「太陽の国 メキシコ

2007 年
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「太陽の国
メキシコ」
■基礎情報
Estados Unidos Mexicos
国名
メキシコ合衆国
1.面積
約 197 万平方キロメートル(日本の 5.3 倍)
2.人口
約 1 億 310 万人(2005 年)
3.首都
メキシコ・シティー(周辺都市も含めて 2,200 万人)
4.民族
ヨーロッパ系と先住民の混血(60%)、先住民(30%)、ヨーロッパ系(スペイン系
(日本は 37.79 万 km²)
日本は 1 億 2,768 万人)
等)(9%)、その他(1%)
5.言語
スペイン語
6.宗教
カトリック(国民の約 90%)
1.政体
立憲民主制による連邦共和国
2.元首
フェリペ・カルデロン大統領(2006 年 12 月 1 日就任、任期 6 年)
1.主要産業
自動車・製鉄・家電製品・観光・水産業・石油・銀・オパール
2.GDP
約 7,680 億 US ドル(2005 年)
3.一人当たり GNI
7,310 ドル(2005 年)
4.実質経済成長率
4.8%(2006 年)
5.物価上昇率
4.05%(2006 年)
緯度
19~26°
時差
マイナス 15 時間
通貨
メキシコペソ(1 ドル=11.08 ペソ、1ペソ=10.45 円
主要な都市
グアダラハラ、モンテレー、ベラクルスなど。観光で有名な場所…カンクン、ロスカボ
(日本は
ス、アカプルコ、オアハカ、タスコなど
隣国
■地図
アメリカ合衆国、グアテマラ、ベリーズ
約 503 兆円、約4兆ドル(2005 年))
(日本は、38,980 ドル(2005 年))
(日本は 1.4%(2005 年))
(日本は、沖縄 24°、北海道
稚内 45°)
2007 年現在)
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■歴史
http://www.lmjapones.edu.mx/
紀元前 12 世紀頃
メキシコ湾岸にオルメカ文明が栄える。
紀元前3世紀頃
ティオティワカン、モンテアルバンなどの都市が築かれる。
3世紀頃
9世紀頃まで、ユカタン半島中心にマヤ文明が栄える。
13世紀頃
現在のメキシコシティを中心にアステカ文明が栄える。
1521年
アステカ王国を、エルナン・コルテス率いるスペインが征服。
1821年
スペインから独立。 1824 年に共和国となる。
1846年
アメリカ・メキシコ戦争 (国土の半分近くをアメリカに割譲)。
1861年
インディヘナ出身のベニートファレス大統領が就任。
1864年
マクシミリアン皇帝(フランス)による統治。
1910年
メキシコ革命
1917年
現行の憲法公布
1938年
外国資本によって支配されていた石油産業を国有化
1970年代
石油資源を元に工業化が進められた高度成長の時代
1980年代
インフレによる深刻な経済危機、対外債務問題
1986年
関税と貿易に関する一般協定(GATT)に加盟
1993年
アジア太平洋経済協力会議(APEC)に参加
1994年
北米自由貿易協定(NAFTA)発効
経済開発協力機構(OECD)加盟
2004年
■国概要
日本とメキシコの二国間自由貿易協定(FTA)締結
http://www.tour.ne.jp/country/country.asp?COUNT_ID=56&fromTop=yes
世界に名立たるビーチリゾート、カンクンやロスカボス、アカプルコを抱える。
またマヤやアステカをはじめ多くの古代文明の遺跡や世界遺産も多く、チチェンイッツア、ティオティワカンなど
多くの観光客が訪れます。
華麗な教会などの建造物も多く、見所として人気です。
メキシコシティの博物館では古代文明の名残の数々を保存しており見応え充分です。
■スペイン語での簡単な表現
「Mucho gusto」(ムーチョ・グスト)=
はじめまして
「Buenas tardes」(ブエナス・タルデス)=
「Buenos días」(ブエノス・ディアス)=
こんにちは(日がある間)。
おはようございます。(お昼ご飯を食べるまで)
「Buenas noches」(ブエナス・ノーチェス)=
「Gracias」(グラシアス)=
こんばんは/おやすみなさい。
ありがとう。
「Amigos」(アミゴス)= 友達(複数)
。
「Oiga」(オイガ)=よう。(軽いあいさつ。主に中米。電話の場合は「もしもし」にあたる)
「Hola」(オラ)= やあ(〃どこの国でも共通。時間関係なしに使用できる)
「Adios」(アディオース) = さようなら.
