新年がスタートします。 夢に向かって、一歩踏み出す 1 年にしませんか。 一歩踏み出す人が増えれば、やがてまちも飛躍します。 夢への一歩 皆さんのチャレンジ宣言 2012 年 あなたの 一歩踏み出したい ことは? 髙松保乃香さん・笠間夏貴さん・大森眞結さん 野村洋子さん・恭平くん(神崎) (伊予高 3 年) (松前小1年) ・山本康平くん (松前小5年) (左から)東地真吾くん ・東地拓磨くん(松前小 3 年) 東地海都くん(松前小 6 年) (左から)續田沙也加ちゃん・山田遥菜ちゃん 成田朱里ちゃん・安藤佳乃ちゃん(松前小3年) 3 2012-1 ❖ 広報 まさき 常盤美代子さん (筒井) 重川潤さん・美那さん(昌農内) ・明智あかねさん(南黒田) 山﨑紀弥さん(徳丸) 二宮ひとみちゃん(松前小4年) る こ と が 不 可 欠 と 考 え、 「見 年 ました。そんなフットーク抜 制して初当選しました。 記者時代の経験から、行政 の見えにくさ分かりにくさを 解消したいと考えていた白石 町 長。と 同 時 に、全 て の 町 民 に平等で公平な町政が執られ 不安もあったが、気力・精神 えたいと思った。年齢的には う町民の方々の声を受け、応 る段階に来た。車両貨物基地 この他、国体に向けたホッ ケー場の建設も具体的に進め い。 都市が松前町に合うのか、子 交流を進めたい。どのような 提携などを視野に入れた国際 ちに国際感覚は必要。単に復 4期目のスタートに当たり、白石町長にまちづくりへの決意と抱負を聞いた 1期4年、その4年間をど のようにやるかを常に重視し 力は十分にある。これまで同 の移転に伴う沿線整備と併せ どもたちに投げかけるのもい 「権腐 年」。この言葉を自 分への戒めとして心に持っ ―4期目挑戦への経緯は 年の松前町発展の んに理解してもらえたこと 勢を貫き、それを町民の皆さ が け た。施 策 以 前 に、こ の 姿 き、同じ目線で話すことを心 神。で き る 限 り 地 域 へ 出 向 クリーンな行政を」という精 域防災力の向上を図りたい。 民相互の助け合いのできる地 中心とした避難訓練など、住 詰所の整備、自主防災組織を の整備も急務。第1分団消防 なかった北黒田海岸の防波堤 進める。長年改修ができてい 所になる小中学校の耐震化を なまちづくりのために避難場 特に防災については東日本 大震災を教訓に、安全・安心 防災と環境。 催や松前町版B級グルメ(地 大レクリエーション大会の開 これまで以上に町全体の団 結心の醸成を図りたい。町民 づくりの抱負は ―笑顔あふれるライフタウン けなども考えていきたい。 館」 「顕彰館」としての位置づ ら、後 世 へ 伝 え ら れ る「 記 念 がある。住民の声を聞きなが 整備についても検討する必要 義農作兵衛の遺徳を伝える ために、老朽化した義農神社 と期待している。 の健康増進施設として役立つ て、松前町だけがよくなるの 援しようという気持ち。そし あれば、松前町民みんなで支 ないのは、困っている地域が 東日本大震災を受けて私た ちが大事にしなければなら 集していこう。 一人一人の力、地域の力を結 立 し た ま ち と な る 一 番 の 力。 加 」の ま ち づ く り。こ れ が 自 ちをよりよくする「町民総参 イデアを出し合って一緒にま これから重要になってくる のは、町民みんなが意見やア の国際交流を目指したい。 いだろう。松前町オリジナル ―3期 年を振り返って てきた。それを3期積み重ね 様 に 町 の た め、町 民 の た め、 て計画したい。国体後は町民 てきた。首長という立場が長 環境政策については、ごみ の減量化や省エネルギー化 域 の 味 自 慢 )大 会 な ど、全 町 ではなく、互いに支え合い刺 活させるのでなく、姉妹都市 てきたと実感している。 4期目に挑むことを決めた。 くなれば惰性、偏りやおごり に一層力を入れ、バイオマス 民が自由に参加でき、楽しめ 激し合うことが大切。共に一 一端を担ったと考える。 4期目については非常に 悩んだが「町がいい流れに向 に刻んできた。 ―4期目の重点 施 策 は 1期目就任当初から変わ らないのは「見える、分かる、 が出る恐れがある。だからこ タウン構想の実現を推進した るものを提案していきたい。 が、この そ、2期目からこの言葉を胸 い。