2010年(平成22年)7月7日(水) 1 学校法人天満学園の発展を通して 私立学校の教学教育研究振興に一生を捧げる 足立喜典先生が6月 日︵月︶大阪市内の病 院で急性心不全のため逝去された。享年 歳。 83 享年 ︵正六位勲六等瑞宝章、昭和 年2月 日歿、 足立喜典先生は、先代創立者故足立喜三郎 14 12 ︶の建学の精神である﹁教育は徳なり﹂ 32 同 人 は 有 余 年 に わ た っ て 大 学・高 等 学 校・中学校・幼稚園・専門学校を設置する理 園の隆盛を導いた。 気風と自由潤達な校・園風の確立に努め、学 という教育理念を継承し、率先垂範、進取の 徳の形成、人格の形成こそ教育の原点である 75 橋 1︱8︱ 、℡ ︱ 6 8 8 1︱ 1 1 1 1︶ 時 か ら、帝 国 ホ テ ル 大 阪︵大 阪 市 北 区 天 満 な お、﹁お 別 れ の 会﹂を 8 月 6 日︵金︶午 前 16 謹んで足立喜典先生のご冥福をお祈り申し 上げます。 において執り行う予定です。 06 密葬は、6月 日︵水︶大阪市内で近親者に て行われた。 に集められた。 生すべての方々から教育者として崇敬を一身 教職員、在学生・生徒・園児、卒業生・卒園 対する烈々たる気魄と限りない愛情をもって、 ﹁教 育 は 徳 な り﹂の 理 念 に 徹 せ ら れ、教 育 に 第一線で活躍し続けてきた。資性温厚篤実、 特に私学教育研究の振興に尽くし学校教育の して学校法人天満学園を通じて我が国教育界、 高等学校、中学校、幼稚園の学校長・園長と 事長・学園長・理事としてまた、大学学長、 60 50 1 1 特別号 学内報 知の柱 看護学部 人間学部 経営学部 〒587–8555 大阪府堺市美原区平尾 1060-1 電話 072–362–3731 / FAX 072–362–0598 監修:学校法人 天満学園 学園企画室 学校法人 天満学園 理事長・学園長・学長 足立 喜典先生ご逝去 足立喜典先生の足跡 ■ 太成学院大学の充実に果した功績 年4月に南大阪大学︵当時︶を新設開学した。当該大学の 足立喜典先生は、四年制大学設置の構想を学園中期計画とし て6年間かけて、当時文部省の大学設置に関して原則抑制の中、 設置の趣旨は、めまぐるしく変化する世界経済のなかで、それ 平成 らと密接に関わる情報システム活用の必要性から、各企業の経 営諸活動のなかから求められている技術力や知的能力は、ます ます多岐にわたっている現状をとらえて、経営・経済・情報の 三つの分野を融合させた新しい経営学部経営情報学科の実現を めざし、実践力と創造力豊かな人材育成を目標にした大学とし て、大阪短期大学の校地に設立した。 情報技術を駆使した学生の学修環境の整備に努め、当時日本 ではまだ数%の大学でしか実施していなかった全学生にノート 国高等教育の一隅を照らす光を発信した。 パソコンとメールアドレスを配布する等、 世紀をめざす我が 21 現下の諸情勢を鋭く的確に考察・分析し、大学の改革に取り 組む中、平成 年に学長就任、翌年には人間学部を新増設し、 年9 周年記念教育事業として、大阪府民の 16 平成 年には南大阪地域で初の看護学部を新増設した。看護 学部実験実習棟 ︵鉄筋コンクリート地上5階建て・3706平 園の教育環境の整備に力を注いだ。 然芝︶、テニスコート︵全天候型人工芝︶ 面などを整備し、学 して、硬式野球場 ︵ナイター設備︶ 、サッカー・ラグビー場 ︵天 森・緑の文化園に清滝スポーツヒルズ︵6万4636平方㍍︶と 月には、天満学園創立 置して、2学部4学科の大学へと改組転換を進めた。同 学部と内容を改め、経営情報学科と経営経済学科の2学科を設 心理学科と人間文化学科の2学科を置き、経営学部も総合経営 14 方㍍︶を建築し、実習医療機器には最新の設備を完備した。