「Me llamo ~
(
TARO
「Como te llamas?」(コモ
「y usted ?」(イ
ウステ
)?」(メ
テ
ジャーモ
~
( TARO )) = 私の名前は~( 太郎
ジャーマス)= あなたの名前は何ですか?
? )= そして、あなたは?
)です
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■首都メキシコシティーについて
・メキシコシティーは周辺人口を含めると2,200万人をこえんとする世界最大級の大都会です。レフォルマ
通りやインスルヘンテス通りには高層ビルが建ち,地下鉄網・環状道路・オフィス街やファッション街・高級デ
パートなど近代的都市機能を備えています。
気候的には「常春の国」と言われるほど過ごしやすい気候です。雨季と乾季がありますが,年間を通じて,温暖
で湿度の低い快適な気候です。雨期の5月~10月頃は夕方にスコールが降ります。空気の汚れが雨で洗い流さ
れて,適度な湿度になり一番過ごしやすい時期です。
「1日の中に四季がある。」と言われるほど朝昼夜の寒暖の
差は大きいものがあります。
・メキシコの首都。正式には「Distrito Federal」
(連邦区)であり、対外的に通じないので、メキシコシティと呼
ばれている。世界最大の人口(約 2000 万人)を擁する都市。標高約 2,200 メートルの高地にあり、空気が薄い。
世界一の大気汚染とゴミ問題で有名。
現在の街は、アステカ帝国の水郷都市テノチチトランがあったテスココ湖を街ごと埋め立てて建設されたため、
中心街を掘ると遺跡が出てくることもある。また、液状化現象の危険性もあり地震に弱い。
1968 年にはメキシコシティオリンピックが開催された。
レフォルマ通り
スペイン風の西欧の街並み
古代都市テオティワカン遺跡
月のピラミッドと太陽のピラミッド
メトロポリタン・カテドラル(教会)
闘牛
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■カンクン
カンクンは、メキシコのユカタン半島の先にありカリブ海に臨むメキシコ屈指の豪華リゾート。最大幅 400m、
長さ 20km の白砂の砂州で、カリブ海と 2 つのラグーンに囲まれている。 カンクンの魅力は、美しい海と、
足をのばせば触れられるマヤ文明の古代ロマン。ビーチでは、真っ白なパウダーサンドのビーチとターコイズ
ブルーの海、充実したホテル施設とマリーンスポーツを存分に満喫したい。イルカと泳ぐツアーや無人島への
日帰りピクニックツアーなども充実しており、飽きさせない。また、ユンタン半島に残るマヤ文明の遺跡ツア
ーは、他のビーチリゾートでは望むことのできないカンクンならではの楽しみのひとつで、大きな特色だ。
■ロスカボス(Los Cabos)
ロスカボスは、メキシコのバハ・カリフォルニア半島の南端の地域を指します。港のあるカボサンルーカス、
高級リゾートが並ぶコリドール地区、空港があるサンホセデルガボの3つの地域で構成されます。ロスカボス
は釣りも盛んなようで、カボサンルーカスの港にはたくさんの大型クルーザが停泊しています。ダイビングシ
ョップやレストランなどは、カボサンルーカスにたくさんあります。カボという文字が多く使われていますが、
これはスペイン語で岬という意味です。
■アカプルコにあるサンディエゴ要塞
サンディエゴ要塞は、250 年間、 アカプルコとマニラ間に出没する海賊からスペインの貿易船を守っていた
要塞。 1776 年に地震で崩壊したが、 現在ある博物館には当時の輸入品が展示されている。
アカプルコ湾全景
要塞
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■メキシコ-日本間の姉妹都市・県関係
日本側
メキシコ側
仙台市(022-214-1150) -
ACAPULCO 市
1973.10
名古屋市(052-972-3061) -
MEXICO,D.F.
