絶対文感2【闘文篇】 其の五 稲垣 足穂 陽羅 義光 稲垣足穂の存在をわたくしに教えてくれたのは、早熟の友人岩田大作(仮名)である。 岩田大作が「A 感覚だ V 感覚だ、ユリーカだ、マキニカリスだ」なぞと熱っぽく語る稲垣 足穂は、わけのわからぬ天才であり、日本文学の枠、さらに文学という概念を超えた巨人で あった。 わたくしは岩田大作に背中も頭も押されて、まずは『一千一秒物語』を読んだ。そして、 なんじゃこれは、と叫んだ。 【黒猫のしっぽを切った話 ある晩 黒猫をつかまえて鋏でしっぽを切るとパチン! と黄いろい煙になってしまった 頭の上でキャッという声がした 窓をあけると 尾のないホーキ星が逃げていくのが見えた 】 【自分を落してしまった話 昨夜 メトロポリタンの前で電車からとび下りたはずみに 自分を落してしまった ムーヴィのビラのまえでタバコに火をつけたのも たのも 窓からキラキラした灯と群衆とを見たのも 香水の匂いも みんなハッキリ頭に残っているのだが かどを曲がってきた電車にとび乗っ むかい側に腰かけていたレディの 電車を飛び下りて気がつくと 自分 がいなくなっていた 】 【星でパンをこしらえた話 夜更けの街の上に星がきれいであった たれもいなかったので 塀の上から星を三つ取っ た するとうしろに足音がする ふり向くとお月様が立っていた 「おまえはいま何をした?」 とお月様が云った。 逃げようとするうちに お月様は自分の腕をつかんだ そしていやおうなしに暗い小路に ひッぱりこんで さんざんにぶん殴った そのあげくに捨てセリフを残して行きかけたので 自分はその方へ煉瓦を投げつけた アッと云って敷石の上へ倒れる音がした 家へ帰ってポ ケットの中をしらべると 星はこなごなにくだけていた A という人がその粉をたねにして 翌日パンを三つこしらえた 】 これで驚かぬ者は人間じゃない。 わたくしの年代でさえそうなのだから、森鴎外や夏目漱石を読み続けてきた世代の作家は、 不思議がったり驚愕するよりも呆れたにちがいない。呆れて、これは少年の手慰みと決め込 んだのだろう。間違いではないが、その少年の手慰めを五十年もやられては、一言で済ます わけにもいかなくなる。 もっとも、文章の修羅場を潜り抜けてきたわたくしは、いまは不思議がったり驚いたり呆 れたりはしない。 これを稚拙な散文詩と考えることもできるし、時計仕掛けのオレンジと捉えることもでき る。 「黄色い煙のように猫が素早く消えた」のであり「尾のないホーキ星のような猫が逃げた」 のである。 「自分がいなくなったような」気分になることはあるし、 「お月様のように丸い顔をした警官 が腕を掴んだ」のである。 わたくしの忌避する「ような」をはずせば、呆れ驚くべき、不思議な作品が誕生するので ある。 いずれにしても『一千一秒物語』は、稲垣足穂文学の中にあっては、具体的には『弥勒』 や『少年愛の美学』に較べれば、取るに足らぬものである。しかし稲垣足穂の研究家や愛読 者にとっては取るに足らぬものなんてことは云えない。なぜならこれが稲垣足穂の原点だか らである。 稲垣足穂の偉大さがもしあるとしたなら、それはいわゆるオタク文学のハシリとしてのも ので、しかもそれを五十年も続けたのだから驚嘆に価する。その閉塞的且つ宇宙的な世界を 継続するための内的及び外的苦闘は、計り知れない。けれどもその苦闘はマゾヒチックな快 楽を伴うものであったろうから、同情する必要もない。 稲垣足穂は明治三十三年、大阪の船場に生まれた。小学校は明石。少年時代から飛行機と 宇宙が好きであった。また、その交友関係と育った環境がハイカラ趣味を形成した。 代表作『弥勒』は、三十七歳から書き始め昭和二十一年四十六歳のときに刊行。昭和四十 八年六十八歳で、やはり代表作『少年愛の美学』を刊行。亦この年には奇怪な作品『山ン本 五郎左衛門只今退散仕る』を発表。わたくしはこの作品をリアルタイムで読んだが、唖然と して声が出なかった。友人に聞かれても、なんと説明してよいか解らぬ。だからここでも引 用はしないが、わたくしは稲垣足穂の孤独で長い闘いを感知して落涙した。そしてその落涙 すら屁とも思わず弾き飛ばす存在感。わたくしはこのとき岩田大作を想っていた。 岩田大作はホモセクシュアルであった。正確には両刀使いであった。三島由紀夫と同じで ある。詳しくは解らないが、その三島由起夫が稲垣足穂を闇雲に且つあからさまに絶賛する くらいだから、稲垣足穂もそうなのだろう。羨ましい。一刀流より二刀流のほうがかっこう いい。わたくしはそう思い込んでいたし、岩田大作もそうだったが、稲垣足穂の時代はそう ではなかったのだ。だから文学にかこつけて、何やら弁解や宣伝や意識革命をやらかさねば ならない。 それでもあるとき岩田大作は、わたくしに迫ってきたことがある。予感がないわけではな かったので、わたくしはそのことはべつに気に障らなかったものの、そのさい岩田大作の顔 色も声色も気色も、すべてが変質してしまっていたことに少なからず衝撃を受けた。これは ふだんの岩田大作ではない。それどころか、これは男でも女でもなく、ホモでもレズでもな く、もしかすると人間でもない別の存在だと感知し、吐き気を催した。そうしてわたくしは 岩田大作と絶交した。 同時に稲垣足穂とも絶交したのだが、絶交したときにはすでにその代表作を総て目にして しまっていたのだから、しかたがない。こうして稲垣足穂について語っていると、頭の中は 足穂宇宙で満杯になってくる。 『弥勒』の冒頭。 【江美留には、ある連続冒険活劇映画の最初に現われる字幕が念頭を去らなかった。明るい ショーウインドウの前をダダイズム張りの影絵になって交錯している群衆を見る時、また夏 の夜風に胸先のネクタイが頬を打つ終電車の釣革の下で、そのアートタイトルは ただよう淡いヴァイオレットの香りといっしょに 襟元に なかなかに忘れがたかった。 切紙細工のような都会の夜景であった。それぞれに灯の入った塔形建物の向うに霞形があ って、その上方には星屑が五つ六つきらめいている。そこへ、砲弾的印象を与える一個の銃 弾が現われて、くるくると魚のように泳ぎ廻ってから、尖端を夜ぞらの一点にくっつけると、 向って 右方へ大きな空中文字を綴る The Brass Bullet(銃弾はピリオッドの代りになってそ の場に停止してしまう) 】 稲垣足穂は作家であろうが、小説家ではない。懸命に文章で己の夢を語ったが、小説を創 ろうなんて思いは毛ほどもなかったのではないか。 従って読者も無視。無視でなければ無意識。稲垣足穂の「絶対文感」は巨大な唯我独尊に光 り輝いている。 稲垣足穂は昭和五十二年七十七歳という縁起の良い年齢で死んだが、この年『男色大鑑』 を刊行している。
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