ルイ 14 世時代の宗教音楽(2009 年 8 月 8 日講演要旨) 関根敏子(音楽学) ルイ 14 世は少年時代をルーブル宮殿で過ごしていた。そのため大きな祝祭日にはノートルダ ム大聖堂やサント=シャペルに行くが、ふだんは宮殿のすぐそばにあるサン=ジェルマン=ロクセ ロワロワ教会に通っていた。この教会の少年聖歌隊にいた M-R.ドラランドや M.マレは、後に宮 廷音楽家として活躍している。 1682 年、ルイ 14 世はルーヴル宮殿からヴェルサイユ宮殿に宮廷を移した。その時の王室礼拝 堂は、現在のヘラクレスの間にあったが、1710 年に現在の礼拝堂が完成し、R.クリコ製作の大 オルガンが設置された。 礼拝堂所属の音楽家は、ルイ 14 世が生まれた頃には 50 人であったが、1702 年の記録では 100 人に増えている。副楽長(実質的な楽長)やオルガニストは、厳格なコンクール審査を経て選ば れ、3 ケ月ごとに交代した。1683 年に副楽長のコンクールがおこなわれ、グピエ、ミノレ、コラ ス、ドラランドが選ばれたが、M-A. シャルパンティエは病気で辞退している。 17 後半-18 世紀フランスの宗教音楽でもっとも重要な形式は、モテットであった。これは、ル イ 14 世がミサ曲よりもモテットを好んだことによる。ルイ 14 世は、宮廷の人々と一緒に必ず毎 朝ミサに出席していた。約1時間のミサの間に、グラン・モテ grand motet1曲、プティ・モテ petit motet1曲、 「Domine salvum fac regem」がうたわれたという。 グラン・モテは、大規模な編成のモテットで、小合唱(ソリスト) 、大合唱(4-6 声) 、オーケ ストラ、通奏低音による華麗な協奏様式で書かれている。1682 年ヴェルサイユに宮廷を移した 時、 「国王の命により」王室礼拝堂のための3巻のグラン・モテ集が出版された。作曲家は、J-B. リュリ(1684)、P.ロベール(1684)、H.デュモン(1686)。その後グラン・モテが、フランス宗教音 楽のもっとも重要な形式となる。歌詞の多くは詩篇からとられている。また、テ・デウム、マニ フィカト、レクイエムなども、グラン・モテの様式で書かれた。なお、プティ・モテは、ソリス ト、ヴァイオリンかフルート、通奏低音からなる小規模なモテットである。 当時のフランスのミサ曲 Messe は、伝統的なポリフォニー様式が多い。単旋律聖歌とオル ガン演奏を交互におこなうオルガン・ミサ曲もあった。例外は、M-A,シャルパンティエの大規模 なミサ曲やオラトリオで、他のフランス人作曲家の作品はほとんどない。 こうした宗教音楽は大聖堂、教会、ヴェルサイユの王室礼拝堂で演奏されていたが、1725 年 からは(大革命の頃まで)公開の定期演奏会コンセール・スピリテュエルで、毎回ドラランドの グラン・モテが歌われていた(宗教的祭日や受難節などの時期にテュイルリ宮殿で開催)。 当時の宗教音楽の主要作曲家には、アンリ・デュモン Henri Dumont (1610-84) 、ピエール・ ロベール Pierre Robert (1610-99)、ジャン=バティスト・リュリ Jean-Baptiste Lully(1632-87) マルカントワーヌ・シャルパンティエ Marc-Antoine Charpentier (1643-1704)、ミシェル・ リシャール・ドラランド Michel Rrichard Delalande (1657-1726)、アンドレ・カンプラ Andre Campra (1660-1744)などがいる。 配布資料:17 世紀フランス宗教音楽関連年表、ルーヴル宮殿付近の古地図、新旧王室礼拝堂
© Copyright 2024 Paperzz