の生活の中で成り立たないという思いがある。弔
いのあり方、死に方、生き方を考えてみたい。
死や弔いの文化を考え続けていった結果、お墓とは人間だけが創りだした虚構の世界であるとい
う思いに私は至った。なぜ、人間の死だけが特別なのか。たんなる人間の欲ではないか。このままいけ
ば日本は人間のお墓だらけになっていくのか。現代に至るまでの個人の死の弔い方はどのようになっ
ていたのだろうか。霊長類の歴史をみると、原猿類は 7~8000 万年前に生まれているという。そして、ヒ
トとチンパンジーは 5~600 万年前に分かれたという(1)。一人ひとりの死をお墓という形で大切に後世
に残し始めた時代は、江戸時代の檀家制度からという (2)。
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人類は、相当長い歴史を永遠と繰り返してきている中で、死もまた当たり前に繰り返され個人はみな
忘れられていく。長い人類や他の生物の死を考えると、そうして個体はみな忘れられていく。それでい
いのではないかと思うようになった。
今は家ごとにあるいは一人ひとりにお墓を造り、そして現代の個人化した社会への移り変わりによ
って家の継承、お墓の継承、先祖供養への関心が薄れこれらの文化の継承が難しい。人間の死にま
つわる儀礼の商業化に頼らざる負えなくなっている。例えば、場所をとらず永代供養も請け負う形の合
理的で便利な電動式のお墓の登場である。ここには、自然な闇の世界が存在しているのだろうか。一
方、広い美しい景観を保つ土地の中に整えられた高額の墓地。一人の人の死をどこまで残していくべ
きか。根本的なことを考えながら、死の行き過ぎた商業化に私は違和感を覚えている。
本当に大切にしていくことは何か。人間という生物が死ぬことをもう一度、考え直してみるとまた違う
弔い方、死の迎え方があるように思う。梅原猛(1993)は『日本人の「あの世」観』の中で人間中心の生き
方に疑問を投げかけている(3)。
私は、人間もまた自然に還ればいいと思う。
これが、私の結論である。自分にとって大切な人の死や、死んでいく側にとっての大切な人との別れ
の中に本当に必要な弔いのあり方を、宗教が入りこむ前の最も素朴な人類がもつ感情から考えてみた
い。
梅原(1993)は、日本人の「あの世」観は縄文人による狩猟採集文化の中に最も根底になると思われ
る日本人の基底文化があることを指摘している(4)。そして、狩野敏次(2011)は『闇のコスモロジー―魂
と肉体と死生観』の中で、闇と奥という視点から日本人の心にある聖なる空間について考察している
(5)。
私は、本レポートにおいて、まず日本人の「あの世」観の根底を梅原の論に従い縄文文化におく。そ
して、私が考える素朴な弔いのあり方がどのようなもので、何を得る代わりに何を失うのか。それらのこ
とを考えるための助けとして狩野が考察した闇と奥という視点を取り入れ、拙いながらも日本人の死と
弔いの文化における深い精神世界の一端を考察していきたい。人類の生みだした豊かな精神世界の
中の何を、今を生きる私達は受け継いでいくとよいのか。その手掛かりを、色々な方向から考察してみ
る。
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レポートの構成は次の通りである。
・はじめに
・第一章 死と弔いの文化の始まり
(1)古代人類の死後の世界の誕生―ネアンデルタール人における精神世界
(2)古代日本の死後の世界の誕生―縄文人からつながる日本人の原「あの世」観・
日本の民俗宗教
(3)宗教における死・死後の世界観―儒教・インド仏教
・第二章 なぜ人は弔うのか―虚構である文化がもつ意味
・第三章 現代社会における死と精神世界についての考察
・おわりに
第一章 死と弔いの文化の始まり
そもそもなぜ人間には死にまつわる儀礼が必要なのか。死を弔うことの中にある最も素朴な原点の
気持ちを確かめていくために、古代の人類について調べることにした。宗教が伝来する以前の人類の
本質的な弔いの営みから、現代の私達は何を失おうとしているのかを考える手掛かりをみていく。
(1)古代人類の死後の世界の誕生―ネアンデルタール人における精神世界
なぜこのような死にまつわる儀礼が必要なのか。宗教の世界ではさまざまに説明がなされている。
死を理解していく中で生みだされた「あの世」は途方もなく広く深い異界の場所である。それは死者にと
ってどのような意味を持つのか。この世に残された者、生者にとってはどのような意味を持っているの
か。人間の死という受け入れることが困難なできごとに、太古の時代の人類であるネアンデルタール人
が「埋葬」という形で向き合っていたことが確かめられているという。はたして、それは残された者が死
を受け入れるための営みだったのだろうか。
現在の弔いの文化や死の捉え方を考える時に、遡った根底の精神世界がおおもとになっている
ことがわかる。そういった精神世界の成り立ちを、考古学者 M.シャクリー(1985)(6)による『ネアン
デルタール人』、加藤・西田(1986)による『森を追われたサルたち―』(7)をもとに追ってみる。古代人類
の死後の世界の誕生とその精神世界をみていく。
○人類の心の歴史―死後の世界の誕生
人類は生物学的には霊長類の一員であり、そのなかの高度類人猿のグループから離脱してきた特
殊な動物である。加藤・西田(1986)によると、人類と大型類人猿(現生のゴリラ・チンパンジー・オランウ
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ータンなどヒトに最も近縁な霊長類)の一つであるチンパンジーが分かれたのは500~600万年前と
確かめられているという。
ヒトはどのようにしてサルからヒトになったのだろうか。
