二重維新の哲学 鷹山・K 國威・M この論稿は自由主義民主政(liberal democracy)の矛盾を止揚する「超近代化」の理論であるとともに、「侍 政」の「維新≒再生」であるところの「大共和政」の理論を明らかにし、「大共和政維新」とそれに重なる「緑の維 新」から成り、日本をその起点かつ連帯の中心とする、世界的な「二重維新」の正式な始まりを宣言するものであ る。 以上がこの論稿全体の要約であるが、理論の展開に先駆けてまずそれ自体敷衍を要する。 まず「超近代化」ということについてだが、これはフランシス・フクヤマの仮説、即ち「日本化についての註」と呼 ばれる根本修正以前のアレクサンドル・コジェーヴの仮説の裏付けを取る形で、プラトンの「魂の三分法」に則っ た人間本性の充足ということをその統一的な基準として西洋政治思想史を概括し、魂の三つの部分の内、特に 命を賭けることに最高の充足を見出す「気概(thymos)」の働きに光を当て、それが近代以降の歴史の中で大体 において利潤の追求に満足を見出すまでに馴致されたこと、それでも尚、結局戦争というものが事実上不可能 になっているが故に命を賭けることができず、その充足に不満が残るという「矛盾」や、核兵器や環境破壊といっ た「科学の人間への反逆」による破局の可能性といった問題を残すものの、他の政体と比べより良く人間本性を 満足させるため、尚も自由主義民主政が最善の政体であり、これでイデオロギーの発展としての「歴史 (History)」は終わったとする仮説に裏打ちされた自由主義民主政を超克するという限りの限定的な意味におい てである。1 一方「侍政」の「再生≒維新」ということについてだが、これは個別の説明を要するので、まず「侍政」という詞の 由来と定義から始めよう。「江戸幕府」あるいは「幕藩体制」は、字面からすればいわゆる絶対君主制との類推を 示唆する形で〈shogunate〉あるいは〈Tokugawa shogunate〉と英語では呼ばれている。「侍政」あるいは「歴史 的侍政」という言葉はこれらに代わる私たちの造語で、英語では〈Samuraicracy〉であるが、「貴族政」や「民主 政」といった統治形態との一律な比較を可能にする語彙である。字面のまま単に「侍の支配」ということを意味す るのであれば、鎌倉時代からあてはめることができるが、そもそも幕藩体制の統治原理、即ちモーリス・パンゲが 『日本における自死』(邦題『自死の日本史』)において、あますところなく分析したように、切腹という習俗とその 名誉を最大限に尊重した法制、あるいは統治主体に重心を置いて捉えるなら、その組み合わせによって成立す るところの、侍の自己完結した純粋な「死身」(『葉隠』の詞だが、ここで先にフクヤマの仮説の紹介に際して用い た「命を賭ける」という表現との互換性を以後のために確認しておく )を、特に戦火頽廃二つなきパックス・トクガ ワーナとの関係性において強調する意図で創った用語であるので、ここでは江戸時代の統治形態に限定して 用いるものとする。 次いで「維新≒再生」ということについてだが、これはそもそもフランス語で「再生」を意味する〈Renaissance〉と いう詞の「用法」を踏まえたもので、この詞が一種のダブルスピークであり、それによって西洋文明が形作られた のは確かでも、古典古代などと呼ばれる古代ギリシャ・ローマ文明が西洋文明と異なる文明であることも歴然たる 事実であり、その観点からすれば「移植」と呼びうるものを敢えて「再生」と呼んだことに倣うものである。したがっ て、単に日本語の問題としては「再生」の代わりに「回生」や「復興」といっても同じなのだが、結局の所大共和政 の導入という共通の形をとるということでは同じである、侍政という一度は跡形もなく消滅した政体の、日本での 「再生」と他国における「移植」をあくまで程度の問題とし、「維新≒再生(≒移植)」ということで等しなみに捉える ものである。 さて、以上の説明により既に十分に示唆されているように、この大共和政理論の基本的な枠組みの成立は、フ クヤマの仮説を、彼がその仮説を依拠したコジェーヴ自身の修正に基づき、内在的に超克するものに他ならな い。 このような主張は、人によっては容易には受け入れ難いものだろうということは私たちも十分自覚しているつもり 1実際、このような大仰な表現は私たち自身用いるのを避けたいところなのだが、どうしても使わざるをえない。 である。