スリランカ社会の変容と都市近郊における子育ての変化

スリランカ社会の変容と都市近郊における子育ての変化
-1990 年代との比較から-
〇松本なるみ
岩崎美智子
星 順子
(東京家政大学) (東京家政大学)
(東京家政大学院生)
1.研究の背景と目的
変化をみると、GDP は 508 ドルから 3127 ドルと約 6 倍に
スリランカ
増加し失業率は 13.7%から 4.9%と下がっている3)。特に
では、尐数派民族であるタミル人により結成された「イ
内戦終結後の 2009 年以降、消費財(家電製品や自動車な
ーラム解放の虎(LTTE)」が、北部・東部の独立を求め 1983
ど)の輸入額の大幅な伸びは消費意欲の高まりを反映し
年から 2009 年の終結を迎えるまで 26 年間におよぶ内戦
ている。また、小売業界も昔ながらの個人店舗中心の非
が続いた。現在では内戦の終結により経済活動が活発化
組織型小売市場から変化して大規模駐車場を備えたショ
し 2013 年には 7.3%(188 か国中 19 位)という高い経済
ッピングセンターが誕生し家族連れで賑わいをみせてい
成長を達成している1)。数値によるデータは後に示すが、 る4)。自家用車の保有台数も高くなり人々の移動範囲が
実際に 2014 年にスリランカの都市部を訪れると 20 年前
広がり都市部に居住する家族の休日の過ごし方にも変化
には単価が高く外国人観光客対象であったレストランで
がみられる。一方で地方や農村部との格差も広がってい
多くのスリランカ人家族が食事をする姿を目にするなど、 るが、その点については次の機会に述べることにする。
人々の生活や消費活動に変化が見受けられた。松下は、
(2)人間開発指数(HDI)にみる変化
経済(一人当たりの GNP)と合計出生率の間に負の相関関
HDI とは、
経済指標では測定困難な生活の質を測ろうと
2)
係がみられることを示唆しているが 社会の変容は個人
する指標で、平均余命・教育・健康な生活などの側面か
の生活に影響を与えていると考えられる。では、子育て
ら人間開発の達成度を示すものである。平均余命は、1990
はどのような影響を受け変化しているのだろうか。本報
年代の 69.68 歳から 74.72 歳と先進国に近い数値を示し
告では、まず 1990 年代から現在までのスリランカ社会の
ている。出生 1000 件当たりの乳児死亡率は 24 人から 11
変容を各種統計資料により概観し、子育てに関する調査
人へ、出生 10 万件あたりの妊産婦死亡数は 85 人から 35
結果からスリランカ都市近郊の子育ての変化について
人に減尐している。安全な飲み水の確保は 67.0%から
1990 年代と 2014 年現在との比較検討を行う。
91.0%、トイレなどの衛生設備の確保は 70.0%から 92.0%
2.方法
と 20 年を経て改善されてきている。現在の成人識字率は
調査協力者と実施時期:2014 年 2 月に質問紙調査
(1993
94.2%であるが 1990 年代にはすでに 90%を超えており初
年 2 月に実施した子育てに関する質問紙調査と同内容)
等教育の純就学率は 94%と、
南アジアの中でも高い数値を
とグループインタビューを実施した。調査協力者は幼稚
示している。また、初等教育における女子生徒の男子生
園に通園する子どもの母親 76 名(2014 年 2 月調査:都市
徒に対する比率は 99.8%であり、1990 年代においてもす
近郊幼稚園 35 名、南部農村地帯の幼稚園 41 名)そのう
でに 96.3%と性差はほとんどみられず、高い女子の初等
ち今回は1993年の調査地と居住地域の近い都市近郊幼稚
教育参加率を示している5)。就学前教育総就園率をみる
園の 35 名を分析対象とした。
と48%(1994)から87%(2011)と義務教育ではないが就園
調査手続:質問紙調査と調査票回収後に 17 名の母親を 3
率が上昇している。
(3)質問紙調査結果(1993 年・2014 年実施)
グループに分け各グループ 1 時間のグループインタビュ
①調査協力者の属性
ーを実施した。質問紙は幼稚園の担任教師の協力を得て
2014 年:35 名全員がシンハラ人・仏教徒で平均年齢は
回収率は 100%であった。質問内容は、フェイスシートと
32.63 歳であった。
子育てに関する 27 項目について尋ねた。グループインタ
1993 年:38 名全員シンハラ人で仏教徒 34 名、キリスト
ビューでは質問紙の回答結果をもとに詳細な説明を必要
教徒 3 名、サイババ 1 名、平均年齢は 26.23 歳であった。
とする項目について再度尋ねた。
世帯の子どもの数は 2.36 人(1993)、
2.32 人(2014)と特筆
3.結果と考察 -1990 年代との比較から-
すべき尐子化はみられない。これは、1968 年に導入され
(1)経済指標の変化 ―― 消費意欲の高まり
た家族計画プログラムなどにより避妊実効率が上昇し 60
The World Bank 発表のスリランカにおける主要経済指
年代から 90 年代にかけて 5 人から 2 人へと合計出生率が
標(人口の増加、GDP、失業率など)について 20 年間の
