おまけコラム:麻雀漫画小史 イガク打ち」 (速水駿+鳴島生)、「トッ は一五〇〇〇軒を割っています)にも か か わ ら ず、「 近 代 麻 雀 」 は け し て 絶 しかしそんな中、梶川良(当時竹の 好調ではなかったことがあります。 誌で麻雀漫画が連載されており、麻雀 編集者で、後に麻雀漫画原作者として プ コ ミ ッ ク 」 で は「 雀 鬼 人 別 帳 」 (吉 漫画特集の増刊号が組まれることもし も活躍)の進言で作られた、近代麻雀 岡道夫+森義一)と、それぞれの青年 罠」が、麻雀漫画第1号であろうと考 ばしばでした。 月号に発表した読切「發の 「 咲 -Saki」 を は じ め と し て、 現 在 も多くの作品がある麻雀漫画という え ら れ て い ま す。 「 發 の 罠 」 は「 伝 説 田書店) ジャンル。このジャン ル は こ れ ま で 一 臨時増刊の麻雀漫画特集号が大好評 麻雀激牌シリーズ」1巻に収録されて なお、 この3作の作画者 (北野・鳴島・ 体どのように変化して き た の か 、 こ こ で、3万部だか5万部だかがあっとい 森)は る作家であり、 特に北野は超売れっ子、 彼が描くだけで数万部は売れたという 年代中盤までの麻雀 年。ついに 年1月 年に 「傑作劇画近代麻雀臨時増刊」 (現・近 号 に な り ま す )。 竹 は そ の 後、 わけです(雑誌の号としては 月に「ギャンブルパンチ」を創刊した に漫画雑誌へ手を出すことを決め、 この成功に気を良くした竹は本格的 う間に売り切れたらしいのです。 年代麻雀漫画の御三家と言え いるので、気になる方はそちらをご参 そ し て、 「プレイコミック」ではそ 照のこと。 ~ 漫画雑誌における北野の表紙率は異常 話で、実際 小説「牌の魔術師」を漫画化。初の「長 なほどです。 きた の えいめい 氏 の「 麻 雀 漫 画 年 史 」( 同 izumick 人 誌「 麻 雀 の 未 来 」「 麻 雀 の 未 来 2」 編(連載)麻雀漫画」は、おそらくこ さて、時は少し下って 代麻雀オリジナル)を、 年に「麻雀 劇画」 ( 現・ 近 代 麻 雀 ) を 創 刊。 こ れ このあたり、今後の 研 究 に よ っ て 書 むしろこの時期、麻雀漫画をリード 画には本格的に手を出していません。 誌であり、このころの竹はまだ麻雀漫 は現在の「近代麻雀」とは別物の活字 クとなる の約三〇〇〇〇軒となっており、ピー ( の加熱はとどまることを知らなかった この背景には、この頃、麻雀ブーム ているがほぼ麻雀漫画のみが載って この年、日本初の麻雀漫画雑誌である らが現在へとつながっていきます。 き 換 え ら れ る 可 能 性 は あ る の で す が、 していたのは秋田書店。「プレイコミッ しました。なお、その後は減少の一途 い る 雑 誌( な お、 こ の こ ろ の 雑 誌 で、 そして、竹の成功を見てか、他社も 年(阿佐田哲也が週 刊 大 衆 に 大 ヒ ッ ク」では「牌の魔術師」以降も、北野 年で約二〇〇〇〇軒、現在 約一六○○○軒でしたが、 年には倍 年には約三六〇〇〇軒に達 大漫研出身のかわぐちかいじ。 今でこそヒットメーカーのかわぐち 年 に は「 ギ ャ ン ブ ル 劇 画 」 (徳間 書店 ~ 年) 、「劇画オールギャンブ ル」 ( 廣 済 堂。 の ち に 壱 番 館 書 房 ~ 年 ) と、 「ギャンブル」と名はつい ほ ん ま り う、 石 川 賢、 ど お く ま ん、 守村大、宮谷一彦、石井隆、福山庸治、 園田光慶、芳井一味、上村一夫、たな 佐多みさき、いがらしみきお、笠太郎、 迷 走 し て い た 漫 画 家 で し た。 