哲学書 概説シリーズ

哲学書 概説シリーズ
【担当編集者からのコメント】
デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、ヘーゲル、キェルケゴール、ニーチェ、フッサール、
ホワイトヘッド、西田幾多郎、ハイデガー、メルロ=ポンティ。これら著名な哲学者の代表作は今の
日本でどれほどの人が読んでいるのでしょうか。そのあまりの知の峻峰さゆえに敬遠されてきた名著
を、それぞれの代表的研究者が読みやすい文体で、共に頂上に歩む道先案内人となってくれます。
哲学書 概説シリーズ Ⅰ
なぜ生きるか、いかに生きるか、それは自分で決めるしかない。
それでも人は迷うことが多いだろう。まさに森の中の旅人である。
…しかし人は自ら選んだ道を進むしかない。
デカルト『方法序説』
山田 弘明
著(名古屋文理大学教授・名古屋大学名誉教授)
哲学書 概説シリーズ Ⅱ
われわれは或るものを善と判断するがゆえにそのものへ努力し、意志
し、衝動を感じ、欲望するのではなくて、反対に或るものへ努力し、
意志し、衝動を感じ、欲望するがゆえにそのものを善と判断するので
ある。
スピノザ 『エチカ』
河井 徳治
著(スピノザ協会運営委員)
哲学書 概説シリーズ Ⅲ
ライプニッツ 『モナドロジ−』
池田 善昭
著(総合学術国際研究所所長)
哲学書 概説シリーズ Ⅳ
形而上学は、哲学者にとって結局は最後の落ち着き所であるが、かつ
ては「万学の女王」であった形而上学が今や侮蔑の対象となっている
時代に、カントという哲学者が出現した。本書は『純粋理性批判』読
解に必須の文献を網羅する。
カント『純粋理性批判』
有福 孝岳
著(京都大学名誉教授)
哲学書 概説シリーズ Ⅴ
論理学の死んでしまった骨を、精神によって実質と内容を与えて蘇ら
せる。そのための方法は、論理学を純粋学(形而上学)とする方法以
外ない。哲学はこれまで未だその方法(弁証法)を発見していない。
かの「大論理学」においていくつかの存在の国々を巡る旅の様子をこ
こに描ききった。
ヘーゲル 『大論理学』
海老澤 善一 著(愛知大学文学部教授)
哲学書 概説シリーズ Ⅵ
キェルケゴール 『死に至る病』
山下 秀智
ホワイトヘッド 『過程と実在』
著(京都大学名誉教授)
哲学書 概説シリーズ Ⅹ
西田幾多郎 『善の研究』
氣多雅子
発見の真実の方法は、飛行機の飛行のようなものである。それは特殊
な観察の地盤から出発する。それは創造的一般化という稀薄な空中を
観察する。そして合理的解釈によって強められ、改めて観察するため
、再び着陸する。
大学1年生から読めるシリーズの第1弾。100年の間読まれ続けてきた、
日本人初の哲学書をその読まれ続けてきた理由とともに、西田哲学の
全貌を探る。
著(京都大学大学院文学研究科教授)
哲学書 概説シリーズ XI
ハイデガー 『存在と時間』
後藤 嘉也
近刊予定
本書の特徴は、出来るだけ、これまで余り知られていなかった『遺稿
』の文章を引用しながら、『死に至る病』の根本にあるキェルケゴー
ルの人間観を浮かび上がらせようとしている。
著(静岡大学名誉教授)
哲学書 概説シリーズ Ⅸ
山本 誠作
それぞれの単一なる実体は、他のすべてのものを表出するさまざまな
関係をもちつつ、それらは「宇宙の永遠なる生きた姿となっている。
」ライプニッツの『モナドロジー』は20世紀になってハイデガーによ
って「時間のモナドロジー」へと、また西田幾多郎によって「場所の
モナドロジー」へと展開されたのではないか。
著(北海道教育大学教育学部教授)
―Iwasbornさ。受け身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられ
るんだ。自分の意志ではないんだね。― (吉野 弘)。今、私がここに
「いる」こととはどういうことか。時間はそれにどういう意味あいを
持つのか。大著『存在と時間』を静かに、やわらかに読み解く。
哲学書 概説シリーズ Ⅶ
哲学書 概説シリーズ Ⅷ
哲学書 概説シリーズ XI
I
ニーチェ『ツァラツストラかく語りき』
フッサール『ヨーロッパ諸学の危機』
メルロ=ポンティ『知覚の現象学』
三島 憲一 著
榊原 哲哉 著
加國 尚志 著