70 歳 太平洋処女航海 村田 和雄氏(電化 昭和 34 年卒) 元ユアサコーポレーション代表取締役専務 村田氏は 横浜国大ではヨット部に所属、1959 年関西の湯浅電池に就職した。 3年後に堀江謙一氏のヨットによる単独太平洋横断の報に接して、感動するも既に仕事に専念していたので ヨットの活動は封印した。 しかし56歳からはチャンスの可能性を信じて体力作りに励みレーザーというディンギーにのりはじめ世界選手権に も出場。 更に時を経て 湯浅電池の専務取締役を65歳で終え、台湾企業の上級顧問をしながら いよいよ、単独横断の準備に はいる。 やがて、和歌山での3ヵ月半にわたる一人合宿等で調整の後、2007 年 5 月 21 日 静かに和歌山の港をでる。 航海中は、曇りか霧の毎日で、晴天の日は極めて稀だった。 海が荒れ、波の上から叩きつけられるように横倒しになったが幸い無事に復帰することができた。 まったく風のない海の上では、小さな帆掛け舟のような生物やめだかやミミズのような生物を観察することができた。 航海は風による自動操舵方式を採用していたが、睡眠中に風の方向がかわり、 真夜中にアメリカ大陸にあと4マイ ルまで接近してしまったが、危機一髪で衝突を避けることができた。 現地の暦で 8 月 23 日到着。 ゴールデンブリッジ付近ではサンフランシスコヨットクラブからの 出迎えを受ける、 上陸後は、サンフランシスコヨットクラブやホスト家族の大歓迎をうけ、約一ヵ月滞在後帰国する。 詳しくは http://www.zoomin.co.jp/patbank/books/shojokoukai01.html を参照ください。 また オリジナルシーブイ末次氏の 以下のページに書かれた http://www.originalcv.com/originalcv/mailmaga/wlog/archives/2007/08/post_33.html wisdom に関する 感動的なやりとり も参照願います。 本文は、池田浩隆氏(電化 昭和 42 年卒 元ユアサコーポレーション)により纏められた。
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