特集 感染対策の院内教育 一歩前進をめざして 院内教育の現状と将来 京都府立医科大学 臨床検査医学教室 助教授 附属病院臨床検査部 部長 藤田 直久 はじめに いたため、一般 病 院では 知るすべもなく、ただ「微生物 院内感染防止対策の目的は、患者と医療従事者の両 の専門家」と称 する方々の著書や 論 文を読 み、それが 者を無用な 感 染 から守ることである。従って、感染対策 欧米でのスタンダードとはかけ離 れていたとしても、限ら における院内教育は、この両者を対象にした教育が実施 れた 情報の中では「常識」 と考え感染対策をおこなって されなければならない。現在、急性期、慢性期を問わず、 いた。 多くの医療施設で院内感染対策の重要性が認識され、 ところが、インターネットによる情報(I T) 革命は、情報 それぞれの施 設 で 独自に 実 施されている。院 内 感 染 不 足から一 気に情 報の氾 濫という極 端な状 況を 生み 対 策の院内教育における問題点は、教育する側と教育 出してしまった。過 去 の 情 報 不足とは、全く正反 対の される側の問題に分けて考えることが必要である。問題 状 況 が今現 実に 起こっている。米 国 疾 病 管 理センター 点を列挙してみると、教育する側は、 1)情報の氾濫(何を (C D C ) から感 染 管 理に関するガイドラインがこの 数 年 教えるのか) 、 2) 専門家の不足 (誰が教えるのか?) 、3) 予算 間目白押しで 出ている。そしてガイドラインのみならず、 の不足(どうやって現場で実施するのか) 、教育される側 その 草 案 でさえもインターネット上で 公 開されると、数 は、4) 教育参加への時間不足 (忙しい) 、5) 動機や問題 ヶ月もしないうちにその翻 訳がだされるため、多少のタ 意識の欠 如( 興 味がない)などがある。これらを中心に イムラグはあるものの、数ヶ月遅れで 米国CDCの情報は 現 状と将来について私見を述 べさせて頂きたいと思う。 日本 語で入手可能となる。しかし、あまりにも多くのガイド ラインが 出され、医療 制度も医療環境も異なる国のガ 1 情報の混乱と氾濫 イドラインをそのまま日本で 採 用すると、インフラが十分 整 備されていないところへ、突拍子もない感染対策が 過去10 数年前には、感染管理に関する情報は、感染 現れることとなる。違いを認 識し、その内 容を 吟 味し、 管理を専門とする一 部 の人々に限定されており、またそ 適切に情報を取捨選択すれ ば 非 常に有 効 であるのだ の情報のリソースも絶 対 的な不 足があり、誤った 情 報も が、ややもするとCD C のガイドラインが「水戸黄門の印 流れていた。その結果、多くの感染 管理に携わる人々は、 籠」のように「全てが 正しい」 という状 況をつくりだして 何をどうすればよいのかわからず、手探りで、その内容 しまう懸念がある。さらに、英国、カナダなども、近年は の如何にかかわらず、入手しうる限られた 範 囲内で感 染 インターネット上で感染管理に関する情報が公開されて 対策は 実施されていた。MR S Aが社会的問題になった おり、各国のガイドラインが容易に入手可能である。その 当時には、微生物学で権威ある先生方の口々から 「MR 結果、医療制度が異なる国のガイドラインがいくつもある S A 患 者 の入 院していた 病 室 はホルマリンで 薫 蒸 する、 こととなるが、これをうまく活用し、自施 設における状 床はグルタラールで 消 毒 する」など、今では「信じられな 況と実行可能性を現場と話し合いながら、これらのガ いような感染対策の方法」が講演会などで話され、私 イドラインを自施 設に適合したマニュアル へと作りかえ 自身も熱 心にメモしていた。これをそのまま信じて真剣 る作業を実 施しなけれ ばならない。勿 論、 「感染対策に に 実 施していた 施 設もあったかと思う。また、欧米の ベストはない、ベターはあっても」が 私 の 持 論であり、 感染対策に関する情報は一部の医療関係者に限られて これらの溢 れかえる情 報を適 切に選 択することにより、 より良い、現 在よりも少しだけでもステップアップした の仕事は片手間でできるものではないと感じているが、 感染管理を 実 施 できれ ば 良いと思っている。さらに、 人員削減 の中ですべての病院のICNが専任というわけ 感 染 管 理に関する機 器 や 器 具を販 売 するメーカーも ではない。