古今集和歌の生成-春の歌について (大洋和俊) (PDF ファイル 0.4MB)

『古今和歌集』の生成
春
-の歌について
大
洋
和
俊
一 仮名序について
こと
『古今和歌集』仮名序の冒頭文、「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれり
ける」は、漢詩に対する和歌の成立過程を書き記している。それは、前世紀の、一連の勅撰漢詩集
『凌雲集』
(八一四年)、
『文華秀麗集』
(八一八年)、
『経国集』
(八二七年)という漢詩文全盛時代か
ら、和歌が新しく復興する時代の幕明けを告げるものであった。八九四年の遣唐使廃止や九〇三年
の菅原道真の死も官僚政治を司る必須の学問としての漢詩重用から、純粋に「人の心」を抒情する
和歌の台頭を高らかに宣言するものであった。
たね
こと
は
やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわ
しげ
いだ
ざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く
かはづ
うぐひす
こえ
鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れ
あめつち
おにがみ
をとこをんな
やは
たけ
もののふ
ずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、猛き武士の
(1)
(『古今和歌集』仮名序冒頭)
心をも慰むるは歌なり。
まず、注目される言葉は「人の心を種として」であろう。和歌の発生は人の心を中核とする、と
の言である。自分の思いを率直、大胆に表明する情熱的な言葉を以て和歌史の先頭をきる『万葉集』
に比して、冷静に「人の心」が和歌誕生の始発にあることを認識する様子が見てとれる。「よろづの
言の葉」に『万葉集』の名称との関連も意識しながら、冒頭文は「種」や「葉」という自然の生命
現象とも深く結ばれている。
第二点は、仮名序の文章が対句を基本とする連鎖の叙法によって整然とした文章のうちに豊かな
韻律を生み出していることである。
冒頭文の「人の心」は第二文には「世の中にある人」と位置づけられ、
「心に思ふ」として、
「人」
と「心」の対応が説かれる。さらに「見るもの」と「聞くもの」とあるように、視覚と聴覚が対句
(2)
となり、「つけて、言ひ出せるなり」と続く。「つけて」は諸注は「託して」とするが、人の心を中
核とする冒頭の宣言、また、託しての語感が有する自然優位、人心劣位のひびき、また『古今和歌
集』の歌の成り立ちが人の心にどのように想像されるか、見立てるかの方法に拠っていると考える
ならば、「つけて」の解釈は「ぴったり寄り添う。つき従う」と考えてはいかがであろうか。「つけ
て」に連接する「言ひ出せる」についての竹西寛子氏は次のように述べている。
-1-
貫之が歌は詠むものでもなければ言うものでもない。「言ひ出だせる」ものだと言っているとこ
ろに注目します。歌は自然に口にのぼってああでもなければこうでもないと頭で考えつめたあ
げく、理性のはからいに従って詠むのは歌ではないと、暗黙のうちに言っているような気がし
・・・・・
・・・
ます。(中略)おさえ難い感動がひとりでに言葉をよび、詠もう詠もうとしなくても、自然に何
(3)
かに詠まされた感じになる、それが大事だと貫之は言いたかったのでしょう。(以下略、圏点
は大洋)
竹西氏記述の要点は、和歌は観念によって仕立てあげるものではなく、押さえがたい感動が、自
然に言葉を招き寄せるのだ、というのであろう。この竹西氏の解釈に従えば、
「つけて」は「託して」
というより、目で見、耳で聴いたことがそのまま心に直接触れて、すなわち、ぴったり寄り添って
和歌となったとの解釈に落ちつくのではなかろうか。
続いて、
「見るもの聞くもの」の具体例として「花に鳴く鶯、水に住む蛙」が対句として定位され
る。この具体例を押し広げて「生きとし生けるもの」の言葉が書かれる。注目されるのは「いづれ
か歌をよまざりける」である。つまり、貫之には花に鳴く鶯の声、水に住む河鹿の声が「歌」とし
て聞こえているのである。「花に」、
「水に」と対句を使いつつ、単なる嘱目の景ではなく、声は歌と
