子どもの“心の育ち”に目を向けて,エピソードで保育を

京都市子育て支援総合センターこどもみらい館
平成27年度 共同機構研修
「エピソード検討会」
子どもの“心の育ち”に目を向けて,エピソードで保育を考えてみませんか
共同機構研修会
~保育園(所)・幼稚園・認定こども園の垣根を越えて~
~
1.趣旨
り,朝・夕の一日2回薬を処方されているが,薬を
昨年度,こどもみらい館開館15周年記念の企
飲み忘れて保育所に来ることも多いので,朝,母や
画として新たな形の共同機構研修会を開催しま
祖母に薬を飲んできたかどうか確認するなど保育所
した。1つのエピソードを紐解きながら,保育園
全体で保護者支援も行っている。現在は母が主に送
(所)
・幼稚園の先生方が,子どもの心の育ちやそ
迎を行い,Aちゃんの面倒をみており,Aちゃんも
れを支える保育者の在り方など,日頃の保育を振
母と過ごせることを嬉しそうにしているが,気持ち
り返ると共に,子どもの心を見ていくことの大切
を十分に受け止めてもらえず,いつも満たされてい
さについて,新たな気付きを得る機会となりまし
ないようで気持ちが不安定である。
た。今年度も引き続き,1つのエピソードをもと
Aちゃんは好奇心旺盛で何事にも意欲的で生活力
に,子どもの心を深く読み取り,子どもと保育者
もあり,見通しを持って何でも器用に行うことがで
の「接面」について考え,保育で大切にしている
きる。また,自分の思いをしっかり持っており,と
ことについて語り合い,学び合うことで,お互い
ても芯が通っている。しかし,家庭で十分気持ちを
の保育を理解すると共に,保育の質の向上を図る
受け止めてもらえていないため,自分のことを見て
ことを目的として実施しました。討議の内容につ
欲しくて大人を試すような行動を取ることも多い。
いてグループから発表の後,中京大学客員教授の
友だちと関わることが大好きで一緒に遊んだり,困
鯨岡峻先生に講評いただきました。
っている子を心配したり手伝ってあげようとする優
しい姿もよく見られるが,自分の思いを通そうとし
2.エピソードの紹介
て,気持ちがぶつかりケンカになることもよくある。
「今度一緒にあそぼーな!」
最近は嫌なことがあったり,自分の思いが通らない
<背景>
ときは激しく泣いたり怒ったりし,保育士が向き合
Aちゃん(12月生まれの女児
3歳11ヶ月)
って話をしても「もういいわ!」と言ってその場か
は,2歳児からの継続児である。母,祖母,曾祖母,
ら逃げてしまうことが多い。自分の思いが通らなか
姉(5歳児)の5人家族である。母はシングルマザ
った時に逃げていってしまうAちゃんとどのように
ーで20歳で姉を産んですぐに育児放棄をし,姉は
関わっていくのが良いのか悩んでいた中でのエピソ
生まれた時から祖母が保護者となって育てている。
ードである。
その後,Aちゃんが生まれ,Aちゃんは母が育てて
いたが,1歳児になった頃に母はAちゃんも祖母に
<エピソード>
預けて家を出て行ったり帰って来たりを繰り返して
その日の午前中,私は園庭でAちゃんとBちゃん
いる。姉もAちゃんも母から十分な愛情を受けずに
(12月生まれの女児
育ってきている。祖母は孫の2人に対して愛情を持
団子を作って遊んでいた。そこに年長児クラスのC
ち可愛がられているが,2人を育てていく大変さか
ちゃん(ダウン症児)が「んっんっ」と言ってやっ
らイライラしやすく,手が出てしまったり,強い口
てきて一緒に遊び始めた。するとAちゃんは「Cち
調で怒ったりする姿が保育所でもよく見られる。A
ゃんはアカン!あっち行って!」と強い口調で言っ
ちゃんは昨年の3月にてんかんの発作を起こしてお
た。するとCちゃんは悲しそうに「んーっ!」と訴
1
3歳11ヶ月)と一緒に泥
えており,私は「Cちゃんも一緒にしたいねんな,
せー!あんな!Aな!起きてからCちゃんにな!今
AちゃんCちゃんも一緒に遊ぼうよ?」と言うと「い
度一緒にあそぼーな!って言ってん!」ととても嬉
やや!」と頑なになっているAちゃん。
「何でCちゃ
しそうに話してくれた。私は驚いたのと同時にとて
んはアカンの?」と尋ねると「だって今は先生とB
も嬉しくなり「そうなん!?Aちゃん素敵やなぁ!