未来を担う子どもたちが う。 た環境教育の充実も欠かせな 歩前へ、一つ上へ進んでいこ 関心を持つよう、体験を通し 子どもたちの海外派遣再開 も目標の一つ。今の子どもた かっているから継続を」とい 2012-1 4 ❖ まさき え る、分 か る、ク リ ー ン な 行 政を」という精神で3期 松前町長選挙で再選を果た した白石勝也町長の4期目が 群の行動力は、大勢の町民か 「町民の皆さんと行政が知 恵と力を合わせる『町民総参 ら支持され、人望を集めまし 受けました。 松前町のさらなる飛躍に向 け、白石町長は再び町政推進 加 』で、一 歩 上 を 行 く ま ち づ くりの実現を目指したい」 持 し、町 政 を 推 進 し て い く のかじを取ります。 し、町民と一体となって歩ん でいきたい」と決意を述べま した。 11 白 石 町 長 は、平 成 年 月、新人3人による選挙戦を 11 一歩上を行くまちづくりを目指す 職員に出迎えられながら初登庁する 白石町長 覚悟です。皆さんの力を結集 飛躍に向けて、健全財政を堅 庁舎内で行なわれた訓示で は「 こ れ か ら も 自 立・ 共 生・ 100人の職員から出迎えを 12 能な限り町政に反映してき スタートしました。 た。 域の課題などを直に聞き、可 た白石町長。町民の不安や地 へ出向き、町民と対話してき この間、各地域の文化祭や 敬老会など、できる限り地域 を全力で走ってきました。 12 白 石 町 長 は、 月 日 午 前 9時に初登庁。役場玄関で約 4期目・始動 12 広報 2012-1 ❖ 広報 まさき 5 白石町政 12 12 10 きっかけは電 車の中 吊 り 広告でした。 思い立ったら即 行 動 する 浮穴さん。さっそく、本やイ Person 神崎 日の 問自答していました。 ん。次はフルート。みんなに どの避難 所にも笑顔はあ りませんでした。子どもたち 味を示すも、笑ってくれませ は人形のケンちゃんに少し興 「行くべきか…」 3月 日に発生した東日 本大震災。テレビを見ていて 吹いてもらっていると、 一人の 中 学 生が思いきり 息を吹き 鍋など)を購入し、水、日持 炊道具(携帯用ガスコンロ、手 人形ケースにフルートを入 れ、車に積み込みました。自 笑ってくれたと言います。 の音じゃ」と、やっとみんなが 音はトイレの水を流したとき 込み、 「ゴー」という 音。す ると一人のお年 寄りが「その ちの良い食糧、毛布、滑り止 めを含めた寒さ対策を準備。 みであること、フルートと腹 連絡し、衣食住は自己解決済 認。該当の社会福祉協議会に 変なことになっていて」 も、帰ったら原発で福島が大 「私のボランティアはこれで 終わりと思っていました。で 「 どこの避 難 所に 行 く か、 人 数、市 町 村 名 を新 聞で確 話術を使った一人ボランティ ことを説明しました」 アで少しでも笑顔を届けたい 河田さんは6月 日、福島 へ向けて出発。さらにもう一 8日に帰宅しました。 岩手と宮城の避難所数カ 所を回って、河田さんは5月 んは決断します。 最後の奉仕と思って、河田さ 60 02 そして 年8月、前の職場 で知り合ったという美雪さん あったので」 携わっていたときの畑が2反 父が兼業農 家として農業に 町には 祖 母 が 住 み、以 前 祖 て。松山市出身ですが、松前 「 生まれ故 郷ですからね。 地元 を 盛 り 上げ たいと思っ だのは、地元愛媛でした。 にある中で、浮穴さんが選ん 栃 木 など、農 業 大 国が近 く 気がつけば就農場所を考 えていま し た。茨 城、千 葉、 思いました」 歩踏み出しました。 21 を連れ、Uターン。結 婚、新 居建築、就農―と、目まぐる しい2年を過ごしました。 現 在 は5 反 でレタス、枝 豆、ネギを栽培しています。 「今、とても充実していま す。手を掛けようと思えばい くらでも愛 情を注ぐことが できる農業。楽しくて仕方あ りません。いずれは法人化し たい」と夢を語る浮穴さん。 人生のモットーは、 「やらずに 後悔するよりも、やって後悔 する」 。 浮穴さんが踏み出した一歩 は、確実に前へと向かってい ます。 2012-1 6 ❖ まさき 具体的な日時と場所は現 地についてからということで、 岩 手 を目 指 し、4月 発して 時間後でした。 