して捉らえられている。鶯、河鹿の声がそのまま歌なのだ、という見方は、人間と他の生物といっ
(4)
た種属の分類を越えて、歌の普遍性を物語っているであろう。それは和歌の本質というよりも、和
歌の発生を説いたものと思う。
そして、以下は和歌がどのような働きをしてゆくのか、和歌による四つの対象を対句として定位
する。第一は「天地」、第二は「目に見えぬ鬼神」、第三は「男女の仲」、第四は「猛き武士の心」が
「をも」の助詞によってしっかり結びとめられているのである。その四点の中でも注目されるのは、
和歌が天地の神を感動させ、目に見えない鬼神、すなわち霊魂をも「あはれ」の情に引き入れる、
とする点である。現世の男女の仲や猛々しい武人もさることながら、神や霊魂に訴えかけ、動かす
との、人知を越えた和歌の発動、その威力を説いているのである。
そして、後半部分の記述は次のようにある。
まんえふしふ
い
『万葉集』に入らぬ古き歌、みづからのをも奉らしめ給ひてなむ。
か
ざ
ほととぎす
もみぢ
それがなかに、梅を挿頭すよりはじめて、郭公を聞き、紅葉を折り、雪を見るにいたるまで、
えら
春夏秋冬に入らぬくさぐさの歌をなむ撰ばせ給ひける。(中略)かくこのたび集め撰ばれて、山
まさご
あ
す
か がは
うら
下水の絶えず、浜の真砂の数多く積もりぬれば、今は、明日香河の瀬になる恨みも聞こえず、
いし
いはほ
さざれ石の巌となる喜びのみぞあるべき。
仮名序は、春夏秋冬の景物として、春は梅、夏はほととぎす、秋はもみぢ、そして冬は雪を挙げ
ており、それは『古今和歌集』四季の和歌群の景物の典型と合致するものである。いわば、四季と
いう抽象概念が自然の具体物ととり結ばれることで和歌たりえることを叙述しているが、それは後
半の、
「山下水の」が「絶えず」、
「浜の真砂の」が「数多く」に連動していることにも通じる言葉の
-2-
『古今和歌集』の生成 -
春の歌について
働きである。すなわち、撰集された歌が絶えることなく、数多く集まるとの、和歌の長い命脈と積
層する和歌の数が、自然の山下水や浜の真砂と密着することで具体的なイメージを生み出し、説得
力のある言葉となりえているのである。
そのことの結果、有為転変の激しさを型どる明日香川の瀬になるとの和歌の衰退への恨み言も聞
こえないし、さざれ石が大きな岩となるほど栄えるほどの誉れ高い和歌の喜びが今にあると書くの
である。和歌の衰退は歌枕明日香河の具体的イメージに拠り、和歌の命脈はさざれ石が巌となる変
容の具体物によって象られてくる。和歌は、明日香河や巌という自然の景物によって、栄華の現代、
未来までの予祝性を宣言されている。
そして、和歌に対する評価は、「春の花」によって「匂ひ」に結ばれ、空しい名誉は「秋の夜の」
によって「長き」へと続く書き方は春と秋の対比構成となっており、貫之たち撰者の動向は「たな
びく雲の」が「立ち居」を修飾し、
「鳴く鹿の」が「起き臥し」を修飾している。撰者の身体所作は
『万葉集』以来の、たなびく雲や鳴く鹿という歌ことばの伝統に連なるものとして定位されている。
すなわち、和歌の評価とそれに腐心する撰者たちの在り様が伝統的な歌ことばに支えられ、それに
連動する形として、『古今和歌集』編集の時に立ち会えた喜びを記述しているのである。
このように説明してきた仮名序は、次の言葉で結ばれている。
な
人麿亡くなりにたれど、歌のこととどまれるかな。たとひ時移り事去り、楽しび悲しびゆきか


ま


う
あおやぎ
さき
ふとも、この歌の文字あるをや。青柳の糸絶えず、松の葉の散り失せずして、真拆の葛 長く伝

え
はり、鳥の跡久しくとどまれらば、歌のさまを知り、ことの心を得たらむ人は、大空の月を見
かづら
いにしへ
るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも。
『万葉集』を代表する歌人、人麿以後の和歌の現在を貫之は具体的に注目している。第一は「歌の
こと」、第二は「歌の文字」、そして第三には「歌のさま」と分析的に記述する。すなわち、和歌の
道は残り(第一)、和歌の文字は永く続き(第二)
、歌のあり方(第三)を知る、として、和歌の道
筋を文字と様態の点から、人麿以後の和歌の永続性を強く宣言しているのであり、その文章の骨格
