同窓会報21号_2009

第 号
いという中林裕雄同窓会長
募集と協賛金の募金のため
委員の皆様が、出品作品の
六学年にわたる各卒年代表
静岡、京都に在住されてい
東京、千葉、埼玉、神奈川、
だけでなく、北海道、宮城、
てご尽力された。
生は専門部書道部会長とし
門部絵画部会長、永澤寛先
織された。秋田豊先生は専
三十名の実行委員により組
上佳男弘高校長の挨拶のあ
だき、中林実行委員長、山
相馬弘前市長の祝辞をいた
を重ね、十月三十一日開会
実行委員会、各部門ごと
実行委員会は、中林同窓
会長を実行委員長とし、鳴 の打合せ、各専門部会が回
豊かさ、層の厚さを垣間見
と記念美術展開会となった。 会という巨大組織の人材の
をはじめとする六名の顧問、 の日を迎えた。開会式では
海康安先生、清藤勇也先生
地元FM 放送局アップル
ることができたように思わ
上がっていた。鏡ヶ丘同窓
多くの方々から賞賛の声が
作が出展され、観覧された
種多様な分野から渾身の力
会としては比類ないほど多
者 一 覧 を 掲 載 ︶一 つ の 展 覧
のマスコミ各社が報道した。 れた。
ウェーブ、陸奥新報他多数
平成二十年五月十四日、
鏡ヶ丘同窓会創立六十周年
が中心となり実行委員会組
副実行委員長清藤哲夫さん
皆様には大変お骨折りいた
ティアの皆様、真澄の会の
たくさんのPTAボラン
うちに終幕した。
上り、十一月三日大好評の
ロへの入場者は約二千名に
会場と八階スペースアスト
記念美術展の会場となっ
開会中のスタッフとして、
記念美術展﹁書・絵画・彫
刻﹂実行委員会総会を経て、 三上裕弘PTA会長はじめ た︵株︶中三弘前店六階特設
織が本格的に始動した。昭
だいた。
齋藤 文雄
和二十二年卒の坂本育造さ
総会案内
平成二十一年度の鏡ヶ丘同窓会総会を左記の
とおり開催いたしますので、皆様お誘い合わせ
の上、ご出席下さるようお願い申し上げます。
・七月四日︵土︶午後五時より
・ ホテルニューキャッスル 麗峰の間
・会費 七千円
ら四百万円を超える協力
弘前高校渉外部主任
懇親会でのアトラクショ
ンは当番制で各同期会が
展示作品は地元の同窓生
一万九千人の会友に送付
金をいただきました。誠
されています。人間至る
にありがたく、衷心より
鏡ヶ丘同窓会会長
じめとし、関西、仙台、札
千 五 百 名 近 い 会 友 よ り、
さん開かれました。そして
弘前高校の同窓会はそ
の同期会が昨年度たく
うした卒業生の心の砦と
幌の各県外支部の皆様、ま
ます。
どよろしくお願いいたし
して存在しています。
た青森、五所川原、板柳、
寄せられました。心より感
会員の皆様には、今後
四百万円を超える協力金が
も同窓会へのご支援のほ
藤崎、平賀、尾上、大鰐の
こ の 同 窓 会 報 は、 全 国
謝いたします。
各県内支部の皆様、支部総
会にお招きいただきありが
この協力金は会報の発
今 回 は 年 卒︵ 代 表・
須 藤 朗 孝 ︶の 方 の 出 番 で 行・発送、ねぷた制作援
は千五百名余りの方々か
で流されるなど会場は興奮
卒のねぷたで大いに
担当しており、昨年は昭
れこそ世界中で活躍して
和
申し上げます。どの地区も
おります。しかし、どこ
所に青山ありと言います
活発に同窓会活動を展開さ
で暮らしていても、一度
昨年は、しばらく休会し
の渦に巻き込まれました。
ていた県庁支部の総会も開
幹事を引き受けた昭和五十
れており会の代表とし
目をつぶれば、浮かんで
御礼を申し上げます。
て喜びに堪えません。
くる光景は鏡ヶ丘より見
盛り上がりました。
加えて、本紙六ペー
え る 岩 木 山 の姿ではない
が、本校の卒業生は、そ
んから平成七年卒まで四十
ホームページ URL http://kagamigaoka.com/
管理者メール [email protected]
実行委員長 大中 実(昭 61 卒)
かれました。心よりお喜び
三年卒業の皆様、大変ご苦
さらに、東京同窓会をは
労さまでした。
ジの会務報告でも分か
でしょうか。
中林
裕雄
︵昭 卒 ︶
りますように、各卒年
とうございました。
鏡ヶ丘ホームページ
鏡ヶ丘同窓会創立六十周年記念美術展﹁書・絵画・彫刻﹂
点、二千名が観賞、交流す
の熱意により平成二十年一
渾身の力作
創 立 百 二 十 五 年 ︶を 迎 え る
月十九日記念美術展実行委
る同窓生から多数出品して
ことから、同窓生の作品に
に活発な活動をした。
よる記念美術展を開催した
せました。アトラクション
ではねぷたが登場し、弘前
い た だ い た。︵ 六 面 に 出 展
員会が発足した。
この度の記念美術展は、
平成二十年度で鏡ヶ丘同窓
が会場を訪れ、たくさんの
方から好評の言葉をいただ
きました。そしてこの美術
展を開催するために多くの
方から浄財を寄付していた
6階ホールの先輩、後輩、ボランティアが交歓
一年を振り返って
だきました。この場を借り
てお礼を述べさせ
ていただきます。
結集していきましょう。
事業もまた、力を
の百三十周年記念
この美術展の成
力の賜と思っております。
功に力を得て、次
開かれました。出展作品
下土手町の中三弘前店で
美術展は、平成二十年
十月三十一日から四日間
えに同窓会の皆様のご協
できました。これもひと
を成功裏に終えることが
のご尽力により、展覧会
ました。そして関係各位
として美術展を開催いたし
昨年は、鏡ヶ丘同窓会
創立六十周年の記念事業
会 創 立 六 十 周 年︵ 弘 前 高 校
95
高校の歴史がスライドショー
す。どんな企画が飛び出
餞別、各地同窓会会合へ
助、全国大会出場者への
返信用ハガキを事務局ま
なお、ご出席される方
のみ、同封いたしました
しくお願い申し上げま
今後ともご協力の程よろ
ていただいております。
同窓会運営協力費の
御礼とお願い
毎年、鏡ヶ丘同窓会運
営費のご協力をお願いい
同窓会が負担します。
ご送金下さい。手数料は
の振替用紙で郵便局から
何口でも結構です。同封
一口千円で、一口以上、
たしております。昨年度
す。なお、協力費は年間
でお送り下さい。
の旅費の負担等に使わせ
すか楽しみです。
54
題字・鈴木忠雄名誉会長
公式ホームページ ht t p:/ / k ag amig aok a.com/
平成 19 年にスタートした同窓会ホームページも早2
年、アクセス数も2万5千件を超えました。同窓会員の
方で引越しなどで住所が変更になり、そのまま同窓会か
ら各種案内が届かなくな っ たなどお困りの方もいら っ
しゃいましたが、Google のネット検索等でたどりつい
たのかホームページ上から住所変更を依頼される方も多
いです。
また、当サイトでは同窓会の皆様から様々な投稿をい
ただいております。ご自身の近況、同窓会開催の案内な
ど使い方はさまざまです。
ご利用例
⑴同窓会・同期会の写真を掲載する
⑵各種論文、投稿文書、持論を掲載する
⑶同期会の案内を掲載する、各種イベント情報を掲載
する
⑷学校から同窓会へのお知らせ
⑸学校への要望
こんな使い方をしたいというお考えをお持ちの方は下記
までご相談下さい。
53
8階 スペースアストロのにぎわい
また、平成十九年度の総
と出展者の名簿について
会も見事な盛り上がりをみ
は、本紙の六ページに掲
載していますのでご覧下
会期中、約二千名の方
さい。
39
鏡ヶ丘同窓会報
(1)
第 21号 平成 21年5月 20日
21
好機を得て
卒︶
海老名英俊
顧問
︵昭
演劇部この一年
杉山
太子
顧問
インターハイ出場
山口
真吾
顧問
︵平3卒︶
の俊足を持つ、とても多才
務めるなど短距離選手以上
合同発表会での熱演⋮。こ
数年前までトラック種目
を中心に、男子四〇〇m リ
な能力の高い選手で、弘高
の五回の舞台で、私たちは
らしさを感じさせる人物で
かしながら今年、女子の中
今年は演劇部にとって激
動の一年と言っても過言で
レーで東北大会優勝や女子
学経験者が三名入部し、秋
四〇〇m ハードルで県高校
ターハイ出場者を輩出する
輩方に続く選手になれるよ
しい陸上で戦い、偉大な先
新入生とともに、自分達ら
大きく成長しました。
この競技では中学から始
めた者と高校から始めた者
はないでしょう。弘高祭二
年は部員数の減少もあり苦
の県新人戦では準優勝を果
とでは技術面で大きな差が
な出来事でした。残念なが
しい戦いが続いていました。 活動中です。春に入部する
たし東北大会へ出場するこ
でます。しかし大会では同
菓子屋開店。高総文地区大
ら県大会では一〇〇%納得
ようやく、数年ぶりのイン
した。
会では最優秀賞を受賞し、
のいく舞台を作り出すまで
記録樹立など、輝かしい成
とができました。
県大会に出場。また、あお
に至りませんでしたが、そ
中でも、十一年ぶりの県
日目舞台発表と三日目の駄
大会への出場はとても大き
じコートで戦うことになり
もりヒューマンドラマフェ
れぞれが課題に気付き、更
ことができました。
現 在 新 二・三 年 生、 男 子
績を収めていましたが、近
十五名、女子三名の戦力で
この結果を出せたのは決
ます。本校では中学経験者
して三名の入部だけではな
スティバルへの参加、冬期
の入部は毎年一∼二名程度
ン部で頑張ってきた、在校
く、今まで弘高バドミント
生や卒業生がいたか
なる躍進への一歩を踏み出
藤隼人君︵三年︶
は、弘高に
すきっかけとなったと思い
東北大会を通過し、埼玉
インターハイに出場した工
躍を楽しみにお待ちくださ
ていきますので、今後の活
う、部員一丸となり努力し
マンドラマフェスティバル
い。
ます。また、あおもりヒュー
では、日常の人権問題を描
人 事 異 動
点 中国近代思想史 第一冊
∼第六冊﹄
︵西順蔵編︶
▼昭
︵
卒 葛西清孝﹃春風秋風﹄
退職/養護教諭・小嶋まき
西 美 枝 子 ︶▼ 昭 卒 北 山 文
転任/教頭・石戸谷繁︵金木 子﹃ ラ ジ オ 東 京 戦 時 体 制 下
高校長へ︶
教諭・福原直樹
︵弘 日 本 の 対 外 放 送 1 ∼ 3﹄
高教頭へ︶阿部雅︵弘前南︶ ﹃ ピ ー ス ト ー ク 日 米 電 波 戦
眞嶋尚人︵弘前中央︶藤原健 争﹄﹃NHK戦時海外放送﹄﹃放
一︵青森西︶齋藤達人︵木造︶ 送のふるさとで﹄︵北山節郎︶
明石裕︵弘前南︶工藤康暢︵青
森南︶齋藤聖一︵黒石︶川野
優子︵県教委︶古川大吾︵田
名部︶
臨時講師・砂澤拓也
︵新
採用・大間︶総括事務主幹・
五十嵐徹︵弘前工業︶
転入/教頭・福地進︵三沢︶
教諭・葛西隆︵青森中央︶相
川省治︵青森北︶三浦航︵新
採用︶杉澤雅寿︵青森東︶佐々
木康人︵五所川原︶船越素子
︵弘前中央︶中村佐︵県教委︶
福山直人︵弘前南大鰐校舎︶
藤田正雄︵青森︶横山將仁︵田
名部︶
臨時講師・石田裕一
︵平
内︶養護教諭・菊池理子︵板
柳︶
事務主幹・鈴木るり子
︵弘
前工業︶非常勤講師・古川ル
リ子
平成二十年度
図書寄贈同窓生一覧
▼昭 卒 佐藤圭一郎﹃戦前・
戦後の子どもたちわれらの
日々﹄︵
﹁新老人の会﹂北東北
ブ ラ ン チ ︶▼ 昭 卒 西 祐 次
﹃講座 中国近現代史1∼7﹄
︵野沢豊・田中正俊編︶
﹃中国
の歴史 1∼ ﹄
︵陳舜臣︶
﹃原
32
33
35
▼昭 卒 阿部 東﹃ A New
Subspecies of Lepaulax
︵ Coleoptera,
matsumori
︶ from Kachin,
Passalidae
﹄﹃ 青 森 県 で 採 取 し
Myanmar
たホソカタムシ科︵ Colydiidae
︶﹄
﹃ ヒメヒョウモン亜族
︵ Boloriini
︶
の 蝶 種 の 染 色 体 調 査 ﹄︵ 阿
部 東 ︶▼ 昭 卒 工 藤 敏 行
﹃樺太、わが心の故郷
︵ふるさ
と︶
﹄
︵ 工 藤 敏 行 ︶▼ 昭 卒
珊瑚会一同
﹃ねぷたをつくる﹄
︵高橋憲彦︶
▼昭 卒 竹田允
彦﹃ Nishimura
式 合 格 する!