ちゃんと遊びたいの!」と答えた。「そうなんかぁ,
んじゃ今度はCちゃんも一緒に泥団子作ろっか!」
でもCちゃん悲しい気持ちやと思うよ,入れてあげ
と言うと「うん!」と嬉しそうに頷いたAちゃんだ
て欲しいなぁ」と言っても「いやや!Cちゃんあっ
った。
ち行って!」と言った。すると更に悲しそうに「ん
ーっ」と泣いているCちゃん。私はもう一度Aちゃ
<考察>
んに「Cちゃん泣いてはるよ,どうしよっか?」と
Aちゃんがどんな思いで「Cちゃんはアカン!」
尋ねると「いややの!・・・もういいわ!」と言っ
と言ったのか知りたくて,私は「何でCちゃんはア
て逃げて行ってしまった。Aちゃんは俯いて怒って
カンの?」と尋ねた。Aちゃんはいつも素直に自分
いる様子だった。私はAちゃんのところまで行き,
の思いを伝えるので私とBちゃんと遊びたいからと
「Aちゃんは先生とBちゃんと遊びたかってんな,
いう理由は本当の思いなのだろうなと私は思った。
でもCちゃんだけアカンのは悲しいなぁ,どうした
家庭で十分に思いを受け止めてもらっていないAち
らいいんやろな?」と尋ねるが無言で俯いたままの
ゃんなので保育所ではできるだけ思いを受け止めて
Aちゃん。その様子を見てこれ以上何を言っても駄
あげたいと感じており,私とBちゃんと遊びたいと
目だなと思い,
「どうするかちょっと考える?先生は
いう思いも受け止めてあげたいと思った。しかし,
向こうでBちゃんとCちゃんと一緒に遊んでAちゃ
Aちゃんも同じクラスの友だちに「Aちゃんはした
んのこと待ってるね」と言いAちゃんのそばを離れ
らアカン」と言われた時は悲しくて保育士に「よせ
てBちゃんとCちゃんと遊びながら待っていた。
てくれへん」と泣いて訴える姿があったので,自分
無言で俯いているAちゃんだったが,しばらくす
がされて嫌なことを他の友だちに対してもして欲し
るとこちらの様子をチラチラ伺っていた。その様子
くないし,Cちゃんが悲しい気持ちになっているこ
を見てもう一度Aちゃんの側まで行き「どうするか
とにも気づいて欲しかった。Aちゃんの思いも受け
考えた?」と聞くがまた俯き答えてくれなかった。
止めつつ,私の思いも伝え「どうしようか?」と尋
「先生ずっと待ってるしね」とだけ伝え,再びCち
ねたが,自分の思いが通らなかったAちゃんはいつ
ゃんとBちゃんと遊び始めた。年長児クラスが次の
ものように逃げて行ってしまった。Aちゃんにもう
活動のため部屋に入る時間になりCちゃんは部屋に
一度話をしに行ったが俯き答えてくれなかったので
入っていった。結局Aちゃんは来てくれなかったな
私はAちゃんが自分で考えて戻ってきてくれるのを
と思っていると,トボトボと俯きながら私のもとに
待つことにした。結局Cちゃんが部屋に入るまでA
やってきたAちゃん。俯いていた顔を上げ私の目を
ちゃんは戻ってきてくれなかったが,私に抱っこを
見ると無言で抱っこを求めてきた。そんなAちゃん
求めてきた様子を見て,色々考え葛藤していたのだ
をギュッと抱っこして「ずっと待ってたよ」と言う
ろうなと感じ,ギュッと抱っこした。結局解決しな
と「うん」と頷いた。しばらく抱っこしているとい
いままその場が過ぎてしまい,もっと違う関わり方
つもの元気なAちゃんに戻り,その後は普段通り過
があったかなと反省していた。しかし,午睡起きに
ごしていた。
私がいないところでCちゃんにAちゃんが自分から
そしてその日の午睡の時間が終わる頃,私は部屋
「今度一緒にあそぼーな!」と言ったことに私は大
でおやつの準備をしていた。子どもたちが起きてき
変驚いた。Cちゃんに直接話をしている姿は見てい
てホールから部屋に戻ってきた。Aちゃんもホール
ないが,逃げたままではなくAちゃんがその後も自
から部屋に戻ってきて私を見つけるとすぐに「せん
分で考えてCちゃんに話をしたことが心の底から嬉
2
しかった。今でも自分の思いが通らなかったり嫌な
