同窓会報24号_2012

第 号
月日の経つのは早いもの
であと一年余り、平成 年
日に創立百三十年を
月
諸氏には大変お世話になっ
ています。以下はすでに皆
様のお手元に郵送されたこ
とと思いますが、本事業の
平成 年
2
創立百三十年記念事業協賛
23
月
日に同設立
お願いしたところ、早速ご
▲旧生徒会館と
鏡ヶ丘記念館
協力いただき心から御礼申
平成 年
10
総会が開催されたところで
7
し上げます。お陰様で平成
23
募金委員会が中心とな
会設立準備会が立ち上げら
れ、以降3回の会合を経て、 り、昨年の 月から募金を
す。
迎えることとなりました。
月
25
内容と予算を示したもので
6
日に最初の
10
す。同窓生をはじめ、関係
月末現在で募金額が
し、その施工に向けて取り
で綿密な事業計画を作成
一、募 金 目 標 額 五、
六〇〇万円
一、募 金 額 同窓会員 一口五千円
︵できれば2口以上お願いします。
︶
法人 一口五万円
︵できれば2口以上お願いします。
︶
一般協賛者 随意
一、期
間 平成二十五年九月三十日まで
一、払い込み方法 同封の振込 用 紙でご送金下さい。
︵振込手数料は当方負担︶
一、問い合わせ先 〒〇三六ー八五五八
青森県弘前市新寺町一番地一
青森県立弘前高等学校内
弘高創立百三十年記念事業協賛会事務局
☎〇一七二ー三二ー八五四五
︵FAXとも︶
年
目標額の約3分の1ほどと
まだ募金が足らず、今後と
なりました。
組んでいるところです。
すでに土地寄付整備事業
ただ一方では、目標額で
では寄付された土地の整備、 ある5600万円にはまだ
登記等が昨年の 月に完了
総会案内
平成 年度の鏡ヶ丘同窓会総会を左記のとおり開催
いたしますので、皆様お誘い合わせの上、ご出席下さ
るようお願い申し上げます。
◆ 7月7日︵土︶午後5時より
担当しており、昨年は昭
懇親会でのアトラクショ
ンは当番制で各同期会が
誠にありがたく、衷心よ
協力金をいただきました。
から400万円を超える
は1600名余りの方々
◆ ホテルニューキャッスル 麗峰の間
卒による弘高の歴史を
り御礼を申し上げます。
◆ 会費 7000円
映像と寸劇で語るアトラ
たしております。昨年度
クションで大いに盛り上
この協力金は会報の発
行・発送、ねぷた制作援
助、全国大会出場者への
がりました。
餞別、各地同窓会会合へ
も皆様のさらなるご支援を
今 回 は 昭 卒︵ 佐 藤 記
一・ 代 表 ︶の 出 番 で す。
し、現在すでに駐車場とし
どんな企画が飛び出すか
お願いせざるを得ない状況
にあります。同期の皆様、
て活用させていただいてい
るところで、それに要した
の旅費の負担等に使わせ
経費がこの募金から支払わ
返信用ハガキを事務局ま
なお、ご出席される方
のみ、同封いたしました
す。なお、協力費は年間
しくお願い申し上げま
今後ともご協力の程よろ
ていただいております。
でお誘いいただき、この記
でお送り下さい。
様、さらには職場の皆様等
楽しみです。
れました。
念事業へのご協力をお願い
何口でも結構です。同封
鏡ヶ丘ホームページ
◀土地寄付整備事業で
完成した駐車場
また、鏡ヶ丘記念館整備
委員会、旧生徒会館整備委
ご注意
ご注意 今回の同窓会名簿も長年にわたり取引している㈱廣済堂にお願いし発行します。
㈱廣済堂以外から電話やハガキにて問合せがあった際は、ご返答しないようくれぐれも
ご注意願います。
一口千円で、一口以上、
致します。
同窓会名簿発刊のお知らせ
員会をはじめとする各委員
● B 5版 約 750 頁 ● 価格3,
800円
(消費税、発送費込み。振替手数料は別途。
)
● 平成 24 年 7 月発行
︵旧渉外主任 松本了︶
の振替用紙で郵便局から
ご送金下さい。手数料は
ホームページ URL http://kagamigaoka.com/
管理者メール [email protected]
実 行 委 員 長 大中 実(昭 61 卒)facebook 開始
同窓会が負担します。
■申込み方法
幹 事 太田宏明(昭 39 卒)℡ 0172-32-4071
〃 森山豊三(昭 39 卒)℡ 0172-37-7398
〃 大村嗣郎(昭 30 卒)℡ 0172-38-3626
同窓会運営協力費の
御礼とお願い
毎年、鏡ヶ丘同窓会運
営費のご協力をお願いい
時下、新緑の候、同窓生各位、益々ご清祥のこととお慶び
申し上げます。
扨、 我 々 の先輩でありました坂田二郎氏が創立 100 年を
記念して始ま っ たゴルフコンペも、 第 29 回となりました。
鏡ヶ丘同窓会と同日、同窓の旧交を深めるべく、下記要項の
通り、開催致します。各同窓生の皆様へ、声を掛け合いご参
加下さいますよう、ご案内申し上げます。
日 時 平成 24 年 7 月 7 日(土)午前 7 時 30 分集合
午前 8 時スタート(アウト、イン同時)
場 所 津軽カントリークラブ 百沢コース
競技方法 18 ホールストロークプレー(新ペリア方式)
会 費 3,000 円・プレー代各自(当日受付にて徴収)
会では、それぞれが予算内
鏡ヶ丘同窓会では、今年の 7 月に 5 年ぶりに同窓会名簿改訂版を発行いたします。まだ、
同窓会名簿を申し込みされていない方は今回、同封しました「同窓会名簿発刊についての
お知らせ」ハガキにてお申込ください。追って同窓会名簿専用振替用紙をお送りします。
なお、今回の申込が最後の受付となりますので、購入希望の方はこの機会にお申込下さ
いますようよろしくお願い申し上げます。
募金に大いなるご協力を
24
あるいは最寄りの支部の皆
57
56
鏡ヶ丘同窓会ゴルフコンペのご案内
第29回
学校教育活動への援助
趣意書等の印刷・郵送費等
6
7
8
9
未来の生徒のために!
一丸となって 年を
12
永年勤続者等表彰記念品等
会場費等
5
創立百三十年記念事業始まる
昨年は、未曾有の震災 を、各メディアで拝見させ た運行、教育支援事業を
の後で、放射能汚染、欧 ていただくことが多かった 実施する予定です。
このように期日が差し
州通貨問題、政局の不安 年でもありました。
この間、第1面に記載さ 迫ってまいりましたが、
定と、政治経済の混乱が
続く波乱の年でありまし れておりますように、 年 なにぶん、すべてがお金
記念事業が始動いたしまし のかかることでございま
た。
す。
こうした中、宮城支部 た。
記事に書かれておりま
すように、今のところ、
募金は目標金額の約三分
鏡ヶ丘同窓会会長
の
一しか集まっておりま
中林
裕雄
せ
ん。
︵昭 卒︶
そのようなわけでござ
すでに寄付された土地の いますので、ここは同窓
総会が被災の中で開催さ
れ、 長 年 開 か れ て い な 駐車場整備事業は終わって 生の方々の心意気に期待
かった田舎館支部の復活 います。本年は旧生徒会館 するところであります。
なにとぞ母校のため
な ど、 我 が 同 窓 会 の パ の解体と、鏡ヶ丘記念館の
ワーには目を見張るもの 整備事業、並びに記念誌作 に、未来の生徒たちのた
がございました。また、 成に着手いたします。そし めに、大いなる御寄付を
たくさんの同窓生の活躍 て来年は、記念式典とねぷ お願いいたします。
1
2
3
4
8
25
39
● 募 金 計 画 ●
24
記 念 事 業 行 事 計 画
題字・故 鈴木忠雄名誉会長
公式ホームページ h t t p:/ / k ag amig aok a.com/
3
摘 要
旧生徒会館の解体と倉庫の新設
市民還元を目指した展示方法の改善
寄付された土地の整備
金 額
2,550 万円
1,000 万円
350 万円
300 万円
200 万円
(100万円)
(100万円)
100 万円
340 万円
530 万円
230 万円
5,600 万円
項 目
旧 生 徒 会 館 整 備 費
鏡 ヶ 丘記念館活用整備費
土 地 寄 付 整 備 費
記 念 誌 刊 行 費
記
念
行
事
費
① 記 念 式 典 費
② 祝
賀
会
費
ね ぷ た・ 制 作 運 行 費
教
育
支
援
費
事
務
費
予
備
費
計
鏡ヶ丘同窓会報
(1)
第 24号 平成 24年5月 20日
24
私は、昨年八月の上旬に
び高総文祭書道部門への参
東北三県で行われたイン
たなど、様々な面で得たも
手とも交流することができ
しまいましたが、他県の選
ゴルフと私
ターハイのウエイトリフ
前山 聖耶︵三年︶
る飛躍を目指して今も練習
しています。三月末には全
国高校ゴルフ選手権に出場
しました。
人 事 異 動
平成二十三年度
図書寄贈同窓生一覧
▼昭 卒 工藤慶三郎﹃近松
時代物現代語訳﹁用明天皇
職人鑑﹂
﹄﹃近松時代物現代
語訳﹁関八州繋馬ほか﹂
﹄﹃近
松時代物現代語訳﹁日本振
袖始ほか﹂
﹄﹃日本の国を作
り堅めた神はディオニュソ
スである。Ⅰ∼Ⅳ﹄御遺族
15
全国大会を振り返って
ティング競技に参加しまし
のは多いと思います。
学校が終わると毎日自転車
ンデル﹃ハーバード白熱教
室講義録+東大特別授業
上下﹄ ▼昭 卒 原子慧 弘
前高校自治会誌 昭和 年
度▼昭 卒 立石勝規﹃論説
室の叛乱﹄
︵講談社文庫︶
▼昭 卒 舘田勝弘 陸羯南
会﹃陸羯南会誌 第2号﹄
▼昭 卒 高橋憲三﹃青くあ
れ 高橋憲三詩集﹄▼昭 卒
兼平泰正 比田井天来﹃比
本文学館︶
44
書の一回性
加である。更に今年から二
た。一年生、二年生とイン
で練習場へ行き、七時半頃
37
23
会津
圭悟︵平 卒︶
書道部は、男子一名女子
十七名で活動してきた。三
作品を展示するという新し
年生が、書道室の掲示板に
学校の部活としての活動
ターハイに参加してきたも
ではなかったのですが、ウェ
まで練習しています。休日
34
44
37
39
43
秋元
久弥
年生四人が卒業して十四名
い試みを展開している。生
イトリフティング関係者の
80.5%
39
旧顧問
で活動している。
涯 で 一 回 き り の 十 六 歳・
のの、最後のインターハイ
方々や、顧問の先生、そし
82.3%
33
う不甲斐ないものとなって
主な活動内容は、新入生
のための部活動説明会での
十七歳の、一回きりのある
だということもあり、今ま
83.5%
25
私はゴルフをしています。
部活動ではありませんが、
PRパフォーマンス、弘高
でとは良い意味で少し違っ
77.9%
・
日の、一瞬の、一回きりの
には、コースで作業をした
80.3%
37
線質で書かれた作品を展示
現在 130 年事業に伴い、鏡ヶ丘記念館内の
内部資料を整理しております。寄贈された資料
を破棄することもあり得ます。資料を寄贈され
た方のなかでご心配な方は、一度学校にご連絡
いただくようお願いいたします。
祭での部展示及びパフォー
て応援してくださった方々
後、ラウンドさせてもらっ
129
書 道 部
鏡ヶ丘記念館への寄贈物品についてお願い
マンス、地区高校書道展及
など、多くの理解者に恵ま
278
31
ています。
144
れてこのような舞台に
274
た様な大会に感じました。
している。
結果としては、七位とい
書の魅力の一つは、
﹁ 一 回 性 ﹂ で あ る。 一
私は今年度、日本 ゴル
フ選手権と国体に出場しま
140
立つことができたと思
135
います。そういった人
267
度引いた線は、二度と
271
書けないのである。書
した。日本
ゴルフ選手権
たちに何よりも感謝し
278
き 直 し は で き な い。
では、二日間の予選を突破
することができ、
四十八位タイでし
79.5%
42
たが、とても収穫
のある大会になり
平成24年 平成23年 平成22年 平成21年 平成20年 平成19年
61
ました。国体は青
表2 最近6年間の進学率
枢の崩壊﹄
、 マイケル・ サ
(私立大)
森県代表として、
51
37
4
Jr.