を形成しているのが傍線を付した言葉であろう。
「青柳の糸」は「絶えず」に、「松の葉の」は「散
(5)
り失せずに」、
「真拆の葛」は「長く」に、
「鳥の跡」は「久しくとどまる」に係る「序詞」と注され、
『古今和歌集』の永続不変が青柳、松の葉、真拆の葛という邪気を払い、長寿を予祝する呪的な言
語群と連鎖しつつ書かれる文の構造が肝要な点であろう。仮名序の冒頭の「やまとうたは、人の心
を種として、万の言の葉とぞなれりける」と照応するように、生命力ある呪的言語が仮名序末尾の
節々を結びとめ、『古今和歌集』の永続性をいにしえの賛仰と今の世への憧憬を熱く語るのである。
二 春歌の冒頭歌群
『古今和歌集』春の巻頭には立春の歌が置かれる。
-3-
ふる年に春立ちける日よめる
ありはらのもとかた
在原元方
き
こ
ぞ
こ とし
1 年のうちに春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ
陰暦では新年に立春が来る場合と、十二月のうちに立春の来る、いわゆる年内立春が来る場合と
がある。十二月中に立春となった場合に、その前日までを一年に対して去年と言ったものか、それ
とも今年と言ってよいのか、ためらいの気持ちを表現した歌である。立春という暦法の時間に生じ
た「ずれ」を「去年とやいはむ今年とやいはむ」の表現が象る。定めがたい時の流れをどのように
表現するのか。この課題は以後の『古今和歌集』の歌の主題を形成するものとして、編集の仕方を
強く規制するものとなってゆくのである。
春立ちける日よめる
きのつらゆき
紀貫之
そで
2 袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
この歌については早くに次のように説かれている。
下句の立春に吹く風が氷を解かすという発想は、はやくに藤原清輔が『奥義抄』で「東風解 レ氷
ク
ヲ
こころなり」としているように、
『礼記』の月令の「孟春之月(正月)、東風解 氷 」に拠った
レ
ものとされている。陰陽五行説で春を東に配することから、春風は東から吹くとされて、立春
となるとその暖い風で氷を解かすというのである。
この外来の季節観によって、厳寒の冬が終わり、春となった喜びを表現したこと自体観念的
なものであるが、それを「らむ」で結んで眼前にない現象を推し量っているのは感動が実写で
(6)
ないことを示しており、理知でもって対象がとらえられている。
「観念的」、「理知」との評言はこの歌に限らず、『古今和歌集』の歌に対する考え方として通説化
している観がある。
鈴木日出男氏の説を掲げてみる。氏は右の2番歌について、
立春を迎えた今日、その凍った水も溶けはじめて、いよいよ春がよみがえってくる、というの
(7)
である。変化する水の感触を通して、季節の時間の迅速な推移が意識されてくる。
鈴木氏の言葉は、通説化している『古今和歌集』和歌を観念的、理知的とする見方とはいささか
異なっているように思われる。歌の言葉の感触を丁寧に掬い取り、歌に立ちあらわれる「意識」を
も汲みあげようとしている。そして、次のようにも続けて言う。
いったい『古今集』時代の自然詠は、
『万葉集』の場合のように『詠物歌とか叙景歌と呼ぶのに
は、ふさわしからぬものになっている。ここでは、時節の時間と結びついた景物などをとりこ
めて時の流れに執するあまり、当面の実際の自然を詠む詠物歌や叙景歌の枠にはおさまりきれ
-4-
『古今和歌集』の生成 -
春の歌について
・・・・・・・・・・・
なくなっている。いわば観念としての第二の自然が現出している。その時の流れの意識とは、
・・・・・・・・
前記した事物現象の生起死滅への意識である。そうした時間への固執は、事柄を因果の必然関
・・・・
係によって動態的にとらえられる思考性によって掘り起こされる。(中略)季節の変化する時間
と、人間の心の移り変る時間とがしばしば照応しあうことにもなる。時節の自然の風景が、心
(8)
のかたち、つまり心象風景として定位することが多いのもそのためであろう。 (圏点は大洋)
鈴木日出男氏は『古今和歌集』の歌を単に観念的・理知的と言うのではなく、事物現象の生起死