1978.2
大多喜町(0470-82-2111)
CUERNAVACA 市
1978.8
御宿町(0470-68-2511) -
ACAPULCO 市
1978.8
埼玉県(048-824-2111) -
ESTADO DE MEXICO
1979.10
浦和市(048-825-1111) -
TOLUCA 市
1979.10
京都市(075-222-3094) -
GUADALAJARA 市
1980.10
和歌山県(073-441-2056) -
EDO. DE SINALOA
1996.5
宮崎県総合博物館 -
メキシコ市文化博物館
1972.10
鹿島港 -
LAZARO CARDENAZ 港
1981.10
-
提携開始
■経済連携協定(Economic Partnership Agreement/EPA)
経済連携協定とは自由貿易協定と異なり、ただ単に関税を撤廃するなど、通商上の障壁を取り除くだけでなく、
締約国間で経済取引の円滑化、経済制度の調和並びに、サービス、投資、電子商取引等、さまざまな経済領域で
の連携強化・協力の促進等をも含めたものを言う。
・シンガポール
2002 年 11 月 30 日発行
・メキシコ
2005 年 4 月 1 日発効
・マレーシア
2006 年 7 月 13 日発効
・チリ
2007 年 9 月 3 日発効予定
・フィリピン
2006 年締結
・タイ
2007 年締結。
・ブルネイ
2007 年締結
・インドネシア
2007 年締結
■日本との関係
日本が開国して諸外国と通商条約を結んだなかで、1888 年(明治 21 年)メキシコと締結した日墨修好通商条約は
日本にとって初めての平等条約であり、諸外国の駐日大使館のうちでメキシコ大使館のみ東京都千代田区永田町
にある。
19 世紀末には榎本移民団によるメキシコへの移住が始まり、戦後まで続いた。移民者の数は総計 10,000 人余り
に達し、その子孫が現在でもメキシコの各地に住んでいる。その後の第二次世界大戦後の高度経済成長期に日産
自動車や日立製作所、JAL ホテルズや東京海上日動など、重工業から観光業、金融業に至るまで約 300 社にわ
たる様々な分野の日本企業が進出している。
特に日本企業としては最初期の 1966 年 7 月からメキシコ現地工場での自動車生産を開始した日産自動車は、ア
メリカとの国境地帯とメキシコシティーとの中間点に位置するアグアスカリエンテスやメキシコシティ郊外の
クエルナバカに工場を持ち、2004 年度販売台数ベースでトップシェアを誇るなど(親会社のルノーと併せての
台数)現地に深いネットワークを持っている。
メキシコの独立記念日の 9 月 15 日が、かつて日本での敬老の日で休日であったことから、大阪市のメキシコ総
領事館が主催で、「フィエスタ・メヒカナ大阪」というお祭りを領事館の入居している梅田スカイビルのワンダ
ースクエアーで開催している。メキシコ政府が国外で行う文化交流としての祭事としての規模は最大のものであ
る。
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■メキシコ料理、トウモロコシのトルティージャ
http://www.e384.com/imadoki/index.htm
日本は稲作農業が始まり、農耕文明がおこり、それ以来、米が主食であるが、メキシコは、トウモロコシで
ある。メキシコの古代文明は、偏に、トウモロコシの豊作を願う文化、宗教、政治であったともいえるかも
知れない。
メキシコは、紀元前5000年の昔から、トウモロコシを主食としてきた人々が住む地である。そのトウモ
ロコシから作る丸い平べったい柔らかいお煎餅が、メキシコの主食のトルティージャである。スペインの征
服により、小麦が持ちこまれ、パンも多く食べられるようになったが、メキシコ人は、トルティージャなし
では、一日も過ごせないだろう。
豊かな人は、いろんな豊かな食材の豊かな食事をする事ができる訳だが、貧しい人々は、もっぱら、トルテ