堂々としたゴルフ
表3 過去6年間のおもな大学の合格者数
よ り ▼ 昭 卒 佐 藤 圭 一 郎 田井天来の書﹄▼昭 卒 船
退職/校長・矢本嘉則
転任/教頭・福地 進︵八戸 ﹃岩木川 ∼ みず・ ひと・ し 越素子﹃北奥氣圈 第七號﹄
、
北高校長へ︶教諭・相川省治 ぜん∼①∼⑮﹄︵公開講座・ ﹃文芸弘前﹄編集委員会﹃文
︵青森中央︶松本 了︵八戸高
教頭へ︶小山内進︵青森︶木 講演記録集︶﹃・青森縣岩木 芸弘前 第 号﹄ ▼平2 卒
村真明︵弘前南︶高橋伸光︵弘 川生物調査報告︵第一報・ 山口昌樹 ポ ー ル・ デ・ グ
前実業︶秋元久弥︵五所川原 第 二 報 ︶
﹄ など岩木川に関 ラウエ著 田中素香 山口
工業︶田澤和康︵県総合学校
教育センター指導主事︶千葉 する書籍集▼昭 卒 下山 昌樹訳﹃通貨同盟の経済学
哲也︵三沢︶三浦 航︵木造 一二三﹁下山一二三作品集﹂ ユーロの理論と現状分析
高深浦校舎︶総括事務主幹・
Works of Hifumi Shi- 原書第8版﹄▼昭 卒 原子
伊藤人美︵弘前工業︶技能主
﹃深響第2 慧 青 森 県 文 化 財 保 護 協 会
moyama (CD)・
事・ 西冬樹︵浪岡︶非常勤
創立五十五周
講師・福山直人︵任期満了︶ 番 6つのコントラバスの ﹃ 東 奥 文 化
工藤久美子︵任期満了︶
ための﹄▼昭 卒 寺口秀雄 年記念 第八十二号﹄▼昭
転入/校長・古山哲司︵黒石︶
卒 笠井哲哉 青森県文化
教頭・奈良昌孝︵田名部︶教 美 術 系 図 録 ▼ 昭 卒 西 澤
創
諭・早川博文︵岩木︶佐藤正 郁夫﹃札幌農学校﹄復刻刊 財保護協会﹃東奥文化
幸
︵黒石︶
川口 智︵弘前中央︶
行
会
﹃
札
幌
農
学
校
︱
日
本
近
立五十五周年記念
第
番場泰文︵学校教育課指導主
代精神の源流﹄ ▼昭 卒
八十二号﹄▼昭 卒 今岡洋
事︶桶田久美子︵弘前南︶白
鳥雅史︵青森中央︶三上由美 奈良岡紘子﹃スローピング 子 青 森 県 文 化 財 保 護 協 会
子︵弘前中央︶中村宰和︵六ヶ でピンピン・スタスタ・介 ﹃ 東 奥 文 化 創 立 五 十 五 周
所︶臨時講師・黒滝 亮︵金
▼
昭
卒
長
内
健
護
な
し
﹄
年
記
念 第八十二号﹄▼昭
木高市浦分校︶
勘林登貴子
︵青
卒 福 井 次 郎﹃ 青 森 の 逆
森東平内校舎︶事務主幹・齋 ﹃ 企 業 秘 密 防 衛 の 理 論 と 実
藤 環︵黒石︶技能主事・花 務 営 業 秘 密 を 中 心 と し て 襲 ﹄
︵言視舎︶ ▼昭和 卒
田一彦︵五所川原工業︶非常
5 版﹄
、 古 賀 茂 明﹃ 日 本 中 黒 瀧 睦 子﹃ 一 期 一 会 ﹄
︵日
勤講師・藤田研介・工藤隆文
(国公立大)
ています。本当にあり
1
我々の﹁生﹂と同じで
3
1
ができました。私
昨年
がとうご
3
3
はこれからさらな ︵弘前実業︶
73
ざいまし
3
昨年
再生はできない。だか
今年
らこそ一瞬一瞬が、一
5
た。
平成 24 年 3 月卒業生の進路状況 (3 月 29 日現在)
筆一筆が、勝負なので
5
ある。
6
そんな若い命の﹁匂
昨年
ふ﹂作品が校内随所に
3
溢れることを夢見る昨
6
母校
便り
8
今である。
64
今年
更なく出願した。現役生の
結果は京都大1名、名古屋
名、
大1名、東工大1名、お茶
の水大3名、東北大
北海道大5名であった。
182
28
1
25 174
1
1
2
31 150
19 174
平成 年
入試について
竹内
義雄
進路指導部
弘前大学9名が合格し、今
また、医学部医学科では、
名古屋大1名、東北大3名、
今年度の大学入試セン
ター試験は、全国平均点︵河
419
22
3
3
2
1
3
26 168
25 170
年も青森県の医師不足問題
表1 平成24 年3 月卒業生(272 名)進路状況
28
2
1
合塾推定︶が、900点圧
52
昨年
2
1
1
4
1
2
に貢献できたと思う。
136
138
縮型で、理系が598点、
めざす生徒を育成するよう
に指導しなければならない。
149
78.3%
ウェイト
リフティング部
来年度も ・規律ある自
文系が583点だった。本
校現役生は理系の平均点が 由 ・自学自習 ・体力の
667・8点、 文系の平均 増進 を教育目標に掲げ、
自己を確立し、自己実現を
点が635・0点だった。
難関大の出願状況は、セ
ンター試験前とほとんど変
130
86.1%
卒業者数
26
49
平成24年 平成23年 平成22年 平成21年 平成20年 平成19年
現 過 現 過 現 過 現 過 現 過 現 過
2
1
4
5
2
2
2
9
2
1
6
6
3
2
4
2
3
2
3
2
2
1
1
2
1
6
9 15
3
6
1
8
4
7
4
5
2
7
1
8
8
1
4
1
9
2
2
2
9
4
9
1
7
10
2
4
2
6
1
6
2
1
1
4
2
4
7
7
9
7
4
2 11
1
6
5
7
3
1
1
11
1
5
2
2
150 48 180
126 20 128 38 162 60 128 47
北海道医療
東 北 薬 大
慶 應 大
中 央 大
日
大
明 治 大
立 教 大
早 稲 田 大
立 命 館 大
総 数
127
86.4%
134
1
3
水 女 大
東 京 大
東京外語大
東 京 工 大
1
京 都 大
1
総 数
145
大
大
大
大
大
大
の
136
83.7%
女子
平成24年 平成23年 平成22年 平成21年 平成20年 平成19年
現 過 現 過 現 過 現 過 現 過 現 過
5
5
1
9
1
4
1
7
2 10
1
50 13 69
7 74 11 83
6 76 10 67 11
7
1 11
2
7
9
1
4
12
1
26
2 30
2 35
3 28
4 29
6 26
4
4
1
1
2
3
3
1
2
1
3
4
1
8
4
2 11
2
3
北 海 道
弘 前
岩 手
東 北
筑 波
千 葉
お 茶
142
82.4%
進 学 率 79.0%
84.3%
272
24
Jr.
85.0%
卒業者数
157
150
80.8%
進 学 率 72.1%
全体
170
333
の
今年
進 路 未 定
362
今年
就
卒業者数
ゴルフ部
昨年
職
141
他
進 学
145
そ
進 学 率 64.9%
24
合 格
387
私 立 大 学
受 験
今年
国公立大学
81.3%
男子
平成 24年5月 20日 第 24号 (2)
鏡ヶ丘同窓会報
卒業生へのメッセージ
三浦
士 氏
雅 ︵昭 卒︶
講
師
ベストセラー翻訳家として活躍
文学科に進学した。卒業後
から東大文学部イギリス人
れ、旧 制 弘 前 中、 弘 前 高 校
任を要望されたが、雑用が
なった。後年、文学部長就
で英米文学を講ずることに
たそうだ。
カラで、完璧な紳士﹂だっ
したりしない、上品でハイ
い、教え子たちが男女間の
弘高教授になり、訳あって
いと要望を一蹴、辞表を出
微妙な場面を恥ずかしがっ
島 中
誠
して都立大へと移った。津
増えては翻訳に専念できな
弘高教授のころ、ローレ
ンスの短編を訳出させたさ
中央大学教授に転身、さら
軽人の面目躍如である。こ
て﹁わからない﹂と答えた
︵元
﹁読売新聞﹂記者︶
の間、スタインベック、メル
ところ、顔を赤らめながら
︵昭 卒︶
に都立大学、帝京大学で教
ビル、トウェインなどの名
方の翻訳の優劣が話題に
旧制弘中・弘高OBを含
めた錚々たる大先輩の中
ザ・ライ﹄のタイトルで
鞭をとった。
年前に刊行されて、新旧双
しかし順風満帆とは行か
なかった。弘高教授時代、
で、是非紹介しておきたい
なった。村上訳では主人公
ンジャーの名訳﹃ライ麦畑
よくなりすぎたため、むし
るのである。
て、いっそう親しみを覚え
有望な同僚教師が校長の逆 作を次々に手がけ、名翻訳 もすらすらと和訳したとい
鱗に触れ追放されたさい、 家の名をほしいままにした。 う。そんな同僚先生の目撃
野崎さんは公然とその非民 都立大には、野崎さんの 談を聞くと、野崎さんの純
弘高の後輩にあたる同じ翻 情な一面に触れた思いがし
ろ半世紀前の奔放な野崎訳
訳家の杉浦銀策︵旧姓能登
卒︶名誉教授が
い た。杉浦さんに
谷 ・昭
よ る と、
﹁学生 に
主的手続きに異議をとなえ
でつかまえて﹄が ベ ス ト セ
翻訳家である。
て、内定していた現一橋大
は厳しいが普段は
ちは知的好奇心を刺激され
章 を 受 章 さ れ た。 舞 踏 研
第一人者である。
究、身体論、比較文明論の
高校野球がくれたもの
球談義を展開した時もあっ
た。
同期や前後の先輩・後輩が
過ごしていた。そんな時に
で思い悩み煩悶する日々を
り、 硬 式 野 球 部 の 監 督 に
そして、十数年の月日が
会を用意してくれた。その
経ち、私は母校で教鞭を執
私は、一瞬間をおいて、
﹁友
情 で す。 横 の つ な が り で
す。﹂と答えた。
に 運 び、 決 し て
への転出は夢と消えた。転
た様子で熱心に聞き入って
出書類に校長が﹁この男は
めの渡米に及んだ際だとい
いた。思索を深め、自己と
温厚で、酒席では
う。この逸話には、現在英
過激分子である﹂と記載し
カ ﹄﹃ 現 代 思 想 ﹄ の 元 編 集
語を苦手とする生徒も大い
静かに日本酒を口
長であり、現在は雑誌﹃ダ
進路について考えるまたと
て妨害したためだった。
ンスマガジン﹄の編集長と
に励まされた。
了後には多くの質問があが
酔ったり大声を出
して活躍されている。評論
り、三浦氏は一人一人に丁
路頭に迷う寸前、親切な
同僚の紹介により中央大学
また、氏が影響を受けた
活動では平成 年に紫綬褒
人物、転機となった出来事
寧に答えられた上、特に熱
平成 年 月 日金曜
日、本校第一体育館におい
山 田 陽 子
を 挙 げ た 上 で、﹁ 千 載 一 遇
心な生徒に対しては校長室
三 浦 氏 は 雑 誌﹃ ユ リ イ
ない機会となった。講演終
の機会を逃してはならな
で﹁課外授業﹂を行った。
︵本校教諭︶
い﹂とも述べられた。千載
今年の卒業祝賀会の後、
三浦氏にとっては平成5年
硬式野球部の保護者が二次
だったのではない
学は身体とのかかわり抜き
的 だ と 言 わ れ、﹁ 言 葉 や 文
身体に覚えさせるのが効果
する栄に浴した私たちは千
己﹂を語った。講演を拝聴
る。その評論家が直接﹁自
媒介として自己を表現す
べている。評論家は対象を
ごしてきた。たわいもない
それが当たり前のように過
てきた仲間がいた。当時は、 た。最後には必ずお決まり
んどの時間をともに過ごし
動においても、一年のほと
いに近況報告をした後は、
当時の思い出話に花が咲い
のように﹁甲子園へ連れて
行 っ て く だ さ い。﹂ と 締 め
くくる。励ましに来たのか、
助け、支えになってくれる
れた最高の宝物である。
収められなかったが、この
あった。思うような成績は
存在である。そのような友
一遇とは千年に一度しか出
の開校記念講演以来の母校
プレッシャーをかけに来た
会えないような珍しいこ
訪問である。学校裏手︵最
情を育むのが高校生活であ
