助成番号 10-025 松下幸之助記念財団 研究助成 研究報告 【氏名】 阿部 拓児 【所属】(助成決定時) The University of Liverpool, School of Archaeology, Classics and Egyptology 【研究題目】 ギリシア語歴史叙述と「ペルシア帝国最期の一世紀」 【研究の目的】 紀元前 6 世紀半ばに成立したアカイメネス朝ペルシア帝国は、最初の数世代のうちにその領土を急激に拡大し、 小アジア、エジプト、現在のアフガニスタン、パキスタンあたりまで包み込む、「史上最初の世界帝国」へと成長した。 やがて、その勢力はさらに西へ伸張し、ギリシア諸都市との間にペルシア戦争が勃発する。ペルシア帝国はペルシ ア戦争に敗れたものの、その後も陰に陽にギリシア諸都市間の抗争に介入し、エーゲ海域の国際政治の場で圧倒 的なプレゼンスを発揮していた。にもかかわらず、ポスト・ペルシア戦争期のアテナイで書かれたギリシア語文献を 繙くと、そこには同時代のペルシア帝国が衰退した国家だったとの言説がたびたび見出される。このようなイメージ と現実との乖離はなにゆえ生まれたのだろうか。本研究は、アテナイの作家たちが利用したと考えられる、小アジア 出身の同時代人ギリシア語作家たちの史書を分析し、そこに見られるペルシア帝国史像を分析する。 【研究の内容・方法】 ここで述べる、前 4 世紀小アジア出身のギリシア語史家とはクテシアス、ディノン、ヘラクレイデスの 3 人である。と ころで、多くのギリシア古典作品は、2 千年以上前に書かれた後、パピルスから羊皮紙へ複写されていく過程でさま ざまな理由から書き写すに値しないと判断され、時の流れのなかに失われていった。私が扱った 3 人の歴史家の史 書も、このような散逸してしまった文献である。まずは、現在まで残っている古典作家の文献中に、彼らの歴史書へ の言及や、それらからの引用箇所を読み込むことにより、失われた歴史書の内容を、おぼろげながらも復元させな ければならない。このような間接的な史料の中で、本研究にとってもっとも重要になってくるのは、稀代のエッセイス トにして伝記作家であったプルタルコス(プルターク)が著した『アルタクセルクセス 2 世伝』である。プルタルコスは、 このペルシア大王の伝記を綴るにあたって、今でも名著で知られるクセノフォンの『アナバシス』以外にも、これら 3 人の歴史書を用いた。のみならず、プルタルコスは自身の記述の典拠をていねいに述べ(これは古代世界において は一般的なことではなかった)、それらの記述の比較分析までおこなっている。たとえば、アルタクセルクセスが自ら の王位に挑戦してきた弟キュロスと対決した場面の記述では、この事件の同時代人であったクセノフォンおよびクテ シアスの記述では王の部下がキュロスを討ったと伝えているのにたいし、事件からもっとも時間が経過してから記録 したディノンの史書によると、兄自らが弟を討ったと改変されている。これは、王自身が敵を討つというプロパガンダ が、うまく浸透していった事例であろう。このような事例を収集することにより、彼ら 3 人の歴史書の射程と歴史にた いするスタンスを浮き上がらせた。とくに私はクテシアスについてはこれまでも集中的に論じてきたので、本研究に おいては残りの二人に注目した。 【結論・考察】 上述のような方法で復元された史書から判断するに、ディノンの歴史書はペルシア帝国以前、アッシリア帝国時代 の歴史から書き始めて、前 343 年のダレイオス 3 世によるエジプト再征服までを時系列的に書き記していた。これは、 ヘロドトス以前にさかのぼるギリシア語によるペルシア帝国史叙述の伝統を踏襲した作品であったと言える。一方、 ヘラクレイデスの作品は、時代を特定できるような記述(事件史)はあまりなく、ペルシア帝国の文化・風習について 語っていたと考えられる。これらの文献には、贅沢な食事やきらびやかな調度品などが記されていたが、それらを精 神的な退廃と結び付けるような価値判断は見出されない。一方、当時は一般に知られていなかったゾロアスター教 の祭式の模様を正確に記録するなど、ペルシア帝国の文化にたいする造詣の深さも窺わせ、前述の華美な生活様 式の記述を作家の誇張として退けることも難しい。結局、アテナイ作家たちの主張や政治的立場にしたがって、この ような豊かさにたいする繁栄/退廃の価値判断が与えられたのであろう。
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