オペラの風景(49) 「ジョコンダ」、ボーイド・マルトンの傑作 本文 ジョコンダ役のエヴァ・マルトン ポンキエルリ(1834~1886)作曲。バレー曲「時の踊り」の名は知っておい ででしょう。オペラ「ジョコンダ」の一部です。ボーイドが彼のために台 本を書いた唯一の作品です。これだけがポンキエルリの成功作です。原作 はヴィクトル・ユーゴの戯曲「暴君アンジェロッテイ」 。ボーイドは「フ ァルスタッフ」「オテロ」、それに「シモンボッカネグラ」の改作と、ヴェ ルデイオペラの台本書きとして有名です。 ポンキエルリ「ジョコンダ」は、ヴェルデイと同時代であるものの、古い 感じの作品で、直情的なアリアが続きますが、レシタチーボが多く、音楽 だけとると今一傑作ではありません。しかし波乱にとんだ筋で、ユーゴ原 作のオペラとしては「リゴレット」 「エルナーニ」 、「ルクレチア・ボルジ ア」よりスリルに富んでいます。ボーイドの腕の冴えでしょうか。ここで は原作と台本を比べることで、ボーイドの腕前に迫ります。 主役はタイトル役のジョコンダ。彼女は嫉妬と奉仕というシェクスピアー 的な矛盾した性格の歌姫で且つ売春婦(椿姫のような)です。 貴族エンツィオは彼女が片思いの元貴族(見かけは船乗り)。 人妻のラウラはエンツィオの恋人。今も相愛だが大貴族の妻。 これだけで劇がなりたたないのがユーゴの作品で、更にイアーゴのような 悪の権化バルナバ、ジョコンダの母チューカが加わる。彼は政府の密偵で 且つジョコンダに横恋慕、彼女は大事な小道具ロザリオの持ち主。 彼らが主役級の役をするので、話が込み入ってしまい、ヴェルデイが書い ても「椿姫」クラスの傑作にはならなかったと思います。 ジョコンダはエンツォの恋人。当時の風習では特定の男性と関係をもつ女 性ですが、本気に恋をしてしまいます。彼は船乗りですが、実は追放され たヴェネチアの元貴族。ひた向きな愛を抱き続けるのは、今人妻ラウラ。 ラウラは不本意な結婚でしたから今もエンツォを愛しています。しかし観 客の胸を打つのはジョコンダのエンツォへの愛。これはヴィオレッタのア ルフレードへの愛に匹敵します(椿姫) 。椿姫は結核死でしたが、ジョコ ンダは自刃。アルフレードもエンツォも少しお目出度い、これが大体の設 定です。 17 世紀のヴェネチア、第一幕は謝肉祭の当日。この日だけは女性も仮面を つけての外出が許されます。悪人バルナバは、ガレッタに負けたチームの 敗因をチェッカの呪いと挑発し、彼女を追い込み、ジョコンダ獲得の取引 を目論みます。騒ぎの最中、ラウラが大貴族の夫と通りかかり、チェッカ のロザリオを口実に夫に釈放を頼み成功します。ラウラの名をきき、近く にいたエンツォは驚きの表情。是を見逃さなかったバルナバは早速次ぎの 悪巧みを思いつきます。エンツォにラウラと彼の船で密会させるといい、 疑いながらも彼はラウラの魅力に負けます。悪人はこの事実を夫に一幕の 題名「獅子の口」を使って密告。他方これを盗み聞きしたジョコンダは恋 人エンツォの裏切りにショックを受けます。 第ニ幕は夜のダルマ船付近での出来事。エンツォはアリア「空と海」を歌 い、ラウラとの久しぶりの出会いに期待しています。無警戒でお目出度い 男の感じです。ラウラが現れ、二人は久しぶりの出会いに溺れます。出発 準備のため、エンツォが船に入った途端にジョコンダが現れ、ラウラに彼 を渡さないと、女の戦いを宣言しますが、ラウラの胸に母チェッカのロザ リオを見て、命の恩人と気づき、 「追っ手が来るから」と自分の船で逃が します。ジョコンダの複雑な性格の一面を示す最初の出来事です。これが 二幕の題名「ロザリオ」 。もどってきたエンツォにジョコンダはラウラの 帰宅と、危機が迫ったのを報せると、エンツォは船に火を放って海へ飛び 込みます。 第三幕はラウラの家の舞踏会。 「カ・ドーロ」の題名はヴェネチア政庁に ある黄金館。ラウラは逃げおせたが、自宅で、夫は浮気を種に毒薬を飲む よう強います。彼が去った一瞬の隙に、ジョコンダが現れ、毒薬の代わり に時間限定の死に陥る薬を飲むよう薦めます。