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阪南市地域資源PR冊子
阪南市地域資源PR冊子
阪
南
阪
南
ブック
ブック
北は大阪湾、
南は和泉山脈。
北は大阪湾、
南は和泉山脈。
潤い豊かな土地ではぐくまれた悠久の歴史と、
潤い豊かな土地ではぐくまれた悠久の歴史と、
快適な生活、
人々の笑顔。
快適な生活、
人々の笑顔。
四季の彩り鮮やかな阪南市に、
四季の彩り鮮やかな阪南市に、
きらめくたくさんの宝ものを紹介します。
きらめくたくさんの宝ものを紹介します。
阪南市長
福山 敏博
Fukuyama Toshihiro
本市は、平成3年 10 月に市政施行し、大阪府内で 33 番目の市として
誕生しました。海・山があり、豊かな緑と自然にめぐまれた住宅都市です。
市民の誰もが自然や人を大切にし、安心していつまでも住み暮らせるこ
とができるまち。豊かな人のこころや豊かな自然を育み、誇りと愛着を
持ち続ける、こころのふるさととなる「居住都市・阪南市」の実現をま
ちづくりの基本理念としています。
そして、「うみ・やまを愛し、幸せをささえあう、安心とうるおいの
あるまち 阪南」を将来の都市像として定めています。
これは、人と生活に重点を置いた行政施策を推進していくことにより、
市民の誰もが阪南市に住んで良かったと感じ、我がまちに誇りと愛着を
持たれることが目標です。
近年、少子高齢社会や人口減少社会の到来、地方分権の推進、地球規
模での環境問題等、多分野における課題が山積するなか、健全財政を確
保し、地方分権に対応した強固で持続可能な行財政構造を構築するとと
もに、市民の皆さんの考えや意思が明確に反映される市政運営を実現す
るため、本年7月から「阪南市自治基本条例」を施行し、より一層の市
民参画・公民協働によるまちづくりを推進しています。
このため、本市の歴史や文化、産業、四季折々の風景といった「宝」
を知っていただくことが大切と考え、「阪南市」のみどころをまとめた
冊子を作成しました。本市をより一層ご理解いただき、市政のさらなる
発展にお力添えをいただきますれば幸甚です。
阪
南
ブック
CONTENTS
4
│
花季
や節
樹ご
木と
、に
波表
の情
音を
、変
風
のえ
匂る
い、
魅
、力
す
べに
てあ
のふ
もれ
のた
かま
らち
感。
じ
ら
れ
る
四
季
の
移
ろ
い
。
四
季
の
風
物
詩
3
2
│
│
四
季
の
花 阪南写
の 真館
あ
る
風
景
①
宝
阪南市長
︻
阪
南
だ
か
ら
編
︼
岩室 敏和
Iwamuro Toshikazu
本市は、平成3年10月に市制施行しました。海・山があり、豊か
な緑と自然にめぐまれた住宅都市です。市民の誰もが自然や人を大
切にし、安心していつまでも住み暮らせることができるまち。豊か
な人のこころや豊かな自然を育み、誇りと愛着を持ち続ける、ここ
ろのふるさととなる「居住都市・阪南市」の実現をまちづくりの基本
33 32 30
26
24 22 20
│ │ │
│
│
阪未は
南来ん
市のな
民創ん
憲造宝
章にマ
・はッ
市げプ
章む
・︻
市議
の会
木︼
・
市
の
花
阪
南
ら
し
さ
を
創
り
出
す
│
│
商酒漁
工造業
業り ⋮
・ ⋮ 新
し
い
農 新
し 伝
業 い
統
伝
⋮
新
し
い
伝
統
を
創
造
す
る
③
統
を
創
造
す
る
②
を
創
造
す
る
①
伝漁
統業
と、
い農
う業
名、
の商
宝工
を業
つ、
そ
なし
ぎて
、ま
新ち
たづ
なく
まり
ち。
を
創
り
出
す
人
々
。
19
18
│
│
ま
ち
の
宝
︻
人
財
編
︼
緑
の
あ
る
風
景
阪
南
写
真
館
③
16
14
13
12
11
10
│
│
│
│
│
│
い
郷戦
に
土乱
し
のの
え指人足
の定物跡
街文
道化
財
国
・
府
・
市
仏遺
教跡
文は
化語
のる
遺
産
縄悠
文久
時の
代歴
草史
創が
期物
か語
らる
、、
1ま
万ち
年の
も素
の顔
時。
を
経
て
伝
え
ら
れ
て
き
た
物
語
。
9
8
│
│
歴
史
の
宝
︻
文
化
財
編
︼
水
の
あ
る
風
景
理念としています。
そして、
「うみ・やまを愛し、幸せをささえあう、安心とうるおいの
阪
南
写
真
館
②
あるまち 阪南」を将来の都市像として定めています。
これは、人と生活に重点を置いた行政施策を推進していくことによ
り、市民の誰もが阪南市に住んで良かったと感じ、我がまちに誇りと
愛着を持たれることが目標です。
近年、少子高齢社会が進展し、国の三位一体改革もあいまって、自
治体の置かれている現状は年々厳しくなってきています。まさしく自
治体戦国時代です。この状況下において本市は現今、①市役所は最
大のサービス業。②市政に徹底した経営感覚の導入。③市民参画型
市政の推進。を市政経営方針として、地方分権下において財政的に
自立し、自己決定のできるまちを目指し、市民のみなさんとの協働に
より、市政を推進しています。
この冊子は、阪南市のみどころをまとめたものです。阪南市をより
一層ご理解いただき、市政のさらなる発展にお力添えをいただきま
すれば幸甚です。
平成16 年11月
四
季
宝
「阪南だから編」
四季折々の表情に酔う
春には桜、夏には海水浴、秋には地車「やぐら」
、冬には酒造りや参拝。
季節が変わるたび、まちの表情もさまざまに変わっていきます。
その中で変わらないのは、人々の営み、明るい笑顔、心地よい風。
阪南だからこそ見られる風景を探しに行きましょう。
き
ま
す
。
の
1
年
は
、
彩
り
鮮
や
か
に
過
ぎ
て
い
1
に
見
事
な
花
を
咲
か
せ
ま
す
。
阪
南
市
栽
培
が
行
わ
れ
、
ク
リ
ス
マ
ス
の
前
後
ち
を
彩
り
、
近
年
で
は
、
蘭
の
ハ
ウ
ス
花
を
つ
け
ま
す
。
秋
は
コ
ス
モ
ス
が
ま
い
と
い
わ
れ
る
ハ
マ
ゴ
ウ
が
紅
紫
色
の
の
き
れ
い
な
環
境
で
し
か
生
息
で
き
な
サ
イ
が
輝
き
ま
す
。
夏
に
は
、
海
岸
部
右上/アジサイ
右下/蘭
左上/桜
左下/ハマゴウ
阪南写真館 ①
3
阪南宝ブック
山
中
川
沿
い
で
は
、
雨
に
ぬ
れ
た
ア
ジ
了
し
て
い
ま
す
。
梅
雨
時
に
な
る
と
、
た
も
の
で
、
毎
年
大
勢
の
花
見
客
を
魅
山
中
渓
地
区
が
大
切
に
守
り
育
て
て
き
が
訪
れ
ま
す
。
約
千
本
の
桜
並
木
は
、
は
、
山
中
渓
の
桜
の
開
花
と
と
も
に
春
自
然
が
身
近
に
息
づ
く
阪
南
市
で
や
さ
し
い
ま陽
ち射
咲もし
き笑の
誇顔中
るもで
2
【四季の風物詩】
ぴ
ち
ぴ
ち
ビ
ー
チ
5
阪南宝ブック
コ
ン
ト
ラ
ス
ト
が
鮮
や
か
で
す
青
い
海
と
緑
に
囲
ま
れ
た
美
し
い
白
い
砂
浜
の
ぴ
ち
ぴ
ち
ビ
ー
チ
か
ら
は
に
ぎ
や
か
な
歓
声
山
を
淡
紅
色
に
染
め
上
げ
ま
す
燦
々
と
輝
く
太
陽
の
下
【ハマナデシコ】
【ハマゴウ】
【ミズニラ】
【トベラ】
【モチツツジ】
【ハマエンドウ】
山
中
渓
で
は
約
千
本
の
ソ
メ
イ
ヨ
シ
ノ
が
息
を
ひ
そ
め
て
い
た
草
花
が
我
先
に
と
顔
を
出
し
ま
す
日
一
日
と
寒
さ
が
ゆ
る
ん
で
い
く
春
さ
く
ら
阪
南
だ
か
ら
4
【四季の風物詩】
波
太
神
社
の
参
拝
7
阪南宝ブック
時
は
流
れ
て
も
受
け
継
が
れ
る
も
の
が
あ
り
ま
す
﹁
一
年
の
計
は
元
旦
に
あ
り
﹂
波
太
神
社
は
大