医歯薬への英語 過去問 校
︵延べ︶徹底分析﹄
︵西村真澄・
山田明夫︶
﹃石原式会話で攻
略! メ デ ィ カ ル イ ン グ リ ッ
シュ﹄
︵石原修︶﹃医系英語の
速読・記述特訓﹄︵西村真澄︶
▼昭 卒 高橋憲彦﹃ねぷた
をつくる﹄
︵高橋憲彦︶
▼昭
卒 福井次郎﹃コロンブスは
なぜアメリカ大陸に渡ったの
か﹄
︵福井次郎︶
▼特別会員・
石戸谷繁﹃学校のエスノグラ
フィー 事例研究から見た高
校 教 育 の 内 側 ﹄︵ 古 賀 正 義 編
著︶
29
37
らであり、伝統の大
切さを痛感します。
さらに、コーチをは
じめ多くの方からの
応援があったからこ
は珍しく? 砲丸投の選手
ですが、リレーでは一走を
きました。これはRABで
表3 過去6 年間のおもな大学の合格者数
そだと思います。
(国公立大)
三月七日
︵土︶
に放映
されました。
たいと思います。
来年もこの勢い
を失わず、 頑 張 り
母校
便り
これからもご声援
のほど、よろしく
お願いいたします。
ここ数年進学率が %を
名合格。弘前大
超え、今年は %と昨年を
⇒
抜き過去最高記録となった。
名。旧帝大合格者を減
であった。126年の伝統
表2 最近6年間の進学率
27
49
本校の生徒にとっ
て部活動を続けてい
くことは決して楽で
はありません。今回
の出来事が自信にな
り、きっと勉学の面
合わせて
は
らしたものの国公立大学合
を諸先輩から受け継ぐ本校
平成21年3月卒業生の進路状況(3月31日現在)
でも活かされること
と思います。
出願状況は、東大志願者
名と増加、東北大では
試で弘前大と秋田大に各1
名となり、医
表1 平成20 年度卒業生(267 名)進路状況
13
で、ここ数年、県のベスト
が
昨 年 よ り 若 干 減 ら し︵
低かった。不安定な社会情
名ずつ合格、私大も合わせ
は、これからも﹁全人教育﹂
と強く感じさせられた一年
入試結果は、東大は前期
試験で1名︵理Ⅱ︶、後期全
医学科現役合格は 名、過
AO合格者は 名、一般入
科類枠で1名合格の計2名
年度生合格
ならない。
(私立大)
陸上競技部
8が最高の戦績でした。し
平成 年度の
進路状況
勢、長引く不況など様々な影
しかし、三年次五月の第一
響を受ける中、生徒の第一
格者総数は174名と昨年
青森県の医師不足問題が
ウ ン か ら 増 加、 そ の 他 京
話題になる中、今年度弘大
願者はセンター試験結果ダ
医学部は推薦入試を廃止し
︶と な っ た。 弘 前 大 の 志
大・東工大・東京外国語大
志望校受験率が %程度と
奈良
昌孝
など毎年受験生がいる大学
志望を達成させるよう進路
度と同じであった。
今年度の大学入試セン
ター試験は、多くの科目で
AO
︵自己推薦︶
入試を導入、
指導をしなくてはならない
進路指導部
平均点を下げ900点総合
に出願者がいないといった
名となった。
では全国平均が昨年より
募集定員も
点ほど下がった。本校の総
合点平均は、文系が606
点︶と昨年より大きく
点︵▼ 点︶理系が650点
︵▼
下がった。他校に比べ下げ
師不足問題に今年も一役買
を目指して努力しなければ
で、3年前の現役5名から
うことができたと思う。
況であった。
若干偏りがみられる出願状
20
幅が大きかったこと、上位
徐々に減少している。東北
平成16年
69.5%
279
60.1%
143
79.4%
136
平成17年
81.6%
277
78.9%
147
84.6%
130
平成18年
80.0%
270
78.0%
150
82.5%
120
平成19年
79.5%
278
80.5%
149
78.3%
129
80
大は現役 名、過年度生を
進路未定
85
35
25
演 劇 部
83
15
52
51
22
バドミントン部
層が薄く難関大は厳しい戦
就 職
11
47
38
平成21年 平成20年 平成19年 平成18年 平成17年 平成16年
現 過 現 過 現 過 現 過 現 過 現 過
5
2
8
2
5
1
2
1
6
6
3
2 11
1
7
4
4
1
2
2
1
1
2
1
1
3
1
4
2
8
4
7
4
5
2 10
3
7
5
8
4
1
9
2
2
2
5
2
5
8
3
3
10
2
4
2
6
1
2
4
2
4
1
9
1
4
2
4
4
4
3
3
2
11
1
6
5
7
3 10
8
8 11
7
5
1
5
2
2
8
1
5
2
5
128 38 162 60 128 47 172 55 132 120 103 124
北海道医療
東 北 薬 大
慶 應 大
中 央 大
日
大
明 治 大
立 教 大
早 稲 田 大
立 命 館 大
計
他
の
平成20年
84.3%
274
82.3%
130
86.1%
144
平成21年
進 学 率 85.0%
卒業者数
267
進 学 率 83.5%
男子
卒業者数
127
進 学 率 86.4%
女子
卒業者数
140
全体
進 学
172
167
50
53
5
11
0
1
40
42
私立大学
11
合 格
174
174
127
162
5
12
0
1
受 験
342
329
299
344
9
14
0
1
そ
15
今年
昨年
今年
昨年
今年
昨年
今年
昨年
今年
昨年
国公立大学
20
32
40
13
32
38
いになると感じていた。
28
平成21年 平成20年 平成19年 平成18年 平成17年 平成16年
現 過 現 過 現 過 現 過 現 過 現 過
4
1
7
2 10
1
3
2
5
3
4
3
83
6 76 10 67 11 68
8 81 13 65 20
9
1
4
12
1
5
7
4
1
28
4 29
6 26
4 31
1 27 13 21 13
3
1
2
1
2
1
1
6
4
2 11
2
3
6
5
4
1
1
1
1
1
2
3
4
2
5
1
1
4
1
1
3
1
1
1
2
2
2
1
1
2
1
1
1
1
2
1
1
174 25 174 31 150 28 152 24 164 51 141 51
北 海 道
弘 前 大
岩 手 大
東 北 大
筑 波 大
千 葉 大
お 茶 の 水
東 京 大
東 京 外 語
横 浜 国 立
京 都 大
計
平成 21年5月 20日 第 21号 (2)
鏡ヶ丘同窓会報
本会では毎年、開校記念講演をいただいた同窓生
の揮毫した色紙︵裏面にメッセージ︶を卒業生に
贈っています。
講
師
財団法人
日本国際問題研究所 主幹 ︵当時︶
植物採集家ウルベン・フォリー神父と弘中・弘高生
〟と書か
Shirosaki
れているが、やがて標準語
ままに〝
種発見で著名なフォリー神
父の生家を訪ね、近くに住
の〝
〟 と変わ っ て む 親 族 と も お 会 い し ま し
Hirosaki
﹁う
いるし⋮⋮﹂
を読むたびに、 た。﹂ と 話 し た 途 端、
思わず笑みを浮かべている。 わぁー ! 奇跡だっ ! その
住んだことのある村なんで
村は私の祖父が住み、母も
忘れもしない平成十九年
十一月、
青森県日仏協会
︵会
大学に寄贈︵大九︶された ﹁オルフ ェ オ ﹂ を呼び、 弘
フランスから金管五重奏
フォリー師の名は、ついぞ
に 四 年 間 住 ん で い た が、
から日仏文化交流で、仙台
と。そして﹁私は、外務省
学や大阪市立大学の植物分
から見た自然、生態・形態
だきながら、師の語る植物
標本を見、コーヒーをいた
莫大な植物標本を自
バリウムに一か月余通い、
佐藤圭一郎︵昭 卒︶
カトリ ッ ク教会に収蔵の
すよ。弘前で聞くとは ! ﹂
前大学みちのくホールで演
た師でもあった。
大正四年、フォリー師が
昨年七月、 また、当地のりんご栽培に、
弘高渉外部 初めて剪定技術を指導され 台湾で天に召され、青森の
に一通の電
卒︶が、
奏会を開催、終わって打上
長梅原正年・昭
とき、郡場先生は同大学の
六万二四四〇点の植物標本
が、神戸の資産家から京都
新設の植物学教室に迎えら
類学者からも希望のお便り
氏
明治二十九年の秋、本校
話が入った。
の二年生だった郡場寛︵明
弘前大学学長︶が、博物の
富山大学鳴橋直弘名誉教授
平塚直治先生の紹介で、学
が あ り、﹁ フ ォ リ ー の 来 日
卒・京都大学名誉教授・
号︵昭和四十五︶の﹃偉大
れたのだった。
いでしょうか。私もそうし
宿泊のホテルに足を運んだ。
ラ・ バ ロ ニ エ 氏 に、﹁ 一 昨 〝鏡陵第二号〟
をコピーし、
年、リヨンの南西のジェニ
エル村へ、日本の植物の新
旧図書館の様子
から﹁弘高の〝鏡陵〟第二
な植物採集家ウルベン・フォ
友とともにフォリー師を幾
たと思います。しかし彼は
らの手で丹念に調べ、
前しか書いてないはずなの
に、司書の方に﹁××を頼
みましたよね。入ってます
よ﹂と声をかけられ真っ赤
耳にしなかった﹂と。翌朝、
リー神父﹄を是非読ませて
れましたが、講演要旨はこ
に多大な関心をいだき、将
を学ぶきっかけになったの
レベーター
︵!︶を降りると
天井が高く開放的な空間が
広がっていた。羨ましいと
同時に、旧図書館の埃っぽ
く床がミシミシ鳴った木造
の場所が、まるで秘密基地
のようにかけがえのない遊
び場に思えて恋しかった。
げの時だった。代表のニコ
ほしい﹂と。以前に鳥取大
平成四年、角田充︵昭
度となく訪ね、莫大な植物
卒︶氏が、京都大学のハー
こでは割愛して、私が知っ
の背景とその生涯﹂を調べ
卒 ︶ 氏から届け
は、土地のなまりその
もない弘前の標本で
述べられた﹁赴任後ま
通す中で、最後の頁に
られ、幾度となく目を
︵昭
元弘高生物の阿部東
な論文を発表された。
集年譜﹂と題した貴重
旧ソ連を選びました。当時
明治六年に来日、四
ている高校時代から現在ま
十二ヵ年の在日中、
来、その道を究めんと進ま ﹁フ ォ リ ー 神父植物採
て、アメリカはよく知られ
過半を青森・弘前で
ている私には、まことに得
ているが、ソ連は鉄のカー
過ごし、明治期の日
アメリカと旧ソ連は二大超
テンの向こうでよく知られ
での長内君の生き方の一端
母校の開校記念講演の講 思うからです。
弘高時代、彼は成績は常
師に我が昭和四十一年卒業
にトップクラスでしたが、
ていない。だからそれを知
れた。
所謂﹁勉強家﹂ではなく、
がたい励みになっていた。
どちらかと言うと、親分肌
本でもっとも優れた
大国として対峙し、冷戦と
とは実に喜ばしく、講師に
るためにもソ連に行くこと
を紹介したい。それが﹁演
選んで頂いた山上校長先生
で面倒見がよく、結構遊ん
題の答え﹂の一助になると
には感謝申し上げます。
植物の採集家だった。
長を前にして述べたと聞き
が重要であると考え選ん
ました。長内君らしいエピ
人種と、勉強する机を求め
かも知れない。
人もほとんど来ない書庫は
