潰瘍学 ― 過去、 現在、 未来 ― 第 41回日本潰瘍学会 樋 口 和 秀 大阪医科大学第二内科 編著 潰瘍学 ― 過去、 現在、 未来 ― 第 41回日本潰瘍学会 樋 口 和 秀 大阪医科大学第二内科 編著 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 3 巻 頭 言 「第 41 回日本潰瘍学会」を、平成 25 年 12 月 6 日(金)~7 日(土)の 2 日間、ホテル阪急エキス ポパークにて開催させていただきました。 日本潰瘍学会は旧日本実験潰瘍学会を改称し広く種々の臓器における潰瘍に関する研究を推進し、 基礎および臨床研究、さらに今後ますます重要性を増すと考えられます新薬開発などの成果を発表す る場を提供することを目的としております。本会の活動を通じ、潰瘍発生機序・治癒過程等の理解を 深め、治療と予防に関する知識を広く普及させるための研究・教育を充実させることも重要でありま すが、さらに行政や企業との連携の下、より有効なアプローチ法を模索し、食道~大腸にいたる潰瘍 および潰瘍病変を有する患者の生活の質の向上や新薬開発が求められております。今後益々発展が期 待される領域であり、本会の負うべき責務は大きいものと考えております。 今回は、テーマを「原点からのさらなる飛躍」とし、本学会員一同大阪に集い、本学会の前身であ る実験潰瘍懇話会の時代まで遡って潰瘍研究のルーツ、現在までに見出された潰瘍研究の知見を知 り、それを踏まえたうえで最新の研究成果を語りあい、未来の潰瘍研究のあり方を模索し、さらに発 展飛躍させたいと考えて企画しました。 シンポジウムは、「潰瘍治癒を考える:from Esophagus to Colon」という主題で、ワークショップ は、「薬剤性消化管粘膜傷害に関する新知見:from Esophagus to Colon」という主題で行いました。 もともと本学会は胃潰瘍の研究から始まりましたが、現在では、この題名“from Esophagus to Colon”のように全消化管の潰瘍性病変にまで研究は広がりを持ってきました。 今回のもう一つの目玉として企画したイブニングセミナーでは、「潰瘍学を考える~先達者からの メッセージ~」ということで、小林絢三大阪市立大学名誉教授、岡部 進京都薬科大学名誉教授、川 野 淳大阪大学名誉教授に、潰瘍学の原点、私の潰瘍学をお話しいただき、それに引き続き若手研究 者にこれからの潰瘍学を発展させるべく温かいメッセージを送っていただきました。この時に、若手 研究者に先達の歩まれてきた道を何らかの形で残し伝えることが重要であるとひしひしと感じまし た。そこで、今回の学会を記念して、“私の潰瘍学”を本学会会員の主だった先生方にご執筆いただ くことにしました。お忙しい中、多数の先生方にご投稿いただき「潰瘍学」の真髄、今後の進んでい く道をお示しいただけたと深く感動しております。 最後に、本記念誌にご投稿いただきました先生方にこの場をお借りして厚くお礼申しあげます。ま た、本学会がますます発展していきますことを祈願して巻頭言をしめたいと思います。 第 41 回日本潰瘍学会会長 大阪医科大学第二内科 樋口和秀 執筆者一覧 小 林 絢 三 第 24 回日本潰瘍学会 会長 7 渡 辺 和 夫 第 10 回、第 21 回日本潰瘍学会 会長 12 林 徹 第 28 回日本潰瘍学会 会長 15 北 島 政 樹 第 30 回日本潰瘍学会 会長 18 寺 野 彰 第 29 回日本潰瘍学会 会長 27 岡 部 進 第 6 回、第 16 回日本潰瘍学会 会長 30 佐 藤 宏 第 35 回日本潰瘍学会 会長 36 川 野 淳 第 34 回日本潰瘍学会 会長 45 竹 内 孝 治 第 32 回日本潰瘍学会 会長 49 荒 川 哲 男 第 38 回日本潰瘍学会 会長 55 