勢
の
参
拝
客
で
に
ぎ
わ
い
ま
す
例
祭
の
こ
の
日
、
ま
ち
は
熱
気
に
包
ま
れ
ま
す
ひ
ん
や
り
と
し
た
空
気
が
辺
り
を
包
み
【コシダ】
【ハゼ】
【ヤマウルシ】
【カラスウリ】
【ビナンカズラ】
【ツワブキ】
波
太
神
社
で
は
地
車
﹁
や
ぐ
ら
﹂
が
石
段
を
豪
快
に
駆
け
上
が
り
ま
す
田
ん
ぼ
で
は
稲
穂
が
黄
金
色
に
輝
き
心
地
よ
い
風
が
吹
き
抜
け
る
秋
秋
ま
つ
り
阪
南
だ
か
ら
6
歴
史
宝
ま 流 た 然
す に ず 休
。 舞 ん 養
う で 林
ホ い の
タ ま 緑
ル す を
を 。 映
見 山 し
る 中 、
こ 渓 穏
と で や
が は か
で 、 に
き 清 た
「文化財編」
文化財が語る阪南の歴史
潮の香ただよう明るい海と、
なだらかな山裾に広がる緑のまち、阪南市。
ちょっと足を止めて探してみませんか。
このまちで生まれた文化や、生きてきた人々のぬくもりを、きっと感じられるはずです。
2
大
の
貯
水
量
を
誇
る
の
は
鳥
取
池
。
自
く
と
心
洗
わ
れ
る
よ
う
で
す
。
市
内
最
あ
り
ま
す
。
静
け
さ
の
中
、
水
音
が
響
右上/鳥取池
右下/山中渓のホタル
左上/遊来滝
左下/男里川の干潟
阪南写真館 ②
9
阪南宝ブック
南
部
の
飯
の
峯
に
は
﹁
遊
来
滝
﹂
が
浜
性
植
物
な
ど
が
生
息
し
て
い
ま
す
。
こ
で
は
、
希
少
な
カ
ニ
類
や
水
鳥
・
海
自
然
観
察
の
場
と
な
っ
て
い
ま
す
。
こ
自
然
干
潟
が
残
さ
れ
て
お
り
、
貴
重
な
河
口
に
小
規
模
な
が
ら
府
内
で
唯
一
の
潤
い
豊
か
な
阪
南
市
に
は
、
男
里
川
耳
を
澄
涼ま
しせ
心げば
洗な聞
わ水こ
れ音え
るにる
8
文化財が語る歴史の宝
道弘寺遺跡の瓦窯跡
ろ
の
地
誌
﹁
泉
州
志
﹂
に
書
か
れ
て
い
ま
す
。
道弘寺旧跡といわれる近くで発掘され
た瓦を焼くための窯跡(奈良時代)
軒丸瓦(上)軒平瓦(下)
道弘寺遺跡の瓦窯跡から出土。
市内で最も古い瓦(奈良時代)
ち
に
遭
っ
た
と
、
元
禄
13
︵
1
7
0
0
︶
年
ご
豊
臣
秀
吉
の
紀
州
根
来
攻
め
の
際
、
焼
き
討
わ
れ
て
い
ま
す
。
こ
の
二
つ
の
寺
は
、
後
に
、
七
堂
伽
藍
の
調
っ
た
平
野
寺
が
あ
っ
た
と
い
ま
た
、
鳥
取
中
の
長
楽
寺
の
辺
り
に
は
、
い
う
立
派
な
寺
が
あ
っ
た
そ
う
で
す
。
子
の
発
願
に
よ
り
建
て
ら
れ
た
、
道
弘
寺
と
伝
承
に
よ
る
と
、
西
鳥
取
に
は
、
聖
徳
太
院
が
建
て
ら
れ
て
い
た
よ
う
で
す
。
の
影
響
を
受
け
て
阪
南
に
も
い
く
つ
か
の
寺
奈
良
時
代
・
平
安
時
代
に
な
る
と
、
中
央
縄文土器
自然田 向出遺跡 約3500年前
有
力
者
を
中
心
と
し
た
村
が
成
立
し
て
い
た
と
思
わ
れ
ま
す
。
仏教文化の
Column
はんなん
昔話
遺産
清水大師
昔、尾崎村に一人の老婆が住んで
いました。そこへ旅の僧が立ち寄り、
1杯のお湯を頼みました。老婆は快
く引き受けましたが、水を汲みに行
ったきりなかなか戻ってきません。
祭祀に使われたと
思われる石棒
不思議に思った僧がようやく帰って
きた老婆に尋ねると、近くに用水が
ないため、遠くの新港まで行ってき
たと話しました。
僧はこれに深く感動し、えびの浜
の近くに杖を立て、ここに井戸を掘
りなさいと言って立ち去りました。
掘ってみると清らかな水が湧きだし、
十一面観音菩薩立像
自然田 向出遺跡 約3500年前
道弘寺の境内にあって焼け残っ
たといわれており、現在西鳥取
観音堂に安置されています(平
安時代)
軒丸瓦・軒平瓦
平野寺跡出土(平安時代)
村人たちはたいそう驚き喜んだそう
です。そして湧き水の近くにお堂を
鬼瓦
建て、
「清水庵」と名づけました。え
平野寺跡出土(平安時代)
びの浜には今も湧き水が流れ、地域
7
世
紀
ご
ろ
に
は
、
丘
陵
裾
部
を
利
用
し
た
古
墳
群
が
つ
く
ら
れ
、
埋
葬
や
そ
れ
に
伴
う
祭
祀
が
行
わ
れ
て
い
た
こ
と
が
明
ら
か
に
な
り
ま
し
た
。
近
年
の
発
掘
調
査
か
ら
、
縄
文
時
代
後
期
に
は
、
こ
の
恵
ま
れ
た
自
然
の
中
で
、
阪
南
市
で
は
約
1
万
年
前
か
ら
人
類
の
生
活
が
始
ま
っ
た
と
考
え
ら
れ
ま
す
。
豊
か
な
海
と
な
だ
ら
か
な
丘
陵
台
地
。
遺
跡
は
語
る
は
る
か
な
時
を
越
え
て
サヌカイト製の槍先
石田 蓮池遺跡 約1万年前
小壷・マダコ壷
尾崎海岸遺跡 約1700年前
臼玉・管玉・勾玉
自然田 亀川遺跡 約1500年前
の名水として使用さ
れています。
その旅の僧は、
弘法大師であった
といわれています。
11 阪南宝ブック
れ
て
い
ま
す
。
渇
水
に
備
え
ら
れ
る
よ
う
に
し
た
と
伝
え
ら
せ
き
止
め
、
導
水
路
で
蓮
池
に
導
き
、
夏
の
当
地
で
は
、
鳥
取
川
の
水
を
桑
畑
付
近
で
に
力
を
尽
く
し
ま
し
た
。
と
に
よ
っ
て
、
仏
教
を
一
般
に
広
め
る
こ
と
い
ま
す
。
重
源
は
庶
民
の
生
活
を
助
け
る
こ
土
木
工
事
の
指
導
を
し
た
足
跡
が
残
さ
れ
て
の
再
建
者
で
あ
り
、
勧
進
聖
と
し
て
各
地
に
ゅ
ん
じ
ょ
う
ぼ
う
ち
ょ
う
げ
ん
︶
は
東
大
寺
鎌
倉
時
代
初
期
の
人
、
俊
乗
坊
重
源
︵
し
祀重潮
ら源音
れ像寺
てとで
きし
たて
像
ガラス玉・琥珀玉・耳環
自然田 玉田山1号墳 約1300年前
須恵器
自然田 玉田山1号墳 約1300年前
10
と
記
さ
れ
て
い
ま
す
。
願
寺
に
あ
り
ま
す
。
正
徳
2
︵
1
7
1
2
︶
年
に
亡
く
な
っ
た
た
っ
て
貴
重
な
史
料
と
な
っ
て
い
ま
す
。
所
蔵
さ
れ
、
古
来
の
地
誌
を
研
究
す
る
に
当
お
の
ず
か
ら
幾
も
も
と
せ
を
経
ぬ
る
と
も
め
、
大
学
図
書
館
や
各
地
の
文
庫
な
ど
に
現
在
、
﹁
泉
州
志
﹂
は
国
会
図
書
館
を
は
じ
石
碑
に
は
記
述
し
て
い
ま
す
。
あ
り
ま
す
。
来
歴
を
、
古
書
・
古
記
録
な
ど
に
基
づ
い
て
郡
の
郷
村
・
社
寺
・
名
勝
旧
跡
な
ど
の
故
事
﹁
湧
泉
之
碑
﹂
は
、
今
も
鳥
取
中
の
交
差
点
に
︵
1
9
0
1
︶
年
、
村
の
人
た
ち
が
建
て
た
郡
・
泉
南
郡
・
日
根
郡
の
四
郡
に
分
け
、
各
-
直
之
の
墓
碑
は
、
ゆ
か
り
の
寺
、
下
出
の
大
む
か
し
わ
す
る
な
山
本
の
里
﹁
泉
州
志
﹂
は
和
泉
国
を
大
鳥
郡
・
和
泉
が
そ
び
え
て
い
ま
す
。
年
を
越
え
る
﹁
自
然
居
士
の
大
い
ち
ょ
う
﹂
る
祠
︵
ほ
こ
ら
︶
が
あ
り
、
傍
に
、
樹
齢
4
6
0
自
然
田
に
は
﹁
自
然
居
士
旧
跡
﹂
と
さ
れ
に
完
成
さ
せ
て
い
ま
す
。
泉
の
国
中
を
歩
き