同 人の教育諸条件の拡充整備と教学教育研究内容の充実への取り 組みは、建学の精神﹁教育は徳なり﹂すなわち教育こそ人間力 年度の就職内定率は100%の実績を記録する の伸張をうながす人格形成の根幹であるという教育理念の実践 年に 56 年に創設した。学生 数%以上を維持し続けていた。 足立喜典先生は、当短期大学の開設に当り同 年3月1日に 自らの私財︵当時鑑定評価額9億2200万余円の土地︶を学園 超氷河期の到来にも拘らず 時大きな特色として位置づけられた。同学の学生就職内定率は、 一人に1台のコンピューター環境を整えた本学の情報教育は当 情報学科をもつ大阪短期大学︵共学︶を同 購入した校地︵大阪府堺市美原区︶に当時大阪府下で唯一の経営 経営情報学科を置く高等教育機関の開設を決意し、昭和 情報処理システムの運用を担うことのできる人材養成のため、 図り、 情報化社会における経営実務・管理システム化、OA化等、 足立喜典先生は、当時、国際化、情報化が急速に進展する社会 の要請に対応するため、 実学を重視した短期大学教育の実現を ■ 大阪短期大学に果した功績 職として尽力した。 など、建学の精神の発揚、継承・拡充・発展に2期8年間学長 であり、平成 19 ■ 太成学院大学高等学校の発展に尽力した功績 経営基盤確立に貢献した。 に応えうる人材育成をめざす私学教育の振興に尽くし、学園の 足立喜典先生は、このように社会動態をいち早く見極める先 見性と、たゆまない教育への情熱をもって社会のニーズに的確 特色ある教学教育研究の推進実践に努めた。 報コンセントを学内に整備し、多様化する情報社会に即応した 書専攻を設置し、学生がいつでもインターネット接続できる情 賞している。平成2年に同学経営情報学科に経営情報専攻と秘 しながら整備したキャンパスは﹁大阪府みどりの景観賞﹂を受 環境設備を充実させた。先生は、当時から自然環境保全を意識 平成元年9月には東館校舎棟、体育館を竣工、同5年足立記 念館竣工、同6年専用女子寮、第二食堂棟、西館校舎棟と教育 に寄附した。 創立者故足立喜三郎の遺志に基づいて、校地の一部として学園 60 足立喜典先生は、昭和 年3月学校法人大阪天満学園︵現・ 天満学園︶ 設立と同時に理事に、同 年7月理事長に就任し、 昭和 年教育環境の充実を図るため、大東市諸福7丁目に新 校舎敷地2629坪を求め、校舎を整備し、同 年4月同校全 立した。 教育環境の整備と教育内容の充実に努め、学園発展の基盤を確 に基づき、心身共に健全な人格を備えた生徒の育成をめざし、 以来、創立者故足立喜三郎先生の建学の精神﹁教育は徳なり﹂ 29 日制課程を同地に移転したが、同 年9月に大阪を襲った第二 34 年から同 年の 37 38 年 月には社会の要請に応 年体育館兼講堂 ︵1 9 5 5 平 方 ㍍︶ 、工 業 科 実 習 工 場 昭和 年、同校の前身である大阪工学校開設から 周年を迎 えた。これを契機に施設設備の拡充整備と教育内容の充実を目 を図る等、教育環境の充実整備に努めた。 ︵1662平方㍍︶を整備するとともに、引き続いて校地の拡張 同 した。さらに足立喜典先生は、教育への限りない情熱をもって を当時の大東市長川口房太郎氏の命名により、太成高等学校と える人材育成に一層邁進することを決意し、大阪天満高等学校 完成するに至った。この間、昭和 2ヶ年を費やし、待望の鉄筋コンクリート造り4階建て校舎を 喜典先生は、直ちに復旧再建に着手し、昭和 室戸台風によって新校舎は甚大な被害を受けるに至った。足立 36 37 設置、ソーラーシステムによる室内温水プール ︵ ㍍、6コース︶ 候型走路130㍍トラックの整備、セミナーハウス︵合宿所︶の 築 、四 條 畷 硬 式 野 球 グ ラ ウ ン ド の 確 保、図 書 館 棟 建 築、全 天 温水プール︶ 鉄筋コンクリート造り4階建ての整備、校舎棟新 めてのプラネタリウムの設置、錬成館︵剣道場、柔道場、室内 器を次々に導入整備した。