ラウラは用意された棺に入 って薬を飲みます。夫が戻り妻の死を確認します。壁一つ隔てた部屋では 舞踏会が華やかに行なわれ、 「時の踊り」が繰り広げられます。その余興 に仮装したエンツォとラウラ、その亭主が事件を暗示する踊りをみせます。 エンツォが乱入、ラウラの死体が舞踏会場に運ばれ、全員に披露されます。 エンツォが是を見てあばれます。片隅でジョコンダがバルナバにエンツォ を無事逃がしたあら、身を与えると約束していますが、チェーカがバルナ バに引かれていったのには気づきません。これが彼女の自滅に通じます。 カ・ドーロ広間 この幕は大変上手く構成されていて、バレー、死体の搬入が舞踏会の賑わ いと好対照を示します、バレーがオペラのなかでこんなにうまく使われた 稀な例です。 。 第四幕は「オルファーノ運河」と題されています。これはジョコンダの母 の死体が上がった場所。水夫の話題にジョコンダは身震い。そこへラウラ が半死で担ぎこまれます。怒り狂って飛び込んで来たエンツォは「ラウラ の墓にいく」というのを止めたジョコンダにナイフをつきつけます。その とき、ラウラの声。事情を知って二人はジョコンダに感謝し、用意された ガレー船で逃げます。そこへバルナバがきて、体を与えよと迫ったとき、 ジョコンダはナイフで身を刺し、「これをあげる」と叫びます。 ヴィクトル・ユーゴの小節や戯曲は面白く、レ・ミゼラブルなど今も読ま れています。ジョコンダの原作はどんな筋だったのでしょうか。以下示し ますが、存外平凡で、ボーイドのオペラ化の天才がみえてきます。(1835 年ユーゴ作・1876 年ボーイド改作) ( )内はオペラでの名。 場所はヴェテチアの北にあるパトヴァ。1549 年。 第一日「鍵」夜会の庭 女優ティスベ(歌手ジョコンダ)はバドヴァ総督アンジェロの思われ者、 しかし未だ靡いていない。彼女はかって母(チェーカ)の命を助けてくれ た女の子を捜している。総督にも頼む。庭の出来事。総督は去り、ロドル フォ(エンツォ)が来て、ティスベは熱烈に話かけるが、ロドルフォの対 応は今一つ。ティスベが去るとオモディ(バルナバ)が寄ってきて、ロド ルフォの正体を暴く。彼は 200 年前追放された貴族の末裔で、ヴェネチア で出会って恋におちた女性カタリーナ(ラウラ)を捜しているのだろうと。 もし会いたいなら私が手配をするという。 オモディはティスベに総督の首から鍵をとってくれば、貴女の恋人ロドル フォの恋の現場を見させてあげる、という。カタリーナは総督の夫人であ る。 (比較)ここはボーイドの方が大分よくできています。大きな違いはジョ コンダの扱いで、彼女はフリー、総督の思われ者という制約を解いたため、 行動が自由になっている。 第ニ日「十字架(ロザリオ)」カタリーナの寝室 オモディがロドルフォをカタリーナの寝室に案内する。この好意の言い訳 は彼がロドルフォに命を助けられたからだ、という。寝室は空でロドルフ ォは待つ。カタリーナが帰り、二人は劇的な再会を喜ぶ。人の気配がして、 ロドルフォを隠す。ティスベが現れ、彼女はカタリーナの不倫を追及する が、手に母の十字架があるのを見て、恩人だと知る。そこへ総督が現れた ので、ティスベは総督暗殺計画があるのを、報せにきたと言い訳をする。 第三日「白と黒」 第一場(あばら屋の中)ロドルフォからカタリーナ宛に書いた恋文を侍女 からオモディは入手、そこへロドルフォが登場し、オモディの裏切りを責 め、刺して立ち去る。駆けつけた部下にオモデイは総督アンジェロに妻へ の恋文を渡すよう依頼し、死ぬ。 (比較)悪人オモデイが獅子の口を使って、自分の仕掛けを密告し、亭主 が海上で不倫相手を捕らえるようとするのは面白く、逃げられないと知っ て、船に火をつけて海に飛び込むのは壮大である。ボイドの空想力を買う。 第ニ場(カタリーナの寝室)総督は妻の不倫を知り、寝室での処刑を思う がデイスベに諌められ、毒殺に変える。デイスベが自室からとってきた毒 は一過性のものであり、そのことをカタリーナに告げ、彼女は飲んで死ぬ。 倒れている妻をみて、総督は満足し、部下に命じて地下に埋めさせる。