特 別 講 演 看 護 へ の 期 待 学校法人慈恵大学 第20回 日本看護研究学会総会 の開催を心 か らお祝 い 申 し上 げます。 この記念すべ き学会 にお招 きいただき, 理事長 阿 部 正 和 私 はお金 に困 っていま した。 あ なたの心の中で私 は厄介者 にな りま した。 私 は 1つ の看護的問題 として扱われま した。 皆様 にお話する機会を与え られま したことは,ま こと に光栄 なことであ り,吉 武香代子会長,前 原澄子座長 をは じめ関係 の皆様 に厚 くお礼 申 し上 げます。 なたが議論 した の は私 の病気 の理論 的 な根拠 で あ す。 始 め に を診 よ うとさえなさらなか った。 私 まず始めに申 し上 げたいことは,ル ース ・ジョンス トンさんの詩の ことであ ります。 それは,「 聞 いて下 私 は死にそうだ と思われていま した。 さい看護婦 さん」 とい う題 にな ってお ります。すで に 私 の耳 が聞 こえない と思 って あなた は同僚 に しゃ お聞 きにな った方 も多 いとは思 いますが,本 国の話の べ りま したね。 今晩デー トの前 に美 容 院 を約束 したので,勤 務 いと ぐちとして申 し上 げることにいた します。 「 ジョンス トンさんは,ア メ リカ南部 のニ ューオ リン の 間 に死んでほ しくないわね」 と。 ズの看護婦 さんであ ります。 この詩 は昭和46年 (1971 年)ア メ リカの看護の雑誌 に発表 されま した。 なたには教育があ り,立 派 に話を し,純 自のピー あ ンと した白衣をまと って,本 当 にキ チ ッと してお 『ひ もじくて も私 は自分で食事ができません。 置 いた まま立 ち去 りま したね。 れます。 ら あなたは私 の手 の届 かぬ床頭 台 の上 に私 のお盆 を 私 が話す と聞 いて くだ さるよ うです が,耳 を傾 け お られな いのです。 て そ してあなたは看 護 の コ ンフ ァ レンスで は私 の栄 養不足を議論 されま した。 けて下 さい。 助 私 に起 きて い る事を心配 して下 さい。 私 はノ ドがカラカラで困 っていま した。 は疲れ きって,寂 しくて,本 当 に恐 いのです。 私 で もあなたは忘れていま したね。 付添 いさんに頼 んで水差 しに水 を満 た してお くこ とを。 ど を差 しのべて私 の手 を取 って くだ さい。 手 後 であなたは看護記録 につ けま した。 私 が流 動食 を拒んでいますと。 私 私 が とて も協力的で全 く何 も尋 ね ない もので すか 看 に起 きて い る事 をあなた に も大事 な問題 と して えて下 さい。 考 うか聞 いて下 さい。看護婦 さん。』 私 は寂 しくて恐いのです。 ど で もあなたは私を一人ぼ っちに して去 りま したね。 ら。 うか私 に話 しかけて下 さい。 こ うい う内容 の ものであ ります。 この詩 は,患 者 と 護婦 の関係 の悪 い面を,皮 肉た っぷ りに, し か も巧 日本看 護研究学会雑誌 Vol.18 No.1 1995 看護 へ の期待 みに うたっていることに私 は感心 し,ま た反省 もさせ 看護 の技術,そ れは吹けば飛ぶような砂上 の楼閣 に等 られま した。 こうい う詩 をお聞 きにな って腹 を立 て, しいといってよいか と思 います。 お怒 りになる方 も少 な くな いと思 い ます。日仏は違 う, 第 2は , いつ も患者 の立場 にな り代わ って考えてみ 日頃患者 さんの為 に自 らを犠牲 に して奉仕 して い る。 るということであ ります。つ まり,視 点 をかえてみる それなのにこんなにひどい事 を言われたのではたま ら ということであ ります。言 うは易 く行 うの は難 しいか ない」 と,批 判的 な見方 をされ る方 もおありで しょう。 もしれません。 しか し患者が今何を考 えて い るのか, しか し, この詩にうたわれて い る場面が全 くないと自 何 に不安 や悩 みを もっているか を察す るだけの,豊 か 信 を持 って言 い切れ る方 は何人 お られ るで しょうか。 