しかし、リスクマネイジメントの観 点から考える インターネットのホームページで 感染管理先進国の情報 と、院内感染 が 発生した 場合の病 院 の経 済 的損 失、 を紹 介しているので、これを利用するのも一 法 である。 社会的なデメリット、あるいは患者や家族 の精 神的経 これらの溢 れかえる情報を、取捨選択し、適切に整理 済 的なダメージを勘案すると、ICNを専任で配置するこ した上で、現場の感染 対策にいかに還 元してゆくかが、 とのほうがはるかに効率的であり、経 済 的にも社会的 今後 の課題であろう。ガイドラインとは指針であり、指針 にもメリットは多いように 感じる。専任でない 場合、感 を参 考にその病 院の現場に合致した対策を考え、マニ 染管理に集中する十分な時間がなく、体 得したスキルを ュアルとして作成、現場で 実 施することが 重要である。 十分発揮できないのではないかと思う。欧米では 専任 医療現場において、院内感染対策は実務であり、従って 制であることを考えると、これは 当 然のことであろう。 教 育は 具体 化できなければならないし、また 現場で使 一方、IC Dは多くの学 会が 認定 制 度を 導入している えるように 訓 練しなけれ ばならない。理 解したことと ため、ICDの資格をもつ医師が増えつつある (ht t p : // 実践することは別物である。 w ww .ic d.u min .jp/) 。また本制度 は医 師のみならず、 感染症関連分野のPh D(ドクター) の学 位を有する医療 2 専門家の不足 従事者にも門戸が開かれている。院内感染に興 味を示 さない医師が多い中、ICDの資格を持 つことにより、院 感染 管理の重要性 が多くの病院で 認 識され 、また 内感染の重要性を理解し、病院の感染対策に積極的に リスクマネイジメントの一貫として院 内感染 対 策を位置 参加し、指 導 的役割を果たして頂ければ、その病院 の づけている病 院もある。しかしながら、まだまだ専 門家 みならず、日本の医 療レベル上昇にも貢 献 するものと は不足している。十分な知識と経験がないまま、それ 思っている。 ぞれ の病院 の感染対策委員会で、感 染 対策 が 話し そして、専門家のみならず、これをサポートしてくれる 合われ、非効 率的で不経済な対策が実行されている 人々の存在を忘れてはならない。 「ひとりで感染 管理は 状況を見ることがある。確かに間違いではないが、経済 できない」のである。各職種の人々の協力があって、はじめ 性と効率性からは首をかしげたくなることもある。現在、 て可能となる。また、病棟では、感染対策の中心となる 日本でも感染管理に関する専門家の育成を積極 的に 人々(例えばリンクナースやリンクドクター) を育成し、その 実 施している。日本看護協会(htt p ://ww w.nurse.or. 現場に適合した感染 管 理を実施できるように 指導して .j p /n intei/cen /in de x .h t ml ) は、認定看護 師制度を ゆくことも、専門家の仕事である。 設け、11ある専門分野の中のひとつとして、実践、指導、 相談 の3つのスキルを備えた「感染 管理」 を専門とする 認定看護師(ICN) を育成している。また、日本感染症学会 3 予算不足と管理者の認識不足 (http ://w ww.kansensho.or.jp/) を中心とする16の学 感染対策を実 施するとなると、どうしても費用が伴う。 会が「感染制御の知識と実践に優れた医師および 研究 費用を伴わずに実施する感染対策には自ずと限界があ 者を育成することにより、人類の健康と福祉に感染 制御 る。保 険診療を実 施し、厚生労働大臣が定める基 準を を通じて貢献することを目的」 として、インフェクション・コ 満たしている病院はすべて、院内感染防止対策が実施 ントロール・ドクター (I C D)の制度を設けている。IC Nは されているということとなり、感染 防止に関する保 険点 病院全体の感染管理を統括し、実地面で指導的役割 数は診療報酬上はすでに基本診 療料の中に 組み入れ を果たすため、病院の各部門、各職種とのコミュニケー られている。逆に感染対策が実施されない場合は、院内 ションが 重 要となり、高 度な専門的知 識と分析 能力、 感 染 防止対 策未実施 減 算として患者一人あたり一日に 実務的な指導力と教育能力だけでなく、説得力や 折衝 つき5点減 点となる (社会保険・老人保健診療 報酬 能力などが 要 求される。