三 浦 氏 は 講 演 の 中 で、
卒 ︶を お 招 き し て
﹁グローバル化の時代に自
と、つまり二度とない好機
り、私の場合は高校野球で
分の夢を叶えて生きていく
をいう。人は千年生きるこ
席で、ある保護者が私に質
のかわからなくなる。それ
には英語の能力は
勝院側︶の風景は三浦氏在
問 を し て き た。﹁ 高 校 野 球
はともかく、誠に心地よい
必須である﹂と、
とはできないのだから、す
校当時の面影をとどめてい
で大切なものは何ですか。
﹂ なった。理想と現実の狭間
仲間こそが、高校野球がく
英語学習の重要性
べての機会は千年に一度の
るとのことで、当時の思い
三浦氏は著書﹃出生の秘
密﹄の中で﹁評論もまた対
かと聴衆の多くは
にして考えることはできな
載一遇の機会を得たといえ
小沢に姿を見せてくれた。
予想したはずだ。
い﹂とする氏の身体論の中
る。
笑顔で握手を交わし、お互
しかし意外なこと
枢に話は及んだ。大学の講
自分の高校時代を思いお
象以上に自己を語る﹂と述
こすと、学校生活でも部活
に氏が本当の意味
義のような内容に、生徒た
話をしたり、時には熱く野
で英語を身につけ
らさぞ英語が得意
時間を過ごしている。
本校教諭 五十嵐喜代敬︵平5卒︶
一生の友とは、困ってい
る友人がいたら、励まし、
を強調された。コ
ものと考え大切にすべきだ
あの頃の一枚
大正
村上春樹氏が手がけた新
訳が﹃キャッチャー・イン・
年、弘前市で生ま
ラーになり大評判となった
ん。昭和 年に出したサリ
9
野崎 孝さん
の素晴らしさが再認識され た。この正義感とじょっぱ
るきっかけになったようだ。 り 精 神 の 発 揮 が 裏 目 に 出
ホールデン君が少々お行儀
人物が野崎孝︵昭 卒︶さ
34
ロンビア大学の客
て、文芸評論家の三浦雅士
氏︵ 昭
6
出話も飛び出した。
進路講話が行われた。
10
という教えに、生徒たちは
7
27
39
大きく頷いていた。
■著作
『私という現象』『寺山修司 鏡のなかの言葉』『人生という作品』ほか
員教授の経歴も持
●プロフィール
■略歴
昭和21年 弘前市生まれ
昭和40年 青森県立弘前高等学校卒業
昭和48年 「ユリイカ」編集長
昭和51年 「現代思想」編集長
昭和59年 第6回サントリー学芸賞
昭和61年 第47回読売文学賞
平成3年 「ダンスマガジン」編集長
平成14年 芸術選奨文部科学大臣賞・第13回伊藤整文学賞
平成16年 立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻特任教授
平成22年 紫綬褒章受章
平成24年 日本芸術院賞思賜賞受賞
つ三浦氏のことで
1
平成 23 年度進路講演
千載一遇
講演の言葉
23
40
22
たのは、講演のた
中畑清元巨人軍コーチを囲んで(本人は後列右2人目)
40
さらに三浦氏は、言語の
ある。弘高時代か
習得には繰り返し練習して
講演する三浦氏
鏡ヶ丘同窓会報
(3)
第 24号 平成 24年5月 20日
自分の求めるもの
た。これからの時代はます
双葉会
かと思えば﹁良き弘高精神
を喚起するためにも絶対こ
年6月7日に誕生。爾来
輩に伝えたものだと聞いて
が、当時のエピソードを後
集 い、 先 輩 方 の 御 高 説・
事の関係もあって、
年間脈々と同窓生たちが
構想通り実現できたのでし
居ります。
生活やお仕事にスレちゃっ
る顔ぶれの方々が、
今も尚各分野で活躍
されていることに賞
賛の御言葉があっ
た。総 会・ 祝 賀 会 に
スピーチでは、岩木
山信仰について語
川口淳一郎君の如くスー
する、学校関係者と、当大
パースターもいるし、市井
盤であると語った。
てくれる最高の羅針
る人生の進路を教え
り、岩木山こそ、残
の平凡な人生を送っている
総会・祝賀会に出席
鰐支部メンバーが、一同に
人 も い る。 皆 違 う 人 生 を
総会となりました。
集まり、約三十余名の支部
送っているからこそ、一年
した会員は
総会は 月7日ヤマニ会
館で開かれ例年通り速攻十
余分で終了、即来賓祝辞の
者は
翌 日は岩木山ツ
だといつも思っています。
アーを行った。参加
同じ鏡ヶ丘を経験した運
後、懇親会に入りました。
命は、今はやりで言えば、
名と少なかっ
一つの
﹁絆﹂
です。
﹁縁﹂
です。 たが、全員元気に津
年齢層が高くなって来てい
ります。シーハイル!
に不滅の精神で頑張って参
バーも少々固定的になり、
るのは、しょうがないので
双葉会喜寿記念事
業のラストは、会報
これを大切にこれからも、 軽の秀峰岩木山を詣
わになりました。出席メン
大鰐支部は、継続し、永久 でた。
皆、気心の知れた同窓生
ですので、すぐに宴たけな
名。
に一度の集いが、楽しいの
なってからだと記憶してい
檄・励ましに支えられなが
正 直 言 え ば、﹁ 同 窓 会 な
んて特に⋮﹂と若干距離を
置いていたワタクシであり
た中年オヤジに、何かこう、
を高めてまいりました。
た。
39
ます。
同窓会の演し物〟は、ほぼ
は、直木賞作家の長
力かげるのな
23
!?
の 準 備 だ の、 で ぎ る わ げ
の内容で進める
べ し ﹂ だ の、プ
容に賛否両論
ま す。 が、
﹃ プ チ・ チ ャ レ
ランの是非・内
喧々諤々談論風
ンジ﹄を果たしたこともさ
実行委員会の先
かけがいの無い物を想いだ
40
38 49
昨年 月の総会には、高
ら、弘中、弘高健児の意気
橋同窓会副会長をはじめと
発支離滅裂だっ
ることながら、意見の相違
輩方のご指導や
38
は多々あれど、同期のみん
た事前準備。
なと力を合わせて準備した
事務局のご支援
させてくれたのでした。
10
10
﹂、﹁練習だ
平成 年度鏡ヶ丘同窓会総会 実行委員長 福田
実︵昭 卒︶ する各界で活躍する先輩方
原子 昌丈︵昭 卒︶ 今年も皆無であった事は、
﹁〝 た か が 同 窓 会 の 演 し ねぇべ!﹂、﹁この構成だば のインタビューDVD5本
古くは、伝説の獄事件の 反省すべき点です。
鏡ヶ丘大鰐支部は、昭和
私達 卒組もそうでした
。 で構成する我々の〝たかが
物〟に、そんだげカネと労 時 間 か が り 過 ぎ だ っ!﹂
中
心
メ
ン
バ
ー
の
猛
者
た
ち
がやはり気負いなく出席で
しょうが、女子の参加が、
28
部日出雄君も久しぶ
23
きるようになったのは、仕
鏡ヶ丘の
﹁絆﹂
を感じて
25
りに出席。テーブル
長部日出雄先輩をはじめと
つのエピソード、そして、
それが他者のためになるな
分類学に貢献されたウルベ
弘高双葉会喜寿記念事業
この度の人事異動で、 母校弘前高校への絶大なる ますグローバルな世界がお ら、社会に貢献する立派
ン・ フ ォ ー リ ー 神 父 と 弘
﹁昔の名前で出ています﹂
4月から弘前高校勤務を サポートをいただき、心か とずれるとともに、一人一 なリーダーです。
根深 貞男︵昭 卒︶ 中・弘高生﹂と題して授業
命ぜられ着任し、6日に ら感謝申し上げます。平成 人の個性が尊重され、様々
平成 年には創立13
で記念撮影をし、校庭や校 を行った。
﹁出席をとります﹂
は無事280名の新入生
年度卒業生272名の若 なタイプのリーダーが求め 0年を迎え、県内県立高
年振りに再現された授
舎を見て歩いた。
﹁福津千江子﹂
を迎えることができまし い鵬たちは、この3月1日 られる社会になるとの考え 校の中で最も長い歴史と
教室では当時のホームルー 業に生徒たちは居眠りや内
﹁ハイ!﹂
伝統を誇り、生徒は多く
た。今冬は大雪で周りは に卒業式を終え巣立ってい からのようです。
朝のホームルームの再現 ムを再現。臨時HRTになっ 職をする人もなく、真剣な
そのためには、自分の適 の同窓生に囲まれながら まだ積雪が目につきます きました。将来、大鵬へと
た根深会長が教室に入って 表情で前を見詰め、懐かし
である。
性は何か、天職は何かを求 素敵な人々との出会い、
﹁貴女は福井さんではない 来ると﹁起立!﹂と夏坂級 い仲間とともに高校時代の
めて自問自答して悩み、努 人生を学び、自分の求め
長 の 声。﹁ 礼!﹂ の 号 令 で 雰囲気を味わった。
ですか?﹂
力することの大切さを生徒 るものに出会い、努力す
弘高訪問の後、弘前パー
﹁先生。今日は昔の名前で 挨拶をし早速出席を確認。
に訴えていきたいと考えて ることで社会のリーダー
名前を呼ばれると、参加者 ク ホ テ ル に て 喜 寿 記 念 総
出ています﹂
校長 古山 哲司
として活躍する人材へと
おります。
は現役生徒に負けない元気 会・祝賀会を開催した。
平成 年9月 日
﹁好きなこと﹂ に出会え 成長する。そのような後
総会議事終了後、祝賀会
弘前高校昭和 年卒の同 の良さで﹁ハイ!﹂と返事
が、 ほ ん の り 膨 ら ん だ 成長し輝かしい活躍をして れば人は頑張れる、辛いの 輩がこれからも巣立って に移る。祝賀会は、先刻弘
期会
﹁双葉会﹂の会員が、喜 をした。
木々の芽が校舎をほのぼ くれるものと期待しており は好きでないことを義務で いくことを願ってやみま
特別授業では当時同校で 高で特別授業をされた恩師
寿を記念して母校を訪れた。
やろうとするからです。自 せん。
のとした雰囲気にしてく ます。
参加者は校舎見学や恩師に 生物を担当し、その後同校 の佐藤圭一郎先生が来賓と
前任の矢本校長は生徒に 分のおかれている環境と状
最後に、同窓生の皆様
れています。
よる特別授業を体験し懐か 校長、弘前市教育長を歴任 して祝辞を述べられた。
同窓生の皆様にはます ﹃ 世紀型リーダーたれ!﹄ 況を考慮して﹁好きになっ にはこれからも変わらぬ母
佐藤先生は、双葉会に対
しい当時の思い出に浸った。 された佐藤圭一郎先生が、
ますご健勝のこととお喜 と常々生徒に説いていまし てしまえばよい﹂わけです。 校へのご支援を賜ります
弘高訪問には会員ら 人 真新しい白衣を身に付けて して特別授業の企画の素晴
ようお願い申し上げます。 が参加。鏡ヶ丘記念館の前 教 壇 に 立 ち、﹁ 日 本 の 植 物 らしさ、多士済々、錚々た
び申し上げます。日頃、
﹃名山名士を出す
誰人か
をやってみて
天下の賢∼﹄
34
39
18
28
号記念特
年・ 年と二度刊行してい
はこれまで記念誌を平成6
集号の刊行である。双葉会
﹁雙葉燦然﹂の
20
セージ﹂を特集している。
﹁未来に残したい人生のメッ
記念誌の内容は、記念事
業の報告と会員が寄稿した
遂げたのである。
度目〟の精神でこれを成し
とだが、双葉会は〝何事三
〝二度あることは三度あ
る〟の諺は注意せよとのこ
念誌で三度目となった。
ントとも言うべき今回の記
るが、人生のラスト・イベ
14
23
21
代に
娯朗会
60
19
16
会長のご理解、 〝過程〟そのものが、日々の
もあり、伝説の
歴史と輝ける未来に乾杯
﹁ 嶽 籠 城 ﹂を 含
ありがとみんな、ありが
と母校。弘中・弘高の偉大な
む、弘 中・ 弘 高
の歴史を彩る5
楽しく語り合う我が仲間
56
でも結局、同
窓会名誉会長・
趣向を凝らした総会を見事に仕切った娯朗会
7 月 7 日︵ 土 ︶
!!