さらに、同 年大阪府下の高校で初 FACOM230︱ を導入し、当時として最新の情報教育機 界に協力を呼びかけて大阪府下の高校では初めての電子計算機 指した﹁施設・設備拡充整備5ヶ年計画﹂を打ち立て、広く各 30 等スポーツ教育環境の整備充実にも邁進した。室内温水プール 完成時には、モントリオールオリンピック水泳男子100㍍自 由形で世界新を出したゴールドメダリストのジム・モンゴメリ ー氏が、足立喜典先生のスポーツ教育への情熱に対して来校、 献泳していただいた。 年商業科をコンピュータ経営管理科に変 教育施設の充実ばかりではなく教育課程においても、昭和 年普通科体育コースの設置、同 年 年普通科文理コース・文化コースの設置、同 年普通 更、併せて電子計算機技術研修生制度︵高卒後2ヶ年修業︶を設 年建築科の設置、同 置、同 56 普通科理数コース設置、同 年体育コースを体育科として認可 科英語コースの設置、同 54 ︵4面に続く︶ など、生徒の進路希望の多様化に対応し、社会の要請に即応し た特色のある教育の推進実践に努めた。 42 25 上 高校鴻池校舎の全景 (生徒の人文字で「テンマ」 を表した航空写真) =昭和34 (1959) 年 下 当時の校舎の全景 (高校) =昭和36 (1961) 年 太成学院高校室内温水プール等改修工事完成に際し、モントリオー ルオリンピック金メダリスト モンゴメリー氏が来校、献泳=昭 和 ︵1983︶ 年 12 62 10 43 学園創立30周年記念式典であいさつする足立喜典理事長・校長=昭和40 (1965) 年 10 26 四條畷グラウンド (硬式野球専用グラウンド) 造成地鎮祭で鍬入れをする足立喜典理事長・校 長=昭和56 (1981) 年 ﹁友好校提携調印式﹂を終えて。友誼中学傳家新校長と足立喜典 理事長・校長=平成元︵1989︶年 月 日 19 を受けて設置、同 年情報処理科を情報処理技術科に変更する 57 大阪天満高等学校文化祭にて足立喜典先生 ︵左︶ = 昭和 ︵1957︶年 足立喜典先生 年譜 90 26 55 左 (高校) =昭 第二室戸台風による災害復旧校舎 和36 (1961) 年 大阪短期大学開学記念式典で来賓をお迎え する理事長 (右) =昭和62 (1987) 年 70 10 44 60 58 完成間近の大阪短期大学本館校舎=昭和62 (1987) 年 校外学習 (奈良奥山めぐり) にて足立喜典先生 (前列右) =昭和32 (1957) 年 戦災復旧後の大阪天満高校旧校舎 (大阪市北区南森町) =昭和23 (1948) 年 大阪府歯科医師会会長奥野喜 一先生と歓談する足立喜典理 事長 (右) =昭和58 (1983) 年 西日本歯科衛生学院専門学校 (現・太成学院大学歯 科衛生専門学校) 校舎竣工記念披露祝賀会で挨拶す る足立喜典理事長=昭和58 (1983) 年11月30日 10 39 32 大阪天満幼稚園設立当時 (大阪市北区与力町) =昭和30 (1955) 年 太成学院天満幼稚園「おもちつき」にて 園長先生に園児たち大よろこび=平成10 (1998) 年 学園創立50周年記念式典で挨拶する足立喜典理事長・校長=昭和60 (1985) 年 大阪府大阪市に生まれる 大阪大学工学部を卒業 大阪天満高等学校(現・太成学院大学高等学校) 教諭 26(1951) 年 学校法人大阪天満学園 (現・天満学園) 理事に就任し、通年55年 29(1954) 年 学校法人大阪天満学園(現・天満学園)理事長に就任し、通年51年間、本学園の教育研究 ならびに経営基盤の確立と私学の教学教育研究振興に尽力した 30(1955) 年 大阪天満高等学校(現・太成学院大学高等学校)校長に就任し、通年47年間中高等 学校教育の充実発展に努める 大阪天満中学校(現・太成学院大学中学校) 校長に就任 天満幼稚園(現・太成学院天満幼稚園) 園長に就任し、通年30年 31(1956) 年 大阪府私立中学校高等学校連合会監事に就任 私立学校の中等教育振興に貢献 36(1961) 年 