堀 元 江南市長あいさつ∼ 基調講演『子どもたちからのメッセージ』生源寺

堀
元
江南市長あいさつ∼
基調講演『子どもたちからのメッセージ』生源寺靖浩教授
堀
江南市長:皆さん、こんにちは。大変たくさん雨が降りまして、昨日までは雨が降ら
なかったのですが、今日実は降り過ぎましてですね、江南市役所に災害対策本部を設置し
たという状況でありまして、非常に何が起こるか分からないのが世の中であります。
今日は、火事も2件ありました。朝6時ちょっと過ぎに江南市の松竹町の方で火災が発生
しました。建物火災です。これは、落雷で発生したと言うことで全焼という事です。雨が
降って大騒動をしている所に2回目の火事がありまして、これは村久野の方のところで倉
庫の中が燃えただけでまだよかったのですが、大変な状況で市の幹部連中もですね、直ち
に招集が掛かりまして、そして対策本部を設置しまして土のうづくり等の支援をしまして、
「まぁ忙しかった」というような状況の中で、皆さま方のいろんな家庭の仕事もたくさん
ある中でこうしてご参集賜りましてありがとうございます。心からお礼申しあげます。
今、日本の問題と言って大きな問題となっておりますのが 少子化 であります。これか
らの日本が、30 年後、40 年後には現在の人口が半分になるのではないかという心配をされ
ております。先日、坂口厚生大臣とお話をする機会がありました。そこで、坂口厚生大臣
が、担当の大臣でありますので、非常に心配されておりました。「困ったなぁ」というお話
をされておりました。「一番の原因はなんだろうか」という事で、その一つの原因の中で本
日、こうしてフォーラムを開いて解決策を見出したいという状況もあるわけです。と同時
に、女性が、最近結婚が非常に遅い。結婚される年齢が遅くなっておる。これも一つの原
因ではなかろうかと。私共の年代でいいますと、だいたい 20 歳前後から 23∼4 歳までには
だいたいの方が結婚される状況でありましたが、今は 30 歳ぐらいですか。これ 30 歳まで
には、本当は3人ぐらい子どもさんを産みあげるのが理想ではないかなという風に思うわ
けですが、なかなか社会の情勢が変わってきたということでありまして、女性の地位が向
上したと言っては、これまたいろいろ問題があると言われるかもしれませんが、これが世
の中というものであります。非常に変わって参りました。しかしながら、子どもを育てる
という事は、非常に大事であるという事と、私は実感しております。子どもがいる、いな
いという事は、今はよろしいですが、これから高齢化社会に向かって非常に高齢者が多く
なる。そういう時に子どもさんがいない方であるとか結婚されていない方とかは大変淋し
い思いをされるのではないかと思うのです。現実に、私は5人兄弟であります。私は一番
末っ子でありますが、現在母親が 92 歳です。頭はまだしっかりしております。ただ、右半
身が不随で車椅子生活でございますけれども、ジョイフルの方でお世話になっております。
そこで私共5人兄弟がありまして、1人欠けておりますが4人でですね、毎週行って、お
ばあちゃんの洗濯物等を毎日もらいに行ってお話をしておりますが、大変喜んでくれます、
おばあちゃんが。ただ同じジョイフルの中に入っておられる方でもお子様がなかった方と
かが、私共が一週間に1度は必ずかみさんか兄貴の嫁さんか、または兄貴が行くわけであ
りますが大変羨ましそうな顔で、目で見られます。これが現実ですね。老後、家族が「お
じいちゃん、おばあちゃん、孫を連れてきたよ」という状況を喜んでいただけるという事
は嬉しい限りです。
100 歳という百壽賞をお届けに参りました。息子さん夫婦がおばあちゃんに代わって、お
ばあちゃんが横におられ、そこで百壽賞を受け取ってもらいました。その時も大変喜んで
おられました。やはりおばあちゃんがしっかりと子どもさんを育てあげられた結果、そう
いう素晴らしい事でも家族にお祝いを受けながらそいうものを受けられたという事ですね。
要するに是非ともこういう会を通じまして、子育ての楽しさ、嬉しさというのを是非勉強
されまして知識を得られまして、これから先の将来、日本を背負って立つ子どもたちがた
くさん増えるといいなぁと思う訳であります。今日は大変有意義なお話を聞かせていただ
けるようでありますし、江南市内の保育園の方々、たくさんのご出席もあり、保護者の方
