第 3 回:環境と不動産 グリーンビルの投資価値∗ −不動産価値の持続性: Sustainability of Property Value − 清水千弘† April 28, 2012 Summary 環境に配慮した建築物 (グリーンビル) が注目されるようになってきている。グリーン ビルの建設には,環境性能を高めるため追加的な費用が必要となるが,それに見合った追加 的経済価値はあるのであろうか。本稿は,グリーンビルの投資価値を明らかにすることを 目的とする。具体的には,東京都区部の新築マンション市場を対象とし,ヘドニック・アプ ローチを用いて,追加的経済価値の有無を明らかにする。Rosen(1974) が示したヘドニッ ク理論の枠組みに基づき,購入者特性に配慮した推計モデルを設定し,生産者のオファー 価格関数と併せて,オファー価格関数と購入者の付け値価格関数との接点となる市場価格 関数の推計を行ったところ,グリーンビルは,売り出し希望価格 (生産者のオファー価格) で 5.8% ,市場 (取引) 価格で 4.7% の追加的な経済価値が存在することがわかった。この 結果は,他の国を対象とした結果と整合的であり,今後の国内外でのグリーンビル政策の 推進に,多くの政策的な示唆を与えるものと考える。購入者特性を加味したヘドニック関 数に基づくグリーンビルの経済価値の研究は,筆者が知る限りこれが初めてである。 Key Words :環境配慮型建築物 (Green Building); 環境認証 (Green label); ヘドニッ ク・アプローチ (Hedonic approach); オファー価格 (offer price); 付け値価格 (bid price); 市場価格関数 (market price function); 過少定式化バイアス (ommited variable bias) JEL Codes : G51; M14; D92 1 はじめに:本稿の位置づけ 低炭素社会の実現に向けた世界的規模での取組みは,今後,ますます積極的に行われていく ことが想定される。2011 年 12 月に南アフリカのダーバンで開催された「気候変動枠組条約 締約国会議 (COP17)」において,京都議定書の延長と温室効果ガス削減の新たな体制を作る ことを織り込んで「ダーバン合意」が採択された。 同会議で日本は,京都議定書の延長に反対する立場を表明した。その一因は,2011 年 3 月 に発生した東日本大震災による原発事故を受けて,エネルギー政策の大きな転換を余儀なく されたことにあろう。しかし,このような立場を表明したからといって,今後進むであろう低 炭素社会に向けた国際的な枠組みから逃れられるものではない。むしろ,この問題への取組み は,ますます重要な課題となってくるものと考える。 ∗ 本稿の執筆にあたり,吉田二郎氏,Franz Fuerst 氏,Paul McManara 氏には,多くの示唆をいただいた。ま た,本稿は,東京海上不動産投資顧問内での議論に基づくものであり,とりわけ加藤稔氏をはじめとする投資企画部 のメンバーからは有益なコメントをいただいた。ここに記して御礼申し上げます。 † 麗澤大学経済学部,ブリティッシュコロンビア大学経済学部 教授,東京海上不動産投資顧問シニアアドバイザー, PhD,CRE,FRICS 1 低炭素社会の実現に向けて,不動産市場が果たすべき役割は小さくない1 。そのようななか で,環境配慮型建築物 (以降, 「グリーンビル」とする) に対する関心は高まりつつある。 グリーンビルとは (その正確な定義があるわけではないが),通常のビルと比較し,建物内 で行われる経済活動,日常生活などを通じて発生する炭素系化合物 (CO2) を制御する性能を 具備した建築物である。そのような性能を具備した建築物を普及させていくことで,低炭素社 会の実現に向けた責任の一端を,不動産の所有者,利用者が果たそうとすることは,企業・個 人の社会活動・経済活動の両面において極めて重要であることは言うまでもない。 そこで,グリーンビルには追加的経済価値が存在するのか,が極めて重要になる。グリーン ビル政策を進めていくうえでは,いくつかの解決しなければならない問題がある。 第一の問題は,政策を推進するための費用負担の問題である。グリーンビルの建設や改修に は,環境に配慮していない建築物と比較して,追加的費用が発生する。その費用のすべてを企 業や家計が負担した場合には,この追加費用に対応した,あるいは,それを上回るリターンが 存在しなければならない。そうでなければ,税に代表される新しい公的負担を民間部門に転嫁 することになるからである。 第二の問題が,低炭素社会実現に向けた不動産市場が果たすべき役割の「範囲」の問題であ る。ここで,炭素の排出量に着目しよう。不動産というストックを舞台に繰り広げられる事務 所・家計部門による経済活動・社会活動は,炭素排出量の大きなウェイトを占める。しかし, 環境政策を推進していく中で,不動産市場が担うべき役割と範囲が明確ではない。この範囲が 明確に定められていないまま,やみくもにグリーンビル政策だけを推し進めては,過度な負担 を不動産市場が担う可能性がある。 まずは,不動産市場が担うべき CO2 の削減量を明確にしたうえで,それを実現するために, どの程度の環境投資が必要なのかを,政策当局は明らかにすべきであろう。 しかし,仮にそれらの政策目標が明らかになったとしても,不動産市場は強い立地制約を受 ける。そのため,負担には地域的な配分問題が残る。グリーンビルの推進は,日本全体で推し 進めるべき問題なのか,一部の大都市部での負担によって推し進めるべき問題なのかを明らか にしなければならない。日本全体で推し進めるのであれば,法改正を通じて実施すべきである し,地域的な問題であれば自治体が中心となって進めるべきであろう。 ここで不動産投資市場との関係を整理する。 運用会社は投資家の利益を最大にすることが何よりも優先される。だが「グリーンビル」へ の不動産投資においては,投資家利益および企業価値の最大化と,企業としての社会的責任の 遂行との間で,難しい意思決定を迫られる。不動産投資の運用会社ばかりでなく,株主の利潤 最大化を目標としているという点では,一般事業会社も同様に意思決定の困難さに直面する。 家計部門はどうであろうか。住宅は,最大の投資対象であり資産である。グリーンビル,つ まり環境配慮型住宅の購入は,転売時の住宅価格に大きな影響を与える可能性があるため,慎 重に意思決定をしなければならない問題となる。 最善のシナリオは,グリーンビルに対する追加的な投資によって発生する利益が,投資を上 回ることである。この場合にのみ,投資家や株主の利益を最大化するという運用会社,一般事 1 2010 年において,CO 排出量の部門別内訳は,事務所・店舗・学校などの「業務部門」で 19% ,家計部門で 2 14% と合わせて 30% を超える (この比率は,電力の負荷も各部門に配分した後の数字である)。自動車・船舶・航空 機などの「運輸部門」は,19% である。また,この運輸部門の約 50% は自家用車からのものであるため,自家用車 を家計部門に計上すると家計部門は 20% を超えることとなる。事務所等と家庭部門を合わせると,全体の 40% を 占めることとなる。東京都に限定すれば,この数値は,一気に 76% まで上昇する。 2 業会社の目的と,低炭素社会の実現を目指す社会全体の利害が一致する。家計部門においても 同様のことがいえる。 一方,グリーンビルに対する追加的な投資利益が存在しない,または利益が投資額を上回ら ない場合,難しい意思決定に悩まされることになる。投資家・株主・家計の利益を最大化する ことと,社会全体の目的 (企業・地球市民としての社会的責任) とが一致しないためである。 とはいえ,グリーンビルに対する追加的な投資利益が追加的な投資を上回ったとしても,単 純に,グリーンビルへの投資を加速させるということにはならないと考える。多くの不動産運 用会社・事業会社は,既に多くの不動産を所有している。環境に配慮する基準を高めるような 規制が行われ,グリーンビルへの投資が加速されると,環境配慮をしていない既存の不動産 は,その価値を引き下げられることになり,不動産ストック全体としてはマイナスになる虞が あるからである。 つまり,グリーンビル単体の不動産価値を高めるというマイクロの視点だけでは十分では ない。グリーンビル政策の実施を通し,ゼロサムゲームではなく,社会全体で保有する不動産 全体の価値最大化を実現する方策を検討すべきである。もちろん不動産ストック全体の価値を マイナスにしてしまうような政策では,そもそも社会的な合意形成を図ることは困難である。 不動産ストック価値を最大化する政策選択が求められているのである。 現段階ではグリーンビルのストックが依然として少ないことから,規制など強い公共政策を 通じて市場誘導をしようとした場合には,市場に歪みを生じさせる可能性がある。グリーンビ ル市場に局所的なバブルが発生し,環境配慮をしていないビル市場では,既存ストックが本来 持つファンダメンタルな価値を下回った取引がなされるようなことが,一時的に起こりかねな い。このような事態が引き起こされる可能性があるグリーンビルの政策動向は,不動産投資に おいても重要な課題になりうる。将来の環境規制の可能性が高まる中,不動産投資における環 境配慮に関する問題を,不動産投資のリスクマネジメントの対象にしていかなければならな いだろう。 Takagi and Shimizu(2010) は,不動産投資を実施する際に考慮すべき環境リスク要因の問 題を分析した。ここでは,国連で進められている「責任不動産投資原則」に関する動きを中 心に紹介している。さらに,Shimizu(2010),清水 (2010) では,環境配慮型建築物にどのよ うな経済価値が存在するのかを検証した。とりわけ,日本の CASBEE, 英国の BREAM, 米国 の LEED や Green Star に代表される建築物の環境認証ラベルに着目し,不動産市場の中で 提供される環境認証ラベルと不動産価値との関係や不動産鑑定評価での評価方法について分 析した。 そこで,本稿は,これらの研究を出発点として,その後の新しい社会的動向を整理するとと もに,グリーンビルと投資価値の関係を明らかにすることを目的とした。 2 環境配慮型建築物を取り巻く社会環境変化と投資価値 2.1 先行研究 グリーンビルは,本当に追加的経済価値を持つのであろうか。グリーンビルの追加的経済価 値への関心が高まる中で,いくつかの実証分析が報告されている。 実証分析においては,グリーンビルの環境性能を示す環境認証制度に着目し,環境性能の高 3 さを示した環境認証 (ラベル) が付与された建築物において,どの程度家賃または価格にプレ ミアムが存在するのかを,ヘドニック・アプローチと呼ばれる手法によって明らかにしている。 グリーンビルの環境性能を定量的に評価・認証する制度は,英国・米国・日本などを中心に登 場してきている (Shimizu(2010))。代表的なものとしては,米国の Green Star および LEED, 英国の BREAM,そして,日本の CASBEE である2 。 また,日本では,各自治体レベルでの自治体版 CASBEE に加えて,日本政策投資銀行が 「DBJ Green Building 認証制度」を始めるなど,民間レベルでの認証制度も始まりつつあ る3 。このような環境認証制度を通じて評価されたものが,不動産市場の中でどのように評価 され,収益や価格に対して影響を与えているのかは,政策当局のみならず,不動産投資を行う ものにとっても強い関心事となる。 このような環境認証制度 (環境ラベル) と家賃・価格との関係を分析した先行研究を見てみよ う。まず,Eichholtz, et al(2009) では,米国のオフィス市場を対象とした実証研究において, 環境に配慮したことを示す環境ラベルが付与されたことで,3 %弱程度の賃料上昇が確認でき, 稼働率を考慮した実効賃料では 6% 程度上昇することが示された。また,Fuerst, et. al(2009), (2010) は,同じく米国の不動産市場を対象として,稼働率が 3% から 8% 程度高くなるという 結果を示している。また,住宅市場では,古くは Dian and Miranowski(1989) のエネルギー 効率を高めることで住宅価格が高くなることを示した先行研究があり,Banfi,et al(2005) によ る,賃貸住宅のテナントが省エネ手段を講じた建物に対し最大で 13 %高い賃料を支払う用意 があるとの研究結果が発表されている。 Dian and Miranowski(1989),Banfi,et al(2005) が省エネ性能だけに注目しているのに対し て,その他の研究では,近年,整備されてきている環境ラベルの効果を見ているのが特徴で ある。 このように一定の環境配慮をした不動産と認定され,それを示す環境特性ラベルが存在する ことで,家賃収益や稼働率,そして価格が高くなっていることが実証的に証明されている。 日本のケースについては,国土交通省 (2010)(2011),東京都不動産鑑定士協会 (2010),吉 田・清水 (2012) において,東京都の分譲マンション市場を対象として, 「東京都マンション環 境性能表示制度」のデータを利用し,新築分譲価格に対してどのような効果が出ているのか を,上記の海外での先行研究と同じヘドニック分析で明らかにしている。また,国土交通省 (2011),菅田・川村・清水 (2011) では,東京のオフィス市場を対象とした実証分析が報告さ れている。 東京都を対象として中古物件と新築マンションの分譲取引価格を用いて分析した東京都不動 産鑑定士協会 (2010) によると,環境評価がディスカウントとなっている可能性が示唆されて いる。省エネと緑化は低いあるいはマイナスの効果を持つ一方,長寿命化は最も高いプラスの 効果を持つといった結果が報告されている。吉田・清水 (2012) では,環境に配慮されたマン ションでそのマンション環境性能評価書が開示されているものにおいては,5% 程度価格が高 くなっていたことが示された。その効果は,2006 年,または 2007 年で顕著であったが,2008 年になると消滅してしまったことも併せて示された。国土交通省 (2011),菅田・川村・清水 (2011) では,東京のオフィス市場を対象として,環境認証の差がオフィス家賃にどの程度の 2 日本の代表的な環境不動産の認証制度として CASBEE(Comprehensive Assessment System for Built Environment Efficiency:建築環境総合性能評価システム) と呼ばれる認証制度がある。CASBEE では「建築物の環境負 荷低減性」を, 「エネルギー」「資源・マテリアル」「敷地外環境」について評価する。 3 日 本 政 策 投 資 銀 行 で は ,独 自 の 環 境 認 証 制 度 を 設 立 し ,4 段 階 で 環 境 評 価 を 実 施 し て い る 。詳 細 は , http://www.dbj.jp/service/finance/g building/。 4 影響を与えているのか分析が行われた。菅田・川村・清水 (2011) の結果を見ると,ERR4 で A 以上の評価を取得することで 2.2% 程度家賃収入が高くなるとともに,PAL で A 評価以上の 評価を取得することで,そうでない場合と比較して,7.8% 家賃が高くなる可能性が示された。 しかし,日本を対象とした実証研究においては,米国を中心に実施されている分析と比較し て,データ制約により,十分な研究がおこなわれているとは言い難い。また,グリーンビルが 追加的経済価値を持つための経済理論的な整理も不十分であると言えよう。追加的な経済価値 が存在するかどうかといったことを実証的に明らかにすることの意義は大きい。しかし,その 発生メカニズムが解明されなければ,経済システムの中でその価値を認めることはできない。 