気分は現役高校生
大鰐支部
平成 24年5月 20日 第 24号 (4)
鏡ヶ丘同窓会報
鷹揚の城春にして草木深し
とが変わったとしても、眩
ました。時を経て様々なこ
耳を傾けました。東日本大
生の慈愛あふれるご挨拶に
出席し、恩師佐藤圭一郎先
いました。 弘
く取り戻して
変わることな
たちは少しも
のことを、 私
竹谷勇勝
昨年3月 日に起こった
﹃東日本大震災﹄ とその後
︵通信連絡員メルアド︶
新支部長に福士氏を選任
∼五年ぶりの総会開催∼
り。﹂
名に比べると少し寂
に迎える弘高
年記念事業
通りの構成で無事発刊する
だという意見があり、例年
者が鳩首相談した結果、こ
行を進めていました。編集
会では、大震災に対する本
うちに無事終了。今回の総
で活気ある雰囲気で盛会の
や近況報告がされて、元気
は会員一人ひとりの思い出
ました。役員改選において ︵ 一 番 若 い 参 加 者 は 平 成
があり、議案審議がなされ
浦支部長の挨拶、来賓祝辞
催しました。総会では、三
支部総会並びに懇親会を開
賓に迎え、1月
を祈念しつつ世代を超えて
母校のさらなる発展と躍進
時代に想いをはせながら、
と切磋琢磨した弘中、弘高
のことを考えると致し方な
高橋同窓会副会長・矢本 ました。
いことでしょう。懇親会で 校長、渉外部福井教諭を来
参加者は、名山の下、天
下の賢とならんとして級友
しい限りでしたが、震災後
は、昭 卒で、本支部の最
やかに交わされていました。 る活躍について報告があり
と在校生の文武両面にわた
ことができました。
部からの励ましやお見舞金
会場のあちこちで五年ぶ
りの再会を喜ぶ挨拶がにぎ
中村 直司︵昭 卒︶
阿保 靖彦︵昭 卒︶
松本了先生、さらに学生会 ﹁久しぶり。元気でなによ
続いて懇親会に移り、矢
本校長から、平成 年 月
の
者が最も多い年の 名や昨
その後6月 日には総会
および懇親会を三十回の節
を賜り、その報告とお礼を
年の
目でもあり同様な趣旨で開
高齢者の三浦支部長が退任
の際震災の記録を残すべき
催しました。始めに大震災
述べました。この大震災を
日田舎館
の被災者への御冥福を祈り
若い世代に語り継ぎ、本年
黙とう。出席者は会員
丁度、全国で荒れ狂って す。
とができたことです。相撲
そうした生徒たちと共
部やスキー部の全国大会で いた学生運動の煽りを受け
有してきた言葉がありま
ければ生きていく資格が
で頂きたいと思います。
年かと皆でハッ
をつけたのがきっかけでし
した。
い、阿保日出一︵昭 卒︶
間で確認出来たのは感謝す
べきことです。
窓生が集まった事に大きな
幸福を感じました。
に皆驚きました。幸い同窓
連絡がとれる状態である事
じほとんどの同窓生と今尚
した。メールやSNSを通
達は絆の深い学年でありま
鏡ヶ丘同窓生と同様に、私
とりました。恐らく多くの
事を祈り震えながら携帯を
思えば震災後、東北で暮
しているはずの友人らの無
合おうと約束し合いました。
盛大に互いの成長を自慢し
方にもお声を掛けて、より
かし、数年後は恩師の先生
とく夜が明けるまで飲み明
でした。なんと半数がしぶ
合い夢のように楽しい時間
たり。互いの近況を報告し
見違えてキレイになってい
たり痩せていたり、女子は
たり婚活中だったり、太っ
た。
生の中には安否不明な人は
外でと活躍し、家庭があっ
いない様だと、割合短い時
上。皆それぞれ、地元で県
ねばまね!と慌てて段取り
学年のお調子者は相変わ
ら ず で、 学 生 服 を 着 て 参
として、これは同窓会やら
卒業から
り、誰言うとなしに、高校
如く年末の帰省の話題にな
急な呼掛けにも関わらず
今年1月2日、 名もの同
卒業以来の友人らと都内
で集まっていた時、例年の
柾木絵里子︵平 卒︶
卒業して十年、初同期会開催 !
に福士兼義氏︵昭 卒︶を
に熱中し、運動会や校内
度以降も益々会員の相互交
かせたり、各地で活躍され
球技大会などでも徹底し
︵会員総数 名︶、来賓者と
ている方々のお話を伺った
て楽しもうとする﹁もつ
全員一致で選任しました。
りと、貴重な体験をさせて
流を図れたら幸いです。ま
楽しみにしていたのは、
私はこの春で定年 退 職
となりました。3月1日 先輩方からの懐かしい昔話
いただきました。
す。
﹁タフでなければ生
して中林裕雄同窓会会長、
と共に、破天荒な冒険譚や
て、生意気ざかりの高校時
きていけない。優しくな
スケールをもった青春群像
ない。﹂という、米のハー
年卒︶交流・親睦を深めま
名
会の最後には、恒例の校
の意向を示され、新支部長
歌・応援歌北斗の黙示を歌
[email protected] の余震で恐怖が覚め止まら
ない当時、会報第三号の発
名でした。会員の参加
東日本大震災を乗り越えて
同窓会総会でお会いしましょう
卒業して五十年、そして古希となる
平成 年 月4日、 年
卒太志会︵竹内規夫会長・
いばかりのあの日のいい時
震災の犠牲者に黙祷を捧
前の夜は、 静
39
10
⋮また会う日まで。
梅津 榮樹︵昭 卒︶ ︵写真提供︶太志会幹事
一瞬にして時空を越えてい
木村寛治幹事長︶は還暦の
間を、 夢と希
会合以来、8年ぶりに同期
会を開きました。
望に輝いてい
げ、テーブルを回り義援金
た遠いあの日
を募ったところ、6万9千
かに更けてゆ
当夜は、東京、福島など
に在住の 名を含む 名が
余円のご厚志が集まり、あ
きました。
ろの古希を迎
私たちは数
えで云うとこ
らためて出席した皆さんに
深く感謝いたしました。
年を経て初めて出 席 し
たという友の、若きあの頃
22
34
20
た沢山の会員が総会におい
数々のご乱行を耳にするこ
代を送った私にとっても、
に連なる気持ちです。弘
4
矢本嘉則校長先生ならびに
年度卒業生 名の 末 席
に巣立っていった、平成
の活躍、陸上競技部や柔道
とてもかなわない規格外の
前南高校や弘前中央高校
25
32
14
えました。
といった、近隣の高校で
部の合宿、手製の筏で岩木
け魂﹂を引き継いでいま
の勤務はありましたが、
ロング・グッドバイ
を数多く拝見しました。
ド・チャンドラーの言葉
校長
で す。 タ フ で 優 し く を
ドボイルド作家レイモン
そのような同窓生を育ん
だ、 貧 し く と も 心 豊 か で
卒︶
あった時代から時は流れ、
モットーに、母校の活躍
︵昭
川下りをした話等々。
﹁鏡ヶ
東日本大震災後ということ
を見守る応援団でいよう
矢本 嘉則
最後の2年を母校で過ご
丘百年誌﹂を読む以上に臨
も あ っ て、 今 の 若 者 に は
すことができて大変に幸
場感があり、迫力に満ちた
と思っています。
運でした。
数々の負の遺産が背負わさ
ました。
りがとうございました。
多くの同窓生の方々に
れています。主に、家庭に
お世話になりました。あ
起因する問題で悩み、不登
校傾向を示す生徒などもい
2002年
同期会
18
仙台支部
お話を沢山聞くことができ
この2年間に、各地の
鏡ケ丘同窓会にお招きを
いただき、平成
また、弘高同期の友人と
年度は
旧交を温めたり、部活動の
年度は2支
ますが、多くはねぷた作り
田舎館支部
おたがいの無事を確認しあった同窓会
した。
ことを約束し会を終了しま
強く行い、来年も開催する
先輩の音頭で一本〆めを力
来年も再会を祈って ! !
10 年目の再会 今度は先生方もご一緒に ! !
33
50
37
部を除いての精勤でした。 先輩・後輩と昔話に花を咲
皆勤、平成
45
34
37
78
22
10
23
28
23
7
11
26
11
23
74
入り乱れて話は尽きず
大志会
50
の懐かしい話に、私たちは
鏡ヶ丘同窓会報
(5)
第 24号 平成 24年5月 20日
鏡ヶ丘同窓会報
平成 23 年度 鏡ヶ丘同窓会一般会計決算書
鏡ヶ丘同窓会会務報告
平成 23 年度
月
日
4
7
5
6
7
8
10
参加者
収入の部
支出の部
8名
9,742,891
8,876,912
幹部会
28
同窓会役員会
43 名
29
尾上支部総会
25 名
14
仙台学生会
22 名
1
繰
15
関西学生会
13 名
2
終
19
第 1 回総会実行委員会
24 名
3
総
21
27会(27年卒)
36 名
4
運
会報編集委員会・ウェブ委員会反省会
11 名
5
雑
11
板柳支部総会
21 名
16
第 2 回総会実行委員会
20 名
18
札幌鏡ヶ丘同窓会支部総会
21 名
24
平賀支部総会
24 名
26
宮城鏡ヶ丘同窓会支部総会
35 名
30
教育庁支部総会
43 名
30
第 3 回総会実行委員会
21 名
2
2
鏡ヶ丘同窓会総会
346 名
2
鏡ケ丘同窓会ゴルフコンペ
未確認
予 算 額
越
身
金
会
会
営
協
力
収
218,884
決 算 額
増 △減
218,884
1,365,000
1,360,000
△ 5,000 5,000 円×272 名
3,550,000
3,812,000
262,000 総会会費祝儀 2,442,000 円 広告1,370,000 円
費
4,000,000
4,351,886
入
1,200
121
351,886 延1,602 件
△ 1,079 銀行利息
9,135,084
9,742,891
予 算 額
決 算 額
計
項
増 △減
事
務
費
180,000
134,945
2
総
会
費
3,100,000
3,034,815
3
会
費
2,470,000
2,290,699 △ 179,301 振込用紙印刷代75,810 円ほか
報
発
行
4
会員データ年間管理料
52,500
52,500
会 員 入 会 式 費
170,000
152,830
費
70,000
48,762
1,260,000
1,340,950
75 名
6
会
鏡ヶ丘同窓会総会反省会
15 名
7
支
部
連
絡
費
新潟鏡ヶ丘同窓会支部総会
14 名
四一会(41卒)
32 名
8
母
校
援
助
費
210,000
210,000
9
慶
弔
費
100,000
107,171
10 交
際
費
35,000
37,000
費
160,000
168,240
件
費
1,300,000
1,299,000
備
費
第 30 回鏡ケ丘親睦野球大会
20 名
29 名
2
二六会傘寿記念美術展
未確認
3
二六会(26卒)
30 名
10
三二会(32卒)
60 名
18
双葉会(28卒)
37 名
4
弘高130年記念事業協賛会第一回募金委員会
54 名
7
大鰐支部総会
29 名
関西鏡ヶ丘同窓会総会
18 名
大志会(37年卒)
78 名
15
青森支部総会
57 名
12
8
県庁支部総会
1
2
83会(58年卒)
2
2002年卒同期会
70 名
14
田舎館支部総会
28 名
19
同窓会報(24号)第1回編集委員会
7名
26
幹部会
5名
4
54 名
11 雑
12 人
13 予
計
藤崎支部総会
39 名
29
同窓会入会式
272 名
8
同窓会報(24号)第2回編集委員会
9名
24
同窓会報(24号)第3回編集委員会
9名
同窓会監査
2名
昭 和 38 年
赤川 正広
石田 誠
石戸谷正晴
石戸谷須美子
大谷 治三
大塚 三朗
葛西 修
斉藤 啓子
齋藤佐武朗
櫻庭 秀俊
高橋 昭子
竹内 昭江
田辺 義弘
田畑志津子
戸澤 忠
中沼 丈昌
野呂 昌男
水木 蓉子
三橋 義宏
山内 弘
昭 和 39 年
阿部 京子
阿保 靖彦
五十嵐 實
五十嵐幸子
一戸 洋次
伊東 保之
笠井 哲哉
小坂 清弘
小林忠一郎
白戸 武美
高橋 綾子
田中日出興
寺田 肇