も大勢お顔を拝見しております。どうぞこのフォーラムを通じて素晴らしい将来の江南市
になるように是非ともご協力をお願いしたいと思います。最後に、このフォーラムの開催
にあたりまして、ご多忙の中ご出席を賜りました、ご講演を引き受けてくださいました講
師の皆様方、大変ありがとうございます。よろしくお願い致します。簡単ではございます
が、ご挨拶に代えさせていただきたいと思います。今日はお休みのところご出席、誠にあ
りがとうございました。お礼申し上げます。
司会:どうもありがとうございました。それでは、只今から基調講演に入らせていただき
ます。演題は『子どもたちからのメッセージ』についてでございます。この講演要旨はお
手元の資料に記載されておりますので目を通してください。ここで、講師の愛知江南短期
大学教授:生源寺靖浩先生をご紹介させていただきます。生源寺先生の履歴はお手元の資
料にて紹介と代えさせていただきます。先生は現在江南市が策定を進めております「江南
市次世代育成支援行動計画」の策定協議会の会長を努められておられます。また、現在、
主に社会福祉事業務、児童臨床心理学、障害児保育論などを研究しておられ、主な著書に
は「子どもからの伝言」「保育研究法」「生涯児保育について」など多数あります。それで
は、生源寺先生、よろしくお願いします。
生源寺:こんにちは、よろしくお願いします。大雨だったのが、空が晴れてよかったと思
います。なるべくお天気に合わせて明るい話をしたいと思います。面白くなくても笑って
ください。しかし、今もご挨拶にあったように子どもたちの問題も社会的な問題になって
来ています。その事も含めて少しお話をして行こうかなと思います。だいたい 2 時 20 分∼
25 分位までですので、いつも大学で講義しているのは 90 分なのですが、だいたい後半から
学生さんは目をつぶって真剣に聞いているかと思うと、こっくりこっくりしてくるので 90
分は長いなと思うのですが、今日は 45 分位なのでちょうどいいかと思います。時間的にも
長くないので、最後までご清聴お願いしたいと思いますし、あまり余談ができないと思い
ますので、少し堅い話も入るかと思います。
それではお手元に今日お話したい項目を挙げておきました。『子どもたちからのメッセー
ジ』、どういう思いでこういう題をつけたかといいますと子どもさんたちが上手に自分の気
持ちをしゃべれない場合、特に小さなお子さんだといまいちですよね。それを体で表現す
るという事もあるのですが、しかしやっぱり大人のようにしっかりとした、いわゆる文脈
と言う筋道が立てにくいというのが育ちの原理なのですね。もともとそのように育ってく
るわけですね。そしてだんだんと世の中に揉まれて、ほとんどのお子さんは立派な大人に
なってくれるのだけれども、所々でつまずいちゃったりする子もいるわけです。それで私
がやってきた仕事というのが児童相談というのが多いものですから、そういう所で、愛知
県の子どもさんで集団も含めると1万人から1万5千人ぐらいの子どもさんに会ってきた
のです。そうすると年が分かっちゃうのですが、年金生活でもいいぐらいの年なのですが、
若い頃はバリバリと子どもさんと会って、いわゆるこれでもジーパン穿いていた時代があ
りまして、たいへん活動していました。その辺のところの子どもさんの状態と、今の状態
はちょっと違うのですが、基本的に子どもさんの育ちは一緒だなと思う部分もあるのです。
それで今の子どもさん、昔からの子どもさん、同じ子どもさんたちからのいろいろな訴え、
あるいはお話を聞いて、あるいは体で表現するものを見てですね、いろんな事を感じてき
たものですから、その一端を今日はみなさんにお伝えしていきたいなと、こういう風に思
って来ました。もちろん、子どもさんが少なくなって来ているですとか社会的な問題もあ
るのですが、これは後ほどのシンポジウムで細かく触れてみたいと思います。
まず、子育てを支援するという事がこんなに社会的な問題になった時代はないですね。昔
からはおばあさんやらお父さん、お母さんやらが家族ぐるみでお子さんを育てて、そして
地域で「よその子もうちの子もないわ」という雰囲気で育ってきたわけです。今はきっち
りとそういう点が区別されてしまっていまして、よく言えば役割というのがはっきりとし