まだ、日本の病院全体に必要 医科点数表の解釈 平成14年4月版 社会保険研究所) 。 な数だけのIC Nは育成されていないが、他の認定看護 このことを考えると、感染 対策への予算があっても当然 師とは異なり、ICNの業務が病院の感染管理の方向性 の話であると思うのだが、現状は異なる。水溶性のランド を決定しうる極めて責任ある職種であるだけに、 「大 量生 リーバッグ、手袋、プラスチックエプロン、ペーパータオル 産による質低下」は望まない。また、日頃から感染 管理 など、感染予防対策上は診療現場に当然あるべきもの 院内教育の現状と将来 がない。その理 由に、 「予算がない」と、平然として言う 同じ勉強 会を数回実 施 することも必 要となる。興 味は 管理者も見受ける。果たしてそのようなことを患者や家 あるが、忙しくて参加する時間がないという医療従事者 族が 納 得してくれるであろうか? また、職員を守る観点 もあるので、研修会は少なくとも1カ月以上前から各医 からB型肝炎のワクチンは当然無料で実施されるべきで 療従事者には伝えておき、ポスター掲 示 で 広 報するだ あるが、未だに職員に実施すらしていない病院もある。 けではなく、対策委員やリンクナースが 直 接 声をかけて、 はじめにも述べたように、院内感染は、患者と医療従事 参加を呼びかけることもコミュニケーションのひとつとな 者の両者を無用な感 染から守ることであり、両者の安全 り有 効である。また、研修会の時間は、 1時間から1時間 を確保しなければならないのである。 半までが適当であろう、長すぎると集中力がなくなるの さて、この様な現状の中で 院内感染対策に積極的で で、学習目的と学習目標を 提 示し、適当な時間で簡潔 ない管理者をいかにうまく説得し、予算を獲得するかは、 にまとめ、A 4 一 枚 程 度の簡潔 でわかりやすい資 料 作 院内教育の成 果を実 践 の場で 具体 化してゆくうえで、 成や、また講演を聴くだけでなく、クイズ 形 式にしたり、 重要なポイントとなる。限られた予算の中で、優先順位 あるいは 感 染 管 理 に 関するポスターを公募したりと、 をつけながら、地道に活動 せざるを得ないのが現実で スタッフ参加型の企画も効率的である。 はない だ ろうか? 何か機 会ある毎 に、少しず つ感 染 感染 対 策チーム (IC T ) による定期的あるいは必要に 対策を前進させる。例えば、インフルエンザ の 流 行を 応じた不定期なラウンドも、診療現場に働く医療従事者 機 会にワクチン接 種を実 施したり、これとて全 員無 料 とのコミュニケーションの重 要な 機 会となるので、是非 で実 施となる大 変 な費用となるので、半額病院負担に 実 施したい。まずは I C T の存 在を知ってもらうこと、そ するなどうまく病院 側と折り合いをつけてゆく。咳をす して頼りになる、何でも相談できる、親近感のあるI C T る患者にはマスクを着用させたり、S A R S( 重 症 急 性 を目指したい。ややもすると、小姑的な、うるさい、いやな 呼吸器症候群) の世界的流行をきっかけに、一 般 個 室 集団となるので注意が必要である。また、病棟での院内 でも利用可能な「陰圧と十分な空気交換回数の得られ 感染に関する問題が発生したときに「素早く現場と連絡 る可動式のアイソレーター」を購入するなど、うまくチャン をとり、迅速な対応をとる機動性あるIC T」 を目指したい。 スを利用することも必要である。折に触 れ、管理者との またこれらの活動は、感 染 対 策 委員会やIC Tの地道な コミュニケーションは 重 要 である。 活 動を知らせる良い 機 会 でもあり、現 場の医療従事者 手 袋 やプラスチックエプロンをしなけれ ばならない との信頼関係を作る上でも不可欠である。 ことがわかっているが、それらが 買ってもらえないよう では、標準予防策の教育をしても、その実 績は上がらな い。しかし、手袋が必要なときと、不 要なときの使い分 5 動機や問題意識の欠如(興味がない) けをうまく教 育しないと、無 駄 な 支 出 が 増えることに 世界各国の感染管理に携わる医療従事者の大きな なるばかりか、かえって 感 染 を 拡 げる原 因ともなる。 悩 みである。