寺山 幸子
長尾 光洽
花田 安弘
藤岡 浩
昭 和 40 年
井上 保子
今泉 陽子
小山内 晃
小野 祐司
木村 正
齊籐 修
佐藤 静
菅原 康行
成田 助清
伊東 廸男
伊藤 新吉
内山 衆一
太田 豊
奥平 洋子
長内 基樹
小野 克己
北川 武彦
竹内 初男
中川千佳子
成田 義人
野呂 進
萩原 崇嘉
宮田 博子
八木橋鉄弘
山口 規子
石堂 哲也
小野 瑛明
菊地 正寿
工藤 忠
柴田 哲郎
高橋 修一
工藤 智規
澁谷 堯
西谷はるえ
福士 淳一
野崎 梅子
野崎 嵩
斎藤 恭一
昭 和 41 年
秋元 清仁
大澤 雅子
川村 敏男
北川 順一
工藤 清光
斎藤 光正
佐々木幸男
須藤 満輝
二川原敏信
西 恒雄
川越 啓一
菊池せい子
菊 谷 裕 悦
小松 明
斎藤三千政
田澤 雄作
對馬 晃
西村 義一
肥後 隆
福島 雄一
三浦 麗子
山形 喜隆
西 敞
小林 二郎
斎藤 正栄
塩田 宏三
白取 幹人
高木 邦雄
玉川 次郎
戸田 憲
二木美保子
西谷 泰
大中 廣
塩谷 晃
白戸 浩一
鳴海 弘夫
光弘 隆
森 浩一郎
山崎 均
山田 康二
一戸 孝之
安田 俊夫
昭 和 41 年 通
福井 初代
昭 和 42 年
尾板 正人
工藤 時子
倉田 保夫
今 信夫
斎藤 明子
高橋 透
谷淵 秀光
宮川 淑子
吉沢 隆治
斎藤 裕久
奈良岡修一
石澤 育子
岩熊 啓子
小山内 孝
折原 裕
工藤 健造
桜庭十三夫
佐々木洋子
成田 堅生
八木橋勇治
金井 晴夫
加藤みつ江
菊池 理夫
小林 繁樹
土岐 憲三
小野 知行
小野ふさ子
福島 嵩
須藤 正光
中野 京子
菱谷 豊章
山内 春勇
犾守 絹江
関場 慶博
高瀬 一博
対馬 省次
一戸 敏
清藤 哲夫
田村 秀治
昭 和 44 年
赤平 陽二
川村 広明
古川 隆
古村 直樹
白取 秀世
神 繁司
常田 孝
長谷川 明
福山 直人
赤石 茂
工藤 博明
高橋はるみ
西澤 光
林 志津子
岡崎 耕衛
西谷 栄
藤田 道昭
今泉 良郎
工藤 良一
野口 章子
三國 典昭
吉岡 猛
新内 好
昭 和 44 年 通
佐藤ふじ子
工藤兼太郎
昭 和 42 年 通
昭 和 45 年
鎌田 玲子
石戸谷和浩
遠藤 真
木村 郁子
須藤 博子
田端 優子
津川 善和
中野 幸子
山本 仁志
今井 聖朝
関 光
成田 則正
青山 仁志
高橋 行吉
矢本 嘉則
秋元 英志
大津 友見
川村 邦明
須藤 静子
船水 義則
昭 和 43 年
秋元 義禮
蝦名 修
加藤 一眞
後藤 秋夫
七戸 一
篠崎 珠樹
鈴木 明子
竹内 幸子
花田 鎮雄
町田由紀子
山田 良一
山上 佳男
後藤 博
高橋 憲三
岩谷 雅治
工藤 義春
櫻井 有一
卒業証書ホルダー138,630 円、
△ 21,238 役員会、監査、その他
支部総会旅費祝儀(東京・関西・仙台学生会166,100円、
80,950 宮城・札幌333,740円、新潟155,240円、東京関西422,290円ほか)
0 ねぷた製作HR補助1万円×21クラス
7,171 弔電、広告料ほか
2,000 弘高歓迎会・忘年会・送別会・卒業祝賀会
8,240 運営協力費振込手数料
△ 1,000 私費職員給料
△ 27,584
8,876,912 △ 258,172
総 括
収入の部
支出の部
7,862,079
Ⅱ
1
繰
2
雑
予 算 額
越
金
収
入
計
7,762,079
7,860,412
決 算 額
増 △減
7,860,412
4,000
1,667
7,864,412
7,862,079
予 算 額
決 算 額
備 0
考
東奥信用金庫 503,925 円、東奥信用金庫 2,671,464 円、東
奥信用金庫 1,006,946 円、青森銀行 445,733 円、青森銀行
2,526,550 円、青森銀行 705,794 円(いずれも元金成長型)
△ 2,333 銀行利息
△ 2,333
支出の部
項
1
100,000
収入の部
項
Ⅲ
差引残高
臨
時
支
計
栗林 紀雄
昭 和 46 年
枝村 則彦
工藤千恵子
工藤 清文
今 隆志
佐野 潤
中田 義則
西澤 明子
長谷川麻子
布施 協一
赤石美恵子
滝渕志津子
平尾 雅世
村上豊千代
工藤 泰征
下山美保子
永吉 規子
石岡真智子
今田 謙二
須藤 俊之
田金 順弘
中嶋 和郎
山本 秀男
沢田 美彦
昭 和 47 年
石岡 具子
太田 裕美
角田 宏明
西 寛俊
木村 誠
齋藤三千義
須々田秀美
須藤 弘敏
對馬 幸雄
工藤 晴久
三浦 展子
石岡 昭年
今井 高志
高瀬 香
山本 一利
黒滝 恭一
丸山 洋子
昭 和 48 年
相川 省治
加福 康麿
木村 勝康
工藤 武重
藤岡 隆昭
山内 誠一
藤田 雅俊
増田 章子
松本 了
大川 誠
三明 智彰
畑山 聡
幸田 茂雄
對馬 浩二
三上 信久
吉田 恒一
昭 和 49 年
岡本 栄子
亀井 郁子
清水 朋子
根深 忠
福井 次郎
松森 啓一
三浦 幸弘
大滝 次雄
外川 重信
福島 伸雄
石川 孝
瀧本 壽史
三上 昌樹
笹 裕
佐藤 孝治
堀内 治子
円山 昌子
山形 陽
昭 和 49 年 通
小山内みどり
昭 和 50 年
石川 玲
鴨下 厚子
川嶋 純子
須藤 悟
鶴山るり子
伊藤 雅一
岩崎 一
宇野 智子
佐々木克治
成田 洋子
伊藤 敏子
小山内 眞
昭 和 51 年
岡田理恵子
小山 陽遠
中島 易子
太田 斎
新戸部八州男
幸田 恵子
渡部 司
小菅 園子
三上 栄子
荒井 元明
東野英利子
三上 洋子
太田 雄三
須藤 尚人
昭 和 52 年
赤石 茂
菊地 清夫
工藤 雅哉
須藤 晃司
虎谷 正三
奈良 俊一
出
増 △減
備 100,000
100,000
0 宮城支部へ義援金
100,000
100,000
0
海老名英俊
小笠原 史
斎藤 和子
小山内清和
小坂かおる
永沢 俊之
尾崎 俊寛
奈良 秀則
松岡 史彦
瓜田 純久
酒井 清敏
對馬 史博
昭 和 53 年
嶋脇 秀徳
須々田孝聖
田澤昭次郎
外崎 佳造
福島 正師
水木 清治
吉岡 正俊
工藤 真哉
工藤 敏彰
柿崎 順子
木村 真明
佐熊真貴子
髙坂 明子
竹浪 仁
福田 祐明
横山 昌樹
高橋 伸光
田村 正人
田名部正成
昭 和 56 年
大溝 雅昭
鎌塚 吉忠
工藤 麻千
倉田 匡子
児玉 達彦
嶋脇 秀隆
野上ゆかり
三上智久子
工藤 誠治
成田 俊吾
西沢 祐司
松本 毅
阿保 雅幸
荒井 優子
後藤 忠志
佐藤 正幸
白石千寿子
横山ナオ庫
越後谷直樹
大湯 淳功
澤田 雅章
神馬 裕司
谷田 尚子
竹田奈津子
中田 均
成田 治
久保由佳子
平井 隆樹
木中 政康
昭 和 60 年
成田 昭吾
濱口 祥子
神山 恵美
中村 暢行
高木 正尚
昭 和 61 年
蒔苗 伸郎
原 直美
齊藤 爾
三浦 真介
平 成 2 年
田澤 和康
菊池 理子
久末 賢一
川村 啓之
長谷川範幸
平 成 3 年
西田 明美
山口 真吾
山口 静香
工藤絵里子
内海 健
工藤理砂子
成田 諭隆
千葉 裕樹
工藤 康生
今井知世子
工藤 友宇
三浦 行
昭 和 56 年 通
浅瀬石久仁子
浅瀬石 悟
木村 次郎
齋藤 等
三上 智
水木 夏彦
宮腰 淳一
横澤真理子
明本 康伸
佐々木 了
八木橋靖子
一戸まき子
加藤 武
兼平 裕
高木恵美子
斎藤 武徳
昭 和 61 年 通
平 成 4 年 通
昭 和 53 年 通
昭 和 57 年
極檀多津子
坂井 伸也
菅野 洋
工藤 清彦
佐藤 記一
佐藤 亮介
成田 尚三
南 直之進
森 岩樹
山口 晴弘
齋藤 晴彦
中村 徳秀
野々口卓史
山本 師之
高橋みどり
関 昌子
成田 淳一
昭 和 62 年
飯塚 明廣
福井 寿志
昭 和 54 年
高井 博基
中村 佐
成田 俊介
飯塚 貞子
小野 正己
須藤 朗孝
加藤 伸生
川崎 恒俊
水木 道義
八木橋善行
米谷 勲
木田 圭介
昭 和 54 通
工藤 隆正
斎藤ミキエ
昭 和 55 年
半澤 則広
藤田 昭彦
松原 真美
芦田 豊昭
荒川 淳也
大間 祥宏
中村 典雄
林 奈津子
鈴木 珠敏
清野 聡
昭 和 58 年
大溝 千秋
木庭袋 渉
芦田 斉子
盛 和行
大湯 智行
小暮 誠二
鈴木 誠
小濱 正文
寺沢 千明
昭 和 59 年
工藤 聡也
鈴木 孝之
北川 佳子
清野 暢邦
田中 真紀
中山 みつ
前山恵理子
奈良岡広二
平岡 学
森 菜穂子
内海 剛
高木 徹
花田 勝彦
昭 和 63 年
小笠原康雄
櫛田 智美
佐藤 直
鳴海 景
三上 正
水木 道子
白戸 克明
千葉 嘉亘
平 成 1 年
斎藤 香
佐藤 朋子
清野 月世
宮腰 直樹
八木 靖弘
山口 貴之
平 成 4 年
水木 正朝
十川 恒寿
成田 千恵
福井 隆修
平 成 5 年
五十嵐喜代敬
石川 哲
小野健一郎
金澤 光美
鳴海 雅子
工藤由希子
平 成 6 年
阿保 孝将
境 章仁
千葉もと子
奈良 文生
阿部 高士
前田 直記
三上 龍玲
村上 義親
工藤 和洋
今 昭人
三上 洋平
栗形 悠平
乳井 麻乃
考
平 成 10 年 通
石岡奈々実
海老名紀廣
鍵谷 卓司
工藤 文昭
後藤 幸花
後藤 龍生
須藤 脩
橋本はるか
日景 明夫
福山 朝子
八木橋 恵
志井さやか
佐々木郁香
坪 政敏
三浦 宏康
石川 リヨ
平 成 18 年
平 成 11 年
高橋 裕介
藤田 環
八重畑佑一
矢本 真丈
井上 玲奈
小館 佑介
日景 秀徳
市川 淑恵
瓜田千帆子
田中 亜実
平 成 9 年 通
大坂 和伸
山内 明示
平 成 10 年
山崎 直洋
高橋 一徳
前田 完治
須藤竜一郎
鍵谷 弘次
今 剛志
中野 実幸
成田 健一
日景 聡子
三國 典央
西野 智
西谷 玲奈
福原 聖司
秋元 義
平 成 11 年 通
金田 龍吉
相馬 敦也
平 成 12 年
猪股 宏誌
中道 卓郎
日景 研一
高橋 秀徳
菊池 勲
平 成 13 年
安田 一夫
佐藤 史章
高橋 辰徳
野呂 剛司
平 成 14 年
今 由起子
中道 健郎
平 成 19 年
太田 裕也
後藤 慧生
山田 真平
瓜田 宗久
小館フユミ
小山佳奈子
平 成 20 年
青山康太郎
橋本浩太郎
福山 寛人
矢本 愛佳
高橋 実か
市川 奈菜
畑山 昂大
工藤真梨子
平 成 21 年
平 成 7 年
平 成 15 年
石戸 康幸
三浦 貴之
石岡 学
猪山 慶
鍵谷真理子
佐藤 元哉
田中 希依
太田 香純
橋本 晶平
山田 佑樹
池田 千郷
木村 圭太
木村 美和
佐藤 雄大
南 弘毅
山崎 春馬
平 成 16 年
平 成 22 年
高橋 枝み
日景 瑞奈
秋元 優
對馬 秀太
高橋 真美
吉田 和生
井 上 瑛
加藤 静織
小館 里依
平 成 8 年
古川 大吾
道川 貴生
松田龍太郎
三浦 卓也
三浦 リナ
平 成 9 年
秋元 禮
中道 哲郎
平 成 14 年 通
石村 雅
平 成 17 年
三上 文
平 成 23 年
芦田 夏葵
澤田 健一
三浦 慧太
木村 沙耶
小林 繁明
三上 亮一
特 別 会 員
菊地 修一
佐々木康人
山田 陽子
秋元 久弥
石山 憲章
石川 緑
谷淵 敏子
日景 正敏
中村 正子
加藤 久子
外川 裕子
菊池 敬
金谷 克憲
古山 哲司
高橋 菊弥
寺田 徳子
渋谷 麗子
小向 博
田中 勝男
相馬 正一
高梨 庸雄
竹内 肇
3/31日 現 在
たくさんの協力費
ありがとうございました。
和泉 正二
三浦雄一郎
三上 邦康
村井富久子
村上 謙藏
赤平 和順
石岡 徹
後藤 和雄
清水 晃男
鈴木 東里
田沢 一之
舘田 勝弘
田辺 和彦
中内 むつ
森山 豊三
渡部 綾子