【B児はどのような思いであったのでしょうか】
ことがあったりすると「もういいわ!」と言って逃
・B児の背景がないのでよくわからないが,その
げて行ってしまうこともあるが,自分で考えて切り
場では自分の気持ちが言えなかったのではない
替えたり解決する力をしっかり持っていると感じて
か。また,保育士の顔色を見ているのではないか。
いる。エピソード検討会で様々な意見をいただき,
・A児のことが気になり,先生が動いたり,雰囲
今回のエピソードでの関わり方が良かったのかどう
気が変わる中では不安だったかもしれない。
か今も悩むところではあるが,その都度Aちゃんと
・A児の思いは聞くが,自分の思いは聞いてもら
しっかり向き合い丁寧に関わっていきたいなと感じ
っていない。
“私にも声かけて”と思っているのか
た。
もしれない。
・保育士がC児の思いを代弁しているのを聞いて,
3.グループ討議で出た主な意見
先生は優しいと感じていたのではないか。
エピソード討議は「乳幼児期に大切にしたい子
・A児が離れている間も先生と泥団子を作ること
どもの育ちと保育者の心もち」に視点をおき,以
を楽しめていたので,そのことで心が満たされて
下の項目について1グループ 7~8 人の 11 グルー
おり,他の友だちが入ってきても受け入れること
プで討議しました。
ができたのではないだろうか。
【A児はどのような思いであったのでしょうか】
【C児はどのような思いであったのでしょうか】
・家庭の背景から,先生を独占したい思いが強く,
・楽しそうな雰囲気に誘われ入ってきたが,A児
その思いを素直に表現しているのではないか。
に強く「あかん」と言われて悲しかったのではな
・今遊んでいる空間が楽しくてこのまま遊びたい
いか。自分の存在を否定されることに対する悲し
という気持ちがあったのではないか。
い,悔しい気持ちが感じられる。そこで先生が自
・家庭で甘えを十分に出し切れず,嫌われない,
分の思いを代弁してくれたことで楽しんで泥団
怒られないように生活していることもあり,大好
子遊びができたのではないか。
きな担任を求め,見て欲しい,愛してほしいと思
・自分が来たことでA児と先生が離れてしまった。
っているのではないか。
A児がその場を離れてしまうと“Aちゃんこっち
・C児が入ることで大好きな先生を取られるとい
に来たらいいのに”と感じていたかもしれない。
う不安が強く,先生はC児の味方だと思ったので
・A児が怒るとC児もさらに怒るなど,相手の気
はないか。しかし,どこかでC児に対して悪かっ
持ちをとても理解しているように思う。
たという思いがあったのではないか。
・言葉での訴えはないが,仲間はずれにされた悲
・語彙が少ないことで気持ちがうまく表現できず,
しい思いを一日持ち続けていたのではないか。
意固地になってしまい,先生から離れたとき,
「ど
【担任の心もちはどうであったのでしょうか】
うしたらよいかわからなかった」のではないか。
・家庭環境,背景からA児の思いをしっかり受け
・C児の思いは聞くのに自分の思いは聞いてもら
止めていこうという思いが感じられる。「A児と
えないと感じるなどC児に嫉妬しているのでは
のかかわりに悩んでいた時期」とあるので,いろ
ないか。
いろ試してみたかった1コマだったのでは。
・C児を仲間はずれにしたいのではなく,今,そ
・担任との信頼関係があり,A児ならできるとい
の空間,その友だちと遊びたいという気持ちが強
う思いがあったから待とうとしたのではないか。
かったのではないか。
「ずっと待ってたよ」と受け止めてあげたことで
・午睡起きに自分からC児のところへ行ったこと
A児は安心でき,先生の愛情を感じることができ
について,先生に褒めてほしかったのではないか。
たのではないか。抱きしめてあげることで,言葉
はなくても気持ちは届いたのではないか。
3
・
「信じて待つ」ことから「解決」につながったの