胸 に手 を当てて,冷 静 に,そ して謙虚 によ く考 えてみ な感性 が看護婦 には求 め られているので あ ります。 第 3は ,心 豊かな言葉 と態度で ケア ーす ると申 しま ると,私 達 の日頃 の行動 のなかに反省すべ き点がある した。看護婦 は言葉 を使 う専門職であ ります。柔 らか 事 を思 い うかべ るのではな いで しょうか。 この機会 に い物腰 で,時 にほほえみをたたえて, わ か りやす い, もう 1度 自分達 の 日頃 の看護 の在 り方を考え直 してみ やさしい言葉 で患者 に語 りかけて いただきたいとい う ることも決 して無駄なことではないであ りま しょう。 のが私 の願 いであ ります。 ジョンス トンさんの詩では,看 護婦 の言葉 や行動, それがいかに重要 であるかがよ く示 されてお ります。 専 門 職 と して の 看 護 婦 特 に患者 さん との対話,患 者 さんに語 りかける言葉 の 看護婦 は,言 葉 を使 う専門職であ ると申 しま した。 重要性が,誠 によ く言 い表 されていると感心 したので 専Fl職 (プ ロフェッション)と は, い ったい どのよう あ ります。勿論 これは何 も看護婦だけに限 った事 では な条件 を備えた ものをい うので あ りま しょうか。 これ あ りません。医師をは じめとす る,医 療 に携わる全 て にもいろいろな意見があ りま しょうが,私 は専門職 の もつべ き条件 として,次 の 5項 目を考えてお ります。 の人達 が, この詩 を聞 いて思 い当た る節 があるので は ないか と思 うのであ ります。 お互 いに深 く反省 して, 第 1は ,使 命感 を持つ ということであ ります。私 の もっともっと謙虚 にな って,医 療 における態度や言葉 人生 は, 自分 の幸 せの為 とい うよりもケアーす る患者 の重要性をお互 いに再認識 したい もの と思います。 の幸 せの為 である,そ うい う使命感を持 つ事 が第 1に 必要な条件 であ ります。 第 2は 一般教養を豊かに持 たなけれ ばな りません。 看 護 とは ど う い う こ とか て考え方 や意見 は様 々であ りま しょうが,私 自身 は次 専門 の看護学 を知 っているだ けではだめなので あ りま す。それ以外 の一般的な学問 ―心理学 に して も,哲 学 のよ うに考えてお ります。 に して も,宗 教 に して も,一 般的 な学 問 を学 ぶ事が必 看護 とはどうい うことであ りま しょうか。人 によっ 看護 とは,患 者 に対 して,体 系づ け られた看護学 に 支え られたケアーをす ることである。 ケアー とは,い 要 であ ります。 第 3は ,公 の免許 を持 たなければな りません。勝手 つ も患者 の立場 に立 って,患 者 の言 うことによ く耳 を に専門職 を営む ことはで きません。公 の免許を持 つた 傾 け,患 者 と共 に考え,患 者が今何を してほ しいかを めには,長 い修練期間が必要 であ ります。 よ く理解 し,そ の事を具体的 な看護 の技術 として,心 第 4は ,生 涯 にわたって学び続 ける職業,そ れが プ 豊かな言葉 と態度 を もって患者 に して さ しあげること ロフェッシ ョン。生涯教育 が専門職 の大事な条件であ である。 ります。 考 えのなかで, 3つ の点を特 に指摘 しておきたいと思 そ して第 5に ,公 益的なサ ー ビスである。決 して ト レー ドではあ りません。商 いで はないとい う事であり います。 ます。 以上が看護 についての私 の考 え方 であ ります。 この その第 1は ,看 護 は看護学 に支 え られたアー トであ 以上 の 5つ の条件 を備えた者が,専 門職 (プロフェッ るとい うことであ ります。看護 の技術 の基礎 とな る, ション)で あると考えて いるので あ ります。 サイエ ンス としての看護学 を生涯 にわたって学 び続 け 看護婦 および医師 は,ま さに代表的 な専門職である とい うべ きでありましょう。 