絶好の避暑地だった。
た。あまりに頼むので、名
世話になった
心地よく秘密めいたところ
あの頃の一枚
らしいです。
省後、彼はイギリスや旧ソ
きかを実感したことでしょ
にやって来る人種に分かれ
田代由紀子︵平2卒︶
た。 多 く の 日
う。それが彼のバックボー
たものだ。
ソードだと思いました。入
長内君は弘
高卒業後、一
連、国連︵米国︶、フランス
でいたようでした。担任の
いわれる構造を形成してい
思 えば フ ォ リ ー 師
た 時 代 で す。﹁ 日 本 に お い ︵ 弘 化 三 㿌 大 四 ︶ は
内
長 敬
長内君の
生き方
卒︶
22
橋大学に進み
だ﹂と入省時の面接で各局
生の長内敬君が選ばれたこ
西 恒雄
︵昭
41
27
卒業生へのメッセージ
「真の国際人とは何か」
小坂昇観先生には、特にお
32
平成 20 年度開校記念講演
さ て、﹁ 真 の 国 際 人 と は
何か﹂と題して講演が行わ
ウルベン・フォリー神父(1847 1915)
そこから外務
本人は外国を
ンとなり、外交の場で生き
省に入りまし
選べと言われ
生き活躍している姿に頼も
また大きな声では云えな
いが、夏もひんやり涼しく
しさを感じています。
読書派の私には、三年生
のみが入室を許された書庫
れ ば、 ア メ リ
が宝物庫に等しかった。時
スト出来る点も嬉しかっ
代を経て変色した本や、見
テスト問題や教科書に掲
載されていた作品をリクエ
たことのない単語がいちい
ち高尚な物に思えた。ここ
35
33
カ合衆国、イ
和国に赴任しています。
最後に、長内君はこの三
ギ リ ス、 フ ラ
月、大使としてラトビア共
ン ス、 ド イ ツ
等欧米各国を
選ぶのではな
フォリー神父の生家
●プロフィール
【学 歴】
弘前高等学校卒業(昭和 41 年卒)
一橋大学社会学部卒業(昭和 49 年卒)
【職 歴】
1976 年4月 外務省入省
1988 年6月 国際連合日本代表部 一等書記官
1990 年8月 在ソヴィエト連邦日本国大使館 一等書記官
1992 年4月 在ロシア日本国大使 一等書記官
1993 年1月 同 参事官
1993 年8月 欧州復興開発銀行(英国ロンドン)日本理事代理
1997 年8月 大蔵省関税局調査保税課長
1999 年8月 外務省通信課長
2001 年1月 外務省総合外交政策局(軍備管理・科学担当)参事官
2002 年6月 在ロシア日本国大使 公使
2004 年8月 在ハバロフスク日本国総領事
2007 年3月 日本国際問題研究所主幹
2009 年1月 在ラトビア特命全権大使
等各国での外国生活を経験
高校の図書室というとこ で触れた﹁大唐西域記﹂や になったこともある。
し、日本人はいかにあるべ ろは、本を選ぶ為に彷徨う ﹁王書 ﹂ が、 大学で東洋史
近年、新築された弘高図
書館に入りあ然とした。エ
講演する長内氏
フォリー師の親族 レジステソネール夫妻と(ジェニエール村)
新図書館の様子
鏡ヶ丘同窓会報
(3)
第 21号 平成 21年5月 20日
へのご支援やご協力に深
す。 また、 平素から母校
ととお喜び申し上げま
鏡 ヶ 丘同窓会の皆様に
は、 ご健勝でご活躍のこ
生の﹁名山名士を出す﹂で
土出身の言論人、陸羯南先
のです。明治期活躍した郷
先生によって掲げられたも
第二十二代校長小田桐孫一
ろうとも、どんな所得であ
あれから四十年余りが
い。どんな社会的地位であ
過ぎましたが、 この語は
らい人や名高い人﹄でもな
なんら関係ない。また﹃え
位や所得などとは直接には
いる。
めである﹂ とも書かれて
を高く掲げたのはそのた
今の時代でもそのまま通
ろうとも、自分がいなくて
用する立派な里程標であ
はじまる有名な五言絶句の
は物事が渋滞して困るよう
ると考えています。
も、一隅を照らす人のこと
目の前にいる生徒は、
あっても、大都会にあって
当時に比べ﹁か細く﹂なっ
な人のことである。地方に
く感謝申し上げます。
さて今年、 本校は創立
百二十六年、 鏡 ヶ 丘同窓
天下の賢
てきましたが、 生徒の実
さ ら に は、
﹁学校の歴史
は長いからといって尊いの
下の賢﹂ たるにふさわし
弟 同 行 ﹂ の 精 神 で、
﹁天
である﹂
ではない。その長い道程の
い﹁弘高生﹂ を、 今後と
態をしっかり見据え、﹁師
中に読もうとすれば読める
も教職員一丸とな っ て育
校長
里程標があるから尊いので
てていく所存であります。
ある。誰人天下賢はかつて
山上 佳 男
会は創立六十一周年を迎
がらそれに耐えた里程標の
を心からお祈り申し上げ
本 校 の 第 一 体 育 館 の 後 結びの句です。
小田桐先生のお話や原稿
ろ に﹁ 誰 人 天 下 賢 ﹂
︵誰
をまとめた﹁鶏肋抄﹂とい
えています。
う本の中に、この﹁天下の
一つであったし、今も同じ
人か天下の賢︶ という扁
額が掲げられています。
賢﹂について、次のような
ます。
る五名の県議会議員の他、
県
庁
支
部
五年ぶりの和やかな総会
平成十五年を最後に開催
中林鏡ヶ丘同窓会長、報道
蒔苗 伸郎︵平元卒︶
が途絶えていた鏡ヶ丘同窓
十二月に開催されました。
して出席され、皆様から近
会担当の先生方もご来賓と
会 県 庁 支 部 総 会 が、 昨 年 ・ 金融機関の役職員、 同窓
この県庁支部は、本庁並
昨今は、特に若手職員の
況報告を賜りました。
中で同窓会離れが進んでい
びに東青地区に勤務する県
職員を対象としているもの
ると言われ、各部局に置か
で、約三百名の会員を抱え
ています。
苦労されたようです。その
れた連絡員も取りまとめに
員が出席し、県観光局長の
一方で、平成の年次に卒業
この日は、約四十名の会
小笠原裕支部長︵昭 卒︶
山上佳男校長は﹁弘高も女
子生徒が多くなり、ねぷた
でも女子が主導権を握って
いる﹂と女子のパワーが大
きく向上してきていること
を紹介されました。男子の
中性化
︵?︶
が心配されます
が、同窓会もこれからは女
性が増えていくことになる
のでしょう。
懇親会は花田潔
︵昭 卒︶
名誉会長の﹁乾杯!﹂でス
タート。九十一歳を迎えら
れてなお元気いっぱいの大
が﹁今日の開催を機に、鏡ヶ
くなど、幅広い年齢層に富
された職員にも多く参加頂
だ懇談の最後は、三本締め ︵?︶
津軽弁が飛び交い、皆
終始和やかな雰囲気で進ん
る絶好の機会となりました。 を感じました。卒業年度ご
先輩にとても頼もしいもの
丘同窓生同士の旧交を深め
んだ総会となり、各部局の
で総会の幕を下ろしました。 さんすばらしい笑顔で旧交を
千葉 貴司︵昭
都会の暮らしに彼らは出て
ゆく∼♪
同窓会は津軽を代表する
シャンソン歌手・秋田漣さ
卒の元応
めくくられました。
援団長の指揮で合唱し、﹁フ
!
レ ー!
フ レ ー 弘
高 !﹂ の エ ー ル で 会 は 締
斗の黙示﹂を昭
中・弘高の校歌や応援歌﹁北
温め合っておりました。弘
とのテーブルでは正調な
るとともに、さらなる結束
垣根を超えて情報交換をす
年一度の東京鏡ヶ丘同窓
会が昨年十月十一日アルカ
東京鏡ヶ丘同窓会
ディア市ヶ谷で開催されま
二百名近くの参加で盛大に
十三年夏。高校を卒業した
した。
卒︶
を高め、県政の発展のため
りの開催を喜びました。
に尽力を﹂と挨拶、五年ぶ
に発展してきた。このねぷ
たまつりに出陣した実績の
ばかりの若者達で弘前ねぷ
また、鏡ヶ丘同窓生であ
史の中で、今でも受け継が
たを同窓会総会に出陣させ
ることを信ずる。この扁額
最後に、 同窓会のご発
荒々しい風雪の中にありな
展と皆様のご健康ご活躍
この扁額は昭和四十三年
風雪に耐えうる里程標であ
﹁天下の賢は、社会的地
ことが書かれています。
創立八十五年の開校記念
日 を 迎 え る に あ た っ て、
魂の継続・ねぷた出陣
よう。
﹁ ヤ ー ヤ ド ー﹂
。昭和五
開きました。漣さんの表現
んの特別コンサートで幕が
延べ三時間の同窓会でし
たが、皆さん名残が尽きな
♪青く澄んだ山に囲まれ
ある我が同期であればでき
たふるさと∼その土地を捨
れているもの。それは、弘
一つに、弘中生が義を貫い
卒︶ 中、弘高の﹁魂﹂である。
今総会は同
いのか、用意した二次会々
たと言われている昭和
豊かな歌と、温もりのある
窓会創立六十
てて長いこと夢みていた∼
場はあふれんばかりの参加
るかも? 無謀な若者達の
想いが三十年経った今、同
者で、さらに都合で本会は
六年の﹁嶽籠城事件 ﹂
津軽弁の語りで会場は一気
周年記念の節
にヒートアップし、ふるさ
がある。 これについて
窓会総会会場に甦ってき
は、 一九会の皆様を中
た。最前列の大先輩方から
目の年での開
欠席された鳴海康安名誉会
平成卒業の後輩まで、会場
催となった。
とを捨てたわけではないで
長も駆けつけられ、当然な
を練り歩く担ぎねぷたと懐
卒 ︶新 会 長 就 任 が 満 場 一
致で承認され﹁弘中、弘高
の当番だった
た。ちなみに今回の同窓会
年卒組は、
で青春を過ごした仲間が世
に繰り出していくのでし
ねぷた出陣を合図に始まっ
二次会でもまだ収まらぬ
た総会では、八木橋惇夫︵ 昭 有志は仲間と東京の夜の街
ました。
しょうが、都会暮らしでか
晴れだが ﹄ の公演で再
かしい写真の上映に、心が
一つになって母校の歴史を
振り返ることができた。私
事だが、出席者最高齢とな
る昭和十年卒の斎藤・中村
両先輩は私の亡父と同期で
を感じるのでした。
がらますます盛り上がって
明治十七年
十 月 に、 本 県
心に行われた﹃朔日 山
10
じかみがちな我々の心はト
現され、 次の時代に弘
で あ る。 昭 和 二 十 八
幅広い年齢層が集った県庁支部総会
しまうことになってしまい
唯一の公立中
して産声を上
年、 学校創立七十年記
45
ロトロと溶け出していくの
もう一つは、 ねぷた
中魂が引き継がれた。
げて以来、我
念の弘高祭で初めて出
総会開催にあたりご尽力
あり、特に感慨深かった。
いただきました多くの皆様
に対し、深く感謝を申し上
げます。ありがとうござい
ました。
31
学校となる青
が校は百二十
陣した弘高ねぷたは、
五十五年が経過した今
五年の歴史を
刻 み、 多 く の
日、 津軽の夏の訪れを
広く市民に親しまれ、
卒業生を輩出
弘前の文化となるまで
告げる風物詩として、
この弘中、
してきた。
弘高の長い歴
45
られた中林裕雄同窓会長と
た。弘前から駆けつけて来
げたい﹂と挨拶されまし
代を超えて交流する輪を広
ました。
会を約束し、 お開きとなり
交 を 深め、 名残惜しくも再
漣さんを交え四次会まで旧
45
鏡ヶ丘ねぷた、いざ出陣 !
七 月 四 日︵ 土 ︶
東京発。元気いっぱい 91 歳の「乾杯!」
平成 年度総会実行委員長 桜田
︵昭
宏
20
43
森県中学校と
弘中健児、ハチマキまいて大集合 !