青柳 健一
荒木多恵子
太田 宏明
大平 義文
柿崎 光顕
熊谷 勝弘
古川 道雄
佐々木淳造
佐藤 学
竹内 明夫
棚橋 達彦
寺山 弘彦
鳴海 光彦
平戸 史子
藤本 了康
升田 誠一
棟方 亮逸
秋山 邦男
今村 宣樹
永井 雅廣
長崎 昭義
中林 裕雄
八木橋五郎
斎藤 毅
田中 博道
番場佐紀夫
0
0
△ 17,170 学生会代表旅費補助10,000 円ほか
昭 和 37 年 通
阿保 耀子
大和田 強
桐原 雅行
工藤 國光
工藤美穂子
古川 栄一
斎藤 徹
佐藤 雄一
三戸 徹也
澁谷 彊
鈴木 弘武
中村 元彦
鳴海 邦碩
西谷 武夫
藤田 征芳
藤田 幸直
柳田 晴夫
米田 継武
大中 忠
小山内光雄
鎌田 徹郎
唐牛 孝之
佐々木誠司
色摩 明子
鈴木 重教
戸澤 義夫
萩野 道夫
平川 正敏
平山 脩
福士 修成
福田 孝志
山内 善浩
吉岡 利孝
西谷 洌
橋本 郁子
常田 育宏
永井 三雄
長妻 恵子
山内 敏之
横内 正典
全国大会餞別150,000 円ほか
青森県立弘前高等学校鏡ヶ丘同窓会
Ⅰ
* 同期会については事務局が把握しているもののみ記載しています。
他に 130 年記念事業各委員会による会合が何度ももたれました。
東 好弘
藤田 光雄
松田千代治
松田奈津子
三浦 一雄
森 豊吉
吉岡久美子
梅津 榮樹
小川 睦男
菊池 昭夫
木村 愼
工藤 剛
下山 康
横山 文夫
小田桐士郎
帯川 雄三
加藤 裕
木田 多聞
京野 巖
斎藤 重周
坂本三代造
竹内 規夫
竹浪 勍佑
中島 靖雄
花田 忠夫
吉岡 利忠
青山 晃淳
長内 健
櫻庭 勤
対馬 隆
戸澤 正誼
富島 英宇
柾木 尚義
工藤 弘典
竹谷 勇勝
27,584
9,135,084
総会費2,019,894 円、プログラム作成費315,000 円、
△ 65,185 出欠ハガキ印刷代49,476円、手拭作成費200,000 円、
平成 23 年度 鏡ヶ丘同窓会特別会計決算書
未確認
19
3
議
考
△ 45,055 郵送費、コピー機リース、ウェブ経費ほか
会報印刷代441,000 円、会報発送料1,715,559 円、
弘高130年記念事業協賛会設立総会
五所川原支部総会
備 1
30
19
607,807
支出の部
25
14
考
費
48 名
6
備 0 前年度繰越
費
30年会(30卒)
16
4
収入の部
項
Ⅲ
865,979
23
136 名
3
Ⅱ
差引残高
5
東京鏡ヶ丘同窓会総会
2
総 括
7名
15
11
青森県立弘前高等学校鏡ヶ丘同窓会
Ⅰ
18
14
9
行 事 名
同窓会報(23号)第4回編集委員会
平成 24年5月 20日 第 24号 (6)
鏡ヶ丘同窓会報
(7)
第 24号 平成 24年5月 20日
アップルペクチンの効果探求
ベストセラーの仕掛け人
田澤 賢次さん(昭33 卒)
消化器外科とリンゴ。一見風変わりな組み合わせから
生まれたアップルペクチンが、東日本大震災後、注目を
集めている。
大腸ガンの予防に加え、セシウムの排泄にも効果があ
るというのだ。田澤先生はこの分野での第一人者であ
り、25 年にわたる研究の間、先生には故郷の名産品で
あるリンゴを何かに使えないかという思いが常にあった
そうだ。この望郷の念が込められた研究業績が高く評価
され、青森県より木村甚彌賞(平成 12 年)
、経済功労県
褒章を相次いで受章、出身地の鯵ヶ沢からは名誉町民の称号が与えられた。
現在は「フクシマに貢献できることは、天からのお声がけ」と、消化器
外科医として講演を各地で行っている。
一方、
「富山では医学界よりもスキー界のほうで有名なんですよ」と茶
目っ気たっぷりにおっしゃるほど、スポーツ、とりわけスキーとの関わり
も深く、冬季オリンピックのチームドクターとして日本選手団を支えたご
経歴も。また、とある研修会に講師として共に招かれた三浦雄一郎さん
に、弘高スキー部の後輩ですと明かしたところ、すぐに打ち解け、一緒に
滑りを楽しむ間柄になったとも。
たとえ故郷を離れていて
昭和45年 新潟大学大学院医学研究科修了(医学博士)
も 心 は つ な が り、 生 涯 現
平成5年 国際対癌連合京都会議にて学術賞受賞
役、多方面でご活躍されて
平成7年 富山医科薬科大学医学部教授に就任
い る 姿 は、 燦 然 た る 光 を
平成15年 日本体育協会公認スポーツ指導者表彰受賞
放っている。新刊「林檎の
平成17 年 同大学名誉教授
現在、日本アーユルヴェーダ学会理事長、日本オリンピック委員会
力」発売中。
記:今井知世子(平 3 卒)
押田 雅治さん(昭43 卒)
大学は「受験戦争の反動で、禅にかぶれて」駒沢大
学へ。 卒業後はピンク・ フロイドやデ ィ ー プ・ パ ー
プルなどロック中心の海外の音楽家を招聘する 呼び
屋 に。だが、
「外タレの夜の接待などに嫌気がさして」
帰郷。 津軽塗の生地工場や建設機械の販売会社など
に勤務。
だが「初心に戻ろう」と再び母校の大学院に入学。
瞑想に座禅を取り入れたバチカンの招待で、 イタリ
ア・フィレンツェの修道院に入院。
「異教徒も信者も入れないという岩
穴の瞑想院で生活」など貴重な体験をしました。
しかし「当時は文系の博士課程なんか出ても就職なんかない時代。諦
めが肝心」と博士課程在学中に産経新聞社に入社した。
米国紙「USA・TODAY」との業務提携や他紙の特命調査、月刊誌「み
んよう文化」の編集長などを経て、現在は編集局文化部専門委員兼編集
企画部企画委員。今や世界的な 100 歳の詩人 柴田トヨさんの「くじけ
ないで」の出版を仕掛け、その事業展開の中で充実の毎日という新聞人。
弘高時代の思い出は「悪いことは受験競争が厳しい時代、ゴミ箱に投
げ捨てた答案用紙を教師に見つかり教室で披露されたこと」
「楽しいこ
とは新聞部。他校訪問など女子高ばかり取材にいっていたこと」との事
です。 多才なお仕事ぶり
昭和43年3月弘前高校卒
に圧倒されました。
強化スタッフ委員(医学スタッフ)など多くの学会役員を兼務
記:工藤友宇(平 3 卒)
駒澤大学大学院博士課程修了
クライアントを問診する建築家 蟻塚 学さん(平10 卒)
弘前市初の女性弁護士として
敷地周辺の環境と一体となった建築をつくり出していく
建築家、三分一博志(さんぶいちひろし)建築設計事務所(広
島県)に 2002 年から6年ほど勤務した蟻塚学さん。その後、
弘前に自分のオフィスをオープンしました(広島にもオフィ
スがあります)。 それから蟻塚さんのめざましい活躍が始
まります。2010 年、 塀の明るい発展系とも言える「the
wall」で第一回建築コンクール審査委員特別賞。2011 年、
ビビッドな色の駅舎が注目を集めた「弘南鉄道プロジェク
ト」で第二回建築コンクール佳作。そして同 2011 年、廃校の物置小屋をコミュ
ニティビジネスの拠点としてカフェにリノベーションした「王余魚沢(かれい
ざわ)倶楽部」でグッドデザイン賞。……近年、立て続けの受賞歴です。そん
な蟻塚さんの仕事のモットーは「クライアントが抱えている問題や理想を全て
問診 して、どうすれば幸せになるのか考える」ことだそうです。
広島オフィスには月に一度は赴くそうですが、弘前とは違う土地柄でのお仕
事は大変だと思います。しかし、当地では得られぬ出会い、刺激が蟻塚さんの
仕事の幅を広くすることでしょう。最後に、非常に印象的なことを述べていま
したので紹介しておきます。「場合によっては、建築を勧めないこともありま
すよ」 …… 真に顧客のことを考えている証拠です。 安心して家づくりの相談
ができる建築家だと思います。
中林弓子さんは、祖父と父も同業で 3 代目に当たる。客
観的かつ法的思考過程には男性的なイメージが先行する。
2009 年の新司法試験の合格者は 2043 人。そのうち約 26%
が女性と、以前より増加したもののまだまだ少ない。さら
に弁護士として登録されている女性は弁護士全体の約 15%
に過ぎない。人類の半分は女性であり、女性の視点も必要
であろうと単純に思われるが、他分野同様、まだまだ女性
化率は上昇しない。その難関を見事に突破するためには常
に勉強の毎日であったろうと推察される。
法科大学院を経て、東京都内での修習を終え、2011 年 12 月より弘前にて勤
務している。企業法務が中心の東京と違って、青森県はほとんどが民事。仕事
量もかなりになるが、クライアントも必死なので、より遣り甲斐を感じるとい
う。2003 年弘前城ミス桜、2009 年ミスねぶたを務めた。勉強の毎日の中で、
イベントなどで違う世界との接点は新鮮で楽しかったと語る。趣味はアロマや
映画鑑賞とのこと。「男性の弁護士には話せなくても同性になら話せる悩みが
あると思う。女性の悩み解決に役立ちたい」と熱く語る弓子さん。美しくネイ
ルされた手元に、気負わずに
平成 12 年 立命館入学
進んでいく、女性らしいしな 平成 16 年 立命館大学法科大学院入学
やかさを感じた。益々のご活 平成 19 年 法科大学院修了 法務博士取得
平成 22 年9月 新司法試験合格
躍を期待いたします。
11
平成 14 年 広島大学工学部第四類卒業
記:橋本貫司
(昭 52 卒)
平成 23 年度
同窓会運営協力費
協賛者
数字は卒業年度
通は通信 敬称略、順不同
柿崎陽三朗
石岡 貢
三上 祐啓
清野 利保
時任 昭二
中村 淳二
鳴海 幸務
丸山 隆次
山田 吉弥
吉岡 隆一
工藤 順三
工藤 邦男
桜庭 陽三
田中 健雄
西 良男
佐藤 亮一
清 野 隆
高山 良二
渡辺 弘之
柴田昭太郎
櫛引 晴雄
昭 和 15 年
昭 和 20 年
大平 喜彦
豊田 吉郎
中村 佳暉
芳賀 誠治
櫛引 元三
一戸 忠
一戸 良七
小川 敦
葛西憲之助
境 辰五郎
佐々木義郎
相馬 正勝
高橋 俊逸
中道 信三
成田 昌弘
花田 誠
花田 公男
福士 主計
松井 鼎
三上 純平
小野 徳朗
黒瀧 秀昌
桜田 純造
佐藤 昭雄
七戸 靖
鈴木 慶照
田村 武洋
奈良岡辰夫
成田 良樹
花田 郁男
船水 宏
海老原 巽
大西 稔
小野 敏男
鎌田陸奥男
昭 和 7 年
小松 常正
昭 和 10 年
中村 一雄
花田 潔
昭 和 11 年
中村 道郎
昭 和 12 年
千葉 彦二
藤本 文一
松木誠一郎
昭 和 13 年
櫛引 金治
棟方 肇
昭 和 14 年
昭 和 16 年
東谷 清次
天内 行雄
武藤 善美
斉藤 健治
竹浪 浩
山崎 明一
佐藤 慶三
波多野 弘
昭 和 17 年
清藤 六郎
工藤 稔
新岡 徳治
松井 一郎
浅利 譲
対馬 和郎
昭 和 18 年
工藤 俊夫
中村善佐衛門
黒滝 淳一
安田 二朗
川崎 亮一
山内 孝
昭 和 19 年
斉藤 栄三
斎藤 義一
斎藤 健
佐々木謙一
安田 喜重
山崎 俊三
渡辺 健三
相坂 正夫
小嶋 誠一
藤田 廣
葛西 栄治
木村 浩
藤山 由造
五十嵐芳男
平成 20 年∼ 蟻塚学建築設計事務所代表
中村 豊
昭 和 24 年
相馬 齋弼
山田 新一
武田弘三郎
中山 将明
明石 昭
相馬 達雄
三浦 光義
秋元 良三
石岡 晶敬
長利 清弘
兼田 洋三
川村 昭男
佐藤 純一
鈴木 勝男
須藤 昭夫
武田 隆治
福士 正一
福津 辰大
猪股 圭二
岩間純二郎
古市 誠治
松盛 陽二
三上 弘
平山 清
盛 嘉次
對馬耕治郎
昭 和 22 年
昭 和 25 年
阿部 恒彦
荒谷 五郎
金崎 昭三
竹浪順三郎
東海 久雄
藤森 等
今井 秀夫
蝦名 泰衛
小林 勇
手塚 敏
鳴海 怜次
相澤 誠祐
佐藤圭一郎
須藤 倫行
西村 洽
橋本 亮三
山内 恒男