ヒトがヒトになる過程は通常<人類化>(ホミニゼ―ション)と呼ばれる。その中の一つの学説による
と、500~600万年前にゴリラやチンパンジーから分岐した大形ないし中型の類人猿が、サル社会の
なかで他の種と拮抗しながら共存するために、示威的なシンボルとして棒や石を持ち歩く習慣を身につ
け、そのために次第に直立二足歩行をするようになり、それに合った身体的形態を獲得していったと思
われている。やがて400万年前くらい前に、彼らはその特性を生かして森林を離れ、サバンナや草原
に進出し、シンボルとして持ち歩いていた棒や石を道具として使うことを学び始める。人類の祖先と目さ
れる<猿人>、つまりアウストラロピテスであり、遺跡からは、小動物を解体した痕跡やそれに使われ
た道具がみつかっているという。
このアウストラロピテクスあるいはその後に現れるホモ・ハビリス(<器用な人>という意味)が150
万年くらい前に、<原人>つまりホモ・エレクトゥス(<直立人>という意味)に進化し、脳容積を拡大し
続ける。石器文化を発達させ習慣的な火の使用による寒冷地への進出とともに、寒期には洞窟での定
住により採集生活だけに頼ることが出来なくなることで集団的な狩猟をおこなうようになる。
13万年くらい前からは、ヨーロッパが草原と森林におおわれたリズ-ピュルム間氷期が訪れ、ここ
がホモ・サピエンス(<知性人>という意味)誕生の舞台となる。この時期に現れるのが、一般にネアン
デルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)と呼ばれる<旧人>であり、彼らは8万年前
から3万5千年前までのあいだにヨーロッパ全域、西アジア、北アフリカで<ムスティエ文化>と呼ばれ
る中期旧石器文化を発達させていく。このムスティエ段階が人類の精神発達史上の大きな時期をなす
と考えられている。
原人段階にくらべるとその分布の北限は北緯55度、今の樺太あたりとかなり北の地域にまで広が
る。そうなってくると、熱帯地域においてのように年中植物性食糧を採集することはできないので、冬の
間は、組織的に狩猟をおこなわなければならず、また食糧を貯蔵し、少なくとも一定期間は定住生活を
送らなければならなくなる。こうした生活の変化により、社会組織も整えられてくる。
しかし、精神発達史上何よりも決定的だったのは、明日を生きるために、今日から準備しておかなく
てはならないということである。
明日を思い煩う必要のない熱帯に生きていた狩猟採集民と違って、この段階で人類の生活時間に
未来が含まれることになる。こうして、現在を過去と未来の接点としてみるような時間意識が生じ、死や
死後の世界というものをも意識するようになったという。
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そうした他界との仲介をするシャーマンらしい格好をした遺体も発掘されているという。
ネアンデルタール人は、病者の世話をしたり、墓に花を飾るなど、死後の旅のための装備を整えて
入念に死者を埋葬したり、死後の世界を信じていたらしい形跡があるが、その背景には時間意識のこ
うした変化があったものと思われている。定住生活を始めたことによって、対人関係の葛藤が増大し蓄
積されていったという事情もくわわって、彼らのもとではおどろおどろしい呪術的世界が形成されたとも
いう(8)。
M.シャクリー(1985)によると、9万年前に出現したネアンデルタール人によって、「ある意図のもとに
埋葬が行われた」ことは遺跡の発掘調査の結果から明らかだという(9)。鮮やかな色の花のベッド上に
遺体が安置されていた男性の化石は、墓の土壌分析の結果ムスカリ、ヤグルマギク、ノボロギクの仲
間の薬草だったらしい。病を治す薬草とともに埋葬されたその意図を、死者の再生と M.シャクリーは考
察する。別の遺跡からは、死者との何らかの別れの儀式やクマの霊をなぐさめるもの、また「後に残さ
れる者たちの単なる整理をつける心の表現、あるいは最後の感情の表明であるかもしれない」と埋葬
の意図を考察している。
古代人類の埋葬のはじまりには、死者の再生への祈り、別れの儀式、鎮魂、残された者の気持ちの
整理という精神世界がみられていたことがわかった。
次に、古代日本の原「あの世」観から死と弔うことの意味をみていくことにする。
(2)古代日本の死後の世界の誕生―縄文人からつながる日本人の原「あの世」観・日本の民俗宗教
梅原(1993)によると、日本人の「あの世」観は縄文文化に根底があるとしている。その著書『日本人
の「あの世」観』において描かれている日本人の原「あの世」観をみていく(10)。
「日本人にとって、死者の行く国はやはりあの世なのであります。このあの世とはなんでしょうか。」
梅原は、この日本人の「あの世」観を明らかにするために、最も古く、仏教が入る以前から日本に存
在し、今も残る原「あの世」観を縄文文化にみている。柳田国男は、日本の基層文化を水稲農耕文化
である弥生文化とした。梅原が、柳田のいう弥生文化ではなく縄文文化を日本人の基層文化とした理
由はいくつかあるが、それは、アイヌ文化、沖縄文化の「あの世」観があまりにも似通っていることなど
からきているようだ。
弥生時代以降の文化の交流はないと思われる二つの文化の根底はそれ以前の弥生時代以前ずっ
と日本に土着していた狩猟採集文化である縄文人の文化であり、最も純粋な形で、沖縄、アイヌの文
化が残しているとした。また、宮家準(1994)も『日本の民俗宗教』の中で、日本古来の自然宗教は、縄
文時代にはじまると考えることができると述べている(11)。それはどのような「あの世」観なのだろうか。
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○<アイヌ・沖縄の「あの世」観>―日本人の基底文化である縄文文化の「あの世」観