し か し、 か亜希夫、田村信、新田たつお、神田 年 代 は ヒ ッ ト に 恵 ま れ ず、 年に「近代麻雀オリジナル」で連載 で す が、 次々と参入を始めました。 ト小説「麻雀放浪記」 を 連 載 し 、 世 間 が阿佐田や野村敏雄の麻雀小説を次々 であり、 まったのか。 が麻雀ブームに入っていた年です)に、 と漫画化、 また「漫画ホット」では「セ 年の時点で日本国内の雀荘の数は つのだじろうが「プレイコミック」 (秋 引っ張る二つの才能が「近代麻雀オリ 年代前半の麻雀漫画界を 年 あり、麻雀漫画誌バブルが起きた などは麻雀漫画誌では な く ギ ャ ン ブ ル イ ト 」( コ ミ ッ ク 社 ) も お そ ら く 総 合 ジナル」に登場します。 漫 画 総 合 誌 で す。「 劇 画 ギ ャ ン ブ ル エ 誌ではないかと(表紙 し か 見 た こ と が 一人は片山まさゆき。 79 年代にもわずかに描いてい が始まったかわぐち初の長編麻雀漫画 数日本一の漫画家となっている嶺岸信 たけ志……。現在、麻雀漫画の刊行点 (読切は 作風を確立し、同作の終了後、 そんな中、 年に、 年代は「農條 たものの、「少林寺雀法」(綾小路綾子 在なのが桃園書房。雑誌は出さなかっ また、同時期で忘れ て は い け な い 存 いう前人未到の偉業となった「ぎゅわ ジャー誌で麻雀漫画をヒットさせると マ ガ ジ ン 」 で 連 載 が ス タ ー ト し、 メ ンも持っており、翌年に「週刊ヤング 麻雀漫画にないクオリティの闘牌シー ギャグ作品でありながら、これまでの 人など)があまり見られなくなってい 画家( 年代の項目で名前を挙げた三 年代に麻雀漫画を多く執筆していた漫 冊近代麻雀」という竹書房二誌は、 重要人物の一人となっています。 けてるぜ」のセリフで知られる「哭き で 連 載 を 始 め た、 「 あ ん た、 背 中 が 煤 関野ひかる 竹書房全2巻)で別近に 登場しました。その能條が 年に別近 ~ 年、ガイナッ 年には実 年 は、 麻 雀漫画雑誌バブルと呼ぶべき年でもあ 「哭きの竜」が登場した 写映画化もされました。 クス制作のOVA)され、 初めてアニメ化( ググって見てください)が、順不同で には触れません(気になる方は名前で 紙幅の都合から個々の漫画家の詳細 なっていました。 い」も含む)描き手が登場するように 純一が、「わたしは雀」(シナリオ協力: をこう呼んだ)などを描いていた能條 純一」名義で三流劇画(当時エロ劇画 +すずき弘光 年)など描きおろし コミックスを多数刊行 し ま し た 。 ち な んぶらあ自己中心派」とともに大ヒッ く変わっており、咲もおそらく存在し 90 70 とうえん みに、この桃園麻雀漫 画 は 、 基 本 的 に の竜」 は、 麻雀漫画の枠を超える大ヒッ 得なかったでしょう。 名前だけでもあげてみましょう。 88 70 当 時 の「 近 代 麻 雀 オ リ ジ ナ ル 」「 別 泣きたくなるほどつま ら な い と い う 特 き、上記の二人の他にも、多くの新し 年 年代は、麻雀漫画 に 大 変 革 が 起 き そしてもう一人は、片山と同じく明 年間であり、麻雀 漫 画 界 を リ ー ド 麻雀漫画というジャンルの歴史は大き 彼 の 手 に よ る こ の 二 作 が な け れ ば、 年3月)もされました。 ト。連載終了後に、当時は珍しかった 年代 徴があるため、軽い気 持 ち で 手 を 出 す 年代麻雀漫画シーンの最 84 トとなります。本作は麻雀漫画として 80 ころまで描いています。 