ィージャばかり食べてお腹を膨らます。田舎の小さな農家では、自作自活農業で、自分の畑で収穫したトウ
モロコシから、毎日毎日、自家製のトルティージャを、主婦が、一枚一枚手で延ばし、焼いて作る。
でも、田舎の農家でもない限り一般的には、町のどこにでもあるトルティージャ屋から、出来立ての温かい
トルティージャを買ってくる。メキシコ市では、1キロ 6 ペソ(60 円)である。メキシコは昼食が、メイン
であるが、その昼ご飯頃になると、トルティージャ屋の前は、昼ご飯用のトルティージャを買いに来る人が
列をなす。
家族によって、1 キロ、2 キロ~5 キロと、沢山のトルティージャを買っていく。そして、温かいトルティ
ージャが冷めないようにと、トルティージャ用の布に包んだり、トルティージャ入れにいれて、テーブルの
ど真ん中に、ドンと置く。それを、家族みんなが、好きに手で取って、それと、お料理をいっしょに食べる。
トルティージャにお肉やいろんな料理を乗せて丸めて食べるこれがタコス。お豆のペーストをつけたり、ス
ープを飲むのにも、トルティージャを丸めてかじりながら。
主食としてのトルティージャだけでなく、このトルティージャを使って作ったメキシコ料理、また、トウモ
ロコシの粉を使って作ったメキシコ料理などは、もう数限りない。メキシコ料理というと、すぐ、頭に浮か
ぶのが、タコス。トルティージャをトーストしたのが、トスターダ。トルティージャでチーズや野菜や肉や
etc を挟んで、揚げたり焼いたりして、ケサディージャ。トルティージャを油で揚げて、トマトや唐辛子で
作ったソースに入れて作ったのが、チラキーレス。トルティージャに鶏肉など挟んで、それにやはり、ソー
スをかけて作ったものが、エンチラーダ。
トルティージャの前の状態、つまりトウモロコシ粉で作った料理も、いろいろ、タマレス、飲み物のアトレ。
メキシコ料理は、トウモロコシのトルティージャやトウモロコシなしでは、考えられない。
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■メキシコ移住から100年余り
http://kazukari.hp.infoseek.co.jp/number75/topic.html
メキシコ在住10年足らず。その間、色々な日本人に会いました。日系企業の駐在員とその家族、移住してきて
商売をしている人々、メキシコ人と結婚した人、2世の人たち、そして、もう日本語も話さず、顔もメキシコ人
になった日系3世、4世の人たち。街でも話をしてみると苗字が日本人…。「えっ、日系の方ですか?」と聞く
と、「そうです、おじいさんが日本人でした」という人もいます。
日本人がメキシコに移民として来るようになって百年余り。メキシコ人は親日家で日本の物に興味があるのは、
これら百年前からメキシコに来て、努力の末メキシコ人の尊敬を勝ち取った日系人がいるからです。
…中略…
睡眠薬を飲むうちに、頭の毛や髭が白くなってゆくことに気づいた。友人からの借金も断られた。妻に、「人に
頼ることばかり考えず、自分で努力しなければいけない」と言われ、改めて妻の強さを知った。この3ヶ月ほど、
人生を長く感じた時はなかった。庭園管理(マンテニミエント)の一定収入だけでは、生活に余裕がないので、
他に仕事と求めて建築現場を回った。最初の仕事が、建築会社の社長をしているアラブ人の別荘(1600平方
メートル)だったが、金払いが悪く、散々泣かされた。クエルナバカは、保養地で別荘が沢山ある。その持ち主
の多くが、ユダヤ系メキシコ人である。彼らの仕事を良く引き受けたが、あまり利益にはならなかった。支払い
になると、彼らは非常に冷酷になれた。
…中略…
メキシコにはいろんな人種が住んでいる。お人好しの日本人は、真面目で仕事熱心で信用されているが、尊敬さ
れてはいない。私も、ユダヤ人からバカ正直と言われた一人である。日本人はまた、人をたやすく信用する。人
を信ずることは、日本人の美徳でもあるが、国際社会では、あまり通用しない。ユダヤ人からは散々な目にあっ