豊田 伍郎
三浦 實
川崎 吉充
会津 孝蔵
一戸 克夫
伊藤 正樹
稲葉 克夫
岩谷 剛
海老名清美
川野名 智
工藤 博道
佐藤 茂
清水 行正
下山一二三
田澤 安宣
千葉 護
中川 邦夫
成田 努
成田 瑞穂
乗田 哲実
松山 宗平
三上 浩
山田 寿男
阿部 泰久
長内 昌美
西良二郎
工藤 浩之
工藤 正昭
坂本寿太郎
桜庭芳太郎
神 弘見
須藤 文雄
清野 正
長尾栄一郎
鳴海 昭文
原 庄三郎
原 武夫
五十嵐邦享
尾坂 昭治
昭 和 21 年
昭 和 23 年
石戸谷欣一
小宅 弘道
蔭山 光顕
木庭袋隆昭
櫻庭 朔
高橋 章
富澤 成美
萩野 實
福士 和衛
三上 哲
安田 準三
田中 玲
三上 和彦
石郷岡 隆
外山 親俊
鎌田昭三朗
神田晃太郎
永沢 寛
花田 喜一
福沢 秀輝
蒔苗 實
金澤 木村 五郎
鳴海 康安
昭 和 27 年
井澤 文廣
石岡 正憲
石堀 哲男
蝦名 保雄
西 正
加藤 一男
工藤 良平
工藤 堅二
佐々木恵吉
佐藤 新平
佐藤 君雄
神 武弘
清野 浩
相馬 英三
外﨑 久夫
高谷 博文
田澤 正美
野原 敏昭
長谷川 巌
三浦 義光
山内 尚道
山内 博尚
大高喜久夫
加賀谷健三
工藤 晃
児玉 俊助
境 淳一郎
神 廉
竹原 昭雄
宮川 二郎
盛 義明
横山 義則
桜庭 旭
石岡 満
北畠 顕文
小枝 清作
斎藤 寛
櫻庭豊三郎
荘司 道夫
竹田 良三
田澤 和郎
田辺 靖彦
中村 義弘
成谷 昭一
原 忠三郎
三上 昭夫
三上 隆雄
三橋 寛
盛 清祐
秋元 克郎
岩渕 明一
古川 昭雄
澤田 瑞穂
早良 哲夫
梅原 正年
澤田 禮治
新戸部満男
阿蘇 哲
昭 和 28 年
昭 和 26 年
一戸 宏
小山内英造
小野 晃
西 一男
西 恭治
西 英昭
梶野 良二
工藤 清彦
佐藤昌覚郎
須藤 弘一
中村 浩
奈良 忠
町田 宇平
松本 政保
山崎 幸夫
山本 治郎
秋元 義隆
荒井 祐蔵
伊東 聰
木村 光敏
楠美 和夫
黒滝 信一
坂岡 博
櫻庭 正
柴田 晋
田辺 実
豊川 裕之
中村 雄三
西塚 眞
松本 巌
松山 孝弘
村田 弘
若松 清吾
太田 正一
岡田 勇吾
西 昭蔵
佐々木稔雄
関 登志雄
建部 高明
永井 俊衛
中嶋嘉四雄
野尻 壽康
安田 良樹
横島 茂
工藤晋三郎
相馬 昭典
記:八木橋靖子(昭 61 卒)
油川 覚
今泉 徹三
小山 秀弘
川野名 靖
櫻井麻古人
鈴木 正導
田澤 孝
鶴田 昭英
西谷 俊助
福沢 平六
福士知英子
村谷 邦男
盛 皓
山内勇喜男
渡辺 厚吉
雨森 輝昌
有賀 達泱
石坂 浩
石戸八千代
長利 康二
小田桐庸吉
櫻井 溥
須郷 健市
対馬三四年
夏坂 栄一
成田 一典
真嶋 淳
齋藤 春彦
三戸 一孝
神 正道
阿部 次男
長部日出雄
新宅 清司
中西 充子
花岡 宏六
木村 文丸
須藤 惇
昭 和 29 年
飯塚 洋
一条 琢子
一戸 紀美
大和田一衛
岡部 恒子
小山内 裕
梶野 敦子
加藤 順治
川村 年
川村 美通
木村 晃
櫛引 邦弘
工藤 誠子
黒岩 隆介
小林 勇
小林 陽三
斎藤満智子
斎藤 周
斉藤 斉
佐藤 剛
澤田 静
嶋脇 英司
神 忠男
杉田利八郎
田澤千代子
田澤 昌弘
田辺 昭彦
外崎芙美子
夏坂 芳作
成田 正雄
花田 瑞穂
花田 聡子
平栗 城志
平田錦市郎
藤田 功
松木十四雄
村谷 令子
山形 盛
山上 清志
山本由紀子
池田 浩三
一條 アツ
金枝 亮
古川 力男
鈴木 漾子
関 千鶴
相馬 慶造
成田 静雄
野呂 謙
林 朋衛
日景 宏和
前田 弘子
光永 道生
村田 範子
山崎 ヤヱ
井汲 頴子
内山 喜順
西 常美
工藤 とし
小寺 豊
小林 貞三
斎藤 政一
鳴海 隆
西田 容三
小濱 正春
成田 惠子
吉川 瑞浩
昭 和 30 年
石岡 秀治
猪股 敏
今井 孚
内山 善雄
大村 嗣郎
木村 弘三
木村 忠資
木村 昱介
小枝 昭一
小関 克洲
斎藤 哲
地主 静生
祖父尼賢一
高木 了司
髙田 正利
田中 髙
玉田 二朗
対馬 初美
中田 健造
中野 健治
鳴海 弘憲
藤田富美子
船水 静児
村山 勝弘
八木橋良範
安田 周平
山内 卓司
秋庭 修
秋元良之祐
海老名正捷
小野 三夫
小山 直美
工藤多喜二
坂田 宗等
佐々木一雄
佐々木 淳
滝本 秋男
田口 実
鳥谷部國男
平山 壮三
三上 清治
米田 繁男
阿部 和悦
工藤 武三
後藤 荘平
佐藤誠四郎
祖父尼 哲
田口 鉄治
田中 幸子
井 保
奈良岡幸弘
成田 修三
福津 弘人
三上 忠二
三和 孝徳
米澤 實
内海 昌蔵
鎌田 勝治
黒瀧不二夫
福士 六郎
福地 順一
萱野 彰
川原田久雄
佐藤 一生
渋谷 昭民
三上 尚義
昭 和 31 年
長利 浩三
織田 常良
楠美 明子
工藤 純一
工藤 哲也
須藤 和信
西村 政恒
三浦 妙子
八木橋栄一
横岡 一
和田 博勝
小田切隆昌
工藤 光男
工藤 久雄
瀬尾 孝文
中野 祐輔
西谷 耕治
松山 哲三
山本 嘉政
磯山 芳郎
太田 耕正
唐牛 襄
久保田軍治
佐藤 和則
佐藤 泰弘
丹藤 公雄
藤田 進
舟本 統
佐藤 正勝
会津 清英
尾坂 登良
小田桐畝傍
外崎 昭
藤木 義行
三上晃一郎
山王丸ノリ
千葉 光政
八木橋惇夫
昭 和 32 年
秋元 善智
秋元 幹雄
阿部 恵子
阿保 博巳
石橋 憲興
一戸惇一郎
一戸 章
小笠原 勲
小笠原時雄
小野 博光
草刈 潤
工藤 朝臣
工藤 栄一
小坂 堅治
小舘 玲子
斎藤 守
斎藤 肇
齋藤 彰
佐々木 巌
佐藤 正
佐藤 勉
高橋 三雄
田澤 郁夫
道川 一利
中村 健
成田 眞
成田英久範
芳賀 文彦
長谷川秀人
福士 壽一
福士誠一郎
福原 幸
藤田光三郎
船水 長昭
堀川永一郎
松山 繁夫
真野 洋
三浦 精子
三上 瑛子
三上 誠一
阿部 東
安倍 政幸
阿保日出一
淡谷 良子
一戸純三郎
岩渕 弘子
小笠原愼逸
木村 進
工藤 彪
小枝 俊治
小舘真佐夫
佐々木孝明
佐藤 光春
渋川 尚文
島中 弘
祖父尼俊雄
名古屋和夫
鳴海 弘明
野崎 修一
長谷川勝勇
松浦 恭子
溝江 正
三橋 正義
森田 昌好
吉川富士保
世永日出雄
石田トミヨ
石戸谷 弘
今井 忠利
岩崎 哲夫
斎藤 健
佐藤 章道
原子 典文
山口 耕造
山邊 悠一
一戸 博臣
西 義朗
工藤 秀久
中林 弓子さん(平12 卒)
平成 22 年 11 月 司法研修所入所 平成 23 年 12 月 司法研修所修了 弁護士登録
齋藤 次郎
竹浪 隆
外崎奈奈美
平山 寿
松山 久雄
松山 正毅
片桐 康雄
栗林 良正
建部八洲夫
昭 和 33 年
工藤 一夫
工藤 晃嗣
古川 昭
小林 泰秀
古村由比子
高木 昌幸
竹内 健二
鳴海 諄
鳴海 敏文
船水 義三
三浦 洋子
水木 厚美
山口 眞彦
安倍 政雄
工藤 直樹
工藤 登
隆島眞喜子
竹谷 好弘
成田 裕司
野呂 陽一
若松 隆
秋元 年勝
秋元 采子
秋山 英男
明比 範夫
原 信義
坂元 正子
佐々木秀博
中畑 忠弘
二川原誠逸
花田 幸三
福田 壽徳
福原 建三
船橋 俊男
溝江 吉真
山田 誠司
石田 稔
西 勝尚
鎌田 興治
田中 仁
中村 直司
奈良 壽眞
花田 誠三
伏見 静夫
三浦 昭子
横山 泰久
木村 秀明
佐藤 宏
樋口 喆也
田中 浩子
昭 和 34 年
相沢 弘毅
石黒 紘一
小山内貫根
西 英之
川村 貞夫
木村 幸一
工藤紀千蔵
工藤 哲生
栗林 欣一
佐藤 隆雄
島中 誠
田口 順子
田村 郁子
塚本 康喜
対馬 文守
中村 勇一
鳴海 泰典
野宮 正行
廣瀬 博
福士 宏
蒔苗 伸一
安田 正英
山口 二郎
山下陸奥男
山本 正紀
木村あさの
櫛引 章三
小中 徳雄
小森 和昭
坂本 和聰
関 邦男
平川 英廣
藤田 瑛二
蒔苗 優子
三浦 玲子
工藤 眞生
小枝 兼悦
佐藤 眞
佐藤 睦子
住吉 一紀
冨田 重照
成田 昭紀
西谷 邦男
福田 忠敏
三浦 幸雄
柳川 勝
角田 幸子
川村 永三
川村昇一郎
斎藤 紀
高谷 恒雄
福士 兼義
福士 謙
山田 栄一
小野 光貞
金崎 誠
櫻田 健
笹 進
三上 智也
西澤 公司
昭 和 35 年
秋本 博
秋本 昭子
小山田顕裕
工藤 勝弘
佐藤 祥子
寺山 紘
中道 靜郎
成田 正光
肥後 和保
藤澤 一夫
松尾 徹也
宮川 忠義
五十嵐弘子
岡部光太郎
須藤 宏
竹内 正隆
田中 浩
千葉國美津
西澤 義之
橋本八重子
藤田 和美
森岡 啓二
山形 英雄
吉川 直彦
石郷岡義了
木村 久夫
古川 育男
古川 銑一
舘山 公文
千田 勝弘
二川原和男
西田 鐵郎
西谷紀久子
蒔苗 忠典
松山 満
山田 猛敏
山本 善弘
横山 篤
明比 隆夫
今井 健夫
神山 弘志
玉田 友一
逸見 直義
秋元 弘一
小山とき子
昭 和 35 年 通
木津久仁夫
昭 和 36 年
赤坂 桂吾
浅利 朝子
葛西 友子
柏 洋治郎
久保田隆二
佐藤 勝美
関野 正義
田澤 文雄
中西 重嗣
成田 郁夫
成田 重蔵
鳴海 忠孝
森山 武彦
油川 義博
有賀 孝雄
石川 良子
大湯 芳文
工藤美智子
工藤幸七郎
工藤 直人
斎 藤 雪 雄
笹村 圭子
田辺欣二郎
堀内 久子
松井 睦朗
三浦 セツ
米澤 惠子
五十嵐正幸
石岡 隆
大平 和夫
大場 良平
小笠原 弘
小野 幸司
金沢百合子
川村 哲子
工藤 俊治
工藤 秀則
佐藤 昭郎
大條 俊彦
高木 泰宏
高橋 信進
高松 秀興
三和 公明
内海 俊治
佐藤 光毅
藤田 淑江
三浦きく子
櫻庭 忠雄
赤平 法導
越前 登
北畠千賀子
森山 和子
昭 和 36 年 通
平澤惠美子
昭 和 37 年
赤石 昭次
葛西 一道
加藤 正大
嶋津 一彦
清藤 隆平
敦賀 哲朗
原 俊輔
﹁セピア色の青春時代﹂
41
中で学生運動、ウーマンリー
成田静司氏の全盛時代
22
30
︱
︱
32
ら﹁ 妖 星 伝﹂へ と 進 む と、 も う
34
34
33
ミロのヴィーナスと
成田先輩
それでメンバ ー は?﹂
﹁決ま っ
ヤーヤードー
権へ出場し、男子団体戦の
34
75
長に就任するなど、教育文化を
40
32
編集委員会
49
27
■学校の警備システムが作動し
て鍵がかかってしまう寸前まで
編集・校正作業をしてしまいま
した。
︵K・H︶
■最近、音声認識機能のモバイ
ル機種が続々登場。キュートな
受け答えをするそうです。交換
を思案中。
︵Y・Y︶
■鏡ヶ丘の先輩・後輩の活躍や
文章がおもしろく、編集・校正
を忘れて見入ってしまうことが
しばしばです。
︵K・M︶
■何にも出来ませんでしたが、
編集の現場や同窓皆様を通して
様々な事を知り、勝手に大満足
しております。
︵T・K︶
編集後記
28
61 61 52 43 41
4
49
29
32
新 し い 出出 発発
20
ていた先生が、翌日帰らぬ人と
故 阿部次男先生
21
23
弔 詞
なろうとは、誰が想像できたで 留まるところを知りません。以 てるべよ、 君だよ﹂
﹁え っ!﹂ 始めとする多彩な分野に、その ■理系の私が編集・校正するな
名 物 恩 師 列 伝 ③ ワンコでした。お名前の一 した。
んて。知らない言葉や熟語をス
で、とうとう、一時間の しょうか。本当に残念でなりま 後毎日のように昼休み、放課後 という会話を忘れることができ 卓越した発想と俊敏果敢な実行 ル ー することなく確認。 知識
がワンなので、こう呼ばれ
花田
一 先生 たんでしょうな。︵小柄で、 授業が、それでつぶれました。 せん。
と語っても足りず、帰宅途中の ません。
﹁これは運命だ﹂ とい 力で功績を挙げ、瑞寶章受章に ︵常識︶が身に付いた!
