司法修習までの曖昧な生活

第
1
部
司法修習までの曖昧な生活
(自分のアパート・世田谷区下北沢)
ある日を境にがらりと人生が変わる。幸か不幸か人生にはそんなターニング
ポイントがときどきある。 2000 年 11月、 3年間の受験生活の末に司法試験に
合格したぼくは、文字通り人生のターニングポイントに直面した。
今回のターニングポイントはこれまでになく大きな、しかも先の予想しにく
いものだった。前年の 6 月に会社を辞めて失業中だったぼくは、合格によって
新たな就職先を見つけたことになるのだが、新しい仕事である司法修習生がど
んなことをするのかまるでイメージが沸かない。
もちろん、司法試験の勉強をしていた時から、合格後は司法修習に行って、
その後弁護士や裁判官の道に進んでいくことはわかっていた。しかし、受験中
は勉強のことで頭がいっぱいでその先のことをゆっくり考える余裕なんてない。
世界のどこかに「約束された土地」があることはわかっているのだが、その土
地はいつでも霞の向こうにぼんやりとしか見えていないのだ。司法試験という
のは、それほど過酷な試験なのである。
さて、司法試験に合格した人は、まず実務修習の希望地を記入した修習申込
書を最高裁判所に提出し、その後、司法修習生採用試験を受ける。そう、司法
試験に合格しても司法修習に参加できるかどうかはまだわからないのである。
合格発表後、ぼくも早速司法修習に向けての準備にとりかかる。
第1部は、そんなぼくの修習開始までの日々を綴ったものである。
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part
1
昨日までは受験生、今日からは……
3年間の受験生活を経てついに司法試験に合格したぼくは、修習
申込書に貼る写真を撮りにいった写真屋で警察官になるのかと言わ
れ、健康診断ではツベルクリン反応の検査をされ、急に友達が増え、
これまでのツキを使い果たし、連夜のように合格の美酒に酔いしれ
るのだった。
11 月 11 日(土)
昨日司法試験の合格発表があって、その瞬間からぼくは受験生で
なくなってしまった。学生でもなく、働いてもいないぼくは、完全
に何者でもなくなってしまった。
まだ、修習生というわけでもない。
修習生になれるのは来年の4月からだ。
司法修習予定者。
なんだか、知らない人に説明するのがとってもめんどくさい状況
になってしまった。
「えー、今は何もしてないんですが、来年の4月からの予定は決
まってまして……云々」
でも、人生のなかで、めったに遭遇することのない状況であるこ
とも確かだ。
司法試験って、受かっちゃうとその後どうなるんだろう?
司法修習生って、どんなことするんだろう?
こりゃ、もしかしたら……、おもしろいことになるかもしれない。
これを記録しておかない手はないな。
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そんなわけで、数年ぶりに日記を書いてみようと思ったのである。
11 月 12 日(日)
最高裁判所に提出する修習申込書に添付する写真を撮るために、
スーツを着て、しもきた(下北沢)の写真屋に行った。
ベレー帽をかぶった写真屋のおじさんに、「就職用?」と聞かれ
たので、
「ええ、8センチかける 12 センチの白黒でお願いします」
と言った。
「じゃあまず、正面から撮るからね」と言って、おじさんが写真
を2、3枚撮った。
「じゃあこんどは、体をちょっと斜めにして」
「いや、斜めはだめなんです」
「なに言ってんの、最近は就職用の写真もかっこよく撮らなきゃ
だめなんだよ」と、おじさんが言う。
「ええ、でもだめなんです」
「おや、堅いんだねえ。警察官かなんか?」
「そんなようなもんです」とぼくが言うと、おじさんがにやりと
笑った。
11 月 13 日(月)
成績証明書を取り寄せるために、大学に手紙を書いた。
大学の住所がわからなかったので、インターネットで調べた。
ついでに、健康診断のための病院もインターネットで調べた。
最高裁に出す健康診断書は、国公立病院か大学病院で記入しても
らわなければいけないことになっているのだが、家から一番近い国
公立病院がどこにあるのかわからなかったからである。
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「国公立病院」で検索して、いくつか候補をピックアップしてい
るうちに、飯田橋にある厚生年金病院がいちばん便利であることが
わかった。念のために病院に電話してみると、公立病院であること
も確認できた。
それから近所の郵便局に行って、大学への手紙を投函してきた。
修習申込書の提出期限は 11 月 17 日に迫っていた。
「速達でお願いします」と、ぼくは窓口の女性に言った。
11 月 14 日(火)
午前中、厚生年金病院に行った。
内科外来に行き健康診断の記入用紙を渡すと、先生が、「ここに
書いてあることだけ検査すればいいんだよね?」と訊いたので、
「そうです」と答えた。
まず、胸と背中に聴診器をあてられ、つぎに血圧を測った。
それから、検尿をして、血液検査のための血液を採取し、さらに、
レントゲン室に行って、レントゲンを撮った。
内科棟に戻ってくると、身長と体重を測り、聴力の検査をした。
なぜか視力検査はなかった。
そして最後にツベルクリン反応の検査をした。
ツベルクリン反応?