する気持ちがもてるのではないか。自分のことを
ではないだろうか。しかし,チラチラと様子を伺
見てくれている,受け止めてもらったという経験
うことはA児にとって辛い時間だったと思う。も
や思いが成長につながる,そのような意味からも
っと受け止める間があっても良かったのではな
「養護の働き」はとても大事で次に進めるきっか
いか。
けになるのではないか。
・A児が離れて考えることも必要だが,A児は先
・友だちとの喧嘩やトラブルを通して,自分自身
生の側で一緒に考えたかったのではないか。一人
の気持ちに折り合いをつけ,調整する力をつける,
で考え,思いを伝えることは3歳児には難しいと
また,子どもが葛藤して自分で考えることが大切
思う。
ではないだろうか。
・A児に抱っこを求められて先生もホッとしたの
・仲良く遊んでほしいという保育者の思いはある
ではないか。
が,トラブルがあることで,子ども自身が自分の
・
「遊ぼうって言ってん」というA児の言葉を聞い
思いや相手の思いを考えることができるように
て嬉しかっただけではなく,先生に認めてもらい
なるのではないか。
たいというA児の気持ちに気付いてあげてほし
・
“自分のことも,みんなのことも大事にしてもら
い。
える”と実感すること。また,様々な環境の中,
・C児にも「どうしよっか」と投げかけがあって
母親を支えることで子どもの心の育ちへとつな
も良かったのではないか。
がっていくのではないだろうか。
・A児に考える時間をもってもらうのは良かった
【子どもの心の育ちを支えるために保育者として
が,
「考えてね」と言ってC児,B児と一緒に遊ん
大切にするべきことは何でしょう】
でしまったのはA児にとっては悲しかったかも
・子どもの姿を受け止め,子どもが自分の思いを
しれない。
表現できる安心基地となる。
・C児と一緒に遊んでほしいという保育士の思い
・マイナス面を捉えがちだが,子どもの良いとこ
が強く,先生が答えを求めている,もっとA児の
ろを探して集団に知らせる。子どもの居場所を作
思いを受け止めてあげることも必要ではないだ
ることが保育者の役割。
ろうか。
・自分を出せること,そして,相手を認める。そ
・3歳児に「どうするか考えた?」と言葉かけす
のためには,子ども自身の葛藤を大切にし,心の
るのではなく,子どもの気持ちに寄り添って,今
葛藤に気付いて寄り添ってあげることが大切。
はどんな言葉を伝えたら良いのか知らせること
・すぐに否定せず,子どもを信じる。子どもと日
が大事ではないだろうか。一人ぽつんといること
頃から信頼関係を築き,自分は大切に思ってもら
に子どもが慣れているのではないか。また,保育
っているという安心感を持てるようにすること
士のC児への思いが強くあるのを感じる。
が大事。
・今回はA児が自分で動いたことで上手く終わっ
・子どもを受け止め,保育者の思いや願いを伝え
たように思う。
「みんなで仲良く遊びたい」という
る。そのためにも,子どもが自分で考える時間を
のは上手くいかないこともある。最初の言葉がも
持てるように,保育者が余裕を持つことが大事で
っとA児に寄り添ったものであれば,またA児の
はないだろうか。
反応は違ったのかもしれない。
・B児の思いも聞いてあげてほしかった。
4.講師の講評
【大切にしたい子どもの心の育ちを考えてみましょう】
鯨岡 峻
中京大学客員教授
・先生が,譲れない子どもの気持ちを受け止める
皆さんは他の保育者が書いたエピソード記述
ことで,子どもも相手の気持ちを受け入れようと
を読むという経験はどれくらいあるでしょうか。
4
エピソードを書いたことがある,検討会をしてい
ってきたとき,Aちゃんの「いやや」という思い
る,読むのも初めてというようにその経験は様々
をそのまま受け止めてやるというわけにもいき
でそれによって随分読み方が違ってくると思い
ません。そこに先生のAちゃんに対するいろいろ