日常 的に、感染対策が 適 切に実 施されて その点で、院内で教育をした場合に、現場に 還 元でき いないことによる問 題は、主治 医を含め現 場であまり る教育内容を考えることも重要であり、と同時にうまく 実 感されないことのほうが多い。しかし、一度集団発生 できるまで 練 習 することも忘れてはならない。 を引き起こすとその収拾に莫大な労力と時に多くの予算 をつぎ 込むこととなり、さらに医療訴訟といった 問題ま 4 教育への時間不足(忙しい) で 派 生してくることがある。集団発 生による院 内 感 染 防止には、日頃から危機意識を持つ必要があり、そのた 多くの医療 従事者は毎日忙しく働いている。院内に めにサベイランスとオーディットを利用することは 有効 おける感染管理の教育は重要であり、新規 採用時 の研 である。サベイランスによる数値化したデータとチェック 修会、定 期的な 院 内 研 修 会、外部から招 聘した 感 染 リストによる感染管理手技のオーディットは、自分たちが 管理の専門家による講演会、各病棟での勉強会などで、 実 施している手技が感染管理上、問題がないかどうか 常に感染管理の重要性や必要性を学習し、現場で働く を評価するひとつの指 標 になるので、感染管理に興 味 スタッフに刺激を与える必要がある。また、感染対策委員 のない医療 従事者を動機 付ける際に重要なツールと考 会が中心となり実 施 する講演会や研修会、リンクナース える。どちらが 欠けても、適 切な 感染 管理はできない。 による独自の勉強会などにより、日頃から感染管理に接 サベイランスは、院内感 染 の状 況を数値化し、客 観 的 する機 会をつくり、参加しやすいよう、大きな病 院では、 評価と他との比較が可能である点で説得力があるが、統 院内教育の現状と将来 一された判定基 準が必要であり、数値の入力や集 計に 6 最後に 少し時間が必要である。しかし、慣れればそれ ほどの負 院内教育における問題点を上げ、その解 決について 荷はかからない。一方、オーディットは、感染管理上の 述べてきたが、感染対策は一夜にしてできるものではな 手技について細かくチェックリストを作成し、これを定期 く、忍耐と地道な努力が必要である。また、一人がいくら 的に実施し、個々の従事者の遵守率を評価するもので 正しいことを述べていても、すぐにはそれを実 施するこ ある。実 際の業務に直結している点で 実 施しやすいし、 とはできない。多くの良き仲間をつくり、理解者を増や 還元しやすい。 してゆくことが、感染管 理を前進させるポイントである また、前述しているが、現 場 の医療従事者を参加さ と思う。時 代の流 れがそれを作り出すこともある。感 染 せるようにすることも動 機 付けになる。各病棟で取り 管理にたずさわるものは、感染管理に関する教育と訓 組んでいる感染対策を研修会で発表したり、各病棟で 練を実 施し、これを理解実行してくれる多くのスタッフ カテーテルの管理に関する標準手順書を作成し、統一 を育成しなければならない。 「感染対策についてひとり するための勉強会を実施することも、現場の医療従事 でも納得させることができれば、その人は次にその知識 者の動機 付けになる。さらに、外部からの講師による講 をだ れ かに 拡げてくれる」のではないだろうか。 演会は、内部の人間の発言と異なり、素 直に受け入れら れることもあるので、これを利用し、感染 対 策上 問題の ある古い慣 習を改めることができる。 また、医療従事者だけではなく、清掃や給食などの 部門で働く人々への教育も忘れてはならない。 表 院内感染の教育において考慮すべきこと 情報の収集と選択 1)書籍やインターネットによる収集 2)学 会 、講 習 会( 看 護 協 会 の 感 染 管 理 講 習 会 や I C D 講 習 会 など) 、そ の 他 の 研 究 会 等 へ の 参 加 専門家とこれをサポートする人材の育成 1)感染管理認定看護師、インフェクション・コントロール・ドクター 2)リンクナース、リンクドクター(模範的な役割として) 予算の獲得 1)管理者の理解 2)対策委員会あるいはICTの実績 医療従事者の動機付けと参加 医療従事者のみならず、 病院で働く職員全体を対象にする 1)サ ベ イランス の 実 施 2)オーディットの作成 3)研 修 会 の 実 施と発 表 4)IC Tのラウンド
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