渡月 橋と 智 福 山 法輪寺

を 歩 け ば ︱︱︱︱
写真=増田雅与志
は、十三詣りや針供養のお寺と
いる智福山法輪寺。京の人々に
その中腹に位置するのは﹁嵯
峨の虚空蔵さん﹂で親しまれて
拙工房でも法輪寺の﹁漆祖漆器商工業守護神
一三日が漆の日と定められ、法要が営まれる。
空蔵菩薩に結びついたという。毎年一一月
るものを刻苧という。この刻苧から本尊の虚
蔵菩薩に漆の技術向上の願を掛け参籠し、そ
と繊維の塵を漆で練り合わせた
接合部を少し彫り、そこへ木粉
地にある。有名な漆器産地の石川県の山中や
惟喬親王を祭神とする漆関係の神社が全国各
という辺りからのものだと思われる。しかし、
した不遇の皇子であった。
﹃伊
王は立太子できず、のちに出家
まれたため、紀氏を母とする親
藤原氏を母とする惟仁親王が生
めたあと木炭でバックと面一に研ぎ出し、近
金粉の蒔きぼかしを施し、全体を漆で塗り固
月橋、遠景に嵐山を配した。渡月橋と嵐山は
ぎ出し高蒔絵技法で、近景に桜花、中景に渡
京都の名所を題材とした拙作に、京都市所
蔵の蒔絵衝立﹃花の嵐山﹄がある。地蒔き研
下出祐太郎 京都を代表する名勝嵐山。桜
の名所であり、紅葉の名所でも
して生活のなかに織り込まれて
祈攸﹂の御札を祀っている。
ある。
いる。渡月橋から徒歩で一∼二
分、JR嵯峨野線、阪急嵐山線、
一一月一三日が漆の日と定められたのは、
当時、対岸に隠棲していた惟喬親王が、虚空
からも徒歩で一〇分はかからな
の満願成就が一一月一三日であったと寺では
京福嵐山本線、いずれの嵐山駅
い。
伝える。漆関係者の全国組織である
﹁日本漆工﹂
境内にも﹁うるしの碑﹂が建てられている。
も、これにより一一月一三日を漆の日と定め、
としてなじみが深い。本尊の虚
絵を生業としているが、
私は蒔
私たち漆の関係者には漆のお寺
空蔵菩薩を漆のご本尊としてい
漆と惟喬親王との関連は不明だが、木地師
の祖とされる伝説があり、木地とくれば塗り
ものを埋めて堅ろうにする。こ
福井県の越前、遠くは秋田県の川連にも祀ら
る。漆塗りをするとき、木地の
の彫りを刻苧彫りといい、埋め
れている。
それにしても春の嵐山は美しい。緩んだ水
面に光が踊り、桜花がうっとり夢見ている。
勢物語﹄や﹃古今和歌集﹄の在
景の桜花は高蒔絵とした。桜花に配した螺鈿
訪ねる私たちもまた夢心地だ。
原業平が、積雪を踏み分け小野
は白ちょう貝の厚貝を糸のこぎりで切り出し、
惟喬親王は、承和一一︵八四
四︶年、文徳天皇の第一皇子と
の里に親王を訪ねた話は広く知られる。それ
つぼみは日本産のあわび貝をあしらった。私
渡月橋
桂川(保津川)
嵐
阪急嵐山線
山
法輪寺
(嵯峨虚空蔵)
●
うるしの碑
嵐山本線
京福
峨
嵐電嵯
天龍寺
●
JR嵯峨野
線
嵯峨嵐山
嵐 山
三条通
して生まれながら、第四皇子に
ゆえ、親王には義経同様さまざまな貴種流離
にとっては漆と切り離せない京名所である。
トロッコ嵯峨
︿しもで ゆうたろう﹀下出蒔絵司所三代目。一九五五
年、 京 都 市 生 ま れ。 同 志 社 大 学 文 学 部 卒。 学 術 博 士。
伝 統 工 芸 士。 京 都 美 術 工 芸 大 学 教 授。 京 都 工 芸 繊 維 大
学伝統みらい教育研究センター特任教授。
譚がつきまとうのだ。
上右:渡月橋。写真奥の山の中腹に法輪寺の多宝塔が見える
上左:法輪寺本堂
下:法輪寺境内にある「うるしの碑」
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2013 初夏 No.478
三洋化成ニュース
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渡月橋と智福山法輪寺
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著者の作品、蒔絵衝立『花の嵐山』