滅と人間の心の移り変わりが照応するとの関係性に注目し、心象風景としての「自然詠」との見方
をとる。『古今和歌集』の歌を説きながら、それは鈴木日出男氏の和歌への柔軟な姿勢、方法をもお
のずから語っているようにも思われる。
そこであらためて、貫之による2番歌を見てみる。むろん、和歌を詠む契機は漢文にあったかと
(9)
思われるが、それのみで和歌が成立するわけではない。「人間の心の移り変る時間」こそが大事であ
る。
最初は、昨年夏の体験、
「袖ひちて」が思い起こされる。そして、時間が移り、冬になって氷と化
した水、それが立春の時を迎えて今頃解けているであろう、と想像する。過去の助動詞「し」を伴
う「結びてし」の動作表現が喚起する映像は、それが心象風景であるにせよ、確かな「実写」とし
て一、二句を形成する。順番に言えば、その根拠は「袖」という歌語の持つ伝統的映像と使われ方
の喚起力による。『万葉集』において、柿本人麿は次のように歌っている。
)
132
10
(
ま
石見のや高角山の木の際よりわが振る袖を妹見つらむか
石見の国から妻に別れて都に上る途中、妻の魂を呼び寄せるかのように、袖は霊的な力を持つ物
として見えるはずもない高角山の木の間から振られている。
そして、人麿は天武天皇の皇女泊瀬部皇女、皇子忍壁に、天智天皇の皇子河島皇子を葬る時の和
歌を献上している。
たまだれ
(
をち の
)
195
11
しきたへ
敷妙の袖かへし君玉垂の越野過ぎゆくまたも逢はめやも
亡き人との体験があざやかに映し出されてくる第一、二句である。その人がこの世から失せる葬
りの時に、その人との体験がまるで今のことであるかのように強い喚起力を持って訴えかけてくる
言葉、それが「袖」の歌語が秘めている力である。
『古今和歌集』の2番歌、貫之の歌はそのような袖をぴったり水に漬けて、その水を取り逃すこと
なく掬ったことを「結びし」の語に言いとめる。
「袖」―「漬ち」―「結びし」―「水」の一連の言
葉は、夏の体験という以上に、水を媒介としての「体験」をありありと思い出している映像を想起
させる。そこに「結ぶ」という呪的言語の力が大きく働いていることは言うまでもない。「過去」を
振り返るだけでなく、氷となったかつての水が春の日にゆるやかにほつれてゆく。その結びとほつ
れの過程を言葉に彫ること、それは心のほどけゆくことでもあろう。かつての「記憶」と現在が照
応しあい、解き放たれてゆく。過去と現在とが自在に往還する心の移りゆきを貫之詠は表現してい
-5-
る。とすれば、袖を水にぴったり漬けて水を結んだこと、それが「現実」であることが豊かな映像
表現としてすぐれた喚起力を持ってくる。そこに『古今和歌集』の歌の達成のひとつはあろう。言
葉によってどれほどすぐれた映像と思いを喚起しえたか、映像と思いの間に揺らめいている心の在
り様に向けて歌の言葉は紡ぎ出されてゆく。『万葉集』のように、自然や思いを歌の言葉に情熱を
もって定着しえたかを問うのではなく、目の前の自然に合致しえない、あるいは目に見えない空間
や時間の奥行きをはかるものとして『古今和歌集』の歌は選択されている。
よみひと
読人しらず
題しらず
はる
よし の
がすみ
3 春霞たてるやいづこみよしのの吉野の山に雪はふりつつ
二条の后の春のはじめの御歌

うぐひす
なみだ
4 雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ
題しらず
読人しらず
え
5 梅が枝に来ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ
雪の木に降りかかれるをよめる
そ せいほふ し
素性法師
 しらゆき
えだ
6 春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く
題しらず
読人しらず

7 心ざし深くしめてしをりければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ
2番歌の「らむ」による想像力を働かせた歌は右の歌群のように配列、編集されている。まず、
詠み手について言えば、先に示した貫之(2)、読み人しらず(3)、二条の后高子(4)、読み人し