①「あの世は、この世と全くアベコベの世界であるが、この世とあまり変わらない。あの世には、天国
と地獄、あるいは極楽と地獄の区別もなく、従って死後の審判もない。」(梅原,1993,21 頁)
↓
例えば、この世の昼はあの世の夜、この世の夜はあの世の昼である。そして、「あの世」はアイヌで
は山の上、天の彼方であり、沖縄ではニライ・カナイ、海の果てに「あの世」があるという。二つは遠い
彼方でつながり、本質においてほとんど変わらないとする。
また、日本人の原「あの世」には、天国と地獄、極楽と地獄の区別も、死後の審判や因果応報の思
想も認められない。人類に共通な原初的な「あの世」観を色濃く残していることを指摘している。
②「人が死ぬと魂は肉体を離れて、あの世に行って神になる。従って、ほとんどすべての人間は、死後
あの世へ行き、あの世で待っている先祖の霊と一緒に暮らす。―略」(同上,22-23 頁)何らかの理由で
あの世へ行けない時は、霊能者に供養をしてもらえばあの世へ行けるという。
「人が死ぬと魂はその肉体を離れて、あの世へ行くことになります。従って屍は、つまり蛇のぬけがらの
ようなもので、何の価値もありません。」(同上、23 頁)とする。
↓
沖縄には洗骨の習慣が残る。「その骨についた肉を落とすことは、死者の魂がこの世から去ってい
き、無事あの世へ昇天したことを意味する」(同上、23 頁)のだろうという。あの世でもご先祖様に迎えら
れて、家族単位で生活する。容易にあの世へ行けない魂も、供養すれば無事にあの世へ行くことがで
きる。そこに死者供養ということが大きな意味を持っているという。そして、魂が抜けた後の屍は何の価
値も持っていなかったという。
③「人間ばかりか、すべての生きるものには魂があり、死ねばその魂は肉体を離れてあの世へ行ける。
特に、人間にとって大切な生き物は丁重にあの世へ送らねばならない。」(同上、25 頁)
↓
アイヌの熊送りという儀式が取り上げられている。これは、熊というのは、人間に「ミアンゲ(身という土
産)」を提供するためにこの世に現れた客人(マラプト)である。食べごろになるまで大切に育て「ミアン
ゲ」をいただいた後は、御礼として熊の魂を、土産とともに丁重にあの世へ送る。熊の霊をあの世へ送
る儀式が最も重要とされる。どっさり土産(お供え物)をもらって天に帰ることで、それをみた他の熊は
人間の世界はすばらしいと自分も行ってみようとなり、来年は熊がたくさんやってくるということになる。
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④「あの世でしばらく滞在した魂は、やがてこの世へ帰ってくる。誕生とは、あの世の魂の再生にすぎな
い。このようにして、人間はおろか、すべての生きとし生けるものは、永遠の生死を繰り返す。」
(同上、27 頁)
↓
アイヌや沖縄において葬式が最も大切な宗教儀式であるのは、無事にまた魂がこの世に帰ってくる
ためには、まず、あの世へそれを無事に送らねばならないからである。アイヌの熊送りのように、来年
また熊がたくさんやってくるために、まずは魂をあの世へ丁重に送る必要があるからであるという。
死者の再生を信じた儀式である。
日本人の基層文化である縄文文化の「あの世」観が残るというアイヌと沖縄文化から、日本人の原
「あの世」観は、まとめるとこのような形になると梅原はいう。葬式は、死者をあの世に送る儀式である。
ここでは、人間が葬式という弔いを行う意味は、死者を無事にあの世へ送ることであり、それは魂を再
びこの世へ送り返すためであることがみえてきた。丁重な感謝を表す営み、霊の鎮魂、再生を祈る儀
式。人類に共通な原初的な「あの世」観と弔いの文化を営む意味が、少し見えてきた。
天野幸弘(2001)によると、日本各地に残る縄文時代の遺跡からは、埋葬された多くの縄文人が発掘
されている(12)。大阪府の向出遺跡では立って埋められた状態の石棒が見つかった。これは、男性の
性器をあらわし、生命の再生を祈った祭りのシンボルとみられているという。石の棒を囲んで、人々の
祈りが続く、墓地の中でも神聖な場所だったのではないかとされている。
そこでは、生命の再生への祈り、神聖な場所に集い何かを祭るという信仰の対象、悪霊による災害
への鎮魂などの意味があったとみられているという。
最後に、これらの人類の原初的な弔い文化の後にあらわれた宗教において、死や死後の世界がど
のように捉えられているかをみていく。
(3)宗教における死・死後の世界観―儒教・インド仏教
○儒教の死生観
ここでは、加地伸行(1990)『儒教とは何か』をもとにみていく(15)。
インドなどの南アジアの過酷な環境に比べて、東北アジア(中国・朝鮮・日本)は住みやすい地域で
ある。この世は楽しいところという現世観を環境的に抱くことが出来た東北アジア人である中国人は、
現実的で現世を最高と考えた。そして、来世や天国を信ずるインド人やキリスト教徒にとって、この世は
仮の世界であっても、中国人にとってはこの世しか世界はないために死はこのうえない恐怖であった。
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その中国人が抱く死や死後についての不安や恐怖に対して、納得する説明をする努力をした人たちが
儒であり、後の思想集団儒家であった。
その内容は、やむをえぬ死後、この世に帰って来れるという説明であった。生と死の境界を交通でき
ると考えたのである。
ぱく
精神(魂)と肉体(魄)が一致している状態を生きているとし、二つが分離した状態を死の状態と考え
た。死後天上にいく魂と地下にいく魄を呼び戻すことで、この世に再生できるという。肉体は、死ととも
に抜け出た霊魂が再び戻ってきて依りつくために重要であり、だから、死後遺体をそのまま土中に葬り