たが、ドイツ人は、信頼するに足りる民族である。独立した頃、植木栽培をしているドイツ人一世に助けられた
ことがある。私が困っているとき、植木を貸してくれた。ユダヤ人もドイツ人も強い国民性を持っている。自分
達のアイデンティティに誇りを持ち、己の優秀さを十分承知している。いまだに、自分達を宗主国のように考え
ているスペイン人やフランス人、帝国主義で迫ってくるアメリカ人、お人好しの日本人、植民地意識から抜けき
れないメキシコ人、それぞれが利害関係で結ばれている。人種差別をしない国、陽気なメキシコ人、外国人にと
っては、居心地の良い国である。
…中略…
一世の人たちの生活は難しいです。一世の人は日本で生まれて考え方や習慣を習わなければならなかったので
す。でも、外国人だからたとえ生活に適応同化できなくても自分の事が弁明できます。その上に、日本の考え方
もなかなか変わりません。「日本人はずっと日本人である。他の国で生まれても日本人の血が流れていれば日本
人だ」という考え方をもっています。日本人に見えるので外国人と呼ばれる反面、日本にいる場合は日本人に見
えるけれども、自分は外国人です。両方の文化を持ち続けるのは大変です。そのうちだんだん国籍がはっきりし
なくなるのです。家の中で日本の言葉と習慣、そして、外でメキシコの言葉と文化。でもそれを利益と考えると
個人のためにもなります。いっぺんに二つの言葉が習えます。知識が増えて、それで考え方が広くなります。
ほとんどのメキシコの一世はメキシコ人との国際結婚に賛成していません。人種の偏見ではなくて、社会の習慣
が違うからです。日本人の目から見る女性の立場、身分はメキシコとは違います。今日、日本の女性の考え方は
変わっているはずです。けれども日本の女性の考え方が変わっても、メキシコ人の考え方と同じにはなりません。
日本人は日本人ですから、メキシコの習慣とは違います。一世の人は一度日本に戻りたいと思っています。自分
ではなく自分の子供たちにも日本に行って日本を見てほしいと思っています。まだ家名と日本の文化を失いたく
ないのです。そして、ちゃんと子供たちに日本の事を教えたいという望みがあって、日本へ子供を送って、日本
と日本の事を理解してほしいと思っています。一世は日本人と一緒にいるほうが気楽なのです。
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■最近のトピックス
「インカ・マヤ・アステカ展」
7月14日より国立科学博物館にて開催
◆7 月14日-9月24日 インカ・マヤ・アステカ展 国立科学博物館
http://www.3bunmei.jp/
(上野)
その後、神戸、岡山、福岡に巡回予定
世界遺産の宝庫
中南米三大文明
「インカ・マヤ・アステカ」の謎にせまる http://www.3bunmei.jp/
関連番組放映
NHKスペシャル「失われた文明
インカ・マヤ」http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/
世界遺産の宝庫中南米
中央・南アメリカでは、110を超える世界遺産が登録されており、インカ、マヤ、アステカ文明に関しては、グ
アテマラ、メキシコ、ペルーなどの国々に十数件の世界遺産が存在します。
中でもインカ帝国の古代都市マチュピチュは、NHKが番組内でおこなった投票「世界遺産 絶景! これが見たい
ベスト30」でも、2位以下を大きく引き離して1位に選ばれるなど、高い人気を誇っています。
マヤ文明
マヤ文明は中米のユカタン半島を中心に2000年にもわたって栄え続けた文明である。
小さな都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、統一されることはなかった。
マヤの人々は高度な建築技術や暦、複雑で独特の絵文字を持つ一方、鉄器などの金属器や車輪、牛や馬などの家畜
を持っていなかった。なぜ川さえもない密林に高度な文明を育むことができたのか。