屋嘉比 康治 第 43 回日本潰瘍学会 会長(2015 年開催予定) 65 高 橋 信 一 67 城 卓 志 69 中 村 正 彦 第 37 回日本潰瘍学会 会長 71 吉 田 憲 正 78 谷 中 昭 典 第 39 回日本潰瘍学会 会長 85 樋 口 和 秀 第 41 回日本潰瘍学会 会長 94 有 沢 富 康 103 内 藤 裕 二 106 中 島 典 子 110 堀 江 俊 治 113 鈴 木 秀 和 119 渡 辺 俊 雄 124 加 藤 伸 一 131 天ヶ瀬紀久子 135 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 7 胃潰瘍学を想う 大阪市立大学名誉教授 小林 絢三 Cous(460-377BC) と あ り、 黄 色 胆 汁 様、 黒 はじめに 色粘液様のものを嘔吐するという生々しい記載 今から 50 年前(1960)薄暗くした小手術室 に始まっている。時を経て、フランスの生理学 で、胃カメラ(V 型)での撮影を細々とはじめ 者 J. Cruveilhier(1829)は、胃潰瘍について ていた頃、ある日、撮影後のフイルムを現像に は、その病理解剖、症候、さらには治療にまで 出した後、ぶらりと、昼食を兼ねて、病院の近 詳細に記載し、胃炎、胃がんから胃潰瘍を区別 所にある古書店に入った。医学系書棚の片隅に し、独立した臨床的疾患単位として確立させ 「胃潰瘍…」の文字が目に入った。著者名が岡 た。すなわち、その臨床像とともに一種独特な 林 篤、大阪市立医科大学教授とあり、はて、 病型として、独立させたといわれる(松尾3)、 学生時代に講義を受けたことがあったかな?と 岡林1))。単純あるいは円形の慢性潰瘍(Ulcus 思い、手に取った(消化器の臨床:一冊の本、 Ventriculi chronicum simplex, rotundum) は 1999)。たしか、病理学の講義でアレルギーか、 今日まで通用する概念である(増田4))。 免疫学の内容であったことを思い出し、なにか その後、21 世紀の今日に至るまで、多くの 病理形態学、臨床病理学的研究、学説がそれぞ 感ずるものがあり購入した。 本書の購入から、40 年後「消化性潰瘍 現 れの時代時代に生まれるべくして生まれた。各 状とトピックス、第 2 版、1996; (初版、1988) 」 学説の斬新な視角から、その形態その発生は暫 を上梓することができたが、岡林教授の「胃潰 次、明るみに出されてきた。 1) 瘍その形態その発生」 によって、目覚め、教 多くは、胃の病態生理学的視点から、胃酸 えを受け、ものごと(事実)の底にある「真実」 と、それと対応する粘膜、粘液、血流など粘膜 を洞察する心をもてと教えられ、今日まで実行 側との対峙の中で、病因論が闘われてきた。こ してきた。[後日譚;岡林教授より拙著に対す れ等の対峙の果実は、特に治療、なかでも薬物 る御叱正を頂いた]。筆者が胃潰瘍の研究の流 の開発、薬物療法の基本的思考に大きく貢献し れにのめりこんだ理由である。 た。しかし、その一方で、潰瘍ことに胃潰瘍 が、どのような個性を有し、その発生がどのよ うなものであるか、なぜ忽然と個性を持って発 本論文の目的 生するのかの神秘に迫る研究は少ない。発生病 2) 近代胃潰瘍学史によれば(森賀 )、胃、十二 態、病理形態学にこだわった、すなわち、潰瘍 指 腸 潰 瘍 の 歴 史 書 へ の 記 載 は Hippocrates の発生に迫る病理学的追及は潰瘍学の王道であ 8 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 り、その上に胃酸と粘膜の対峙の流れに迫る病 近は NSAIDs、アスピリンなど薬物による胃病 態生理学的果実を加味することから、その「真 変が注目され、さらに、消化管粘膜における傷 実」にも迫ることが出来ると考えられる。 