墓をつくった。死者の肉体は重要で、悲しく泣くべき対象であり、お骨を重視する根本感覚ができる。
祖霊を呼び戻す時に大切な意味をもつのが頭蓋骨であり、他の骨は埋葬し後に墓となっていく。頭
かたしろ
蓋骨を被った人間を死者になぞらえ(形代)、そこに魂・魄を依りつかせるのである。招魂再生儀礼は、
あの世から死者を招く儀礼であり、人々は狂乱状態で踊り狂い異様な雰囲気、おどろおどろしい呪術
的観念であったと考えられる。後に形代全体が木の板となり、板上に死者の姓名や死者を表現するも
のを記しそれを死者として祭るようになっていった(神主、木主などといった)。仏教にとりいれられて位
牌となる。
<儒教の招魂再生儀礼>
祖先崇拝・祖霊信仰から祖先を祭祀することにつながっていく。
これは、儒教の「孝」という考えからきている。子孫・一族の祭祀によってこの世に再生が可能となる。
「孝」:祖先の祭祀(招魂儀礼)―父母への敬愛―子孫をうむこと
↑
孝の行いを通じて、自己の生命が永遠となり死の恐怖も不安も解消できる
「孝」の本質は生命論:過去・現在・未来を貫く生命の連続
儒教にとっての死は、親の死が最も悲しい死であり、喪礼こそ一般人の例の中心と考えられた。祖
先の祭祀を絶やさないことは、家の安定にもつながると考えられていた。後には、血を引き継ぐ自分達
一族団結の儀礼(倫理的儀礼)へと転化していく。喪礼は儒教にとって非常に大切な儀式であったこと
がわかる。
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○インド仏教の死生観
ここでは、加地伸行(1990)『儒教とは何か』の中で述べられているインド仏教の世界を見ていくが、釈
迦の仏教である原始仏教と、その後に中国、日本に伝わった大乗仏教とを分けて捉えることが、今回
の研究では時間の関係上できなかった。そのため、ここでは加地の述べるインド仏教を見ていくにとど
めたいと思う。
仏教は、この世を苦しみの世界とする(生・病・老・死)。肉体の死後、霊魂は浮遊。死後の霊魂は成
仏するか、転生するかのどちらかである。この世で悟りを開ければ生まれ変わらずに仏となれ永遠の
時間軸の中での輪廻転生の苦しみから解き放たれることができ(解脱)、成仏できる。しかし、成仏しな
い場合は、次に生まれ変わる場所(六つの世界)が決まるまでの中陰という四十九日間の時間に入る
ことになる。
この間は、僧を通じて少しでも良いところに生まれ変われるように供養を行う。初七日に始まり七日ご
と、四十九日目の当日生前の行いすなわち因果応報によってその場所が決まるとされる。再び、苦し
みが始まるということでもある。ここで無事に中陰を終えたという挨拶を、故人の葬儀参列者に行うの
が四十九日の法要になる。
日本の葬式では、柩や遺影、位牌に向かって拝む姿が一般的に見られるが、インド仏教的に崇め拝
むべき対象はあくまで本尊(あるいは、本尊を象徴化した掛軸)であり、その後に柩に対して思いをいた
すべきなのである。本尊の広大な恵みを得て、導師(僧侶)に導かれて来世の幸福、あるいは成仏する
ことを死者に期待するものなのである。
<インド仏教の死生観>
①成仏していれば、下界の者が供養する必要はもうない。
②別のところに転生していれば、霊魂はどこかに生まれ変わっているのであり、霊魂を呼べどももはや
存在しない。インド仏教的には、中陰の時期以外霊魂は存在しない。
③肉体は残骸、抜け殻であって単なる物である。お骨は肉体を焼いた残骸だけであり、お骨に意味は
もっていないので、河などに流しても別にかまわないものである。お骨を拝むことも、お墓をつくること
もインド仏教的には無意味であり関係はない。
↑
日本人の祖霊感覚は、儒教の方に近いものである
ここまでをまとめてみると、インド仏教では霊魂はどこかに生まれ変わっているので、死者の肉体や
お骨を大切にするという考え方はない。一方、儒教では、肉体は死とともに抜け出た霊魂が再び戻って
きて依りつくために非常に重要なものであり、肉体やお骨は死者そのものとして大切に埋葬される。
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古代の人類は、死者を埋葬することもあれば、そのまま放置していたこともある。埋葬には、死者の
再生復活への祈りや、鎮魂、生者と死者の別れのための儀式として埋葬し、何らかの気持ちを落ち着
かせるといった目的や、死者の魂をあの世に送り届けるといった人類の原初的な「あの世」観の精神
世界がみえた。ここには、天国と地獄、極楽と地獄などの区別がない。死後の審判や因果応報などの
思想もない。その上で、人類共通の死者と生者との原初的な関係といえるであろう死と弔いの営みの
意味が少しだけみえてきた。祖先の霊や精霊などを信仰の対象として祀るという営みも、人類が創りだ
した死後の世界との関係を表す精神世界の一端である。
死という不思議なできごとを前にして、その身近な人間の再生復活を祈ったり、逆に死という現象を
恐れたり、不吉なものとして封じ込めようとしたり。人類は、あの世とこの世の関わりを多様に創りだし
ている。
「死んであの世へ行って、また帰ってくる。そんなことはありえない。」
今の文明人はこう考えるかもしれない。こういった考え方は、科学文明が発達していない未開民族、
原始民族と蔑まれてきた民族文化であるが、こういった世界認識の中に今、人類文明が陥っている深
刻な危機を乗り越えるための助けとなる視点があるのではないか、と梅原(1993)は思想家のレヴィ=
ストロースの考えを含みながら述べている(16)。私もまた、死と弔いの文化を考察するうちに梅原や後
に述べる狩野(2011)、上田(2003,2007)とともに人間のあり方、生き方、死に方への問い直しの必要性
を強く感じている。
生きとし生けるものはみな同じであり、動植物との深い共存関係が必要である。食う―食われるとい