「なんでツベルクリン反応なんてやるんでしょうね?」と訊くと、
先生はちょっと考えてから、「うーん、結核を想定してるのかな」
と言った。
11 月 16 日(木)
今日は、米田さん、三宮さん、まっちゃん、マッキーが、渋谷の
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〈JYU〉で、お祝い会をしてくれた。
みんな、ドイツ銀行で一緒に働いていた時からの友達である。
今は、みんな違うことをしている。
米田さんは、自分で会社をやっていて、三宮さんは、別の銀行で
働いている。まっちゃんは、別の会社で働いていて、マッキーは母
親である。
「司法試験に受かると友達が増えるっていうから、ピエールもこ
れから交友関係が広くなるかもね」と米田さんが言った。
それを聞いたまっちゃんとマッキーが、「あたしたちは、前から
友達だったよね。ねえ、ピエール」と言って、ぼくのグラスにワイ
ンを注いでくれた。
なんだか交友関係がぐっと広くなった気がした。
11 月 18 日(土)
昨日、最高裁に送った書類。
1.修習申込書
学歴、職歴、家族構成、実務修習の希望地などを書いたりする。
ちなみにぼくは、実務修習の希望地を順番に、東京、京都、奈良、
大阪、以下一任と書いた。
2.健康診断書
保険所、国公立病院または大学病院で書いてもらう。
3.戸籍謄本
4.最終学校の成績証明書
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5.写真
最近3カ月以内に撮影した脱帽、正面向き、上半身、縦 12 セン
チメートル、横8センチメートルの白黒のもので、所定の用紙にち
ょう付して、氏名及び撮影年月日を記入する。
それから、司法試験の合格証書の写しを送らなきゃいけないんだ
けど、合格証書は、11 月 27 日以降じゃないともらえないので、12
月 11 日までに郵送すればいいことになっている。
11 月 19 日(日)
今日は、しもきたの美容院に行って髪を切ってもらった。
この美容院には、5年くらい前から通っているのだけど、店の人
は、ぼくが司法試験の勉強をしていたことも、会社を辞めたことも
知らない。
そのうち言おうと思うのだけど、いつもタイミングを逸してしま
う。というのも、美容院での会話というのは、髪を洗ってもらうあ
たりから始まるもので、そこで、「お仕事は忙しいんですか」とさ
らっと訊かれると、つい「ええ、まあ」と答えてしまうからである。
もちろん、「実は、辞めちゃったんですよ。それで今年司法試験
に受かったんです」とか言ってもいいんだけど、たくさんしゃべる
と顔に掛けられたハンカチが落ちそうで恐いし、ハンカチがずりお
ちて、キョトンとした店の人と目が合っちゃうともっとバツが悪い。
そんなわけで、今日も真実を語ることができず、ぼくは嘘をつい
てしまった。
次回は、なんとかがんばりたい(と思う)
。
11 月 21 日(火)
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今日は、古畑さんが合格のお祝いをしてくれた。
古畑さんには、ぼくがインドスエズ銀行で新入社員だった頃から
お世話になっている。
古畑さんもまた趣味の多い人で、職場の机の引き出しから突然マ
ラルメの詩集を出して、
「これ知ってる?」などと訊いてくる。
そしてぼくが「哀しきかな、わが肉体……」と言うと、にやりと
笑うのだった。古畑さん自身、小説を書いたりもする。
以前、古畑さんに「あなたは、結婚してるんだっけ?」と訊かれ
て、「離婚してしまいました」と言うと、古畑さんが、「あっそう、
もったいないことしたね」と、ぽつりと言った。
そのときは聞き流してしまったんだけど、あとから考えると、こ
の時の言葉が、だんだん妙に的を射ているように思えてきた。
いろんな意味で。
11 月 22 日(水)
今日は、増本さん、ちよ、タケシが渋谷の〈雪月花〉でお祝い会
をしてくれた。
増本さんは、東京フォレックスのブローカーで4年くらいぼくの
担当だった。ちよとタケシ(ふたりとも男)は、チェース・マンハ
ッタン銀行の時の仕事仲間で、今は、ちよは別の銀行で、タケシは
まだチェースで働いている。
タケシは、髭だけでなく、髪も伸ばしていて、「ジーザスクライ
スト・スーパースター」みたいになっていた。
(ちょっと、古いか)
〈雪月花〉を出た後、ぼくらは渋谷のキャバクラに行った。
なんとも中途半端なキャバクラで、それでなんだかおさまりがつ
かなくなってしまい、結局、六本木に行ってしまった。六本木の交
差点でタクシーを降りると、偶然、東京フォレックスのハリーに出