らず(5)、素性法師(6)、詠み人しらず(7)というように、撰者、高貴な后、素性の歌の間に
読み人しらずの歌が交互に置かれる構成となっている。ただ、歌人よりも歌本意に編集することが
『古今和歌集』編集の基本であると考えるなら、歌ことばの交互に「らむ」がさしはさまれている
有り様が押さえられてよい。すなわち、
「らむ」の助動詞による想像力の和歌が2、4、6、7と連
続的に配置されている。実景を歌うのではなく、想像による景色が象られる。また、立春による春
到来を容認する2、4、6の間に3、5の「雪は降りつつ」に示される、春は遠いとする歌が置か
れる対照的配列も春の歌冒頭部の特徴であろう。この冒頭歌群については以前、稿者は次のように
指摘している。
一貫してみられる態度は「事実性」を重視し、そこに一首の生成の基盤を置いていることであ
る。冒頭歌は「年のうちに春はきにけり」という事実をまず歌いだしてくるし、貫之の歌は「袖
ひちてむすびし水」という事実に触発され、
「春立つけふの風やとくらん」と想像しているので
ある。三首目は「みよしのの吉野の山に雪は降りつつ」という眼前の事実から「春霞たてるや
いづこ」と推量する。又、ここに一首の眼目がある。四首目も「雪のうちに春はきにけり」と
いう事実から「鶯のこほれるなみだいまやとくらん」と想像する。五首目も「いまだ雪は降り
-6-
『古今和歌集』の生成 -
春の歌について
つつ」に一首の眼目を置いているし、六首目も「白雪のかかれる枝にうぐひすのなく」という
事実から「春たてば花とやみらむ」と推量する。以上、六首とも「事実性」に着目してそこか
ら一首を生成しているのである。その生成の仕方も想像の世界へ遠心的に拡がっていくように
)
12
(
仕組まれているのである。
大分以前の拙稿ではあるが、事実への注目を基盤にして、想像が拡大してゆく歌の生成方法があ
るとの方向性は現在も概ね変わることはない。しかも一首の中に異質な世界が同居する「矛盾」が
冒頭歌群の要素であることにも注目しておきたい。3の歌でいえば、雪がしきりに降る現実を前に
春霞の立つ空間を探しており、4の歌も雪降る中に「春は来にけり」と歌う。また5の歌も春を待
ちかねて鶯は鳴くのにまだ雪は降り続いている、というように、春と春ではないことを象る雪とが
一首の中に激しくせめぎ合うように歌は詠まれ、編集段階でそれが交互に配される工夫もされてい
るのである。「冒頭の六首は一首の中に異質なるものを介在させ、そこに一首の生成をはかろうとす
るのであり、冒頭の六首はこのような個的な歌のレベルと編集レベルとで二重の対立関係をみせて
)
13
(
いるのである」
とは前掲の拙稿の指摘である。つまり、一首の歌の中に相反する季節感がありながら、
それを編集という全体のレベルでは次第に春の到来が果たされるという二重の仕掛けとして冒頭歌
群は組まれているのであった。
冒頭歌群の中でとりわけ注目されるのは、7の歌であろう。雪を花とみる、いわゆる見立ての歌
である。観念的、理知的と評される『古今和歌集』の歌の温床として見立ては「技法」である。た
だ、雪を花と見る心のあり様は「見立て」の名付け方から考えられるほど単純ではない。第一、二
句「心ざし深くそめてしをりければ」は雪を花と見る条件節であるが、そこには雪に深く心を寄せ
ている作者の眼差しがある。また、
「あへぬ」には枝にまるで意志があるかのように残るわずかな雪
に目を行き届かせている作者の姿もうかがえるところだ。
このように、第一句から第四句の「雪の」までは作者の一途に対象の雪に向かう目が繊細かつ深
く貫いており、それが、雪をおのずから花と見るなだらかな言葉となっているのである。「見る」で
はなく、
「見ゆ」となっている点も注目されよう。自分の意志ではなく、自然にそのように見える心
のあり方が「見ゆ」の言葉を呼んでくるのである。
冬のものである雪、それに対して花は春との対置的見方が「見立て」の言葉による歌語の「解釈」
となっているように思われるが、雪と花とは別の物とは思われていない証歌がある。
)
14
(
あめ
わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
822
天平二年(七三〇年)正月十三日、太宰府の大伴旅人宅での宴会の時に旅人の詠んだ一首である。
