描 き版から写真平版 ポ ス タ ー に 見 る 印 刷 表 現 の 広

へ
か
い
は
ん
描き版から写真平版へ
ポ ス タ ー に 見 る
印 刷 表 現 の 広 が り
印刷技術の多様性を最もよく示すものの一つにポスターがあります。
どんな方法をとっても印刷である以上は、必ずインキをのせて文字や図柄を紙
にうつすための「版」が必要です。そして版は、ただ単に原稿を紙に移すための媒
き換えられ、これをずれないように重
また、肉眼では見ることができない一
ねて印刷したのです。特に念の入った
瞬といった、写真でしかとらえられな
多色刷りの場合には30色分もの版が製
いイメージをそのままポスターとして
作されたこともありました。
印刷することが可能になりました。
こうしてみると、この時代の日本の
印刷を使ったデザインの世界に先立
描き版によるポスターは、工程のすべ
って、絵画などではフォト・モンター
てが原画の再現、すなわち複製のため
ジュといった写真を使った表現技法が
のもので、ヨーロッパのポスターのよう
取り入れられました。もちろん、リア
な、版から生まれる新しい表現といっ
ルなイメージを、ポスター上で再構成
た意識はかなり薄かったといえます。
し、新たな意味とイメージを組み立て
材であるだけではなく、製版技術と工程の進歩によって印刷表現に大きな可能性
をもたらしてきたのです。
印刷技術を用い、画像によって人々の目を引きつける「近代ポスター」は、効率
よく広告や宣伝を行う手段として19世紀後半に登場しました。ポスターは、変化す
る製版技術をその表現にどのように取り込んできたのでしょうか。
ポスターの表現を変えた
「写真」の登場
る方法は、デザインにとっても革命的
でした。写真というメディアが持つ現
実性を取り込み、人々に与える「現実
《ジャポン・ジョコンダ》中村誠・福田繁雄 1971年
1841年、イギリスのタルボットによ
的」な視覚イメージを利用し、この方
うな印刷の工程を応用することで、新
り、1枚のネガから複製が可能な写真
法により多くの名作ポスターが生み出
しい表現の方法(プロセスワーク)が
技術が考案され、19世紀後半には印刷
されました。
生まれ、さまざまな試みを持ったポス
技術へ導入されました。
ターがつくり出されています。
にもたせることに成功し、亜鉛板やア
ポスターの表現にとっては、写真の
これらは印刷の工程を熟知していな
ルミ板が平版印刷の中心となりまし
イメージがそのまま印刷に使えるよう
いと想像もつかない方法で、工程、す
た。
になったことの他に、写真製版の化学
なわち技法を表現法に「利用」するこ
石(版)に描いた絵がそのまま印刷
的工程が、やがて新しい印刷表現を生
とにより生まれた、まさに、グラフィック
されるという技術は、多くの画家の興
み出す道具として利用されるようにな
デザイン、大量生産における「手工芸」
味を引き、シェレやロートレック、マ
ります。
と言えるかもしれません。
ネといった画家たちが多くのポスター
せき
《咳が出たらジェローデル ドロップを》
ジュール・シェレ 1890年
ポスターと平版印刷
「写真」を使ったポスター表現
を残しています。
そして19世紀後半のパリを中心と
精巧な複製を目指し技術を精練して
し、石造りの街並みに現れた色鮮やか
きたポスターの印刷にとって、人の手技
な大判ポスターは道行く人々を魅了
に頼らずに写真をそのまま印刷できる
《エンゲルベルク、トリュープゼー》
ハーバート・マター 1935年
1798年、ドイツのアロイス・セネフ
し、ヨーロッパの街頭で繰り広げられ
ェルダーによって発明・完成された科
た平版ポスターの競演は、まもなく日
学的な性質を利用した平版印刷術は、
本にも伝わり徐々に定着することとな
あると同時に、装飾的意味を持つもの
かかるもので、画工の腕一つで仕上が
写真製版技術によって拓かれたこと
それまでの凸版印刷や凹版印刷と比較
ります。
でした。そのため、美しくきれいな図
りが左右されたのに対し、写真の利用
のもうひとつの表現の可能性は、印刷
案が好まれ、特に美人を題材にしたポ
は速さと正確さをもたらしました。
の工程に潜 むさまざまな可能性が、ポ
《菊正宗》1921年頃
技術の出現は、まさに夢のようでした。
ひ ら
描き版による製版が、時間と手間の
写真製版技術が拓いた表現技法
ひ そ
して、グラデーションの表現や多色刷
日本でもその頃(1870年代、明治初
りが容易で、文字と絵を分けずに同じ
頭)には平版技術の実用化が始まって
版に刷ることができ、大きな版が作れ
おり、1890年代後半より急速に普及し
これら初期ポスターの製版方法の中
るといった利点があり、ポスター製作
始めました。そうした日本での技術の
心は、「描き版」と呼ばれる方法で、
にはうってつけの技法でした。
定着を背景に、日本の平版ポスターの
日本では、画家が描いた原画を、画工
ために使われる網スクリーンは、表現
と呼ばれる職人が目と手によって、印
の多様な可能性を秘めたデザインツー
スターが数多く製作されました。
スターの表現を中心に開拓されていっ
たことです。
例えば、明暗や色の濃淡を印刷する
平版が発明されるきっかけとなった
歴史は、1881∼2(明治14∼15)年に
のが、ドイツ南部のゾルンホーフェン
製作された煙草商 淵上屋の広告によっ
刷用の石版(後に金属版)に再現する
ルとなりました。スクリーンの模様や
《第8回東京国際版画ビエンナーレ展》
杉浦康平 1972年
で採石される炭酸カルシウムを主成分
て始まったとされています。
というものでした。
大きさを変化させることによって、も
寺本美奈子(印刷博物館学芸員)
とする石の性質によるものだったた
め、発明されてからしばらくの間は、
日本のポスターと描き版
せ き ば ん
ここで重要なのは、印刷によってい
とのイメージを残しながら、斬新な印
かに原画を忠実に再現できるかという
象を与えるデザインが可能になったの
この石が平版の唯一の版材として用い
ヨーロッパのポスターが街頭に貼ら
ことで、それはすべてと言っていいほ
です。また、製版フィルムのネガとポ
られていました。しかし石の採掘には
れることを念頭において製作された大
ど原画から版を描き起こす画工の技術
ジを反転させる工程に、さまざまな表
限界があり、重たい石は扱いづらいな
きなサイズのものが中心であったのに
にゆだねられていました。
現を生み出す「しかけ」が編みだされ
どの問題もありました。やがて化学的
対し、日本のポスターは掛け軸のよう
方法により、この石と同じ性質を金属
に室内に飾られることが多く、広告で
原画は、約1カ月かけて画工により
10∼20色ぐらいに色分けされた版に置
ました。
《東京オリンピック公式ポスター 2号》
亀倉雄策 1962年
特に1970∼80年代を中心に、このよ
●参考文献
『印刷術入門』1955年 馬渡 力 印刷学会出版部
『印刷事典』1966年 社団法人日本印刷学会
『コマーシャルフォトシリーズ19
クリエイティブな印刷表現』1971年 玄光社
『印刷発明物語』1981年 馬渡 力 社団法人日本印刷
技術協会
『増補版 印刷事典』1987年 社団法人日本印刷学会
『日本石版画の思い出』1992年 野村廣太郎編
富士精版印刷株式会社、新日本セイハン株式会社
『印刷博物誌』2001年 凸版印刷株式会社
©(財)日本オリンピック委員会
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