53
平成 21年5月 20日 第 21号 (4)
鏡ヶ丘同窓会報
弘
中
一
八
会
二
六
会
同窓会総会でお会いしましょう
■一八会々報︵各小冊子十
後に相集い結成した。翌年
ルチの青春﹂を発行し会員
として﹁美術展﹂を
早速会旗と二六会讃歌と応
開催しているという
た。一八会代表世話人は武
在を確かにしたと我々が自
ことである。二六会
田隆治君である。恒例の総
負している﹁弘高二六会卒
歌は、総会の冒頭に
山の中に残 っ た。 八月十七
業三十周年記念誌│バルチ
全員で歌われるほか
日ようやく弘前へ帰った。
の青春﹂は四年後の昭和
会員の慶弔時になる
昭和十八年︵一九四三︶
私たちは県立弘前中学校に
五十五年八月九日に発行さ
べく歌うことにして
入学した。二百七十三名で
れ た の で あ る。﹁ バ ル チ ﹂
いる。二六会も齢を
のコミュニケーションを
は 応 援 歌 の 中 に あ る が、
重ね歴代の会長、中
援歌︵加藤忠昌作詞・松山
我々は弘中弘高で培われた
谷、小野、松山、大
会は千秋楽を迎えることに
情張りとモツケの精神の化
屋の諸氏も既に亡く、
■弘高一回生は一八会
身 と も 思 っ て い る。 爾 来
ある。太平洋戦争中であっ
二六会は、弘高同窓会との
会員諸氏も後期高齢
とっていること。ま
こ ん ど は﹁ 学 制 改
新制弘前高校三年
接点では常にその中核とし
した。会報も二十号で廃刊。 秀一作曲︶が制定された。
革﹂だ。昭和二十
■弘中三年生百余名十和田
編 入 百 五 十 八 名。
も発足し、会合には弘前か
者となるに至り鏡ヶ
た、節目の周年行事
された。幼年学校は日本陸
湖の西十キロ山 中 に
の で 入 学 の 時、 昭
会
ての存在を自覚し、行事や
燦々と輝くようにとの
いつもご出席頂いた恩師中
ごしました。私達の会合に
り、賑やかなひとときを過
55
も最前列に列せられること
平
三
ショーなど、充実した企画
マイクパフォーマンス
毛内 文仁︵平3卒︶
上映会、さらに、近況報告、
会
内容で盛会のうちに終了
爆笑DVD上映会
で開催した。写真はその時
平成三年に卒業し早十八
年、既に二回は卒業?して
は﹁喜寿﹂の祝を重ね大鰐
いる計算になる。その我々
と相成った。今年の同期会
のものである。
平三会も、平成十二年の初
し、
そのまま二次会に突入、
たものばかりである。
皆鏡ヶ丘で﹁師弟一如﹂
の精神で校風の薫陶を受け
開催から数えて三回目と
四年後の再会を誓いお開き
の方が集まりやすい?とい
が、前回開催した際、正月
発信などを充実させていく
明確にし、連絡体制や情報
その後の役員・幹事会で、
今後は組織としての目標を
となった。
う意見が、少なからずあっ
こととした。
た こ と は、 嬉 し
う初参加者がい
きなかったとい
うしても参加で
ただ、夏ではど
十名と過去最低。
先生方も含め六
腹に出席者数は
その意見とは裏
月三日に開催となった。が、
たため、今回は例外的に正
オリンピック年の夏に開
催しようと決めているのだ
なった。
されました。会長選出では
林先生をはじめ、担任先
が、鏡ヶ丘同窓会会長中
感無量でした。
成功裏に終えることができ
り、
杯を交わし親睦を深め、 の 返 信をしない
し て も、 住 所 や
なりともいるこ
い人などが多少
近況を明かさな
が集い開催されました。
来年は、鏡ヶ丘同窓会総
会の幹事学年となります。
ることになっています。 せんので、少しでも多くの
とは、会の運営
て残念である。
に携わる者とし
とを期待しております。
した。その後報告及び審
のごあいさつを賜りま
続いて中林会長に来賓
しくお願い申し上げます。
いと考えておりますので宜
同窓会を盛り上げていきた
微力ではありますが鏡ヶ丘
手作りのDVD
好 評 で あ っ た、
中盤には前回も
真撮影に始まり
さ て、 当 日 は
最後に今後諸先輩方にご
指導ご助言を頂きながら、 初めての集合写
議事項に入り、無事承認
長代行のあいさつをし、
祷を行い、私が郷々会会
山本俊二司会進行の
もと、物故者に対する黙
同期生が参集してくれるこ
が開かれる年に開催す
一生に一度しか廻ってきま
郷々会は、オリンピック
返信があったと
生四名、同期生五十三名
テルにて第三回同期会
私が推薦され、他に候補者 い限りである。
来年は担当幹事学年 !
芦田 豊昭︵昭 卒︶ もなく、会長に推されてし
しかし毎度の
こと、全く連絡
去 る 平 成 二 十 年 八 月 まいました。
十四日に弘前パークホ
高校卒業以来、久しぶり がとれない人は
の再会となった同期生もお ともかく、葉書
会
らも何名かが参加しまし
そして名実共に二六会の存
二頁︶二十号で廃刊
回想・波瀾万丈の一八会
﹁バルチの青春﹂
とともに︵二六会の歩み︶
会長 石戸谷忻一︵昭 卒︶
二六会会長 秋元 義隆︵昭 卒︶
平 成 二 十 年 六 月 七 日、
十五日を迎えた。 終戦であ 一八会が弘前市で開催され
■青森県立弘前中学校
二六会は、昭和二十六年 惜しまなかった。
二六会独自の行事で特筆
る。 弘中健児百名は西越の た。出席者は十四名であっ 三月卒業の同志が二十五年
したいのは、毎年会報﹁バ
26
中学四年生︵旧制中学は
たので、幼年学校受験クラ
五年で卒業︶の時
軍高級将校養成のエリート
三年弘中を卒業し
ス︵一年戊組︶が特別編成
校である。二名の合格者を
昭 和 二 十 年 七 月︵ あ と
一 ヶ 月で終戦︶。 弘中三年
和十八年から一八
出しこの年でクラスは消滅。 たもの百五十九名。
二クラス約百名は勤労動員
会と称す。
々
二回卒業期がある
の命を受け三戸郡新郷村西
燦
燦々会古稀を祝って
東京支部と交互の開催で毎
期待で﹃燦々会﹄と命
村弘先生︵三月十一日逝去︶
々
丘同窓会総会での席
に卒業しました。卒業
年開かれていることになり
名されました。初代会
も会場で見守って頂いたよ
郷
募金に率先してその協力を
に一度の間隔は長過ぎると
た。歳を経るにつれ、四年
工藤 一夫︵昭 卒︶
弘高第十回生として
昭和三十三年に四百二
度の開催となっています。
して間もなく県内在住
ます。
いう意見が多く、二年に一
十七名の同期生ととも
の人達で鏡ヶ丘記念館
今回の古稀を祝う会では
で最初の同期会が開か
県外からの九名を加え六十一
長に小金沢君を選出
うに思います。喜寿の祝い
4年に一度の郷々会に 57 名
れました。正式に﹃燦々
名の参加で行われました。
神妙に拝聴しました。
東京オリンピックの年
津軽の守護神・岩木山神
社の宮司の祝詞を皆畏まり
弘高職員であった水木
に開かれました。当時
し、四年に一度の開催
への思いで散会しました。
君と何人かの有志が熟
恩師佐藤圭一郎先生を囲
んでの懇親会では、昔に返
を決定しました。ほど
慮 し、 我 々 の 未 来 が
なく燦々会・東京支部
今年はお正月に集まった平三会
喜寿の祝いを重ねる二六会
23
33
会﹄としての会合は、
恩師を囲んで賑やかに
越へ出動した。そして八月
鏡ヶ丘同窓会報
(5)
第 21号 平成 21年5月 20日
鏡ヶ丘同窓会報
鏡ヶ丘同窓会会務報告
鏡ヶ丘同窓会創立 60 周年記念美術展出展一覧
平成 20 年度
平成20年4月1日∼平成21年3月31日
行 事 名
参加者
月
日
4
2
同窓会報(20 号)編集委員会
10
同窓会報(20 号)編集委員会
18
鏡ヶ丘同窓会創立 60 周年記念美術展 第4回実行委員会
5
6
7
10
11
卒年
●書の部
作家名
作 品 名
8名
20 年
千葉健一郎 津軽の野佛
卒年
作家名
雅号
日本画
13 年
三上 博
綏峰
ジャンル
8名
21 年
佐藤照三郎 残陽
油絵
22 年
堀内 浩
34 名
25 年
成田 努 学舎より秀峰岩木を望む
油絵
25 年
金澤 耕人
論語から
秋田 豊 室内静物
油絵
25 年
神 弘見
奥居
七言二句
同窓会報(20 号)編集委員会
10 名
同窓会役員会
38 名
26 年
熊谷 吾良 緑陰
版画
25 年
永澤 寛
三澤
七言句
29
尾上支部総会
34 名
26 年
桜庭 昭弘 獅子口、猩猩、小面
能面
25 年
鳴海 康安
石隠
懐古欽英風
10
仙台学生会
31 名
27 年
新戸部満男 B2
水彩
26 年
赤平 誠一
菱石
万葉集より
17
東京学生会
32 名
27 年
長利 暢雄 人物 A
油絵
26 年
成田 有穂
有穂
18
関西学生会
12 名
27 年
原 忠三郎 冬の朝
水彩
26 年
三浦 信夫
22
第 1 回総会実行委員会
24 名
27 年
竹原 昭雄 胡蝶蘭
油絵
27 年
加賀谷健三
雪泉
28 年
山本 雅章 行(ぎょう)
油絵
28 年
大瀬 淳三
蘇来
28 年
小山 秀弘 春の川原
油絵
29 年
花田 聡子
紅雪
29 年
浅利由紀子 留学生メイさん
油絵
30 年
福士 哲郎
29 年
山上 清志 緊張しています(高文祭パレード) 水彩
31 年
今井 光子
光風
平福百穂歌
29 年
田中 鐵信 ユジノサハリンスク駅操車場の午後 油絵
32 年
今井 忠利
如拙
若山牧水の詩
7
与謝野晶子の歌
混沌 工藤邦男歌
五言二句
弘中一八会(23 卒)
13 名
12
会報編集委員会・ウェブ委員反省会
15 名
20
第 2 回総会実行委員会
24 名
21
札幌鏡ヶ丘同窓会総会
28 名
22
宮城鏡ヶ丘同窓会総会
46 名
29 年
阿部 育也 透鐔模様入りサービス盆。硯箱。 木彫り
32 年
成田 眞
真洞
良寛のうた
28
板柳支部総会
38 名
30 年
安田 周平 暮色
水彩
37 年
小田桐サキ
香苑
山家集より
29
燦々会(古希の祝い)
(33 卒)
61 名
31 年
佐藤 柳逸 作品 08
油絵
37 年
若松ヨシ子
綵香
菜根譚
2
第 3 回総会実行委員会
18 名
31 年
梅原 輝朗 原ヶ平冬景
油絵
39 年
赤平 和順
泰処
海月澄無影
5
鏡ヶ丘同窓会総会
322 名
31 年
奈良 寿 坂道
油絵
39 年
一戸 リツ
李津
瀧の響
28 名
32 年
中村 素明 厨房の一隅
油絵
39 年
八木橋和子
天馨
富貴吉祥
平賀支部総会
喪乱帖
格言
23
鏡ヶ丘同窓会創立 60 周年記念美術展 第 5 回実行委員会
23 名
32 年
吉川富士保 水芭蕉
水彩
40 年
高橋 修一
短歌
10
第 28 回親睦野球大会
未確認
34 年
三上 智也 裸婦
油絵
42 年
宮川 和巳
蘇東坡詩
12
仁(平2卒)
44 名
34 年
齋藤 二朗 奥入瀬渓流(銚子大滝)
水彩
43 年
加藤 幸子
14
郷々会(55 卒)
58 名
36 年
清野 博文 りんごの花咲く頃
油絵
44 年
兼平 泰正
泰堂
14
獅子の会(44 卒)
未確認
36 年
岡崎 功 大地暖まる
油絵
45 年
大内 哲夫
峨石
日夏耿之介の詩
14
孫の会(47 卒)
未確認
36 年
中村 浩志 牡丹咲く
日本画
45 年
加藤 敬記
彩峰
孤影
14
四一会(41 卒)
45 名
36 年
梅原 正夫 エンジェル
ブロンズ
45 年
工藤 隆文
溪舟
水平線に銀河が映る
48 名
36 年
一戸 徳明 五番目の季節(暖)
油絵
45 年
佐藤 哲