しかし、そもそもフクヤマは彼の仮説を、その一続きの修正と併せ有名なコジェーヴの『ヘーゲル読解入 門』の註に全面的に則っているのであるから、私たちがコジェーブの修正に則る限り、少なくともフクヤマ仮説に 対する私たちの超克が手堅いものであることも疑いの余地のない事実なのだ いずれにしても、私たちの理論の最も重要な根拠であり、既に繰り返し言及しているコジェーブの「日本化につ いての註」を、ここで全てではないにしても冗長さを厭わずに引用しないわけにはゆかないが、ついでにその修 正としての致命的な性格を理解すべく、フクヤマが依拠した、それと一続きの前の部分からも併せて若干引用す ることにしよう。 したがって、歴史の終末における人間の消滅は宇宙の破局ではない。すなわち、自然的世界は永遠に在る がままに存続する.したがって、これはまた生物的破局でもない。 人間は自然或いは所与の存在と調和した動物 として生存し続ける。消減するもの、これは本来の人間である、すなわち所与を否定する行動や誤謬であり、或 いはまた一般には対象に対立した主観である。実際、人間的時間或いは歴史の終末、すなわち本来の人間或 いは自由かつ歴史的な個体の決定的な無化とは、ただ単に用語の強い意味での行動の停止を意味するだけ である。これが実際に意味するものは、――血塗られた戦争と革命の消滅である。さらには哲学の消滅である。 (中略) 前記の註を記していた頃(一九四六年)、人間が動物性に戻ることは将来の見通し(それもそれほど遠くない) としては考えられないことではないように私には思われていた。だが、その後間もなく(一九四八年)、へーゲルや マルクスの語る歴史の終末は来たるべき将来のことではなく、すでに現在となっていることを把握した。私の周囲 に起こっていることを眺め、イエナの戦いの後に世界に起きたことを熟考すると、イエナの戦いの中に本来の歴 史の終末を見ていた点でへーゲルは正しかったことを私は把握したのである。この戦いにおいて、そしてそれに より人類の前衛は表面的にはともかく、実質的には人間の歴史的発展の終局にして目的、つまりは終末に達し ていたのであった。それ以後に生じたことは、ロベスピエール―ナポレオンによりフランスにおいて具体化された 普遍的な革命の威力が空間において拡大したものでしかなかった。 (中略) ところで、(一九四八年から一九五八年までの問に)合衆国とソ連とを数回旅行し比較してみた結果、私はア メリカ人が豊かになった中国人やソビエト人のよ うな印象を得たのだが、それはロシア人や中国人がまだ貧乏 な、だが急速に豊かになりつつあるアメリカ人でしかないからである。アメリカ的生活様式(American way of life) はポスト歴史の時代に固有の生活様式であり、合衆国が現実に世界に現前していることは、人類全体の 「永遠に現在する」未来を予示するものであるとの結論に導かれていった。このようなわけで、人間が動物性に 戻ることはもはや来たるべき将来の可能性ではなく、すでに現前する確実性として現われたのだった。 私がこの点での意見を根本的に変えたのは、最近日本に旅行した(一九五九年)後である。そこで私はその 種において唯一の社会を見ることができた。その種 において唯一のというのは、これが(農民であった秀吉に より「封建制」が清算され、元々武士であったその後継者の家康により鎖国が構想され実現された後) ほとんど 三百年の長きにわたって「歴史の終末」の期間の生活を、すなわちどのような内戦も対外的な戦争もない生活 を経験した唯一の社会だか らである。ところで、日本人の武士の現存在は、彼らが自己の生命を危険に晒す ことを(決闘においてすら)やめながら、だからといって労働を始めたわけでも ない、それでいてまったく動物的 ではなかった。「ポスト歴史の」日本の文明は「アメリカ的生活様式」とは正反対の道を進んだ。おそらく、日本 にはもはや語の「ヨーロッパ的」或いは「歴史的」な意味で の宗教も道徳も政治もないのであろう。だが、生のま まのスノビズムがそこでは「自然的」或いは「動物的」な所与を否定する規律を創り出していた。これは、その効 力において、日本や他の国々において「歴史的」行動から生まれたそれ、すなわち戦争と革命の闘争や強制 労働から生まれた規律を遙かに凌駕していた。なるほど、能楽や茶道や華道などの日本特有のスノビスムの頂 点(これに匹敵するものはどこにもない)は上層富裕階級の専有物だったし今もなおそうである。