った人間と動植物との関係における深い意味での共存関係の中では、だからこそ人間によって食われ
たものは神として崇拝されるといった深い意味での共存関係が必要であることを梅原は述べている。
人間が自然を征服することで発達してきた農耕牧畜文明とその後の都市文明という人間中心主義
の原理の中では行きつくところまで行った。それらの前に長く狩猟採集を続けた人類の、日本の縄文
文化、今でいうアイヌ、沖縄の文化の中には、自然との共存の中で生きる知恵がつまっているのでは
ないか。未開民族、原始民族と文明人が蔑んできたこういった文化の中には深い共存関係の中で生き
る手掛かり、現代の人類が抱える自然破壊など多くの問題の解決の手掛かりがあるのではないかと梅
原は述べているのではないかと私は思う。
現代の人間のあり方、生き方への問いかけを、死と弔いの文化の考察を通して以下自分なりに深めて
いきたいと思う。
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第二章 なぜ人は弔うのか―虚構である文化がもつ意味
○人間にとっての文化という虚構(フィクション)について
虚構(fiction)の英語の原義は『「形づくる」こと。一般に事実でないものを事実らしくつくり上げることを
意味する』(ブリタニカ国際大百科事典、虚構の項)という。また、「実際にはないものを、あたかも実在
するもののように見せかけること」「作者が想像力によって組み立てること。また、そのもの」(明鏡国語
辞典、虚構の項)ともいう。
人間以外の生物にとって生きることは生命を維持すること、つまり現実に適応、合致することだけで
ある。その生物の中で人間だけは fiction の世界を持つという(17)。虚構は人間が作り出した世界であ
る。物語、鬼ごっこ、嘘などは、すべて人間が作り出した虚構の世界の話である。そういった虚構の世
界の中に様々な「意味」をもたせてつくり上げ、その世界の中で自由な精神世界を営んでいる。また、
人間は、現実の何かを別のもので置き換えてそれに象徴的な意味をもたせるということもしているだろ
う。
例えば、人間は自分達で言語という記号を作り出す。その言語という記号に何かしらの象徴的な意
味をもたせている。例えば、「花」という言葉には大体の人がイメージを浮かべるきれいな植物が思い
起こされる、というように単なる記号ではない、何かしらの意味をもたせている。人間以外の生物にとっ
てみると「花」という単なる記号にそのような意味はないだろう。同じように、例えば死者という現実を石
に置き換えて石を死者の象徴としている一つが日本の墓だろう。
人間以外のものには石はただの石である。しかし、「この石は亡くなった○○である」と誰かが決め
たその日から、その身近な人にとってその単なる石は石ではなく「亡くなった○○そのもの」もしくは「あ
の世にいる亡くなった○○」であり、もっと大きな意味での「この世とあの世がつながっている」何かしら
の特別な空間にもなる。
人間が石を死者の象徴とする世界を作り出してきた。これが文化であり、人間の心を豊かなものにし
本来実在しない世界を内面世界によって作り出して、その内面世界の中で亡くなった○○と繋がれる。
自由に出会い語りかけることができる。人間が虚構の世界の中でつくりだしたこういった文化は、人間
の自由な内面世界であり、またそうであってほしいといった願いが生みだした世界でもあると私は考え
ている。豊かな精神世界である。
狩野敏次(2011)(13)は『闇のコスモロジー』の中で、上田篤(14)の『鎮守の森』での指摘をふまえなが
ら「奥」という空間について次のように述べている。
「奥は空間的にも時間的にも到達しがたい最終的な場所、時間を指している。―(中略)―奥には空
間的、時間的な意味のほかに、深遠ではかりがたいという心理的な意味もある。奥は空間的、時間的、
心理的なさまざまな意味を含みながらひろく日本の文化を支えている」。
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そしてまた、奥の考察の中で神社の参道については以下のようにも言う。「見通しのきかない曲がり
くねった参道を一歩一歩踏みしめながら歩いていくと、私達の精神は次第に高揚し、聖なるものに近づ
いていくような感じをいだく」といい、「そこへいたるプロセスに儀式と演出を求める」と考察している
(18)。
私がお墓参りや仏壇の前に座り亡くなった姉や先祖と向き合った時、または神社や寺院に行った時
に感じる何かしらの聖なる空間にいるような感覚は、この奥という深遠な空間に少しずつ日常の世界
から自らの精神を離し、近づいていくそういったプロセスを越えた後に感じるものであるような気がして
いる。お盆の時につける盆灯籠の光は、日常の世界と別のあの世との境を思わせるような異空間を作
り出す。日常から離れた異空間を作り出す死者に関わる一つ一つの儀式であるこれらの文化は、現実
の日常の世界から離れた深く自由な精神世界の中を人間が生きることを許す豊かさや深さに繋がって
いるのだろうと私は思う。
死者を弔う文化や、死者と向き合うこのような精神世界の文化は、現実世界で生きるだけではなく人
間だけがもつ虚構という世界で豊かに精神世界を営む深い世界の入り口なのではないだろうか。そし
て、これらの文化を失うということは、人間の精神世界における自由で奥深い営みが一つ失われていく
ものだといえるのではないだろうか。
死をとりまく日本人の感情にはどのようなものがあるのだろうか。恐れや恐怖、儀式を通して愛しい
人の死を受け入れるまでのプロセスといったものが考えられる。また、古代から世界中で多くの人類が
死者の再生を信じてその願いをこめる祈りや、死者の魂との再会、鎮魂、つまり招魂儀礼や先祖供養、