36 年
笹森 義男 マッテーラヘの道
油絵
49 年
米内山順子
歌璉
久遠
37 年
中村 勝彦 里の祈り
水彩
51 年
成田 盛
柳豊
李夢陽詩
37 年
工藤 武四 化石の鳥
油絵
52 年
加藤 範行
大翔
日々
37 年
赤石 久男 冬日
日本画
平9年
三上 将義
石鳳
Fly Away
37 年
赤平 實 ベルトコンベヤー
水彩(アクリル)
平 12 年 相澤 郁
凍蝶
38 年
藤田 征芳 花車(パリ3区にて)
油絵
平 12 年 今 和希子
花薫る路
38 年
髙橋 憲彦 早春
水彩
平 17 年 三上 利恵
38 年
鎌田 �敏 浄仙寺参道
版画
旧職員
石倉 金庫
守拙
陸羯南漢詩
秀香
劉長卿之詩
3
五所川原支部総会
鏡ヶ丘同窓会創立 60 周年記念美術展 第6回実行委員会
36 名
13
二六会(26 卒)
未確認
20
大鰐支部総会
24 名
26
鏡ヶ丘同窓会総会反省会
20 名
29
鏡ヶ丘同窓会創立 60 周年記念美術展 第7回実行委員会
32 名
開校記念日講演会講師を囲む会
24 名
1
はだか 若山牧水詩
武威旱灘坡漢医簡
11
東京鏡ヶ丘同窓会総会
193 名
19
関西鏡ヶ丘同窓会総会
20 名
39 年
寺田 肇 春郊草野
油絵
旧職員
吉澤 テツ
30
二九会(29 卒)
30 名
39 年
鳴海 光彦 ゆめ
水彩
旧職員
白木 佳乃 鎌田舜英 雪の華
30
鏡ヶ丘同窓会創立 60 周年記念美術展 レセプション
現職員
工藤久美子
31
鏡ヶ丘同窓会創立 60 周年記念美術展(11 月3日まで)
74 名
39 年
最上 良純 裸婦像
木彫り
約 2000 名
40 年
前田 幸子 赤いセーターの女(ひと)
油絵
12
青森支部総会
57 名
40 年
山内 英雄 津軽のりんご園
水彩
鏡ヶ丘同窓会創立 60 周年記念美術展 報告会
35 名
40 年
森川 淳子 日本銀行
日本画
12
10
県庁支部総会
52 名
44 年
古川 孝 破壊
油絵
1
3
平三会(平3卒)
60 名
45 年
髙木 良 MELON
版画
6名
48 年
五十嵐真樹子 再会
油絵
43 名
48 年
北澤信一郎 うとうの紅葉、うとうの外ヶ浜 日本画
3
生ぎる
24
28
2
題 名
冬の夜の月
21
22
9
●絵画・彫刻の部
26 年
18
8
平成 21年5月 20日 第 21号 (6)
15
第1回同窓会報(21 号)編集委員会
21
藤崎支部総会
5
第2回同窓会報(21 号)編集委員会
6名
50 年
秋田 英一 春の城門
日本画
19
第3回同窓会報(21 号)編集委員会
7名
56 年
東海 孝尚 無題
アクリル
63 年
中澤 朋子 Primitive
*(事務局からのお詫びとお願い)
同期会に関して全ての情報を把握できず申し訳ございません。開催の際は事前にご
連絡いただければ幸いです。
工藤幸七郎
久保田隆二
桑田 雅子
斎藤 雪雄
櫻庭 忠雄
佐藤 昭郎
白戸 信昭
大條 俊彦
高橋 信進
高松 秀興
田澤 文雄
田辺欣二郎
土屋比呂幾
中西 重嗣
中村 一郎
成田 重蔵
成田日出男
沼田 尚文
長谷川慶子
藤枝 育子
堀内 久子
松井 貞二
松井 睦朗
三浦 セツ
三和 公明
森山 和子
森山 武彦
矢田 信昭
横山おる子
横山 良平
米澤 恵子
昭 和 36 年 通
岩川 力松
昭 和 37 年
青山 晃淳
赤石 昭次
荒関 博章
五十嵐 等
梅津 榮樹
小川 睦男
長内 健
小山内信一
小田桐士郎
落合 昭子
帯川 雄三
葛西 一道
加藤 正大
加藤 裕
菊池 昭夫
木田 多聞
木村 愼
京野 巖
工藤 剛
工藤 正穂
小林 弘司
坂本三代造
櫻庭 勤
佐藤美和子
渋谷 久雄
嶋津 一彦
下山 康
清藤 隆平
竹浪 勍佑
敦賀 哲朗
戸澤 正誼
富島 英宇
花田 忠夫
原 玉枝
原 俊輔
東 好弘
福士 隆司
柾木 尚義
増田 順子
松田千代治
松田奈津子
間山 重嗣
森 豊吉
山形 哲造
横山 文夫
吉岡 利忠
昭 和 37 年 通
和泉 正二
昭 和 38 年
赤川 正広
虻川 勝
阿保 耀子
稲部フサ子
梅田 隆
大塚 三朗
大中 忠
大和田 強
西 修
唐牛 孝之
河合 文男
桐原 雅行
工藤 國光
工藤美穂子
古川 栄一
古村 一雄
齋藤佐武朗
斉藤 啓子
櫻庭 秀俊
佐々木誠司
佐藤 雄一
色摩 明子
渋谷 彊
鈴木 弘武
高橋 憲彦
竹内 昭江
竹浪 克夫
田辺 義弘
戸澤 義夫
戸澤 忠
中沼 丈昌
成田 博美
西谷 洌
西谷 武夫
萩野 道夫
平川 正敏
平山 脩
福士 修成
藤田 征芳
三浦 稘
水木 蓉子
宮本 重臣
盛永 恵子
柳田 晴夫
山内 敏之
山内 弘
山内 善浩
横内 正典
吉岡 利孝
米田 継武
昭 和 39 年
阿保 幸子
阿保 靖彦
荒木多恵子
石岡 徹
一戸 洋次
伊東 保之
岡山 洋一
小田桐正孝
小幡 治
笠井 哲哉
加福 善貞
鎌田 重輝
我満 正光
光栄なつ子
古川 道雄
小坂 清弘
小林忠一郎
佐々木淳造
升田 誠一
白戸 武美
高橋 綾子
竹内 明夫
田沢 一之
田中日出興
棚橋 達彦
田辺 和彦
玉川 勲
寺田 肇
寺山 弘彦
長尾 光洽
長崎 昭義
中林 裕雄
鳴海 光彦
早川 林蔵
三浦雄一郎
三上 健治
三上 邦康
村井 啓夫
村上 謙藏
八木橋五郎
八木橋武範
吉岡 良治
昭 和 40 年
浅利 久雄
飯田 浩三
池田美都子
石堂 哲也
今井 静子
今泉 陽子
内山 衆一
太田 豊
奥平 洋子
小山内 晃
小野 瑛明
小野 祐司
加藤 勇一
釜我 洋子
菊地 正寿
工藤 智規
工藤 忠
斎藤 恭一
柴田 哲郎
澁谷 堯
高橋 修一
竹内 初男
千葉 嘉之
對馬 桂子
戸田 隆
中田 嘉博
成田 義人
鳴海 道安
野崎 梅子
野崎 嵩
野呂 進
萩原 崇嘉
宮崎 方嗣
宮田 博子
八木橋鉄弘
山形 喜隆
昭 和 41 年
秋元 清仁
浅葉 雅義
石崎 朝子
伊東 秀則
大津 幸世
大中 廣
西 敞
西 恒雄
川越 啓一
川村 敏男
菊池せい子
菊谷 裕悦
北川 順一
工藤 治
工藤 一枝
工藤 久
工藤 義明
小林 二郎
小松 明
斎藤 正栄
斎藤 光正
佐々木幸男
塩谷 晃
白取 幹人
白戸 浩一
高嶋 一敏
田中佐代子
田中 正彦
玉川 次郎
對馬 晃
戸田 憲
二川原敏信
二木美保子
肥後 隆
平野 富男
福島 雄一
蒔苗 宏
町田 容造
三浦 麗子
村上 良子
安田 俊夫
昭 和 42 年
今岡 洋子
尾板 正人
小山内 孝
小田 至
小野ふさ子
折原 裕
川嶋 豊彦
工藤 健造
九戸 眞樹
倉田 保夫
小泉 哲夫
小林 繁樹
桜庭十三夫
佐々木洋子
佐藤 和英
志野 年昭
高橋 透
高橋 遵子
竹中 光広
谷淵 秀光
千代谷 満
月永 良彦
中谷 裕子
永沢 諭
奈良岡修一
成田 堅生
長谷川寛治
福士 政人
福島 崇
増田 知生
盛 文武
八木橋勇治
昭 和 42 年 通
鎌田 玲子
坂本 守正
昭 和 43 年
秋元 義禮
天内 明治
一戸 敏
蝦名 修
工藤 義春
後藤 博
後藤 秋夫
齋藤 文雄
櫻井 有一
七戸 一
篠崎 珠樹
鈴木 明子
須藤 正光
清藤 哲夫
関場 慶博
高瀬 一博
高橋 憲三
竹内 幸子
対馬 省次
中野 京子
花田 鎮雄
菱谷 豊章
真野 明
山田 良一
山上 佳男
昭 和 43 年 通
坂本 正子
昭 和 44 年
赤石 茂
今泉 良郎
海老名徳雪
岡崎 耕衛
川村 広明
工藤 博明
工藤 豊
工藤 良一
古川 隆
清水 郷志
白石 一雄
玉山なつめ
富岡 文子
西尾 幸一
西谷 栄
野口 章子
原田 和紀
藤田 晴央
藤田 道昭
藤森 操
松野 俊子
三國 典昭
安岡 秀憲
昭 和 44 年 通
工藤兼太郎
昭 和 45 年
青山 仁志
阿部 雅
水彩
旧職員 村上 文雄 津軽平野
木彫り
現職員 岩田 邦彦 海ヘ
ガッシュ
成田 善一
三浦 展子
渡辺 明彦
昭 和 47 年 通
小田桐みづ江
昭 和 48 年
阿部 恵子
大川 誠
加福 康麿
木村 勝康
工藤 武重
齋藤 順子
渋谷 鉱
畑山 聡
服部 庸
藤田 雅俊
増田 章子
三上 信久
三明 智明
山内 誠一
幸田 茂雄
吉田 恒一
吉田 仁
世永 晃生
昭 和 48 年 通
川浪 幸男
昭 和 49 年
阿部 尚子
大滝 次雄
櫛引 洋一
柴田 政子
白澤 文敏
外川 重信
瀧本 壽史
中村 得仁
福井 次郎
福島 伸雄
堀内 治子
円山 昌子
三浦 幸弘
山形 陽
昭 和 49 年 通
小山内みどり
昭 和 50 年
赤坂 浩二
石川 玲
伊藤 雅一
岩崎 一
宇野 智子
鴨下 厚子
川嶋 純子
佐々木克治
鹿内 伸一
下山 清司
須藤 悟
高松 文也
鶴山るり子
奈良岡和保
成田 洋子
原子 和夫
松森 俊逸
皆川 浩平
昭 和 51 年
荒井 元明
太田 雄三
小山 陽遠
菊池 司
小菅 園子
斎藤 勲
佐藤 佳仁
佐藤 重実
城 桂子
中島 易子
奈良 理央
広瀬 美子
三上 栄子
三上 洋子
幸田 恵子
昭 和 52 年
秋田谷和直
猪股 昇一
上沢婦記子
海老名英俊
大塚 真司
尾崎 俊寛
小山内清和
小野 俊一
菊地 清夫
工藤 雅哉
工藤 雅義
今 智之
斎藤 和子
坂本 光博
須藤 晃司
坪水 直子
鳥谷部知子
奈良 俊一
奈良 秀則
野呂 直宏
早川 宏子
山口 陽
昭 和 53 年
宇野 一彦
越後谷 啓
柿崎 順子
木村 真明
小角和歌子
斎藤 陽子
桜田 宏
嶋脇 秀徳
鈴木 俊一
須々田孝聖
田中 満
千葉 裕子
本多多佳子
間山 泰人
多聞天の句
● 編集部からのお詫び ●
平成 20 年度の会計報告はスペース
の関係で記載できませんでした。
来年度は記載の予定です。
パステル
平 17 年 松山 和裕 見送り絵
今井 聖朝
大津 友見
小田桐好信
川村 邦明
菊池 潔
木村 郁子
栗林 紀雄
須藤 静子
須藤 博子
髙木 良
高橋 行吉
田端 優子
津川 善和
成田 和義
成田 則正
松井 英雄
宮本 圭輔
山本 仁志
矢本 嘉則
昭 和 46 年
赤石美恵子
石岡真智子
枝村 則彦
工藤千恵子
工藤 清文
今 隆志
今田 謙二
塩見 知子
嶋津 智子
下山美保子
須藤 俊之
相馬 直記
田金 順弘
中嶋 和郎
中田 義則
西澤 明子
平尾 雅世
布施 協一
村上豊千代
昭 和 47 年
石岡 昭年
石岡 具子
今井 高志
大津 匡志
角田 宏明
葛西 令年
鎌田 淳一
木村 誠
工藤 敏克
工藤 晴久
黒滝 恭一
齋藤三千義
須々田秀美
高瀬 香
高屋 章吾
武石 伴子
對馬 幸雄
中村 弘
雙葉
三上 由子
三上優香里
水木 清治
吉岡 正俊
昭 和 54 年
飯塚 貞子
金澤 潤一
木田 圭介
木田 詞子
工藤 隆正
工藤 仁
工藤 康暢
須藤 朗孝
高井 博基
高橋 聡
寺田 明功
中谷 宏明
野崎 裕子
藤本真記子
米谷 勲
昭 和 54 年 通
斎藤ミキエ
昭 和 55 年
芦田 豊昭
大間 祥宏
西春季世
鎌塚 吉忠
佐藤久美子
佐藤 成彦
高橋 伸光
田村 正人
中村 典雄
鳴海 正人
林 奈津子
藤田 昭彦
松本 光生
山口 美穂
昭 和 56 年
荒井 優子
宇野 佳子
宇野 司
越後谷直樹
大溝 雅昭
大湯 淳功
工藤 誠治
工藤 麻千
倉田 匡子
児玉 達彦