そのメカニズムが解明されない限り,不動産鑑定評価の中で追加的な経済価値を評価すること はできないし (すべきではない),投資家の理解を得ることもできないであろう。そこで,以 下,追加的経済価値の発生メカニズムを整理するとともに,付論においては東京都の分譲マン ション市場を対象とする実証分析の結果を紹介することとする。 2.2 グリーンビルの追加的経済価値 不動産価値の理論モデル 不動産価格の決定構造を整理するなかで,グリーンビルがどのよ うなメカニズムを通じてプレミアムを持つ可能性があるのかを整理しよう。 不動産価格の決定構造は,耐久財の経済価値モデルの枠組みで定式化できる。 ここで Vvt は t 期の築 v 年の不動産価格を表す。yvt は,t 期の築 v 年の当該不動産から発生 する収益を,Ovt はそれに対応した支出である。rt は,t 期の割引率である。それぞれの変数 は,すべて t 期の最初に予想される。 ここで,不動産から発生する収益は,その年の年末に受け取るものとする。そして,その不 動産の耐久期間を m 年としよう。そうすると,不動産の現在価値は,(数式 1) のように定義 できる。 Vvt = − t+1 t+m−v−1 yv+1 ym−1 yvt + + . . . + t+m−v−1 1 + rt (1 + rt )(1 + rt+1 ) Πi=t (1 + ri ) (1) t+1 t+m−v−1 Ov+1 Om−1 Ovt − − . . . − t+m−v−1 1 + rt (1 + rt )(1 + rt+1 ) Πi=t (1 + ri ) また,不動産に対する割引率 r は,株や債券などへの投資との裁定 (資産選択) の結果として 決定され,厳密に定義すれば (Rf t + Rpt − g) となる。これは,金融投資のベンチマークとな る国債などの安全資産の利回り (Rf t ) をベースとし,当該不動産のリスク・プレミアム (Rpt ) と当該不動産の収益の上昇率 (gi ) によって決定される (Gordon(1959))。さらに,そのリスク・ プレミアム (Rpt ) は 2 式のように表現できる。 R = f (L(z), ξ) (2) ここで,L は流動性リスクを示し,投資実施時には予見できなかった「予期できぬリスク (ξ)」が加わる。 4 CASBEE では,ERR(Energy Reduction Rate:設備システムにおけるエネルギー消費の低減率) と PAL( Perimeter Annual Load: 年間熱負荷係数)) から計算される。 5 マクロ的な市場変動 (g) は,グリーンビルであろうとなかろうと,等しく変動する。さらに, 不動産市場が等しくさらされる「予期できぬリスク (ξ)」を無視すれば,グリーンビルの追加 的経済価値は,環境性能を具備していない建物と比較して高い家賃が取れるのかどうかといっ た収益変動効果と (yvt ),支出削減効果(Ovt ),そして,流動性リスクが,グリーンビルではな いものと比較してどれだけ変化するのかといった割引率/流動性リスク変化効果(L(z)) といっ た 3 つの要因の変化によって差別化されるものと考えられる。以下,それぞれの要素の効果を 整理してみよう。 収益変動効果 グリーンビルは,前節で整理したように,収益にプレミアムが存在することが 報告されている。これらの結果が正しいとしても,なぜグリーンビルの収益が増加するのかが 重要となる。その要因によって,今後のプレミアムの持続性や程度が大きく変化してしまうた めである。Eichholtz, et.al(2009b) では,環境配慮型建築物に,どのような企業が立地してい るのかを分析した。その結果,環境配慮型建築物への立地選好が強い企業群としては,a) エ ネルギー費用の節約が利益の確保に大きく影響する第三次産業の企業,b) 株主からの CSR( Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任) の要請が強い企業,c) 環境負荷に敏感な 企業 (石油等,エネルギー産業など環境負荷の原因となる商材を扱う企業),d) 高い付加価値 を生産する高学歴の人材を多く抱える企業,e) 政府または公的機関,f) 消費者の行動に敏感 な企業 (食品産業など,消費者の評判が利潤に直結する企業),の 6 つに類型化できることを 示している。 a) のケースではテナント企業は,相対的に大きな支出削減効果を見込み,名目上の支払賃 料を高くしても支出削減効果により相殺される。それによって,実質的な家賃削減効果が見込 めると判断していると予想できる。これは,次項の支出削減効果に位置づけられる。 b), c), d), e), そして,f) のケースは,そのような直接効果とは独立に,高い家賃の支払いが間 ( ) t+1 t+m−v−1 接効果を通じて個々の企業においてそれぞれの理由によって正当化され, yvt + yv+1 + . . . + ym−1 が増加し,グリーンビルの価値が増加する。しかし,ここで Eichholtz, et.al(2009) らが示し た結果がわが国にも当てはまるかどうか,または,m 年の建物の生存期間を通じて発生し続 けるのかどうかといった点で,次の疑問が生じる。 第一に,c) のように環境に敏感なエネルギー産業などの企業の数には限界がある。d),f) も, 日本の産業構造から,必ずしも多くの企業が存在しているとは考えづらい。e) の政府系機関 や公益団体は,公務員制度改革・規制改革などの影響を受けて縮小基調にある。 従って,グリーンビル政策を通じて環境政策を推進する場合,b) に該当する企業への効果 を最大化することが重要になる。その効果は,特定の産業・企業ではなく,すべての産業・企 業に関わるためである。今後,企業がどのように環境政策をも含む CSR 活動を拡大させてい くのかによって,環境不動産に対する需要と支払額が変化していくであろう。 さらに,不動産は耐久年数が長いため,長期的な視野で判断していかなければならない。現 在,グリーンビルのプレミアムがないからといって将来も発生しないとは限らない。 逆に,グリーンビルのストックに占める量が変化する中で,追加的な経済価値の大きさも変 化していくことが予想される。グリーンビルのストックが増加していくと,環境性能を具備し ていないビルにペナルティが発生するようになることも考えられる。 また,環境関連技術は持続的に進歩していくと考えれば,現在グリーンビルに導入されてい る技術と将来供給される建物の環境技術に差が生じることもあろう。現在,環境性能を具備し 6 たグリーンビルであっても,将来は経済的な陳腐化リスクにさらされうる。これらの問題は, 収益変動効果だけでなく,流動性に対しても等しく影響を与える。 支出削減効果 (Ovt ) グリーンビルは,そうでないビルと比較して,エネルギー効率が高くな るように設計されている。具体的には,断熱性などが上昇することで,光熱費が低下する。こ のような効果は,寒冷地でより大きくなる (気候によって変動する)。さらには,照明をはじめ とするエネルギー効率を高める設備によって,建物活動の中で発生するさまざまなエネルギー を低下させる技術が投入されている。また,太陽光発電や地熱発電などの,代替エネルギーを 利用することで,炭素の排出量を制御していこうとする動きもある。このようなエネルギー効 ( ) t+1 t+m−v−1 率の上昇に伴う経済価値は, Ovt , Ov+1 , ....., Om−1 の低下を通じて,グリーンビルの価 値増加につながる。この効果が,Dian and Miranowski(1989),Banfi,et al(2005) が示した追 加的な経済価値となる。 しかし,不確実性は残る。建築物の生存期間の m 年の間に発生する将来の費用低下効果を 見積もることが極めて難しいためである。現在のエネルギーコストが将来も継続される保証 はなく,電気,ガスなどのエネルギー間の価格差も変化する。とりわけ,東日本大震災を受け て,電力政策の転換に伴うエネルギーのコストの構造変化をどのように捉えるのかによって, その効果は大きく変化する。つまり,エネルギーコストが上昇するほどに,支出削減効果が大 きくなるのである。 また,運用面での費用が低下したとしても,設備が高度化・高付加価値化した場合には,初 期投資が大きくなったり,維持・修繕投資においてより高い費用が発生する可能性が残る。 割引率/流動性リスク変化効果 不動産価値を決定するもっとも重要な要素の一つが,割引率 である。価格に対する感応度といった意味では,費用や収益の変動の幅と比較して,割引率の 変化による影響は相対的に大きくなる。 グリーンビルに対する割引率の決定問題は,社会的責任投資ファンドを対象とした研究が参 考になる。社会的責任投資ファンドとは,社会貢献に対する一定の基準をクリアした外部性を 持つ企業群だけを対象とした投資ファンドを組成したものである。このようなファンドに対す る投資は,通常の投資ファンドと比較して相対的に高いリターンが獲得できているという研究 が報告されている。しかし,分析期間などによって,その効果に関して異なる結果が出ている (例えば,Renneboog and Zhang(2008), Galema, et al(2008))。 もし,収益性が高くなくとも,流動性が増加するならばリスク量の低下を通じて割引率も低 下することが期待される。そうであれば,そのリスク量の低下を通じて,経済的な価値は上昇 する。しかし,現段階では,それを指示するだけの十分な実証研究は存在していない。また, 日本政策投資銀行やその他の民間金融機関のように,環境性能が高いビルに対して,積極的に 低い金利で融資をしていこうという動きが本格化すれば,直接的な資金調達コストの低下を 通じて流動性が高まり,価格に反映される。 また不動産の耐久期間 m において,強い環境規制が発動されることで,テナントのグリー ンビル以外のビルに対する立地が避けられるようになったとしよう。その場合には,単に収益 y が低下するだけではない。 現在見られるように,投資対象の竣工年次が耐震性能に対する規制が実施される前か後かに 7 よって投資行動が変化するようなことが起これば5 ,環境性能が低いものが,将来において投 資対象から除外される可能性も否定できない。 つまり,グリーンビルでないものに対して,流動性を喪失させてしまうというペナルティが 課せられる可能性は否定できない。このような事態が発生すれば,リスク・プレミアム (Rpt ) を大きく上昇させる,または流動性を失うといったリスクが無限大化することで,不動産の価 値が限りなくゼロになってしまうことも想定しなければならない。 以上の整理に基づけば, 「収益変動効果」と「支出削減効果」,そして, 「割引率やそれを構成 する流動性リスク」の変化を通じて,グリーンビルの投資価値は変化していくのである。しか し,グリーンビルと環境性能を具備していない建物を比較したときに,それぞれの変数がどの 程度変化するのかといった実証的な分析が十分でないことから,グリーンビルの投資価値はど のように変化するのかは,未だ十分に解明されていないのである。 2.3 グリーンビルの経済価値の推計:東京都区部のケース それでは,グリーンビルがどの程度の経済的な価値を持つのかを,東京都区部の新築マン ション市場を対象とした実証分析の結果に基づき紹介しよう。詳細は, 「付論 1. 環境配慮型建 築物の経済価値の計測」を参照していただきたい。 得られた結果を見ると,グリーンビルは,環境性能を具備していない不動産と比較して,売 り出し価格ベースで 5.7% ,取引価格ベースでも 4.6% のプレミアムが存在していたことが明 らかになった。 このようなグリーンビルの経済価値分析の結果を巡っては,懐疑的にみられる傾向があっ た6 。その理由として,以下の問題が指摘されている。 第一の問題は,環境性能とその他の建物性能との識別が困難であるという点である。グリー ンビルとしての環境ラベルが付与されているのは,一部の大規模な建築物に限定されている。 そのような大規模な建築物は,共用部分が充実しているために他の建築物より品質等が高い場 合が多い。また,大手デベロッパーが開発していることが多く,施工会社も高い技術力を持っ た企業によって実施されていることが一般的である。 このような場合には,環境ラベルの認証が,マンションの規模・デベロッパーや施工会社の 品質といった変数の代理変数となっているのではないかという疑問が指摘されてきた。 第二の問題は,計量経済学上の問題である。グリーンビルの経済価値の実証分析において は,ヘドニック・アプローチと呼ばれる方法で分析されている。ヘドニック関数の推計におい て,もし不動産の価格を決定するうえで重要となる変数が考慮されていない場合には,その推 計された値が信頼できないといった問題が出てしまう (これは, 「過少定式化バイアス (omitted variable bias)」7 の問題」と呼ばれている)。 本分析においては,これらの問題に関して,次のように対応した。第一の問題に関しては,マ ンションの規模に関する特性をできる限り取り除くとともに,デベロッパー,施工会社の違い 5 建築基準法の改正が実施された 1981 年において,耐震基準が示されることとなった。その結果,新耐震基準, 旧耐震基準などの言葉が誕生し,旧耐震基準の建築物は,投資対象から外されることが多くなっている。 6 国土交通省・土地水資源局「不動産における「環境」の価値を考える研究会」における「経済価値ワーキンググ ルーブ」での議論を参考とした。 7 本来考慮しなければならない変数が存在することで,推定値にバイアスが発生する問題である。このケースで は,モデルに組み入れるべき変数が欠如することで,環境認証の効果として推計されている係数にバイアスが存在し ているのではないかといった問題となる。 8 による価格差にも配慮している。さらにアンケート調査を通じて,住宅性能評価書の有無など, 住宅性能を差別化する要因を可能な限り収集した。第二の問題に対しては,GIS(geographic information system:地理情報システム) を用いて 500 メートルメッシュといった地域詳細単位 での環境格差を調べるとともに,アンケート調査を通じて購入者の年齢・所得・職業・世帯の 規模といった要素も変数を取りいれている。とくに,建物の環境性能に対する評価は,購入者 の特性に応じて変化する可能性が考えられること,また,ヘドニック理論との整合性を考える と,購入者の特性に配慮することは極めて重要である。 このような対応により,グリーンビルの経済価値の推計を取り巻き指摘されてきた上記の問 題はクリアされているといえる。 そのため,この実証分析の結果は大きな意味を持つ。 現段階では,強い環境規制が存在するわけではないが,開発者によって高い環境性能のもの には高いプレミアムを乗せて販売しようとする努力が行われ,購入者によってもそのプレミア ムが認められている。このことは,今後の環境規制の動向によっては,より一層高いプレミア ムが市場で認められていく可能性があることを示唆しているものと考えられる。 3 グリーンビルを取り巻く環境規制の動向 3.1 環境規制の動向 グリーンビルの投資価値を考えるに当たり,将来における環境規制の動向が大きな影響 をもたらすことは,本稿の一連の分析の中で整理したとおりである。ここで,Takagi and Shimizu(2010) の整理を出発点として,最近の動向も含めて考察しよう。 不動産への環境規制を取り巻く国際的な動きとしては,国連の中に設置された UNEP FI8 に よる「Principles for Responsible Investment(PRI:責任ある投資原則)」の公表が,大きな 転換点となったといってもよい9 。この「責任ある投資原則」は,それに先立ち策定された「グ ローバル・コンパクト (Global Compact)」の流れを汲んだものであった。 