394 新田次郎が語る加藤文太郎

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新田次郎が語る加藤文太郎
加藤文太郎さんとは冬富士で一度だけ会いました。私は当時気象台に職員で富士山観測所
に勤務しており、交代勤務のための登山する途中で彼と遭遇しました。私たちは5合5勺に泊
まって2日がかりで登ったのですが、彼は1日で登りました。突風が吹きまくる富士山の氷壁
を、まるで平地を歩くような速さで彼は歩いていきました。私たちは、天狗のような奴だだな
と言いながら見送ったものでした。
私は後に彼を主人公にした小説“孤高の人”を書きましたが、このとき彼と会っていなかっ
たら、おそらく筆を取らなかったでしょう。ちょっと顔をあわせただけでしたが、何か心の中
に残るものがあったのです。小説の中で歩く加藤さんの姿は、そのときの姿であり、小説の中
でときどき使った、不可解な微笑も、5合5勺の避難小屋で彼が浮かべていた顔つきでした。
そのとき彼は、アルコールランプに火をつけて、コッフェルで湯を沸かしていました。湯が沸
くとその中に、ポケットからひとつまみの甘納豆を出して投げ込み、スプーンですくっておい
しそうに食べていました。
「まだ日が高いのにここに泊まるのですか」、
彼はこんな意味のようなことを言いました。そのときはもう2時近くになっていました。冬の
午後3時は行動停止の限界でした。
「もう間もなく暗くなります」、私は時計を見ながら加藤さんに言いました。すると彼は、そ
のとき、にやっと、まことに不可解な微笑を浮かべて
「そうですか、私は頂上まで行ってみたいと思います。頂上には観測所があるのですね」
と聞きますから
「観測所があって所員が5人います。泊めてもらったらいいでしょう」
といってあげました。彼は甘納豆を食い終わるとすぐに出発しました。
そのときの不可解な微笑について、花子夫人に聞きますと、
「それは照れ隠しの微笑であって、誰でも慣れるまではちょっとへんに思われますね」
と言うことでした。 小説の中では、この不可解な微笑がたいへん役に立ちました。花子夫人
は
「加藤文太郎という実名小説にしてください」
と一本釘を打ち込まれたことです。この釘は最後まで私の筆
をおさえつけました。実名小説になると、へんなことは書け
なくなります。御遺族や御親戚がおられるからです。
しかし加等さんという人は、誰に聞いても、いい人だった
から、実名小説でなくても、やはり“孤高の人”の中に出て
くる加藤さんのような人を書くことになったと思います。
(昭和 45 年8月、NHK 朝の対談より)
兵庫県
浜坂町