︵E・T︶
次 の 週、
﹁ 先 週 は ど こ ま 思いおこせば、先生との出会 喫茶店でも話し続けましたね。 う先生の一言で、一緒にいた笹 輝きました。ほんとうに充実し 渋谷 龍一︵昭 卒︶ 足早にせかせかと歩く人で
ででしたっけね?﹂という いは、昭和五十二年、先生が弘 そんな時、先生からいただい 森先生も加わり、三人で始める た日々であったと思います。
した。︶
先生の思い出は数々あり ので、ズルスケ生徒達は﹁正 前 高 校 へ 転 勤 し て き た 時 で し た詩集﹁謎問う標識﹂や﹁秘密 ことになったのです。わら半紙 さて獏先生! 常 々 輪廻転生
ますが、中でも忘れられな 田家へお使いが行くとこま た。 最 初 は 半 村 良 の 話 で し た の小函﹂の世界にすっかり魅せ にホチキス留めの創刊号でした を語り、終わりは実は始まりな
いのは、授業を脱線する事 ででした﹂と、又脱線にし ね。彼の出版本を五十冊以上書 られ、故・虎谷千佳子さんと三 ね。それは私が今まで一度も書 んだと言っていた先生。やはり
人で、十二年の歳月とともに創 いたことのなかった小説への第 これは新しい出発なのですね。
むけると、先生は笑いなが
でした。
りあげ、その曲のみによる演奏 一歩となり、後に新聞連載や、 だとすれば、私も悲しんでばか
折しも、皇太子様が美智 らも、ちゃんと乗ってきて、
会を開いた、連作歌曲﹁花の歌﹂ 出版につながったのです。これ りはいられません。しかし然し、
子様と、ご結婚なさる頃の 又半時間がつぶれました。
や、東京のオペラシティーリサ らはみな獏先生のおかげです。 何時も二人で最初に歌 っ た﹁旅
今思うと先生も、退屈な
事でしてね、ワンコ先生は
イタルホールで発表された、歌 先生は私の人生を変えたといっ の終わりに﹂を、いったい誰と
昔の名物先生達は、大抵、 正田家や美智子様の事を、 化学の授業よりもご自分で
歌ったらよいのでしょうか⋮合
曲﹁漏刻﹂
﹁夜蛾﹂等、多くの歌 ても過言ではありません。
渾名︵あだな︶で呼ばれて それはくわしく、我々生徒 も楽しかったのかも知れま
曲や合唱曲が生まれました。
そのような先生とお別れしな 掌。 ︵平成二十四年三月二十日︶
ました。花田先生の場合は 達に話して聞かせてくれま せんな。
35
優勝メンバーの一人として
ブ闘争など、自分の欲しい
﹁⋮誰人か天下の賢﹂と
大 い に 活 躍 を し た。︵ ち な 陸羯南は問いかけた。それ
ものは自分で勝ち取らなけ
卓
球
雑
感
みにその時の女子団体の優 が今、鏡ヶ丘に顕現しては
ればならないと、ひたすら
哲夫︵昭 卒︶
岩崎
いないか。
東京鏡ヶ丘同窓会副会長
東東東東東東
勝監督が三浦實氏である。
︶
走ってきた時代の陰にそっ
北に生まれた者のみが持
㈱﹁プロマージュ﹂社長
㈱㈱㈱㈱
年大学卒後は八幡製鉄 つ深い思索、反骨、じょっ
と忘れられてしまった純愛。
弘前高校は、来年、創立 ブルス・シングルスを制し たした。
青山
徳子︵昭 卒︶ 涙しながら観ている自分が 百三十年を迎える。その重 ている。
に入社、5年間 ぱ り 魂。 三 浦 雄 一 郎︵ 昭
また 年には、準決勝で ︵現新日鉄︶
、長部日出雄
︵昭 卒︶
、
︵社会人チーム︶
で優 卒︶
︵中央大︶
を3│1で下 実業団
まだまだ老いていない事に みのある歴史の中で、わが
以 下 に 3 人 目 の 全 日 本 田中
鎌田慧
︵昭 卒︶
、三浦雅士
︵専修大︶ 勝するなど活躍が続いた。
来年、母校弘前高校は創 人として参加した映画が最 気がついた映画でした。
鷹門クラブ︵弘中・弘高卓 チャンピオン成田静司氏の し、決勝では星野
︵
昭
卒︶
、 川 口 淳 一 郎︵ 昭
成田先輩の戦型は、ペン
最近は映画の世界もハイ 球部OB会︶も、六十有余 輝かしい戦歴について記し を3│1で寄せつけず二連
立百三十年を迎えることと 近上映されました。原作が
卒︶の 各 氏 の 業 績 は、 そ
ホルダーのカット
︵守備︶
を の 才 能 の み な ら ず、﹁ 不 撓
覇の偉業を成し遂げた。
なりました。丁度、私が在 連城三紀彦著﹁恋文﹂の中 テク化されCG映像、3D 年にわたり確かな歩みを続 てみたい。
﹁切磋琢磨﹂の賜物で
私は両大会
︵立教大1、
2 主戦とし機を見て両ハンド 不屈﹂
学 中 に 八 十 年 を 迎 え た 時 の﹁私の叔父さん﹂という 映像、ハイビジョン映像な け、多数の著名な選手を輩
成田先輩は、私の入学時
あろう。若者よ、汝の道を
に、その記念行事に参加さ 作品です。この作品は絶対 どめまぐるしいありさまで 出し、卓球王国青森県を支 のキャプテンで、1年間直 年 時︶で、 そ れ ぞ れ 審 判 団 からの華麗で矢のような反 拓け!
︵Y︶
の 一 員、 選 手 と し て︵ 3 回 撃であり、日本一! 正に
せていただいた記憶が今で にあり得ることのない、い 日 々 進 化 し 続 け て お り ま えてきた。ちなみに卓球部 接ご指導を頂いた。
年の全日本選手権ジュ 戦 で 敗 退︶参 加 出 場 し、 幸 天下一品の芸術と言っても
も残っております。早いも え、あってはならない叔父 す。十年後には映画は全て は、戦後間もない昭和 年
成田先輩の初制覇、 過 言 で は な い。 今 後 と も、 ︵編集長︶安田 俊夫︵昭 卒︶
ので卒業してから五十年弱 と姪の愛の物語です。映画 3D映像となるといわれて に 創 設 さ れ て い る。 そ し ニアの部で優勝。 年卒後 運にも、
義禮
︵昭 卒︶
二連覇の場面を目の当たり 先輩以上のペンのカットマ 秋元
を迎えることになるのです を観ながらこの愛は本物か、 おります。しかし今回の作 て、 年に行われた、戦後 日大へ進学。
橋本 貫司
︵昭 卒︶
年 全 日 本 選 手 権︵ シ ン にする事が出来た。
ンの出現は無い。
ね。大変に感慨深いです。 偽りか、自問自答しながら 品のようなセピアトーンの 復興第1回の中等学校全国
高木恵美子
︵昭 卒︶
なおこの年には、全日本
︵八幡
成田先輩は、現在弘前在
最近の四一会東京組では 観ていくうちに、禁断の恋 映像が私は美しいと思いま 大会︵現在のインターハイ︶ グルス︶準決勝で田中
八木橋靖子
︵昭 卒︶
退職して故郷に戻り、シル ゆえのはがゆさや必死に生 した。深く深く内面に入り で、早くも初出場全国制覇 製鉄、当時の世界チャンピ 学生東日本学生選手権等々 住で 才、今なお現役で卓 今井知世子︵平3卒︶
バーライフをエンジョイし きている登場人物たちにど 込んでくる、私を十代の思 の偉業を成し遂げている。 オ ン︶を3 │0 で 一 方 的 に のタイトルを総なめにして 球 の ラ ケ ッ ト を 握 り、 一
工藤 友宇
︵平3卒︶
行
︵平3卒︶
ている人たちも多くなり、 こか自分の青春時代とが混 いにさせてくれるそんな作
主 力 選 手 の 三 浦 實 氏︵ 昭 退 け、 決 勝 で は 酒 井︵ ヤ シ いる。正に全盛時代で驚異 般・大高中小生に実技指導 三浦
︵渉外部︶
福井 次郎
︵昭 卒︶
年 々 東 京 の 同 期 も 人 数 が ざり合って、ぽつりぽつり 品がまだまだ必要だと強く
卒 早 大 O B︶と 鈴 木 一 氏 カ︶を 3 │ 0、 各 セ ッ ト は の活躍振りであった。そし されている。
︵ドルトムン
と涙が流れ、ふと周りを見 思いました。
本当に感服の極みである。
減ってきております。
︵昭 卒慶大OB︶は、それ 接戦するも、一セットも失 て 年 ド イ ツ
敗戦後に生まれ、バブル ぞれ全日本学生選手権のダ うことなく見事初制覇を果 ト︶で 開 催 さ れ た 世 界 選 手
私は仕事柄まだ現役で仕 渡すと私と同世代の方々が
事を続けておりますが、最 同じように涙を拭いており 時代を知り、年金生活時代
時を同じくするように、私は ければならないのは、とても哀
阿部次男先生 追悼
を送る、我々団塊世代がこ
近では若い世代に少しずつ ました。
文学の世界に足を踏み入れまし しいことです。しかしながら先
きっと心の奥にしまいこ れからの人に我々の生きざ
任せて、東京鏡ヶ丘同窓会
た。同人誌﹁むうぞく﹂です。 生は、多くの優秀な教え子を育
の俳句会やウォーキング会 んでいた淡い思いがよみが まからたくさんのことを感
川村昇一郎︵昭 卒︶ 作曲家でピアニストの笹森建英 てあげ、三本木高校や、母校で
に参加して趣味の生活を楽 えったのでしょう。半世紀 じ、学んでもらうためにも
阿部次男先生、いや獏不次男 架に並べて、ファンを自認して 先生と二人、中央高校で新体操 ある弘前高校の校長も歴任しま
が経ったとはいえ、まだま これからも何本か映画、ド しんでおります。
先生! 昨年の十二月十八日の いた私は、先生がそのすべてを の音楽の合わせを終え、ふと立 した。 又一方では、
﹁津軽太平
そんな半分現役、半分趣 だ脳裏には生々しく残って ラマの制作に意欲的に参加
していきたいと思っており 夜、鳴海病院の個室で、﹁獏さ 持っていることを知り、大いに ち寄ったスナックに先生がいま 記﹂や﹁元禄妖犬伝﹂など、多く
味 の 生 活 を し て い る 私 が いる青春時代。
ん大丈夫だからがんばりへ﹂と 驚き、うれしくなってしまった したね。
﹁今度同人誌をやるこ の小説や詩集を出版し、弘前ペ
高度成長期という真っ只 ます。
久々にプロデューサーの一
言ったら﹁うん﹂と大きく肯い の で し た。 話 が﹁ 石 の 血 脈﹂か とにしたじ ゃ﹂
﹁いいですね、 ンクラブを創設して、第二代会
平成 24年5月 20日 第 24号 (8)
鏡ヶ丘同窓会報
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「鏡ヶ丘同窓会報」
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