嶋脇 秀隆
神馬 裕司
成田 直樹
松宮 裕子
三上智久子
三上 誠
昭 和 56 年 通
斎藤 武徳
相馬 俊憲
昭 和 57 年
梅原 一浩
工藤 清彦
佐藤 記一
関 昌子
高橋みどり
中村 康
成田 尚三
山口 晴弘
昭 和 57 年 通
西塚 曜子
村崎 玉枝
昭 和 58 年
芦田 斉子
大溝 千秋
大湯 智行
小濱 正文
鈴木 誠
成田 光美
松木 彰
三上 満宏
盛 和行
吉田 直哉
昭 和 59 年
大鶴千恵子
古村 典子
佐藤 伸之
竹田奈津子
成田 治
平井 隆樹
昭 和 60 年
秋元美沙子
岩渕 重人
神山 恵美
成田 昭吾
濱口 祥子
昭 和 61 年
明本 康伸
浅瀬石久仁子
浅瀬石 悟
一戸まき子
大中 実
加藤 武
木村 次郎
佐々木 了
高橋 政幸
花田 忠司
三上 智
水木 夏彦
宮腰 淳一
横澤真理子
昭 和 62 年
内海 剛
内海真由美
清野 暢邦
高木 徹
中山 みつ
平岡 学
昭 和 63 年
小笠原康雄
近藤 光仁
櫛田 智美
夏坂美賀子
三上 正
水木 道子
平 成 1 年
一戸 聡子
榎本 純子
葛西 淳
斎藤 香
佐藤 朋子
柴田 修吾
清野 月世
原 直美
宮腰 直樹
山口 貴之
平成1年通
藤田 竹一
平 成 2 年
石橋 裕子
川村 啓之
川村 環
北島 寿子
田澤 和康
久末 賢一
平 成 3 年
今井知世子
内海 健
工藤絵里子
工藤 康生
工藤理砂子
関 美穂子
津島 千聖
成田 諭隆
西田 明美
山口 真吾
山口 静香
平 成 4 年
大平 恵
木村 智子
白川 星智
成田 千恵
三浦 明
水木 正朝
横山 航平
米澤 大
平 成4年 通
飯塚 明廣
福井 寿志
平 成 5 年
五十嵐喜代敬
三上 綾子
平 成 6 年
阿保 孝将
千葉もと子
平 成 7 年
石戸 康幸
西澤 秀哉
平 成 8 年
道川 貴生
西沢 尚徳
三浦 卓也
三浦 リナ
平 成 9 年
秋元 禮
工藤 麻乃
倉坪 洋平
栗形 悠平
今 昭人
渋谷 真純
中道 哲郎
野崎小三郎
三上 紘子
平 成9年 通
大坂 和伸
山内 明示
平 成 10 年
大平 明
倉坪 耕作
須藤竜一郎
高橋 一徳
八木橋宏勇
山崎 直洋
平 成 10 年 通
石川 リヨ
中村 勝男
平 成 11 年
秋元 義
鍵谷 弘次
今 剛志
中野 実幸
成田 健一
西谷 玲奈
福原 聖司
三上 龍
三國 典央
平 成 11 年 通
金田 龍吉
平 成 12 年
高橋 秀徳
對馬 英
中道 卓郎
平 成 13 年
鎌田 耕輔
鎌田 順道
高橋 辰徳
野呂 剛司
福田憲一郎
安田 一夫
平 成 13 年 通
小柳日出子
平 成 14 年
今 由起子
中道 健郎
中村多一郎
乗田 裕史
早川麻衣子
八木橋朋弥
平 成 15 年
石岡 学
大屋 道順
小野 千尋
鍵谷真理子
木村 慶
工藤 彰治
近藤 野里
佐藤 元哉
田中 希依
原子 歌織
村上 夏紀
平 成 16 年
秋元 優
太田 祐貴
高橋 枝み
乗田 佳子
平 成 17 年
石岡奈々実
鍵谷 卓司
工藤 文昭
小館 佑介
後藤 龍生
今 武史
志井さやか
須藤 脩
水尻 毅
山上 佳明
平 成 18 年
井上 玲奈
川村 暁世
菊地亜加里
菊池実恵子
北山 賀一
工藤 竜平
田中 亜実
藤田 環
松井 彰伸
八重畑佑一
矢本 真丈
山上 文香
平 成 19 年
太田 裕也
小館フユミ
後藤 慧生
中村 千尋
原子 真輝
平 成 20 年
青山康太郎
安部 恒俊
石岡 剛宗
菊地 貴寛
工藤真梨子
高杉 洋輝
高橋 実か
竹嶋 豪毅
辻口 貴清
津島 香織
奈良岡文嗣
畑山 昂大
松井 隆敏
三上 和彦
水尻 諭
八木橋 恵
矢本 愛佳
特 別 会 員
石川 緑
宇藤 裕夫
菊池 敬
菊地 修一
小嶋 まき
小向 博
古山 哲司
櫻田 泰弘
外川 裕子
高梨 庸雄
竹内 肇
田中 勝男
谷淵 敏子
寺田 徳子
中畑美都里
中村 弘
奈良 和子
逸見 五郎
三上 史世
三上 光之
4月7日現在
鏡ヶ丘同窓会報
(7)
第 21号 平成 21年5月 20日
井戸を掘りなさい
日本画の世界から
長内 淳介さん(昭 33 卒)
北澤信一郎さん(昭 48 卒)
剣道の最高位である剣道範士・八段を取得している長内
さんは現在、月・水・金曜日は海洋センターで、火・木曜
日は弘前大学で、 さらに土曜日は青森県武道館で剣道を教
えています。
八段取得までの道程は険しいものだったに違いありませ
んが、弘高で中村道郎先生から剣道を教わった頃は無段だっ
たそうです。 そのまま日本大学に入学し剣道部合宿所で有
段者の先輩たちから厳しくしごかれたようですが、 ここで
逃げることなく一念発起。また、工作機械メーカーの三井精機に入社してか
らも、日常業務の他に業界誌への技術講座執筆を上司により命じられたり、
労働組合の幹部をされたりと、多事多端の毎日を過ごしたそうです。ここで
も投げ出すことをせず、打ち込んだらやり通す、をモットーに八面六臂の働
きをしたことが剣道の修行にも活かされているとのことです。
このような経歴の長内さんは一つの言葉を我々に示しました。
「井戸を掘
りなさい」と。地下水を求めて地面を掘っても水が湧かないうちに掘るのを
やめたら、それは井戸を掘っ
たことにはなりません。 土 昭和37年 日本大学卒業。卒業時四段。
を掘 っ ただけ。 結果が出る 三井精機工業株式会社に入社。
まで諦めないことが肝心、 平成3年 剣道八段位取得。
という意味です。 含蓄のあ 平成12年 弘前大学剣道部師範就任。
る言葉ですね。
平成19年 剣道範士号允許。
六十周年記念美術展にご出展いただいた二点は、
「善
知鳥安方」三部作で、能「善知鳥」に題材をとったものだ。
この能は、藤原定家の「陸奥の外の浜なる呼子鳥鳴くな
る声はうたふやすかた」に題材を得たといわれる。時代
を超え、二人の古人が創作のなかで接点を持つことを想
うとき、心が躍るのだとおっしゃる北澤さん。
創作とは多くの条件が時間軸上で、一点で結晶したと
きに完成する。時代、人物、環境、同じ組み合わせが再現されることは
ない。しかし、
「善知鳥」が描く、人々の苦悩と家族への愛情は古今を
通じて変わらないであろう。変化するものとしないもの。ものを作り出
す時、それは自己と深く対峙していく作業であるに違いない。
源氏物語五十四帖の心象風景をライフワークとして表現していきたい
と今後の抱負を語ってくれた。ものをつくることは日本人の遺伝子かも
とおっしゃる。その厳しさ
昭和57年 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業
に日 々 取り組んでいら っ 昭和59年 同大学院日本画科修了
し ゃ るのであろう。 次回 (平山郁夫教室・模写科)
平山教授率いる東京藝術大学大学院生研修
作を期待しています。
記:橋本貫司
(昭 52 卒)
青森県剣道連盟顧問・審議員就任。
記:八木橋靖子(昭 61 卒)
県全体へのリーガルサービスを提供
訪中団に加わり敦煌壁画を模写。
昭和60年 秋の院展初入選。翌年春の院展初入選。
現在日本美術院院友。千葉県市川市在住。
アナウンサーは人と人とを繋ぐ仕事
花田 勝彦さん(昭 62 卒)
山内千代子さん(平 12 卒)
花田勝彦弁護士は、平成 14 年、全国 7 番目の公設事務
所である五所川原ひまわり基金法律事務所を開設し、平
成17年からさくら総合法律事務所と事務所名を変更し、
現在も五所川原において弁護士業務を行っています。同
事務所は、 弁護士 4 名事務員 11 名の計 15 名が在籍する
県内最大級の弁護士事務所であり、受任事件数は最も多
いときで 900 件、現在でも 600 件を超えています。
これは偏に弁護士過疎地域というだけではなく、花田さんが依頼者に
真摯かつ誠実に向き合い、事件処理を通じて地域の方々の信頼を得てい
るということの証でしょう。また、事務所の他の弁護士は特に青森県に
縁はなく、
花田さんの奮闘ぶりに触れ、
彼の下で業務を行いたいと集まっ
たのです。
また、弘高時代に剣道部の主将を務めていた花田さんは、最近、剣道
も再開し、公私とも多忙な毎日を送っています。
今後も健康に留意し、津
昭和62年 弘前高校卒業
軽地域さらには県全体へ
平成3年 金沢大学法学部卒業
のリ ー ガルサ ー ビスの提
平成10年 弁護士登録
供へ邁進してほしいと思
平成14年 五所川原ひまわり基金法律事務所開設
います。
美人アナが揃っているRABの中でも、一番光彩を放ってい
るのが山内千代子さんです。小・中学校時代から放送に深く関
わり、その片鱗をのぞかせており、弘高時代にも放送部に所属
し、ディレクターを兼ねながらテレビ番組部門やアナウンス部
門で全国大会に出場し、入賞を果たしたとのこと。この仕事に
就く上で一番強く影響を受けたのは、 櫻井よしこ氏で、「見て
いる人たちに何かを考えさせる事ができる」 と言うアンカ ー
パーソンという存在が大きなきっかけになったといいます。
ライフワークとしては、「テレビというメディアが、ただ単
に情報を送っているだけの姿ではなく、自分たちが発信した情報を見ている人た
ちが、たくさんの人たちと議論したり、話題にしたりして、そこからたくさんの
人の環が広がっていってこそ、テレビの役割が果たせているのではないか」と、
メディアリテラシーに興味を持ち、学んでいます。
今一番頑張っている事は「人財あおもり丸」という番組で、高校生のみなさん
と参加スタッフがともに学ぶワークショップを考案、実施し、高校生自身の番組
づくりと並行して行っているとのこと。これまで一番嬉しかったのは、「初めて
の全国テレビ中継で、弘前城の桜のリポートが出来たこと。自分が一番好きな場
所で、 一番好きな仕事が出来
たのが心の宝となっている。」 平成16年 弘前大学教育学部小学校教員養成課程 卒業
と話す言葉に、 弘前を思う気 平成16年 青森放送株式会社 入社
現在は「あおもり TODAY」
持ちが表れておりました。
記:竹浪尚志
(平3卒)
記:高木 良
(昭 45 卒)
平成二十年度
同窓会運営協力費
協賛者
数字は卒業年度
通は通信 敬称略、順不同
昭 和 7 年
小松 常正
昭 和 9 年
杉浦 次郎
村上 泰造
昭 和 10 年
中村 一雄
花田 潔
昭 和 11 年
中村 道郎
福士 敬喜
昭 和 12 年
宇野 祐正
太田 和夫
大平喜美雄
千葉 彦二
成田又兵衛
堀江祥三郎
松木誠一郎
昭 和 13 年
相馬 猛
長谷川 舒
昭 和 14 年
石岡 健治
石岡 貢
柿崎陽三朗
三上 祐啓
森 貞一郎
昭 和 15 年
大平 喜彦
櫛引 元三
櫻庭 順三
高橋 勝男
豊田 吉郎
中村 佳暉
芳賀 誠治
原田 萬三
三國 智造
昭 和 16 年
東谷 清次
天内 行雄
工藤 一郎
斉藤 健治
佐藤 慶三
竹浪 浩
中山 敬倫
林 清則
武藤 善美
山崎 明一
昭和17年
浅利 譲
石戸谷正司
小野 隆一
工藤 稔
対馬 和郎
西谷富士彦
松井 一郎
昭 和 18 年
葛西 啓治
川崎 亮一
工藤 俊夫
久米田千代男
黒滝 淳一
中村善佐衛門
東 正
蒔苗 尚英
安田 二朗
山内 孝
昭 和 19 年
西 良男
櫛引 晴雄
工藤 順三
工藤 邦男
斎藤 誠一
桜庭 陽三
