脆弱地帯の地質特性と対策 −天竜川流域の花崗岩類地帯− 北澤秋司著 2 略歴 昭和31 年 3 月信州大学農学部林学科卒業 31 年 4 月長野県下伊那郡上久堅村立砂防学校講師 34 年 4 月長野県公立学校教諭 〔上久堅中学校 ,生田中学校,松川東中学校, 根羽中学校,緑ヶ丘中学校の理科,保健体育,技術・家庭科教諭歴任〕 〔昭和36 年 6 月生田村にて"伊那谷36 災"に遭遇、 山腹崩壊,土石流の中で "九死に一生"を体験〕 45 年 4 月信州大学農学部助手〔治山工学〕 46 年 7 月信州大学農学部講師,教育学部講師(併任) 50 年 5 月信州大学農学部・大学院農学研究科助教授 63 年 4 月信州大学農学部・大学院農学研究科教授 平成5 年 4 月岐阜大学大学院連合農学研究科教授(併任) 11 年 3 月 退官 〔この間 評議員,岐阜大学大学院連合農学研究科代議員会委員) また,名古屋大学,静岡大学,三重大学,岐阜大学の 大学院農学研究科非常勤講師, 長野県林業大学校非常勤講師〔 20 ケ年〕 役職ほか 社団法人 砂防学会 理事 日本林学会 評議員 日本緑化工学会 評議員 日本雪工学会地すべり委員会 顧問 日本林学中部支部長 日本地すべり学会中部支部副会長 長野県防災会議・専門委員 入谷・此の田地すべり基本計画検討委員会委員長 わがまちの斜面構想策定委員会委員長 森林土木効率化等技術開発モデル事業検討委員会委員長 長野県・建設省中部建設局・長野営林局公共事業再評価委員 土砂災害(土石流)アドバイザ− 長野県廃棄物処理施設設置審査委員会委員長 長野県警察本部・労働基準監督署 崩落事故鑑定人 日本陸上競技連盟公認S 級審判員 3 目 次 はじめに 第1章 わが国の自然環境と災害 1.1 防災技術の指導者は西洋人 1.2 疲弊した農山村を救済した事業 1.3 わが国の大災害と砂防事業 1.4 わが国の自然条件 1.4.1 わが国は脆弱国土 1.4.2 日本の地形・地質の特徴 (1)地 形 (2) 地 質 1.5 日本の災害の特徴 第2 章 長野県の自然環境と災害 2.1 長野県の災害の特徴 2.1.1 自然条件 2.1.2 災害の構造 (1) 素因からみた山地災害の傾向 ア.断層と崩壊地 イ.市町村の崩壊率 ウ.地質地帯構造区分と崩壊地 (2) 地すべり 2.1.3 長野県の観光ブロックと災害 第3章 長野県の花崗岩類地帯における災害と防災 3.1 長野県における花崗岩類の分布概況 3.1.1 美濃帯(北アルプス)の花崗岩類工岩類 3.1.2 領家帯の花崗岩類 3.2 長野県南部に分布する領家花崗岩類の特性 3.2.1 花崗岩類の物理的性質 3.2.2 花崗岩類の風化特性と崩壊 3.2.3 花崗岩類の風化速度 3.3 花崗岩類地帯における山地荒廃現況 3.3.1 地形および気象特性と山地荒廃 (1)長野県南部における気象特性 (2)崩壊の発生と降雨との関係 3.3.2 崩壊地分布および荒廃現況 3.3.3 長野県南部における崩壊面積および崩壊率 3.4 花崗岩類地帯における山地防災 3.4.1 花崗岩斜面の崩壊機構 (1) 節理型崩壊 (2) 表層滑落型崩壊 4 (3) 断層破砕帯型崩壊 (4) 崖錐型崩壊 (5) 崩壊の発生機構 3.4.2 風化分帯と山地防災計画 第4章 災害の実例−土石流の被害− 4.1 災害の事例 4.1.1 事例の概要 4.1.2 伊那谷の36 災害 4.1.3 宇原川土石流 4.1.4 大岳川土石流 4.1.5 御岳崩壊に伴う伝上川土石流 4.1.6 浦川の土石流 4.2 災害発生時の徴候 4.2.1 伊那谷の36災に見られた行動 4.2.2 宇原川土石流での行動 4.2.3 大岳川土石流での行動 4.2.4 御岳崩壊に伴う伝上川土石流に見られた行動 4.3 土石流災害の問題点 4.4 姫川流域の災害 4.4.1 浦川土石流 4.4.2 蒲原沢土石流 第5章 土砂災害の防災 5.1 警戒避難対策 5.1.1 問題点 5.1.2 土砂災害防止におけるソフト対策 5.1.3 避難警戒の法制度 (1)地域防災計画について (2)土石流危険渓流について (3)地域防災計画における避難に関わる雨量の基準について (4)土砂害の推移と避難警戒の対応 5.2 防災システムの構築 5.2.1 災害情報デ−タペ−ス 5.2.2 災書危険度評価 5.2.3 防災計画 5.2.4 まとめ 第6章 各種基準 6.1 花崗岩類類地帯における山腹工の工種・工法選定基準(案) 6.2 荒廃地の変移予測および山腹工復旧計画例 6.3 今後における工法の技術的な措置 6.4 山腹荒廃地の立地区分 5 おわりに 参考文献 活用資料 活用地図類 資料 伊那谷におる領家花崗岩類 山地災害発生時の災害状況 祖父谷崩壊 防災対策の経年変化 1.防災対策における長期的対策 2.防災対策における短期的対策 労務災害の事例 はじめに 治山工学を専攻して卒業論文がまとめに入る 1955 年 10 月末に,辰野教授の指示で長 野県下伊那郡上久堅村におかれていた砂防学校の講師として赴任した.長野営林局が民 有林直轄治山事業を戦前から実施している所とは聴いていたが,いたるところがはげ山 で,治山工事によって復旧した真新しい山腹が目についてた.着任した次の日,砂防学 校入学式が村の公民館で挙行された.私が新任講師として紹介されたが,前に並んでい る生徒 なる人々は髭面のおっさんたちではないか,これはえらいところにきてしまっ たと後悔したが,しっぽを巻いて帰るわけにもいかずともかくがんばることにした. 校長は高校長経験者である西澤教育長で,カリキュラムもできていた.砂防工学,測 量学,測量学実習,林道測量,地質学,治山工学実習,数学等の専門をすべて担当せよ とのことであった.午前中は講義,午後は実習を兼ねた治山事業の現場での実践である. 早速講義の教材研究から始めなければ,と焦るまもなく現場での実践が待っている.現 場では,先生ではなく生徒で,ベテランの小笠原現場監督が親切に教えてくれた.吹子 による鶴嘴のさきがけまで教えてくれた.砂防学校での多くの技術者,そして生徒(そ の後営林署等で活躍)との出合いは,私の治山・砂防への足掛かりとなった. 上久堅中学校の洞澤校長との出合いは,砂防学校の閉校と同時に中学校教師への方向 付けをしていただいた.多くの人々に励まされて, 1958 年4月生田中学校に赴任した. 最初の年は副担任,次の年1 年生を担任この生徒が3 年生の1961 年6月27 日梅雨前線 集中豪雨が伊那谷を襲った.本文に詳細に記述したが,災害の前年教育会の理科同好会 で,生田地区の災害予測の研究発表をしたが,驚くべきことに私が結論とした結果が現 実となった.それこそ必然的に自然災害への研究意欲がわき上がることとなった.その 後,根羽中学校,緑ケ丘中学校と理科,技術・家庭科,体育,クラブ活動は,地学クラ ブ,陸上競技,バレーボール等,生徒の教育に夢中であったけれども,教育会における 理科同好会での研究,信州大学農学部の卒業論文とのつきあいなど,現在につながる研 究をぼつぼつ進めることができた. 1970 年母校の信州大学農学部に赴任して, 29 年間 関わりの深かった先生や職員の皆さん,研究室の学生から誠に多くの教訓や知識を頂戴 6 した.わが国は地震,火山,台風,梅雨前線集中豪雨等の災害が多く,毎年のように被 災している.1961 年 36 災害との出合いは,土砂災害(以後土砂害と呼ぶ)等の被害が 多くの人命や財産を失うことの悲惨さを十分に認識できた.少しでも災害軽減に役立つ 研究ができるならば,これこそ私の生涯の仕事であると考えてきた.私がすごしてきた 上久堅砂防学校から43 年4カ月,多くの人々に出合いこれからも多くの人々と出合い があるだろう.また学びながら,われわれの生活基盤を安全にするために,現状を分析 しこれから起こるであろう災害への対策を考えていこうと思う.災害への備えは,ハ− ド面での土木技術,ソフト面では迅速かつ的確な情報伝達と避難対策を充実しなければ ならない.わが国の砂防技術がどのように発展し,わが国の自然条件とどのように調整 していくかは, これからの時代を越えた考え方と防災技術の向上に期待がかかっている. 次代を担う若い技術者や研究者が,調和型自然災害防止方法に向かって精進されること を期待し,これまで私を支えてくださった多くの先輩、同僚そして後輩のみなさんに感 謝しつつ,私のつたない研究の一端を紹介する. 1999 年吉日 著者 第 1 章 わが国の自然環境と災害 m ロアール河 1.1 防災技術の指導 デュランス川 常 1000 木 願 曾 者は 寺 川 川 明治になって早々に豪 800 コロラド河 雨によって,日本列島は 富 標 士 吉 大洪水に襲われることに 高 600 阿 部 セーヌ河 川 野 川 川 なった.新しい時代の幕 信 ローヌ河 400 開けは大雨によって洗い 濃 川 流されることになったの 200 利 メコン河 最根 である.そこで多方面の 上川 川 0 文明開化を目指す明治政 ㎞ 0 100 200 300 400 500 600 700 800 900 1000 府は,オランダから河川 河口からの距離 技術者を招いた.オラン ダはライン河の河口にあ 図 1.1 主要河川の河床勾配曲線 る国で,洪水に最も悩まされてきた国である.明治5年ファン・ド−ルンとイ・ア・リ ンド−の2人が来日し,翌6 年エッセル,チッセン,そしてヨハネス・デレ−ケの 3名 と工手4 名が来日した.台風の連続で洪水となった,淀川,宇治川,木曾川,天竜川, 信濃川,利根川等の河川の調査を依頼した.これらの技術者は,わが国の河川が急流で これは滝ではないかとびっくりし(図1.1 参照) ,なにもしないで帰国してしまった技 術者もいた.