ることが必要でありま しょう。学問 を基礎 に持 たない 日本看 護研究学会雑誌 Vol 18 No l 1995 看護 へ の期待 看護学を学 び続 けなければな りません。 しか し,看 護 看 護 と愛 は看護学 のみによって成 り立 つ もので はあ りません。 看護 は,病 人 の苦 しみや悩みを よ く聞 いて あげて, 私達 の前 にあるのは病気その ものではな く,病 に悩み, 病人 と共 に考え,共 に悩み,共 に歩 んで,そ の悩 みや 病 に苦 しむ人間であ ります。私達 と同 じ人間であるこ 苦 しみか ら解放 してあげる,そ うい う素晴 らしい仕事 とを考 えれば,そ の事 はよ くおわか りいただ けま しょ う。 ここに看護 のアー トというものが必要 にな って く であると思 うのであ ります。看護婦 としての生 き甲斐 の 1つ ,そ れは愛の気持 ちを持 って,患 者 に尽 くす, 愛 の気持ちで人 の為 に尽 くす, これが生 き甲斐ではな いで しょうか。 この場合 の愛 とはキ リス ト教で い うア ガーペであります。人間愛 といっていいか もしれませ ノ し。 愛 は,医 療 の基本的な精神であると言 え ま しょう。 るのであ ります。 アー トと しての看護。 この場合 のアー トとはどうい う意味であ りま しょうか。字引をひいてみますと,ア ー トは芸術 とか技術 という訳語 がみつか ります。 しか し, 私 が看護 のアー トとい う時のアー トは,単 に看護の技 術,英 語で い うスキルで あ りますが, こ の看護 の技術 愛 は希望 であ り,ど のよ うな環境 にも耐え得 るもので だけを意味 して い るのではあ りません。看護 のスキル あ ります。愛 は全ての徳 のなかで最 も尊 い ものであ り 輝 くことで ありま しょう。 この愛 の典型的 な表れ,そ を発揮す るために必要 な看護 の心,そ の看護 の心を も 含 めて私 はアー トと呼びたいので あ ります。看護 のス キルと看護 の心。 これが看護 のアー トであるといえま れが看護であると私 は確信 してお ります。 しょう。 ます。私達の医療が愛 と共 にある時,医 療 の未来 は光 現在,看 護婦 の勤務体制や待遇 には大 きな問題があ しか らば,看 護 の心 とは一体 どうい うことであ りま ります。看護婦 とい う地位が病院 の中で も,ま た社会 一般 か らみて も低す ぎるなど,数 えあげれば問題 は少 しょうか。大変難 しいことで あ りますが, し いて まと めてみれば,次 のよ うになるのではないで しょうか。 な くあ りません。 しか し私 は敢 えて申 し上 げたいので 第 1は ,患 者 の悩みや苦 しみに共感す る心。共 に感 あ ります。多 くの難 しい局面 に耐えて,素 晴 らしい愛 の看護 の技術 を発揮 していただ くことによって,い つ かは希望 の光が必ずや差 し込んで くることでありましょ う。20年前よりは10年前,10年 前 よ りは今 の方 が,看 じる,い 。 第 2は ,患 者 にいたわ りの手 が 自然 に出る心。意識 しな いで 自然 にいたわ りの手が出る,そ うい う心。 第 3に ,患 者 にサ ー ビスす る心。奉仕す る心。 護 に対す る世 の中の評価 は確かに高 くな って きてお り つ まり,共 感。 いたわ り。奉仕。 この 3つ を もって ます。それはお年を召 した方 々にはよ くおわか りにな それは皆 さん方 自身 の為 であ り,ま たこれか ら看護 の 私 は看護 の心 としているのであ ります。一言 でいいな さいといわれれば,キ リス ト教で い う “愛 ",仏 教 で ",そ いう “ うい う事 ではないで しょうか。 慈悲 "は いずれに して も “ 看護 の基本的な精神 で あ り 愛 “ "で "は ます。看護 は 愛 あ り, “愛 希望 で もあ りま 道を志す後輩 の為 で もあ り,結 局 は,そ の事 が患者 の す。 る事だと思 うのであ ります。 将来 に明るい希望 を持 って,患 者 さんの為 に素晴 ら しい看護 の道を歩 んでいっていただ きたいと願 います。 