そして、日本の各地にみられるさまざまな守りの神さまを祀るといった八百万の神さまへの感情もある
だろう。そういった死や弔いをとりまく感情は、日常の生活世界と離れてどこか闇の世界とつながってい
るイメージを私はもつ。
狩野(2011)は、「奥」についての考察の中で次のように述べている。「昔の民家の家屋は全体的に薄
暗く、また部屋によっても明るさが異なっていた。とりわけ神々を祀る聖なる空間はこのんで闇のたちこ
める場所に設けられていた。日本の神々が闇のなかに示現することを考えれば、これはむしろ当然の
ことであった。」また、「神々が宿る空間は、一方では人間に恐怖の感情をかきたてたこともたしかであ
る。とくに便所は昼間でも薄暗く、しかもそこはこの世とあの世の境界であり、霊魂の出入り口と信じら
れた。―(中略)―便所の闇のなかには何か得体の知れぬものがひそんでいて、いつなんどき襲いか
かってくるかもしれない。子どもたちにしてみれば、闇に対する恐怖は切実であった。」(19)という。
このような闇が家屋に存在していた民家から、近代的などこも明るい均質な空間でできた現代人の
住居での生活は、夜と昼の境目が失われてきていると私には感じられる。「死を切り捨て、明るい生だ
けで成り立っている現代人の死生観とどこかでつながっている」(20)とする狩野(2011)の指摘が、この
闇への恐怖という人間が生みだした虚構の世界、あの世とこの世の境界の世界というものを失ってき
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ていることを指摘しているといえる。
そして、闇という雰囲気をもつ空間では、「あらゆる方向から私たちを包み込む『深さ』の次元」をもち、
それは「気配に満ち、神秘性を帯びている」(21)と狩野(2011)はミンコスフキ―の指摘を踏まえて述べて
いる。
また、上田(2003)は、鎮守の森の考察の中で森と林についての違いを考察している。その中で、森
については、「一見怖そうな感じがする」「何となく近寄りがたい印象」「暗い感じがする」「恐い神さまが
いるような世界」という。林については、「明るい感じ」「遊べる優しい樹林」ということをあげている(22)。
森と林は違い、森の中にはいろいろな神々がいっぱいいらっしゃるという。森は、闇に通じる世界をも
つ。
人間が創りだした闇の世界がもつ不思議な雰囲気や意味を失うということは、それだけ人間の心が
均質化し、深さが失われていくということなのではないのだろうか、と私は思う。
虚構(弔う文化)が人間にとってどのように大切であるのか、どういったものがもたらされるから大切
であるのか。個人化が進む現代社会において死にまつわる文化を引き継いでいくことはできるのか。
その文化が失われるとすれば、何を失うことになるのか。死は自分がどのように生きてきたのか、その
人の自分の人生を反映するものであると私には思える。そうなると、死や死に方はとても大切であると
感じる。
なぜ、人は弔うのか。その答えは、古代人類の死者に対する営みや宗教の面から手掛かりをつか
みながらみてきた。鎮魂、再生への祈り、供養、別れの気持ちの表出などがあった。儒教では、とりわ
け死後の肉体が再生のためには必要であり、埋葬され、お墓文化がつくられていった。仏教ではお墓
はつくらない。こういった弔いの原初的な意味や役割をふまえながら、次では現代社会における死と精
神世界について自分なりの考察をしてみたい。
第三章 現代社会における死と精神世界についての考察
科学技術の発達した現代社会において、神や仏の存在をそのまま信じることは困難な時代になって
きているだろう。山田(1999)は『生きる意味への問い』の中で「伝統的に信仰されてきた絶対的な(とく
に人格的な表象をもった)神や仏をそのまま無条件に信じることは、科学的合理主義の支配する現代
では一般的に困難になっている」(23)ことを述べ、無宗教化が進行している時代であることを指摘して
いる。
例えば、死んであの世(天国・彼岸)に行くのではなく死ねば肉体が分解するのみ、と仮に科学的事
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実だけで人間の死を考えるとすれば、それでも人間の死、特に自分の親しい人の死という出来事を私
たちは済ましていくことができるのだろうか。人間が持つ様々な感情である喜びや悲しみ、もう一度会
いたいという思いや楽しかったと思う記憶、懐かしさや後悔。様々な自己の内面で生まれる感情は、人
間に与えられた自然な精神世界である。
肉体が分解するのみであることは科学的にみれば正しいだろう。しかし、人間が感情という精神世界
の上で死という出来事を捉えていくためには、なにかもう少し別の心のプロセスがあることで、言葉で
は表しようのない心の奥にあるものが浄化されて、精神世界においての深い受け止めになっていくよう
に私は感じる。
日本の古来からの精神世界は、自然界の至る所に神がいると信じたアニミズムの考えが今なお私
達日本人の心の根底に残っている。
梅原(1993)は、柳田国男の考察をふまえながら日本人がいだく「あの世」観を以下のように説明して
いる。柳田は、日本人はしんでからどこにいくかと聞かれると、極楽浄土へいくという。しかし、極楽浄
土へいってしまったら、それはとても遠くもう二度と帰ってこれないはずである。しかし、死者は盆や彼
岸に帰って来なければならない。とすれば、死者は極楽浄土ではなく、天の一角にいて、ときどきお山
を通って帰ってこなければならないのである。このことを日本人はあいまいにして、死者は極楽浄土へ
いっているようでもあり、また、天にいて、年に何回かお山を通って帰って来られるようでもある(24)。
現代社会で死や弔いの文化はどのように受け止められ、なされているのだろうか。上田(2003)は、以