この技術者の中で明治 34 年まで30 年間残って指導した人がヨハネス・デ レ−ケである.内務省土木局は,デレ−ケの協力を得て明治 7 年直轄治水工事を開始し た.8 年利根川,江戸川,信濃川, 11 年木曾川に直轄工事が始められ,砂防事業は 10 年木曾川,11 年淀川,14 年信濃川及び利根川で始められた.写真1.1 は木曾川に砂防 事業が始められた2年後の明治12 年デレ−ケによって築設された谷留工で,当時野面 7 石を使った高さ5 メ−トル長さ50 メ −トルの見事なダムである.これは昭 和 57 年深さ2メ−トルの土の中から 百年ぶりに発見された.写真1.2に示 したものは, フランス式階段工である. 松本盆地の東山山地横峰から水を集め る牛伏川流域は,元禄年代の「大欠け」 といわれる大崩壊から以後災害が多発 写真1.1 南木曽町大崖砂防講演に保存されている デレーケ谷留工 1987 年筆者撮影 していた.ここに明治18 年内務省直轄砂防工事が施工され,フランスの技術を導入し た水路工がみられ,昭和61 年砂防環境整備事業によって,砂防学習ゾ−ンとしてよみ がえった.明治政府は明治20 年代に頻発した水害に対処するため,明治 29 年河川法を 同 30 年に砂防法,森林法を制定し,これによって度重なる水害を防ごうとした.これ をいわゆる治水3 法と呼んでいる. ヨハネス・デレ−ケが示した治水の理念は,治水は上 流の森林を大切にすることであり,樹木をみだりに伐採 することは下流に洪水を引き起こすことになること,し たがって,上流の森林整備は不可欠であることを力説し た.また,下流の人口が多いほど上流の森林が荒廃して いることも指摘した.明治33 年東京帝国大学に「森林 理水及び砂防工学」の講座が創設され,初代教授にオ− ストリアからアメリゴ・ホフマンを招いてその講座を担 当させた.その時の助教授が諸戸北郎であった.後に諸 戸北郎はじめ内務省の技師,京都帝国大学砂防工学講座 河上恵二教授等次々にヨ−ロッパに留学し,治水技術の 導入を急いだ.諸戸は,わが国の砂防技術がようやく実 用化され定着してきた昭和3 年 7 月薗部一郎や田中八百八写真1.2 長野県土木部によ って設置管理されている牛伏 川砂防学習ゾーンのフランス 式階段工法 1991 年筆者撮影 (昭和25 年 3 月長野県立農林専門学校校長となる)らとともに学術雑誌「砂防」を発 行した.その第1 号には,冒頭に『瑞穂の國の稲田の潅概や,工業國としての水力発電 や又都曾水道の用水,燃科問題の解決者としては,皆渾々として涸れざる水を淵源とな す.文化の培養には水はなくてはならぬ.文化の破壊は亦水によるもの少なくない.我 國府県債の大部分は治水費である. この文化の破壊者であり培養者である水の源泉を遡り尽さば其処には山林がある.千 二百年前の太政官符には既に「水木相生い」の大原則を道破して居る.水源に立ちて其 水を調節するものは山林である.治水と治山とは一にして二であり,二にして一である と云はねばならぬ. 8 本源を忘れて未流に拘泥するは世態の常である. 『若し夫れ治山によつて治水を図ら んとするの士は,来つて吾人と事を共にせられよ. 』とあり,ようするに治山治水の理 念に共感する者は,一緒にやろうということを解いているものだろう.さらに,理事長 林学博士諸戸北郎は,発刊に際してという題名で, 『本年五月十三日開催の本会創立総 会に於て理事長選挙の結果余其の職を涜することになれり.余の浅学短才を以て而かも 創立当初之が大任に当たるは洵に難しとする所なるも,余は東京帝国大学農学部に於て 理水及砂防工学の講座を担当する関係上,砂防事業に対し犠牲的精神を以て努力せざる べからずと思考し,此の大任を諾したる次第にして,極力奮励し以て此職責を全うする 覚悟なり.依て会員諸君の熱誠なる御援助を切に希望する次第なり.次に本会は砂防に 関する調査及研究の結果を発表して会員相互に智識の交換をなす為会誌を発行し,且つ 砂防事業の寸時も等閑に附す可からざるを廣く世人に宣伝し之が工事を紹介し以て其の 技術の向上進歩を図り,之に依て徒費を節約し得るのみならず,國土安らかに河水治り 長へに國利民福を増進する基を築くを目的とせぎざるべからず. 幸に現内閣は産業立國を標榜し,産業に関して非常に大なる計画例へば小作農創設及 維持,産米増殖,肥科の管埋等の計画を立てらる.然れども是等の計画も河川の水源山 地の砂防工事を施工せざれば其の豫期の目的を達すること能はざるべし. 即ち森林荒廃すれば降雨毎に土砂流出して川底を高め,洪水氾濫して大害を及ぼすに 至る.故に速に山地の荒廃を復旧せざれば如何に巨費を投じて下流河川改修工事を為す も其効なし.故に砂防工事は産業立國の根本にして,産業立國主義を徹底せしむるには 砂防工事を施して治山治水の實を挙げ農地をして洪水旱魃の害に罹らざる如くなさざる べからす. 實に砂防工事は治水の根本にして國土を保全し農業を保護する事業たるを以て大に世 論に訴へて之が實施を促進するの必要あるべし. 斯の如く砂防工事は實に一國の消長に重大なる関係を有するを以て会誌の発行に当つ ては徒らに空論に走らず成るべく工事の實施上に参考となるべきものを掲載し,又通俗 的に砂防工事,道路,測量,地質,土壌等の講義を連載して直接砂防工事に従事する人々 の技術の高上を計ると共に間接に亦之れが事業に携はる人々の参考に資せんとするもの なり. 』 諸戸北郎博士の巻頭言は,デレ−ケの治水理念を踏まえていることは当然として,わ が国の産業を発展するためには砂防工事が不可欠であること及び砂防工学の進展は工事 費を軽減するのに役立つばかりでなく,国土の保全と農業の保護である.さらに,学会 誌には空論より実施可能な砂防工事のためになる技術を述べよと訴えていることが注目 される. 1.2 疲弊した農山村を救済した事業 明治40 年 8 月下旬の台風で関東地方に大水害があり,続いて43 年 8 月,関東,東北, 北陸と広範囲にわたる大洪水が起こった.これに対処するため政府は臨時治水調査会を 10 月に発足させ,第1 期治水計画がここで決議された.これに基づき内務省は治水費 資金特別会計を設置することとし,これに要する期間 18 年間の継続予算案を議会に提 出し可決された.そこで第1 期として20 河川が18 年を目処として改修されることとな り,砂防工事もこの一環として,直轄,補助の両面から工事が促進された.大正 10 年 9 政府は再び臨時治水調査会を設置し,第 1 期の見直しを行うこととした.それは一つに はさらに57 河川を追加してこれを以後20 カ年間に改修することであり,またようやく 問題となってきた地方財政への圧迫に対しては,最高限度の国庫の負担率を以ってする ことの必要があったからである. 大正12 年,関東大震災が起こった.首都を中心としたこの大地震によって未曽有の 大災害が発生した.主として丹沢山系,箱根山系にいわゆる震災砂防が行われた.神奈 川県の水無川,二子山砂防などはその代表である.この災害は,以来日本の財政に深刻 な打撃を与え,また昭和初期に全世界的規模として発生した経済不況は日本を巻き込ん で非常な不景気を生じ,失業者が多発した. 都市で失業した者は郷里の農村に帰ってきて,農村の経済はこの膨大な帰村失業者を 抱えて破綻に瀕した.政府は農村の疲弊を救済するため時局匡救救農土木事業を起こし たが,そのなかでも農山村に直結し災害を防除するとともに,そのほとんどが労力費で ある砂防事業は各地に熱烈な要望を引き起こし,ようやく砂防事業が全国的に実施され るようになってきた.長野県では飯田市上久堅(旧上久堅村)に内務省直轄砂防が置か れた.筆者はそこに設置された砂防学校で昭和 30 年より33 年まで教鞭を執った(信濃 毎日新聞社刊−戦後50 年の伊那谷−参照) .これより先,内務技師赤木正雄(わが国砂 防事業の功労者で東京都千代田区平河町砂防会館前に銅像がある)は大正 12 年オ−ス トリアに留学して砂防工学の研鑽に努めるとともに,ヨ−ロッパ,ことにオ−ストリア の砂防工事の現場を視察して,日本における砂防計画の基本を創ったが,あたかもこの 事局匡救の砂防事業が全国的に実施される時期にあって,日本の砂防の基本計画の樹立 と実施に多大の貢献をなした. 1.3 わが国の大災害と砂防事業 わが国は関東大震災以後も毎年のように自然災害に襲われている.昭和 13 年 7 月, 神戸市を中心とする大豪雨は六甲山系に多数の崩壊を生じ,そのために生じた土石流は 生田川,宇治川をはじめ大小の河川を奔流して市街地一帯は土石でうもれるという惨状 をきたし,死傷者3,000 人,家屋の倒壊流失7,700 戸,浸水家屋は実に1,083,000 戸にお よぶ大災害を生じた.これに対処するため政府は六甲山系に直轄砂防工事を起こし,昭 和 14 年より着工した.砂防事業はこの六甲山系の災害を契機として,従来に増す多額 の砂防予算が計上されるに至った. 昭和16 年に引き起こされた第2次世界大戦の間は, 物資・資金の欠乏から砂防事業はできなかった. 戦後,昭和20 年,枕崎台風により広島県呉市付近のがけ崩れは死者 1,154 名という 凄惨たる土砂災害の様相を示し,長野県は2度に渡る被害を受けている.ついで昭和22 年のカスリ−ン台風は群馬県の赤城山を中心に利根川・渡良瀬川に異常な土砂を流出さ せ,戦時中の河川管理の放棄ともいえる状態と山林の荒廃ぶりをまざまざと見せつける ものがあった.内務省は昭和22 年治水調査会を設置して,全国主要河川の治水十箇年 計画を樹立した. ようやく戦後の荒廃に手が打たれつつあったとき,昭和 28 年の西日本一帯にわたる 大水害はいよいよ治山治水の根本的対策をたてる要を悟らせる警鐘となり,政府は昭和 28 年 10 月,治山治水基本対策要綱を定めた.