為 とな り,ひ いては,我 が国 の医療 の質を向上 させ る 方向であると思 うのであ ります。 患 者 との コ ミ ュニ ケ ー シ ョン 医療 にお ける患者 との コ ミュニケー シ ョンについて 看 護 の ア ー トと は 看護 は単なるサイ エンスではな くて,サ イエ ンスに よって支 え られて い るアー トであると申 しま した。 も 一言 ふれてお きま しょう。特 に申 し上 げた いのは,言 ちろん,看 護学 がサイエ ンスである事 に異存 はありま せん。 そ して皆様方 が適切な看護の技術 を発揮する為 揮す る事が必要 だ と申 しま した。 それがためには,ま ず患者 との間 に良 いコ ミュニケー シ ョンをはか る必要 に,そ の支 え となるサイエンスとしての看護学が必要 があ りま しょう。 その媒体 としての言葉, これが重要 とな って くるのであ ります。看護婦 は生涯にわたって であ ります。 葉 の重要性 ということであ ります。看護す る者 が患者 との間 に信頼関係を築 くためには,看 護 のアー トを発 日本看護研 究学会雑誌 Vol.18 No l 1995 看護 へ の期待 患者 に話かける言葉 のなかに,温 かい,豊 かな看護 続 いて,部 屋 の看護婦 が入 ってきた。 これ も決 して の心が込 め られているように努力 していただ きたいの 座 らない。規則 で もあるのだろうか。 そそ くさと仕事 であ ります。乱暴な言葉を使えば患者いかを閉 じます。 みたいな事 を して 「 頑張 って くださいね。気 の持 ちよ 時 には敵意を抱 くことさえあ りま しょう。豊 かな心で うですよ。」 と,少 し哲学的 な事 を加味 して,結 局 は 患者 に話 しかければ,患 者 は必ずや心を開 いて くださ 部屋 を出ていった。 ることであ りましょう。そ して 自分 についての全ての 事 を看護婦や医師 に話す に違 いあ りません。 作家 の吉村昭さんが書かれた ものに 「お大事 に」 と い う題 の随想があ ります。吉村 さんは若いとき肺結核 続 いて,家 の者 が入 って きた。 それが妻であ り,夫 であ り,子 であ り,ま た兄弟で もあ った。 この連中は ベ ッ ドの横 に座 った。視線 も低 く,患 者 の 目の位置で ある。患者 は何 よ りもまず気持 ちが落 ち着 いた。 のために胸郭成形術を受 け られま した。 その手術 を し 「どう,気 分 は。」 て くだ さった先生 にたまたま名古屋 の駅頭 でば った り 「うん」 出合 いま した。す る と先生 は吉村 さん に向 か って, 「ああ吉村君,元 気で いるか,良 か ったね。 」 そ こへ 発車 のベルが鳴 りま した。先生 は急 いで列車 に乗 りま 「いや Lど うだかな。」 した。 そ してその時,そ の先生 が 「お大事 に」 と一言 「いや,だ めだ と思 った らあんな もんだよ。」 いわれま した。 その 「お大事 に」 という言葉 が今 で も 「 楽 にな ったの ? 薬 は効 いて きたの ?」 「お医者 って何 を言 っているのか しらね。」 座 った連中の態度 はどこか真実味 が ああゝれて い る。 吉村 さんの鼓膜 の奥 にこび りついていて離れないとい 皆 がそ うだ とは言わないが,だ いたいこんなのが多 い う随想であります。 ようだ。医 は ビジネスではない。対峙す る病人 との交 「お大事 に」。全 く当た り前 の ことであ ります。 こ 流 の態度が,顔 色が,つ まり温かい心が肝要だ と,私 の 「お大事 に」 とい う簡単 な呼 びかけ,そ れが医療人 と患者 との間 に良 い コ ミュニケー ションをはかる上で, はつ くづ く思 いあ ぐね るばか りであ った。』 まず大事な事ではないか と思 うわけであります。 ションをはか る上で重要 な もので あることを示唆 した また,名 優 の森繁久弥 さんが病気で入院されました。 医師や看護婦 の 目と患者 の 目の位置が コ ミュニケー 随想 だ と思 いま した。 