、
元
禄
13
︵
1
7
0
0
︶
年
り
組
み
ま
し
た
。
6
年
の
歳
月
を
か
け
て
和
導
を
受
け
て
、
﹁
泉
州
志
﹂
の
編
さ
ん
に
取
救
う
と
い
う
話
で
す
。
直
之
が
38
歳
の
時
、
国
学
者
、
契
沖
の
指
知
っ
た
自
然
居
士
が
、
人
商
人
か
ら
少
女
を
袖
を
買
い
、
供
え
よ
う
と
し
ま
す
。
そ
れ
を
親
の
菩
提
の
た
め
に
自
分
の
身
を
売
っ
て
小
連
歌
、
俳
諧
な
ど
を
学
び
ま
し
た
。
す
。
長
じ
て
京
に
遊
学
し
、
漢
詩
や
和
歌
、
み
、
文
章
も
上
手
で
あ
っ
た
と
い
う
こ
と
で
幼
少
の
こ
ろ
か
ら
学
問
を
好
で
あ
っ
た
そ
う
で
す
。
6
5
6
︶
年
に
生
ま
れ
、
弟
子
と
な
り
、
智
恵
が
深
く
、
徳
の
高
い
人
直
之
は
明
暦
2
︵
1
す 夫 人
15 。 の 公 自
子 で 然
歳
に 、 居
で
生 鎌 士
京
ま 倉 は
都
れ 時 、
に
た 代 謡
出
と に 曲
て
い 自 ﹁
、
禅
う 然 自
僧
伝 田 然
大
承 の 居
明
の 山 士
国
人 本 ﹂
師
物 三 の
で 太 主
の
自
然
居
士
さ
ん
し
ま
し
た
。
石
橋
新
右
衛
門
直
之
用 こ な て 綿
ま 中 い 傾 頼 り
紋 し に う 斜 ん 土 そ す と ん も 、 こ
冶 た つ も を で 地 れ る か と 育 甘 の
郎 。 く の つ 、 の は 方 ら か つ 蔗
︵ 地
ら で け 井 高 、 法 、 米 作 か 方
の
水
こ
の 物 ん で
を
れ す て 戸 い
功
、 。 埋 の 所 を 考 の 収 を し は
績
畑 こ 設 側 に 引 え 地 穫 つ
江
を
が の し 面 あ き ま 域 高 く ょ 戸
︶
た
た
の
田 施 、 に る
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し
た
に 設 田 穴 井 い た 豊 あ て ど 代
え
変 は に を 戸 と 。 か げ き 、 か
て
な た ま 水 ら
わ 次 水 あ の 思
水 い し が 、
っ 々 を け 持 う
、
明
脈 と た 少 雑
て と 導 、 ち 田
治
を い が な 穀
い 村 く 管 主 畑
利 う
き の と に に よ
34
、 く や
尾崎村役場庁舎
昭和の初め、尾崎村役場として建て
られ、その後、尾崎町役場、南海町
役場、阪南町役場として、昭和51年
に現在の庁舎が完成するまで使用さ
れました。今も、尾崎住民センター
として使われています(尾崎町)
鳥取銀行
明治33(1900)年、地元の財産家に
よって設立された、鳥取銀行の建物。
瓦には商標の「鳥」の文字が入って
います(西鳥取)
13 阪南宝ブック
謡
曲
の
あ
ら
す
じ
は
、
一
人
の
少
女
が
両
は
、
地
誌
﹁
泉
州
志
﹂
を
編
し
ま
し
た
。
人
、
石
橋
新
右
衛
門
直
之
︵
ぬ
き
ず
︶
﹂
と
い
う
か
ん
が
い
施
設
を
考
案
戸
時
代
初
期
︵
元
禄
︶
の
文
の
人
、
根
来
紋
冶
郎
は
、
村
内
に
﹁
抜
水
下
出
を
出
身
地
と
す
る
江
明
治
の
初
め
、
中
村
︵
現
在
の
鳥
取
中
︶
郷
土
の
人
物
井山城跡
紀
州
に
攻
め
入
っ
た
と
い
わ
れ
て
い
ま
す
。
飯ノ峯畑東方の尾根上にあって、南北朝の内乱の時(14世紀中ご
ろ)
、山城として使われました。初め、北朝(幕府)方で戦い、後に南
朝(天皇)方に付いた淡輪助重がこの城を主に守ったとされ、曲輪
(くるわ)やのろし上場跡が発見されました
お菊の木像
非業の死を遂げたお菊の冥福を祈って、後藤家の
養母が木像をつくり、菩提寺である法福寺に納
めました。寛政7
(1795)
年、法福寺が焼失
した際、お菊の木像も失われましたが、安
政5
(1858)
年、波有手村の人たちにより新
たに造像され、今日に伝わっています
根
来
紋
冶
郎
豊
臣
秀
吉
は
根
来
寺
の
支
配
下
に
あ
っ
た
寺
な
ど
を
焼
き
払
い
つ
つ
、
軍
用
道
路
を
敷
き
、
波
太
神
社
に
本
陣
を
置
い
た
そ
う
で
す
。
中
で
も
、
織
田
信
長
は
紀
州
へ
の
前
哨
地
︵
ぜ
ん
し
ょ
う
ち
︶
と
し
て
、
当
地
域
に
も
つ
め
あ
と
を
残
し
ま
し
た
。
中
世
か
ら
近
世
に
か
け
て
の
権
力
争
い
に
よ
る
動
乱
は
、
足戦
跡乱
の
首斬地蔵
豊臣秀吉が紀州の根来勢力を攻めた時、波有手の道弘寺の僧たち
が秀吉に反抗したため、首を切られたそうです。村人たちは無惨な姿
の僧たちを手厚く葬り、その上に首から上のない地蔵像を建てて、冥
福を祈ったそうです。現在でも参詣者が絶えず、地域の信仰を集め
ています
︻
近
代
の
建
物
︼
わ
ず
か
20
年
の
生
涯
で
し
た
。
の
河
原
で
斬
首
さ
れ
た
と
い
う
こ
と
で
す
。
し
か
し
お
菊
は
そ
れ
を
拒
み
、
紀
ノ
川
上
流
か
ら
浅
野
方
も
助
命
し
よ
う
と
し
ま
し
た
。
え
ら
れ
ま
し
た
が
、
嫁
い
で
間
も
な
い
こ
と
を
知
ら
さ
れ
ま
し
た
。
間
な
く
、
お
菊
も
捕
お
菊
は
夫
の
討
死
と
山
口
家
一
族
の
斬
首
使
命
を
果
た
し
、
後
藤
家
に
着
い
た
時
、
っ
た
と
い
う
こ
と
で
す
。
を
請
い
に
自
ら
密
使
と
し
て
大
坂
城
に
向
か
し
た
。
お
菊
は
山
口
家
を
守
る
た
め
、
援
軍
る
和
歌
山
城
主
、
浅
野
長
晟
の
軍
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戦
い
ま
ま
す
。
そ
の
た
め
、
山
口
家
は
徳
川
方
で
あ
は
豊
臣
方
と
し
て
大
坂
夏
の
陣
に
出
陣
し
家
に
嫁
ぎ
ま
す
。
そ
の
数
日
後
、
夫
、
兵
内
や
が
て
成
長
し
た
お
菊
は
紀
州
の
山
口
切
に
育
て
ら
れ
ま
し
た
。
る
波
有
手
村
の
後
藤
家
に
預
け
ら
れ
、
大
あ
っ
た
た
め
難
を
逃
れ
、
母
方
の
親
戚
で
あ
お
菊
は
生
後
間
も
な
い
こ
と
や
、
女
子
で
三
条
河
原
で
斬
首
さ
れ
ま
し
た
。
側
室
や
そ
の
子
ど
も
た
ち
と
と
も
に
京
都
し
た
。
産
後
間
も
な
い
母
の
お
督
も
、
他
の
り
に
触
れ
、
高
野
山
で
切
腹
を
命
じ
ら
れ
ま
て
間
も
な
く
、
父
の
秀
次
は
太
閤
秀
吉
の
怒
お
菊
が
生
ま
れ
ま
し
た
。
お
菊
が
生
ま
れ
秀
次
と
側
室
の
お
督
︵
お
ご
う
︶
と
の
間
に
、
文
禄
4
︵
1
5
9
5
︶
年
、
時
の
関
白
豊
臣
お
菊
物
語
12
波太神社
末社三神社本殿
絹本着色釈迦三尊図
大願寺所蔵
阪南市指定有形文化財(平成14.3.
14指定)
重要文化財(平成5.
12.
9指定)
江戸時代初期の建築。南殿とも呼
ばれ、神功皇后・武内宿彌・天湯
河板拳命を祀っています
中央に釈迦如来、右下に文殊菩薩、左下に
普賢菩薩が描かれています。室町時代後期
の作品で中国の宋・元の影響を受けた禅宗
系水墨画
波太神社本殿
重要文化財(平成5.12.
