「『世界の構造変化』の生きた力(上)」(「民主青年新聞」2014年3月10

【「民主青年新聞」2014 年 3 月 10 日付】
「世界の構造変化」の生きた力(上)
日本共産党国際委員会 米沢博史
〔執筆 2014 年 2 月上旬〕
世界のニュースを、1つ1つバラバラに見ているだけでは、世界がどの方向に進んでい
るのかよくわかりません。世界の発展を科学的に理解するには、ある程度、長い目で見る
ことが必要です。まず、時代を少しさかのぼって世界がどう変化しているのか学んでみた
いと思います。
●国連憲章に基づく平和の国際秩序をめざす流れの発展
11 年前の 2003 年 3 月、読者のみなさんの多くがまだ子どもだったころ、米国など一部
の国が「有志連合」を名乗って、イラク戦争を始めました。
イラクの当時のフセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っていると決めつけて、軍事介入
を認める国連安保理決議がないまま、戦争に突入したのです。
しかし、フセイン政権を倒したものの大量破壊兵器は見つからず、戦争は泥沼化して、
多くの市民が犠牲になりました。それでも戦争を続ける米国のブッシュ共和党政権は、国
民の支持をも失い、国内外で孤立を深めました。
この戦争にたいして、
「国連憲章のルールを守れ」を共通の要求とする世論と運動が世界
各地で起き、大きな国際的流れに成長していきました。
それから 10 年後の昨年、米国など一部の国が、シリアのアサド政権が化学兵器を内戦で
使用した可能性があるとして、シリアに軍事介入を行なう構えを見せ、世界に緊張と懸念
が広がりました。
ところが、米国が最も頼りにしていた英国が、議会で軍事行動を否決したために不参加
を表明。国連安保理でも軍事介入を容認する決議をあげることができず、さらに国連事務
総長から「安保理決議のない軍事行動は、国際法違反」とクギをさされてしまいました。
結局、ロシアの提案を受け、この問題は国連に委ねられました。国連安保理は、シリア
に化学兵器の廃棄を義務づける決議を採択。軍事介入ではなく、シリアの化学兵器を国際
的に管理して廃棄すること、そして内戦についても、国際会議を開催して当事者間の交渉
による解決をめざすことを決めました。
どんな大国であっても、国連憲章を踏みにじった軍事介入は簡単にはできない世界へと
発展してきているのです。
●植民地体制の崩壊から大国中心の時代の終わりへ
この世界の発展の流れの奥底には、20 世紀に起きた世界の大きな構造的変化があります。
その最大の変化は、植民地体制が崩壊して、民族自決権が国際政治秩序の大きな原則と
なり、100 を超える国々が新たに政治的独立をかちとって主権国家になったことです。そし
て、これらの国々が国際政治の表舞台に登場し、世界を動かす大きな流れに発展してきて
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いるのです。
植民地からの独立の流れ
16 世紀以降、欧州で資本主義が生まれ発展していくなか、植民地が世界規模に拡大して
いきました。初めはポルトガルとスペイン、その後、フランス、オランダ、英国など「列
強」と呼ばれる国々が、中南米、アフリカ、アジアを植民地にし、その収奪によって巨大
な利益を上げました。19 世紀末には日本が植民地争奪に加わりました。
植民地支配下に置かれた国々では、現住民の奴隷化をはじめ差別と抑圧を受け、多くの
人が犠牲になりました。さらに、宗主国(植民地を持つ国)の利益を優先する植民地経営
によって、経済構造まで歪められてしまいました。
その結果、政治的に独立した後も、経済的に宗主国に依存せざるを得なくなるなど、自
立的発展が妨げられ、貧困と格差の拡大、汚職などに長期に苦しめられる国が少なくあり
ません。
1917 年にロシア革命を成功に導いたレーニンは、第一次世界大戦は植民地の再分割の戦
争だとその本質を解明し、政権を取ると直ちに「平和に関する布告」を発表。すべての交
戦国に対し無賠償、無併合、民族自決に基づく即時講和を提案しました。
すると米国のウィルソン大統領は翌年、それに対抗する形で、「14 カ条の平和原則」を
提案し、ドイツの降伏を引き出しました。
この 2 つには大きな違いがありました。レーニンの「布告」では、植民地を含む民族自
決権の全面的な承認を求めたのに対し、
「14 カ条」では事実上、ドイツ帝国やオーストリア・
ハンガリー帝国、オスマン・トルコなど英仏の敵国の領土に限定されていたのです。
しかし、民族自決の原則は、14 カ条の適用外だった植民地や半植民地でも、独立運動を
大きく励ましました。
植民地の政治的独立は、第二次世界大戦後、本格的な流れに発展していきます。
アジアでは、1945 年の日本の敗戦を機に、日本の占領下に置かれたアジア諸国が次々に
立ち上がり独立していきます。47~48 年には南アジア諸国が英国から独立。さらにその波
は 1950 年代~60 年代にアフリカ大陸に及びました。とくに 1960 年は 17 カ国が独立し「ア
フリカの年」と呼ばれました。62 年には、アルジェリアが 8 年間に及ぶフランスとの戦争
の末に独立を達成し、この流れを促進しました。
国連の加盟国数は、創設時(1945 年)の 51 カ国から現在 193 カ国まで増えており、そ
の大半が植民地から独立した諸国です。
民族自決権が世界の公理に
独立を達成したアジア・アフリカ諸国は 1955 年 4 月、アジア・アフリカ会議(バンドン