と駐車場を見つけたのは、出 警備員が満杯の手信号。やっ ビスエリアに入ろうとしても、 上しました。仮眠のためサー 潟、磐越道経由で東北道を北 真夜中に車で出発。米原、新 29 も自分の無力感ばかり。 代 歳の春。河田修さん=神 崎=はフルートを見つめ、自 河田 修さん Person フルートと人形片手に 松前町役場から東へ5分。 鮮やかな 緑 色のレタス畑が 「ふと見た中 吊 り 広 告に、 『農業で稼ぐ』ってあって。当 ンターネットで農業について 単独で被災地支援へ 広がっています。作っている 時、営業をやってて、自分が 調べました。調べれば調べる かった。だから、「ありかな」 っ 古泉=。実は浮穴さん、2年 納 得しない商品でも売らな ほど、その気持ちは確信に。 てピンときて」 前に東 京のアパレル系 会 社 きゃいけないことに違和感を )=東 を脱サラ。農業をすることを 感じていました。売るなら自 のは浮穴佳温さん( 決意し、愛媛県にUターンし 分が納 得したものを売りた 「自分でつくって自分で売 れる農業は、究極の経営だと 常に今の自分を超えていくには、どうすればいいのでしょうか。松前町にはこんな一歩を踏み出した人がいます。 てきました。 Kawada Osamu 東古泉 けれど、実際に行動に移したり、続けたりするとなると、くじけそうになることもあります。 東京からUターン 浮穴佳温さん 町民もまちも、さまざまなことに一歩踏み出そうとしています。 アパレル業から農業へ 01 11 広報 2012-1 ❖ 広報 まさき 7 20 21 30 69 Ukena Yoshiharu 2011 年 私が踏み出した一歩 楽しませる喜びを感じま う に なったの は、先 生の たことは、私たちの励みで います。新規就農してくれ 人が見守っているんだと思 ま す。悩 ん だ と き は、ア 一歩を踏み出し続けてい な目標を持って、新しい 温かく包んでくれる家族 ド バ イ ス を く れ る 先 輩、 ます。 れています。 る美雪さんの姿があり ま そして、佳温さんのそば にはいつも、陰ながら支え ん重要ですが、周りの環 自分が持つことはもちろ たからこそ。その勇気を 思いますが、付いてきてく 人がいたら、その人のた 頑張れと言ってくれる 人、親身になってくれる 境、支えも大切です。 す。 は、踏み出す一歩があっ 河田さん浮穴さん共 に、今 の 二 人 が あ る の が、その一歩を支えてく 「私たちは既 鐵さんは、 成観念が邪魔するけど、浮 穴 く んは 挑 戦 す る。そ う いった違 う 感 覚に刺 激 を 受けました。これからも刺 激を受けたいし、何かあれ ばいつでも頼ってほしい」と 話します。研修が終わって もつながりは消えません。 れて。いつも支えてくれて め に も や ら な け れ ば と、 佳温さんは「知らない土 地に来るのは不安だったと います」と感謝します。 ものです。 が、そんな美雪さんの心遣 せんでした」と謙遜します めることぐらいしかできま 布団を敷いて、お風呂をた 当を作って、あったかいお て肉体労働。おいしいお弁 勢の人と人とのつながり 入れてくれる家族…。大 指 導 し て く れ る 先 輩、 刺激し合える仲間、受け ら生きています。 り、支えられたりしなが 人は一人では生きてい けません。誰かを支えた また、勇気が湧いてくる 美雪さんは「研修中は心 配でした。今までぬくぬく いが、佳温さんにとっては一 は、くじけそうな一歩を の職 場 だったのに、一転し 番の支えでした。 の踏み出す一歩が、誰か の一歩を支えます。 支えてくれます。あなた 佳温さんの一歩は、たく さんの優しさで支えられて いました。 2012-1 8 ❖ まさき 一歩を支えたヒト・モノ・コト 一歩を踏み出すために必要なことって何でしょう。 先に紹介した二人の舞台裏の「ヒト・モノ・コト」 を 探 り ま す 。 きっかけで始めたもの。 に知られざるドラマがあ おかげです」ときっぱり。 ターで は な く、ひ よこ 会 りました。 した。先 生は明るく 元 気 単独で被災地支援に向 かった河田修さん。 「自分 の生徒に教 えてもらっ で、心 か ら 尊 敬 す る 人で た 腹 話 術 と、ギターの 次 河田修さんは、日ごろ から、あらゆるものに触 「 定 年 退 職 後、ギ タ ー をやろうと思って入った に 始 め たフルー ト、そ し れ、大勢の人に出会って の衣食住を構えていくこ てユーモアあふれる司会 い ま す。