ていて、保育園、幼稚園では何をやる、お家では何をやる、小学校ではどういう風にする。
おじいさん、おばあさんはゲートボールに行ったり、温泉につかりに行ったりして、お孫
さんと久しぶりに会ったりして離れて暮らしている方が多いですね。昔は一緒に暮らして
いたというのが多かったのですけれども。「おぉ、これはどこの孫か?うちの孫か?大きく
なったのぉ」とそんな事を言う。しかし、今はそういう子どもさんが非常に孤独になって
いるわけです。私は、今日のみなさんへのメッセージを子どもさんから代わりに伝えると
するならば、子どもさんたちは何がいいたいか。『僕、私は孤独です。』こういう風に言っ
ているのですね。その孤独とか淋しいという気持ちを代わりにお伝えしたいと思います。
そのために一生懸命社会的な意味で子育ての支援をしているのは確かです。で、問題はお
母さんたちも支援してもらいたい。自分が子どもさんを支援するというのではなくて、お
母さん自身も支援してほしい、助けてほしいという雰囲気が非常に強いのでしょ。だから
子どもさんは、ひとりぼっち、ふたりぼっち、多くて三人ぼっちですよね。そのように子
どもさんを孤立させているという状態が多いので、この辺を何とかしていかないかんなと
思って今日はみなさんとたったひとつ、子どもさんを淋しく孤独にしないためにはどうす
るのかというのを考え合っていきたいと思います。先ほど申しましたように、制度ですと
か法律ですとか、社会的にはどういう風に支援していくのかという組織ですとか、そうい
う問題については後ほどまた触れることになると思うのですが、たくさんの人が応援して
いるのです。江南市さんでもあります、子育て支援センター。あるいはファミリーサポー
トですとかあるいは保育園ですとか、幼稚園ですとか、いっぱいあるのですが、そういう
中で問題は、お母さんたちがどういう風に子どもさんと向き合うか、寄り添い合うか、そ
んなことについて、たくさんのお母さんたちがみえるものですから、それに応援するのが
追いつかないという状態だと思います。お母さんたちがこちら側に回ってくれる、つまり
どういう風に子どもさんたちを応援していくか、自分が応援されるだけでなく、自分の子
どもさん、あるいは近所の子どもさんをどういう風に応援していくといいのか、そういう
考え方、発想の転換を図っていく必要があるかなと思います。それは後でもうちょっと触
れたいと思いますね。で、先ほどご挨拶の中で細やかな話があったし、私の与えられてい
る時間が減ったので、嬉しく思いますけれども、その代わりちょっと省略する部分がある
ので、お聞き届けいただくのにご迷惑掛けるかも知れませんけれども、できるだけ中心な
る事、資料の2番目に所を中心に一生懸命話したいと思います。
『育児での心がけ』というところですが、おじいさん、おばあさんも今日お見えになって
いるかと思います。直接子育てをしていらっしゃるお父さんもお母さんも、もちろんみえ
るかと思いますが、それからその関係の方、児童委員の先生だとか保育園の先生だとかい
っぱいみえると思います。しかし、特にお母さんにメッセージしたい。子どもさんが、我
が子であろうと、よその子であろうとどのようにお子さんが気持ちを持っているかという
ことを少し冷静になって整理してみると、こういうことになるというお話をしたいと思い
ます。少し学問的な話になりますが、1番のところに生理的相談というのが書いてありま
す。生理的早産って分かりますか?言葉はお分かりいただけるのだけど、これはですね、
簡単な話だからお分かりになられると思いますが復習です。例えば、お馬さんとか牛が産
まれるとすぐに立ってお母さんの乳房を探しにいきますね。つまり自力でやるのですよ。
これはお腹の中で充分に力を溜めて産まれてきているのでよね。ほとんどの動物がそうな
のです。しかし、人間という動物は十月十日経っても産まれてきてもまだ目が見えないと
いうじゃないですか。おしゃべりもできない、泣き声ぐらいがちょっと軽く出る。そして、
手足が動かないですよね。もちろん、這うとか、歩くとかできません。牛とか馬ですとす
ぐに立ってお母さんの所にいくのですが、人間さんの場合はだめなのです。これを生理的
早産。生理学的に言うと早く産まれ過ぎておる。何が言いたいかというと、皆さんと共通
に確認も既にできると思うのですが、赤ちゃんは早く産まれてきているのだから、教育す