ます。エピソードは,自分の保育をどう書くかで
な複雑な思いがあり,どうしたら良いか葛藤して
すが,人の書いたエピソードをどう読むかという
いるわけです。トラブルの場面では問題解決にな
こともとても大事なことです。両面を考えられる
らず,Aちゃんがふくれて他の所へ行ってしまい,
ようになったときに初めて,エピソードを書くこ
後で戻って来て抱っこして少し気持ちが落ち着
とが保育に活かされていくことになります。エピ
き,ここでエピソードは一旦終わったように見え
ソードを読むことを積み重ねることで,書き手が
ました。しかし,その後でAちゃんがCちゃんに
最も言いたかったことは何だろうということを
向かって「今度一緒にあそぼーな」と言いました。
文章全体から探っていくことが必要です。もしも
この部分がこの先生がこのエピソードに取り上
自分がこのような場面に出くわし,エピソードを
げたかった一番大きな理由だと思います。ここに
書くとなったとき,一番クローズアップして書く
このエピソードのテーマが生きています。テーマ
ところはどこだろうか,そこを考えていくとエピ
は書き手が何を言いたいかを一番強く物語るも
ソードを書いたり読んだりする事の中味がわか
のです。時間を置いてではありましたが,
「今度一
っていくと思います。
緒にあそぼーな」とAちゃんが心を動かしてくれ
エピソードを書くということは,自分がその場
たということがとても嬉しくて書いたエピソー
面の当事者だということです。書き手の思いには
ドなのですが,そこに行くまでに先生の様々な思
いろいろあり,これが正解というものはありませ
いがあり,このエピソードになったわけです。書
ん。例えば,このエピソードの冒頭には何故Aち
かれている文章は限られていて,書かれていない
ゃんが,相当難しい家庭環境にあるらしいという
こともあります。そのことを斟酌しながら,この
背景が入るのか。そこを考えれば,
「よせて」
「い
先生はどのような思いでこの保育場面を生きた
やや」という,3歳児同士の単純な思いと思いの
のだろうかということを一生懸命考えるのがエ
ぶつかり合いを取り挙げることが,ここでのエピ
ピソードを読むということなのです。そして今度
ソードの主旨ではないかことが分かるはずです。
はそれを自分に置き換えてみて,“自分の保育は
つまり,Aちゃんは単なる3歳児ではなく,難し
どうだったのだろうか”ということを考えること
い家庭的背景があり,それを先生がいろいろな思
が大事になります。
いを持って受け止めています。そのAちゃんが自
検討会後のグループ発表の中で「Aちゃんは先
分の思いを表現していることをこの先生はどの
生とBちゃんと自分のこの3人のいい雰囲気を
ように扱えばいいだろうか,と考えているわけで
壊したくないから『いやや』と言ったのであって,
す。Cちゃんがダウン症の子どもだから寄せてあ
Cちゃんを仲間はずれにしようと思って言った
げてというのは簡単ですが,先生の中ではいろい
わけではないんじゃないか」というコメントがあ
ろ複雑な思いがあるはずです。背景はただエピソ
りましたが,これはなかなか良い視点ではないで
ードの冒頭にあるだけではなく,このエピソード
しょうか。
「いやや」という言葉をどう受け取るか,
を表現する上に欠かせないと思って置かれてい
「いやや」と言っているAちゃんの気持ちの中に
るものなので,そこをしっかり読み込む必要があ
はいろいろな思いがあるはずです。「いやや」=
ります。家庭でいろいろな思いを受け止めてもら
“拒んでいる”ということではなく,
「いやや」と
えるチャンスがあまりないAちゃんの思いを先
いう言葉の裏側にAちゃんのどんな思いがあっ
生はしっかり受け止めてあげたいと思っている。
たか考えることが大切です。遊びの中で,Aちゃ
しかし,Cちゃんが「んっんっ」
(“よせて”
)と入
ん自身が「よせて」と言ったり「いやや」と言わ