旅人は、わが庭園に梅の花が散る。はろばろと天から雪が流れ来るのだなあ、と率直に歌っている。
散りくる梅が雪そのものと見えている。その心の自然な姿が澱みない歌の調べとなって流露してい
るのである。
822
ただ、この の歌の次に、
-7-
いづ く
き
823
梅の花散らくは何處しかすがに此の城の山に雪は降りつつ
とあるのは注意したい。『古今和歌集』の冒頭歌群の3、5の結句「雪は降りつつ」との類同性が
823
見られるからだ。しかし、宴の歌一連を見れば、梅の花が散っている事実は動かしがたく、 の「梅
の花散らくは何處」は虚構の言葉である。しかし、歌の生成している「場」から切り離して一首と
823
して見れば、 は『古今和歌集』冒頭歌の3「春霞たてるやいづこみよしのの吉野の山に雪はふり
つつ」に近似している。
また、旅人の宴の歌一連には次のような歌もある。
)
839
16
(
春の野に霧立ち渡り降る雪と人の見るまで梅の花散る
梅の花の散る様子を「降る雪と人の見るまで」と捉えている点が歌の眼目である。梅の落花が降
る雪と「見るまで」との詠い方には両者を比較しての思惟の働きが見てとれる。いわゆる人知の働
きをのぞかせている、従来と言われるところの見立ての歌である。
)と、雪と
821
大伴旅人の宴の場の梅花群は、梅の落花を雪の流れくる様と自然に受けとめる歌(
梅とを別の物と捉え、両者の近似性を「見るまで」に象徴される見方が同居しているのであろう。
ただ、確認的に言えば、『古今和歌集』7の和歌には雪を花に受けとめる自然の心のあり様がある。
万葉的な叙景や技法の領域とは異質な、対象との近似性がある。つまり、対象物である自然を自分
と異なる「対象」としてとらえるのではなく、
「対象」に目と耳と心を深く届かせること所から歌を
詠むことで、「対象」は詠み手の思いと響き合う物象として把握されてくる。自然と心との融合と
いってもよい。その時、当初目に触れ、耳に触れる物象はさながら詠者の心を象る「自然」にまで
昇華されているとみることができよう。
とうぐう
む つき み
みやすんどころ
か
二条のきさきの東宮の御息所ときこえける時、正月三日お前に召して、おほせごとあるあ
て
かしら
ひだに、日は照りながら雪の頭に降りかかりけるをよませ給ひける
ぶんやのやすひで
文屋康秀
われ
8 春の日の光にあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき
詞書の「日は照りながら雪の頭に降りかかりける」が歌の内容を予告している趣きがある。7ま
での単純な詞書に相違して、雪は人事へと踏み入れる景となっている。
歌の言葉「日の光」は正月三日に後の二条后が東宮妃と呼ばれている時に御前に召された栄誉を
ひびかせていることは言うまでもない。それとわが身の嘆老とが一首の中で更にひびあい、「わびし
き」の結句となる。「日の光」と「頭の雪」は実景でありつつ、そこに栄誉と、それに満たされるこ
とのない老いの深い嘆きがせめぎ合うようにしてある。頭に降りかかる雪は自然の天象にとどまら
ず、わが境涯を映し出す物象として作者の心性を象っているのである。
ちなみに、先行研究は次のように理解している。窪田空穂氏に拠れば、
技巧は、その場の光景に二重の意味を持たせた、すなわち懸詞としたところにある。謂はゆる
-8-
『古今和歌集』の生成 -
春の歌について
機知である。「仰言」とはどういうものであったかは分らないが、康秀はそれを身に餘る光榮で
おい
あるとし、その光榮を擔ふにしては、老がわびしいといって、全身を擧げての感謝をしてゐる
のである。「頭の雪となるぞ」の「ぞ」の一助辞で、感謝の心を引き立ててゐる手際は、行き届
いた、老巧なものだといふべきである。
この春の雪を受けるようにして、貫之の歌が置かれている。
雪の降りけるをよめる
きのつらゆき
紀貫之
かすみ
こ
め
9 霞たち木の芽もはるの雪降れば花なき里も花ぞ散りける
貫之にとって雪は冬のものでも、境涯を映し出すものでもなかった。霞が立ち、木の芽も張る、
春の雪と型どられる生命感あふれる雪である。そのために、ひとたびは「花なき里」と形容しつつ
「花ぞ散りける」の結句となる。一、二句の生命感あふれる形容が、雪が花そのものと感じられる