学校法人大阪天満学園 (現・天満学園) 理事長に就任 40(1965) 年 大阪府知事より 私学団体役員教育振興表彰 46(1971) 年 大阪実業教育協会監事に就任 47(1972) 年 大阪府私立中学校高等学校連合会工業教育研究会会長に就任 49(1974) 年 大阪府私立中学校高等学校連合会保健体育教育研究会副会長に就任 大阪府私立中学校高等学校連合会監事に就任 50(1975) 年 近畿工業高等学校長協会理事に就任 社団法人全国工業高等学校長協会評議員に就任 51(1976) 年 大阪府私立中学校高等学校連合会保健体育教育研究会会長に就任 大阪府私立中学校高等学校連合会理事に就任 大阪府私立高等学校体育連盟副会長に就任 52(1977) 年 大阪高等学校体育連盟監事に就任 53(1978) 年 財団法人大阪府私立学校退職金財団評議員に就任 財団法人大阪府私学総連合会評議員に就任 大阪府私立中学校高等学校連合会保健体育教育研究会副会長に就任 56(1981) 年 大阪府私立中学校高等学校連合会より 教育功労者表彰 58(1983) 年 大阪府知事より 教育功労者表彰 天満幼稚園(現・太成学院天満幼稚園) 園長に就任 59(1984) 年 (社) 全国工業高等学校長協会より 工業教育振興表彰 62(1987) 年 大阪短期大学設置認可を文部省 (当時) から受け、私学高等教育振興に貢献 天満幼稚園(現・太成学院天満幼稚園) 園長に就任 63(1988) 年 藍綬褒章を受章 平成 3(1991) 年 大阪府日本中国友好協会理事に就任 日中両国民の相互理解と友好を深め、アジ アと世界の平和に貢献 近畿私立中学高等学校連合会理事に就任 9(1997) 年 日本私立中学高等学校連合会評議員に就任 10(1998) 年 南大阪大学(現・太成学院大学)設置認可を文部省(当時) から受け、さらなる私学 高等教育振興に貢献 日本私立大学協会評議員に就任 11(1999) 年 勲四等旭日小綬章を受章 12(2000)年 太成中学校 (現・太成学院大学中学校) 校長に就任 学校法人天満学園学園長に就任し、学園建学の精神「教育は徳なり」に基づく全 部門の教育活動充実を目指した 14(2002)年 太成学院大学学長に就任 32 40 52 バルセロナオリンピックに陸上走り幅跳び日本代表で出場する森長正樹選手 (日大3年) が、母校太成高校での激励壮行会に訪れる=平成4 (1992) 年 大阪短期大学 (現・太成学院大学) 開学記念 式典で挨拶する足立喜典理事長=昭和62 (1987) 年10月23日 勲四等旭日小綬章の受章と太成学院大学高等学 校の教育後援会の方たち=平成11 (1999) 年 卒園式で花束を贈呈される理事長・ 園長=平成10 (1998) 年 昭和 3(1928)年 25(1950) 年 2 2010年(平成22年)7月7日(水) 2010年(平成22年)7月7日(水) 3 ︵3面から続く︶ 1 1 同 年には、本校と中国上海市友誼中学と交流を始め、平成 元年 月 日に﹁友好校提携調印式﹂を結び、同6年 月には 26 足立喜典先生は、人間の人格形成の基盤を形成する幼児期に おける就学前教育の重要性に鑑み、昭和 年4月地域住民の期 ■ 太成学院天満幼稚園の充実に果した功績 太成学院大学高等学校で学園基盤の確立強化に努めた。 友好提携5周年記念式典を開催し、中国との交流にも貢献した。 10 63 新改築し、室内温水幼児用プール ︵ ㍍×5㍍・水深 ㌢㍍︶を の教育推進に努め、平成3年5月には老朽化した幼稚園校舎を ミング、絵画、ピアノ、体操等の特色ある保育活動を通して心 の﹁マンツーマン教育﹂をはじめ、専門講師による英語、スイ の資質の向上に努め、一人ひとりの園児を大切に教員と園児と 設した天満幼稚園の園長に就任した。