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くわした。
ハリーは、ぼくを見つけると、“Congratulations!”と言って、大
きな右手を差し出した。
11 月 25 日(土)
今日は、渋谷の〈ユーロスペース〉で、増村保造監督の古い映画
を観てきた。
ぼくは、〈ユーロスペース〉が結構好きで、10 年以上前からちょ
くちょく行っている。アンゲロプロスの特集をやってた時なんかは
毎週行っていた。
〈ユーロスペース〉は、ぼくの通っていた司法試験予備校の真向
かいにある。勉強していたときは、映画を観る時間なんてなかった
から、映画館の前のポスターだけ見ながら、予備校に通っていた。
〈ユーロスペース〉のいいところは、とってもこぢんまりしてい
ることである。昔は、教室くらいのスペースの部屋に普通の椅子を
並べて映画を上映していた。
児童会館の夏休み映写会みたいな感じである。
映画によっては、客が 10 人くらいしかいないこともあって、上
映が終わって部屋が明るくなると、とっても侘しい気持ちになった。
夢が終わったときみたいに。
11 月 27 日(月)
今日は、久しぶりにしもきたのマンガ喫茶に行った。
受験生の頃、ぼくはよくマンガ喫茶で勉強していた。
マンガ喫茶のいい点は、
(ただし、やってないところもある)
1.24 時間やっている。
2.食べ物と飲み物がある。
(ただし飲み物しかないところもある)
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3.時間ごとにお金がかかるので緊張感がある。
4.ときどきマンガで気晴らしができる。
もう、いいことずくめである。
だけど、そのせいで、ぼくもいつのまにかマンガを読む習慣がつ
いてしまった。
最近は、内田春菊の作品を読んだりしている。今日は、『私たち
は繁殖している』を読んでいた。
あれは、おもわず笑ってしまう。
11 月 28 日(火)
用事があって、福井県大野市の実家に帰った。
まず、家から羽田が電車で1時間。羽田から小松が飛行機で 1 時
間。小松から福井がバスで1時間。福井から大野がJRで 1 時間。
この4つの1時間の過程を経て、やっと故郷に到達する。
不便といえば、不便だし、毎回がイベントみたいだと言われれば、
まあ、そんな感じもする。
先日、テレビで中村敦夫議員が、福井県はもんじゅの稼働と引き
換えに、福井空港再開の公共事業を推進していると言って、国と県
を批判していた。そう、その昔、福井にも空港があったのである。
幼稚園の遠足の時、ぼくはその福井空港で、初めて飛行機という
ものを見た。その時は、飛行機に乗ってみたいとは思わなかったけ
れど、飛行機の横から出ているあの大きな階段には上ってみたいと
思った。
11 月 29 日(水)
昨日から、大野市にいる。
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大野市というのは、盆地になっていて四方を山で囲まれている。
街なかには、高い建物がないから、どこを歩いていてもたえず視
界に山が入る。
以前、パリの放射線状に整備された町並みをさして、「パリでは
どこにいても空が見える」と言っていた人がいたが、さしあたり、
「大野ではどこにいても山が見える」といった感じか。(おいおい一
緒にするなよ)
それはさておき、田舎に行っていつも思うのは、世界が狭いとい
うことである。田舎で暮らしていると、街を歩いてるだけで何人も
知り合いに会ったりする。
それがいいという人もいれば、嫌だという人もいるだろう。
ぼくは、今のところまだ田舎で暮らすのはわずらわしいなと思っ
ている。だって、市役所に行って、届出をしようとしたら受付の人
が高校の同級生だったりすると、いやだと思いません?(届出の内
容によるけどね)
12 月 4 日(月)
東京地裁に裁判の傍聴に行った。
法廷に入ると民事の名誉毀損事件の証人尋問が行われていて、名
誉を毀損したとされる記事を掲載した出版社の人が尋問を受けてい
た。
まず、出版社側の弁護士が 30 分くらいの主尋問を行った。
それから、名誉を毀損されたとする人の弁護士が、30 分くらい反
対尋問を行った。さらに、裁判官が 10 分くらいの補充尋問。
出版社の人は、さすがに疲れた様子だった。
ばかでかい教室のような法廷。裁判官に正面から見下ろされ、左
右をそれぞれの弁護士にはさまれ、背後には傍聴人がいる。
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