下のように考察している。
「庶民が平地などに墓地をつくるようになった歴史は比較的新しいのです。昔から、日本の庶民は
多く、死んだ人の身体を山に埋めたり、山で焼いたりしてきました。平地などの墓地をつくるように
なったのは、都市の人口が増えたことのほかに、中世末に経済的・社会的に大きな勢力をもって
いた仏教が、その勢力を武士に奪われて庶民の葬祭事業に専念するようになった江戸時代から
盛んになったことです。明治以後は商業主義化していっそう多くなった、といえましょう。」(25)
上田の考察にあるように今日本では、死と弔いの文化の商業化が著しい。個人化した現代社会で
娘や息子に墓の世話をかけたくない、という親世代が墓をもたないことを選び始めている。また、無縁
墓なったときは、お寺や霊廟が永代供養を請け負う形や、身近で手軽にお参りできるようにと電動式の
お墓も登場している。お墓を誰が守るのか。どのような形で弔うのか。家族や親せきの結束が弱まって
きた現代社会では、ここに商業化が入り込んでいる。
私は、商業化には反対である。上田は、人間も自然に還ることを提案している。私も、そう思う。
墓にこだわるのではなく、精神世界の中で例えば「あの山に○○はいる」という心の豊かなあり方持
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つことこそが大切ではないのだろうか。古来より行われてきた日本の弔いの文化には、豊かな精神世
界がつまっている。死や弔いに向き合う時に本当に大切なことは何か、と考えると、私にはそれは内面
の豊かな精神世界の中を生きることであると思う。死や弔いとは、聖なる空間、日常とは異なる異界と
の境目へというそのプロセスやそういった現実世界だけではない異界の世界を心にもつことではない
だろうか。 今、死や弔いの文化は、何を失わないために、また何を大切にするためにどのような形で
受け継いでいくべきなのか。人間も他の生物と同様にまた自然に還ることが一番「自然」だと思える。
それは、日本が古来からもつアニミズム的な思想につながっていると感じるからである。
合理的な死や弔いの文化ではなく、人間にとって失いたくない豊かな聖なる空間や異界といった精
神世界を失わないで生きることが、人間にとって本当に大切なことなのではないかと私は思う。
「あの世」と「この世」の存在を信じ時間軸空間軸の中を自由に行き来する精神世界を創りだし、その
世界観の中に自らをおいていた時代からの死者を祀る気持ちや儀式。しかし、現代社会に生きる私達
の生活様式、思考様式がそこから変われば変わるほど古代人類が生みだし受け継がれてきた精神世
界が生活実態とかけ離れ、失われていく。
生活様式や思考様式は当然いつの時代でも自然と変化を繰り返していく。合理性を求め闇という深
さの次元が生活から失われていき夜と昼の変わりがなくなっていくように、精神世界も商業化の中で合
理的に死や弔いの文化を扱うようになってきている気がする。何か大切なものが心の中から失われる
のではないか。そもそもの人間の生き方に対する疑問。
私が心配していることは、死や弔いの文化の中にみられる恐れや祈り、得体の知れないものへの不
気味さといったある意味人類の暗い底知れない想像力といった奥行きや、深さや、豊かな想像力や感
性を失うことではないのか、と気がついた。平面的で均質化された精神世界の中に日本人は向かおう
としているのではないか。
今回私は、死や弔いの文化の考察を通して古代人類、中でも日本人の内面世界に息づいている豊
かな精神世界をみた。現代社会における科学的世界や合理性の重視、家の継続の困難さを生みだし
ている社会の構造は、日本人の心の中から「あの世」という異界の存在を失わせていくのではないだろ
うか。
そしてもうひとつ、お墓とは人間だけが創りだした虚構の世界であり、たんなる人間の欲ではないか
ということも、私は思ってきた。このままいけば地球は人間だけのお墓だらけになる、と思う。人間も自
然に還ればいい。
最後に、人間学演習でともに死や弔うことを考えてくれたみんなからの率直で貴重な意見を載せて
おきたい。
・親はお墓や葬式のしきたりは面倒といっている。岐阜県では、田舎の風習がある。
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・親は子に面倒をかけたくないので墓はつくらないといっている。デジタル化でいい。
・自分にとって墓は形式的なもの。やらなかったら気持ち悪い程度で、実際死んだ後のことはどうでも
いい。わからないからばちがあたったら嫌。自分と近い人が死んだら埋葬したいと思う。
・特別神さまとかあの世とか信じているわけではないけど、何かの時に神頼み的な救いがなくなるのは
悲しい。そういった別の世界がまったくなく死ぬだけ、と考えると人間も病みそう。
・お墓はあったほうがいい。あり方は思いつかない。先祖とのつながりがお墓を見ると納得できる。今
は、霊として見ている気もしない。魂も信じていない。
・あの世をだんだん信じなくなってきているが、感じさせる何かが人間の中にあるのではないか。今、聖
なる空間といわれているところも、もとは人間がつくりだしたもの。また、別のビルとかが聖なる空間とし
てつくられていくのかもしれない。
・登下校時に神社を通る時など日常的ななかでも、何かいるのかな、と思っていた。こま犬に掛けられ
た布にも感じていた。
おわりに
人類が死を理解していく中で生みだされた「あの世」。途方もなく広くて深くて異界の場所。その異界
という世界観の一端を前にして、大きな意味で私はその精神世界を豊かだと感じた。そして、今に生き
る私達の生活からかりに死と弔いの文化が衰退し何かが失われるとすれば、この精神世界なのだとい
うことを私は思った。行き過ぎた現代社会にみられる弔いの商業化のなかに大切な精神世界が抜け落