グローバル・コンパクトとは 1999 年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で,PRI と同じ くアナン事務総長より提唱された概念である10 。この概念は,企業が「人権」 「労働基準」 「環 境」 「腐敗防止」にかかる 10 原則を支持し企業活動に組み入れることにより,グローバル化し た経済の持続的な発展に寄与していくことを促していくものである11 。 8 2006 年,アナン国連事務総長(当時)の掛け声の下,UNEP FI(The United Nations Environment Programme Finance Initiative:http://www.unepfi.org/) が事務局を務め,策定された。 9 2011 年 10 月時点で,915の機関投資家が署名をしている。http://www.unpri.org/ 10 2012 年 1 月現在,世界約 135 カ国,約 6,000 社以上 (日本企業は 148 社) の企業が署名している。 http://www.unglobalcompact.org/ 11 グローバル・コンパクト 10 原則 人権 企業は, 原則1:国際的に宣言されている人権の保護を支持,尊重し, 原則2:自らが人権侵害に加担しないよう確保すべきである。 労働基準 企業は, 原則3:組合結成の自由と団体交渉の権利の実効的な承認を支持し, 原則4:あらゆる形態の強制労働の撤廃を支持し, 原則5:児童労働の実効的な廃止を支持し, 原則6:雇用と職業における差別の撤廃を支持すべきである。 環境 企業は, 原則7:環境上の課題に対する予防原則的アプローチを支持し, 原則8:環境に関するより大きな責任を率先して引き受け, 9 そして,この流れを受けて,企業の責任ある活動の理念や企業努力を,企業にとっての重要 なステークホルダーである「運用者(出資者)」の立場として,積極的に認知・評価していく ことを促そうとした。「責任ある投資原則」は,そのような行動を促していくことを目的とし たものであった。 この「責任ある投資原則」は, 「環境(Environmental)」, 「社会(Social)」, 「企業統治 (corporate Governance)」を,重要な要素として位置付けている12 。 「責任投資原則」は, 「私たち機関投資家には,受益者のために長期的視点に立ち最大限の利 益を最大限追求する義務がある。この受託者としての役割を果たすうえで, (ある程度の会社間, 業種間,地域間,資産クラス間,そして時代毎の違いはあるものの)環境上の問題,社会の問題 および企業統治の問題が運用ポートフォリオのパフォーマンスに影響を及ぼすことが可能であ ることと考える。さらに,これらの原則を適用することにより,投資家たちが,より広範な社会 の目的を達成できるであろうことも認識している」とまえがきをし, 「環境(Environmental)」, 「社会(Social)」, 「企業統治(corporate Governance)」(ESG) を中心とした 6 つの原則を取 り決めた13 。 この「責任ある投資原則」を受ける形で,UNEP FI の下部組織として不動産ワーキンググ ループが組織され, 「責任投資原則」を不動産投資にも適合させていく試みが行われた14 。 しかし,日本の多くの企業が「グローバルコンパクト」または「責任投資原則」に署名して いるものの,具体的な動きにはつながっていないように見受けられるのが現状である。 ここで,日本でのグリーンビルに対する動きに注目しよう。 日本では,不動産を取り巻く環境規制は,自治体を中心として進められてきているといって も良いであろう。具体的な環境政策の運用方法は,市場の間接的な作用を期待した「情報開示 政策」と「直接規制」に分けられる。環境税に代表される公的負担や補助金などは,後者に位 置づけられる。 東京都を例に挙げれば,情報開示政策として,2002 年 6 月から「建築物環境計画書制度」 が始められている。同制度では,10,000m2 を超える大規模建築物を新築・増築する建築主に 対して,計画時の環境計画書と完了届の提出を義務付けた。それは, 「エネルギー使用の合理 化」, 「資源の適正利用」, 「自然環境の保全」といった視点から,建築物の環境性能を評価する ものである。また,建築物環境計画書制度には,2005 年 6 月の改正によって,これらの3つ の評価軸に加えて, 「ヒートアイランド対策」が追加された。 続いて,直接規制である。東京都は,2010 年 4 月から, 「温室効果ガス排出総量削減義務と 排出量取引制度」を開始した。同制度は,2009 年度のエネルギー使用量が原油換算で 1500kL 原則9:環境に優しい技術の開発と普及を奨励すべきである。 腐敗防止 企業は, 原則 10: 強要と贈収賄を含むあらゆる形態の腐敗の防止に取り組むべきである。 12 3 つの各問題をまとめて,ESG 問題と呼ばれている。また,投資の意思決定からモニタリングまでの,あらゆ る投資活動のプロセスに組み込むことで,投資家として持続可能な発展に寄与していく努力を行うことを宣言したも のである。 13 1.私たちは投資分析と意思決定のプロセスに ESG の課題を組み込みます。 2.私たちは活動的な(株式)所有者になり, (株式の)所有方針と(株式の)所有慣習に ESG 問題を組み入れ ます。 3.私たちは,投資対象の主体に対して ESG の課題について適切な開示を求めます。 4.私たちは,資産運用業界において本原則が受け入れられ,実行に移されるように働きかけを行います。 5.私たちは,本原則を実行する際の効果を高めるために,共働します。 6.私たちは,本原則の実行に関する活動状況や進捗状況に関して報告します。 14 2008 年 6 月に報告書「Building Responsible Property Portfolios」としてその成果が公表され,翌月には 「Responsible Property Investment;What the leaders are doing」(以下「RPI 報告書」という)が公表された。 10 以上である事業所に対して CO2 の削減義務を要求した。削減義務を負うのは,原則として所 有者であるが,証券化されたビルなども,温室効果ガスの排出削減に相当程度責任があり,東 京都に届け出たものについては,削減義務を負う。また,使用床面積が 5000m2 以上もしくは 前年度の電気使用量が 600 万 kWh 以上のテナントもまた,対策計画書の作成と提出,そし て,その計画書に基づく対策を推進していく義務を負うこととなった15 。この制度の最も大き な特徴は,通称キャップアンドトレード (Cap&Trade) と呼ばれる制度が創設され,事業所単 位で排出量を削減するのみならず,排出量取引によっても削減義務を達成することができるよ うになった点にある。 3.2 環境規制と不動産価値 このような環境政策・環境規制の動きはどのように不動産の投資価値に影響を与えていくの であろうか。 まず,情報開示政策である。情報が広く市場に浸透し,その情報を認知した市場参加者が情 報に基づいて行動を変化させたとき,市場価値に反映されることとなる (Shimizu(2010))。情 報が単に整備・開示されているだけでは,市場価値に対して変化をもたらすことはない。行動 変化が起こって初めて市場価値の変化が起こる。これは,家計が住宅投資を行う場合において も,企業が大型のオフィスビルに投資する場合においても同様である。 次に,直接規制である。直接規制は,その規制の強弱に応じて市場行動を変化させる。,利 子補給や補助金も,その金額に見合った行動変化を起こす。 市場行動に変化が起これば,前節で示したような「収益変動効果」や「割引率/流動性リス ク変化効果」が生まれることとなり,現在だけでなく,将来の投資価値をも大きく左右するこ ととなる。そのため,環境関連の規制は,不動産投資を行っていくうえで,最も注視していか なければならないリスク要因として浮かび上がってきていると認識したほうがよいであろう。 では,このような規制の動向に対し,不動産投資の運用者は,どのような配慮が必要となる のであろうか。 まず, 「収益変動効果」である。環境規制が強化されると,グリーンビルに対して積極的に立 地しようとする主体が増加することから,グリーンビルでないものと比較して,相対的に高い 家賃を支払おうとするテナントや,高い価格で購入しようとする買い手が増加する。 さらに,不動産を利用していくうえでの費用が低下することから, 「支出削減効果」が期待 される。そのため,費用を考慮した収益は大きく増加する。 一方で,所有を考えた場合には,初期投資が大きくなる。また,設備が高性能になるだけ でなく,より複雑かつ高付加価値化した場合には,維持・修繕投資が増加することも考えられ る。正の効果と負の効果を合わせて考えておかなければならない。 最も強い効果が出てくるのが, 「割引率/流動性リスク変化効果」である。不動産投資の長期 特性を考えると,グリーンビルでない不動産と比較して,グリーンビルの流動性は大きく高ま ると考えられる。逆に言えば,一定の環境性能を具備していない不動産の流動性が失われてし まう可能性も予測しておく必要があろう。 15 削減義務は,5 年間の計画期間ごとに実施していく。削減義務率は,事業部門に該当するオフィスビルなどでは 8% ,上記のうち地域冷暖房を全エネルギーの 20% 以上使用しているものは 6% ,工場,上下水施設などでは 6% と設定された。 11 4 不動産価値の持続可能性-結びに変えて 不動産投資における環境問題は,近い将来リスクマネジメントの対象にしていかなければな らないであろう。しかし,不動産投資の価値の最大化,不動産の価値の維持には,環境問題を より広義に捉える必要がある。 不動産投資の目的は,その投資利益を最大化していくことである。不動産の耐久性という性 質を考えた時には,将来にわたって投資利益を最大化していかなければならない。その時に重 要となるのが,投資価値の「持続可能性 (Sustainability)」である。 現行の CASBEE をはじめとする環境認証制度は,単に特定時点での建物性能を示すもの であるため,投資価値との関係を明示的に扱ったものではない。ここで参考となるのが,英 国にて 2007 年に公表された IPD Environment Code である 。IPD Environment Code は, BREAM,CASBEE,LEED が建築物の潜在的な機能に着目した評価軸であるのに対して,実 際の利用状況に注目して環境負荷量を測定しようとしている点が特徴である。利用実態の把 握を目的とする IPD Environment Code は,不動産の開発時というスナップショットで切り とった一時点のみではなく,通時的に変化していく環境負荷の実態を捕捉できる利用の実態に 応じた環境負荷がわかれば,その実態に即した対応が可能となり,その意義は大きい。 単にハード的な意味で建物性能を高めるだけではなく,その利用方法・利用方法の変更を通 じての対応が可能となる。 グリーンビル政策の目的は,低炭素社会の実現への貢献であり,環境性能の高い建築物を開 発することではない。環境性能の高い建築物を開発しても,エネルギー効率が高まるかどうか は,利用方法によっても大きく変化する。そのため,その実態把握をモニタリングしていくこ とが重要となるのである。 それでは,不動産投資の運用者には,どのようなことが要求されるのか。ひとつの方策とし ては,各投資用不動産,またはファンドレベルで,環境負荷の実態を公開していくといったこ とも考えられる。既述の通り,そのような情報公開を通じて投資家の行動が変化して初めて, グリーンビルの投資価値が市場の中で評価されるようになる。その実現のためには,将来的 に,共通の情報開示ルールを作成していくことが必要になるであろう。 さらに,IPD Environment Code の評価軸は,1)エネルギー効率,2)水利用効率,3)ご み処理効率,4)交通利便性,5)設備,6)室内環境,といった環境特性のみならず,7)地球 環境の変化への順応,といった将来のリスク対応にも配慮が求めている。具体的には,地球温 暖化に伴う気候変動や海面上昇への影響をどのようにリスクマネジメントしているかという ことである。たとえば,洪水リスクが高まる中で,そのリスクへのマネジメントが要求されて いる。IPD Environment Code は,建築関係の技術者ではなく,投資家が主体となって作成し ている点が特徴である。つまり,ハードな意味での建築物の一時点での性能のみを測定するこ とではなく,投資期間を通じた環境負荷量を測定することに主眼が置かれているのである。 欧州連合は,2007 年に洪水対策に対する政令指定 (Directive) を策定し,洪水ハザードマッ プ,洪水リスクマップの作成を 2013 年までに行うことを決定した。2009 年時点では 29 か国 で洪水マップの作成が完了している。2011 年までに基礎的な洪水リスク評価を完了し,2015 年までに洪水リスクマネジメント・プランを作成することを要請している。 東京都区部を始めとする日本の多くの都市が海と接し,河川を中心として都市が形成されて きた歴史を鑑みれば,洪水リスクへの対応を積極的にリスクマネジメントの対象に取り入れ 12 ていくべきであることは言うまでもない。 不動産投資価値の持続可能性を考えた時に,リスクマネジメントの対象に加えなければなら ない視点はさらに多く存在する。環境規制に対する対応,地球温暖化・気候変動に伴う海面上 昇,ゲリラ豪雨などに対する対応,地震に対する対応,津波に対する対応,などである。そし て今後,社会全体が成熟していく中では, 「責任ある投資原則」の観点もまた投資価値の持続 可能性を構成する大きな要素になっていくことと予想される。 つまり,建物の単なるハード面のみならず,当該不動産に係わる運用姿勢や運用方針などの ソフト面が不動産価値の持続性に大きな影響を与えることが予想される。その中で,環境に対 する対応も主要なリスクマネジメントの対象になっていくことは容易に予想される。 今,不動産投資の運用者は,21 世紀という「環境の時代」にふさわしい不動産価値の長期 的な視点に立った最大化と,その持続性 (Sustainability) を実現していくことが求められてい る。その実現のためには,真に投資家の視点に立った市場インフラの整備と情報開示,投資戦 略が求められているのではないだろうか。 参考文献 [1] Banfi, S., Farsi, M., Filippini, M., and Jakob, M. (2005), “Willingness to Pay for Energy-Saving Measures in Residential Buildings,” CEPE Working Paper, No. 41. [2] Dian, T.M., and Miranowski, J. (1989), “Estimating the Implicit Price of Energy Efficiency Improvements in the Residential Housing Market—A Hedonic Approach,” Journal of Urban Economics, 25, pp. 52-67. [3] Eichholtz, P., Kok, N., and Quigley, J.M. (2009a), “Doing Well by Doing Good? Green Office Buildings,” Berkeley Program on Housing and Urban Policy Working Papers, W08-001. [4] Eichholtz, P., Kok, N., and Quigley, J.M. (2009b), “Why Do Companies Rent Green? Real Property and Corporate Social Responsibility,” Berkeley Program on Housing and Urban Policy Working Papers, W09-004. [5] Galema, R., Plantinga, A., and Scholtens, B. (2008), “The stocks at stake: Return and risk in socially responsible investment,” Journal of Banking & Finance, 32, pp. 2646-2654. [6] 国土交通省・土地水資源局 (2010),『不動産における「環境」の価値を考える研究会調査 研究報告書』国土交通省. [7] 国土交通省・土地水資源局 (2011),『不動産における「環境」の価値を考える研究会調査 研究報告書』国土交通省. [8] Renneboog, L., Horst, J.T., and Zhang, C. (2008), “Socially responsible investments: Institutional aspects, performance, and investor behavior,” Journal of Banking & Finance, 32, pp. 1723-1742. 