これは長くその後の長期計画の基礎とな った.一方,この間,森林行政としては戦中の乱伐による森林資源の枯渇を回復するた 10 め,占領下にあってその意向を入れ荒廃した山林の復元に努め,昭和 24 年度から水源 林造成事業が始められ,昭和25 年造林臨時措置法を制定して造林を強力に行うことと した.ついで昭和26 年,森林法が改正された.これはGHQ の勧告に基づいたもので, とくに森林の保続培養のための森林計画を制度的に実施することと,森林組合を協同組 合主義の原則により改組することを主眼とした.この森林法の内容を規制した GHQ の グレ−ベルによる勧告(昭和25 年 4 月 24 日)はとくに治山治水に重点を置いており, その内容は, 「 (総括)第1 日本における年々の侵食及び洪水被害の増加は,急峻な山岳 地帯及び人口超密が併せて起因するものである.急峻な日本の河川の上流地帯の森林及 び土地利用のこれまでの多くの慣習が,過去 20 年間の惨害と頻繁な洪水の主な原因と なったのである」に始まり, 「一般勧告」としては,洪水対策担当の政府機関の相互の 協調と,一貫した流域計画をたてるべきことをいい, 「個別勧告」としては, 「 (1)現 在収穫の主な方法となっている皆伐はこれを停止し(中略)地上に常に植生を十分に保 ち,もって土壌の惨透力を保持し過度の地表流水と侵食を防止しなければならぬ. (中 略) (4)林地区の落葉の採取はもっと厳重に取締まり,もって常に地上に十分な落葉 を残し,土壌の浸透力を保持し地表流下水を最小限度に止め,土壌侵食を防止するよう にする. (5)現今は一般に原野の過度の利用が行われているが,これは落葉の採取と同 一の結果をもたらすものであるからこれを防止する方法を講じなければならない」とな っている.誠に現在において反省すべき堂々たる議論である. (4)の「落葉去々」は 当時の燃料不足から,人里近い山は掃いたように燃えるものはすべて山から持ち去られ た状況を頭に置かねばならない.昭和28 年の西日本一帯にわたる災害の特徴は,著し い山腹崩壊とそれによる士砂流出のあったことである.この災害の特異性は「昭和 28 年 6 月及ぴ7 月の大水害による公共土木施設等についての災害の復旧に関する特別措置 法」が公布されたことでもわかる.これには特例として国庫負担の率を上げること,水 防法の特例,道路の修繕に関する補助,地すべり等の防止,高潮防止等の事業の補助等 の内容のものである.とくにこのうち地すべり等の防止については, 「この災害により 生じた著しい災害を起こすおそれのある地すべり,山崩れ又は士砂崩壊を防止するため に必要な事業(地すべり等の防止事業)を施工する場合においては国は政令の定めると ころによりその事業費の十分之九を補助する」と規定された.これは昭和 28 年の災害 に限る特別法であったから,この災害を契機として地すべり,がけ崩れに対する国庫補 助の制度化がようやく叫ばれるようになり昭和 33 年「地すべり等防止法」が制定され, ついで昭和 44 年がけ崩れ防止に対し, 「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法 律」が制定された.かくして昭和26 年の新森林法と上述の砂防関係3 法とにより治山, 砂防に関する法制は整備されてきたのである. このように昭和40 年までの大災害をみても現象対応的に法整備が行われてきたこと がうかがえる. 水源林の保全に始まり,河川の埋没防止,土砂災害の復旧および防止と歩を進めてき た日本の砂防の現在直面する新たな諸問題は,日本の宿命ともいえる急峻な地形につく られた発電,洪水調節,防災等のダムの急速な埋没の防止と,ようやく問題を提示しつ つある都市とその周辺のがけ崩れ等の危険防止と,それから絶えず噴煙を上げ続ける有 珠,鳥海,阿蘇,桜島、新たに噴煙を上げ始めた北海道の駒ヶ岳,不気味な群発地震に 11 見舞われた焼岳等の活火山の噴出土砂に対する防御の方策であろう.そして,昭和 40 年代から顕著となった河川における河口の低下の現象と砂利資源の枯渇は,また砂防の 方法に再考を要する.従来,山林荒廃の原因とされてきた多くの人為的行為は時勢とと もに消滅している.製塩・製陶のための燃料材の乱伐,鋼製錬による植生の絶滅などが それである.しかし一方,大規模な山地の開発,道路・林道の開設等も有るが,山林の 魅力が薄れた広大な民有林の徐伐及び間伐の遅れた放置林等,山地を荒廃させる行為が 目立つようになった.今われわれは歴史を振り返り砂防の原点に帰るとき,機能の高い 山地・森林を目指さなければならない,それが目下の最大の急務であることを知るので ある. 1.4 わが国の自然条件 第三紀 1.4.1 わが国は脆弱国土 第四系 火山岩 第三系21.1% 10.5% 中央公論平成10 年 6 月号で「脆弱国 白亜系 先第四紀 6.0% 火山岩 土を誰が守る」と題して,建設省大臣官 6.9% 6.9% 房技術審議官大石久和氏及び東京工業大 花崗岩 8.2% 学教授川島一彦氏共著の論文が掲載され 第四紀 二畳系 た.これまで自然災害とその対策につい 火山岩 13.7% 完新統 て筆者は,自然環境問題も含む大学での 7.7% 19.9% 講義及び各種講演会で述べてきたことが まったく一致しているので,以後たびた 図 1.2 日本の地質面積 びこの論文を引用させていただく. 日本の自然条件を見るとき,諸外国との比較の中で認識する必要がある.わが国土に は様々な諸外国にない問題が内在し,公共投資の非効率性やどうしても越えられない自 然条件がある. 先に述べたように明治維新より西洋に学んできたわが国は,アメリカの庇護のもとに 戦後 50 年,世界の奇跡といわれた経済成長を達成した.わが国は「もはや欧米に学ふ ものなし」でよいのだろうか.いまだに景気向上策を同盟国アメリカからきついおしか りを受けながら四苦八苦している. わが国にはどんな問題点があるのだろうか. ア,わが国土には,これで十分という社会資本整備ができたのであろうか,西欧の国々 とわが国の自然条件から考えれば,不充分であり欧米並の社会条件になっていないどこ ろか,社会条件は発展途上国並である. たとえば,図1.2に示したものは,わが国の地質調査所が刊行した百万分の 1 地質図 で,筆者が主な地層の面積比を算出したものである.これを見ると比較的安定している と言われる基盤は,二畳系12.7%及び白亜系6.9%の合計19.6%である.それ以外は雨 に弱い地層等である. イ.わが国は人口125,000,000 人を超え,1 ㎢に 331 人も住む人口過密国である.わが国 の国土は,378,000 平㎢で,世界の陸地面積の0.25 パ−セントである.しかも, 78%も の森林で覆われているので,人間の居住地は住めない湖,川及び荒廃地を含む 22%し かない. ウ. 南北に2,000 ㎞もある細長い島国である.中央の脊梁山脈の他各地に大小の山脈が 12 図 1.3 東アルプスと日本アルプスの地形の比較 連なり,気候の変化が著しく降水量が年平均 1,900 ㎜と多い.更に,台風の通過地点で もある. エ. わが国は環太平洋火山帯及び地震帯に属し,世界中の地震の 10%程度及び世界の 活火山の10%以上が存在する. オ. 河川の氾濫原に平野の広がるわが国は,水田耕作のためにはきわめて豊かな土地 を保有している.しかし,この美しい田園地帯が,減反で荒廃田となり保水力を失った 土地は,何の役にも立たない.それどころか,地すべり地帯では荒廃田から地すべりが 各地で起きている. カ. 山地における保安林の整備にしても,都市管理及び農村管理など国土の管理は一 貫性を欠き,都市に手厚く農山村に薄い施策が進行している. キ. わが国民はそれでも美しい四季析々の国土景観と豊かな自然の恵みを享受してい る.しかしその一方で,国民はどのように自然を保全すればよいのか,判断に苦しんで いる. ク. 国土をどのように生かし,どのように守っていけばよいのかの教育的マニュアル がない.児童の教科書から森林を学ぶ部分が除かれて久しい.文部省は今こそ環境教育 の教科化(強化でもよい)に取り組むべきである. 1.4.2 日本の地形・地質の特徴 (1)地 形 日本の地形の原形は,地殻変動や火山活動によってつくられる.原地形は氷河,流水, 風,波などのエネルギ−源が太陽の活動による外作用(主として気候変化)で破壊,侵 食,削剥,堆積が起こり,その期間中に地殻変動および火山活動の内作用も加わって地 形が形成される. 変化に富んでいる日本の地形は, 複雑で狭い範囲で異なる地形の組み合わせがみられる. 13 図 1.3 に示したように,これをモザイク構造と呼ぶ(中野,小林 1959) .日本の地形の 起源は,百万年∼1 千万年で,第3 紀以降に形成したものである.山地の生長について は,赤石山地の差別侵食(山地の隆起量と侵食量)がその良い例である.激しい侵食作 用は,山崩れ,地すべり等に関係して細分化した山ひだは,激しい侵食作用の結果でき あがったものである. (2) 地 質 わが国は,北西太平洋の弧状 列島群である.島弧群は,千島 ∼東北日本∼伊豆小笠原と西南 日本∼琉球に分けられる. 図 1.4 糸魚川ー静岡構造線 にわが国の地質構造を示す.そ 東北日本 酒田 中央構造線 して,次のような特徴を挙げる 棚倉構造線 内帯 ことができる. a.古い時代の地層群と広域変 那珂湊 西南日本 成岩 シルル紀から古第三紀までの約 柏崎−銚子線 外帯 4 億年東北日本を除く,主とし て西南日本に分布.堆積岩の一 フォッサ・マグナ 部が変成作用を受けて,広域変 成岩地帯となりこれが日本の骨 格を形成した. 