会議)をインドネシアで開催。
「世界平和と協力の推進に関する宣言」を採択して、大国に
左右されずに国際政治に関わることを示しました。この流れは、61 年の第一回非同盟諸国
首脳会議を経て、どの大国とも軍事同盟を結ばない立場を取る「非同盟運動」に発展して
いきます。非同盟諸国は現在 120 カ国と、世界の圧倒的な多数派です。
独立を達成した旧植民地国が次々と国連に加盟するなか、国連にも変化が起きます。国
連総会は 60 年、
「植民地独立付与宣言」を採択しました。
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宣言はまず、
「いかなる形式及び表現を問わず、植民地主義を急速、かつ無条件に終結せ
しめる必要がある」と表明しています。そして「外国による人民の征服、支配及び搾取は、
基本的人権を否認し、国連憲章に違反し、世界平和と協力の推進に障害となっている」と
外国支配を違法としました。さらに 「すべての人民は自決の権利をもち、この権利によっ
て、その政治的な地位を自由に決定し、その経済的、社会的及び文化的向上を自由に追求
する」と民族自決権を規定しました。
この民族自決権は、1966 年国際人権規約、70 年国連総会決議「友好関係原則宣言」など
を通じて国際秩序の原則としていっそう明確にされていきます。
こうして、国連が創設された 1945 年には、約 7 億 5 千万人、世界人口のほぼ 3 分の 1
が植民地のもとに置かれていましたが、現在、未独立の 16 の非自治地域に暮らすのは、200
万人以下にまで減っています。
ソ連解体がもたらした変化
1991 年 12 月には、ソ連が解体しました。ソ連ではレーニンの死後、スターリン以降の
歴代指導者が、68 年のチェコスロバキア侵攻、79 年のアフガニスタン侵攻など他国への軍
事介入と政権転覆を平然と行なうなど、社会主義とはまったく無縁な覇権主義国家に変質
してしまいました。
ソ連解体は、その覇権主義国家が無くなったというだけでなく、もう一つの超大国であ
る米国の求心力をも弱める結果となりました。世界各国はもはや、米ソのどちら側に付く
かにしばられずに判断できる行動の自由を手にしたのです。
こうした変化があったからこそ、2003 年のイラク戦争に、ドイツやフランス、カナダな
ど米国の同盟国を含め世界の約 7 割もの国々が反対や不同意の声をあげることができたの
です。
●アメリカの変化と軍事的覇権主義
こうした世界の「構造変化」のなかで、米国も世界に対する影響力を確保するためには、
強大な軍事力に頼るだけでは難しくなり、
「一国覇権主義」と呼ばれる単独行動主義を改め、
外交にもある程度の重点を置くように変わらざるを得なくなっています。
2009 年 1 月に誕生したオバマ政権は、オバマ政権はイラク戦争の誤りを認め、11 年
12 月にイラク戦争の終結を宣言して、米軍を撤退しました。
2013 年 11 月、ケリー米国務長官は、ラテンアメリカ諸国の代表の前でおこなった演説
で、中南米を米国の支配圏に置く「モンロー・ドクトリン」
(1823 年)の終結を宣言し、
「互
いを平等と見なす」と表明しました。
2013 年 9 月には、オバマ大統領は、米国大統領としてイラン革命後初めて、イランの大
統領と直接、電話会談を行ない、イランの核問題を外交的解決の方向に導きました。
米国は 09 年 7 月に東南アジア友好協力条約(TAC)に加入し、11 年 11 月から東アジア
首脳会議(EAS)に参加するなど、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心とする地域機構
に積極的に関わり、外交の力で影響力を高める努力を行なっています。
中国に対しては、同盟国との軍事同盟の強化や ASEAN への積極的な関与でけん制しつ
つ、米中首脳会議などを通じて米中関係を強めるという2重の接近をしています。
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オバマ大統領は 2013 年 6 月の米中首脳会談で、
「継続的で率直、建設的な対話と交流が
今後の両国関係を形づくる上できわめて重要」
「中国が引き続き平和的に台頭することを歓
迎する」と述べています。そして、「競争と協力」の側面を含む「大国間の新しいモデル」
をつくる方向で関係を発展させることを確認し合いました。
もちろん、オバマ政権が、地球的な規模で軍事介入と干渉の態勢づくりを推し進めてい
ることを軽視するわけにはいきません。
米軍が無人機を使ってアフガニスタン、パキスタン、イエメンなどの他国で攻撃を行な
い多くの民間人犠牲者を出していることも国際問題になっています。
アジアでは、日本、韓国、オーストラリアと米国との 2 カ国間の軍事同盟を強化し、こ
れらの国々での軍事プレゼンス(存在)による米国の影響力の確保を目指しています。
日本では米軍基地の再編・強化を進め、とくに沖縄県民の反対の声にもかかわらず、名
護市辺野古の新たな軍事基地の建設にしがみついています。
安倍政権が、日米軍事同盟を絶対視し、米国の軍事的覇権主義につき従っていることは、
国連憲章に基づく平和の世界秩序を求める歴史の流れに逆行するもので、未来はありませ
ん。
(つづく)
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