べき問題はそんなにない。いろいろと教えることはまだ早いのです。何をその代わりにや
るかというと、守ってやることなのです。何を守るのかというと、赤ちゃんの方がすぐに
反応しないので、守っている事についてOKやNOと言ったりしません。そこが難しいの
ですが、お乳でも飲ませると飲んじゃう。嫌だったらぐっと避けるのですが、それは本当
に気持ち的な問題でなくて、生理的な問題だということです。つまり、YESとかNOと
かをはっきり意思表示をしてくれれば我々は案外付き合いやすいのですが、それがない。
ここではどうしても必要な事は、こちらからいろんな信号を出してあげるということです
ね。それも教育的なものではなくて、情緒的なもの、心、気持ち、そういうものをこう言
うのはどうでしょうか。日本ではないのですが、ある国の乳児院で 100 人ずつの赤ちゃん
に分けたのです。200 人定員をこちらとあちらに分けたのです。片方には赤ちゃんが反応し
なくてもいいから心を伝える。ほっぺたにチユーをしたり、頭をなでたり、オムツを替え
たりしていました。もう片方には、わざとしゃべりもしないようにしました。どこの国か
というと語弊があるので、大昔の話ですよ。寝たきりの赤ちゃんに物も言わずに哺乳びん
を 100 人並んでいるのを順に差し込んでいくわけ。そうすると赤ちゃんは一生懸命吸うで
しょ。ところが一つ外れると飲めないのです。後が並んでいるので、もう一度哺乳ビンを
口に入れてもらうまでだいぶ後になるので必死に吸い付くのです。これは生理的には満た
されるのですが、心は何も伝わらない。そうしたらどうでしょう。これは本当にあった話
ですが、100 人が 100 人とも死んでしまったのですよ。もう片方のかわいがっていた方はす
くすくと育ったのです。
「大きくなったら総理大臣にでもなろうね」などと嘘 100 万を言っ
て育てていったらすくすく育ったのです。人間に対してこんな実験をしていいのかという
問題もあるのですよね。これは古代○○帝国の話なのです。しかし、実際にそういった事
の教訓を我々は忘れてはならない。特にこういう近代文明が盛んに発展してきた時に、心
の問題は絶対に忘れてはならないという大事な歴史的な教訓なのです。つまり、誰でもで
きる事を省略しなければいいのです。理屈でなく、皆ハートがあるので、自分がかわいい
と思う気持ちを赤ちゃんに向けるという事は簡単な事なのです。できる。それは努力で。
継続的な気持ちを持っていれば必ずできるのです。そういう事を他の事情があるから面倒
だとかで省略していくので、子どもがだんだんとそんなものかと思って、自分が大人にな
った時にそんなもので大人を演じてしまうのですね。だから、これを歴史は繰り返してい
く。自分がされた事をしていくのです。虐待を受けた子が自分の子どもを虐待するという
のは多いですね。私は虐待の子どもとずいぶん付き合ってきたのだけれども、時間があっ
たらまたゆっくりお話したい事がいっぱいあるのだけれども、お天気もよくなったので明
るい話題をしましょう。
テレビの「クローズアップ現代」で『赤ちゃんが笑わない』というショッキングなものを
やったのですが、観たという人、手を挙げてみてくれますか?約1人しかいないですね。
ありがとうございます。本当です、赤ちゃん笑いません。これも乳児院じゃないけれど、
そういうところに預かった子どもがですね、ネグレクトされている子が多いのですよ。ネ
グレクトって分かりますよね。ずいぶん、言葉は広がっていると思いますが、つまり『無
視』されているのです。今のようにこっちの 100 人のような育て方をさせられている子は、
笑いません。乳児院に行くと静かなのです。まるで、ホスピスの病院のようです。赤ちゃ
んが寝たきりでじっとしているのです。歩ける子もいますし、歩けるのはうつろに歩いて
いるのです。「なにをやっているの?」と我々が外からいくと、「こんにちは」と言っても
目をつぶっているのです。これは自閉症の子にもあるのだけれど、この頃はそういう子を
自閉症と言っちゃいけない。ネグレクトと言うのです。そういう子に対して心を復活させ
るというのか、新しく心を芽生えてもらうにはどうしたらいいかと必死な相当な努力が要
るのです。第三者が見てると馬鹿みたいに「高い、高い」だとか「頬ずりをしたり」、「う
れちー、うれちー」とか、そこの乳児院の先生たちは一生懸命やっている、半年掛かるの