そ の 中 で、恩 師 う まく なったら卒 業 というシステムのひよこ で、大 勢の仲 間 とと もに や切磋琢磨する仲間に出 す。ボランテ ィアの 楽 し 笑顔を届けています。 を育てています。そして のが先生のギター教室で 青 木 先 生 は「 河 田 さ ん は、何 にで も 興 味 を 持っ 東北に踏み出した河田さ と 」な ど、ボ ラ ン テ ィ ア て取 り 組 むパワフルな んの一歩は、一歩踏み出 会。河 田さんも 数カ月 前 人。こちらも 刺 激 を 受 け そうとする被災地の人 さ を 教 え て く れ ま し た。 浮穴美雪さん Ukena Miyuki す」と満面の笑みを浮かべ 会い、一歩踏み出す勇気 ていま す。慰 問 では 名 司 たちを、温かく支えまし した。 『ひよこ会』は福祉 せることで、農業の大変 会 を し ていた だいて、本 の 基 本 を 学 ん だのは、日 さを伝えてきた鐵さん。 た。 2011年に一歩踏み 出した二人。二人の活躍 新規就農をした浮穴 佳 温 さん。農 業 経 験 が 実際、佳温さんは、大変 当 に あ り が たい」と 話 し に 卒 業 し ましたが、慰 問 全 く なかった佳 温 さん だと感じたと言います。 浮穴佳温さんは、明確 元 気 な う ちは、貢 献 しな は、伊 予 農 業 指 導 班に それでも、重川さん夫婦 ていました。 施設への慰問を精力的に 人と人とのつながりは くじけそうな一歩を 支えてくれます 赤で受けたボランティア 紹介された重川鐵さん・ が手間暇かけて作 物を 浮穴さんの妻 の舞台裏には、それぞれ 青木尚之さん には 参 加 していま す。ギ Aoki Naoyuki ければという心を持つよ 河田さんにギターを教えた 行っていて、そ こで 人 を 河 田 さ んは「 何 気 な く 受けたボランティア講 習。で も そ こか らのつな がりで、救 命 救 急 講 習や 防 災 士 養 成 講 座 な ど、い ろんな講座を受講しまし た。こう し た 講 習で 防 災 に対する関心を高めてい た こ と が、一歩 踏 み 出 す 勇 気 につな が り ま し た 」 と話します。 少しでも笑顔を届けた いと思って使ったフルー 颯子さん夫 妻=昌 農 内 作る様子にふれ、自分で 重川颯子さん 鐵さん Person トと腹 話 術は、青 木 尚 之 =のもとで、1年間の農 作るやりがいを少しずつ 先生に出会ったことが 業研修を受けました。 覚え始めると、農業の面 02 こそ、自分の生き様を見 「最初は分らないこと ばかりでした。基本から のように心配です。浮穴 白さを感じずにはいら 鐵さんは当 時のこと を「最初は正直心配でし くんのことをまわり が 丁 寧 に教 えてく ださっ た。農業=楽しいという 報 告に来てくれること れませんでした。 イメージだけで飛 び込 もあるんですよ。彼が感 て、本当に勉強になりま んだんじゃないかと思っ じている以上に、大勢の した」と振り返ります。 浮穴さんに農業を教えた 颯 子 さんは「 研 修 が 終わった今でも、我が子 て」と話します。だから Shigekawa Satsuko Tetsu 講習会でした。 01 広報 2012-1 ❖ 広報 まさき 9 Person その一歩が夢を育てる 一歩踏み出している憧れの先輩、 魅力的な友達、ライバルや親を見たとき、 あんなふうになりたい(憧れ)、 負けてられない(悔しさ)、 もっと頑張ろう(意欲)と、 いろんな感情が湧いてきます。 それは「私もやってみたい」につながります 青野遼さん(松前中1年)と翔 くん(岡田小4年 )兄 弟は、松 前 町が誇るソフトテニスのトップアス リート。兄の遼さんは、松 前中学 校ソフトテニス部に所属。 年度、 愛媛県中学生学年別ソフトテニス 大会1年生の部で準優勝。 年度 は愛媛県ソフトテニス連盟ランキ ング小学生の部で2位に輝きまし た。弟の翔くんは、現在北伊予ソフ トテニススクールに所属。四国小学 生学年別ソフトテニス大会4年生 の部で優勝。春季小学生ソフトテニ ス大会県予選4年生以下の部で優 勝。