9指定)
江戸時代初期の建築。屋根の正面に千鳥波
風が2カ所、中央の軒にも唐波風がつき、
軒下の組物や虹梁の彫刻が、桃山時代の流
れを汲む豪華なもの。波太宮・八幡宮を祀
っています
波太神社慶長の石燈籠
国・府・市
自然田瑞宝寺の鉦講
阪南市指定無形民俗文化財(平成15.2.
28指定)
約300年前に檀家の篤信者が集まり、鉦講中を
組織したのが始まりとされます。一子相伝の家
系を守り、口伝により念仏の唱え方、鉦の打
ち方などが継承されてきました
波太神社
指定文化財
加茂神社本殿
阪南市には、国の文化財保護法により指定・登録された文化財が2件、
大阪府の文化財保護条例によるものが5件、
阪南市の文化財保護条例によるものが4件あります。
郷土の歴史を物語る宝として、次の世代へ伝えていきたいものです。
大阪府指定有形文化財(昭和45.
2.
20指定)
木造聖観音菩薩立像 瑞宝寺所蔵
本殿の屋根は桧皮葺(ひわだぶき)
・流れ造
りで、軒下の彫刻も優美な桃山時代の意匠
をよく伝えていることから、本殿左横の燈籠
とともに大阪府文化財保護条例の建造物第
1号の指定を受けました
阪南市指定有形文化財(平成14.3.
14指定)
平安時代後期の作品で、桧の一木造り。もとは、
波太神社境内にあった神光寺の所蔵といわれてい
ます
木造地蔵菩薩坐像 宗福寺所蔵
大阪府指定有形文化財(昭和56.
6.
1指定)
玉田山1号墳
像高約52cm、温和な表情と洗練された姿から、
鎌倉時代につくられたものと考えられます。宗
福寺に安置される以前は、飯峰山地蔵寺にあっ
たと伝えられています
大阪府指定史跡(平成14.
1.
29指定)
玉田山西山麓にある、約1300年前ごろ
の古墳。直径11.5mの円墳。横穴式石
室から、金環・銀環・須恵器・鉄のやじ
り・ガラス製小玉などが出土しました
成子家住宅
離れ
主屋(おもや)は大正5
(1916)年に建てられたもので、
店舗兼住宅になっています。間口11間の大型の近世町
家形式。主屋のほか、離れ座敷・表門・塀・土蔵2棟・
酒蔵4棟が国の登録文化財であり、その中には創業時の
建物も残っています
自然居士の大いちょう
大阪府指定天然記念物(昭和56.
6.
1指定)
自然田の自然居士旧跡といわれる地にそび
え、樹齢約460年で、樹高16m、直径1.2m
の大樹。毎年、秋になると黄金色の葉を輝
かせます
15 阪南宝ブック
登録有形文化財(平成13.
10.
29指定)
玉田山2号墳
阪南市指定史跡(平成16.
1.
21指定)
玉田山西中腹にある、約1300年前の古墳。横穴式石
室を直径12mの墳丘が覆っていたと考えられます。
現在は上部が流出し、石室が露出しています
三十六歌仙扁額 波太神社所蔵
大阪府指定有形文化財(昭和 45.
2.
20指定)
主屋
元禄時代の絵師、土佐光成の筆により、波太神社
に奉納されたもの。扁額は縦51.6 cm、横41cmで、
山部赤人や小野小町など三十六歌仙が、華麗に彩
色されています
14
紀州街道
大阪市内から南下し、阪南では和泉鳥取・山中渓から雄ノ山を越えて和歌山に入る街
道。古代は南海道と呼ばれ、中世に熊野詣の道として多くの旅人が通ったので熊野街
道と呼ばれました。江戸時代になると紀州徳川公の参勤交代のために整備され、紀州
街道と呼び名が変わりました。山中渓は、当時宿場としてにぎわいました。紀州公の
休憩所となった本陣や、代々庄屋をつとめた屋敷が保存されています
Column
はんなん
昔話
境橋の仇討
幕末のころ、土佐藩の廣井大六が、
棚橋三郎にけんかをしかけられ、川
に投げ込まれて命を落としました。
三郎は藩を追放され、大六の息子の
岩之助は、父の仇を討つため三郎を
探す旅に出ました。
当時は既に仇討ち禁止令が出され
ていましたが、岩之助の並々ならぬ
決意におされ、勝海舟が取り計らい、
浜
(孝子越)
街道
泉佐野を起点とし、浜づたいに尾崎・鳥取・貝掛・箱作を経て、岬町から孝子峠を越えて
和歌山市内に通じる街道。尾崎村には、船泊まり(港)があり、物資の流通も盛んで、近世
町場として栄えました。街道沿いの集落には今も往時をしのぶ風情が残っています
許可されていました。
い
に
し
街え
道の
ま
ち
と
ま
ち
を
つ
な
い
で
い
ま
す
。
人
と
人
を
つ
な
ぎ
、
街
道
は
昔
を
今
に
伝
え
、
自
動
車
が
行
き
来
す
る
よ
う
に
な
っ
て
も
、
道
は
ア
ス
フ
ァ
ル
ト
に
変
わ
り
、
こ
こ
を
通
っ
て
い
た
の
で
し
ょ
う
。
旅
人
が
、
軍
馬
が
、
荷
車
が
、
か
つ
て
は
、
都
の
貴
族
が
、
時
間
が
ゆ
っ
く
り
流
れ
て
い
ま
す
。
ど
こ
か
懐
か
し
く
、
暖
か
く
、
そ
の
道
沿
い
の
家
並
み
は
、
古阪
く南
かに
らあ
のる
街
道
信長街道
泉南市の信達で紀州街道から分かれ、下出・黒田を通り、鳥取で浜(孝子越)街道に合
流する街道。市街地をほぼ横切って、紀州街道と浜街道をつないでいます。織田信
長の紀州雑賀勢討伐の際整備されたことから、信長街道と呼ばれるようになりました
とうとう、三郎が和歌山に潜んで
いることを知った岩之助は、和歌山
奉行所に願い出ました。奉行所が
「三郎を国払いとし境橋より追放す
るので和泉側にて討つべし」とした
ので、和歌山と和泉(大阪府)の国境
である紀州街道の境橋の上で、岩之
助は見事父の仇を討ったそうです。
境橋は、日本で許された最後の仇
井関越街道
浜街道の尾崎を基点とし、黒田・石田・波太神社を通
り、桑畑から井関峠を越えて和歌山の六十谷に至る
街道。鳥羽伏見の戦の時、会津藩の敗残兵はこの道
を通り、紀州藩に逃れようとしました。その時、桑畑
の村人が、傷の手当てをしたり、息絶えた兵たちを手
厚く葬ったという言い伝えがあります
討ちの場所となりました。
資料:和泉名所図会
17 阪南宝ブック
16
ま
ち
宝
「人財編」
人こそまちの宝なり
伝統を守り続けてきた人、伝統を創り出す人
まちをよくするために活動する人。それぞれの力が重なって
このまちは形づくられています。あの人の笑顔も、この人の笑顔も、
阪南市には会いたい人がたくさんいます。
徴
し
て
い
ま
す
。
て
、
阪
南
市
の
豊
か
な
自
然
環
境
を
象
3
阪
府
の
海
岸
部
で
は
唯
一
残
っ
て
い
の
実
を
つ
け
る
ヒ
ト
モ
ト
ス
ス
キ
。
大
ピ
チ
ピ
チ
ビ
ー
チ
に
は
、
コ
ル
ク
質
も
た
ち
を
見
守
っ
て
く
れ
ま
す
。
ど
っ
し
り
構
え
た
ケ
ヤ
キ
の
木
が
子
ど
山
中
渓
に
あ
る
わ
ん
ぱ
く
王
国
で
は
、
に
選
ば
れ
た
﹁
桜
の
園
﹂
が
あ
り
ま
す
。
右上/わんぱく王国
右下/田園風景
左上/わんぱく王国のケヤキ
左下/ヒトモトススキ
阪南写真館 ③
19 阪南宝ブック
判
で
、
す
ぐ
近
く
に
は
大
阪
緑
の
百
選
林
の
中
で
も
特
に
風
景
が
美
し
い
と
評
泉
高
原
キ
ャ
ン
プ
場
は
、
全
国
の
国
有
ま が
渓 す 落 自
流 。 ち 然
に
着 の
沿
き 緑
っ
、 に
体 囲
た
が ま
森
軽 れ
林
く て
の
な い
中
っ る
に
て と
あ
い 、
る
き 心
紀
木
々
の木
緑生漏
に命れ
癒力日
さをの
れ感中
るじで
18
な
の
願
い
で
す
。
のり養殖
きしもと よしみつ
岸本 義光 さん
西鳥取漁業組合長
阪南市でただ一人、のり
の養殖を行う
10月上旬から種付けを始め、11月
下旬に本張りをします。
重要なのは日当たりです。のりも
光合成をするんですよ。水温は18度
くらいが適温で、だんだん冷たくなっ
ていくとよいのりができるので冬場
に行います。
阪南市ののりは、昔から色が黒い
ことで評判だったんです。栄養があっ
たのでしょう。近隣で養殖している
のはここだけになってしまいました
が、品種改良など工夫を重ねていき
たいですね。
せり(尾崎)
せり(下荘)
のり加工
引き上げたのりを一晩寝かせて水洗いします。熟成さ
せてミンチにかけ、水を混合させます