5
れたりするような場面をいくつか経験している
のような思いで言ったかです。エピソードについ
ということを先生は考察で述べています。そのこ
て全国の勉強会では,このような場面を取り上げ
ともあり,先生はAちゃんに,Cちゃんも寄せて
てロールプレイをしてみることがあります。先生
もらえないと可哀想だという話もしています。こ
役,Aちゃん役,Bちゃん役,Cちゃん役を決めま
こが大事なポイントの一つであると思います。ト
す。そのときに先生役が「Cちゃんと一緒に遊ん
ラブルの場面ではよく“問題が解決した”という
でくれないのは悲しいな」と一般的に伝えるのか,
ことを耳にするのですが,問題がその場で解決す
「Aちゃんは先生とBちゃんと遊びたかってん
るとは限りません。今回のエピソードのように時
な」というところを強調して言うのか,そこが微
間を置いて,思ってもみない形で展開することも
妙なところです。最初の「Aちゃんは先生とBち
あります。ここで,保育者は何とかCちゃんを仲
ゃんと遊びたかってんな」が,
「でもCちゃんと遊
間に入れて,4人で仲良く遊べる方向に話を持っ
んでくれないのは悲しいな」より後の枕詞になっ
ていこうと引っ張ってしまうことが往々にして
ていればそれはAちゃんには届きません。けれど
あります。例えば,もし,Aちゃんが比較的落ち
もほんとうにAちゃんの気持ちに寄り添って,
着いた家庭環境で,親に思いを受け止めてもらえ
「AちゃんはBちゃんと先生と遊びたいねんな」
ており,自己肯定感を持っている子どもであれば,
「その気持ちよくわかるよ」と,そこで丁寧にA
「そんなこと言わないでCちゃんも入れてあげ
ちゃんの思いを受け止めて,それがAちゃんにし
て。今,Cちゃんもみんなと一緒に遊びたいんだ
っかり届くまで間を置いてそれから「でも・・・」
って」という対応の仕方もあり得たでしょう。ど
というように持っていく。保育者の具体的な対応
のような場合でもここは「受け止めて」というよ
としてはそこが微妙なところですね。よくあるの
うに堅苦しい話では,保育は動いてきません。そ
は「受け止めた」ような言葉はかけられているけ
の場面をどう読むかは,自分が当事者として,A
れど,「受け止めた」先生の思いがAちゃんに届か
ちゃんをどんなふうに育ってきた子どもと見て
ないままに,「でも・・・」が入ります。そうする
いるか,また,Cちゃんをどんなふうに見ている
とその言葉の前半は消えて,「Cちゃんだけあか
か,それが全部今の場面でどう対応すれば良いか
んの悲しいなあ・・・」のところだけがAちゃん
にかかってくるのです。このように保育というの
に届いてしまうことになります。これが,今私が
は難しく,マニュアル化できません。3歳児のト
いろいろなところで「気をつけてください」と言
ラブルがあれば,先生が間に入ってお互いの言い
っていることです。その人は「受け止めた」気分
分を聞き,その言い分をそれぞれに伝えてやれば
なのですが,それが「受け止めた」つもりになっ
大体問題解決はできる,一般論ではそうかもしれ
てAちゃんには届いていない。そのままCちゃん
ませんが,具体的にはそんな単純ではありません。
と一緒に遊んでほしいという願いがかぶさると,
このエピソードは,一般的な3歳児の「よせて」
Aちゃんから見れば,先生は「Cちゃんと遊んで」
「いやや」というトラブルではなく,一人ひとり
と言っているように受け取るわけです。先生の思
がその背景に抱えている問題は様々です。そこを
いが届いても,Aちゃんは嫌だったのだろうか。
きちんと考えていくのが保育であるということ
それとも,おそらくそれが届いて,Aちゃんの中
がこのエピソードを読むときの大事な視点では
でCちゃんも“入れてあげないといけないかなぁ”
ないかと思います。
という気持ちもありながら,でも「いやや」とい
例えば,Aちゃんが「いやや」と言ったときに