です。それだけのエネルギーを使うのだったら毎日少しずつ使った方がどれだけいいかね。
そんな風で今、『笑わない赤ちゃん』といって問題なのです。これは結構増えつつあるので
す。私は児童相談所という所で仕事をしていた事が約 23 年間あるのですが、江南短大に来
てからはまだ新人で8年目位になるのですが、それまでは現場でばかりやっていたのです。
私は、今日はいい服を来ているのですが、それまではお乳を赤ちゃんが吐いてもいいよう
な洋服ばかりを着ていたのです。赤ちゃんの頬ずりなんかはすごく好きで、赤ちゃんの方
が痛いと嫌がっていた。でも私は一生懸命に父親役をやりました。父親がいない赤ちゃん、
母子家庭の子ども、そういう子がいっぱい「預かってください」と言っては来るのです。
その子をどういう子なのだろうと別れてから一生懸命やりました。赤ちゃんはちっともな
じんできませんでした。私は落ち込みました。落ち込んだけれども、そこで私は、普通一
般の赤ちゃんや2歳児や3歳児の子どもさんを育ててらっしゃる方や、育てている方を応
援している方々、両方の立場の方々に、是非子どもたちはどう思っているかというのを代
わりに言います。それは3点あります。カンニングペーパーを開きます。1つは明快であ
ってほしい。明るくあってほしい。明るいと言うのは「きゃっきゃっきゃっきゃっ」笑う
事ではないのですね。これは深い意味があると思います。私はそういう赤ちゃんたちと付
き合って来て、明快と言うのは、要は赤ちゃんの気持ちを一生懸命に汲み取る事だと思い
ますね。赤ちゃんの気持ちに添ってみようという気持ち、こちらの思い方が明快の態度。
つまり、明るいとかギャグとかではなく、赤ちゃんにギャグを言ったってしょうがない。
ただ、「おいちー、おいちー」と共感するという事なのです。共感するという気持ち、共に
感ずる。同じ気持ちになるというのが明快なのです。赤ちゃんの心理と言うのに理屈はな
いですから、あるのは気持ちなのですね。皮膚感覚、それを明快に示してあげるというこ
ちらの態度は、共感することなのです。共感なんてそう簡単にはできませんよ。している
つもりになっている。でも、それでいいのです。つもりで結構です。それは赤ちゃんの方
がちゃんと受け止めてくれる。これは、もう一言付け加えておきますと、赤ちゃんの方が
私たちをよく見ているのです。こちらの方が赤ちゃんを観察しているように思っています
が、赤ちゃんが私たちをよく見ているのです。だから笑わない赤ちゃんなんて、笑おう笑
おうとしているのに、ニコニコ微笑が出せないような扱いをされてしまうので諦めてしま
う。そういうのが脳みその部分にあって、そういう構造があって、だんだんと自分の中で
発達させようとしている力が消耗してしまいだめになってしまう。つまり、大人をよく見
ているのです。だから共感する気持ちというのを伝えれば、赤ちゃんは絶対にそれに応え
てくれるというのが明快なのです。もう一つはですね、これは常識的に言うのだけど親愛
の情ですね、情といいますが、これは子育てを考える以前の問題なのですが、愛情とは赤
ちゃんにとって、子どもにとって何かと。恋人同士の愛情には駆け引きもある。こちらの
話になるととても面白くなって、2時間ぐらいしゃべり続けたい位です。赤ちゃんの親愛
態度というのはどのように示すか。これは、不安とか恐れをなるべく取り除いてあげる事
なのです。今の「おいちーおいちー」というのは、常識なのです。不安とか恐れを取り除
いてあげる事が親愛の情なのです。そこの所をよく考えないといけない。赤ちゃんの前に
行ってから考えては遅い。何か心配事がありそうだと体を震わせたり、泣き声で理解した
り、そういう事で不安がっているという様子を感じ取らなければいけない。泣き声ばかり
でなく、1歳、2歳の子でしゃべれるようになった時に「やだもん、やだもん」とか、夜
泣きする子とか何かあるのですよ。そういうのを取り除いてあげるというのは、説得する
という事ではないのです。ただひたすら、「そうだよね、怖いものね。大丈夫、大丈夫」と
いう風に添うことなのです。これは誰でもできることなのです。育児書や専門家に聞いて
やるべき事ではないのです。自分の思いがあれば誰にでもできる事なのです。そういうも
のが親愛というと私は思うのです。私にでも、よその子にできたのです。それからもう一