13 [9] Shimizu,C(2010), “Will green buildings be appropriately valued by the market?,”RIPESS (Reitaku Institute of Political Economics and Social Studies) Working Paper,No.40. [10] 清水千弘 (2010),「グリーンビルディングと不動産価格」不動産鑑定,2010.07 pp.28-36. [11] 清水千弘 (2012), 「グリーンビルと不動産鑑定価格-環境価値とあるべき価格,あるがまま の価格–」不動産鑑定,2012.04, pp.24-38. [12] 菅田修・川村康人・清水千弘 (2011)「東京都区部における賃貸オフィスビルの環境性能 が賃貸価格に与える影響に関する研究」日本不動産学会平成 23 年度秋季全国大会梗概集, pp.131-138. [13] Takagi,Y and C.Shimizu,C(2010), “The Environment and Real-Estate Investment:Responsible property investing,”Business Ethics and Compliance Research Center Working Paper(Reitaku University),No.6. [14] 東京都不動産鑑定士協会(2010)「不動産の環境配慮と資産価格:東京のマンションによ る実証」 [15] 吉田二郎・清水千弘 (2012), 「環境配慮型建築物が不動産価格に与える影響:日本の新築マ ンションのケース」住宅土地経済,No.83,pp20-32. 14 A 付論 1. 環境配慮型建築物の経済価値の計測 A.1 グリーンビルの追加的経済価値 グリーンビルの追加的経済価値の存在の有無を巡っては,近年多くの研究が報告されてい る。具体的には,ヘドニック・アプローチを用いて,グリーンビルとして認証された建物の追 加的経済価値が存在するのか等が分析されている。 例えば,Eichholtz, et al(2009a) は,米国のオフィス市場を対象とした実証研究において, 環境に配慮したことを示す環境ラベルが付いていることで,3 %弱程度の賃料上昇が確認で き,稼働率を考慮した実効賃料は 6% 程度上昇することを示した。Eichholtz, et al(2009b) で は,そのような賃料上昇をもたらしている背後にある企業の立地行動を分析している。また, Fuerst, et. al (2009), (2010) は,同じく米国の不動産市場を対象として,稼働率が 3% から 8% 程度高くなるといった結果を示している。 また,住宅市場では,古くは Dian and Miranowski(1989) が,エネルギー効率を高めるこ とで住宅価格が高くなることを示した先行研究がある。Banfi,et al(2005) では,賃貸住宅のテ ナントが省エネ手段を講じた建物に対して最大 13 %高い賃料を支払う用意があるとの結果が 発表されている。 Dian and Miranowski(1989),Banfi,et al(2005) が省エネ性能だけに注目しているのに対し て,その他の研究では,近年,整備されてきている環境ラベルの効果を見ているのが特徴で ある。 日本においても,近年,政府 (国土交通省 (2010))・研究者による研究が進められている。し かし,日本の研究を見ると,いくつかの改善すべき問題が残されている。 第一の問題は,データに関する問題である。東京都不動産鑑定士協会 (2010) の分析では, 新築マンションと中古マンションの取引価格をブーリングして分析している。しかし,現行制 度では,中古マンションには環境性能表示制度が存在していない。また,中古マンション市場 と新築マンション市場では消費者の住宅選択行動が異なり,市場が断絶していることが予想さ れる。そのような二つの市場をブーリングして推計することで,推計結果にバイアスが生まれ ていることが考えられる。 また,吉田・清水 (2010),Shimizu(2010) では,新築マンション市場を対象として募集価格 と取引価格を用いて分析している。しかし,取引価格データのサンプル数が極めて少なく,十 分な統計的信頼性を担保できる結果であるとはいえない。 第二の問題は,経済理論モデルとの整合性問題である。Rosen(1974) によって提案されたヘ ドニックモデルは,Tinbergen(1959) の提起による差別化された生産物の市場均衡理論を発展 させ,住宅のような差別化された財をどのように分析することができるのかを,経済理論と 計量経済モデルの両面から示しているものである。具体的には,商品供給者のオファー関数 (offer function),商品需要者の付け値関数 (bid function) およびヘドニック価格関数の構造 との間の関係を厳密に検討し,商品の市場価格を消費者および生産者の行動から特徴づけて いる。実際に実証分析を行ってはいないものの,計量経済学的な推定手順についての概略も示 している。 しかし,強いデータ制約から,多くのヘドニック関数の推計においては,その理論が示した 重要な変数のすべてを収集することができていない。Ekeland, Heckman and Nesheim(2004), Shimizu(2009) が示すように,関数推計において重要な変数が抜け落ちた場合に生じる,過少 15 定式化バイアス (omitted variable bias) と呼ばれる問題に直面し,推計された回帰係数は不 偏性を欠き,バイアスを持つこととなる16 。 本研究の目的は,東京都新築マンション市場を対象として,環境性能の高いグリーンビルに おいて,追加的経済価値が存在するのかどうかをヘドニック・アプローチを用いて検証するこ とを目的とする。ヘドニック関数の推計においては,以下の改善を行う。 まずデータに関しては,アンケート調査を通じて,従来観察することができなかった出来 るだけ多くの変数を収集することとした。具体的には,住宅価格情報に関しては生産者のオ ファー価格となる売り希望価格と,付け値価格との接点となる取引価格の両方を収集した。ま た,ヘドニック理論モデルとの整合性を担保するために,アンケート調査を通じて,所得・家 計の規模などの購入者特性に関するデータを収集した。このように改善されたデータのもと で,環境性能の高いグリーンビルに,追加的経済価値が存在するのか,存在するのであればど の程度の規模で発生しているのかを明らかにすることを目的とした。 A.2 A.2.1 実証モデルとデータ 推計モデル グリーンビルの経済価値の測定にあたり,ヘドニック・アプローチに基づき推計を行う。 Rosen(1974) で提案されたヘドニックモデルにおいては,単純化されたケース(生産者を同 質に扱うケース)ですら,ヘドニック価格関数から選好や技術の構造を識別するために非常に 複雑な解析を必要とする。Epple(1987) は多数の消費者と生産者を想定したうえで,Rosen 理 論を発展させた計量経済モデルを定式化している。Rosen 理論の問題点は,需要と供給から なる構造方程式において,以下に述べるケースを排除できない点である。具体的には,重要な 属性が観察されておらず,それらが観察された属性と相関している場合に,均衡におけるヘド ニック価格関数の観察された属性の係数推定量には,不偏性もなければ一致性もないという同 時性バイアスの問題が生じることとなる (Ekeland, Heckman and Nesheim(2004))。 この点に関して,Epple のモデルは観測誤差を正確に処理できるヘドニック価格関数を提起 するアプローチとなっている。ただし,このアプローチは効用関数に先験的な仮定をおいたう えで,外生変数を必要としない閉じた市場均衡におけるヘドニック価格関数を導き出し,推定 を行うことになる。 そこで,付け値関数の制約条件となる購入者の特性をも考慮したうえで,次のようなモデル を設定した。 P(i,j,t) = f (Gi , X(i,j) , N Ek , HH(i,j) ) (3) P(i,j,t) : t 時点のマンション i,住戸 j の新築マンション価格 (1:募集価格,2:取引価格) Gi : マンション i の環境性能ラベル X(i,j) : マンション i,住戸 j の建物特性 N Ek : 地域 k の立地特性 16 ヘドニックモデルの推計においては,a) 効用関数の関数型はすべての消費者について同質である.ただし,選 好パラメータは正規分布に従う(共分散は非対角要素が 0 の対角行列),b) 消費者の効用関数は属性変数が加法分 離的で 2 次形式である,c).差別化された商品の供給が外生的に与えられている.という仮定を置かなければならな い。これらは,経済主体間の相互作用がないこと,および市場均衡におけるヘドニック価格関数が描写できる実現可 能な関数型であることを想定しており,決定的な仮定である。 16 HH(i,j) :マンション i,住戸 j の購入者特性 ヘドニック関数の推計においては,データの制約から本来取り入れるべき変数が考慮され ていないことが多い。具体的には,住宅の広告情報などには記載されていないような,住宅周 辺の街並み・住環境に関する情報は,情報の入手が出来なかったり,変数化することが困難で あったりするために,取り入れられていないことが多い。さらには,付け値関数を決定する住 宅購入者に関する情報に至っては,ほとんどの場合で考慮されていない。しかし,このよう な変数が考慮されない場合には,計量経済学的には,過少定式化バイアス (omitted variables bias) と呼ばれる問題に直面する。 本研究では,従来行われてきたヘドニック関数の推計と比較して,多くの改善点がある。 まず,価格 (P(i,j,t) ) に関しては,生産者のオファー価格となる募集価格と,購入者の付け値 価格との接点で形成される市場価格の両方を用いることとした。これらの価格に対して,各マ ンションの環境性能ラベル (Gi ) がどのように影響を及ぼしているのかを見る。また,住宅価 格は,一般には, 「建物の構造」や敷地面積の大きさなどといったマンション (i) の性能ととも に, 「専有面積」や「角部屋かどうか」といった部屋の位置などの住戸 (j) に関する性能の差に よって価格差が生まれる (X(i,j) )。マンションの建物 (i) の性能の中には,マンションデベロッ パーまたはデベロッパーごとのブランド (デベロッパーの信用や目に見えにくい品質保証) や, 施工会社 (Construction Company) によっても価格差が生まれることがしばしば指摘される。 これらの変数についても,デベロッパー,施工会社の情報を収集し取り入れることとした。 このような建物や住戸に関する特性以外に,住宅の価値に大きな影響をもたらすのが,エリア (k) の街並みや商業集積などに代表される周辺環境特性である。これは, 「近隣効果 (neighborhood effect)」と呼ばれる (N Ek )。近隣効果の中には,単なる住環境だけでなく,通勤や通学のしや すさ,買い物のしやすさといった「最寄り駅までの近接性」や「都心までの時間」などの交通 利便性も含まれる。 さらに,ヘドニック理論が示すように,購入者の特性によっても,付け値関数の変化を通じ て価格差を生むことが予想される (HH(i,j) )。購入者の年収や世帯規模に応じて,必要とされ る面積や住宅性能が変化し,それが線形でない場合には,その特性を考慮しなければならな い。とりわけ,建物の環境性能のような効果は,住宅の購入者の選好に応じて大きく変化する ことが予想されるため,同質な効用関数を持つという仮定は強すぎる可能性がある (Shimizu, Nishimura and Karato(2007))。 このようなモデルの検討に基づき,次の 3 つの推計モデルを設定した。 ここでは,時間要素を加味し,t 時点でのマンション価格 (P(i,j,t) ) を対象として,ヘドニッ ク価格関数を推計する。 まず,標準モデルとして,次のモデルから出発する (Model1)。 log P(i,j,t) = a0 + a1 T(i,j) + a2 Gi + a3 Gi T(i,j) + + ∑ n an5 N Ekn + ∑ t ∑ m m am 4 X(i,j) (4) at6 Dt + ϵ(i,j) Tj は取引価格ダミー (取引価格なら1,募集価格なら 0) であり,Dt (t = 2001 から 2011) は 時間ダミーである。環境ラベルの効果 (Gi ) については,生産者のオファー価格となる募集価 格と付け値価格との接点となる取引価格とでは効果の出現の程度が変化してくることが予想さ 17 れる。そこで,取引価格に対しては 1,募集価格に対しては 0 とした取引価格ダミー (Tj ) と のクロス項 (Gi × Tj ) を投入することで,両者の違いを識別することとした。 次に,理論的には本来考慮すべきではあるが,データ制約からモデルに取り入れることが困 難であった購入者特性を加味したヘドニック関数へと拡張する (Model2)。 log P(i,j,t) = a0 + a1 T(i,j) + a2 Gi + a3 Gi T(i,j) + + ∑ an4 N Ekn + n ∑ s s as5 HH(i,j) + ∑ t ∑ m m am 3 X(i,j) (5) at6 Dt + ϵ(i,j) さらに,環境ラベルの効果 (Gi ) が,時間の変化に応じてどのように変化してきたのかを分 析することとした (Model3)。 log P(i,j,t) = a0 + a1 T(i,j) + a2 Gi + a3 Gi T(i,j) + + ∑ n A.2.2 an4 N Ekn + ∑ s s as5 HH(i,j) + ∑ t ∑ m m am 3 X(i,j) at6 Dt + ϵ(i,j) + (6) ∑ t at7 Gi Dt + ϵ(i,j) データ m 住宅価格データ (P(i,j,t) ),建物属性 (X(i,j) ) および市場特性 (M K) 実証分析は,東京都区部 の新築マンション市場を対象として実施する。分析に利用する主要な変数を表 1 に整理した。 住宅価格に関する情報,建物属性 (characteritics) に関しては,アンケート調査によって収 集することとし17 ,加えて株式会社 不動産経済研究社のデータベースを用いた。