う気持ちが少しだけ強かったので,先生の「待っ
「Aちゃんは先生とBちゃんと遊びたかってん
てるからね」という言葉に素直に応じられなかっ
な。でもCちゃんだけあかんのは悲しいな」と保
た。しかし,
“入れてあげないと・・・”という気
育者が言います。この場面で,書き手がこれをど
持ちがあったから,午睡後にこういう対応ができ
6
たというようにも考えられます。
番大事なことです。このエピソードでは,
「俯いて
エピソードでは,ある場面を描いているのです
いた顔を上げ,私の目を見ると,無言で 抱っこ
が,実際の場面そのものではありません。従って
を求めてきた。そんなAちゃんをギュッと抱っこ
読み手は書かれたものから,書き手の対応につい
しているといつもの元気なAちゃんに戻り,その
て想像力を働かせていろいろ考えなければいけ
後は普段どおりに過ごしていた」という場面で,
ません。受け止めた言葉はいろいろあるけれど,
先生とAちゃんは親密な『接面』を潜り抜けてい
案外心がこもっていないこともあるわけです。例
ます。そこでは先生の言葉にならない様々な思い
えば,朝の登園(所)で母親を送る場面に子ども
や「待ってたよ」という気持ち,
「ごめんね」とい
が「ママと一緒がいい」と泣きます。そこで先生
う思いがこの『接面』からAちゃんに伝わってい
が「ママと一緒がよかったね」
「先生と一緒にママ
きます。Aちゃんは無言で抱っこされていますが,
のお迎え待っていようね」という場面に度々でく
“もっと早くみんなと一緒に遊びたかった”とい
わすと思います。これが子どもにかける言葉の引
う思いや,
“早く来たかったけれど来れなかった”
き出しの中に入れてある言葉になってしまって,
など『接面』の中で言葉にならない様々な思いが
ほんとうに「ママと一緒がよかったね」と,その
Aちゃんと先生の中で通い合っています。とても
子の気持ちになって言っているのではなく,泣い
密度の濃い時間が『接面』に流れており,これは
ている子どもにはこういう言葉かけをという一
保育の中ではとても大事なところです。
『接面』で
種のマニュアルになっていることが保育の世界
起こっていることにどれだけ踏み込んで表現で
にいっぱいあります。心はこもっていないけれど,
きるか,それによって読み手はしっかりとエピソ
一見「受け止めた」ような言葉かけになっている
ードの中味に入り込んでいくことができます。例
ことがよくあります。これが子どもからみると一
えば,この『接面』で起こっていることをもっと
番嫌な言葉かけで“先生の言葉に心がこもってい
自分の気持ちの動きや,Aちゃんの気持ちの動き
ない”だから結局“先生には自分の気持ちが分か
を膨らませて書くと,Aちゃんの思いも先生の思
ってもらえてない”となります。今回もここで,
いももっと私たちに伝わってきたのではないで
「Aちゃん,Bちゃんと先生と遊びたかったんや
しょうか。このような場面は,普段保育の中でた
ね」という言葉がAちゃんに届くように伝えられ
くさん経験しているはずですが,このとても大事
たのかどうかが,今回のエピソードの一番のポイ
な『接面』で起こっていることは,記録されなけ
ントの部分だと思います。“先生はほんとうにA
れば流れて記憶から消えてしまいます。今回のエ
ちゃんの気持ちがわかっているんだよ”というこ
ピソードは,そのような『接面』の一部分を表現
とを伝えるためには,もっと違った言葉をエピソ
しているので,これを読んだときに“先生の中で
ード全体の中に交えても良かったのではないか
こんな複雑な思いがあったんだろうな”“Aちゃ
と思います。
“先生はあなたの気持ち,つまり「今,
んはこんな思いだったんだろうな”といろいろ考
ここで3人で楽しんでいることを続けたい」とい
えることができます。従って保育を振り返るとき
う気持はわかったよ”“でもCちゃんも入れてほ
にエピソードが利用できるのです。