明もこの頃のデビューですし、ゲスト 連載が始まった「はっぽうやぶれ」と ますが) 「プロ」がヒットしたことで 連載がスタートした 「スーパーヅガン」 あわせて、 読切であれば、つげ忠男などというと は、麻雀や雀荘に対しての暗いイメー 年に の 増 刊 と し て「 傑 作 麻 雀 劇 画 」( 実 業 ジを変えるポップな雰囲気を持った この年に「近代麻雀オリジナル」で な い の で 憶 測 で す が ……)) が 創 刊 さ 年 に は、「 週 刊 漫 画 サ ン デ ー」 77 87 75 之日本社 ~ 年) が始まっています。 れ、 78 い( 「麻雀漫画の描き手としては新し た 10 85 95 92 77 する数多くの才能が生 ま れ た 年 間 で 10 85 93 月~ 70 10 00 70 70 年、 「漫画ギャンブル王国」(海潮社)、「漫 「漫画ギャンブルパンチ」が創刊され 12 間です。 漫画をリードすることとなる竹書房が 年には、後に麻雀 80 設 立 さ れ、 「近代麻雀」が創刊されま その翌年である 年に北野英明が阿佐田哲也の 掲載)、「伝説麻雀激牌シリーズ」巻末 れではないかと思われます。 の後、 収録の「麻雀まんが小 史 」 を 参 考 に し ております。多謝。 年代 75 70 ました。 76 70 し た。 と い っ て も、 こ の「 近 代 麻 雀 」 72 77 な お、 本 項 執 筆 に あ た っ て は 、 ではそれを見ていきま し ょ う 。 11 71 80 69 81 81 画スーパーギャンブル」(東京三世社) まず、麻雀漫画の歴 史 は ど こ か ら 始 79 30 深夜枠でのTVアニメ化( 88 ことはおすすめしませ ん 。 83 78 18 19 70 69 80 10 80 ります。 マガジン)がこのころ積極的に Bbmf 単行本を刊行(徳間書店の「漫画タウ 年代中盤に二 そして、馬場の他にも、魅力のある 闘牌を描ける原作者が 人登場しました。 年 代。 「麻雀 前 項 の ラ ス ト で 言 っ た と お り、「 黄 金時代」と呼べるのが 漫画の傑作」といえば、その多くはこ ン」連載作が主だったよう)しており、 「 近 代 麻 雀 ゴ ー ル ド 」「 麻 雀 ゴ ラ ク 」 「 劇 画 麻 雀 王 」 な ど、 こ の 年 だ け で お の時代からの選出になりましょう。大 し めの ぎ 一 人 は 来 賀 友 志( 別 名 義 に 注 連 木 西祥平は「タイマン!男魂マンガ高校 ご じょう びん が とも し 「風の雀吾」(志村裕次+みやぞえ郁雄) 賢、 五 條 敏 ) 。 「近代麻雀」の編集長 く そらく8誌が新たに創 刊 し て お り 、 麻 などの個性的な作品は今でも評価され を経て劇画原作者となった彼は、初期 雑誌のアンケート順位では 「哭きの竜」 ン 以 外 か ら の 知 名 度 こ そ 低 い も の の、 実的かつ中庸な麻雀マンガばかりが目 縮し、過去のメタファー的作品や、現 らはそのナローな妄想世界は急激に萎 の 長 編「 あ ぶ れ も ん 」 (麻雀漫画ファ けん 雀漫画雑誌の数は、筆 者 が 確 認 し て い ています。 あたり、別項 ページ も ご 参 照 く だ さ を抑えて1位だったという超人気作品 い)。 これは、シナリオと別に麻雀シーン 立 つ( 絵 は お 上 手 だ が )」 な ど と 書 い ところですが、同作の 連 載 ス タ ー ト は か、見る目がまるでないかのどちらか に大きな変化が起きていました。 で し た ) か ら 完 成 さ れ た 作 風 を 持 ち、 「哭きの竜」の影響を考えたくなる を考える「闘牌原作」 (闘牌協力とも。 