図 1.4 日本列島の地質構造 b.花崗岩と流紋岩 日本は花崗岩が多く分布して,今から約 1 億2千万∼6 千万年前を示すので,白亜紀か ら古第三紀にかけて貫入または噴出し流紋岩を伴う. c.新生代後期の地層群 沿岸部や内陸の古い時代の地層の上に堆積する新第三紀∼第四紀の地層が分布.沿岸部 のものは厚く,内陸は薄い. d.平野と台地の第四紀層 平野は国土の6 分の 1 に満たない.ここに人口の70%が集中している.平野とそれ よりやや高い台地には,第四紀の後期以後,現在に至るきわめて新しい堆積物〔火山灰 (ロ−ム) 〕で覆われている. e.火山 200余りの火山は火山地形を残している.国立公園の 4 分の1 を占め温泉を伴う.こ こは自然災害の危険性がきわめて高い. 5.日本の災害の特徴 14 (人) 300 死 者 及 び 行 方 不 明 者 637 239 250 376 200 259 171 154 175 126 150 100 100 204 194 183 239 152 129 202 82 69 50 32 5 70 81 53 44 27 22 40 82 71 242 49 69 70 72 73 89 70 34 12 8 74 75 西暦年 114 76 77 2316 23 78 93 60 54 19 18 71 202 175 109 89 81 72 0 68 崖 土 洪雪 崩 石 水崩 れ流・ ・そ 地の す他 べ り 4 79 25 0 80 2013 14 81 6,314 6,268 (人) 300 425 251 死 250 者 508 284 177* 及 200 185 171 (100) び 194 152 (43) 141 行 150 127 方 不 100 88 97 78 105 55 明 59 46 (43) 5 9 (1) 4 9 者 4 8 38 54 41 32 38 50 33 3 0 3 2 29 29 6 261815 25 20 1 1 15 17 1514 19 12 8 414 1 12 3 116 95 1 4 34 0 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 西暦年 1.5 自然災害による原因別死者・行方不明者数( 1968∼1996 年) 自然災害のうち台風、大雨、強風、高潮、地震、津波災害について集計したものであ り,合計に雪崩災害は含んでいない. 1983 年()内:津波による死者数 1991 年,1993 年()内:火砕流による死者数 雪崩については,保全人家等がある雪崩危険箇所にお ける被災集計であり,それ以外の場所で,たとえば登山者の登山中の雪崩による被災等 は含まれていない.1996 年 12・6 蒲原沢土石流災害による死者は含んでいる.各年の 死者・行方不明者数の総数は警察庁、土石流・地すべりすべり・がけ崩れ・雪崩につい ては建設省河川局砂防部調べ.平成7年( 1995)における死者数には阪神・淡路大震災 による死者・行方不明者を含んでいる. 先に述べたようにわが国は国土の形状,地形,位置関係などの特性から,自然災害が 15 発生しやすい条件をもっている. 6 月上旬から7 月中旬にかけては大雨が降り(梅雨期) , 7∼10 月には赤道付近で発生した台風が数個来襲する.また冬期には,日本海側各地に 相当量の積雪をもたらし,時には豪雨となって大きな被害をもたらす.さらに環太平洋 地震帯,環太平洋火山帯上にあるため,地震が頻発し,火山活動による被害も多い.こ うした自然条件に加えて, 狭い可住地域に多数の人口が集中し, 高度な土地利用と経済・ 社会活動が行われることによって, 災害による被害を大きくする可能性を高くしている. 防災対策の向上は急を要する問題である.平成 5 年は大きな地震と風水害によって多数 の犠牲者を出した年であった.とりわけ 7 月に発生した北海道南西沖地震による奥尻島 の被害と8 月に起きた集中豪雨と台風による9 州南部地方の被害大きかった.平成 7年 の阪神・淡路大震災の悲惨な状況は,自然災害の恐ろしさをあらためて認識させられた. 図 1.5 に昭和43 年から平成8 年までのがけ崩れ,土石流,地すべり,洪水,雪崩及 びその他の自然災害における死者及び行方不明者の推移を示した.これを見ると,平成 2年までは死者及び行方不明者が減少傾向にあることがわかる.ところが,翌年から火 山および地震によって増加している.これは,平成 3 年 9 月の雲仙普賢岳噴火災害,平 成 5 年 7 月の北海道南西おき地震災害から九州および関東地方の豪雨災害そして平成 7 年 1 月の近畿地方地震および6 月の全国豪雨災害である.この図の最後被害の少ない平 成 8 年の土砂災害等の発生状況を見ても,土石流等が 91 件,地すべりが64 件,がけ崩 れが258 件,雪崩が28 件であり,全国44 都道府県で合計441 件が報告されている. 土砂災害の特徴としては,土石流,地すべり,がけ崩れ,雪崩いずれも発生件数,死者・ 行方不明者数,負傷者数が最近10 年間で最低もしくは最低に近い数字となっており, 例年に比べて災害の少ない年であった. 火山および地震災害の内容をみると,必ず二次災害として土石流災害の発生がみられ ることである. 特記すべき災害としては, 12月 6 日に長野・新潟県境の蒲原沢の土石流である.発生 原因は,平成7 年 7 月の豪雨で源頭崩壊が発生し,それに伴って土石流も発生した.こ の源頭崩壊が拡大したことで土石流が発生し,前年の災害復旧工事等に従事していた工 事関係者に死者14 名,負傷者9 名を出す事故となった.そのほかは平成 8 年において は年間を通じた災害状況としては,蒲原沢以外で土石流等による地域住民等の死者・行 方不明者および負傷者の被害はなく,また家屋被害については全壊 13 戸(全て山林火 災) ,半壊1 戸,一部破損2戸となっている. 平成8 年の建設省所管の地すべり災害の発生件数は 64 件であり,この件数は地すべ り災害が多発した咋年の2 37 件と比較して約1/4,過去10 年間における発生件数の平 均の 121 件と比較しても約半数となっている. 平成 8 年の気象状況は,近年続いて いた暖冬頃向に歯止めがかかり,降雪,気温とも平年並みとなっているが,梅雨期から 夏期にかけ,各地で降雨が少なく,渇水となっている.この気象状況は地すべり災害に も反映され,融雪によるものが多くなり,降雨との関連が大きい.そのほか,急傾斜地 に発生したがけ崩れがあり,このように例年より少ないとしでも多岐にわたる災害が見 られる. 図 1.6 に最近10 年間の土砂災害の発生状況を示した.これによると,前半 5 ケ年に 対して後半の5 ケ年は火砕流,土石流,地すべりおよびがけ崩れとも増加している.主 16 4322 (件) 2000 2085 3872 3600 [1959] 2288 火砕流(雲仙・普賢岳) 1507 1783 [329] [1335] 土石流 地すべり 1118 崖崩れ 2879 災 1500 害 発 生 件 数 1000 [2755] 1270 794 4035 238 1154 [3919] 1063 1413 574 136 4 853 [305] [780] 122 200 500 181 102 111 [176] 599 116 55 232 135 114 91 [73] 68 142 347 64 258 [180] [172] 917 125 237 413 852 291 345 0 [549] 101 893 180 656 1479 [942] 171 615 540 464 '88 '89 '90 '91 '92 '93 '94 '95 '96 '97 '88∼'97 '93`'97 '88∼92 西暦年 10年平均 5年平均 5年平均 な土砂災害発生状況を見てみる と,平成3 年では夏から秋にか けての台風の上陸が相次ぎ,関 東地域においても多くの災害が 発生した.平成5 年は「平成5 年(1993 年)8 月豪雨」をはじ めとする記録的な豪雨,史上タ イ記録となった6 個の台風上陸, さらには1 月の釧路沖地震,2 月の能登半島沖地震,7 月には 北海道南西沖地震と続けざまに 発生した大地震等が原因となり, 近年になく土砂災害の多発した 年となった.一転して,平成6 年には土砂災害発生件数,被害 とも少ない年となった.平成7 年は1 月の兵庫県南部地震に伴 う地すべり・がけ崩れ災害,7 月の梅雨前線豪雨により北信越 地方において多数の土石流・地 図1.6 近年の土砂災害の傾向 すべり・がけ崩れが発生した.平成 8 年は6 月に前年の豪雨災害に見舞われた長野県小 谷村で姫川の氾濫等により,国道148号線が再び長期間通行不能になったほか, 8 月に は兵庫県丹南町にて,集中豪雨に伴う土石流災害が発生し舞鶴自動車道が埋没・損壊し 地域経済に大きな影響を与えた. このように,近年の土砂害の傾向は,二次災害と局所的な豪雨災害,都市周辺のがけ崩 れ,蒲原沢土石流災害に見られたように,予測のつかない災害も発生している. 第2章 長野県の災害の特徴 2.1長野県の災害の特徴 2.1.1 自然条件 長野県は,東経137゜15´∼138゜45´,北緯35゜10´∼37゜と,まさに日本の中心 に位置していることになる.その面積13,585 ㎢,ほぼ南北に細長く,温帯に属してい て 4 季が明瞭で,すばらしい自然美が展開されている.日本の屋根と呼ばれている3,000 m_級の日本アルプスを始め,フォサ・マグナ地帯には,八ケ岳連峰,浅間及び草津白 根といった活火山があり,西部には御岳,乗鞍及び焼岳の火山も 2,000∼3,000m_の高 山となっている.