までに熟成し、しきりに降る雪はすでに花の乱舞として一首を形成しているのである。「花なき里」
と言いながら「花ぞ散りける」と畳みこむ調べに、はるの雪は、雪ならぬ花そのものへと転換、昇
華されていよう。「霞たち木の芽もはる」との自然の確かな受け入れが、雪と花の差異を消し、両者
一体のうちに歌の空間の中にさながら花が散りまがう演出となっているのである。
三 春歌の結び
やよひ
うぐひす
ひさ
弥生に鶯の声の久しう聞こえざりけるをよめる
つらゆき
もの う
128
鳴きとむる花しなければ鶯もはては物憂くなりぬべらなり
こ
やまがわ
弥生のつごもりがたに、山を越えけるに、山川より花の流れけるをよめる
ふかやぶ
129
花散れる水のまにまにとめくれば山には春もなくなりにけり
を
春を惜しみてよめる
もとかた
はる
がすみ
130
惜しめどもとどまらなくに春霞帰る道にし立ちぬと思へば
128
前者の の歌は鶯の声が長い間聞こえないことを題にして、その鶯が鳴くのを留める花の無いこ
129
とを歌う。 の歌も山の中を流れる水に散る花を通して、春が山にすでに無いことを詠嘆する。鶯
や散る花を歌いながら、すでにどこにも春は無い、と歌う。素材としての春の景物を扱いながら、
も惜春の情を持ちつつも留まらない
130
の歌
130
、
の歌の結句「思へば」には、四句までの無常の春を見つめている自己の内面をと
130
はある。ただ、
、
129
との諦念に似た思いを述べる。人知では抗いがたく過ぎゆく春への眼差しとして、
128
春はすでに無いのだ、と空虚な思いを述べたものであろう。
らえ直す心の動きがあることは押さえたい。自然の移り行きを認容しつつ、そこに働く心が「思へ
-9-
ば」にあり、次の歌が編集されてくる。
くわんぴやうのおほんとき きさい
みや
うたあはせ
寛平御時后の宮の歌合の歌
おきかぜ
く
131
声たえず鳴けや鶯ひととせにふたたびとだに来べき春かは
一年に二度さえ来るはずの春であろうか、と一度去ってしまえば二度と来ることのない春への強
い思いが、
「だに」、
「べき」、
「かは」のような強い調子の助詞や助動詞を一首の下句に呼び入れてい
る。鳴かなくなった鶯に止むことなく鳴け、と呼びかけるのは一年に二度と来ない春への思いから、
それに抗うように春の象徴である鶯に訴えているのである。自然の移りゆきに随順しようとしない
歌が時の推移に従う配列方法をとる編集の中に織りこまれている。春をとどめがたいとする主観的
な情が鶯への呼びかけとなって吐露され、それは時の推移という大きな流れの編集方針の中に織り
こまれている。翻っていえば、歌集全体としては時の推移に随順してゆくとの編集上の鉄則の中に
あって、それに抗う態の歌が収められているのである。とどめようもない春との全体の流れの中に、
個としての歌はそれとは違う世界に執着する。
このような、全体と個が「葛藤」するかのようにして春の終わりの歌群は展開する。春の果てに
向かって『古今和歌集』春の部の時間は着実に進行しながら、そこに作者の屈折した思いが重ねあ
わされている。歌合という公的な場の中にも、物言わない絵の中の鶯に命を吹きこむようにして
「声」は要請されている。
つ
弥生のつごもりの日、花摘みより帰りける女どもを見てよめる
みつね
132
とどむべきものとはなしにはかなくも散る花ごとにたぐふ心か
花が散ることはどうしようもないのに、その花ごとにぴったり寄ってゆくわが心を「はかなくも」
と捉える。留めることは不可能である花に付き従うものとしての心を詠嘆、抒情する。摘まれた花、
花摘みから帰った女性に触発され、それを「散る花」と想像し、その幻像とも言うべき花に寄り添
う心を深く内省するのである。事実を越えた、花の本性に即応する心こそが歌うべきものとして見
つめられているのであった。
を
弥生のつごもりの日、雨の降りけるに、藤の花を折りて人につかはしける
なりひらのあそん
業平朝臣
ぬ
を
うち
133
濡れつつぞしひて折りつる年の内に春はいくかもあらじと思へば
詞書の示すように、雨の降る日、藤の花を折って人に贈る事情は、相手への通達性を歌がおのず
と孕むことになる。歌の二句「しひて」は自分の気持に抵抗して藤の花を折るとの謂だが、そこに