その入院 された時の印象 を,「 目の位置」 とい う題で 随想 を書 かれま した。それをち ょっと読みあげてみま しょう。 チ ー ム 医 療 の必 要 性 最後 にチ ーム医療 の必要性 について 申 し上 げます。 『 子供 の絵を見 ると,鼻 の穴ばか り大 きな変 な顔 が 今 さら申す まで もあ りません。医療 は医師だけでで き 描 いてある。 あれは下か ら上を見上 げる子供達 の観察 るものではありません。医師 を支 えて くれる各種 の医 のせいで はないだろうか。 療職種 の方 々の支 えによって成立す るものであります。 まず,婦 長 が病室 にきて,や がて 「回診 ですよ」 と 私 たちの大学,慈 恵医大を創立 した高木兼寛先生 は, 告げ る。院長 はい ささか重 々 しく入 ってきたが,そ れ 明治 の初 めの時代 に,「 医師 と看護婦 は車 の両輪 であ もた くさんのお供をひき連れての ご来光 である。不思 る」 という言葉を残 されま した。素晴 らしいと思 いま 議 な ことに,院 長 は何を急 いでいるのか,立 ったまま す。当時は,看 護婦 はお手伝 いさんにす ぎませんで し で,死 も近 い患者 に向か って た。教育 もあ りませんで した。 これではいけないとい 「どうですか,お かげんは。」 うことで,高 木先生 は看護婦教育所を明治18年に設立 「はい, ま あ, 少 し。」 されたのであ ります。 あの時代 に,「 医師 と看護婦 は 「もうち ょっとたてば薬 も効 いて きま しょう。」 車 の両輪 である」 という言葉を残 された事 は,先 生が 「 先生だ い じょうぶで しょうか。」 いかに偉大 な人物 であったかをよ く示 していると私 は 「 大丈夫ですよ。ではお大事 にね。」 思 います。 それだけ言 ってさっさと立 ち去 って しまったのであ る。 ぞろぞろついて きた若 い医師 も看護婦 も何 とい う 医師 の方 々には, もっと謙虚 になって,看 護婦 さん をは じめ医療を支えて くれ るコ 。メデ ィカルの方 々に こと もな く出て いった。 対 して も感謝 の気持 ちを もってほ しいと思 うので あ り 日本看護研究学会 雑誌 Vo1 18 No l 1995 看護へ の期待 ます。 また一方,看 護婦 さん方 には, もっともっと勉 “ ",仏 “ "と でいう 愛 言 って もよ いで 教 でいう 慈悲 強 して いただいて,医 師 と共通 の言語 で会話 がで きる ありま しょう。 ようになっていただきたいと願 うものであ ります。 第 3に ,患 者 との対話,言 葉 の重要性を, も う1度 ここで考えてみま しょうと申 し上 げま した。医師や看 お わ りに 護婦 は言葉を使 う専門職であります。 今 日は色 々とお話 を して まい りま した。結局申 し上 そ して第 4に ,医 師は看護婦 に対 して常 に感謝 の気 持 ちを捧 げ,看 護婦 は今 よ リー層勉強 して,医 師 と同 げたか った事 は次 の 4つ の ことであ ります。 第 1に ,進 歩発展す るサイエ ンスと しての看護学を 生涯 にわたって学 び続 けて い きま しょうと,生 涯教育 の ことにふれま した。 じ言葉 で対話 ので きる日が 1日 も早 く来 るように, と い うことを申 し上 げたつ もりであ ります。 皆 さんはどうぞ御 自分 の置 かれた位置を十分 に認識 第 2に ,看 護 はサイエ ンスによって支 え られたアー トであると申 しました。看護 のアー トとは,看 護 の技 術 プラス看護 の心である。 そ して看護 の心 とは,共 感 慰め,そ して奉仕。 この 3つ であ ります。 キ リス ト教 されて,今 後共,看 護 の学,看 護 の術,そ して看護の 道 の 3本 柱 を目指 して,研 鑽 され,看 護学 の研究 に従 事 されることを祈 って止みません。 御静聴 あ りが とうございま した。 日本看護研 究学会雑誌 V01 18 No.1 1995
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