佐藤 亮一
柴田昭太郎
清野 隆
清野 利保
高橋 武一
高山 良二
田中 誠治
田中 健雄
時任 昭二
中村 淳二
成田 孝好
鳴海 幸務
原 武夫
藤田 䌑三
丸山 隆次
矢田 慶治
渡辺 弘之
昭 和 20 年
五十嵐芳男
石岡 好憲
石塚 勝豊
一戸 良七
一戸 孝七
海老原 巽
大西 稔
小川 敦
小野 徳朗
西 栄治
木村 浩
黒瀧 秀昌
斎藤 欽司
斎藤 義一
斎藤 健
境 辰五郎
佐藤 和夫
佐藤 義一
佐藤 昭雄
佐藤 久美
七戸 靖
嶌口 謙三
鈴木 慶照
相馬 正勝
高橋 俊逸
土岐 春夫
中谷 順一
奈良岡辰夫
成田 昌弘
西谷 盛英
花田 郁男
花田 誠
花田 公男
福士 主計
藤田 廣
藤山 由造
船水 宏
星 隆司
三浦 洋一
三上 修一
三上 純平
山崎 俊三
渡辺 健三
昭 和 21 年
明石 昭
坂井 敏
相馬 達雄
相馬 齋弼
武田弘三郎
中山 将明
三浦 光義
盛 圭策
山田 新一
昭 和 22 年
阿部 恒彦
荒谷 五郎
石倉 建
今井 秀夫
蝦名 泰衛
小野 晃也
金崎 昭三
「人財あおもり丸」
等を担当
平成17年 さくら総合法律事務所開設
工藤陸奥雄
工藤亜喜男
小枝 光由
小堀 克美
坂本 育造
佐藤圭一郎
須藤 文昭
須藤 倫行
田中 良一
玉山 勇一
手塚 敏
東海 久雄
豊田 伍郎
奈良岡良三
橋本 亮三
福原 哲雄
三浦 實
三上 四郎
山内 恒男
山田 義光
昭 和 23 年
石郷岡 隆
石戸谷欣一
小宅 弘道
蔭山 光顕
櫻庭 朔
高橋 章
田中 玲
中村 豊
萩野 實
廣田 清方
福士 和衛
盛田 孝
安田 準三
山形 喜康
昭 和 24 年
石岡 晶敬
岩間純二郎
大瀬 雅夫
長利 清弘
兼田 洋三
鎌田昭三朗
鎌田 範男
川崎 勝巳
工藤 龍輔
佐藤 純一
須藤 昭夫
武田 隆治
平山 清
福士 正一
福津 辰大
古市 誠治
松盛 陽二
三上 弘
水木 善造
盛 嘉次
昭 和 25 年
会津喜久造
会津 孝蔵
阿部 泰久
五十嵐邦享
石岡 久衛
一戸 克夫
伊藤 正樹
稲葉 克夫
岩谷 剛
海老名清美
尾坂 昭治
長内 昌美
西 健男
西良二郎
加藤昭太郎
金澤 隆
川嶋 昌三
川野名 智
神田晃太郎
菊池 謙蔵
木村 昭博
木村 五郎
工藤 正昭
斎藤 年行
佐賀 郁朗
坂本寿太郎
桜庭芳太郎
佐々木忠美
佐藤 茂
下山一二三
神 弘見
須藤 文雄
清野 正
田澤 安宣
舘田 壮二
田村 清治
千葉 護
土屋 俊夫
長尾栄一郎
中上 克彦
中川 邦夫
永沢 寛
成田 努
成田 瑞穂
鳴海 昭文
乗田 哲実
羽賀 正豊
花田 喜一
原 庄三郎
蒔苗 實
松山 宗平
三上 浩
昭 和 26 年
荒井 祐蔵
一戸 銀一
一戸 宏
太田 正一
岡田 勇吾
小野 晃
小野泰次郎
西 昭蔵
西 一男
西 恭治
西 英昭
加藤 忠昌
金崎 敏夫
楠美 和夫
工藤 清彦
今 充
坂岡 博
櫻庭 正
佐々木稔雄
佐藤昌覚郎
柴田 晋
神 饒
相馬 昭典
建部 高明
田中 光世
田辺 実
豊川 裕之
永井 俊衛
中嶋嘉四雄
中村 雄三
奈良 忠
成田 忠雄
西塚 眞
野尻 壽康
芳賀 弘三
町田 宇平
松本 巌
松山 孝弘
三浦 行一
三上三之助
村田 弘
安田 良樹
山崎 幸夫
山本 治郎
横島 茂
若松 清吾
昭 和 27 年
明本 康正
雨森 皎二
井澤 文廣
石岡 正憲
石岡 満
岩渕 明一
梅原 正年
蝦名 保雄
大高喜久夫
加賀谷健三
葛西 正
加藤 一男
川崎 主
菊池 武弘
北畠 顕文
工藤 晃
工藤 良平
工藤 堅二
小枝 清作
小平 善一
児玉 俊助
古村 榮港
斎藤 寛
境 淳一郎
桜庭 旭
櫻庭豊三郎
佐々木恵吉
佐藤 新平
佐藤 君雄
佐藤 嘗
沢田 瑞穂
荘司 道夫
神 武弘
鈴木 喜芳
須藤陸奥之介
清野 浩
相馬 英三
高谷 博文
竹田 良三
竹原 昭雄
田澤 和郎
田辺 靖彦
外 久夫
中村 義弘
新戸部満男
野崎 健一
原 忠三郎
福嶋 松郎
間山 邦道
三浦 義光
三上 昭夫
三上 靖介
三上 隆雄
三橋 寛
宮川 二郎
盛 清祐
山内 尚道
山内 博尚
山崎日出男
横山 義則
昭 和 28 年
赤石 和夫
天木 章夫
雨森 輝昌
有賀 達泱
石坂 浩
石戸八千代
猪股五十雄
猪股 錠二
大瀬 淳三
長内 一司
長部日出雄
小山 秀弘
川野名 靖
熊谷 重世
齋藤 春彦
櫻井 溥
櫻井麻古人
三戸 一孝
神 正道
新宅 清司
須郷 健市
須藤 惇
対馬三四年
土田 研一
鶴田 昭英
中西 充子
西谷 俊助
花岡 宏六
林 喜造
福沢 平六
福士知英子
真嶋 淳
村上 真完
村谷 邦男
盛 皓
山村 靖
渡辺 厚吉
昭 和 29 年
阿部 育也
阿部祐之助
飯塚 洋
井汲 頴子
池田 浩三
泉 嶺
一条 琢子
一條 アツ
一戸 紀美
内山 喜順
大和田一衛
岡部 恒子
西 常美
梶野 敦子
桂 尚文
加藤 順治
金枝 亮
川村 年
川村 美通
木村 光男
櫛引 邦弘
工藤 照文
工藤 誠子
工藤 とし
黒岩 隆介
小枝満紀子
古川 力男
小寺 豊
小濱 正春
小林 勇
小林 貞三
小林 陽三
古村 満喜
斎藤 政一
斎藤満智子
斎藤 周
斉藤 斉
坂本 昌博
佐藤 剛
澤田 静
嶋脇 英司
杉田利八郎
鈴木 漾子
須藤 健二
相馬 慶造
竹田 周平
田澤千代子
田澤 昌弘
田中 鐵信
田中 敬造
田中 勉
対馬 紀子
外崎芙美子
中川 美昭
永野 貞
中村博太郎
夏坂 芳作
成田 静雄
成田 常雄
成田 守夫
鳴海 隆
西田 容三
花田 瑞穂
花田 聡子
林 朋衛
日景 宏和
肥後 茂
平岡旧正二
平栗 城志
藤田 功
前田 弘子
松木十四雄
宮地 孝雄
宮本奈々子
村田 範子
村谷 令子
安田 啓一
安田 弘美
山形 盛
山上 清志
山口 幸夫
山崎 ヤヱ
山本由紀子
力丸 昭世
昭 和 30 年
秋元良之祐
石岡 秀治
猪股 敏
今井 孚
大村 嗣郎
小山 直美
鎌田 勝治
鎌田 健造
萱野 彰
河津 恵一
木村 弘三
木村 忠資
木村 昱介
黒瀧不二夫
小枝 昭一
小関 克洲
斎藤 幸永
斎藤 哲
坂田 宗等
佐々木一雄
佐々木 淳
佐々木道子
嶋岡 憲治
鈴木 弘
祖父尼 哲
髙田 正利
田口 実
田口 鉄治
田中 幸子
地主 静生
対馬 初美
戸澤 清二
中野 健治
奈良岡幸弘
鳴海 弘憲
八戸 進
平山 昭一
福地 順一
福津 弘人
船水 静児
益田 修
三上 尚義
三上 清治
三上 忠二
三和 孝徳
八木橋良範
安田 周平
山内 卓司
米澤 實
昭 和 31 年
会津 清英
浅田 伸邦
石川 義紀
磯山 芳郎
井高 幸成
太田 耕正
小山内健次
長利 浩三
織田 常良
小田桐賢治
小田切隆昌
加藤 一之
唐牛 襄
木村 公則
楠美 明子
工藤 光男
工藤 洋司
工藤 哲也
近藤 弘一
笹田 信三
佐藤 正勝
佐藤 泰弘
山王丸ノリ
下山 斌巍
須藤 和信
瀬尾 孝文
田澤 昇
丹藤 公雄
千葉 光政
外崎 昭
中野 祐輔
奈良岡広志
西村 政恒
西谷 耕治
西谷 秀雄
藤木 義行
藤田 進
松山 哲三
八木橋惇夫
八木橋栄一
山本 嘉政
横岡 一
吉田 弘志
昭 和 32 年
秋元 善智
秋元 幹雄
浅利 孝一
阿部 恵子
阿部 東
安倍 政幸
阿保日出一
阿保 博巳
石田トミヨ
石戸谷 弘
石村 秀雄
一戸純三郎
今井 忠利
岩崎 哲夫
岩渕 弘子
小笠原愼逸
小笠原 勲
小笠原時雄
小野 博光
角田 秀雄
西 晃
片桐 康雄
菊池 孝彦
工藤 朝臣
工藤 秀久
工藤 栄一
工藤 徹郎
工藤 彪
草刈 潤
ミニ講演、出前授業でも活躍
倉地 道子
栗林 良正
小舘真佐夫
小舘 玲子
後藤 圭吾
斎藤 守
齋藤 次郎
齋藤 彰
斎藤 健
齋藤 龍男
斎藤 肇
佐々木誠司
佐々木孝明
佐藤 正
佐藤 勉
佐藤 紀子
佐藤 章道
佐藤 光春
渋川 尚文
島中 弘
白取 牧郎
高杉 志朗
高橋 三雄
高松 隆清
竹内 恭一
竹内 時男
竹浪 隆
竹浪 満
田澤 郁夫
道川 一利
長尾 章二
名古屋和夫
奈良 喬
成田 眞
成田英久範
鳴海 弘明
西村 健
能正 豊
芳賀 文彦
長谷川勝勇
長谷川秀人
塙 良夫
原子 典文
福士 壽一
福士誠一郎
福原 幸
藤田光三郎
船水 長昭
堀川永一郎
松浦 恭子
松山 繁夫
松山 久雄
松山 正毅
三浦 秋彦
三上 瑛子
三橋 正義
森田 昌好
八木橋常和
矢田 治
山口 耕造
吉川富士保
世永日出雄
昭 和 33 年
秋元 年勝
秋元 采子
明比 範夫
石田 稔
大川 俊雄
大瀬 久之
長内 淳介
西 勝尚
木村 柾美
工藤 一夫
工藤 直樹
工藤 登
古川 昭
小林 泰秀
古村由比子
境 宏
酒井 重名
坂元 正子
佐々木秀博
澤田 精耕
清水 宏文
隆島眞喜子
竹内 健二
田中 仁
中畑 忠弘
奈良 壽眞
成田 裕司
鳴海 諄
二川原誠逸
野呂 正治
野呂 陽一
橋本 弘茂
花田 誠三
花田 幸三
林 紀元
福田 壽徳
福原 建三
伏見 静夫
船橋 俊男
船水 義三
丸山 豊二
三浦 昭子
三浦 紀子
水木 厚美
溝江 吉真
山口 眞彦
横山 泰久
若松 隆
昭 和 34 年
飯野 雄治
石黒 紘一
小野 光貞
川村 永三
川村 貞夫
川村昇一郎
木村 幸一
木村あさの
櫛引 章三
工藤 眞生
工藤 哲生
栗林 欣一
黒滝 信行
斎藤 紀
坂本 和聰
櫻田 健
佐藤 眞
佐藤 紀子
佐藤 隆雄
佐藤 睦子
塩谷 駿二
島中 誠
杉野 彰信
鈴木 康之
住吉 一紀
関 邦男
相馬 英夫
田中 豊和
谷村 竹生
田村 郁子
塚本 康喜
対馬 全之
対馬 文守
冨田 重照
長尾 尚
中村 勇一
奈良 俊二
成田 昭紀
鳴海 泰典
野宮 正行
野呂 紘克
平川 英廣
平田 耕悦
廣瀬 博
福士 宏
福士 謙
福田 忠敏
蒔苗 伸一
三上 智也
三浦 玲子
三浦 幸雄
安田 正英
山形 一郎
山田 栄一
山口 二郎
山下陸奥男
山本 正紀
昭 和 35 年
秋本 博
秋本 昭子
五十嵐弘子
石郷岡義了
大川 宏紀
小野 誠司
小野 紀子
小山田顕裕
西 修
工藤 勝弘
工藤 要一
佐藤 東
佐藤 祥子
佐藤 陽子
鹿内 亮
高梨 敦子
竹内 正隆
舘山 公文
田中 浩
玉田 友一
千田 勝弘
中道 靜郎
成田 正光
二川原和男
西澤 義之
西田 鐵郎
西谷紀久子
新田 瑛子
橋本八重子
肥後 和保
藤澤 一夫
藤田 和美
藤田 善徳
蒔苗 忠典
松尾 徹也
宮川 忠義
森岡 啓二
山形 英雄
山本 善弘
吉川 直彦
昭 和 35 年 通
三戸 茂充
昭 和 36 年
赤坂 桂吾
赤平 法導
浅利 朝子
油川 義博
有賀 孝雄
石岡 隆
石川 良子
上山かほる
内海 俊治
大場 良平
大湯 芳文
小笠原 弘
小野 幸司
西 勝吾
金沢百合子
川村 哲子
木村 修
工藤 俊治
工藤美智子
三中の柔道部から弘前高校に
全国大会に出場していた弘前
た現在の私からすれば、異様
編集委員会
に聞き入ることが少なくな
入学した私を含む三名は、そ
高校生であった時代とは全 ラッシャー、我々はいまも
かったように思う。このよう
のまま上級生に連行されるよ
と酒を酌み交わし、教育を
な場面でしか浅利先生を知ら
うに柔道部へと入ることと
語り合い、互いに認め合い
ない他の生徒は、もしかした
なった。浅利先生は練習で柔
白濱聡との出会いは、今