つ、子どもに嘘を言わないという事です。嘘を見破るのは鋭いのです。お父さんとお母さ
んの仲がいいか、よくないかは分かっていますよ。いくらなんとかかんとかとごまかして
も、「調子が悪い夫婦だな、こんな所に生まれてくるんじゃなかったな」と言いますよ。養
護施設に預ける仕事をしていますと、養護施設というのは家で子どもを育てられないとい
う子どもを預けられる施設なのですが、預けるべきなのか、家庭で修復していくべきなの
かという事を判断するのが児童相談所だったのですが、こちらは親から切り離すわけです
から真剣です。その時に、はっきりと分かる。子どもが親に対してどのように見ているか
が。これは恐ろしいです。これは、逆の話ですが、子どもを一時預かる部屋があるのです。
預かる時に施設の方で長期的に預けるかどうかを判断しますからと、一応預かる部屋があ
るのです。ここにたまたま火傷跡がある子や背中に青あざのある子でも、それがお父さん
やお母さんにやられたというのがおそらく間違いなくても、「お利口にしとらなかんのだ
ぞ。」「てめぇ」「ええ加減にしとけよ、お前は」とお母さんが言い残して帰っていくではな
いですか。外へ一歩でたら、タバコをふぅ、と吸ってせいせいしたような顔をしています。
その時に我々がその子を抱きかかえて「おかあちゃん行っちゃったね。」と言うと泣くので
す。なんと言って泣くと思いますか?「おかあちゃん、おかあちゃん」と言って泣くので
す。これは、おかあちゃんの神経を知った上で、戻ってきてほしいという気持ちが訴えて
いるのです。おかあちゃんに見切りをつけられない。だけども、おかあちゃんに対する恐
怖感があるという複雑な子どもの気持ちというのはよく分かるのです。このような子と付
き合っているとただひたすら普通の事をしてやればいいのだと思います。明快の解、明る
くちゃらちゃらすることではない。添うという意味です。親愛の態度というのは、不安だ
なとか怖がっているなというのを察してあげる。「その怖さってわかるわ」という気持ちに
なってあげるということですよ。雷が鳴ったら、「怖くない怖くない」というのが立派な親
ではない。
そうそう、私は、立派な親はダメ親だと思います。非行少年がおりまして、中学生の問題
なのですが、非行少年の家へ訪問するのです。そうするとピアノが置いてあって、ウィス
キーのビンがずらっと並んでいて、そしてお客さん用のソファーがあるのです。そして隣
が子ども部屋だったりして、私は子ども部屋に興味があるので覗くでしょ。すると、きれ
いなのです。じゅうたんなんかも毛羽立っていたりしてうちと違うなって思ったりするの
ですが、それで子どもは育つのかと思うのです。「もうちょっと親としてだらしない方がい
いよ」というのです。お分かりですよね。子どものおもちゃとか絵本とかなんだかんだと
子ども向けのものはみんな生理整頓がされているのです。私は予告してそのお家に行って
いるのではないのです。それでもピシッとしておもちゃを使わないようにしてあるのです。
「使ったら外に行って遊んでこい」ていうようなことなのでしょうね。こんなおかしい事
はありません。あまりにも親が親である事を気にしている。これは人間社会の親の特有な
ものです。これから真剣勝負をしますが、今、子育て中のお母さん手を挙げてくださいま
すか?もう一つだけ、是非みなさんで毎日せめて一分でも、こういう事を言っていたと思
い出してほしい事があるのです。子どもさんと付き合う時に何が大事か。きれいに片付い
ている所で子どもさんは何もできませんよね。子どもさんが何を求めているかというと、
もっと
ざっくばらん
な事なのです。つまり、だらしのないお父さん、お母さんが好き
なのです。これはちょっと誤解されやすい。だから私は真剣勝負しているのですよ。だら
しないと言うのは、みっともないと言うのではないのです。お母さんも結構、大変なのだ
よという事を分かってもらうようにしなければならない。ここが難しいのだと思います。
「あんたなんかがおるもんで、ちっとも遊べんのだがね」とかを言うのではないのです。
「お
前と一緒に親も勉強していくのは大変だよ」という事なのです。これはどうしてかという
と他の動物は大変だとは思わないと思います。人間だけだと思います。それはなぜかとい
うと、世の中の、自分が母親であるという事をどのように見ているかという事がどこかに