しい。一緒に遊べるといいね”というような展開
エピソードは,保育日誌の記録とは全く違うも
がもう少し丁寧にできればなお良かったと思い
ので,目に見えない『接面』を描くものです。そ
ます。
れは客観的にあるものではなく,書き手の保育者
もう一つの視点は『接面』です。
“保育者が子ど
とAちゃんとの間にある独特の空間で,他の人に
もたちとの間で作り上げる独特の雰囲気を持っ
は接近できません。そこで起こっていることは,
た空間”
,これを『接面』と言っています。その『接
当事者である自分が記録にしない限り人に伝え
面』で起こっていることがある意味では保育で一
ることができません。自分だけが経験した出来事
7
であって他の人にはそのように経験していませ
ここでは表現しきれなかった。いろいろな人から
ん。だからエピソードに書かなければ人に伝える
意見をもらったけれど,“自分の言いたいことが
ことができないのです。この保育者がこれまでど
ちゃんと伝わっていなかった”ということや,
“私
のような経験をしてきたか,どのような保育をし
の一番言いたいことはここだった”というような
てきた人か,それが全部『接面』でのキャッチの
ことについては検討会をすることで分かってき
仕方を決めていきます。そしてエピソードの書き
ます。
方も決めていくのです。従って,同じ場面を見れ
エピソードは書けば終わりではありません。人
ば誰もが同じように書けるということは決して
に読んでもらい,意見をもらって,更にそれをも
ありません。自分と同じ人はいないのですから,
う一度自分で読み直して,考え直して,書き直し
同じ場面を見ても同じようには経験できません。
てみる。そうすると“自分はこういう保育者なん
それがエピソードの良いところです。
だ”,
“こういう場面でこのように心を動かす人間
エピソードを書くようになり,書くことに慣れ
なんだ”ということが見えてきます。こうして保
てくると,自分をしっかり振り返ることができる
育をする中でエピソードを書いた人は元気にな
ようになり,自分の保育に自信が持てるようにな
っていけるのではないでしょうか。このようにエ
ってきます。何故ならエピソードを書くことはあ
ピソードを読むということは奥が深いというこ
る意味で自分自身と向かい合うことになるから
とを実感していただいて,自分も“エピソードを
です。書いてみたことのある人はそのことが分か
書いてみようかな”と是非思っていただきたいし,
っているはずです。書くまでは“自分はこんなこ
それを通して子どもの心を育てるという保育に
とを書くなんて”と思ってもみなかったことが書
踏み込んでいってほしいと思います。
けてくるのです。それは自分に気付かない自分が
共同機構研修 エピソード検討会
平成27年10月29日
於:京都市子育て支援総合センターこどもみらい館
見えてくるからです。これがエピソードの面白い
ところです。同じ場面を見ていても自分と他の人
とでは全部中味が違ってくる,時間が流れていく
中のどこを取り上げるか,どこを切り取っていく
かはいつもその人次第です。そこにその人の独自
性,個性,経験があり,エピソードを書けば,自
分の独自性,固有性が見えてきます。だからエピ
ソードを書けば自分が見えてきて元気になって
くるのです。日頃は保育に忙しいため,自分を見
失ってしまい,ただ流れに乗せていけばいいとい
うような動きをしていると,自分がどういう保育
をしているのかも見えなくなります。ところがこ
うしてエピソードを書いていると自分と向き合
うことになり,“自分はこのように心を動かした
のだ”“ここはもうちょっと心を動かして対応し
ておけば”というように自分のことを振り返るこ
とができるわけです。多分このエピソードを書い
た保育者も後で読み返してみていろいろな場面
で“この部分はもっとこう書けば良かった”と思
っているかもしれません。自分が体験したことは,
8