3 ・ 11大 震 災 記 者 た ち の 眼 差 し Ⅱ

『3・11 大震災 記者たちの眼差し』(TBS)の上映会を開催し(9/9 ~ 25)、
連日多くのお客様にご来場頂きました。
この度、9月10日に放送された『3・11大震災 記者たちの眼差しⅡ』の
上映会の開催も決定致しました。この番組は、東日本大震災をめぐる記者たちの
現地報告17本をオムニバス形式のドキュメンタリーとして一度に放送
したものです。6月に放送されて話題を呼んだ『記者たちの眼差し』の第二弾
です。各8分間のそれぞれの記者たちの報告に、個人的心情が表現されてい
番組上映会
東 日 本 大 震 災 の 発 生 か ら 半 年 を 迎 え た こ の 秋、 放 送 ラ イ ブ ラ リ ー で は、
オムニバス・ドキュメンタリー
3・ 大震災
記者たちの眼差し Ⅱ
11
ます。大震災という未曾有の悲劇を伝えるには「何を取材したか」だけでは
なく「誰が、どんな思いで取材したのか」も重要な要素だと考え、
「私」という
一人称にこだわった形式がとられています。(2時間19分)
2011年
期 間
10 月 14 日(金)~ 30 日(日)
※月曜休館
会 場 放送ライブラリー 情報サロン
開始時間 平 日/ 14 時 00 分〜 土日祝日/13 時 30 分〜
主 催 (財)放送番組センター
協 力 JNN
入 場 無 料(申込不要)
(写真提供/JNN)
放送ライブラリーは、みなとみらい線「日本大通り」駅、真上です。
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なった見知らぬおばあさんの遺体を発見する。そのすぐ傍では、
の過疎の村を取材した。その村で都会の大学からあえて地元に戻り、
ヘリに救助される人々の姿があった。生と死が背中合わせの現場に
伝統の祭りを復活させようと頑張るひとりの若者に出会う。彼は
立って、生きること死ぬことについて、深く考えさせられた。
なぜ田舎に戻って来たのか・・。
エピソード 2 IBC岩手放送・高橋和人
高橋記者は宮古市駐在記者として津波を目撃。その後も町の様子を
エピソード 12 熊本放送・宮脇利充
宮脇記者が取材したのは陸前高田市で「復興の湯」という銭湯を作った
取材し続けている。メディアが安易に「復興」「前向き」といった
メッセージを発することに記者は違和感を覚え、住民の地道な日常
男性だ。男性の本来の職業は船大工だが、職人の器用さから初めて
風呂を作り、寒さに震える被災者らにぬくもりを与えた。寡黙で
生活を記録してゆこうと決意する。
働き者の男性の姿は、東北人の典型のようだった。
エピソード 3 青森テレビ・伊藤麗
エピソード 13 山陽放送・山下晴海
山下記者が取材したのは津波で家を流された79歳のひとり暮らしの
伊藤記者は八戸市の避難所を取材した際、ニュースにせねばという
プレッシャーから現場の空気とは違う報道をしてしまった。高校野球の
テレビ中継に「励まされる被災者がいる」と伝えたが、そんな被災者
男性。コンテナハウスに移り住み、失われた地域の絆を少しで
も取り戻そうとしていた。 男性が口にした 「なじょにがすっぺ。
はわずかだった。そのことをいまも悔いている。
どうにでもなるさ」という言葉が耳に残った。
エピソード 4 テレビユー福島・遠藤善哉
エピソード 14 東北放送・米村旅人
米村記者は、4人の子どもを抱えて必死に生活する女性と出会った。
遠藤記者は、旧知のサラブレッド牧場経営者が福島原発事故の影響
で廃業することになったと知り取材に訪れる。80年の歴史をもつ
牧場が閉鎖される日、トラックに乗せられ去ってゆく馬たちを、
家族の大黒柱である夫は津波で行方不明。生活費もままならない。
夫の死を認めたくないと思いながら、女性は災害弔慰金を受け取る
じっと見つめる牧場主の姿があった。
ため、夫の死亡届を出すことを決める。
エピソード 5 中国放送・藤原大介
広島で原爆問題にこだわってきた藤原記者は、福島県南相馬市の
エピソード 15 山陰放送・河場和重
河場記者は、仕事仲間のカメラマンが福島からの避難者受け入れ