あるのです。お隣さんがどのようにうちの事を見ているのだろうか、あの人母親らしくな
いわねなど、そういった母親であるべきこと、母親でこうでなければならないことという
一般的な原則であると思い込まされているのです、人間は。これが邪魔をしているのです。
自分流のだらしなさ、それがあまりにも気に掛かりすぎていると思います。では、どうし
たらいいか。それは個々の状態によって違いますが、例えばうちの場合ですが、子どもが
小さい時に私はどうしたかというと「俺が風呂を入れる」という事をしたわけですよ。風
呂を入れる時に子どもがお湯を飲んじゃうのです。そうすると、「美味しかっただろう?」
と言いながら、むせる背中をトントンと叩くわけですよね。これがだらしなさの一つの例
ですね。「お前がパパの見てない時に、湯船で遊ぶから、そうなるんだわ」というのがきっ
ちりとした親なのですね。非行少年のお家みたいな親。そういうのは、だらしなくない親
なのです。「お前が、ちゃんと首までつかっておらんからそうなるんだわ」と言われても子
どもは「そんなこと知るか」って思いますよ。子どもは、お湯は楽しいものですから。私
は手ぬぐいが一本あればおもちゃにできる。手ぬぐいをお湯につけて広げるじゃないです
か。そして、両手で手ぬぐいの端をぐっと空気を入れてそれを包み、子どものお尻の所で
ギュッとするとブクブクと出てくる。そうすると嫁さんが、「なんか変な遊びしちゃって」
という。「それじゃ、お前も入ってこい。やってやるで。」そういうだらしなさというのを
分かってもらえますかね。これは、とても真剣な話をしているつもりなのでよろしくお願
いします。時間も、そろそろなのですが、後でもう一つだけ聞いていただきたい事がある
ので、ずいぶん話が省略しちゃいましたが・・・
最後に一つだけ、自分で想像していただいていいけれど、それぞれが資料に書いてある親
愛の態度、寛容の態度、公平の態度、誠実の態度、明快の態度、尊重の態度。これを一つ
5点にして自分が親であった頃、今現役の親さん、どなたでも自分の関係者の子どもさん
について点数を付けてください。満点で 30 点です。考え込まずに直感力でやってみてくだ
さい。25∼30 点の方は、親でない。そんな親は自分に嘘をついている。だって寛容の態度
と公平の態度は矛盾しますものね。妥協して寛容していったら公平はありえないだとか、
いろいろあるじゃないですか。だから私は、15∼20 点前後の人が素晴らしい親だと思いま
す。自信が湧きましたでしょうか?おじいさま、おばあさまもいらっしゃいますが、もう
その頃はお忘れになったと思うので、うちの嫁はということで意地悪に点数をお付けにな
ってください。10 点もないですか?それは付けた方に問題があると思います。私が何をい
いたいかというと
その人流儀
がきちっとやれているかどうかを見てあげないといけな
い。「赤ちゃんを抱っこするのになぜ心臓の方に向けないで抱っこするのだ」「だって私右
にしか心臓がないもん」とかいうお母さんがいるのです。そんなことはどうでもいいので
す。何か子どもに優しく一体感を持ってやっているのならば、そうすればいいのです。そ
れをいつも布団に寝ている赤ちゃんに、上から哺乳びんを突っ込むような、死んだ 100 人
みたいなやり方ではなくて、子どもがかわいいと言っているのならば「やっぱり右側でも
いいので抱いてやらないかんじゃん。矛盾しているじゃん」という事は指摘してやっても
いいけれど、
「左で抱くものだ」とか「お乳を3時間ごとに飲ませるのに決まっとる」とか
は子どもに聞いてからやってください。私は子どもに聞く、赤ちゃんに聞くことの力をつ
けてもらいたい。私は赤ちゃんに聞くことができるまでに 20 年掛かりました。だから、も
う間に合わないけれども努力はしないといけないと思います。そんなことで、いろんな雑
談っぽくなりましたが、だけど私は真剣に申し上げたつもりなので、それそれ自分の胸に
入れてお帰りになってほしいと思います。まだ、シンポジウムがあるので、これでお帰り
になってはいけません。
最後に何が申し上げたいかと言いますと、これは真面目に言いますが、育ち愛と言うのは
何かという事です。大人が子どもを育ててやる。子どもが親から育ててもらう、大人から
育ててもらうという上下関係というものは、一度ご破算にしてみたい。これは私が 20 数年