そのうち浅間山,草津白根山,御岳及び焼岳は現在も活動している. 県下の諸河川の主なものとしては,日本海に注ぐものに,千曲川( 1,038 ㎞県下のみの 流路延長距離,以後括弧内は数字のみ)及び姫川( 90,4) ,太平洋に注ぐものに,天竜 川(697) ,木曾川(337) ,釜無川(19.5) ,及び矢作川(根羽川13,平谷川18)がある. 17 山地 高地 苗場山 2145 台地 低地 白根山 2106 槍が岳 3180 浅間山 2542 十国峠 御岳山 3063 赤岳2899 三国山 1611 金峰岳 2595 仙丈岳3033 赤石岳3120 恵那山 2190 青崩峠 0 30㎞ これらの山河の間には,大小の盆地がある.千曲 川流域には,飯山(標高312m_,以後括弧内は 数字のみ) ,長野(350) ,上田(420∼550) ,佐 久(650∼700)及び松本(550∼700)が,天竜川 流域には,諏訪(760)及び伊那(400∼700)が ある.この他,姫川流域の盆地は狭長で,木曾川 流域は同様に狭長な谷間である.釜無川は,富士 見高原と赤石山脈の最北端に当たる県境を流下し ている.矢作川の上流域では,根羽( 600)及び 平谷(900)の小盆地がある.図2.1 に示した地 形区分をみると,長野県は山地の多い複雑な地形 を示していることがわかる.気候においては,こ れまた変化に富んでいる.県北地域の飯山盆地始 め新潟に近接している地方では,冬季に多量の降 雪をみるいわゆる日本海型の気候で,県南地域の 図2.1 長野県の地形 木曾谷及び伊那盆地などでは,夏季に降雨の多い太平洋型の気候をしめしている.図 2.2 に示した年降水量分布図(平成8 年 6)をみると,県南地域が2,000 ㎜を越え,県北に 少ないという傾向がある.そして,山岳や山間地では,北及び中央アルプスに多く,南 アルプス及び8 ケ岳に少ない.気温は,その較差が大きく,冬季の乾燥が著しい内陸性 の特徴がみられ,標高500m_以下の低暖地に対し, 700∼800m_から上は高冷地となっ ている.図1.4 に示したように,本県は日本列島 2000 の地体構造を区分する上で重要な地質的位置にあ 苗場山 る.すなわち,それは糸魚川−静岡構造線および 2145 中央構造線である.前者は本州を東北日本と西南 白根山 2106 日本に2分する断層(東北日本と西南日本に2分 1000 1500 1000 槍が岳 する断層は,ナウマン論文を後に改変して棚倉断 3180 浅間山 層とした)であり,伊豆七島からマリアナ諸島へ 2542 と続く,フォッサ・マグナの陥没を引き起こした, 十国峠 御岳山 3063 中新世初めの大規模な断層運動によるもので,陥 金峰岳 赤岳2899 3000 2595 没地域の西縁を示す断層に相当する.この断層を 三国山 仙丈岳3033 境にして,西側には中・古生層など古期岩類,東 1611 1500 側には新第三紀の火山岩類が厚く堆積し,地形的 赤石岳3120 恵那山 2190 にも顕著な相違がみられる.中央構造線は,西南 0 30㎞ 2000 青崩峠 日本の内帯(日本海側)と外帯(太平洋側)に分 図 2.2 1996 年の総降水量分布図(㎜) 日本気象協会1996 年より筆者改変 ける断層で,領家帯と三波川帯の境界をなし,鹿塩マイロナイト(断層圧砕岩)を伴う. この断層は,中生代後期の白亜紀の後半より第四紀まで続いたとされているが,糸魚川 18 新潟県 姫川 千曲川 池尻川(関川水系) 苗場山 2145 富山県 白根山 2106 群馬県 浅間山 2542 槍ヶ岳 馬坂川(利根川水系) 岐阜県 穂高岳 十国峠 3180 赤岳 御嶽山 3063 埼玉県 2899 火山噴出物 仙丈ヶ岳 1611 主として深成岩類 3033 木曾川 矢作川 愛知県 第四紀層 赤石岳 3120 恵那山 2190 青崩峠 静岡県 0 中・古生層 三波川帯 金峰山 釜無川(富士川水系) 2595 山梨県 三国山 第三紀層 実在断層 推定断層 25 50㎞ 天竜川 図2.3 長野県の地質概略図 −静岡線の断層の断面が明瞭に ◎ 確認出来ないのに対して,この 横ずれ断層 ◆ ▲ ◎◆▲ 断層では,随所で明瞭な断面を ▲ ▲▲ ◆ ◆ みることができる.昭和59 年 ※▲ ※ 左ずれ断層 ※ ◆ ▲ ◎ ◆ ▲ ▲※ 年長野県西部地震災害を契機に ◎ ▲◆ ◆ ◆ ◆◆ ▲▲ ▲▲ して,にわかに地震災害へ関心 ※ ◎ 7.0 以上 ▲ ▲ ◆ ◆ ◆ が集まってきた.図2.4 には本 ▲ ◎ ※ ◎ ▲ ▲ ※ ▲ 5.9 以下 県とその周辺の地震や活断層を ◆ ◆▲ ※◆ ▲ ▲◆ ◆ ▲ ※ 火 山 ▲ 示した.これをみると,県内で ▲ ▲ ◎ ◎ ◆ ◆ ◎ ◆ は県北地域に集中し,本県周辺 ※ ◆ ▲ ◆◆ ◆◆◆ ◆ ▲◎◎ ▲ では岐阜や伊豆地方に集中して ◎◎ ◎ ◎ ◆ ◆ ◆ ▲▲◆◆ ◆ いる様子が伺える. 県西部域は, ◆ ▲▲ ▲ ▲ ▲ ◆ ◆ ◆ ▲ 岐阜地域の地震群に所属してい ◎ ▲ ◆ ◆ ◎ ▲ るようであり,県南東地域には ▲ ▲ ▲ ほとんどないようである.この 0 50Km ▲ ように,地震の発生地点には, 偏在性がみられる.長野県の自 図 2.4 中部地域の地震,火山,活断層 19 % 態様別 気象要因 地域別 然条件は,標高3,000m_級の山々に囲ま 100 れているために, 県の大半は山地であり, 降雪 東北7% 崖崩れ 2% 急流河川や地質的に脆弱な部分が多く, 90 降雨 北陸4% 22% 関東8% しかも狭い地域での生活をよぎなくされ 14% 80 中部3% 地すべり ている.ここに災害の多い長野県の自然 東海6% 70 近畿6% 12% 特性をみることができる. 梅雨 60 2.1.2 災害の構造 中国29 60% % 自然災害の態様は図2.5 に示したよう 50 に,土石流 66%で最も多く,気象要因 40 四国3% では梅雨期に多くの発生を見る.地域別 土石流 30 66% では,九州及び中国地域に大半が集中し 台風 九州33 20 ている.したがって,台風の影響の大き 23% % 10 その他 さを示し,本県は中部地域の3%になっ 1% 0 ているが,毎年注目すべき災害が発生し 図2.5 自然災害の発生割合 ている. (1) 素因からみた山地災害の傾向 苗場山 ア.断層と崩壊地 2145 本県の災害の特徴は,地質的要因が大きいので, 白根山 F 2106 これについてみてみよう.図2.6 には,本県にあ 浅間山 B 槍ヶ岳 2542 3180 る主要な断層を示した.この図は,国土地理院発 S 十国峠 行 5 万分之1 地形図の範囲から作成した地質図よ 御岳山 C 3063 り抽出したもので表現してある.そこに有名な断 金峰山 I M 赤岳28992595 三国山 k 層群を9 区分して挙げてある.これらの断層上に 1611 J 千丈岳3033 恵那山 A ある面積1ha以上の崩壊地をこれまで発行された 2190 赤石岳3120 国土地理院の地形図から計測し, その結果を図2.7 50㎞ 0 25 青崩峠 に示した.1932 年から1976 年までに国土地理院 F:北部フォッサ・マグナ断層群 S:糸魚川−静岡構造線断層群 が発行した8 期の地図の発行年で崩壊地数の頻度 B:北アルプス断層群 M:中央構造線断層群 を示してある.崩壊地の集計では,先の主要断層 C:神谷断層群 J:清内路断層群 K:木曽断層群 を中心とする断層群をみて処理した.全体ではこ A:南アルプス断層群 I:伊那断層群 の図からわかるように経年的に多少の変化がみら れる.1946 年より1970 年まで,減少傾向にあった 図2.6 長野県の断層分布図 ものが,1976 年には上昇している.断層密度が多い本県では,崩壊地との関係が深い ことを意味している. 長野県地域については1970 年前後の空中写真によって図化された 5 千分之1 地形図を 用いて,その後10 年程度の期間をかけて現地踏査を実施し崩壊地を計測した.その分 布を図2.8に示す.これをみると先に述べた山地に崩壊が偏在している事がわかる.長 野県全域で崩壊数61,494 箇所,崩壊面積80.22 ㎢,崩壊面積率0.59%である.1970 年 は地形図法改正後の地図である. 1960 年ころから崩壊数が極端に減少している.これを無視して経年変化をみると, 長野県南部域の断層に伴う崩壊地は増加傾向にあり, 北部域のそれは変化が見られない. 20 イ.市町村の崩壊率 % 18 % 16 16 14 12 M 10 K 8 6 4 18 面 16 積 14 頻 12 度 10 崩壊数 S B 面 14 積 頻 12 崩壊面積 度 F A 10 8 22 J 20 1930 1940 1950 1960 1970 18 16 地形図の発行年 14 12 10 8 I 6 4 C 2 0 1930 1940 1950 1960 地形図の発行年 図 2.7 断層に伴う崩壊地の面積経年変化 1970 長野県内120市町村について集計した崩壊地のデ−タは,図 2.9および2.10 に示した. 崩壊地の計測デ−タでは,長野県の面積 13,564.45 ㎢,崩壊数61,494 箇所,崩壊地面積 8,021.61ha である.その結果でみると,崩壊面積率は下伊那郡1.16%,上伊那郡1.05%, 北安曇郡1.02%で,最低は埴科郡の0.07%であった.さらに,飯島町の4.63%が最高で, 次いで松川町 3.66%,阿智村 2.80%の順となっている.0%は上水内郡の牟礼村及び3 水村の2 カ村であった. 