不動産経済 研究所のデータベースにおいては,生産者の募集価格とともに,開発会社,開発概要 (開発規 模),立地特性 (座標・住所・最寄駅・最寄駅までの距離),建物特性 (建物面積・土地面積・建 物構造) が存在する。このデータに関して,株式会社リクルート住宅総研によって収集された 取引価格 (契約書データ),建物特性,購入者特性 (購入者年収・家族規模等) をマッチングさ せることとした。 このようにして,2001 年から 2011 年の 10 年間において販売および取引がされた,売り希 望価格と売買価格の二種類のマンション価格データ (P(i,j,k) ) を構築した。 また,アンケート調査から,土地の所有形態が,所有権か,一般借地権または定期借地権 か,どうかも追加した。加えて,アンケート調査を通じて,管理形態が,管理人が巡回して管 理を行うか (昼間・夜間を問わず常駐していない),日勤か (通勤によって昼間だけ管理室に通 勤する),あるいは常駐か (24 時間体制で管理室に常駐する) についても調査した。このよう な違いもまた,マンション価格差に表れてくるものと考える。また,マンションの総戸数,敷 地面積,総建物面積も,規模特性として考慮した。さらに,マンションの特性として,開発し たデベロッパーの商品力により価格差が生じることが知られている。デベロッパーごとにブラ 17 アンケート調査は,2000 年 11 月から,リクルート社において実施してきた。住宅購入者からの応募形式によっ て書面によって,調査を実施している。なお,取引価格に関しては,契約書を収集することで,正しい取引価格を収 集することが可能となっている。2012 年 3 月現在においても継続中である。 18 ンド力が異なるためである 。加えて,どのような会社によって建設が行われたのかがわかる 施工会社 (Construction Company) の違いも考慮することとした18 。 さらに,市場特性 (M K) として,初月成約率を取り入れた。初月成約率とは,販売開始か ら一か月間で何戸の住戸が売却できたかどうかを調べたものである。初月成約率が高いほど, マンションの性能と比較して価格が割安であったことを示すと考えられる。 環境性能評価データ (Gi ) 環境性能評価ラベルについては,東京都の「マンション環境性能 表示制度」によってラべリングされているデータを用いた。 東京都では,2002 年 6 月から「建築物環境計画書制度」の運用が開始され,10,000m2 を 超える大規模建築物を,新築・増築する建築主には,計画時の環境計画書と完了届の提出が義 務付けられた。また,2005 年 10 月には「マンション環境性能表示制度」が開始され,4 つの 評価項目に基づき情報を整備し,公開することが義務付けられている。4 つの評価項目とは, 建築物の熱負荷の低減に対応した a) 建築の断熱性,省エネルギーシステムに対応した b) 設 備の省エネ性,長寿命化等と緑化に対応した c) 建物の長寿命化,そして,d) みどり (緑化), である。そして,それぞれの項目における評価結果は,星 (⋆) 印の数として表現されており, その評価は 3 段階である。加えて,消費者に対する認知性を高めるために,建築物環境計画 書の提出を行った分譲マンションについては間取り図の表示のある広告(新聞折込み・ダイ レクトメール・インターネットを含む)に評価項目をすべて表示することが義務付けられて いる。さらに,2010 年1月からは分譲マンションだけでなく,賃貸マンションも対象となり, 同年 10 月 1 日以降は,届け出面積が 5,000m2 まで引き下げられるとともに,2000m2 から 5000m2 のものも,任意で届け出ができるような制度へと変更されてきた。 本研究では,これらの環境性能評価に関するデータを用いた。具体的には,建築物の熱負荷 の低減に対応した,a) 建築の断熱性,および省エネルギーシステムに対応した,b) 設備の省 エネ性,がいずれも星 (⋆) 印が二つ以上のものを 1,そうでないものを 0 とするダミー変数 を作成した。マンション性能表示制度において,a) 建築の断熱性,b) 設備の省エネ性のいず れかが星 (⋆) 印 1 つしかないもの,または,環境性能表示の対象になっていないものは,当 該ダミー変数の対象にならないもの (ダミーが 0 のもの) である。 次に,このような環境ラベルの効果を正確に識別するために,マンションの建物性能の格差 を考慮しておく必要がある。まず,これらの環境ラベルの取得の要否がマンションの床面積合 計の大きさによって決定されていることから,規模特性を十分に考慮しなければならない。 そのため,総床面積合計を変数に加えることとした。さらに,建物の性能評価に関して品格 法 (住宅の品質確保の促進等に関する法律) に基づく「設計住宅性能評価書」と「建設住宅性 能評価書」の有無もまた配慮することとした。つまり,従来の住宅性能評価書の有無といった 効果と独立して,環境ラベルの効果がどの程度存在するのかを分析した。 周辺環境変数 (N Ekn ) 周辺環境特性としては,マンションが立地する 500m x 500m メッシュ 単位での周辺環境指標を作成した。具体的には,建物の建て込み度 (建物棟数),平均面積,そ の面積の標準偏差,平均建物階数,その階数の標準偏差である 。続いて,国勢調査のメッシュ 18 大手建設会社である,(1) 竹中工務店,(2) 大林組,(3) 鹿島建設,(4) 清水建設,(5) 大成建設,準大手建設会 社ダミーとしては,(6) 熊谷組,(7) 戸田建設,(8) 五洋建設,(9) 鴻池組,(10) 佐藤工業,(11) 三井建設,(12) 三 菱建設,(13) 住友建設,(14) 西松建設,(15) 長谷工コーポレーションおよび,(16) その他,を識別するダミー変数 を作成した。 19 統計から,65 歳人口比率,オフィスワーカー比率 (専門的・技術的職業従事者) を追加した。 さらに,これら変数でも吸収できない特性に配慮するため,行政サービスの格差を「行政区 ダミー」で考慮した。さらに,鉄道沿線ごとの環境格差の考慮のために「沿線ダミー」を作成 し, 「最寄り駅から東京駅までの所要時間」に関する変数も作成した。 s 購入者特性 (H(i,j) ) 続いて,マンション購入者の特性をアンケート調査によって収集した。 具体的には,住宅購入者の年収,年齢,職業,世帯の人数,子供の有無,とともに,住宅を初 めて購入するのかどうか (第一次取得かどうか),といった変数を考慮することとした。とり わけ職業に関しては,雇用形態19 ,職種20 ,業種21 による差を見た。 このように収集・整備された分析用データのサンプル数は,23,908 件であり,統計的に一定 の信頼性を担保できる数を確保できているものと考える。 また,要約統計量を表 2 に整理した。売り希望価格の平均値は 4,549 万円であるのに対して, 実際の取引価格の平均値は 4,391 万円と 150 万程度低くなっている。専有面積は,10 平方の ワンルームマンションから 200 平方を超える大規模なマンションまでを含む。最寄駅までの 時間の平均は 7 分,東京駅までの時間は 23 分と,極めて交通利便性が高いエリアであること がわかる。 住宅の購入者の特性を見ると,購入者の平均年齢は 37 歳,世帯の平均人数は 2.3 人と,日 本における標準的な世帯であり,日本の住宅購入者を代表しているものであるといってもよ い。しかし世帯主の平均所得は,851 万円であり,日本の平均所得を大きく上回る水準となっ ている22 。 A.3 推計結果 推計モデルとしては,次の三つのモデルを用い推計をおこなった。標準的なヘドニックモデ ルの推計に利用されている建物特性だけのモデルから出発し (Model(1)),購入者の特性をも 考慮したモデル (Model(2)) へと拡張した。さらに,環境ラベルの効果の時間的な変化を見る ために,時間ダミーと環境ラベルとの交差項を加味したモデルを推計した (Model(3))。 3 つのモデルの推計結果を表 3,および環境ラベルの効果を表 4 に整理した。 Model(1):標準モデル モデル全体を評価してみよう。まず,環境ラベルは,物件の性能に 強くリンクしている可能性が高い。具体的には,住宅性能評価書23 の有無と環境ラベルの有無 とがオーバーラップしている場合にも,従来の分析は環境ラベルの効果と考えていた。しかし 19 雇用形態については,次の分類で調査している。01 正社員,02 契約社員,03 公務員・団体職員,04 自営業, 05 医師・弁護士・税理士・会計士等,06 アルバイト・パート,07 主婦,08 学生,09 無職である。契約社員,アル バイトや主婦,学生といったサンプルはない。 20 職種は,01 事務職,02 営業職,03 技術職,04 サービス・販売職,05 建設・製造職,06 専門職,07 管理職, 08 会社役員の分類で調査を実施している。 21 業種は,01 農林・水産業,02 建設業,03 製造業,04 運輸・倉庫,05 金融・証券・保険,06 広告・出版・放送, 07 印刷・写植,08 ファッション関連,09 旅行・ホテル・レジャー,10 飲食,11 住宅・不動産,12 商社・卸売 り,13 小売り,14 ソフトウェア・情報サービス,15 美容,16 医療・福祉 ,17 教育,18 クリエイティブ業,19 その他,といった項目で調査している。 22 国税庁の調査によると,2010 年の給与所得者の平均所得は,412 万円である。 23 住宅性能表示制度とは 2000 年 (平成 12 年 4 月 1 日) に施行された「住宅の品質確保の促進等に関する法律」 に基づく制度である。新築住宅の基本構造部分の瑕疵担保責任期間を「10年間義務化」するなど,住宅の性能を一 定の基準に基づき評価を行っている。同制度に基づき,住宅性能評価書が発行され,それは, 「設計住宅性能評価書」 と「建設住宅性能評価書」に分けられる。 20 表 1: 主要変数一覧 S ymbol G Variable Content Unit 環境ラベルダミー 東京都マンション環境性能表示制度において,a)断熱性,b)設備の 省エネ性において星(★)印が二つ以上のものを1 (0,1) それ以外は 0 T 取引価格ダミー S 専有面積 TS 最寄駅までの時間 Bus バス圏ダミー TT 東京駅までの時間* TU 総分譲戸数 Land 敷地面積 TA 総分譲面積 ISP1 設計住宅性能評価書ダミー ISP2 設計+建設住宅性能評価書ダミー MGC 管理費・維持修繕費 MG1 管理形態:日勤ダミー** MG2 管理形態:常駐ダミー** CN 角部屋ダミー SRC SRCダミー RL1 一般借地権ダミー RL2 一般借地権ダミー TR 初月成約率 LU g (g=0,… ,G) 都市計画用途地域ダミー*** HD h (h=0,… ,H) 雇用形態ダミー WD i (i=0,… ,I) 職種ダミー YD j (j=0,… ,J) 業種ダミー LD k (k=0,… ,K) 行政区ダミー RD l (l=0,… ,L) 沿線ダミー D m (m=0,… ,M) 時間ダミー 取引価格であれば1 それ以外は 0 住戸の専有面積 住戸から最寄駅までの時間(徒歩,またはバス乗車時間) バス利用地域であれば1 それ以外は 0 最寄駅から東京駅までの電車・平均乗車時間 (0,1) m2 分 (0,1) 分 マンション一棟の総分譲戸数 戸 マンション一棟の敷地面積 m2 マンション一棟の総分譲面積 m2 設計住宅性能評価書がある場合は 1 それ以外は 0 設計住宅性能評価書および建設住宅性能評価書がある場合は 1 それ以外は 0 管理費+維持修繕費 管理形態が日勤であれば1 それ以外は 0 管理形態が常駐であれば1 それ以外は 0 住戸が角部屋であれば1 それ以外は 0 SRC造りであれば = 1 それ以外は = 0 土地の権利が「一般借地」であれば1 それ以外は 0 土地の権利が「定期借地」であれば1 それ以外は 0 販売開始後,1か月間の販売率 g- th 都市計画用途地域 それ以外は 0 h- th 雇用形態 =1, それ以外は 0 i- th 職種 =1, それ以外は 0 j- th 業種 =1, それ以外は 0 k- th 行政区 =1, それ以外は 0 l- th 沿線 =1 それ以外は 0 m- th year =1 それ以外は 0 *最寄駅から東京駅までの昼間平均鉄道移動時間として計算 **管理形態は,これら以外に,巡回方式がある。***都市計画用途地域を 住居系,商業系,工業系に集約。 21 (0,1) (0,1) 円 (0,1) (0,1) (0,1) (0,1) (0,1) (0,1) (%) (0,1) (0,1) (0,1) (0,1) (0,1) (0,1) (0,1) 表 2: 要約統計量 平均 標準偏差 最小値 最大値 p1: 売り希望価格:万円 4,549.36 1,451.48 1,190.00 20,600.00 p2: 取引価格:万円 4,391.79 1,383.86 276.00 18,567.00 s: 専有面積:㎡ 69.64 14.75 10.00 266.00 ts: 最寄駅までの時間:分 7.51 4.23 1.00 36.00 tt: 東京駅までの時間:分 23.43 11.21 0.00 80.00 購入者年齢: 年 37.49 8.49 22.00 80.00 世帯人数: 人 2.37 1.05 0.00 8.00 世帯所得: 万円 851.25 420.98 0.00 3,000.00 総戸数: 戸 164.42 191.20 9.00 970.00 敷地面積: ㎡ 4,882.02 7,017.30 138.55 60,843.96 総面積:㎡ 15,970.57 25,662.47 229.97 191,160.10 サンプル数=23,908 住宅性能評価書の有無によってもたらされている可能性もある。そこで,住宅性能評価書の効 果をダミー変数を用いて環境ラベルの効果と別に識別した。結果を見ると, 「設計住宅性能評 価書」のみが有るものは,無いものと比較して 0.7% 高く評価されており, 「設計住宅性能評価 書」だけでなく「建設住宅性能評価書」も併せ持つものについては,1.3%(0.7%+0.6%) 高く なっていることがわかった。続いて,管理費・維持修繕投資等についも同様の識別を行うと, これらが高いものほど取引価格が高くなるとともに,管理形態においては「巡回型」24 と比較 して, 「日勤型」25 では差異が見られないものの, 「常勤型」26 では 2.2% 価格が高くなっている。 また,土地の所有権が「一般借地権」の場合は 1.1% , 「定期借地権」の場合では 8.8% 低く なっていた。住戸が「角部屋」の場合では 2.2% 価格が高くなる。 その他,市場特性 (MK ) としての「初月成約率」は,価格に対して影響がなかった。 続いて,周辺環境特性 (NE ) における都市計画用途地域ダミーに関しては,住宅系用途と比 較して,商業地域では 0.7% ,工業地域では 4% 価格が低くなっている。500m メッシュ単位 でみた平均建物階数においては,平均建物階数が大きく,高層の建築物が多い地域で価格が高 くなっているが,ばらつき (標準偏差) が大きくなると価格を引き下げる効果があることがわ かった。その理由として,高層の建築物と低層の建築物が入り混じる地域では,景観が損なわ れている可能性が高いと予想される。また,高齢者が多く,借家率が高い地域でのマンション 価格は低いことがわかった。その一方で, 「専門的・技術的職業従事者」が多い地域での価格 は相対的に高くなっていた。「専門的・技術的職業従事者」は,国勢調査のための業種分類で 検討すると,相対的に所得水準が高いことが知られている。同変数は,エリアの所得水準の代 理変数と考えられる。 