年 麻雀プロが担当することが多い)が生 そ し て も う 一 人 は 土 井 泰 昭( ペ ン (多分前者)の人間でないと出てこな ていましたが、はっきり言って、 6月、単行本1巻が出 る の は 翌 年 で あ 年代の近代麻雀を支 ク レ ジ ッ ト が 入 ら な い こ と も 多 い が、 響力があったとは考え に く い と こ ろ で まれたことが理由として大きいと言え ネームは山根雀治→山根泰明→土井と ングル」 ( 嶺 岸 信 明 ) 4 巻 の 巻 末 に、 「近代麻雀」の編集長出身である彼は、 をあげていきます。ちなみに、 代の麻雀漫画をほとんど読んでいない す。 な ぜ こ の よ う な 創 刊 ラ ッ シ ュ と ます。このシステムが登場した正確な 読みを重視した闘牌が特徴的で、原作 年に 以下、 年代を彩った傑作群の名前 の作品のヒットが原因 で は な い か と も 麻雀プロの馬場裕一が「闘牌原作が生 あれだけあった麻雀漫画雑誌はこの時 がヒットしたことと、 片 山 ・ か わ ぐ ち 思われますが、正確な 理 由 は 不 明 で 判 担当に「勝負師の条件」 「幻に賭けろ」 年代前半に生まれたとみられ 山まさゆきの諸作品を始め、 「 」 「帝 グル」はもちろんのこと、他にも、片 こ の 文 章 を 書 い た 馬 場 は、 「ジャン ましょう。 から、 年」と書いていること りでは、この時期雀荘 が 特 に 景 気 が 良 かったようにも見えず 、 本 当 わ か り ま せん)。 王少年」など多くの作品で闘牌を担当 しています。 ま た、 雑 誌 こ そ 発 行 し て い な か っ た も の の、 グ リ ー ン ア ロ ー 出 版 ( 現 ・ な ど が あ る 他、 「哭きの竜」の闘牌原 点で竹書房3誌と「麻雀ゴラク」のみ 」にリニューア COM 年には「近代麻雀オリジナル」が ルした後休刊。 麻雀ギャンブル ジャー」、「白」 (渋沢さつき) 、「ナルミ」 に賭けろ」 、「根こそぎフランケン」、「メ 党」 、 「てっぺん」、 「麻雀蜃気楼」 、「幻 まず王道の作品で「ノーマーク爆牌 書房3誌でのものです。 になっており、これらの作品は全て竹 年代、麻雀漫画の 作も担当したと言われています。 彼らの登場が、 黄金時代へとつながっていきます。 年代 では麻雀漫画の動きはあまりありませ 年ごろま また、この年代に竹書房でブレイク んでした。 「雀王」 「ヤング麻雀」とい 一方、竹書房以外では、 たりに関しては本書巻 末 も ご 参 照 く だ した漫画家で外せないのは西原理恵 年に戻る)した上再録漫 版型変更( 子。 う 二 誌 が 創 刊 し て は つ ぶ れ た こ と と、 さい)、変化球やギャグ作品でも、「トー 画ばかりが載るようになり、本気で休 キョーゲーム」、「ナイトストーン」、「め 約十年続いていた「麻雀ゴラク」が休 刊が危ぶまれる事態になりました。 「天」と同じく 刊したことくらいでしょうか。 と ろ ガ ー ル 」( 入 江 紀 子 )、「 イ ッ パ ツ 96 の 女 」( 桐 島 い つ み )、「 ぶ ん ぶ ん レ ジ ルドで連載が始まった「まあじゃんほ 年にスタートした うろうき」 は、 実録系という新たなジャ い う ヒ ッ ト 作 が 生 ま れ た こ と や、「 ア 内容について麻雀漫画ファンからの う。 ては斜陽だったことは否めないでしょ 料はありましたが、近麻系列全体とし カギ」 のアニメ化、「打姫オバカミーコ」 「ムダヅモ無き改革」 (大和田秀樹)と 近麻本誌こそ、 デンス」(坂本タクマ)、「パラダイス・ ンルを切り開きました。その後のサイ にて、 「哲也 雀 (さ - 聖と呼ばれた男」 いふうめい+星野泰視)が連載開始。 年、 「週刊少年マガジン」 ロ ス ト 」( 日 高 ト モ キ チ ) な ど 粒 ぞ ろ バラの活躍、これも言うまでもないで (片山まさゆき)のドラマ化などの材 の看板であった 「ショーイチ」 のシリー 評 価 は ほ ぼ な い 作 品 で は あ り ま す が、 した。 