巻頭 インタビュー 教育は、﹁貧困﹂の連鎖を 断つ希望 ︹編集部︺厚生労働省がこのたびまとめた国民生活基礎調査で、2012年の﹁子供の貧困率﹂が ・3 %と過去最悪を更新しました。貧困は、貧困状態にあるその子自身の人生の困難さはもとより、国の経 ●﹁貧困﹂の定義は その社会の標準的な世帯所得の中央値の そのような状況の人々がどれくらいいるか を計測する簡単な計算方法が、一般的に言わ 活が享受できない状況を指します。 日本には政府による公式な貧困の定義があ りません。今、一般的に用いられているのは ないし % れ る﹁ 相 対 的 貧 困 率 ﹂ で す。 簡 単 に 言 う と、 ﹁相対的貧困﹂という考え方で、OECDや ﹁貧困﹂とはどういうことか 済活動や少子化にも影響を及ぼしていきます。社会全体として、また学校としてどのようにとらえ、貧 困問題に取り組んでいく必要があるのか、子どもの貧困を専門に研究しておられる阿部彩先生にお話を 16 %に満たない所得しかない世帯を貧 50 そ の 社 会 に お い て﹁ 当 た り 前 ﹂ と さ れ る 生 か わ る 状 況︵ =﹁ 絶 対 的 貧 困 ﹂︶ で は な く、 これは、たとえば食べるものもなく、飢え ていたり、住む家がないといった、生死にか ます。 EUなどのほとんどの先進諸国で使われてい ﹁ 相 対 的 ﹂ な 貧 困 な の か と い う と、 な ぜ、 なります。 した。約6人に1人が貧困状態にあることに もの貧困率︶が過去最悪の ・3%となりま 割合を指します。2012年には、子どもの 困と定義し、そのような世帯に属する人々の 16 なかで貧困世帯に属する子どもの割合︵子ど 活、誰もが享受できて当然と思われている生 3 教職研修 2014.10 60 うかがいました。 国立社会保障・人口問題研究所 社会保障応用分析研究部長 阿部 彩 せんが、他の国や、他の時代ではそうではな 子どもが学校に行くのが当たり前かもしれま 前﹂と呼ぶかが異なるからです。ある国では そ の 社 会 に よ っ て ど う い う 状 態 を﹁ 当 た り の で す。 そ れ か ら す で に 年以上経ってお われたのは1970年代のデータに基づくも あると思います。日本が﹁一億総中流﹂と言 い﹂という﹁平等神話﹂が根強かったことが り、格差というのは生まれてくるわけです。 じように育てるといったことでもしない限 もたちを国で預かって、昼も夜もまったく同 一つをとってみても、たとえばすべての子ど 償化もそうです。 意味では貧困対策であったわけです。高校無 ただ、貧困の影響を緩和する対策は、必ず しも貧困対策となされるものだけではなく、 は、ほとんど何もなされていない状況です。 す の で、 子 ど も の 貧 困 対 策 と い う 観 点 か ら 数値です。そして受給者の過半数が高齢者で の2%。これは国際的に見てもきわめて低い 非常に低いのです。受給者は全人口のたった しながら、日本における生活保護の受給率は 日本の貧困対策はこれまで、生活保護に多 くを頼ってきたというのが特徴的です。しか ●遅れている日本の貧困対策 しないのです。 ○国ではそれでもいい﹂といった主張は通用 の な か で は、 ﹁ 昔 は 皆 こ う だ っ た ﹂ と か﹁ ○ いかもしれない。なので、相対的貧困の議論 ﹁ 格 差 ﹂ と﹁ 貧 困 ﹂ は ど う 違 う の か、 と 聞 かれることもあります。 ●﹁格差﹂と﹁貧困﹂の違い このあたりの﹁貧困﹂に対する考え方の転 換が、日本ではまだまだ遅れています。 生活水準を保障する必要があるのです。 として、人として社会に認められる最低限の 的貧困概念ではとりません。わが国は先進国 子が﹁貧困﹂ではないという考え方は、相対 ただ、それこそ食べ物に困ったような時代 と比べて今は状況がいいからといって、その を比べてしまうからかもしれません。 る方々がまだ多くご存命であり、その頃と今 これは、日本が戦後非常に速いペースで成 長を遂げ、戦後の厳しい生活を覚えておられ え方も日本では非常に強いものがあります。 う相対的な捉え方は貧困ではない、という考 また、まさに餓えているといった絶対的貧 困が貧困であって、﹁その社会のなかで﹂とい り、状況は相当変わってきています。 それは社会として何を許すかという価値判断 高校までの学力を保障するのかといった﹁最 たとえば三食を保障するのかとか、希望者全 す。 で す の で、 貧 困 の 議 論 に は、 具 体 的 な、 ことが貧困です。子ども間の格差は許されて べての人が享受すべき生活が享受できない﹂ ﹁ 貧 困 ﹂ は﹁ 格 差 ﹂ と 違 っ て、 そ し か し、 れ自体あって はならないもの なのです。﹁す あると思います。 が、それを社会政策の対象として、すべて解 ます。もちろんそれは不公平かもしれません このような﹁格差﹂の存在を、日本ではす でに多くの人が認識し、また許容してきてい ば、しない︵できない︶家庭もある。 れて行くような教養教育を施す家庭もあれ ところもある。さらに海外旅行やオペラに連 それはすなわち、家庭に違いがあるからで す。塾に行かせる家庭もあれば、行かせない しかしそうは言っても、諸外国と比べても 貧困対策は非常に遅れていると言えます。 まず﹁格差﹂とは、どれくらいまでが許容 範囲かという問題はありますが、ある意味い なのです。 低限の生活﹂のレベルの設定の問題を伴い、 員を高校に進学できるようにするのかとか、 も、 貧 困 の 子 ど も は あ っ て は な ら な い の で 消することをめざすべきなのかという議論は 私はその原因は、日本国内の貧相な﹁貧困 観﹂によると考えています。その理由の一つ つでも存在するものです。つまり、教育格差 たとえば﹁義務教育﹂といった制度も、広い に は、 ﹁ 日 本 は 平 等 で あ り、 貧 困 は 存 在 し な 40 教職研修 2014.10 4
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