マヤの王と彼らが闘った戦争を中心にこの文明を紹介する。
密林のピラミッド群
鬱蒼としたジャングルの中に突如現れる階段ピラミッド。
紀元前4世紀から紀元後10世紀ごろまで1200年以上にわたり栄えたティカルは、マヤ文明を代表する遺跡と
して今日までその姿をとどめている。遺跡内の数々のピラミッドは、かつては赤く塗られていたと考えられ、周囲
を取り囲む木々の緑と強烈なコントラストを見せていたことだろう。ピラミッドの正面には王の姿とマヤ文字が刻
まれた石碑が据えられているものも多く、今回の展覧会ではそのような石碑が3点来日する。
アステカ文明
アステカは14世紀から16世紀に現在のメキシコ中央部に栄え、
首都のテノチティトラン(現在のメキシコシティー)は当時の世界有数の規模を誇る都市であった。
人々は独自の絵文字を持ち、精密な天体観測を基につくられた暦を使用していた。
一方、太陽神をはじめとする様々な神々を信仰し、生きた人間の心臓を神に捧げる生贄(いけにえ)の儀式がさか
んに行われた。人々が信じていたもの、祈りをささげたものは何だったのか。
アステカの神と儀礼を中心にこの文明を紹介する。
メキシコシティーの地下に眠るアステカ王国の主神殿
~湖上の首都テノチティトラン~
かつてのアステカ王国の首都は湖に浮かぶ島の上に築かれ、その人口は、20~30万にのぼったと推定される一
大都市であった。スペイン人の征服後、アステカの都は跡形もなく破壊され西洋風な街並に変貌した。
1979年、メキシコシティーの地下から、かつてのアステカの首都の中心にそびえていたピラミッド神殿が発見
された。この神殿がまさに、アステカの神官たちが神々に生贄(いけにえ)の心臓を捧げていた場所であった。展
覧会では今なお発掘が続くこの中心神殿の発掘品の数々を日本で初めて紹介する。
太陽に生贄(いけにえ)の心臓を捧げる信仰
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■最近のトピックス
フィエスタ
メヒカーナ東京、大阪、名古屋で開催
◆フィエスタ・メヒカナ大阪
http://www.skybldg.co.jp/event/mexico.html
2007年9月15日(土)~17日(月・祝)開催時間:12:00~21:00(最終日 20:00 まで)
場所:ワンダースクエア(梅田スカイビル)主催:フィエスタ・メヒカナ実行委員会
総合案内:06-6440-3899
フィエスタ・メヒカナ大阪はメキシコと日本との友好を深めるためにメキシコ大使館と共同で開催されるもの
です。メキシコの陽気で明るい文化に触れると、力が自然と湧いてきて元気になりますが、スローガンの「アミー
ゴよフィエスタメヒカナ de あおう!」はまさにこの祭で友だち(アミーゴ)になった方々に年 1 回再会し、親交
をより深めようという意味です。
このイベントは今年で11回目の開催となり、すっかり国際集客都市大阪での代表的なイベントへと成長しまし
た。特に、大阪のフィエスタだけにとどまらず、箕面市。東大阪、奈良市という具合に関西地区でのメキシコとの
友好の絆のネットワークが広がったのもこのフィエスタ・メヒカナが発信源です。
今後もよりいっそうメキシコの熱い息吹を感じていただきメキシコ文化を楽しむことで、メキシコと日本との市
民レベルでの交流が一層深まることを目指して開催いたします。
観光
今年もメキシコで最も人気の観光スポット「カンクン」を中心にメキシコの特選観光地の魅力をご紹介し
ます。
観光
今年もメキシコで最も人気の観光スポット「カンクン」を中心
にメキシコの特選観光地の魅力をご紹介します。
物産
色彩豊かな陶器や珍しい民芸品などを紹介。
ソンブレロや民族衣装もメキシコに行かずに購入していただけます。
参加と交流
子どもの遊び「ピニャータ」やクイズ、ダンスレッス
ンでたくさんの人とアミーゴになろう。
料理
タコスなどのメキシカンフードをコロナビールやテキーラと
共に楽しもう!