しかし、 い。「ナイトストーン」とかを読んで「絵 同 作 は 人 気 を 博 し、 「 勝 負 師 伝 説 哲也」のタイトルでアニメ化もされま 年代を通して近代麻雀ゴールド ズも外せません。本作は何度もVシネ 少年誌で麻雀漫画をヒットさせた意義 ビクトリー では竹書房以外ではどうだったかと ニマガジンの 「勝ち組麻雀」 などがひっ い う と、 ナ イ タ イ の「 V 麻 雀 」、 ワ そりと出てそのままひっそりと休刊す 化。 し か し そ の 後、 「近代麻雀」系列 で連載開始し、 現在も続く大河作品 「天 せん。唯一、 年に「週刊漫画ゴラク」 るなど、やはり明るい話は特にありま ― 野 性 の 闘 牌 ―」 (伊藤誠)がスター 3誌は徐々に衰退していきます。 で人気を博し、休載があまりに多いな の 比 率 が 増 し て い き、 「雀鬼会の同人 ていた「近代麻雀ゴールド」が「近代 年、連載作品における雀鬼会関係 載中 年にTVアニメ化)や、麻雀 漫 画 以 外 で も「 カ イ ジ 」「 銀 と 金 」 な ど の 欠 点 は あ り ま し た も の の、 ア ー 誌」などと陰口も叩かれるようになっ せました。 ケードゲームにもなるほどの人気を見 のトップスターへと踊 り 出 ま し た 。 06 ト。これは竹書房では珍しい美麗な絵 年に「近代麻雀」本誌が月二回刊 年代~現在 マ化される人気を得、また、竹書房主 年には、 近代麻雀オリジナルで 「兎 のブランドとして確立します。 桜井章一はこのころから麻雀界で一つ 続で優勝したことなどもあり、雀鬼・ は大きいでしょう。 97 催の麻雀最強戦で桜井の弟子が2回連 り、 そしてもう一つ、 年に連載が始ま さて、 年代の竹書 房 で 、 や は り 一 番大きいのは福本伸行のブレイクで しょう。 年代はけしてうま く な い 絵 で 人 情 ~ 物を描いていた福本で し た が 、 や は り 人 情 物 と し て 始 ま っ た「 天 」( 88 どもあわせて、一躍ギ ャ ン ブ ル 漫 画 界 年~連 年 近代麻雀ゴールド連載)を途中で シリアスなバトルに転 換 し て 大 ブ レ イ 02 その後現在でも活躍 が 続 い て い る こ 06 そ の よ う な 中 で、 「 咲 -Saki」が登 場し、現在に至るわけです。 牌」が気を吐いていました。 99 ク。 ス ピ ン オ フ の「 ア カ ギ 」( 00 00 89 92 90 きる人がいたら、 正直脳を疑いますよ。 しょう。 年に近代麻雀ゴー 86 90 10 とは、皆様ご存知のとおり。 90 10 ( 山 根 泰 昭 + 柳 澤 一 明 ) な ど( こ の あ 90 80 が上手なだけの中庸な 漫 画 」 と 評 価 で 89 09 3/4 雀新聞」のバックナン バ ー を 読 ん だ 限 まれてから約 えることになります。 なったのか、 年に映 画 「 麻 雀 放 浪 記 」 90 い評価です。 年代後半から り、この年のうちはそ こ ま で 大 き な 影 そして、このころ、麻雀漫画の原作 るだけで 誌にまで達 し ま し た ( こ の 90 ( 年 ) の 中 で、 マ ン ガ 地 獄 変 2」 麻雀漫画について「 年代に入ってか 80 変更) 。 プ ロ 雀 士 で も あ り、 来 賀 同 様 90 時期は不明ですが、 年に刊行の 「ジャ 80 然としません(雀荘の業界紙である「麻 94 84 20 21 29 97 90 15 90 05 96 80
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