建学の精神に則り教職員 待に応えて、大阪市北区与力町に先代創立者故足立喜三郎が開 30 80 昭和 年足立喜典先生は、急速な歯科医療技術の進歩と相俟 って社会的ニーズの高まりを見せ始めた歯科衛生士に着目し、 ■ 太成学院大学歯科衛生専門学校の功績 貢献した。 含めて保育教育環境の整備充実を図り、幼児教育の充実発展に 10 平成 年4月に足立喜典先生は、中・高6年一貫校の特性を 生かしたゆとりあるカリキュラムと、きめ細やかな指導により、 ■ 太成学院大学中学校の充実に果した功績 校舎は、天満学園発祥の地である大阪市北区南森町に、9階 建て校舎および専用学生寮を完備した。 事・厚生省 ︵当時︶ から設立認可を経て開校した。 養成校として、西日本歯科衛生学院専門学校︵当時︶を大阪府知 歯科疾患の予防並びに診療補助という重要な責務を担う専門職 59 学期制﹂を 1 1 年6月から平成 年3月に至るまで理 10 31 51 年7 10 月から同 年6月まで日本私立大学協会評議員を歴任し、我が から同 年6月まで、大阪府日本中国友好協会理事、同 演会等の開催を通じて教育の振興を図った。また平成3年5月 連合会評議員等を歴任し、私学教育振興に関する調査研究や講 評議員、近畿工業高等学校長協会理事、日本私立中学高等学校 連合会工業教育研究会会長、社団法人全国工業高等学校長協会 団法人大阪府私学総連合会評議員、大阪府私立中学校高等学校 教育の充実に努める一方、大阪府高等学校体育連盟の監事、財 尽力し、更に同連合会体育連盟副会長として私立高等学校体育 特に大阪府私立中学校高等学校連合会保健体育教育研究会に おいては会長・副会長等の要職を歴任し、研究会等の活性化に 事として、府下私立高等学校教育の充実発展に努めた。 尽力するとともに、同 足立喜典先生は、昭和 年4月大阪府私立中学校高等学校連 合会監事に就任し、2期3年4ヶ月にわたり同連合会の運営に ■ 学外諸団体における功績 力点を置き、中等教育の充実発展に貢献した。 のぬくもりをと、木製の机・イスを使用するなど学習と情操に フォローできる教育システムを確立した。校具は生徒たちに木 採用し、きめ細やかな教育の実現、生徒の理解度をチェックし た。先生は、1ヶ月を1学期とするユニークな﹁ を大切に伸ばすことを教育方針として、設立認可を経て開校し 豊かな人間性と自主的な学習態度を育て、一人ひとりの〝個性〟 12 22 国の国際社会発展、私立大学の充実・振興に貢献した。 22 姉妹校提携に関する同意書に署名する足立喜典校長 (右) とク リスチャン・ブラザーズ・カレッジ (C.B.C) セント・キルダ校 ロジャー・C・クリップス校長 (左)=平成12 (2000) 年6月30 日 第20回医学生物学電子顕微鏡技術 学会総会で、会場校として歓迎の ことばを述べる足立喜典理事長・ 学長=平成16 (2004) 年4月 太成学院大学入学宣誓式にて 式辞を述べる足立喜典理事長・ 学長=平成17 (2005) 年 学校法人天満学園の創立 70周年記念教育事業の一 つとして設置された清滝 スポーツヒルズ・キャン パス 4 2010年(平成22年)7月7日(水) 理事長・学園長・学長 足立 喜典 謹書 学校法人 天満学園 理事長・学園長・学長 足立 喜典 お別れの会のご案内 一、日 時 平成二十二年八月六日︵金曜日︶ 式典 午前十一時から 八 ― 五 ―〇 ︵受付 午前十時三〇分∼︶ 二、場 所 帝国ホテル大阪 三階﹁孔雀の間﹂ 大阪市北区天満橋一 一一一一 ―八八一 ― 電話 〇六 六 ︵代表︶ 誠に勝手ながらご香典ご供花ご供物の 儀は固くご辞退申し上げます ご 来 臨 の 節 は 神 式 に て 執 り 行 い ま す ので平服にてお越しくださいますよう お願い申し上げます 平成二十二年七月 学校法人 天満学園 太成学院大学 太成学院大学高等学校 太成学院大学中学校 太成学院 大学歯科衛生専門学校 太成学院天満幼稚園 現在天満学園は大・高・中・専・幼を 有する総合学園に発展
© Copyright 2024 Paperzz