完成
乾燥させて包装し、できあがりです
ま
た
、
阪
南
市
で
は
青
年
部
と
中
学
生
の
海
清
掃
、
稚
魚
放
流
な
ど
を
行
い
ま
す
。
の
。
海
上
パ
レ
ー
ド
や
漁
食
普
及
活
動
、
海
岸
大
阪
湾
の
環
境
保
全
を
呼
び
か
け
始
ま
っ
た
も
い
ま
す
。
こ
れ
は
、
大
阪
府
内
の
漁
業
者
が
、
海
の
日
に
魚
庭
の
海
づ
く
り
大
会
が
開
か
れ
て
府
民
に
海
を
身
近
に
感
じ
て
も
ら
お
う
と
、
豊
か
な
自
然
の
恵
み
を
守
り
継
ぐ
豊
か
な
環
境
を
取
り
戻
す
た
め
で
す
。
も
っ
と
伐
採
と
植
林
を
始
め
ま
し
た
。
海
と
山
、
川
の
は
、
漁
協
青
壮
年
部
が
中
心
と
な
っ
て
、
山
の
な
り
ま
し
た
。
阪
南
市
・
岸
和
田
市
・
貝
塚
市
で
の
間
で
環
境
問
題
へ
の
意
識
が
高
ま
る
よ
う
に
関
西
国
際
空
港
が
で
き
た
こ
ろ
か
ら
、
市
民
み
も
や
が
て
は
海
へ
た
ど
り
着
く
の
で
す
。
ろ
ん
、
何
気
な
く
道
路
や
川
に
捨
て
ら
れ
た
ご
す
。
工
場
や
家
庭
か
ら
流
さ
れ
る
排
水
は
も
ち
漁
業
せり(西鳥取)
岸
合
同
清
掃
も
行
わ
れ
て
い
ま
す
。
も
っ
と
海
を
き
れ
い
に
し
た
い
。
こ
れ
が
み
ん
活気にあふれる漁港(下荘)
漁港では、底引き網を中心とした漁業が営まれ、しゃこえび・しらさえびなどが水揚げ
されます。船は明け方に出港し、午後2時ごろ戻ってきます。船が港に着くと、30分
後にはせり市が始まり、新鮮な魚介類を求めてたくさんの人々でにぎわいます
ま て い 今
す 中 た 池
。 世 跡 遺
に が 跡
盛 見 か
ん つ ら
に か 鎌
な り 倉
っ 、 時
た 弥 代
こ 生 の
と 時 マ
が 代 ダ
分 か コ
か ら ツ
っ 始 ボ
て ま を
い っ 焼
南
市
域
で
も
、
馬
川
遺
跡
・
田
山
東
遺
跡
・
箱
作
池
上
曽
根
遺
跡
か
ら
出
土
し
て
い
ま
す
が
、
阪
い
ま
し
た
。
日
本
最
古
の
タ
コ
ツ
ボ
は
和
泉
市
ご
ろ
ま
で
は
素
焼
き
の
タ
コ
ツ
ボ
を
利
用
し
て
し
て
行
わ
れ
る
の
が
タ
コ
ツ
ボ
漁
。
昭
和
の
中
狭
い
場
所
に
入
り
込
む
タ
コ
の
習
性
を
利
用
長タ
いコ
歴ツ
史ボ
を漁
知の
る
り
汚
れ
て
い
ま
し
た
。
そ
の
原
因
は
さ
ま
ざ
ま
で
以
前
の
大
阪
湾
は
、
赤
潮
の
発
生
な
ど
に
よ
取豊
りか
戻な
そ海
うを
創新
造し
すい
る伝
① 統
を
ま
ち
宝
マダコ
尾崎漁港
21 阪南宝ブック
20
吟醸酒の米粒
杜氏
さ と う
かつろう
佐藤 勝郎 さん
全国でも有数の南部杜
氏。数々の賞を受賞。5
年前、10代目蔵元に請わ
れて浪花酒造へ
三十数年間酒造りに関わってきま
したが、失敗の繰り返しですよ。満
足するものは1年のうち1本あるかな
いかです。ただ、満足してしまえばそ
こで終わりなので、今度はもっとよい
酒をつくろうという挑戦心を大事に
しています。
浪花酒造でも若い人を育てていま
すが、机上の計算より、とにかく現場
を大事にしてほしい。思い通りにい
かなかった時どうするかが大切なん
です。そして杜氏の心と技を受け継
いでもらいたい。いずれは「浪花正
宗」を大阪の地酒に育てたいですね。
に
地
下
水
を
加
え
て
も
ろ
み
を
仕
込
み
ま
す
。
極
上
の
酒
が
味
わ
え
る
の
で
す
。
もろみの仕込み
は
、
温
度
管
理
が
重
要
な
の
で
す
。
米は日本酒に最も適し
ているといわれる山田
錦。炭水化物以外の成
分をほとんど含まないた
め、余分な甘みがありま
せん。浪花酒造では、主
に自然田でとれる山田錦を
使用しています
蒸
し
米
、
酒
母
、
麹
が
そ
ろ
っ
た
ら
、
タ
ン
ク
エ
キ
ス
の
み
を
最
後
に
抽
出
す
る
こ
と
が
で
き
、
水
を
汲
み
上
げ
て
使
っ
て
い
ま
す
。
す
。
こ
う
す
る
と
、
米
の
中
か
ら
出
る
純
粋
な
水
と
な
る
の
で
す
。
浪
花
酒
造
で
は
こ
の
地
下
吟
醸
酒
は
圧
搾
機
で
は
な
く
袋
で
搾
り
ま
貝
殻
層
で
完
全
に
ろ
過
さ
れ
、
酒
造
に
適
し
た
現
れ
ま
す
。
和
泉
山
脈
か
ら
の
伏
流
水
が
こ
の
ら
し
く
、
5
メ
ー
ト
ル
ほ
ど
掘
る
と
貝
殻
層
が
浪
花
酒
造
の
あ
る
尾
崎
は
、
昔
は
海
岸
だ
っ
た
と
こ
ろ
で
、
酒
造
り
に
欠
か
せ
な
い
の
が
水
。
や
っ
と
酒
の
で
き
上
が
り
で
す
。
酵
さ
せ
た
も
ろ
み
を
圧
搾
機
に
か
け
て
搾
り
、
日
間
、
吟
醸
で
25
日
間
、
大
吟
醸
で
30
日
間
発
仕
込
み
で
熟
成
さ
せ
て
い
き
ま
す
。
通
常
で
20
も
ろ
み
は
初
添
え
、
仲
添
え
、
留
添
え
と
三
段
母
は
5
度
の
低
温
に
保
た
れ
ま
す
。
酒
造
り
で
す 室 る こ 米 み 蒸
朝 す だ
蒸 。 内 こ れ か に し ま は 。 暗 江
し
を と に ら 使 米 ず 、 排 い 戸
米
時
気
清 48 麹 は わ は は 酒
造 ガ う 代
の
潔 時 菌 香 れ 麹 、
ち
洗 り
一
に 間 を ば る づ 米 に ス か か
。
部
重
も ら ら
か
く
し
保 雑
で
け い 要 り し 絶 な 酒 続
ち
菌
て 好 く
酒
く
匂 な 、
な が 、
室 い も 酒 お の 、 の 浪
母
︵
が
仕
環
混
い
空
を
の 母
ら ざ む が 。 、 た 境 気 込 花
つ
立
ろ
米 な の み 酒
麹 ら
く
造
ち 蒸 も
︶
な
を
き が で
り
で 込 し ろ を の
で
蒸
い
つ
れ 始 は
ま
上 み
繁
く よ 殖 め が の し す い ま 、
す
ま
。
ま
う
り
な り 朝
っ 仕
。
さ
酒
ま に せ す た 込 す
早 ま ま
。
、
。
地
下
水
を
汲
み
上
げ
、
酒
を
造
る
朝造
はり
早酒
い屋
の
創
造
す
る
②
新
し
い
伝
統
を
酒
造
り
蒸し米、酒母、麹、水を撹拌した後、時間を置き、ゆ
っくりと酵母を増やしていきます
洗米
酒造りで最も大切なのは
洗米。吟醸酒用はザル
を使い手作業で洗いま
す。水の浸透具合と気
温・湿度から、杜氏が放
置時間を決定します
ま
ち
宝
搾り
発酵を終えたもろみを、圧搾機で搾り、酒と酒粕に分
けてできあがりです
23 阪南宝ブック
22
商店街
尾崎駅前に建つ大型スー
パー。車いすの貸しだし
や補助犬の受け入れなど、
バリアフリー化も進んで
います
蘭栽培
みなみ は る お
南 治男 さん
約20年前に蘭栽培を始
める。現在は10万株を
3年サイクルで出荷
以前はミニトマトなど水耕栽培を
行っていたのですが、約20年前、岡
山県へ行った時、蘭に出会ったんで
す。すっかり魅せられて栽培を始め
ました。ゼロからのスタートで、軌道
に乗るのに10年くらいかかりました
ね。現在はクリスマス・正月から母の
日までが出荷シーズンです。きれい
な蘭を咲かせる条件は昼夜の寒暖差
なんです。温度管理には気を使って
いますが、年末の出荷分に関しては、
8月後半から20日間ほど高野山へ持
っていきます。品種改良を行った蘭
が花を咲かせる時が楽しみですね。
しいたけの栽培
阪南市で唯一栽培を行う古野順也さん。原木
を使った昔ながらの無農薬栽培による味が人
気を集めています
破魔矢
厄よけとして昔から伝えられているもので、現在
は正月の縁起物や端午の節句の飾り物となっ