テ ィスベは彼らに大金を渡して、別の場所に移させる。 (比較)ここはデイスベと総督の親密さが利用されている。ボーイドでは 自死を強いられている所にジョコンダが現れるが、ボーイドの方に無理が ある。事件を暗示する〈時の踊り〉は実にボーイドとポンキエルリの傑作 で、オペラならではの醍醐味を味わえる設定である。母親の誘拐を気づか なかったとするボーイドの設定は次の幕に奥行きを与える。 第三幕(寝室)ティスベはカタリーナを運ばせ、ロドルフォと逃げられる よう馬車の手配をする。ロドルフォが現れ、侍女から経緯をきいた、本当 にお前が毒薬の準備をしたのか、と問い、ティスベは「殺す前に一言、言 って。本当に貴女は私を一度も愛したことはなかったのか」 。ロドルフォ は一度もなかったといい、ロドルフォは彼女を刺す。カタリーナは目を覚 ます。ティスベは〈一度も愛されていなかったのなら、貴方に刺されて死 にたかった。逃亡用馬車の準備はしてあるのよ。お幸せに〉と叫び、息が 切れる。 (比較)ボーイドは第四幕としている。ボーイドはここでユーゴの原作を 離れます。歌姫の殺害を恋人ではなく、悪人バルナバにやらせています。 恋人の命の代わりに身を与える話はトスカを思わせますが、ユーゴでは悪 人が二幕で死んでいるので、片思いの相手による死という、実にロマン派 的死か選ばれ、ボーイドでは悪の権化バルバラによる現代的死が選ばれま す。作家の好みでしょう。ボーイドはイアーゴを選んだけれど、これは情 欲という平凡な動機で少しいただけません。 換骨脱胎というか、部分の組み換えと加筆で、違う話のようになっていま す。作品はボーイドの方がよく出来ています。考えたユーゴも天才なら、 編集するボーイドはそれ以上ではないでしょうか。 台本の表紙 このロマン派オペラは名曲の割りにDVDが少なく、1986ウイーン年 国立歌劇場のものだけが推奨に値します。マルトンははまり役で、ひたす ら歌い幕っていますが、それで十分聞き応えがあります。 エヴァ・マルトン(ジョコンダ) プラシッド・ドミンゴ(エンツォ) マッテオ・マヌグエッラ(バルナバ) ルドミラ・セムチュク(ラウラ) アダム・フィッシャー指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団 フィリッポ・サンジェスト演出 他に 2005 年ヴェローナ音楽祭のものを見ましたが、演奏は粗く、また広い舞 台を十分に使った演出とはいえませんでした。 ポンキエッリ:歌劇『ジョコンダ』全曲 ジョコンダ: アンドレア・グルーバー エンツォ・グリマルド:マルコ・ベルティ バルナバ:アルベルト・マストロマリーノ アルヴィーゼ・バドエーロ: カルロ・コロンバーラ ラウラ・アドルノ:イルディコ・コムロシ チェーカ: エリザベッタ・フィオリッロ バレエ・ソロ:レティツィア・ジュリアーニ、ロベルト・ボッレ ヴェローナ野外音楽祭管弦楽団、合唱団、バレエ団 指揮:ドナート・レンツェッティ 演出、美術、衣裳:ピエール・ルイジ・ピッツィ 振付:ゲオルグ・イアンク 収録:2005 年、ヴェローナ野外音楽祭(ライヴ) カラー/リニア PCM ステレオ/16:9LB/片面 2 層/169 分/日本語字幕 1810~1842 年はイタリア・オペラの黄金時代で、ロッシーニ、ベルリー ニ、ドニゼッテイと今も上演される作品が数々生まれましたが、1942 年 に「ナブッコ」でデビュー、1972 年の「アイーダ」まではヴェルデイの 時代になってしまいました。対抗者が話題にのぼりましたが相手はありま せん。アルミカーレ・ポンキエルリはその候補だったようですが、当人は 夢にも思わず、歌姫を妻に貰い、大学教授になって、有能な後輩、プッチ ーニやマスカーニを育て、1886 年 51 歳で生涯とじました。 「婚約者」で デビューし 10 に余りあるオペラを書きましたが、残ったのは〈ジョコン ダ〉だけです。 ポンキエルリの婚約者に触発された 画
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