だが、執拗な 社会的経済的な不平等にもかかわらず、日本人はすべて例外なくすっかり形式化された価値に基づき、すな わち「歴史的」という意味での「人間的」な内容をすべて失った価値に基づき、現に生きている。このようなわけ で、究極的にはどの日本人も原理的には、純粋なスノビスムにより、まったく「無償の」自殺を行うことができる (古典的な武士の刀は飛行機や魚雷に取り替えることができる)が、この自殺は、社会的政治的な内容をもった 「歴史的」価値に基づいて遂行される闘争の中で冒される生命の危険とは何の関係もない。最近日本と西洋 世界との間に始まった相互作用は、結局、日本人の再野蛮化ではなく、(ロシア人をも含めた)西洋人の「日本 化」に帰着すると信じるのを許すようだ。2 2Alexandre Kojève,l' Introduction à la lecture de hegel ,Gallimard 1947/1968:pp.434-437 このテクストに細かい註釈をつけても始まらない。私たちが注目すべきは、フクヤマもそうしたように当然最後の 文で述べられている西洋の―ということはコジェーヴも確認の通り近代化を経た世界全体―の日本化ということ である。事情を知らぬ人のために敢えて注意しておくなら、フクヤマはこの修正を無視したというのでは全くない。 実際、フクヤマの出自からすれば、これを無視しえたはずはないのであり、しかして結局適切な解答を出しあぐ ねた彼はこれに「冗談めかして示唆した3」との註釈を施すにいたったのだが、むしろこれは真に受けるにはあま りに大胆で現実離れした内容だが、一方で極めて慎重な、したがってあくまで真剣さを感じさせる示唆であり、そ のためにこそ思想家や知識人一般を刺戟する意味深長な謎として残ってきたのである。4 今やそれ自体未来の種となった予言が結実しつつあるということになるわけだが、この示唆を誰よりも真に受け、 フクヤマが「歴史の終わり」仮説を世に問うのに先駆けること数年『日本における自死』を著したにも拘らず、本人 がコジェーブへの言及を敢えて避けたこともあって、フクヤマとは対照的に今に至るまで全くといって良いほど無 名に留まっている人物こそ、先にもその名を挙げたモーリス・パンゲに他ならない。 日本版への序の中で、パンゲは執筆に際したニーチェやカミュやエーリッヒ・アウエルバッハからの影響につい て語りこそすれコジェーヴの名を挙げてはいない。しかし、このフランスの日本研究者が名だたる「日本化につい の註」について識らなかったということはありえないのだし、何なら彼が本篇で『精神現象学』に言及していること をコジェーヴからの間接的な影響の証拠として挙げることもできよう。5 実際、パンゲが然るべく「日本化についての註」に言及していたら、現に結果的に、少なくとも理論の上では私 たちを介してそうなりつつあるように、他ならぬその現実化の触媒として認知され、他でもなくパンゲの存命中に フクヤマが受けとったような反響をもたらし、本人も巻き込むような議論の対象となっていたことだろう。最晩年の パンゲ、「ナショナル・イントレスト」誌に特輯を組まれた「歴史の終わりか?」(The End of History?,1989)を読 むことはできたとしても、『歴史の終わりと最後の人間』(The End of History and the Last Man ,1992)を読む ことなく死んだパンゲがフクヤマをどう見ていたかは不明であるが、少なくとも彼が 他でもなくフクヤマが巻き込ま れたようなけたたましい反響をとても好みそうにない人物として元同僚から回想されていることも6、敢えて直接の 言及を避けたのだと推定する論拠の一つに加えてもよいだろう。 いずれにしてもパンゲは、それが立ち所に見抜かれないための彼なりの工夫だったということなのだろうが、そ の位置からしても全く目立たない箇所に、非常に稀釈された形で、尚もコジェーヴの示唆における「ズレ」、つま りナポレオンの事蹟以降に世界の変化を見ない流儀で、日本の明治以降の変化をすっとばしているというズレ を修正しつつ、それを上書きするかのように述べている。 現在の日本においてなされる自殺現象を理解しようとして、我々は社会学と心理学の結合した言説に出会う。 しかし我々はすぐに日本という国の歴史が創りあげ 基本的にほとんど部分が参照のために引用されるにすぎないので、既存の訳業に敬意を払い、文脈上の判断などか ら所々で修正を加える以外は基本的にその当該箇所(アレクサンドル・コジェーヴ『ヘーゲル読解入門 『精神現象 学』を読む』 上妻精・今野雅方訳 国文社 一九八七 二四四―二四七頁)に依拠した。