間、児童相談所で臨床心理をやってきて、いろんな家庭を見て、いろんな子どもに会って
きましたけれど、子どもは育ててもらうんだと言う立場ではない。子ども自身「育ってい
くんだよ、僕は、私は。邪魔しないでよ」と言っているのです。そのような言葉を上手に
言えないのです、子どもは。「僕たちは育っていくから邪魔しないでよ」これが子どもから
のメッセージ。これを一度、よく子どもさんと付き合ってみてください。頭で考えないで。
「僕はこうしたのになぜ邪魔するの。世の中でいけない、いけないというルールみたいな
事ばかりで、なぜそんな事を言うの。僕はまだそこまで育っていないじゃないか。今、僕
が育とうとしているところは、そのようなところじゃないじゃないか。」という事を見もせ
ずに、「なぜ、いつもまでもスプーンばかり使っている。よその子はあんたの年になったら
お箸を使っているのに。」「こぼさずに食べなさい。」「おしっこは何で、トイレでできない
の。」子どもは遊びほうけているとお漏らししますよ。押さえながならでも遊んでいて、理
論的に言えば、馬鹿ですよね。おしっこを我慢してまでなぜ遊ぶのかと思うのですが、そ
れが子どもなのです。そういったところをとりあえず一呼吸おいて、
「そうなんだ」と思っ
てやることです。それでどう付き合ったらいいかという糸口が必ず見つかりますので、是
非それをお願いします。具体的に言わないから「あいつは勝手な事を言っている」と思わ
ないでください。本当に偉そうに言うわけではないですが、1万5千人位の子どもさんと
付き合ってきた結論です。私がうまくやってきたと言っているのではないのです。それに
悪戦苦闘したと言っているのです。だから皆さんと一緒に悪戦苦闘したい。
それにここは最後になるのだけれども、 子育て支援
と世の中でよく言いますよね。こ
れはどういう図式かといいますと、子どもとお母さんがペアになって座り、反対側に応援
する側が座り「どうなの今日は?」
「この頃しんどいの?」とか言ってお母さんや子どもに
向かうのです。心理的にはこの距離と言うのは、ほんの1ⅿぐらいですがとても距離を感
じるのです。どうしたらいいのかと頼ってくるようにこちらが仕向けているのです。そこ
で、簡単に言うと、「お母さんこっちにおいで。そしてあんたの子どもの顔を一度見てみな
さいよ」と不安に思っているお母さん、子育てに割と冷たいお母さんでも自分の子どもで
ある事に対する意識する、しないに関わらず、責任というか、負担というか、重荷という
ものを持っているのです。それを抜いてあげることなのです。抜いて子どもの人格を認め
ていく。子どもが育って行く事にどうしたら邪魔をしないで済むのかという事を考えて行
くのが、 子育て支援
育て支援
ならぬ、 子育ち支援
なのです。言葉の遊びでもいいですが、 子
というと親子ペアにしてこっちから相談という名の下にいろいろと指導してし
まうのですが、こっちの枠組みをはめて行こうとする。だからお互いにしんどいのです。
そういう親もいますから、何も指導すべきでないとは言いませんが、あまりにもそういう
ものなのだとこちらが思ってしまっているとお母さんはしんどい。いいことを聞かせてあ
げているのに、アドバイスをしてあげているのにといっても「ちっとも分からん親だね」
という事になってしまう。
「一度、こっちにおいで、あなたの子どもはどんな顔しているの。
お母さんはどんな風に見ているの。お母さんはどういう場合の子どもさんが好きなのか
な。」という風にお母さんが自立していけるように、お母さんが自分で答えを出して行ける
ように応援するのが 子育ち支援 なのです。この発想は、少し 子育て支援 とは違う。
親ができ損なっているから、親を何とか一人前の親にするのだという感覚というのはどこ
か私たちの中にあるので、それを少しでも取り払いながら、お母さんも子育てをしていく
応援者側になってもらう。お母さんに自分の子どもに対して子育てを、子どもさんに対す
る子育ちを応援する側になってもらう。これは親であることを決して降りてもらうことで
はないのです。ちょっと話が飛躍しましたが、近所の人たちと「あんな事言ってたけどど
う思います?」と話し合ってみてください。どうもありがとう。
司会:先生どうもありがとうございました。生源寺先生に今一度大きな拍手をお願いしま
す。これをもちまして、第一部を終わらせていただきます。