市部では,発生箇所の最も多い飯田市は,崩壊率で 1.16%と駒ヶ根市1.29%に次ぐ第2 位である. ウ.地質地帯構造区分と崩壊地 Mt.Naeba 2145 長野県を糸魚川−静岡構造線で2 分して崩壊地 を集計してみると,図2.11 に示すような関係が Mt.Shirane 2106 得られる.地形との関係は,傾斜角と崩壊頻度の Mt.Asama 2542 関係を棒グラフで示した.また,傾斜角と崩壊規 Mt.Yari 3180 模の関係を折れ線グラフで示した.傾斜角は最も Jikkoku 一般的に用いられている寺田法によって計測した. Pass この関係図をみると,崩壊地は圧倒的に中・古生 Mt.Ontake 層 3063 Akadake Mt.Kinpu 地帯に多い.傾斜分布ではフォッサ・マグナ地 2899 2595 Mt.Mikuni Mt.Senjo,3033 1611 帯がほぼ緩傾斜に, 中.古生層地帯はほぼ急傾斜に偏在傾向が見られ る. Mt.Akaishi,3120 Mt.Ena 2190 部位では最も山腹に多く山頂及び渓流沿いがほぼ 同 25 率となっている.崩壊の規模では中・古生層が 5 0 50? Aokuzure 倍程度となっている. Pass フォッサ・マグナ地帯には,地すべりが多くみられ,図 2.8 長野県の崩壊地の分布 これらは崩壊地にカウントされていない. 21 棒グラフ:崩壊数 折れ線グラフ:崩壊率 25000 1.2 4000 1 20000 3500 崩 壊崩 0.6 率 壊 数 10000 0.4 0 1 2500 0.8 2000 0.6 1500 0.2 市南 北 小諏 上下木東南更北植上下上下 佐佐 伊伊 筑安 安 高高水水 部久 久 県訪 那那曽摩曇級曇科井井内内 0.2 500 0 0 崩 壊 率 0.4 1000 5000 1.4 1.2 3000 0.8 崩 15000 壊 数 棒グラフ:崩壊数 折れ線グラフ:崩壊率 長松上岡飯諏須小伊駒中大飯 茅塩更佐 ヶ 野本田谷田訪坂諸那根野町山 野尻埴久 市市市市市市市市市市市市市 市市市市 0 図 2.9 長野県市部.郡部の崩壊数及び崩壊率図 2.10 長野県市部の崩壊数及び崩壊率 フォッサ・マグナ地域 (×10− 中・古生層地域 1ha) 25 5一 A B C (×103) 5 箇 4所 当 3た り 2の 崩 壊 1 面 (×103) 積 25 一 箇 20 所 当 15 た り 10 の 5 崩 壊 面 積 20 4 崩 壊 数 A B C A 870箇所 B 12,077箇所 C 1,493箇所 3 2 崩 壊 数 計14,440箇所 傾斜階級 tanθ= 10 50 ×n 10 計44,804箇所 5 1 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 A 1,305箇所 B 39,620箇所 C 3,879箇所 15 (n) (n) 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 傾斜階級 tanθ= 10 50 ×n 図 2.11 長野県における中・古生層及びフォッサ・マグナ地域の地質別部位別崩壊 数と崩壊面積(1995 年7月以前発生) (2) 地すべり 長野県の地すべ分布を図2.12 に示した.長野県の地すべりは,第三紀中新世の地層 に 77%余りと圧倒的に多く,それらはさきにも述べたようにフォッサ・マグナ地帯が 大半を占める.その他古生層に10%余り,火成岩,更新世で12.4%となっている.山崩 れをみると,これは伊那谷のものであるが,崩壊地は 1 ㎢当たり約9 箇所と多発してお り,地域別でも赤石山地に最も多い.このように,本県は糸魚川−静岡線で境する県北 地域では,地すべりが県南地域では山崩れが多い.土石流となると何処にでも発生して 22 新潟県 姫川 千曲川 池尻川(関川水系) 苗場山 2145 富山県 白根山 2106 群馬県 浅間山 2542 槍ヶ岳 岐阜県 穂高岳 十国峠 3180 赤岳 御嶽山 3063 2899 埼玉県 金峰山 釜無川(富士川水系) 2595 山梨県 三国山 1611 仙丈ヶ岳 3033 木曾川 赤石岳 3120 恵那山 2190 地すべり地 静岡県 矢作川 愛知県 青崩峠 天竜川 いるが,これまでに豪雨の経験の ない場所でしばしば集中豪雨に見 舞われて発生するケ−スが多くな った. 2.1.3 長野県の観光ブロックと 災害 長野県は自然環境がすばらしく 多くの観光客が訪れる.観光地は 火山や山岳の複雑で急峻な地形と 脆弱な地質を基盤にもつ場所で, 災害の発生しやすい危険な場所で ある.したがって,過去の災害の 状況を点検しておく必要がある. 長野県は,図 2.13 に示したよ うに,観光地を9つのブロックに 分けている.そこには図2.14 に 示したように,国立公園,国定公 園及び県立公園が配置されている. このような観光地は,温泉,景観 新潟県 千曲川 図 2.12 長野県の地すべり分 姫川 池尻川(関川水系) 苗場山 布 2145 (山岳,湖,渓流,峡谷)を ◎飯山 ▲ 戸隠高原 志賀高原 始め様々な観光要素を取り入 ▲ 富山県 白根山 ◎長野 2106 れた開発によって観光客を満 群馬県 足させる多彩な内容となって 善光寺平 ◎大町 浅間山 北アルプス いる.筆者は,本県がこのよ ◎上田 2542 ▲ 浅間高原 うに多くの観光要素を持つ県 槍ヶ岳 ▲ ◎佐久 ◎松本 であることの裏に,災害ポテ 中信高原 穂高岳 十国峠 ◎塩尻 ンシャルの高さがあることを ▲ 3180 ◎諏訪 指摘した. 過去長野県内に 秩父多摩 赤岳 御嶽山 埼玉県 ▲ 発生した大災害は1847 年の 2899 3063 ▲ 金峰山 ◎木曾 木曽谷 ◎伊那 釜無川(富士川水系) 2595 善光寺地震から20例を越す.岐阜県 山梨県 三国山 そこで,これら観光地を点検 仙丈ヶ岳 ▲ 1611 3033 し,安全環境を創出すること 木曾川 南・中アルプス伊那谷 地方事務所所管範囲 は重要である.そのために, 赤石岳 ◎飯田 恵那山 ▲ 3120 2190 ▲ これら観光地の自然災害につ 高速自動車道 いて検討した.図 2.15 には, 静岡県 矢作川 青崩峠 自然災害による物的・人的被 愛知県 天竜川 害の関係をわが国全域と長野 県でみた.自然災害で取り上 図 2.13 長野県の観光ブロック 23 新潟県 千曲川 げた災害の種類は, 姫川 池尻川(関川水系) 地すべり,雪害,豪 苗場山 中部山岳国立公園 2145 雨, 富山県 梅雨前線豪雨,雷 白根山 上信越高原国立公園 2106 雨・雹害,台風,突 群馬県 風,地震,林野火災 浅間山 聖山高原県立公園 2542 である.これをみる 槍ヶ岳 馬坂川(利根川水系) と,人的・物的被害 中信高原 塩嶺王城県立公園 妙義荒船佐久高原国定公園 の関係は比例し,建 十国峠 穂高岳 3180 八ケ岳中信高原国定公園 物が全壊することに 赤岳 御岳県立公園 埼玉県 2899 御嶽山 よって死者が出る関 秩父多摩国立公園 3063 金峰山 釜無川(富士川水系) 南アルプス国立公園 係がわかる.利用者 岐阜県 2595 山梨県 中央アルプス県立公園 三国山 に関する統計は,10 仙丈ヶ岳 1611 3033 地区に区分された地 木曾川 天竜小渋水系県立公園 赤石岳 方事務所の所管毎 恵那山 3120 2190 (図 2.13 白線区画 国立公園 天竜奥三河国定公園 静岡県 の範囲)にまとめら 国定公園 矢作川 青崩峠 れているので,9 地 愛知県 県立公園 天竜川 区の観光ブロックと は一致しない. 図2.16 に利用者数, 図2.14 長野県内の公園分布図 長 (全壊戸数) 10000 図 2.17 に人口密度を示した.災害 y = 1.066x R = 0.6326 の損害額をみてみた.また,図2.18 1000 に四半期別の利用者数を示した. 観光地の利用者は,上小,上下伊那 建 100 物 及び木曽は少なく,他の6 地区はほ 被 ぼ同様な比率を示している.図2.17 害 10 の円グラフは人口比率で,数字は人 口密度で示した.これをみると,糸 1 魚川−静岡線で境される,フォッ サ・マグナ地帯あるいは千曲川水系 0.1 10 100 1000 でみると,ここは観光要素の豊富な (人) 人的被害 地域であり,人口(1995 年国勢調 1976∼1995 査)は,全県の73%を占めている. 図 2.15 自然災害における死亡者数と建物全壊数の関係 (日本国勢図会、長野県統計書による) 四半期別の利用者数でみると,観光対象が四季に対応していることが明りょうであり, 観光客は四季折々の見どころを選択していることがわかる.図 2.19 に人的被害,図 2.20 1.1807 2 24 北信 佐久 12.8% 14.8% 長野 通年 16.3% 103.56 上小 6.2% 998 , 982 , 00人 北安 9.9% 松本 9.9% 60.74 諏訪 100% 17.1% 6.1% 4.0% 1∼3月 24 11.6 259 , 262 , 00人 1.7 100% 4.8 3.2 11.3 142.91 図2.17 観光ブロック別人口 14.8 6.4 28.5 293.29 92.6 5.7 8.8 231.75 14,288.07㎢ 2,290,752人 長野県全域 160.33人/㎢ 25.5 2.9% 図2.16 観光ブロック別利用者 18.7 240.46 上伊 下伊 木曾 129.5 36584 5.1 4∼6月 193 , 994 , 00人 100% 16.9 7.6 5.0 10.8 5.7 4.4 5.0 図2.18 観光ブロック別時期別利用者 6.6 13.5 5.6 12.0 10.8 20.3 7∼9月 367 , 054 , 00人 5.3 7.0 21.1 10∼12月 178 , 672 , 00人 16.0 100% 100% 21.6 7.0 3.4 3.0 12.1 5.5 8.3 11.5 2.8 6.6 1995年長野県統計書による に物的被害の推移を示した.