このように推計されたモデルの下で,環境ラベルの効果を見ると,環境ラベルが存在しない 24 巡回型とは,管理人が一日,または一週間のうちに,決められた時間のみを管理のために巡回し,管理業務を行 うものをいう。 25 日勤型は,管理人がマンションに住むことなく一日のうちに,決められた時間のみ通勤し,管理業務を行うもの をいう。 26 常勤型は,管理人がマンションに住み,管理業務を行うものをいう。 22 マンションと比較して,環境ラベルが存在するマンションでは売り出し価格ベースで 5.8% 価 格が高くなっていた。つまり,生産者においては,環境性能が高いマンションをより高い価格 で販売しようとしていたのである。しかし,取引価格ベースでは 4.7%(5.8%-1.1%) へと減少 している。生産者は 5.8% 程度高く販売しようと努力したものの,実際の市場での評価は 4.7% にとどまっていたことがわかった。 Model(2): 購入者特性を考慮したモデル Model(1) に,購入者特性を加えてみよう。Model(2) の推計結果を見ると,世帯主の所得,そして年齢が高く,家族規模が大きい場合には,より高 いマンションを購入していた。年齢が高くなるほどに所得が高くなるといった日本の雇用制度 (年功序列) を考えれば,所得と年齢との間に一定の相関関係があると予想される。また,年齢 には,資産形成期間が長くなることにより,資産の大きさと相関関係が生じる側面をも持つ。 そのため年齢は,現段階の所得水準だけでなく,過去の資産蓄積の効果が反映されているもの と考えられよう。 一方,住宅購入者が第一次取得者の場合 (初めて住宅購入をする場合) では 1.4% 価格が低 くなっていた。この推計値は,第一次取得者層が相対的に年齢が低く,所得が低いということ を考えれば,年齢・所得の代理変数ではないかとも考えられる。しかし,世帯主の所得や年齢 をコントロール (所得または年齢が高くなるほどに価格が高くなっている) しても,なお残る 効果である。 また,職業によっても価格差が生まれている。その背景には,現在の年収,年齢とは独立に, 将来の年収やその年収の確実性 (安定性) を代理する変数となっている可能性が考えられる。 例えば,雇用形態においては,一般のサラリーマンを基準にすると,公務員・団体職員は 0.5% 程度高く,医師・弁護士・会計士・税理士では 7.2% 高い価格で契約している。職種に ついては,専門職で 1.1% ,管理職で 2.5% ,会社役員で 3.0% 高い価格となっている。さら に,業種は,すべての業種についてダミー変数を投入し調べたものの,金融・証券・保険だけ が 1.6% 程度高くなっていることを示した。 このような年収や雇用形態による差別化が住宅価格の違いを生み出しているのは,前節で整 理した経済理論的な背景を裏付けるものである。つまり,ヘドニック経済理論が示すように, 一般に「専有面積」の大きさや「最寄駅までの距離」や「都心までの時間」といった建物性能 だけでは,価格差を説明できないことを示している。 このように改善されたヘドニック関数における環境ラベルの効果を見ると,売り出し価格で 5.78% とほとんど変わらず,取引価格ベースでも 4.6%(5.7%-1.1%) の効果が存在している。 以上のように,従来,多くのヘドニック関数の推計において採択されてきた変数を大幅に改 善し,購入者特性までも考慮した関数においてですら,環境ラベルの有無によって 4.6% 程度 の価値が見出されていた。この結果は,吉田・清水 (2012) と整合的である。 Model(3): 時間効果の分析 続いて,グリーンビルの追加的経済価値が時間的にどのように 変化してきたのかを見よう。 まず,売り出し価格ベースでは,2005 年で 5.8% ,2006 年で 4.1% ,2007 年で 4.5% ,2008 年で 8.5% ,2009 年で 10.5% と上昇していくが,2010 年には効果が見られなくなっている。 また,取引価格ダミーとのクロス項からは,2007 年,2010 年は環境ラベルが追加的経済価値 に及ぼす効果に,売り出し価格と取引価格の間で差異が存在していなかったことが示された。 23 表 3: ヘドニック関数の推定結果 Model (1) 回帰係数 G : 環境ビル効果 G : グリーンビルダミー GT : G × T G × 2005年ダミー G × 2006年ダミー G × 2007年ダミー G × 2008年ダミー G × 2009年ダミー G × 2010年ダミー GT × 2005年ダミー GT × 2006年ダミー GT × 2007年ダミー GT × 2008年ダミー GT × 2009年ダミー GT × 2010年ダミー X : 建物属性 S: 専有面積 TS:最寄駅までの距離 Bus:バス圏ダミー TS×Bus 総分譲面積 設計住宅性能評価書付ダミー 設計+建設住宅性能評価書付ダミー 管理費・維持修繕費 管理形態:日勤ダミー 管理形態:常駐ダミー 一般借地権ダミー 定期借地権ダミー 角部屋ダミー SRCダミー MK : 市場特性 初月成約率 NE : 周辺環境特性 東京駅までの時間 容積率 都市計画用途ダミー: 商業系用途 都市計画用途ダミー: 工業系用途 500mメッシュ: 建物階数・平均 500mメッシュ: 建物階数・標準偏差 500mメッシュ: 65歳以上人口 500mメッシュ: 借家世帯 500mメッシュ: 専門的・技術的職業従事者 HH : 購入者特性 所得:百万円 世帯主年齢 世帯人数 第一取得層(初めての住宅購入)ダミー 投資用(居住目的以外)ダミー (雇用形態ダミー) 雇用形態:公務員ダミー 雇用形態:医師・弁護士・税理士・会計士ダミー (職種ダミー) 職種:専門職 職種:管理職 職種:会社役員 (業種ダミー) 業種:金融・証券・保険 D : 時間ダミー* その他,ダミー変数 Model (2) t値 回帰係数 Model (3) t値 回帰係数 t値 0.0584 -0.0111 - 16.57 -2.68 - 0.0578 -0.0111 - 16.58 -2.71 - 0.0578 0.0414 0.0448 0.0848 0.1048 0.0372 -0.0490 -0.0034 0.0108 -0.0358 -0.0294 0.0073 - 0.015 -0.010 -0.202 0.010 0.000 0.007 0.006 0.007 -0.003 0.022 -0.011 -0.038 0.022 0.025 74.13 -46.00 -15.15 10.17 0.99 2.75 3.12 10.63 -1.32 7.82 -4.86 -4.69 12.25 13025.00 0.014 -0.009 -0.195 0.010 0.000 0.007 0.006 0.007 -0.005 0.018 -0.008 -0.037 0.020 0.020 61.25 -45.25 -14.75 9.91 1.13 2.73 2.92 10.83 -2.34 6.59 -3.56 -4.60 11.71 11.60 0.014 -0.009 -0.200 0.010 0.000 0.007 0.006 0.007 -0.004 0.019 -0.007 -0.037 0.020 0.025 61.04 -44.82 -14.98 10.31 1.60 2.59 2.85 10.77 -1.77 6.60 -3.35 -4.57 11.81 13.15 0.004 0.99 0.003 0.85 0.003 0.87 -0.002 -0.001 -0.007 -0.040 0.029 -0.018 -0.016 -0.050 0.291 -11.67 -1.15 -2.79 -20.51 15.35 -15.36 -3.57 -17.11 25.97 -0.002 -0.001 -0.006 -0.039 0.027 -0.017 -0.015 -0.048 0.284 -11.52 -1.51 -2.58 -20.17 14.72 -14.43 -3.39 -16.49 25.80 -0.002 -0.002 -0.006 -0.039 0.027 -0.017 -0.015 -0.048 0.284 -11.59 -1.59 -2.59 -20.11 14.72 -14.38 -3.36 -16.54 25.77 2.92 4.76 4.98 10.64 14.16 6.59 -1.97 -0.30 0.99 -2.86 -3.65 1.17 - - 0.023 0.001 0.003 -0.014 -0.085 5.14 7.04 2.04 -7.32 -6.07 0.023 0.001 0.003 -0.014 -0.086 5.24 7.07 2.06 -7.24 -6.06 - - 0.005 0.072 1.91 13.12 0.005 0.072 1.93 13.18 - - 0.011 0.025 0.030 5.11 11.15 6.60 0.011 0.025 0.030 5.21 11.20 6.71 - 0.016 Yes Yes Yes Yes 24 7.50 0.016 Yes Yes 7.60 表 4: 環境ラベルの効果 Model (1) 回帰係数 G : 環境ビル効果 G : グリーンビルダミー GT : G × T G × 2005年ダミー G × 2006年ダミー G × 2007年ダミー G × 2008年ダミー G × 2009年ダミー G × 2010年ダミー GT × 2005年ダミー GT × 2006年ダミー GT × 2007年ダミー GT × 2008年ダミー GT × 2009年ダミー GT × 2010年ダミー 0.0584 -0.0111 - t値 16.570 -2.680 - Model (2) 回帰係数 0.0578 -0.0111 - t値 16.580 -2.710 - Model (3) 回帰係数 0.0578 0.0414 0.0448 0.0848 0.1048 0.0372 -0.0490 -0.0034 0.0108 -0.0358 -0.0294 0.0073 t値 2.920 4.760 4.980 10.640 14.160 6.590 -1.970 -0.300 0.990 -2.860 -3.650 1.170 2005 年に売り出し価格ベースで 5.8% と推計された追加的経済価値は,取引価格ベースで は 0.9% に止まり (5.8%-4.9%),環境ラベルの価値がほとんどなかったことを示す。その後は 2006 年に 3.8%(4.1%-0.34%) の追加的価値が存在し,2007 年は 4.5% と売り出し価格での 効果と変わりなく,2008 年では 4.9%(8.5%-3.6%),2009 年で 7.5%(10.5%-3.0%) と増加して いったことがわかった。 A.4 グリーンビルは経済価値を持つのか?-実証分析からわかること- グリーンビルの追加的経済価値は存在するのか。本研究では,多くの先行研究と同様に,東 京都新築マンション市場を対象としてヘドニック関数を推計することによって,この問題に答 えることとした。ここでは,グリーンビルの環境価値を,東京都マンション環境性能表示制度 において,一定の環境性能があると認められることを示したラベルがマンションに付与されて いるかどうかによって,どの程度の住宅価格差が生まれているのかに注目した。 ヘドニック関数の推計においては,多くの先行研究によって採用されている変数を用いた 「標準モデル (Model(1))」から出発した。 さらに,ヘドニック理論に忠実に購入者特性を考慮したモデルへと拡張した (Model(2))。続 いて,時間の経過に伴う効果の変化をも分析した (Model(3))。 標準的な建物特性・立地特性・エリア特性に配慮したヘドニックモデルにおいては (Model(1)), 環境ラベルの効果は環境ラベルが存在しないマンションと比較して,売り出し価格ベースで 5.8% ,取引価格ベースで 4.7%(5.8%-1.1%) のプレミアム価値が存在していることがわかっ た。さらに,モデルを拡張して購入者の特性をも加えたが (Model(2)),Model(1) の結果を大 きく変化させることはなかった。つまり,ヘドニック理論が前提とする,現在収集可能と考え られる限りの変数を投入したときも,環境ラベルの追加的経済価値が存在することがわかっ た。そのため,ここで得られた結果には,一定の信頼性があるといってよい。 また,プレミアムの時間的な変化を見ると,取引価格ベースでは,2005 年では 0.9% と限定 的であったものの,2006 年で 3.8% ,2007 年は 4.5% ,2008 年では 4.9% ,2009 年で 7.5% 25 へと上昇し,2010 年にはその価値が見出されなくなっている。2010 年の結果を除けば,環境 ラベルの効果は時間とともに大きくなってきていたことがわかる。その理由として考えれるの は,東京マンション市場においてグリーンビルに対する認知度が高まってきており,さらに, その価値に対して積極的に投資しようとする購入者層が拡大してきている,といったことが考 えられよう。 しかし,残された課題は少なくない。まず,環境ラベルの効果を識別するための変数として 採用した環境ラベルの正確性の問題が指摘できよう。現在の制度では,開発者による申告に基 づくものであるとともに,開発時の予想される環境性能を示しているにすぎない。このことは, 環境ラベルをどのように定義するのかによっても結果は当然大きく変わることを意味する。 加えて,ここで推計されたグリーンビルの追加的経済価値が,開発費用と比較してどの程度 吸収できているのかを比較していかなければ,今後の政策推進には利用することができない。 4.6% というプレミアムは,追加的な開発費用と比較してまだ低すぎる可能性があるものと予 想される。 さらに,グリーンビル政策を推進していく中では,既存住宅 (中古住宅) 市場に対してどの ように普及させていくのか,という問題が残されている。現行の制度では,新規開発物件だけ が対象となっているが,今後は既存住宅市場が拡大していくことが予想されることから,既 存ストックへの対応を検討しなければならない。とりわけ,購入者は住宅の選択においては, 強い予算制約のもとで意思決定をしている場合が多い。そして,人口構成の急激な変化を通じ て,最も大きく住宅需要を発生させる住宅取得層の 30 歳代,40 歳代の人口が大きく減少して いこうとしている。そのような中では,予算制約がますます厳しくなっていくことが予想され ることから,引き続きグリーンビルに対して一定の追加的価値を見出し続けるかどうかを注 視していく必要があろう。また,このようなグリーンビルの経済価値は,今後,どのような環 境規制が実施されるのかによっても大きく変化してしまう (Takagi and Shimizu(2010))。 また,オフィス市場への適用も大きな課題である。菅田・川村・清水 (2011) の研究が示す ように,オフィス市場においてはより限定的な効果しか見出すことができていない。 グリーンビル政策を進めていくためには,経済価値がどの程度見込めるのかを正確に推計し ていかなければならない。これらの政策的な課題と合わせて,研究者が取り組まなければなら ない役割は少なくないものと考える。 参考文献 [1] Banfi, S., Farsi, M., Filippini, M., and Jakob, M. (2005), “Willingness to Pay for Energy-Saving Measures in Residential Buildings,” CEPE Working Paper, No. 41. [2] Dian, T.M., and Miranowski, J. (1989), “Estimating the Implicit Price of Energy Efficiency Improvements in the Residential Housing Market—A Hedonic Approach,” Journal of Urban Economics, 25, pp. 52-67. [3] Eichholtz, P., Kok, N., and Quigley, J.M. (2009a), “Doing Well by Doing Good? Green Office Buildings,” Berkeley Program on Housing and Urban Policy Working Papers, W08-001. 