ただし特に最後の一文だけ は、直接言及することもあり、その重要性を鑑みて厳密さを期した修正を加えた。 3“playfully suggested” Francis Fukuyama,The End of History and the Last Man, Free Press, 1992 ,p320.フランシス・フクヤマ著渡部昇一訳『歴史の終わり』下、三笠書房知的生き方文庫、一八九頁。 4敢えて他の例を挙げるなら、次の一文にもその反響を認めることができるだろう。尤もハンチントンは正にフクヤマの 仮説を否定すべくこの著作を著したのであるが。「一九七〇年代から一九八〇年代にかけて、アメリカ人は日本製の 自動車やテレビ、カメラ、電子機器を何百万台も消費したが、アメリカ人が「日本化」することはなかったし、それどころ か人々はかなりの反日感情をもつようになった。」Samuel P. Huntington,The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, Simon & Schuster, 1996,p58.サミュエル・ハンチントン著鈴木主税訳『文明の衝突』集英社 七九‐八 〇頁。 5多少脱線するなら、日本という国の精神ないし日本社会の心性の通史を綴ったこの著作の執筆にあたっては、 当然ながらコジェーヴの解釈も介しただろうヘーゲルの著作への意識もあったはずである。 6「パンゲさんがシャイな人で、日本という対象にあくまで距離を置いていることも良かった。パンゲさんが『自死の日本 史』を出した直後、駒場の東大八号館で祝辞と感想を述べようとして私が近づいたら、そそくさ階段の下のカビネの中 へ姿を隠してしまったことも今思い出される。」モーリス・パンゲ 竹内信夫訳『自死の日本史』ちくま学芸文庫 平川祐 弘 「解説 日仏間の友情の書」六五七頁―六六八頁、六六四―六六五頁(ちなみに復刊された講談社学術文庫版 には収録されていない) てきた、そしてあれこれの行為の意味が生じる真理の地平であるところの制度とか価値とか精神原理とかの方 に送り返される。そしてこれらの制度や価値や精神原理が退行と消滅の途上にある過去の遺物にすぎぬという 証拠はどこにもないのである。そう考えることは、西洋の達した発展段階は人類全体が必ず一度は通る点だ と想像することだが、それはいささか傲慢というものだろう。未来に向かう道は一つではなく、日本の社会は過 去の習俗から出発して来るべき世界に近道を切り開きうるということで注目すべき道をもっているのである。(強 調は引用者)7 この「習俗(mœurs)」というのが、書の主題である、切腹という形式に限らぬ名誉あるものとされる限りでの自死 全般であることは論を俟たない。そして「道」とはこの習俗も含む日本の歴史全体のことであり、それが「来るべき 世界(つまり未来)に近道を切り開く」というのは、正に西洋がその歴史なる道を通って近代世界を切り開いたよう に、日本こそが、先に述べた意味における超近代化を最初に成し遂げるということに他ならない。 そして、それこそ逆に世界の全体が日本の後を追うとは考えないにしても、この超近代化を少なくとも制度上は 必ずしも「日本化」と考える必要がないだけの柔軟性を確保して、この習俗も、またそれを組織化した体制である 侍政も当然持った経験のない日本以外の国々にも、かつて西洋以外の国々が西洋の後追いながら自国の歴史 なる道を通って近代世界に参入したように、各々の歴史なる道を通って超近代なる未来への参入を可能にする のが、「志願帯刀制」と「公的諌死制」を機軸とする大共和政の枠組みに他ならない。 (つづく) 7Maurice Pinguet La mort volontaire au Japon Gallimard 1984:pp61-62 このテクストのうち決定的に重要な最後の一文は素直な日本語に訳すのが困難であり、訳書でもほとんどフランス語 の原型を留めていないほどであるが、ここでの私たちの引用は単語まで正確に原文に対応させなければ成り立たな いものなので、正確な対応を旨に生硬な直訳で新たに訳出した。その他の箇所も独自訳である。ちなみに訳書にお ける該当箇所は、ちくま学芸文庫では一二八頁、講談社学術文庫では一三八頁にあたる。
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