西洋演劇史 02 ワークシート・コメント(抄) (注:【 】は教員のカウンターコメントです。) 1.アンティゴネとクレオンの論争(アゴン)の場面を見て、どのような 印象を持ったか。また、アンティゴネが、国家の法を破り、命を賭してま で兄を埋葬したことについてどう思うか。 ・クレオンの考え方は国を統べる立場として必要な考え方だったのかもしれない。でもそれだ けじゃ人はついて来ないということを自死の連鎖で表現したのかな。/アンティゴネが命を賭 して兄を埋葬したのは、アンティゴネが「ただ生きていること」ではなく「正しく生きること」 に価値を見出していたからなのかな。神様。 ・ ギリシャ悲劇なのにドイツ語だったので少し違和感があった。 ・ ドイツ語?が合っていなかった。 ・ ドイツ語でなく、他の言語だったらどんな感じになるのか気になった。ドイツ語だったので 硬質で理智的な感じだった。 【←映像は、ヘルダーリン(1770 年〜1843 年)というドイツの詩人が、できるだけ逐語的に ドイツ語訳した台詞を、映画監督のストローブ=ユイレができるだけ忠実に映画化した作品か らの抜粋です。逐語訳なので、ドイツ語としてなめらかなセリフになっていない のが特徴で あり、それはヘルダーリンやストローブ=ユイレの芸術創作上の狙いでもあると思います。】 ・どちらの意見も視点を変えれば正しいのであり、決着がつきそうにない。決着のつかない意 見の対立にピリオドを打つ手段としてクレオンは権力を行使しようとするため、どうしてもク レオンが卑怯に見えてしまう。しかしながら国家を守るために尽力するクレオンの立場になれ ば、アンティゴネは非常に悩まされる存在でもある。優劣がつけられない。 ・ 先生の話を聞くと、アンティゴネの方がいい人で、クレオンは、悪い人という印象だったけ ど、そうではなくて、お互いが尊重しているものが違うのだと思った。 【←そうですね。僕が個人的にアンティゴネの方に肩入れしているのかもしれません。クレオ ンの作った法が悪法であり、アンティゴネのそれに対する抵抗が正しいという僕の価値判断が 入った説明になっていたかもしれません。】 ・アンティゴネが兄を埋葬したのは正しかったと思います。兄とかすっごい身近な血縁者だし、 野ざらしにされている兄に対して何もしないっていうのも人としてどうかと思う。 ・法に忠実なクレオンと、悪く言えば私情だけでわがままに行動するアンティゴネは、女と男 の差別を表しているようだった。かしこい男と、わがままな女…のような。 ・戦争を批判しているのに、よく国家の劇場でこのような作品を上演できるなと意外に感じた。 【←古代ギリシャ時代、特に民主制の根付いたアテネのようなポリス(都市国家)では身分の 差に関係なく対等に議論できる場が「公」と考えられ、そうした場で意見を言えることが人間 の「自由」だという認識があったからだと思います。】 ・登場人物が直立か後ろ手を組むなど、感情表現の補佐としての歩いたり手をふったりする動 作がまったくなく驚いた。 ・ アンティゴネの必死さが伝わるが、それ以上にクレオンの他人に対する不信感が非常に大き いことも気になる。 ・ 激しい論争であっても、詩的な表現をしていると感じる部分が多くあった。 ・「私は人間的に生きる」「愛したいだけ」というセリフが印象的だった。そして段々クレオン の威勢が弱まっていったところも印象的。彼も人間なので… ・2人より離れた所にいた4人が、演劇でのコロスにあたるのでしょうか?【←そうです。】 ・同じようなことを言葉を変えつつ何度も言っていたように感じた。また台詞回しが哲学っぽ い。(人間の作った法だから人間が破る…等) ・ギリシャ神話では、ヘラなど女神の権力が強い印象を受けているので、そういったこともこ の場面にあらわれているように思いました。王女でありながらも、国よりも家族を選んだアン ティゴネに、人間らしさのようなものを感じます。 ・激しく感情的なイメージのある私のギリシア人像にぴたりと当てはまった。 ・ 男性の身分の方が高く、相手が王にもかかわらず、アンティゴネは一切自分の主張を曲げる ことなく、対等に言い合っている部分が印象的だった。 ・ 台詞の言い方や、ずっと直立していることから、自然なやりとりではなく演劇であることを 強く意識した。やりとりが単調で、間が空くことが少なかったように感じた。 ・ ずっと同じ立ち位置だったからか迫力がなかった。リアルさがなく、セリフとして言ってい るだけな気がした。 ・ アンティゴネがだんだんとヒートアップしていくにつれて、クレオンの口調もヒートアップ していくさまからスピード感と迫力を感じました。 ・ 長台詞は私の想像していたよりもずっと長く、古代あのような台詞をどのように伝えて覚え たのかがとても気になった。 ・ 演劇なので室内の舞台で演じていると予想していたが、室外でしかも舞台でもない、遺跡の 様な場所で演劇をやっていて驚いた。また、小道具もほとんどなかったのでとてもシンプル な印象を受けた。 ・ 走れメロスの友情イメージと同じくらい兄弟愛みたいなものを感じた。宗教などより、自分 の正しいと思ったことをすべきであると実感した。 2. 『メディア』における「子殺しの逡巡」の場面で、舞台装置・美術の 効果や俳優の演技などの面から、印象に残ったことを書きなさい。 ・和風だなあと思った。体に入れ墨があってやくざみたいだった。舞台に水(池)を使った演 出は面白い。 ・ 魔術を使うようになったメディアの体にタトゥーが入っているのが現代っぽいと思った。 【←タトゥーは実際には古来様々な部族で魔除けなどの意味で用いられてきたものです。しか し特に西洋で社会が近代化すると人間の合理的精神のために魔術等が信じられなくなって、い わゆる西洋を中心とした「近代文化」からは一旦排除されます。しかしその合理的精神にも疑 問が持たれるようになった昨今、再びタトゥーに価値を見出す人が出てきたという経緯があり ます。】 ・水の舞台というのが、生も死も連想させるなあと思います。 ・ 蓮の花が浮かぶ池と階段で高低差を利用し劇に幅を感じさせた。 ・ 現実味のない演出だったと思う。これは宗教色が強いと思った。 ・ なんだか過剰な程の演技だな、と思ってしまいました。 ・子どもの白い衣しょうは、子どもの純すいむくさを表し、メディアの黒と赤の衣しょうは、 くやしさやイアソンへの怒りを表していると思った。 ・ うしろの赤色の女(モブ?)はメディアの良識、理性そのもの、なのかもしれない。 【←赤い衣装の女性達は、劇の役割としては「コロス」です】 ・子役上手っ!!というのが一番の印象。外人さんを日本人が演じる際もっとメイクを濃くシ ャドウをきっちり入れるものかと思っていましたが、そうでもないようで驚きました。 ・ メディアの迷いとかっとうが激しくあらわされていて、イアソンへの憎しみと子に対する母 の顔の使い分けがすごかった。激しい感情を2種類も演じていて俳優の心中は疲へいしそう。 ・ 女優は頭をまるめ男性的衝動(子殺し)や怒りを表現している。また低音や叫びとともに、 女性の象徴である髪を捨てることで女性の優しさを捨てることに成功している。 ・非常に情の込もった演技だったが、日本語でなかったら、このような表現は不可能であった はずだ。それは私にとって日本語は母国語であり唯一言葉の持つ様々な意味を有意義にくみと ることができる言語だからである。もしこれが他の言語であれば私の感動は半減していたに違 いない。
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