半減し現在も維持している状態であるといえる6)。受験
競争が激しいスリランカにおいて「尐なく産んで良く育
てる」という戦略がみられる。就労に関しては、いずれ
も専業主婦の割合が 71.05%(1993)
、62.86%(2014)と
高いが、一方でフルタイム常勤雇用の母親は、7.80%
(1993)から 25.71%(2014)と増加している。母親の学
歴をみると 1993 年は OL(上級中学卒業)55.36%が最も
多かったが 2014 年では AL(高校卒業)が 57.14%と最も
多く学歴の上昇がみられた。1 世帯当たりの世帯員数は
6.25 人(1993)から 4.57 人(2014)と減尐傾向にあり夫婦
と子どもからなる「単純家族世帯」が増加している。こ
の結果と関連して、
「子どもをみてくれる人の有無」を尋
ねたところ、1993 年には「有」という回答が 100%であ
ったが 2014 年では「有」は 58.82%と減尐し 41.18%が
「無」と回答している。世帯構成の変化、つまり「拡大
家族世帯」から「単純家族世帯」へと変化がみられたこ
とが影響を及ぼしているのではないだろうか。
②経済発展と子育て観の変化
「子どもに身につけてほしいこと」では、
「自分ででき
ることは自分でする」が増加し(2.63%→19.42%)
「社
会のマナーやルールを身につける」が大幅に減尐してい
る(30.70%→0%)
。
分でする」
「基本的生活習慣の確立」など個人(子ども自
身)に向けられている。そのほかの質問項目で「子育て
も大事だが自分の生き方を尊重したい」と考える母親は
0%から 41.67%と増加している。これらの結果は、個人
的価値の実現に重きをおく傾向がみられるようになって
きていることを示しているのではないだろうか。
③変わらない 3 歳児神話支持
「3 歳まで母親が一緒にいた方が良い」
の質問項目では、
「そう思う」が 71.05%(1993)、78.79%(2014)といず
れも高い割合を示している。
母親の就労率が上昇しても 3
歳児神話を支持する傾向は強くみられ、育児における伝
統的性別役割分業意識が根強いことがうかがえる。
④「子どもの存在」にみる子どもの価値
表1.子どもの存在
1993 年
1 家の跡継ぎ
14.04%
0.00%
0.00%
16.23%
3 生活や人生を豊かにしてくれる
17.54%
22.47%
4 自分の夢をたくす存在
14.04%
13.73%
5 将来の社会を担ってくれる
14.91%
17.48%
6 将来、自分の面倒をみてくれる
16.67%
26.22%
7 手のかかる存在
3.51%
1.25%
8 苦労や心配が多い
6.14%
1.25%
13.16%
1.25%
2 夫婦関係をつないでくれる
9 お金がかかる
図1.子どもに身につけてほしいこと
長津は、戦後の経済発展に伴い家族の「私事化」
(私的
な単位を重視する傾向)
、
「個別化」
(個人の欲求充足を図
る活動単位がより小さくなる傾向)
、
「個人化」
(自分らし
く生きたいという個人的価値の実現に置く傾向)
、がみら
7)
れることを指摘しているが 、1993 年と 2014 年の調査結
果の比較から、スリランカ都市近郊の子育てにおいても
長津の指摘と共通する部分がみられる。1993 年の上位回
答をみると「社会のマナーやルール」
「他者への思いやり」
「伝統文化を大切にする」といった他者や社会に向けら
れていた意識が 2014 年になると「自分でできることは自
2014 年
子どもの価値について先進国では、子どもの成長その
ものに喜びや心理的満足を見いだす「精神的価値」が高
くなると言われている8)。表 1 の結果をみると「生活を
豊かにしてくれる」といった「精神的価値」と「将来面
倒を見てくれる」ことを期待する「実用的価値」の両方
が求められている。
「家の跡継ぎ」という考えは失われて
きているが高齢の親は家族による扶養を基本とするあり
かたが現在でも継承されていると考えられる。ここでは、
1990 年代との比較からスリランカ都市近郊における子育
て環境や子育て観の変化について示したが、今後は都市
近郊と地方農村部との比較からも検討していきたい。
注 1)IMF World Economic Outlook Databases 2014 2)松下敬一郎「島嶼国
家の人口と経済-スリランカの事例を中心に」
『第三世界の人口と経済発展』
大明堂 1993,129-130 3) The World Bank .World Development Indicator 4)
崎重雅英「内戦終結後の小売市場」
『ジェトロセンサー』日本貿易振興機構
2012,53-54 5)UNESCO INSTITUTE for STATISTICS DETA CENTER 6)西村教子
「スリランカにおける出生率低下と社旗経済環境の変化」
『国際協力論集』第
7 巻第 1 号 1999,165-166 7)長津美代子「変わりゆく夫婦関係-共有するネッ
トワーク」袖井孝子編『尐子社会の家族と福祉』ミネルヴァ書房 2004,14-25
8)柏木恵子「子どもという価値」中公新書 2001,2-8