人的物的被害は 1987 年を境に減少傾向にあるが, 1995 年 1 月17日戦後最大の被害をもたらした阪神.淡路大震災後の 7 月 11 日から14 日長野 県北部域に梅雨前線豪雨災害が発生した.それで物的被害が増加しているが,最近 10 年間は 従来に比較して自然災害が少ない.しかし,長野県は不安定な地域が多いので,どこ にでも今後災害が加速される恐れがある. 図2.21 には観光ブロック別に損害額を示した.長野県の統計が 1992 年から地域別に 集計されていないので, 1988 年から1991 年の4年間の平均値を示した. 野 県の自然災害では年間平均約393億円の被害額がでている.これは,林務部の歳出予算 より 60 億円も多い.損害額を観光ブロックでみると,南・中アルプス伊那谷のいわゆ る天竜水系に最も多い.ついで,善光寺平,中信高原,浅間高原が続く.わが国の自然 災害の特徴として,突発的に発生する地震災害や火山災害は別として,梅雨及び台風期 25 の豪雨及び長雨などでは,いわゆる脆弱地帯の被害は繰り返し発生することで,全国的 に自然災害の少ない年でも休むことなく起こっている. 図 2.22 で自然災害の種類別に死亡者をみてみると,台風,地震,雪害、地すべり の順となっており,負傷者では,台風と雪害でほとんどを占めている.図 2.23 で自然 災害の種類別に建物の全半壊をみてみると,全壊では,台風,地すべり,梅雨前線豪雨 の順であり,半壊では,台風が圧倒的に多く次いで梅雨前線豪雨,地震の順となってい る.人的物的被害は,このように自然災害の種類で多少の相違があるが,長野県では, 雪害と地すべりでかなりの被害がでていることに注目したい.図 2.24 の自然災害の種 類別にみた損害額では,台風,梅雨前線豪雨,豪雨で, 75.7%を占めている.先に述べ てあるように,長野県が豪雨に見舞われたとき,必ず被害に遭うという背景を考えなけ ればならない.それがこれまで述べてきた,急峻な地形と脆弱な地質にあることは言う までもない.さらに前項で述べてきたように,全国的には豪雨による洪水で死者行方不 明者が最も多い.災害種別では,がけ崩れ,火砕流,土石流そして地すべりによって被 害がでている.海外でも山岳観光の先進地ヨ−ロッパアルプスやカナダのロッキー山岳 観光,湖観光では,カナダ及びアメリカの五大湖など古くからの有名な観光地では,観 光客の安全について,綿密な注意が払われている.わが国は各地に風光明媚な観光地が あって,日本列島全体が観光地と言ってよいほどの価値ある景観を持っている.わが国 の観光地と言えば,火山と温泉,湖及び河川,山岳などの美しい景観と災害危険地が隣 接していることを重視したい. (人) 70 60 (棟) 死 者 負傷者 120 100 50 人 的 40 被 害 30 全壊及び全焼 半壊及び半焼 住 80 家 の 60 被 害 40 20 20 10 0 '83 '84 '85 '86 '87 '88 '89 '90 '91 '92 '93 '94 '95 '96 0 '83 '84 '85 '86 '87 '88 '89 '90 '91 '92 '93 '94 '95 '96 図 2.19 人的被害の推移 図 2.20 物的被害の推移 (長野県の災害と気象による) (長野県の災害と気象による) 26 戸隠高原 南・中アルプス伊那谷 3%3% 志賀高原 善光寺平 18% 長野県自然災害観光 ブロック別損害額 36% 39260826.5 100% 千円 6% 北アルプス (1988∼1991) 4% 木曽谷 2% 秩父奥多摩 地震 23.8 3.4% 13% 15% 浅間高原 中信高原 地すべり 21.3% 0.4% 1.3% 突風 0.8% 1983∼1995 40.9%負傷者率49.3% 雪害 0 . 7 % 2 . 7 % 台風 24.5% 1.3% 23.8% 梅雨前線豪雨 3.3% 雷雨・ひょう害 2.5% 図 2.21 観 光 ブ ロ ッ ク 別 損 害 額 図 2.22 自然災害の種類別死亡者率 (1988∼1991 長野県の災害と気象による) (長野県の災害と気象による) 地震 0.8% 突風 5.6% 林野火災 0.8% 地すべり 3.0% 23.0% 1.0% 18.5% 1.3% 0.5% 1983∼1995 27.4% 雪害 台風 半壊及び半焼率 豪雨 4.5% 40.3% 0.8% 2.4% 47.5% 梅雨前線豪雨 19.4% 雷雨・ひょう害 3.2% 1.7% 地すべり 凍霜害 地震 1.8% 融雪 冷害 4.0% 3.4% 豪雨 5.1% 雪害 7.7% 1983∼1995 損害額の百分率 91,953,526,380円/年 台風 43.7% 24.3% 雷雨・ひょう害 3.6% 図 2.23 自然災害の種類別建物全壊率 図 2.24 自然災害の種類別損害額率 (長野県の災害と気象による) (長野県の災害と気象による) 第3章 長野県の花崗岩類における 災害と防災 3.1 長野県における花崗岩類の分布概況 長野県は,日本列島を東北日本と西南日本に二分する糸魚川 -静岡構造線と,西南日 本を内帯と外帯に二分する中央構造線の2つの大規模な構造線により断ち切られ,古生 代から第四紀にいたるほとんどすべての時代の地層を含み,各種の深成岩・火山岩・さ らに変成岩より構成され,わが国には他にその比を見ない地質構造の複雑な地域と言え る. 27 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ 飛騨帯 美濃・丹波帯 領家帯 三波川帯 西南日本側は,北アルプス・ 中央アルプス・南アルプスなど が,おもに中生層・古生層の古 い地層とこれに貫入した花崗岩 類からなり,海抜2,000∼3,000 秩父帯 東北日本 酒田 mの高峻な地形を示している. 四万十帯 棚倉構造線 一方, 東北日本側は姫川・大町・ 内帯 那珂湊 松本・諏訪をつらねる線を境に, 西南日本 フォッサマグナのグリ−ンタフ 地帯を主とする第三紀の新しい 柏崎−銚子線 外帯 地層と第四紀の火山岩類から成 糸魚川ー静岡構造線 り,地形も海抜1,500∼2,000m 中央構造線 フォッサ・マグナ 以下と低くなっている. このように多様で複雑に入り 濃飛火砕岩類 花崗岩類 組んだ地質構造を背景として, 図3.1 日本の地質構造区分 表3.1 内帯及び外帯の地層及び岩石 随所に地すべりおよび山腹崩壊の多 飛騨外縁構造帯・・・変成岩,花崗岩類 発地帯を形成している. 内 美濃帯・・・中古生層,花崗岩類 これら種々の地質分布のなかで, 帯 領家帯・・・主に花崗岩類 本編では特に県内における山腹崩壊 ─ 中 央 構 造 線─ の多発地帯となっている花崗岩類の 三波川帯・・・結晶片岩帯 外 分布概況について着目するものとす 秩父帯・・・・中生層 帯 る. 四万十帯・・・中生層 長野県の地質を概観してみると, [ [ これらは,ほぼ並行な形で九州まで連続し て 配列する帯状構造を成している. 花崗岩類(深成岩類)は,主に糸魚川 -静岡構 造線より西側の西南日本(内帯)に分布してい ることが分かる. 日本の地質構造の分け方は,図7・1,表 7・1 のようになっている.また,西南日本を中心に, 長野県と関連する地質構造区分は図7・2 のよ うになっている. 3.1.1 美濃帯(北アルプス)の花崗岩類 大町から塩尻付近の西方の山地は美濃帯に属 し,中生代前∼中期の堆積岩が広く分布 し,そのなかに中生代末期の花崗岩が貫入して いる.大町市や穂高町の東方の北アルプスでみ られる灰白色の花崗岩がそれに相当する. 図7・2 中部地方の地質構造区分 28 表 8・1 領家花崗岩類の岩体区 分と時階(北澤,1985) 2)領家帯の花崗岩類 伊那谷の西側にある中央アルプ スはほとんどが領家帯で,もとも と美濃帯に属していた堆積岩が変 成作用を受けたものとそれらに貫 入する花崗岩類とでできている. また,伊那谷の東側には中央構造 線がほぼ南北に走っており,領家 帯の東限となっている. 領家花崗岩の貫入の時期には, 古期と新期があり,古期花崗岩類図− 8・1 領 家花崗岩類の分布(北澤 ,1985) (先濃飛花崗岩 類)は領家変成作用がもっとも活発な時期に貫 入したもので,片状,片麻状を成すなど変化に 富んでいる.変成作用や花崗岩の貫入の時期は 中生代白亜紀と考えられている. 下伊那における領家変成帯は,花崗岩が大部 分を占め,わずかに変成岩が分布する.古期花 崗岩類(後濃飛花崗岩類)は主として中央構造 線に近いところに分布し,天竜川の西側の中央 構造線から遠いところでは新期花崗 図− 8・2 天竜川上流域の地質別面積 29 岩類が多く分布する. 8.長野県南部に分布する領家花崗岩類の特性 長野県南部(以後対象域と呼ぶ)に分布する花崗岩類は,図 8・1,表8・1 に示すように20種の岩 体が知られている.これ らの花崗岩類は領家花崗 岩類と総称され,岩体相 互の前後関係は,領家研 究グル−プ(1972)によ って明かにされている. 対象域では,花崗岩類 は図 7・4 に示したよう に32.2%の占有面積 をもち,中央構造線より 西側の南半部に分布して いる.磯山ら(1981)が 100 万分の1 の日本地質 図で測定したわが国の花 崗岩の占有率4.8%と 比較すると,対象域の花 崗岩は非常に高い占有率 を示している. 