から二十年ほど前になる。
ら﹁怖い﹂先生であると感じ
く違う環境で育ち、ものの 最大の親愛と敬意をこめてこ
見方や捉え方もかなり違う。 う呼ぶ。我々の世代の弘高生
にとって、忘れたくても忘れ
ていたかも知れない。しかし
道着を着ることはなかったが
励まし合ってきた。いつの
られない恩師である。教師に
合宿に試合にと常に随行して
弘前高校の同期ではあった
つけられたニックネームはそ
深く関わり合いをもった生徒
しかし、勉強をするのは生
の時代を生きた弘高生の時代
師であるということは変わ
い た だ いた。その後、三年生
雅び男、威ありて猛からず
ほど、それが﹁演出﹂である
を誇 っ ていたラ ッ シ ャ ー
のマイクパフ ォ ー マンス
ことをよく知っていた。まる
れてしまった後に、自分の
中に残るものをいう。そし
木村に由来している。 大
バーは会場の中で発表す
の 同 期 会 で、 中 心 メ ン
感覚と切り離すことが出来な
間にか白濱と私はお互いを
3
名物先生 浅利孝一 先生
いが、このニックネームは当
ものの、交流はあまりなく
をもうけて、酒を酌み交わ
ら な い。﹁ 教 育 と は、 学 校
徒たちであり、その生徒た
しては教育を語っている。
の時にはクラス担任でもあっ
理解し合える﹁ケヤグ﹂に
その気にさせる﹂授業をし
白濱は生物を教え、弓道指
で組長のような容貌の裏にあ
板柳高校に赴任し同僚とな
ようと、二人で指導計画や
導にも力を注いでいる。一
時、日本のプロレス界で最高
ちをその気にさせるのが教
自作プリントを作って実践
で習ったすべてのことを忘
な り、
﹁ナどワ ﹂ という存
を繰り返した。理科好きな
方、私は物理を教え、子ど
とさえ思える程である。これ
俊夫
︵昭 卒︶
がたまたま集まったクラスメ ︵編集長︶安田
秋元 義禮
︵昭 卒︶
ンバーによるものかと言えば 小田桐好信︵昭 卒︶
恐らくそうではなく、やはり 高木
良︵昭 卒︶
仲間の義と和を重んじた我ら 橋
本
貫
司
︵昭 卒︶
が組長、ラッシャーの価値観 八木
橋靖子
︵昭 卒︶
が静かに浸透していった結果
中村奈穂美
︵平2卒︶
田代由紀子
︵平2卒︶
であったのだと思うのである。
今井知世子
︵平3卒︶
平成三年卒業生で組織され
次郎
︵昭 卒︶
る平三会の立ち上げの際 ︵渉外部︶福井
り、同じ理科を担当するこ
とで親しくなったのである。 在になった。
現在、勤務している高校
﹁楽しく・分かる﹂﹁生徒を
は違うものの、あの頃二人
で築き上げた教育実践を元
に、情報交換をしながら授
卒業生を数多く出したと自
もたちの﹁科学する心﹂の
業をしている。そして機会
負している。白濱は、わが
今の高校生は、私たちが
育成に取り組んでいる。
ままな私を常に陰ながら支
えてくれた。仕事が終わる
宿題
61 52 45 45 43 41
編 集 後 記
印刷 やまと印刷株式会社
名物恩師列伝③
3
49
〒036-8558 弘前市新寺町 1 の 1
TEL 0172-32-0251( 代)
TEL 0172-32-8545( FAX 共)
(渉外部直通)
て、その力を社会が直面す
勢の観客を前にマイクを
る同期会の名前を決めか ■大のミステリ好きの私は新・
図書室で塔晶夫名義の﹁虚無へ
る諸問題の解決に役立たせ
握り、 その言葉で会場の
ねていた。いくつかの候 の供物﹂を見つけ﹁持って帰り
秋庭
るべく、自ら考え行動でき 観客をわしづかみにする。
太︵平3卒︶ 補の中に﹁ラッシャー友 たい⋮﹂衝動にかられた。マニ
る人間をつくること、それ これを弘前高校でやってのけ る素顔は極めて理性的で洗練 たので、随分とお世話になっ の会﹂が本当に入っていたこ アなら判る、はず。 ︵Y・T︶
■図書室といえば、あの匂いが
が教育の目的といえよう。﹂ たのがラッシャーこと、浅利 されたジェントルマンである。 たことになる。
とは一部の人間しか知らない
忘れられません。古い木の書棚
浅利先生は昭和五十六年に
その平成三年卒となる浅利 事実である。しばらくの逡巡 と生徒の汗? とがいりまじっ
これはアルバート・アイン 孝一先生である。
シュタインの名言であるが ざわつく体育館を一閃する 弘前高校に赴任し国語を担当、 先生担任の我々 HRは随分 の後、無事、平三会と相成る たような⋮。う∼ん、青春の一
ページでしたね。 ︵N・N︶
私は教師としてそういう人 浅利先生の怒号の刹那、静ま 長年柔道部の顧問をされてい と ま と ま り の あ る ク ラ ス で わけであるが、その場にあっ ■年齢を重ねると
本棚の本を手
りかえる生徒の注目を一身に た。昭和五十六年から平成五 あった。遠方に受験に向かう たメンバーの奇妙な心の揺ら
に取るように記憶を呼び起こす
間を育てていきたいと思う。
集めて穏やかに話し出すその 年、教頭として平成七年から クラスメイトを、毎朝その他 ぎを私は今でも覚えている。 というけれど、最近出来事を覚
そしてできることなら、母
有り様はまさに職人芸のよう 九年まで在任されている。
の学生が応援と称した見送り
我々は機会に集うのではな えていられなくなったと思う私。
校で私や白濱の意志を受け であり、心の中で﹁やるなぁ﹂
私と浅利先生の出会いはそ にいくその光景は、期せずし く、やはり人の元に集うのだ。 気づいたら、本棚に並べられる
継ぐ人間を育ててみたいも とつぶやきながら、その言葉 の柔道部である。当時連続で て大学生を教えることとなっ ︵四月十二日、逝去されました。︶ ほどのものもなかったと思うと
ドキドキします。
︵Y・Y︶
のである。
■ 早 い も の で、 こ の 編 集 に 携
わって十四年。多くの方々に取
ケヤグよ、出会いは一瞬
材できたことや、お会いできた
付き合いは一生です。互い
ことが、様々な形での財産となっ
ております。
︵R・T︶
に死ぬまで付き合って下さ
■原稿の依頼は旧友たちと話す
い。
格好の口実になりました。みん
Mr .マサックこと
なありがとう。ラッシャー︵先
生︶を紹介できてさらに満足!
工藤 貴正より。
居眠りを感心された頃が懐か
しい⋮。
︵C・I︶
■鏡ヶ丘に学んだ想いを胸に、
みな多忙な中、渉外部に集合。
チ ー ムワ ー ク抜群! 同窓の
方々の想いの籠った沢山の原稿
に感謝です。
︵T・Y︶
高二の時、退職を迎え
昔、母がよく話してい くのかと気が遠くなってい たらきょとんとされたので
た。
﹁や っ ぱり高校時代 ると思う。でも毎年笑顔と ﹁ハイロ ー ザ﹂ と言い直し た片岡維新校長の最後の
の友だちは一生の友だち 美味しい料理とお話に迎え たら﹁それは何ですか﹂と 講話も忘れられない。﹁友
だね。まだあの頃のまま られ、かれこれ二十年を超 敬語で聞かれて、焦った。 とは何だろう。苦境の時
あだ名で呼び合って、い え る 恒 例 行 事 と な っ て し ああ彼女は二十代だった。 に一緒に苦しみ悲しむこ
少なくとも同期の皆さん とは実は案外容易だ。む
ま っ た。 ま た、 社 会 人 に
い年してね。﹂
この春、弘前を離れて なってから同期が縁で仲良 に は ハ イ ロ ー ザ の 地 下 の しろ友が幸せな時、果た
ラーメンとか今泉とかタカ して自分のことのように
暮らす友人がとうとう高 くなった人もいる。
本当に近頃は行く先々思 ムラとかガルボの紅茶等々 心から喜べるだろうか。
校生を持つ母となった。
が 何 な の か を この頃、年を取れば取る
お互い精神年齢は当時の
い ち い ち 説 明 ほどその難しさについて
ま ま、 大 学・ 就 職・ 結
しなくていい。 考 え ま す。﹂ い つ も 吉 田
婚・育児を通し、一緒に
百 周 年 記 念 式 松陰などの高尚難解な話
年を重ねるみたいなやり
浅瀬石 久仁子 典、 天万のだ をする立派な校長先生が、
とりが続いている。弓道
︵昭 卒︶ んご、 フレ ッ 思いがけずそんな風に語っ
部仲間に至ってはほぼ親
シュ佐藤校長、 たのはとても意外だった。
戚と化した。お正月には
あと二十年ほどで当時
顧問の竹内先生のお宅に いがけない所で同期生に遭 ラッシャー、パル、ジナン、
呼ばれもしないのに押し 遇する。社会の中堅層とし 高三のねぷたの出発直前の の片岡先生の年に追いつ
かけ、おせち料理を食べ て活躍する姿や家族と仲良 雨のこと⋮結局そんな些細 く。そういう友でありた
尽くす。時には先輩や後 く歩く姿を目にすると、た な事柄ばかりがミルフィー いと思い続けられる相手
輩、増えた家族まで引き だもうそれだけで嬉しい。 ユみたいに積み重なって私 が居るだけで、とりあえ
さて先日、正真正銘弘前 たちのかつての母校や母郷 ず幸せなのかもしれない。
連 れ、 今 年 は と う と う
二十人を超えた。先生や 人の友人と土手町を歩き、 の一部をそっと形作ってい 今も心に置くよい宿題で
ある。
奥様もいつまでこれが続 ふと﹁かくは﹂の名を出し る。
青森県立弘前高等学校
「鏡ヶ丘同窓会報」
編集委員会
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渋谷 龍一︵昭
に、
木村先生も渾名︵ニックネー 女子が入るようになってからは
ム︶を持っておられた。その名 言葉づかいなどは一層丁寧で優
しくなり、その分ちょっと迫力
もガチョウである。
卒︶ 講義をする時、やや上を向い が落ちたという人もいる。
て、ガラガラ声で喋るので 人体の講義の時などは、ズバ
大先輩方の時代にこの渾名 リ﹁乳房﹂などと言わず﹁オッ
を奉られたものであろう。 パイのふくらみコ﹂と言い、男
先生は何と、昭和十六年 性の﹁睾丸﹂なども﹁きれいだ
弘高に来てから四十二年ま 玉コ﹂などと婉曲に言ってたと
でおられたのだそうで、と 聞いた。昔の先生でも、セクハ
すると何と、二十六年の長 ラにならぬよう気をつけられた
きにわたり、母校に在籍さ のでしょうな。
れ て い た 事 に な る。﹁ 弘 高 小柄だが、優しく、それでい
の事だばガチョウさ聞げ﹂ て威厳のある先生で、そして紳
と先輩方が言うのもむべな 士でもあった。
るかなである。
学校に居る時は﹁ガチョウ、
私の在校中は︿保健・体 ガチョウ﹂と言ってた生徒達も
﹁ガチョウさま﹂
育﹀の講義をされておられた。 卒業してからは
昔から講義がうまいのは定評が などと、さまづけで呼んだりし
ある先生だったようだ。弘高に て⋮お人柄だったんでしょうな。
編集と発行
(ナ)白濱 聡(昭50卒)
(ワ)工藤 貴正(昭50卒)
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3
3
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◎住所変更などは、事務局までご連絡下さい。
︵電話・ファクス0172︱ ︱8545︶
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出会いは一瞬、
付き合いは一生
木村良三先生は、私の在学中
は教頭先生だった。弘高のほと
んどの先生がそうであったよう
想
随
平成 21年5月 20日 第 21号 (8)
鏡ヶ丘同窓会報