85歳の酪農家の男性を訪ねた。その男性はかつて広島の原爆で
被爆し、今回、福島原発事故で農場ごと被曝していた。二つの核に
のボランティアを始めたことを知り、取材を始めた。福島から
1000キロも離れた島根県で、自分たちに何ができるのか。遠く
翻弄される男性を前に記者はかける言葉が見つからない。
離れた地域での被災者支援のあり方を探った。
エピソード 6 中部日本放送・有本整
有本記者は、6月から一ヶ月間、JNN三陸支局で被災地取材をした。
エピソード 16 大分放送・加賀其昌
加賀記者は入社1年目。大震災発生時はまだ大学生だった。そんな
復興に向けた明るいニュースが増える中、そのかげで、復興への
最初の一歩が踏み出せない被災者も数多くいることを知り、彼らの
新人記者が入社からわずか2ヶ月で被災地取材をすることになった。
自分に一体何が出来るのか?傍観者になっていないか?自問自答する
声に耳を傾けることにする。
日々が始まった。
エピソード 7 RKB毎日放送・松本卓士
エピソード 17 静岡放送・岸本達也
岸本記者は、被災地の現状とテレビが伝える映像があまりにかけ
松本記者は数年前、運動中の事故で車椅子生活になった。これまで
懸命になって牛を育てる畜産農家の日々を追った。
エピソード 9 チューリップテレビ・松井克仁
松井記者は、かつて取材したことのあるお笑い芸人が、地元の福島
に残って芸能活動を続けていることを知り、再び取材を始めた。
原発問題を抱えながらも、その問題を避けずに笑いに変えてゆく、
芸人としての真摯な姿を見た。
エピソード 10 長崎放送・山田大輔
山田記者が取材したのは津波で両親を失った陸前高田市の高校生だ。
高校生は長崎県が選んだ平和大使として、国連欧州本部で被災地の
惨状を英語でスピーチすることになった。両親を失いながらも懸命
に前に向かおうとする若者の姿を追った。
[放送日]
9月10日(土)
26:48~29:20
[取 材]
JNN16局
IBC(岩手)
、ATV(青森)
、TBC(宮城)
、
TUF(福島)
、SBC(長野)
、SBS(静岡)
、
TUT(富山)
、CBC(愛知)
、BSS(鳥取)
、
RSK(岡山)
、RCC(広島)
、RKB(福岡)
、
NBC
(長崎)
、
RKK
(熊本)
、
OBS
(大分)
、
TBS
(東京)
[統 括]
岩城浩幸(TBS)
[構 成]
秋山浩之(TBS)
〒 231-0021 横浜市中区日本大通 11 番地 横浜情報文化センター内
TEL 045-222-2828 http://www.bpcj.or.jp/
JNNの記者たちが、被災地に立って何を思い、どんな気持ち
超える放射性物質が検出され、肉牛の出荷停止が続く中、それでも
で 取 材 を 続 け た の か、 生 身 の 個 人 と し て の 思 い が 込 め ら れ た
おかれているかを取材することにした。県内の稲わらから規制値を
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本。被災地の姿はもちろん、悲しみや憤り、驚きや
エピソード 8 TBS・松岡洋太
松岡記者は、福島原発事故により地元の畜産農家がどんな状況に
VTR
楽しみだ」と言ってくれた。一条の光を見る思いがした。
伝える。6月に放送されて話題を呼んだ『記者たちの眼差し』
だろうとも思う。けれども被災者たちは、それでも「テレビが
戸惑いなど、被災地取材で自問自答する記者たちの心の軌跡を
取材をすることにした。
離れていることにショックを受ける。自分たちは何を伝えているの
の第二弾。
車椅子姿の自分をテレビにさらすことを避けてきたが、被災地での
車椅子障害者の現状を取材するため、あえてその姿をさらして被災地
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オムニバス・ドキュメンタリー
エピソード 11 信越放送・笠原公彦
笠原記者は、3月11日の翌日、震度6強の地震が襲った長野県北部
3・ 大震災 記者たちの眼差し Ⅱ
エピソード 1 TBS・深井慎一郎
発災直後に被災地入りした深井記者は、津波に巻き込まれて亡く