ています。市内で年間150万本が製作され、全
国でも有数の工芸所があります
添え木
変な方向へ曲がらないように、茎に添え木をしてやり
ます
商
工
業
・
農
業
収
益
も
多
か
っ
た
よ
う
で
す
。
新
し
い
伝
統
を
創
造
す
る
り
寄
せ
た
の
が
始
ま
り
で
、
重
労
働
で
し
た
が
、
が
盛
ん
に
な
り
ま
し
た
。
紀
州
か
ら
苗
木
を
取
︵
か
ん
し
ょ
︶
の
栽
培
が
行
わ
れ
、
砂
糖
づ
く
り
近
世
後
期
か
ら
明
治
初
期
に
か
け
て
は
甘
蔗
く
ら
れ
ま
し
た
。
ら
れ
、
紋
羽
織
と
い
う
特
色
あ
る
綿
織
物
が
つ
生
産
地
と
し
て
も
全
国
的
に
知
質
で
し
た
。
綿
作
・
綿
織
物
の
瓦
と
し
て
用
い
ら
れ
た
ほ
ど
上
に
適
し
て
お
り
、
紀
州
藩
の
御
用
て
き
ま
し
た
。
ま
た
、
土
は
窯
業
地
蔵
像
や
五
輪
塔
が
つ
く
ら
れ
利
用
し
た
石
細
工
が
発
達
し
、
阪
南
市
で
は
、
古
く
か
ら
和
泉
砂
岩
を
地営
場ま
産れ
業て
き
た
和泉瓦(鬼瓦)
③
土質が瓦焼きに適していたことから盛んに
なり、紀州藩の御用瓦としても用いられま
した
孝行臼
和泉砂岩からつくられたもの。堅い魚を砕いた
り、引茶や白酒づくりなどに使用されました
育
て
て
い
ま
す
。
も
多
様
な
産
業
を
あ
り
、
工
業
面
で
る
商
業
ゾ
ー
ン
が
ー
パ
ー
を
中
心
と
す
尾
崎
駅
前
に
大
型
ス
で
す
。
商
業
面
で
は
、
ふ
さ
わ
し
い
快
適
な
生
活
圏
ま
れ
、
交
通
の
利
便
性
も
高
く
、
臨
空
都
市
に
ま
た
、
阪
南
市
は
海
や
山
な
ど
の
自
然
に
囲
わ
れ
て
い
ま
す
。
ビ
ニ
ー
ル
ハ
ウ
ス
で
、
イ
チ
ゴ
や
蘭
の
栽
培
も
行
漬
け
は
全
国
的
に
人
気
が
あ
り
ま
す
。
近
年
は
野
菜
で
、
泉
州
地
方
で
し
か
栽
培
で
き
ず
、
浅
す
。
特
に
水
な
す
は
江
戸
時
代
か
ら
続
く
高
級
キ
ャ
ベ
ツ
、
里
い
も
な
ど
が
つ
く
ら
れ
て
い
ま
平
野
部
を
中
心
に
、
米
や
玉
ね
ぎ
、
水
な
す
、
恵豊
みか
をな
味自
わ然
うの
ま
ち
宝
蘭栽培の風景
出荷を待つ10万株の鉢植えが並ぶビニールハウス
水なすの収穫
泉州地方の名物の一つ。昔、田んぼ仕事の合間に手で絞り、なすから出る水
分で喉の渇きを潤していたことから「水なす」と呼ばれています
資料:和泉名所図会
25 阪南宝ブック
24
み
ゆ
宝 阪南らしさを
図書館サポーター
図書館サポーター
たにもと
ま
ち
き
谷本 美由貴 さん
おはなしでてこい代表。図書
館サポーターとして、月2回絵
本の読み聞かせを行う
多
く
の
み
な
さ
ん
が
図
書
館
を
応
援
し
て
い
ま
す
。
子どもたちにとってどんな本に出会う
かはとても重要なんです。よい絵本は子
どもたちの想像力をかき立てますから。責
任を持って選んでいます。
以前、よちよち歩きの子が「この本読
んで」と寄ってきたんです。
“本を読んで
くれるおばちゃん”と認められたみたいで
うれしかったですね。その子はもちろん、
年上の子も一緒に聞いてくれました。1
冊の本を仲立ちにして、ふれあいが生ま
れるんですね。
る
﹁
ブ
ッ
ク
ス
タ
ー
ト
﹂
事
業
や
、
図
書
館
の
お
は
な
ん
の
言
葉
と
心
を
は
ぐ
く
む
た
め
に
絵
本
を
配
布
す
整
理
や
傷
ん
だ
本
の
修
理
な
ど
を
し
ま
す
。
赤
ち
ゃ
図
書
館
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
。
図
書
館
サ
ポ
ー
タ
ー
は
本
の
本
が
好
き
、
図
書
館
が
好
き
、
と
集
ま
っ
て
き
た
創り出す
本
は
一
生
の
友
達
阪南らしいって何だろう。豊かな緑、青い海。
それだけではありません。まちを歩けば子どもたちの歓声や道端に咲く花…
それらを創り出すのは、このまちの人たちなのです。
で
和
気
あ
い
あ
い
と
進
ん
で
い
き
ま
阪南まちづくりネットワーク
阪南まちづくり
ネットワーク世話人代表
つりふね
し
会
で
、
絵
本
の
読
み
聞
か
せ
を
す
る
人
も
い
ま
す
。
ひ ろ こ
釣舩 廣子 さん
子ども文庫、住みよい阪南を
考える会、阪南市みんなの図書
館を考える会、男女共同参画
など、
多方面にわたって活動中。
ま
ち
づ
く
り
フ
ェ
ス
テ
ィ
バ
ル
﹂
を
実
施
し
ま
し
た
。
もともと読書会や子ども文庫など本に
関わる活動をしてきました。本は自分の考
えを形成する手助けになるので、市民の自
立にもつながるんじゃないかな。
阪南まちづくりネットワークでは立ち上
げから関わりました。価値観が多様化し
ている現在、市民活動は継続しづらいん
です。違う分野で活動する人々が集まっ
て、知恵やエネルギーを与え合いながら
成長し、夢や希望のあるまちづくりに影
響を与えられたらと思っています。
ン
ト
を
開
催
し
て
い
ま
す
。
平
成
16
年
3
月
に
﹁
阪
南
報
交
換
会
の
ほ
か
、
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
を
生
か
し
た
イ
ベ
市
民
活
動
団
体
や
個
人
が
参
加
し
、
毎
月
1
回
の
情
び
つ
け
よ
う
と
発
足
し
ま
し
た
。
現
在
は
20
以
上
の
こ
れ
ま
で
個
々
で
行
わ
れ
て
い
た
市
民
活
動
を
結
コ地
ミ域
ュの
ニ
ケ
ー
シ
ョ
ン
づ
く
り
ム
ワ
ー
ク
。
作
業
は
明
る
い
雰
囲
気
が
集
合
場
所
に
集
ま
る
と
い
う
チ
ー
け
な
く
て
も
、
8
時
前
に
は
み
ん
な
を
行
っ
て
い
ま
す
。
前
日
に
声
を
か
る
植
栽
コ
ー
ナ
ー
の
手
入
れ
や
清
掃
メ
ン
バ
ー
が
集
ま
り
、
道
路
脇
に
あ
時
、
箱
の
浦
地
区
で
は
15
名
前
後
の
毎
月
第
1
・
第
3
日
曜
日
の
朝
8
た
効
果
も
あ
る
そ
う
で
す
。
り
に
な
り
、
防
犯
に
役
立
つ
と
い
っ
こ
と
で
、
地
域
の
人
同
士
が
顔
見
知
こ
う
し
て
清
掃
や
花
植
え
を
す
る
は
1
時
間
早
め
て
い
る
そ
う
で
す
。
9
時
半
ま
で
。
日
差
し
の
き
つ
い
夏
し
て
行
い
ま
す
。
時
間
は
8
時
か
ら
す
。
場
所
は
3
カ
所
あ
り
、
手
分
け
[
清
掃
活
動
]
団
体
が
活
動
さ
れ
て
い
ま
す
。
的
に
清
掃
や
緑
化
・
美
化
活
動
を
行
う
制
度
が
始
ま
り
ま
し
た
。
現
在
、
11
地
域
住
民
や
事
業
所
な
ど
の
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
団
体
が
﹁
里
親
﹂
と
な
っ
て
、
定
期
市
民
一
人
ひ
と
り
の
宝
で
あ
る
道
路
や
公
園
、
河
川
を
き
れ
い
に
保
つ
た
め
、
ア
ダ
プ
ト
プ
ロ
グ
ラ
ム
<<<インタビュー
れ
た
市
民
参
画
の
ま
ち
づ
く
り
を
進
め
て
い
き
ま
す
。
今
後
も
、
ワ
ー
ク
シ
ョ
ッ
プ
と
い
っ
た
手
法
を
取
り
入
論
や
策
定
を
し
て
い
ま
す
。
課
題
と
な
る
地
域
内
を
歩
き
、
そ
れ
を
踏
ま
え
て
議
27 阪南宝ブック
民
の
み
な
さ
ん
と
学
識
経
験
者
な
ど
の
参
画
を
得
、
基
本
構
想
の