ちてはいないのか私は疑問を感じている。精神世界があれば、お墓は私には必要がないのかもしれな
い。今のお墓のあり方には豊かな文化も感じつつ人間中心主義への生き方につながるようで、疑問が
ぬぐいきれない。
今までの文化を継承することに疑問をもちつつ、その文化を失うことをためらう矛盾。死の迎え方は
その人間の生き方をうつしだすとすれば、今の人間中心の生き方ですべてを便利に効率的に済ませて
いった先に迎える死のあり方は、私にはできそうもない。整理してみることが私には必要そうである。
最後にレポートを書くにあたり、貴重な意見を出してくださった人間学演習1のみなさんと指導してく
ださった森岡正博先生に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
(註)
(1)人類史については加藤晋平・西田正規(1986)『森を追われたサルたち』を参照。ここでは、27 頁。
(2) 一般庶民がお墓を持つようになったのは、江戸時代の仏教における檀家制度が取り入れられるよ
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うになった後の話であることは、いくつもの文献で述べられている。例えば、森謙二(1993)『墓と葬送の
社会史』には、庶民階層では近世になってはじめて家と墓の結びつきがみられるようになることが述べ
られている。14 頁参照。
(3)梅原猛(1993)は、梅原猛は、弥生文化以降の農耕牧畜文明の人間による自然支配の始まりを指
摘し、人間中心のあり方を問い直している。縄文文化における、狩猟採集文化には、人間が自分の思
い通りに動物、植物、自然を支配するというあり方はない。「すべての生きとし生けるものは、本来同じ
ものであるという世界観を根底にして」いる世界観をもっていることを主張している。105 頁引用・参照。
(4)日本人の「あの世」観についての基底が縄文文化にあるという梅原猛(1993)の論をうけて、本レポー
トでは民俗学者の柳田国男による弥生文化基底説はとらず縄文文化に日本人の「あの世」観の基底を
おく。13-106、150-182 頁を主に参照。
(5)狩野敏次(2011)『闇のコスモロジー―魂と肉体と死生観』 参照、12 頁引用
(6)ネアンデルタール人の墓の遺跡が多く発見されている。M.シャクリー著 河合信和訳(1985)『ネアン
デルタール人―その実像と生存説を探る―』を参照。
(7)加藤晋平・西田正規(1986)、21-93 頁、148-152 頁を参照。
加藤は考古学、西田は自然人類学の専攻。
(8)人類の心の歴史については、上記の(6)M.シャクリー(7)加藤・西田の著書を参考にして書かれた、木
田元 他監修(1991) 『基礎講座 哲学』メヂカルフレンド社、3-15 頁もかなり参考にした。
(9)遺体の埋葬の意図については、M.シャクリー(1985)、144-198 頁の考察を参照した。
(10)この部分は、梅原猛(1993)『日本人の「あの世」観』、13-106 頁「世界の中の日本の宗教」「甦る縄
文」、150-182 頁「基底文化としての沖縄文化」を参照。
(11)宮家(1994)によると、ここでいう自然宗教とは「生活のなかから自然にはぐくまれてきた人生儀礼・
年中行事・救済儀礼・神話・伝説・昔話などを中核とするものである」としている。16 頁参照。
(12)以下は、天野幸弘(2001)『発掘 日本の原像』95-120 頁を参照。
(13)狩野(2011)11-29,105-147 頁参照。
(14)上田篤(2007)『鎮守の森』、(2003)『鎮守の森の物語―もうひとつの都市物語』を参照。
(15)加地伸行(1990)1-85 頁を参照。日本人の葬送儀礼は中国儒教の影響を強く受けているという。イ
ンド仏教は、葬式を行わない。
(16)人間中心主義ですすんできた現代文明への問いかけについては、梅原(1993)の中で他の個所に
もみられている。ここでは 62-69 頁を参照。
(17)人間だけが虚構の世界をもつことについては、大阪府立大学 講義「人間学入門」(亀喜,2011)内
容を参考にした。
(18)「奥」の考察については、狩野(2011)の 18-19 頁を引用。
(19)(20) 闇については、狩野(2011)13 頁引用。
(21)闇の考察 15-16 頁引用、参照。
(22)森について上田篤(2003)5 頁参照。
(23) 山田邦夫(1999)42 頁引用。
(24 日本人の「あの世」観について梅原(1993)96-97 頁参照。
(25)日本のお墓について 280-286 頁引用、参照。
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(参考・引用文献)
梅原猛(1993)『日本人の「あの世」観』中央光倫社
加地伸行 (1990)『儒教とは何か』中公新書
木田元 他監修(1991) 『基礎講座 哲学』メヂカルフレンド社 3-15 頁参照
狩野敏次(2011) 『闇のコスモロジー 魂と肉体と死生観』雄山閣
M.シャクリー著 河合信和訳(1985)『ネアンデルタール人―その実像と生存説を探る―』学生社
加藤晋平・西田正規(1986)『森を追われたサルたち―人類史の試み―』同成社
森謙二(1993)『墓と葬送の社会史』講談社現代新書
宮家準(1994)『日本の民俗宗教』講談社学術文庫
天野幸弘(2001)『発掘 日本の原像』朝日新聞社
上田篤 編著(2007)『鎮守の森』鹿島出版会
山田邦夫(1999)『生きる意味への問い―V・E フランクルをめぐって』佼成出版社
上田篤(2003) 『鎮守の森の物語―もうひとつの都市物語』思文閣出版
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