慶應義塾図書館略年表 - 慶應義塾大学メディアセンター

 慶應義塾図書館略年表
『慶應義塾図書館』付録年表+
年代
特記事項
1868
福澤塾が慶應義塾となる。当時福澤が渡米の折に購入した図書は、講堂に備え付けられていた
義塾は三田に移転。旧島原藩邸「月波楼」を図書室とし、「書籍出納の規則」を定め、図書室掛を置
く
煉瓦講堂に12坪の「書籍館」が置かれる
大学部発足。「大学部書館」が成立
「大学部書館」を「慶應義塾図書館」と改名。図書館監督(館長)に田中一貞。『慶應義塾図書館洋
書目録』刊行。「慶應義塾創立50年記念図書館建設趣意書」発表
『慶應義塾図書館和漢書目録』刊行
【この時の蔵書総数36,160(和漢書11,831/洋書8,036 /委託16,293)冊】
慶應義塾創立50年記念図書館(現在の旧館)開館。このとき以来義塾図書館の学外者への公開
が決定される
義塾図書館庁田中一貞が日本図書館協会(1892年日本文庫協会として発足)館長に就任
図書館が関東大震災で罹災。被害軽少
日吉予科図書室開設
北里記念医学図書館開設
藤原工業大学(1939年設立)が廃止され、それを慶應義塾が引き継ぎ工学部を開設
太平洋戦争で慶應義塾図書館(以下「本館」)が被災。焼夷弾落下による火災で書庫以外全焼
「慶應義塾図書館規則」制定。研究室図書室等を含み中央図書館制を敷く
日本図書館学校(後の文学部図書館学科)開設
本館にレファレンスルーム開設
藤山記念日吉図書館開館。慶應義塾創立100年
新図書館建設委員会発足
本館新書庫(第3書庫〉増設。新図書館計画委員会発足
【本館蔵書総数428,842(和漢書298,361/洋書130481)冊】
本館に開架室、雑誌コーナーが開設。開架図書の館外貸出開始。図書整理に日本目録規則と日
本十進分類法を採用
新図書館計画のため利用者(学生・教員)アンケートを実施。図書館職員研修を実施。複写機(湿
式)機導入。三田にIBM1620導入
工学部にTOSBAC3400導入
新図書館計画委員会を発展解消し、研究・教育情報センター委員会が発足
情報科学研究所設置。IBM7040/1401導入。三田研究室棟完成
研究・教育情報センターと三田情報センター(施設は三田メディアセンターは当時の図書館と新設
の研究室棟の東側1/3のB2-7F)発足
医学情報センター発足。矢上台に松下記念図書館開館
日吉情報センター、理工学情報センター発足。大学院図書館・情報学科開設
情報科学研究所にUNIVAC1106導入。文学部図書館学科を図書館・情報学科に改組
情報科学研究所を廃し、大学計算センター(三田計算室、日吉計算室、四谷計算室、矢上計算室)
を開設
慶應義塾図書館新館開館
慶應義塾日吉図書館新設開館
【蔵書総数2,301,039(和書896,757/洋書794,201/製本国内雑誌253,524/製本外国雑誌356,557)
冊。他に非図書資料58,843点】
総合情報センター計画構想が検討される。一方で新学部が開設される湘南藤沢に「メディアセン
ター」構想も提案される
湘南藤沢キャンパスに総合政策学部と環境情報学部が開設。「総合情報センター構想〈第1次〉』
提案
湘南藤沢メディアセンター棟開館。「藤沢メディアセンター規定」制定。メディアネット構想(総合情報
センター構想を改め)の下で「メディアネット計画推進本部」(情報センター本部事務室)発足。全塾
図書館システム(KOSMOS)開発着手
「メディアネット規定」制定
研究・教育情報センターと大学計算センターが改組されメディアネット・メディアセンター(三田、日
吉、医学、理工学、湘南藤沢)発足
【蔵書総数3,003,171(和漢書1,157,534/洋書1,032,922/製本国内雑誌335,057/製本外国雑誌
477,658)冊。他に非図書資料109,347//CPUメモリ総計832MB/DASD198.5GB/PC848 /WS総数
1283】
1871
1887
1890
1906
1907
1912
1914
1923
1935
1937
1944
1945
1949
1951
1952
1958
1959
1961
1962
1963
1965
1967
1969
1970
1971
1972
1973
1979
1982
1985
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1996
山中資料センター開設
グーテンベルク聖書の購入
http://web.sfc.keio.ac.jp/~philobib/philobiblon/profile/profile_index.html