全国大会へ出場することが決 まっています。 のときからやっているからテニス歴 せたくない。遼は中学1年。小学生 しても傲慢になってくる。それはさ ます。 「技術が上手くなると、どう 礼儀や協調性の大切さを伝えてい んな剛さんもまた、子どもたちに 流せるのがうれしい」とにっこり。 た。愛子さんは「家族みんなで汗を また、母愛子さんも、剛さんの影 響で同クラブでテニスを始めまし ブに入部しました。 が所属する松前ソフトテニスクラ テニス一筋。大学卒業後、實則さん れた」と話します。以来、剛さんは スが楽しかったし、父のテニスに憧 剛さんがテニスを始めたのは中 学生のとき。 「遊びで父とするテニ 三脚で、 一歩上を目指してきました。 ます。そんな親子はいつだって二人 会に積極的に参加し、活躍してい テニスクラブの副部長で、自身も大 を務めています。また、松前ソフト アしていくこと」と話します。1回 遼さんは、強くなるために大切 なことについて、「目標を一つ一つクリ を掲げます。 もたちと課題を見つけ、次の目標 車の中で反省会。そんな中で、子ど 話します。試合の帰りには、必ず を積ませる。これが強みとなる」と ともに小学1年生からテニスを 始めた兄弟。剛さんは「試合経験 頼もしい口調で笑顔を見せます。 そんな翔くんに兄の遼さんは、 「翔、頑張れ。僕ももっと頑張る」と お兄ちゃんは「一番の憧れ」です。 翔くんがテニスを始めたきっか けは「お兄ちゃん」 。翔くんにとって つつあります」と話します。 も今では、認め合える存在になり ライバルであり、敵対するもの。で れる。親と子というのは、ある程度 最近では、私への思いやりも感じら 安 心して孫のことを任せられる。 を見る中で、視野が広がっている。 が子だけでなく、他の子どもたち 實則さんも、「テニススクールや 遠征試合への対応に、感心する。我 る」と感謝の気持ちを忘れません。 くれる。お父さんがいるから頑張れ て、大会のたびに送り迎えをして でたくさんアドバイスをしてくれ 歩が二歩になり、他の誰かの一歩に くれたりします。だからあなたの一 り、 一緒に歩んだり、背中を押して たい」につながります。手を引いた てみたい」につながります。「応援し 感情を抱きます。それは「私もやっ 憧れ、悔しさ、意欲など、いろんな 大切なのは、今の自分を超えて いくこと。あなたの一歩を見た人が、 かありません。挑むのは自分です。 と競うこともあるかもしれません。 夢は競争でつかみ取るものでも ありません。スポーツ、受験など人 自分が夢を育てているのです。 進化しているのではなく、成長した は進化していきます。だけど、夢が ていかなければならないのです。夢 夢は、ただ努力するだけではつ かめません。目標を一つ一つクリアし て、夢を育てます。 つ歩んでいます。その一歩が人を育 青野親子は、テニスを通じ、互い の成長を確かめ合いながら、 一歩ず 体に出ること」 。 練習を全力ですること。そして、国 ります。翔くんの目標は、「毎回の 大会ベスト8に入ること」と言い切 つけた術。今の目標は、「総体で県 標が見えてくるようになって、身に 勝てるようになり、次の大会の目 指導しているのは、父剛さん。北 伊予ソフトテニススクールのコーチ は長いけど、部活は新入部員。自 決めて、クリアしたら次の目標を立 なります。 分の立場を考えて行動してほしい」 や協調性を学んだと話します。そ 剛さんは、實則さんからテニスに 勝つための手段だけでなく、礼儀 実は父剛さんも、祖父の實則さ んに習い、テニスを学びました。 と願います。 てる。これは、遼さん自身が試合に けれど相手との競争は、手段でし 「お父さんを超えたいと思ってテ ニスを始めた」という遼さん。「練習 Aono Ryo Aono Kakeru Aono Minori 青野 剛さん 青野 遼さん 青野 翔くん 青野實則さん まちに一歩踏み出す人が溢れていく。 そうやって、 支え合いが生まれます。 一歩踏み出せば、出会いが増えます。 それが一歩踏み出すということ。 毎日、今の自分を超えていく。 Aono Takeshi やがてまちは飛躍します。 2012-1 10 ❖ まさき 広報 11 2012-1 ❖ 広報 まさき 23 22
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