26 [4] Eichholtz, P., Kok, N., and Quigley, J.M. (2009b), “Why Do Companies Rent Green? Real Property and Corporate Social Responsibility,” Berkeley Program on Housing and Urban Policy Working Papers, W09-004. [5] Ekeland, I., J. J. Heckman and L. Nesheim, (2004), “Identification and Estimation of Hedonic Models”, Journal of Political Economy, 112, pp.60-109. 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(2010), “Will green buildings be appropriately valued by the market?,”RIPESS (Reitaku Institute of Political Economics and Social Studies) Working Paper,No.40. [13] Shimizu, C., K.G.Nishimura, and K.Karato, (2007), “Nonlinearity of Housing Price Structure: the Secondhand Condominium Market in the Tokyo Metropolitan Area,” CSIS (University of Tokyo) Discussion Paper, No. 86. [14] Takagi,Y and C.Shimizu,C(2010), “The Environment and Real-Estate Investment:Responsible property investing,”Business Ethics and Compliance Research Center Working Paper(Reitaku University),No.6. [15] Tinbergen, J., (1959), “On the theory of income distribution”, in: L.M.K.L.H. Klaasen and H.J. Witteveen, eds, Selected Paper of Jan Tinbergen (North-Holland, Amsterdam). [16] 東京都不動産鑑定士協会(2010)「不動産の環境配慮と資産価格:東京のマンションに よる実証」 27 [17] 吉田二郎・清水千弘 (2012), 「環境配慮型建築物が不動産価格に与える影響:日本の新築 マンションのケース」住宅土地経済,No.83,pp20-32. 28 A 付論 2. 環境建築物の経済価値に関する経済理論的基礎:ヘド ニック・アプローチ27 A.1 市場価格と品質属性 消費者が購入することができる財やサービスの商品の数は,数百万にも上る。これらの財や サービスに加えて,経済社会における商取引または生産活動においては,さらに多くの商品が 取引されている。仮に,生産または消費される財を,地域や季節,または一日のうちにおける 時間によって区分すれば,先進主要国において毎年取引されるの財やサービスの数は,さらに 多くなる。しかし,多くのマクロ経済モデルにおいては,限定した財やサービスを取り扱って いるにすぎない。多くの場合では,支出,労働力,そして資本に集約してしまっている。応用 ミクロ経済学において利用されている変数の数も,せいぜい数十である。さらに,この問題を 複雑化するのが,市場に出回っている商品の多くは使用目的が同じであったとしても,性能や 機能面で差別化が図られているということである。 性能や機能面での違いはその商品の市場価格に反映される。同時に,その商品独自の性能や 機能に対する消費者の評価もまた市場で決まる価格に反映されている。Lancaster(1966) は消 費者の効用が商品そのものではなく,商品を構成するさまざまな性能や機能などに依存してい ることを想定した消費者行動の理論的分析をおこなった。商品の市場価格はさまざまな性能や 機能に対する需要と供給によって決まると考えられる。ただし,性能や機能に関する市場は必 ずしも陽表的ではなく,商品価格決定の背後に隠れてしまっている。Lancaster の狙いはこの ような背後にあるメカニズムを明示的に扱い,市場均衡理論の枠組みで消費者行動を分析す ることにあった。 つまり,伝統的な価格理論では,一物一価の法則が市場分析を行ううえでの有効な仮定とな るが,Lancaster(1966) は,この仮定は差別化された商品を扱ううえで理論的に(そして実証 分析を行ううえでも)きわめて不都合であると考えたのである。 さらに,Rosen(1974) はこのような属性の束としての商品価格データが,どのような市場メ カニズムで発生するのかを理論的に解明した。Quigley(1982) が指摘しているように,Rosen 以前の研究でも,住宅のような属性の束からなる商品と一般の商品との間の違いについて分析 を試みている研究が存在する。しかし,データ発生プロセスをどのように記述するかという観 点から見て,ヘドニック価格関数は正しく理解されていなかったと言える。Rosen の研究は, Tinbergen(1959) の提起による差別化された生産物の市場均衡理論を発展させたものである。 商品供給者のオファー関数(offer function),商品需要者の付け値関数 (bid function) および ヘドニック価格関数の構造との間の関係を厳密に検討し,商品の市場価格を消費者および生産 者の行動から特徴づけている。実際に実証分析を行ってはいないものの,計量経済学的な推定 手順についての概略も示している。また,Witte, Sumka and Erekson (1979) は Rosen 理論 を元に具体的に実証分析し,その後,多くの市場を対象としてヘドニック理論に基づく実証研 究がおこなわれていったのである。 ヘドニック理論に基づく実証分析では,ある商品の価格をさまざまな性能や機能の価値の集 合体(属性の束)とみなし,統計学における回帰分析のテクニックを利用して商品価格を推定 する。商品価格は属性の束からなる方程式で表現され,このような式をヘドニック価格関数と 27 清水千弘・唐渡広志 (2007), 『不動産市場の計量経済分析』朝倉書店,第 2 章を加筆・修正をしたものである。 29 よぶ。 住宅市場は,同室の財が存在しないという特性を持つことから,ヘドニック理論に基づく実 証分析が最も行われた市場の一つである。土地や住宅などは,属性の束からなる財・サービ スと考えることもできる。土地は,広さ,形状,地形や地盤などの他に周囲の環境条件によっ てもその価値は異なる。住宅であれば,これらのことに加えて,部屋数,庭やバルコニーの広 さ,トイレ・台所・風呂などの水まわり設備,耐震に対する建築構造などの属性が関連してい る。したがって,地価,住宅価格,家賃などを推定する際にも,ヘドニック価格関数を定式化 したうえでこの手法が応用できるのである。 A.2 ヘドニック価格関数の推定 Rosen 理論では,単純化されたケース(生産者を同質に扱うケース)においてすら,ヘド ニック価格関数から選好や技術の構造を識別するためには非常に複雑な解析を必要とする。 Epple(1987) は多数の消費者と生産者を想定したうえで,Rosen 理論を発展させた計量経済モ デルを定式化している。Rosen 理論の問題点は,需要と供給からなる構造方程式において,同 時性バイアスが生じるケースを排除できない点である。もし,重要な属性が観察されておら ず,それらが観察された属性と相関している場合には,均衡におけるヘドニック価格関数の観 察された属性の係数推定量には不偏性もなければ一致性もない。分析者は常に必要な属性を 観察できるわけではなく,ヘドニック・アプローチの利用するうえで最も注意すべき問題点の 一つである。 この点に関して,Epple のモデルは観測誤差を正確に処理できるヘドニック価格関数を提起 するアプローチとなっている。ただし,このアプローチは効用関数に次の先見的な仮定をおい たうえで,閉じた市場均衡におけるヘドニック価格関数を導き出し,推定を行うことになる。 •効用関数の関数型はすべての消費者について同質である。ただし,選好パラメータが正規 分布に従う(共分散は非対角要素が 0 の対角行列)。 •消費者の効用関数は属性変数が加法分離的で 2 次形式である。 •差別化された商品の供給が外生的に与えられている。 上記は経済主体間の相互作用がないこと,および市場均衡におけるヘドニック価格関数が描 写できるように実現可能な関数型を想定しており,決定的な仮定である。 A.2.1 付け値関数 ヘドニック・アプローチの理論的枠組みを Rosen(1974) および Epple(1987) にしたがって 示そう。K × 1 の属性ベクトル X(属性の束)からなる住宅の需要を考える。属性の束で示 される住宅の市場価格関数を P (X) としよう。消費者の効用関数を u (c, X; A) と書く。ここ で,c は価格が 1 に基準化された価値尺度財(スカラー),A は消費者個人を特徴付ける選好 パラメータのベクトルである。消費者の所得を I とするとき,予算制約式は I = P (X) + c と なる。消費者の所得と選好の分布を確率密度関数で考え,これを結合確率密度関数 f (I, A) で 表わす。 与えられた予算制約のもとで,(c, X) について効用を最大化するとき,次の最適化条件が得 られる。 30 ∂ ∂X u (I − P (X) , X; ∂ ∂c u (I − P (X) , X; A) A) = PX (X) (7) ここで,PX は属性の 1 階微分を示している。すなわち,最適な属性の選択は合成財に対す る個々の属性の限界代替率が住宅市場価格の限界的価値に等しいところで決定される。住宅市 場価格の限界的価値は需要者がその属性に対して支払ってもよい (willingness to pay) と考え る属性の価値に等しくなっている。したがって,個々の属性価値を調べるためには,市場価格 関数 P (X) における各属性の微係数を知る必要がある。 需要者が住宅に対して支払ってもよいと考える最大の価格のことを付け値(bid price)とよ ぶ。これを θ という記号で定義する。いま,ある一定の効用水準 u∗ のもとで選択された属性 の束が X∗ であるとき u (I − P (X∗ ) , X∗ ; A) = u∗ = u (I − θ, X; A) (8) である。したがって,付け値と属性の関係を示す付け値関数は,この効用関数のもとで θ = θ (X, I, u; A) と陽表的に示すことができる。すると,効用が最大化されるとき,任意の f (I, A) のもとで ∂ θ (X∗ ; u∗ , I, A) (9) ∂X でなければならない。このことは,市場価格関数の勾配が所得の限界効用に対する属性の限界 効用に等しいだけでなく,付け値関数の勾配にも等しくなっていなければならないことを示し PX (X∗ ) = ている。 ヘドニック・アプローチとは,住宅価格を住宅のさまざまな属性に回帰させたモデルを推定 することによって,各属性の価値を予測する手法である。ヘドニック価格関数を 1 次近似す ると P (X) ∼ = P̃ + ( ) ∑ ∂P X̃ k ∂Xk Xk (10) であるから,ヘドニック価格関数はさまざまな属性の限界的価値の線型結合式とみなせる。例 えば,第 i 属性ベクトル Xi = (Xi1 , Xi2 , · · · , XiK ) に住宅市場価格 Pi を回帰させた古典的な 線型回帰モデルは Pi = β0 + K ∑ βk Xik + ui (i = 1, 2, · · · , n) (11) k=1 と表現される。ここで,β1 , β2 , · · · , βK は住宅属性の限界的価値を示す未知パラメータであり, ui は撹乱項である。しかしながら,この線型近似式だけでは多数の消費者の選好を反映した ヘドニック価格関数かどうかを識別する手がかりはない。生産者の行動も考慮に入れてモデル を閉じて,均衡状態のヘドニック価格関数を描写する必要がある。 31 A.2.2 市場均衡とヘドニック価格関数 数式 (11) の左辺は住宅市場の需給均衡で決まる市場価格であるから,生産者の行動も描 写しなければモデルを閉じることができない。住宅のように差別化された商品の費用関数を C (X, M ; B) とする。ここで,M は建設される住宅の数を示しており,B は各生産者を特徴 づけるパラメータ・ベクトルである。B の分布は確率密度関数 g (B) で与えられているものと する。生産者は住宅市場価格を所与として,次の利潤を最大化する属性の束を決定する。 π = P (X) M − C (X, M ; B) (12) 生産者の行動は,短期か長期かによっても異なり,Rosen が示したように短期には 2 パター ンの状況を想定できる。 • 生産者にとって M だけが可変的な短期経済 • M および X のどちらも可変的な短期経済 長期の経済では固定資本(費用関数に明示されていない)も可変的になり,参入・退出の自 由が認められる。ここでは,二つめの短期経済を想定して,次の最適化条件を得る。 PX (X) = 1 ∂ · C (X, M ; B) M ∂X (13) ∂ C (X, M ; B) (14) ∂M (13) より各生産者は属性の限界的価値が住宅 1 単位あたりの属性の限界費用に等しく,そし て,数式 (14) より与えられた属性の束のもとで,住宅の市場価格は任意の生産技術をもつ生 P (X) = 産者の住宅生産限界費用に等しくなければならない。このとき達成される最大利潤はパラメー タ B によって異なる。 ある一定の利潤 π ∗ のもとでの最適な属性の束 X∗ と生産個数 M ∗ を選択しているものとし よう。このとき,生産者が提示できる最低の価格(オファー価格)を ϕ という記号で表わす。 すなわち, ϕM − C (X, M ; B) = π ∗ = P (X∗ ) M ∗ − C (X∗ , M ∗ ; B) (15) である。 この式は,一定の π ∗ のもとで ϕ が (X, M) とどのような関係を持つのかを示している。(14) より,ϕ = ∂C (X, M ; B)(であるから,これを )M について解き,利潤定義式に代入すると, π ∗ = ϕM̃ (X, ϕ; B) − C X, M̃ (X, ϕ; B) ; B が得られる。すなわち,この関係より,オ ファー関数は ϕ = ϕ (X; π ∗ , B) と書くことができる。(13) より,利潤が最大化されている とき PX (X∗ ) = ∂ ϕ (X∗ ; π ∗ , B) ∂X (16) でなければならない。 X に対応したあらゆるタイプの住宅の需要と供給とが等しくなるところで市場均衡が成立 し,市場価格 P (X) が得られる。