領家帯の花崗岩類は, 表 7・2 に示すように, 貫入の時期により先濃飛 花崗岩類(古期岩類)と 後濃飛花崗岩類(新期岩 類)に区分される. 写真7・1 観測衛星ランドサット撮影による中部地方 (リモートセンシングギジュツセンター提供) 1) 花崗岩類の物理的性質 花崗岩類の特徴を示す物理量は,肉眼的に判別できる色指数,それに比重,間隙率及 び強度である. 花崗岩類は有色鉱物がまだら紋様とあっていて,無色鉱物の粒径より共に岩種判別の ポイントになっている.この測定は,従来鏡下で行われているが,北澤らは岩石の表面 写真によって,面積測定(フォトパタ -ン・アナライザ-)を行い色指数を算出している.この他に 黒雲母が測線上に何個あるかといった計測によって求めた黒雲母指数も使用している. 表 8・1 に示した15の岩体で計測した結果,図 8・3 に示した黒雲母指数と色指数の散 30 図 8・3 花崗岩類の黒雲母指数と色指数 図 8・4 花崗岩類の比重と色指数 (北澤 ,1984) (北澤 ,1984) 布図では,相関係数 0.874という正 の相関となるので, どちらの方法でも岩 体の特徴を示すこと ができる.比重と色 指数との関係は,図 8・4 に示したよう にやはり相関係数0. 895という正の相 関を示すので,有色 鉱物の多い花崗岩は 比重が大きく,岩体 の散布図での位置も 図 8・3・図 8・4 を 比較して大差はない. 対象域の花崗岩は,先に述べたように相関関係が整理されて 図8・5 領家花崗岩類の時階と比重(北澤 ,1982) いるので,この生成順序で比重をプロットしたのが図 8・5 である.この図では顕著な 法則性はみられないが,古期花崗岩類では比重に幅があるのに対して,新期花崗岩類で は狭くなっている. 次に,有効間隙率と圧縮強度との関係でみると,図 8・6 の通りである.この図で もバラツキがみられるが,有効間隙率では,新期岩類と古期岩類が0 .009あたりで 2分されている.すなわち,古期岩類の方が小さい.ただし,伊奈川花崗岩だけが例外 的に非常に低い有孔間隙率となっている. 結果として,比重・有効間隙率,圧縮強度では,地質学的に整理された花崗岩類はこ れら物理量との相関性が良くないので,これらの花崗岩類の風化作用を調べて行く上で 31 は,物理量によるもののうち図8・4 の比重と色指数を用いると都合がよい と考えられている. 2)花崗岩類の風化特性と崩壊 花崗岩類はマグマが地下数∼10数 ㎞という深部でゆっくりと冷却固結し て生成した岩石で,マグマの化学組成の他さまざまな生成条件の基でさまざ図 8・6 領 家花崗岩類の有効間隙率と圧縮強度 (北澤 ,1982) まな種類の岩種に区分される(巻末資料参照) . 風化とは何らかの要因により岩石が組織 を失い,バラバラになってしまうことを指 が,特に花崗岩類は地下深部で生成される ため,それが地上に露出すると安定性を失 いバラバラとなり易い傾向があると言われ ている.この主たる原因は,マグマの時代 から炭酸ガスや亜硫酸ガスを含有している うえ,地下水や熱水の作用が加わった複雑 な化学作用によるものと考えられている. 図8.7 花崗岩類の風化模式断面図 (北澤 ,1982) よって,北澤らは花崗岩類の風化特性を考える上で,示す次のような実態を重視して いる. 表8・2 平型試験片の野外放置日数と有効間隙率(北澤 ,1984) a.岩 体中のマ グマの冷 却固結時 に発生し たであろ う節理, その後の地殻変動によって生じた節理のうち微細な節理系 b.造岩鉱物の粒径 c.岩石の組織内の微細亀裂 32 図 8.8 水中に放置した試験片の放置 図 8・9 空気中の放置した試験片の放置 日数と有効間隙率との関係 (北澤 ,1984) (北澤,1984) 日数と有効間隙率との関係 野外を踏査して,よくみられる花崗岩類の風化断面模様 図を図 8・7 に示した.この図はRUXTON ら(1967)が示したものに北澤が調査した 結果の説明や風化分帯を行ったものである.わが国でも,このような花崗岩類の風化断 面を,露頭でみることができる.このような断面は岩体によって,多少の違いがある. 例えば,D及びC帯は美川及び中国山地に厚く現われる.B及びA帯は木曽山地の褶古 木及び木曽駒花崗岩に,C帯は伊奈川及清内路花崗岩というように,現れている風化帯 が異なっている.これは風化過程の段階がそこに現れていると考えると,風化条件は同 じでも岩種による相違によるものであろう. 3)花崗岩類の風化速度 図−80 に示した風化断面で,4層に分帯を行っているが,それらの境界が明瞭に分 離されているわけではなく,それぞれ漸移関係にある.崩壊がこの風化断面で起こる場 合,浸透能よいD帯とやや不良なC帯との境界,D帯がほとんどない場合C帯とB帯の 境界というように,難透水層の上部層が境界となったりする.したがって,土壌と風化 岩との境界もありうる.このことから,風化断面にみられるような風化物が,生成され る実態は,岩種と周辺の環境条件,とりわけ温度較差によって相違するだろう. a.風化速度測定法 風化作用は多くの要因によって進行するだろうから,その測定方法における,条件設 定が困難である.ここでは,風化の初期段階では微細亀裂の増加,有効間隙率及び一軸 33 圧縮強度を取りあげ,条件設定では自然条件と凍結融解試験を用いることにした.この ような方法が有効であるならば, 地質時代の判っている岩石の露頭から風化岩を採取し, この岩石の新鮮岩との比較で,風化速度と諸物理量の関係が判るものと考えている. ① 試験片の野外放置日数と有効間隙率 各岩種の新鮮岩を8×7×1.5cm の板状に切断し,これを試験片として,1974年 より水中及び空気中に放置した.それを適当な間隙で有効間隙率を測定し,その結果を 表 8・2 のように集計した.それを図化したものが図 8・8,9 である. これをみると,外国産黒雲母花崗岩(石材として活用されているアフリカ産)とわ が国の粗粒黒 雲母花崗岩及び花崗閃緑岩では,初期の有効間隙率に大差がある.一般 に花崗岩類の新鮮岩は堅硬 で,緻密な岩石であるとされているが,岩種や生成年代, 生成地点によって著しく相違している. そして,この図では 2888 日あたりで,急激 に有効間隙率が増加している.水中と空気中では,前者 の増加がやや少ない.そして, 四万十帯の硬砂岩は空気中のみの結果であるが,およそ 2000 日目から急激に増加して いる. ② 各風化帯の岩石の有効間隙率と強度 表 8・3 風化分帯における有 効間隙率 (北澤,1984) 各風化分帯において,強度 試験が可能な層は,A,B,C の3帯であった. この試験片は, 手掘りで25×25×25cm のブロ ックを採取し,室内で50mmφ ×100cm の丸型試験片を機械で 抜き取り,それを使用した. 試験片の測定値は,表8・ 3 の通りで, その散布図を図8・ 10 に示した.これをみると, 風化が進行すると強度は減衰し, 有効間隙率は増加する.このような傾向は,各岩体に共通しているが,各風化分帯にお ける測定値の較差は岩体によって相違する.これは,その岩体の鉱物組成及び大気圏に 露出してからの環境の相違によるもので,諸物理量の特性によって影響されているもの と考えられる. ③ 造岩鉱物の粒度と風化係数 花崗岩の主成分鉱物は,黒雲母,石英,長石の3鉱物で,肉眼で岩種区分をする場 合,これらの鉱物が指標となることが多い.一般に,岩石名に細粒,中粒,粗粒という ように鉱物粒径を定性的にみて,この3段階で呼ぶことがある.北澤らは,これらを定 量化するために,板状試験片の表面を鏡面状に研磨して,一定の長さの測線上で長石及 び石英の結晶粒を数えて,長さを粒数で除し一粒径とした.その結果を表2 .4に示し た.風化係数の算出は,板状試験片の凍結融解の繰り返しを 40 回行い,10 回ごとに表 34 面の亀裂数を数えた.亀裂の測定は,表面アラサ試験機によって得られた.亀裂の深さ 4μ以上のものを数えた.この結果, 各岩体別に得られた凍結融解試験数, 0,10,20,30,40回目の亀裂の散 布図では,相関係数0.789,0.9 67,0.993,0.999という正 の相関が得られた(北澤,1981) .そこ で,一次回帰式の回帰係数aを風化係 数として,表−7 に示した.以上の測 定値粒度と風化係数を散布図に示すと 図 8・11 の通りである.これをみると, 粒度の大きい花崗岩は,風化係数も大 きくなることがわかるから,野外にお いても,風化作用が同様に働く場合で も,粗粒の花崗岩は,細粒のものに比 較して,より風化されやすいというこ とになる. 花崗岩は崩れ易いといわれている原 因は,降雨に弱いル−ズな風化土が表 層にあるためである.この風化土は, 花崗岩の種類やその分布する地域によ って異なる断面を持ち,その上層を覆う植相によっても影響を受けている. 図 8・10 風化分帯における有効間隙率と一軸 圧縮強度(北澤,1984) 以上のように,北澤は岩石の風化過程の中で,変化する諸物 理量を定量的にとらえ,時間の経過との相関関係を明かにする方法を提案している. 崩壊現象は多様な要因によって発生している.岩石の風化現象だけで論じきれない部 分があることは当然であるが,少なくとも崩壊物質の 表 8・4 粒度と風化係数(北澤 ,1984) 生成過程に視点をもっ た「花崗岩の風化特性 と崩壊現象の研究」を 今後も発展させる必要 があろう. 図 8・11 花崗岩類の 35 造岩鉱物の粒径と風化係数(北澤 ,1984)
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