は逝く春を相手と共に惜しむ感情が流露する。「年のうちに春はいくかもあらじ」の思いは詠み手だ
けでなく、歌の贈られ手と共有されるものとしてあるだろう。自分の思いが独白に終わらず、他者
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『古今和歌集』の生成 -
春の歌について
との共有感情として流露する。それは業平の歌の特色でもあるが、自己と相手との絆を結ぶ強い切
迫感にあふれる言葉、
「ぞ」―「しひて」―「年の内に」―「じ」が一首を貫き、個の詠嘆に終わら
ない歌として春歌下の末に配置されているのである。
ていじのゐんのうたあはせ
亭子院歌合の春のはての歌
みつね
け
ふ
の躬恒歌から一首おいて再び躬恒の歌が春歌下の最後に置かれる。この
の歌は大きな特色を
134
132 134
今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花のかげかは
持っている。「弥生のつごもり」、あるいは「春のはて」とあれば、その日に即応して歌の内容が呼
の躬恒詠は春の果ての日以前の春の日を上句とする。当日に限らず、それ
134
び起こされるのだが、
以前の日々の思いが重層する過去の時間へと詠み手及び読者を誘ってゆくのである。それが「だに
も」と強調されることで翻っての今日、春の果ての花のもとを立ち去ることが容易ではないとの心
情が浮きぼりにされる仕儀となっている。「のみ」
、「だにも」、「かは」の言葉が時間を示す「今日」、
「時」に付し、空間を示す「かげ」に付されることで骨格のしっかりした歌を形成しているのであ
る。
春の果ての歌でありつつ、それは春の果てでない時をも含むことで、花への愛惜を強くし、ひい
ては春の果てへの思いを一層深めるものとなっている。テキスト『新日本古典文学全集 古今和歌
)
18
(
集』が示す『躬恒集』類歌としての歌 も並べてみると、また異なる特徴を有している。
けふ暮れて明日とだになき春なればたたまくをしき花のかげかな
『古今和歌集』の歌が春の果て以前の日々を説くことから歌い起こしたことに比して『躬恒集』は
春の果ての暮れにしなやかに入り、明日来ない春と断じて、語句は簡明にして思いは率直かつ深い。
の歌が過去の時間から説き、反転する春の果てへと回帰する仕立て方とするな
134
『古今和歌集』の
らば、躬恒の個人歌集は今日から明日に春の終わりがとらえられ、現在の惜春の情に随順する態で、
詠嘆の「かな」をもって歌いおさめられている。
『古今和歌集』春の部全体の中では春の果てでありながら、そこに入りきらない過去の時間をも抱
きかかえるという二重の時間を歌は持つように構成されているのである。
頁、片桐洋一氏『全対訳 日本古典新書 古今和歌
頁。
17
頁
頁、注(1)同書
古今和歌集』4頁に代表される。
- 11 -
頁、『新日本古典文学大系
17
(4)久曾神昇氏『古今和歌集』(一)全訳注
頁、
183
(3)竹西寛子氏『古今集の世界へ』朝日選書
13 544
頁、注(1)同書
13
集』
頁、竹
36
岡正夫氏『古今和歌集全評釈』上
頁、松田武夫氏『新釈古今和歌集』上巻
68
(2)窪田空穂氏『古今和歌集評釈』上巻
54 11
注(1)テキストは『新編日本古典文学全集 古今和歌集』に拠る。以下同じ
頁。
30
(5)注(1)同書
頁、有斐閣新書。
38
191
(7)鈴木日出男氏『古代和歌の世界』ちくま新書 頁、
頁
139
(6)『古今和歌集入門』
頁。
141
(8)注(7)同書
(9)注(8)に同じ。
頁。
(
)注(
(
)拙稿「古今集の発想と表現」(3)(4)、歌誌『人』昭和
(
)注( )に同じ。
(
)『日本古典文学大系 萬葉集二』
(
)注(
)同書。
(
)注(
)同書 頁。
(
)窪田空穂氏『古今和歌集評釈』上 頁。
(
)注(1)同書
81
)『日本古典文学大系 萬葉集一』
頁。
105
10
)同書
48
年8月号、9月号。
12
80
79
75
頁。
頁。
76
14 14
18 17 16 15 14 13 12 11 10
(
(平成二十二年十二月一日脱稿)
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