(9) と (16) より,属性の付け値関数とオファー関数との接線 32 P X1 図 1: 属性に関する付け値関数,オファー関数,市場価格関数 の軌跡として均衡における市場価格 P (X) を表わすことができる。すなわち,市場をクリア する価格関数は消費者の付け値関数と生産者のオファー関数との包絡線でなければならない。 1 は第 1 番目の属性 X1 に関する付け値関数とオファー関数の接線上に市場価格が成立してい ) ( ることを示している。曲線 P X1 , X∗−1 は,X1 以外の属性ベクトル X−1 が X∗−1 において最 適化されているとき,さまざまな消費者と生産者との間で成立する市場価格の軌跡を示して いる。 Epple(1987) が指摘したように,市場をクリアするヘドニック価格関数は消費者の所得と選 好の確率分布 f (I, A) と生産者のパラメータ分布 g (B) に依存して決まる。もし,生産者が 1 タイプしか存在しなければ,限界費用関数そのものが市場価格関数になる。限界費用と付け値 関数の傾きとが等しくなるところで市場がクリアするので,その包絡線は 1 生産者の限界費 用関数に一致するからである。 A.3 識別問題と一致性 選好および生産技術を先見的に仮定でもしない限り,ヘドニック・アプローチでは P (X) の 関数型は一般的に未知であり,付け値関数とオファー関数との同時推定から統計的に市場価格 を推定する方法が採られる。 Witte, Sumka and Erekson (1979) による推定は次のように行われた。はじめに,4 つの都市 にグルーピングして市場を分割し,市場価格関数を敷地規模,床面積,近隣環境および近接性など の属性およびそれらの交差項に回帰させ,推定値を利用して属性の限界価値 Pi (X) = ∂P /∂Xi を計測する。これを利用すると,属性 i = 1, 2, · · · , n について,次の付け値関数とオファー関 数の 1 階微分が定義できる。 [ ] ∂ Pi (X) = D (X1 , · · · , Xn , I, A) = θ (X1 , · · · , Xn , I, A) ∂Xi 33 (17) ] [ ∂ Pi (X) = S (X1 , · · · , Xn , M, B) = ϕ (X1 , · · · , Xn , M, B) ∂Xi (18) 属性の需要と供給に関する 2n 本の ( 27) と ( 28) を同時推定し最終的な属性の限界価値を 決定する。Witte らの研究では 3 つの属性に関して 6 本の式を同時推定している。 しかしながら,Brown and Rosen (1982) が指摘しているように,この方法による 2 段階目 の推定値は属性の需要を正しく識別することができない。例えば,ある属性 Xi の需要が,次 のように推定されたヘドニック価格 Pi = P ′ (Xi ) の関数であるとしよう。 Xi = b0 + b1 Pi + ui (19) ただし,真のパラメータは b1 < 0 であり,ui は撹乱項であると仮定する。もし,ある消 費者の属性需要 Xi∗ がデータとして観察されると,市場均衡では P ′ (Xi∗ ) = θ′ (Xi∗ ) が成立 している。すなわち,撹乱項 ui がほとんど 0 の場合である。いま,Xi0 ≤ Xi∗ ≤ Xi1 を満た ) ( す Xi0 , Xi1 について,ui < 0 ならば Xi0 を,ui > 0 ならば Xi0 を,ui > 0 ならば Xi1 を ( ) ( ) 需要するものとしよう。すなわち,ui < 0 ならば P ′ Xi0 ≤ θ′ Xi0 であり,ui > 0 ならば ) ) ( ( P ′ Xi1 ≥ θ′ Xi1 となる。図 22 のように,市場価格が凸関数,付け値関数が凹関数のとき, ) ( ( ) ( ) P ′′ (Xi∗ ) ≥ 0 および θ′′ (Xi∗ ) ≤ 0 である。θ′ Xi0 > θ′ Xi1 であるから Xi0 ≤ Xi1 ,b1 < 0 ( ) ( ) と仮定したことと整合的である。しかしながら, P ′ Xi0 < P ′ Xi1 であるから,推定され たヘドニック価格を利用すると,ui の値によっては Xi0 ≤ Xi1 と成り得る。したがって,b1 の 推定値 b̂1 は上方にバイアスがあり正となる可能性すらある。 この結果は ui と Pi との間の相関によってもたらされたものである。これを相関係数 ρuPi で表すと,b̂1 の確率極限は p lim b̂1 = b1 + ρuPi (σu /σpi ) (20) となる。ここで,σu , σPi はそれぞれ ui とと Pi の標準偏差である。したがって,サンプル・サ イズが増えたとしても,ui と Pi との間の相関がある限り一致性は得られない。上述のように P ′′ (Xi∗ ) ≥ 0 のとき,ρuPi は正であるから正しい属性需要を推定することはできない。この 根本はヘドニック価格が内生変数であることから生じる同時方程式バイアスにある。 A.4 関数型 所得や個人属性に関するデータがない場合には,付け値ではなく市場価格関数を推定するので, 上記のような過大推定の問題が起こりやすい。また,所得や個人属性に関するデータがあったと しても,付け値関数と市場価格関数の勾配が一致する点以外での,あらゆる属性のレベルに対応 した付け値を推定すること,すなわち付け値の関数型を統計的に決定することはほとんど不可能 である。こうした問題を回避するための一つの方法は,効用関数を先見的に仮定したうえで,付 け値関数の形状を決定しておき,それを推定する方法である。Quigley(1982) および Kanemoto and Nakamura(1986) は一般化 CES(generalized constant elasticity of substitution)型効用 関数から付け値関数を導き,均衡におけるヘドニック価格を推定している。 付け値関数の形状に先見的な制約を課す場合でも,ヘドニック価格関数は統計的に関数型が選 択されなければならない。推定が簡便なことから,線型および対数線型は最も広く用いられてい 34 図 2: ヘドニック価格の内生性とバイアス 35 る。Witte, Sumka and Erekson (1979),Brown and Rosen (1982) および Epple (1987) では交 差項を含む 2 次形式を利用している。また,Linneman (1980) および Cassel and Mendelsohn (1985) は Box-Cox 変換した属性効果の非線型推定を行なっている。ただし,属性の非線型効 果を推定することで,理論値のフィットが良くなったとしても,属性価格の安定的な推定結果 を得るという本来の目標を完遂できるわけではない。Cropper, Deck and McConnell (1988) は線型,半対数型,両対数型,Box-Cox 変換型,2 次形式,2 次形式の Box-Cox 変換型の 6 タイプを比較検討している。推定されたヘドニック価格関数から,Diewert 型およびトランス ログ型効用関数に戻した場合,Box-Cox 変換型の属性価格の標準偏差が最も小さく,最もパ フォーマンスが良い。線型,半対数型,両対数型などの関数型は概してパフォーマンスが良く ないことが示されている。 近年,ヘドニック価格関数をパラメトリックな関数型で特定化する代わりに,ノン・パラ メトリック法あるいはセミ・パラメトリック法を利用する研究も提案されている。これらの アプローチは関数型をあらかじめ特定化することなく,データから直接的に属性価格を推定 する (Knight, Hill and Sirmans (1993),Anglin and Gencay (1996),Pace (1995),Ekeland, Heckman and Nesheim (2004))。ただし,パラメトリックな分析手法と同様に,データ上の問 題点(多重共線性)から解放されないことも指摘されている。Anglin and Gencay (1996) は, パラメトリック対ノンパラメトリックのモデル選択に関する検定において,パラメトリック・ モデルは比較的棄却されやすい事実を示している。パラメトリック・モデルの変数構成が貧弱 だからというわけではなく,モデル選択に関する標準的な検定をいくつもパスしたパラメト リック・モデルにおいてすら,そのような結果になることが示されている。Pace (1998) はよ り柔軟な一般化加法モデル (generalized additive model; GAM) を利用して,セミ・パラメト リック・タイプのヘドニック価格関数を推定しており,あらゆるパラメトリック・モデルに対 する優位性があることを実証している。GAM 自体が統計的手法として確立されているので, このことはノンパラメトリック法のヘドニック・アプローチへの援用が極めて効果的であるこ とを示す結果である。 A.5 グリーンビルの経済価値とヘドニック・アプローチ ヘドニック法は経済理論によるバックグラウンドがしっかりしているため,ヘドニック価格 のひとつひとつの推計値の経済的意味が明快である。したがって,得られる推定結果を解釈す るうえでも,ヘドニック・アプローチはパワフルな分析ツールになる。特に,市場がそもそも 存在しないような商品(非市場財)を属性として含むヘドニック価格推定は,政策形成が困難 な領域における実証的根拠として十分な説得力をもっている。理論的な厳密さと実証分析との 親和性は必ずしも両立しないが,推定上のいくつかの点で,大きな改善が多数の研究者によっ て図られてきた。特に,推定パラメータの性質,関数型,観測誤差などの取扱については大き な発展がみられる。 そのような意味で,グリーンビルのような,市場に既に存在するものの,まだ十分に浸透し ていないような財においても,その応用が可能となるのである。 36 参考文献 [1] Anglin, P. M. and R. Gencay, (1996), “Semiparametric estimation of hedonic price function”, Journal of Applied Econometrics, 11, pp.633-648. [2] Brown, J. N. and H. S. Rosen, (1982), “On the estimation of structural hedonic price model”, Econometrica, 50, pp.765-768. [3] Cassel, E. and Mendelsohn, R, (1985), “The Choice of Functional Forms for Hedonic Price Equations: Comment”, Journal of Urban Economics, Vol.18, pp.135-142. [4] Cropper, M. L., L. B. Deck and K. E. McConnell, (1988), “On the choice of functional form for hedonic price functions”, Review of Economics and Statistics, Vol.70, pp.668-675. [5] Ekeland, I., J. J. Heckman and L. Nesheim, (2004), “Identification and Estimation of Hedonic Models”, Journal of Political Economy, 112, pp.60-109. [6] Epple, D., (1987), “Hedonic Prices and Implicit Markets: Estimating Demand and Supply Functions for Differentiated Products”, Journal of Political Economy, 95, pp.58-80. [7] Knight, J. R., R. C. Hill and C. F. Sirmans, (1993), “Estimation of hedonic housing price models using nonsample information: A Monte Carlo study”, Journal of Urban Economics, 8, pp.47-68. [8] Lancaster, K., (1966), “A new approach to consumer theory”, Journal of Political Economy, 74, pp.132-157. [9] Linneman, P., (1980), “Some empirical results on the nature of the hedonic price function for the urban housing market”, Journal of Urban Economics, 8, pp. 47-68. [10] Pace, R. K., (1995), “Parametric, semiparametric, and nonparametric estimation of characteristic values within mass assessment and hedonic pricing models”, Journal of Real Estate Finance and Economics, 11, pp.195-217. [11] Quigley, J. M., (1982), “Nonlinear Budget Constraints and Consumer Demand: An Application to Public Programs for Residential Housing”, Journal of Urban Economics, 12, pp.177-201. [12] Rosen, S., (1974), “Hedonic Prices and Implicit Markets, Product Differentiation in Pure Competition”, Journal of Political Economy, 82, pp.34-55. [13] Shimizu, C., K.G.Nishimura, and K.Karato, (2007), “Nonlinearity of Housing Price Structure: the Secondhand Condominium Market in the Tokyo Metropolitan Area,” CSIS (University of Tokyo) Discussion Paper, No. 86. [14] 清水千弘・唐渡広志 (2007), 『不動産市場の計量経済分析』朝倉書店. 37 [15] Tinbergen, J., (1959), “On the theory of income distribution”, in: L.M.K.L.H. Klaasen and H.J. Witteveen, eds, Selected Paper of Jan Tinbergen (North-Holland, Amsterdam). [16] Witte, A. D., H. Sumka and J. Erekson, (1979), “An Estimate of a Structural Hedonic Price Model of the Housing Market: An Application of Rosen’s Theory of Implicit Markets”, Econometrica, 47, pp.1151-72. 38
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