検
討
な
ど
に
お
い
て
、
公
募
に
よ
る
市
阪
南
市
で
も
、
総
合
計
画
や
交
通
バ
リ
ア
フ
リ
ー
づ
く
り
、
政
策
づ
く
り
な
ど
に
用
い
ら
れ
ま
す
。
す
。
主
に
市
民
参
画
の
ま
ち
づ
く
り
、
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
で
学
び
解
決
す
る
、
参
加
体
験
型
グ
ル
ー
プ
学
習
で
画
・
体
験
し
て
、
課
題
と
な
る
テ
ー
マ
に
つ
い
て
共
同
方
的
な
知
識
伝
達
で
は
な
く
、
参
加
者
が
自
ら
参
ワ
ー
ク
シ
ョ
ッ
プ
と
は
、
研
修
や
講
義
と
い
っ
た
一
ワ市
ー民
ク参
シ画
ョの
ッ
プ
ワ
ー
ク
シ
ョ
ッ
プ
地域の連携を大切に
アダプトプログラム制度ができる以前から、自分たちの住んでいる地域は自分たち
できれいにしようと、花植えや清掃を始めました。ほかに、箱の浦に2カ所ある児童公
園の除草や整地、すべり台・ブランコなどのペンキの塗り替え、砂場の入れ替えなど
を行っています。
また、自治会では児童の通学時間に声をかけたり、ひとり暮らしの高齢者を見回っ
たりとふれあいを大切にしています。住民センターではふれあいサロンを開いており、
アダプトプログラム
おか
やすまさ
岡 保正 さん
2年前から箱の浦自治会長
をつとめる
高齢者が気軽に集まってきます。年に1回はレクリエーションを行い、バス旅行にも
出かけています。アダプトプログラムという制度ができたことで、地域の連携をもっと
密にできればと思っています。
26
の
交
流
が
深
め
ら
れ
て
い
ま
す
。
ツ
・
レ
ク
リ
エ
ー
シ
ョ
ン
を
通
し
て
世
代
間
・
地
域
間
対
象
に
阪
南
ス
ポ
ー
ツ
デ
ー
が
開
催
さ
れ
、
ス
ポ
ー
ル
場
2
面
が
と
れ
る
広
さ
で
す
。
10
月
に
は
市
民
を
育
館
と
隣
接
し
て
お
り
、
野
球
場
1
面
、
ソ
フ
ト
ボ
ー
そ
の
中
心
と
な
る
の
は
中
央
運
動
広
場
。
総
合
体
ス
ポ
ー
ツ
の
普
及
・
発
展
を
進
め
て
い
ま
す
。
イ
ベ
ン
ト
の
開
催
、
ス
ポ
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ツ
教
室
の
実
施
、
ニ
ュ
ー
で
は
、
生
涯
ス
ポ
ー
ツ
施
設
の
整
備
や
ス
ポ
ー
ツ
関
連
め
、
ス
ポ
ー
ツ
は
大
切
な
要
素
の
一
つ
で
す
。
阪
南
市
生
涯
を
通
し
て
健
康
で
活
力
あ
る
生
活
を
送
る
た
ス
ポ
ー
ツ
を
通
し
た
交
流
[
る
と
好
評
で
す
。
中
央
運
動
広
場
]
ま ミ 会 た
す ニ や 講
。 運 公 座
動 民 や
会 館 42
な ま の
ど つ ク
楽 り ラ
し 、 ブ
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り
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ン ェ ま
ス
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す
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ィ 。
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れ 、 居
て 合 鑑
い 同 賞
ち
は
楽
し
い
思
い
出
を
つ
く
っ
て
い
ま
す
。
中
学
生
い
ろ
い
ろ
体
験
講
座
﹂
が
開
か
れ
、
子
ど
も
た
作
品
が
披
露
さ
れ
ま
す
。
夏
休
み
に
は
﹁
夏
休
み
小
・
が
並
び
、
書
画
や
フ
ラ
ワ
ー
ア
レ
ン
ジ
メ
ン
ト
な
ど
の
東
鳥
取
公
民
館
ま
つ
り
で
は
、
さ
ま
ざ
ま
な
屋
台
29 阪南宝ブック
と
と
も
に
、
各
種
講
座
を
実
施
し
ま
す
。
き
ま
し
た
。
今
後
も
パ
ソ
コ
ン
ボ
ラ
ン
テ
ィ
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の
方
々
座
な
ど
で
市
民
の
パ
ソ
コ
ン
活
用
を
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ポ
ー
ト
し
て
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T
講
習
会
か
ら
引
き
続
き
、
パ
ソ
コ
ン
に
関
す
る
講
も
う
一
つ
の
特
徴
は
、
パ
ソ
コ
ン
に
関
す
る
活
動
。
業
に
定
評
が
あ
り
ま
す
。
た
日
本
語
指
導
を
は
じ
め
と
す
る
人
権
教
育
推
進
事
38
の
ク
ラ
ブ
が
あ
り
、
特
に
外
国
人
を
対
象
に
し
パ
ソ
コ
ン
と
と
も
に
ほ
か
に
、
子
ど
も
や
親
子
、
一
般
の
方
を
対
象
と
し
図
っ
て
い
ま
す
。
レ
ク
リ
エ
ー
シ
ョ
ン
を
通
じ
て
青
少
年
と
の
交
流
を
[
き
が
い
の
あ
る
生
活
を
送
れ
る
よ
う
始
め
た
も
の
で
、
齢
化
社
会
を
迎
え
、
少
し
で
も
明
る
く
豊
か
に
、
生
主
催
講
座
の
﹁
シ
ル
バ
ー
ふ
れ
あ
い
講
座
﹂
は
、
高
増
進
に
寄
与
す
る
こ
と
を
目
的
と
し
て
い
ま
す
。
安
定
化
を
図
り
、
生
活
文
化
の
振
興
・
社
会
福
祉
の
公
民
館
は
、
教
養
の
向
上
・
健
康
の
増
進
・
情
操
の
シ
ル
バ
ー
ふ
れ
あ
い
講
座
[
尾
崎
公
民
館
シ
ョ
ン
づ
く
り
に
も
な
っ
て
い
ま
す
。
法
を
次
代
に
継
承
す
る
と
と
も
に
、
コ
ミ
ュ
ニ
ケ
ー
グ
ル
ー
プ
合
同
で
曲
の
披
露
も
行
い
、
和
太
鼓
の
演
奏
に
指
導
を
受
け
、
練
習
を
行
っ
て
い
ま
す
。
三
つ
の
太
鼓
入
門
﹂
講
座
で
は
、
そ
れ
ぞ
れ
阪
南
太
鼓
﹁
楽
皷
﹂
﹁
子
ど
も
和
太
鼓
﹂
講
座
と
﹁
障
害
者
の
た
め
の
和
ア
フ
リ
ー
の
公
民
館
と
し
て
知
ら
れ
て
い
ま
す
。
41
の
ク
ラ
ブ
が
あ
り
、
和
太
鼓
と
子
育
て
と
バ
リ
和
太
鼓
で
の
世
代
間
交
流
道
・
体
操
・
ダ
ン
ス
な
ど
、
約
60
の
グ
ル
ー
プ
が
利
用
平
成
15
年
11
月
の
開
館
以
来
、
手
芸
・
詩
吟
・
書
﹁
公
設
民
営
﹂
型
の
施
設
で
す
。
た
。
光
熱
費
な
ど
の
運
営
費
は
地
域
が
負
担
す
る
ま
で
だ
れ
も
が
利
用
で
き
る
施
設
を
整
備
し
ま
し
と
な
る
あ
た
ご
幼
稚
園
施
設
に
、
幼
児
か
ら
高
齢
者
を
統
合
す
る
こ
と
に
な
り
ま
し
た
。
そ
こ
で
、
廃
園
平
成
14
年
、
舞
小
学
校
区
に
二
つ
あ
っ
た
幼
稚
園
あたごまつり
11月の2日間にわたって開かれる地域のまつり。
市民の習字や木彫などの作品が展示されるほか、
2日目にはグループの発表会やカラオケ大会、模
擬店が開かれ、大変にぎわいます
子
ど
も
の
日
フ
ェ
ス
テ
ィ
バ
ル
も
開
か
れ
ま
す
。
ま し タ
す て ー 平
。 、 ト 成
幼 し 16
児 ま 年
か し 5
ら た 月
小 。 か
学 学 ら
生 校 は
ま が ﹁
で 休 土
が み 曜
一 の ★
緒 土 あ
そ
に 曜 び
遊 日 市
ん を ﹂
で 利 が
い 用 ス
し
て
い
ま
す
。
運
営
は
す
べ
て
ボ
ラ
ン
テ
ィ
ア
で
、
生
き
が
い
づ
く
り
、
健
康
づ
く
り
、
ふ
れ
あ
い
、
子
育
て
支
援
の
拠
点
施
設
。
あ
た
ご
プ
ラ
ザ
皿
田
池
の
跡
地
に
建
つ
開
放
的
な
文
化
セ
ン
タ
ー
。
サ
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ホ
ー
ル
]
東
鳥
取
公
民
館
]
立
地
が
よ
く
、
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利
用
で
き
、
い
つ
も
だ
れ
か
が
い
発
表
会
に
も
利
用
さ
れ
、
ゴ
ー
ル
デ
ン
ウ
ィ
ー
ク
に
は
サ
ー
ト
、
七
夕
コ
ン
サ
ー
ト
な
ど
、
市
民
の
文
化
活
動
テ
ィ
バ
ル
や
老
人
ク
ラ
ブ
演
芸
会
、
ク
リ
ス
マ
ス
コ
ン
と
し
て
親
し
ま
れ
て
い
ま
す
。
中
学
校
音
楽
フ
ェ
ス
に
よ
る
公
演
が
催
さ
れ
る
な
ど
、
文
化
発
信
の
拠
点
平
成
元
年
の
オ
ー
プ
ン
以
来
、
プ
ロ
・
ア
マ
の
劇
団
率
の
高
い
ホ
ー
ル
の
一
つ
で
す
。
ハ
ー
サ
ル
室
な
ど
を
備
え
て
い
て
、
府
内
で
も
稼
働
ル
は
、
図
書
館
の
ほ
か
、
大
ホ
ー
ル
や
小
ホ
ー
ル
、
リ
阪
南
市
の
文
化
の
中
枢
施
設
で
あ
る
サ
ラ
ダ
ホ
ー
[
西
鳥
取
公
民
館
]
子どもの日フェスティバル
演
劇
や
演
奏
会
の
ほ
か
、
各
種
発
表
会
が
行
わ
れ
る
市
民
の
身
近
な
施
設
で
す
。
5月の連休、ホール前にはフリーマーケットが並び、
館内では昔のおもちゃづくりが行われたりと、子ど
もたちは春の休日を満喫します
ま
ち
宝
28
男里川の自然干潟
尾崎漁港
西本願寺
尾崎神社 尾崎別院
旧尾崎村役場庁舎
大 阪 湾
田山稲荷神社
遊来滝
加茂神社
鳥取ノ荘駅
箱作駅
宗福寺
指出森神社
箱作公園ビューポイント
岬 町
線
海
南
鉄
電
海
南
下荘漁港
せんなん里海公園
成子家住宅
尾崎公民館
尾崎駅
西鳥取漁港
ヒトモトススキ
浜(孝子越)街道道標
街道
法福寺
西鳥取公民館
市立病院
サラダホール
市役所 (文化セ
(文化
文化センター・図書館)
図書館
男
里
川
大願寺
信長街道
)街道
子越
浜(孝
菅原神社
平野寺跡
泉南メモリアルパーク
ビューポイント
首斬地蔵
蓮池
東鳥取公民館
瑞宝寺
波太神社
自然居士の
大いちょう
菟
砥
川
和国道
第二阪
向出遺跡
亀川遺跡
和国道
第二阪
玉田山公園
サンヒル阪南
庚申堂
庚申
山
中
川
道
越街
井関
線
阪和
日本
JR 西
玉田山古墳群
桑畑のホタル
和泉鳥取駅
近畿自動車道
俎石山
泉南市
鳥取池緑地桜の園
ふるさと再発見
鳥取池
紀
州
街
道
紀泉高原キャンプ場
いかがでしたか? たくさんの阪南の宝。
今まで紹介してきた文化財や名所、施設のほかにも、
まだ見つかるかもしれません。
あなただけの宝物を探してみてください。
山中渓の桜並木
山中渓駅
地福寺(子安地蔵)
道祖神(塞の神)
わんぱく王国
山中関跡碑
マップ
和歌山市
山中渓のホタル
境橋仇討ちの場
31 阪南宝ブック
30
【議会】
未来の創造にはげむ
まちづくりの主役は市民一人ひとり
「うみ・やまを愛し、幸せをささえあう、安心とうるおいのあるまち 阪南」を
目指して、共に住みよいまちをつくりましょう。
(平成 21 年 10 月改選)
川原 操子
庄司 和雄
木村 正雄
野間 ちあき
古家 美保
三原 伸一
貝塚 敏隆
二神 勝
中谷 清豪
見本 栄次
白石 誠治
武輪 和美
岩室 敏和
楠部 徹
有岡 久一
土井 清史
市民の声を行政に届け、反映
させていくために、まちづくり
の方向性を審議するのが市議会
の役割です。阪南市では、市民
に開かれた行政サービスを目指
し、情報公開制度と個人情報保
護制度などを適切に管理・運営
し、行政情報や地域情報の広報・
公聴活動を充実させているほ
か、市民参画によるまちづくり
を進めています。近年、生活圏
の拡大や関西国際空港の整備な
どに伴い、広域的なネットワー
クの必要性が出てきたため、関
係市町と連携し広域行政サービ
スの充実を図っています。
32
【議会】
未来の創造にはげむ
阪南市民憲章
まちづくりの主役は市民一人ひとり
「うみ・やまを愛し、幸せをささえあう、安心とうるおいのあるまち 阪南」
を
目指して、共に住みよいまちをつくりましょう。
昭和51年1月1日宣言
一
、
恵
ま
れ
た
自
然
と
調
和
し
た
ま
ち
を
つ
く
り
ま
し
ょ
う
。
一
、
健
や
か
に
楽
し
く
働
け
る
ま
ち
を
つ
く
り
ま
し
ょ
う
。
一
、
み
ん
な
で
助
け
合
う
明
る
い
ま
ち
を
つ
く
り
ま
し
ょ
う
。
一
、
教
養
と
文
化
の
高
い
ま
ち
を
つ
く
り
ま
し
ょ
う
。
一
、
心
の
ふ
れ
あ
い
を
大
切
に
す
る
ま
ち
を
つ
く
り
ま
し
ょ
う
。
︵
本
文
︶
た
明
る
く
住
み
よ
い
ま
ち
を
つ
く
る
た
め
、
こ
の
憲
章
を
定
め
ま
す
。
わ
た
く
し
た
ち
は
、
永
遠
の
平
和
と
幸
せ
を
ね
が
い
、
希
望
に
み
ち
な
茅
渟
の
海
に
か
こ
ま
れ
た
阪
南
市
の
住
民
で
す
。
︵
わ 前
た 文
く ︶
し
た
ち
は
、
み
ど
り
豊
か
な
葛
城
の
山
や
ま
と
、
波
し
ず
か
公文 信次
坂原 利満
二神 勝
貝塚 敏隆
白石 誠治
木村 正雄
中谷 清豪
芝野 正和
庄司 和雄
土井 清史
武輪 和美
楠部 徹
有岡 久一
谷口 佳久
見本 栄次
塩谷 嘉克
慶田 浩
根来 武義
三原 伸一
加納 登美子
市章 阪南の「は」の字を図案化し
たもの。広がりゆく水輪をイ
メージし、調和と平和を象徴
する大小の輪で、未来に向か
って大きく躍進する阪南市の
姿を表しています
市の木 まつ
風雪に耐え、姿の豪華さは縁
起のよい木とされ、正月の門
松、庭木など市民の生活に強
く結びつき、その成長は市の
発展を象徴します
市の花 さつき
わが国固有の花木で広く山
野に自生し、多くの人々に愛
されてきました。色彩の豊富
さと変化、花弁の妙などほか
に比べる花はなく、市の美し
い人情と気品を象徴します
33 阪南宝ブック
実
を
図
っ
て
い
ま
す
。
と
連
携
し
広
域
行
政
サ
ー
ビ
ス
の
充
要
性
が
出
て
き
た
た
め
、
関
係
市
町
伴
い
、
広
域
的
な
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
の
必
大
や
関
西
国
際
空
港
の
整
備
な
ど
に
め
て
い
ま
す
。
近
年
、
生
活
圏
の
拡
市
民
参
画
に
よ
る
ま
ち
づ
く
り
を
進
聴
活
動
を
充
実
さ
せ
て
い
る
ほ
か
、
行
政
情
報
や
地
域
情
報
の
広
報
・
公
度
な
ど
を
適
切
に
管
理
・
運
営
し
、
情
報
公
開
制
度
と
個
人
情
報
保
護
制
開
か
れ
た
行
政
サ
ー
ビ
ス
を
目
指
し
、
役
割
で
す
。
阪
南
市
で
は
、
市
民
に
方
向
性
を
審
議
す
る
の
が
市
議
会
の
さ
せ
て
い
く
た
め
に
、
ま
ち
づ
く
り
の
市
民
の
声
を
行
政
に
届
け
、
反
映
32
阪南市
阪南市地域資源PR冊子
発行年月
企 画
平成16年11月
阪南市役所 市民の声をきく課
〒599-0292
大阪府阪南市尾崎町35-1
TEL 0724-71-5678
FAX 0724-73-3504
制 作 株式会社日本出版