害反応の場の焦点は小腸、大腸に移っている。 1) 岡林 は、大阪市立医科大学をはじめとして 全国 29 の医学部、医科大学の病理解剖材料の 資料の分析から、「その所見の読解にあたって 胃潰瘍の個性(典型的胃潰瘍)とは? は、これに混入すると思われる第二義的な病変 胃潰瘍は、その成り立ちはともかくとして、 を極力排除することが必要である。また、逆に ある個性をもったものであった。すなわち、組 潰瘍胃に潰瘍病変と本質的につらなるが如き変 織学的に深さ、組織反応、好発部位、ならびに 化が現れるとするならば、その所見がたとえ微 症状をもつものとされてきた。先にも述べた かであっても重視すべきであることは言うまで が、Cruveilhier は、 そ の 著 書「 人 体 解 剖 」 もない」と述べ、さらに、全身の他因子による (1829)で、「胃固有層に達する円形または楕円 介入、その個人の生活史などとの総和が胃潰瘍 形の 1 個ないし 2 個の潰瘍が胃角周辺に好発 を形成することになると喝破されている。今日 し、慢性に経過する」と定義した。 指摘されているストレス、糖尿病、腎疾患など Askanazy(1921) は、4 層 構 造: す な わ ち 担体における背景要因の胃潰瘍への影響の示唆 浸出層、類繊維素壊死層、肉芽層、瘢痕層と胃 である。 潰瘍底の組織像を分析した。岡林はこの考え方 は、今日にあっても、そのまま生きているとし 胃潰瘍の病因論(事実解明): 王道を継承すべき…今 た。Askanazy は層構造のうち、肉芽層に関し ては、修復反応、陳旧再生性のものとするのに 対して、岡林は分画炎の反復と再発作という、 「胃という臓器にこの種の潰瘍が発來する最小 むしろ動的概念を与えている。病理組織の示す 限の条件、言い換えると潰瘍胃の純粋像とはど 反応の解釈に加えて、近代科学としての、免疫 のようなものであろうか…」 学、アレルギーの思考を導入した。特筆すべき 潰瘍発生の病因論の論争の中で岡林理論をど はその発生に肉薄し、組織学的に潰瘍発生(初 のように位置付けるかは別として、潰瘍はまさ 発)の動態を推論、証明しようとしたことであ しく、単なる組織欠損でなく、組織反応の結果 る。 招来されるものであることに目を向けること 近年に入り、Feldman(1989)らは、プロス は、重要な考え方であり、潰瘍=ヘリコバク タグランジン(PG)抗体を用い、ウサギ、イ ター感染症と言われる今日〔再発を繰り返す潰 ヌなどの胃・十二指腸に弧在性、ある深さを 瘍に対して除菌が成功すると、有意に再発が抑 もった潰瘍像を提示し、それまでの胃潰瘍の基 制 さ れ る。 エ ビ デ ン ス と し て 認 知 さ れ、H. 本的な組織像を満足する潰瘍の作成に成功して pylori は、胃十二指腸潰瘍の第一義的な発生要 いる。内因性の PG の意義を強調したものであ 因であるという(浅香;2003)。胃炎に対する り、岡林の病巣アレルギー説と関連して、極め 除菌療法が保険適用(公知申請承認)となった て示唆に富む結果である。 (2013)〕においてもなお不明(不確実)のまま さらに、村上(1971)は、切除胃における検 残されており、「学」として解明すべき課題で 討で、前、後壁側を含めると、殆どが胃角部、 あると考えられる。 小弯近郊に存在するとし、詳細な病理組織像の 除菌療法の確立により、確かに胃潰瘍の頻度 追求が「胃潰瘍」という疾患を知る必須の要件 は激減したことは事実であり、その一方で、最 であると指摘した。同じ頃、胃角部に好発する 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 9 ことに関しては、大井の「胃潰瘍二重規制説」 (1968)は我が国から世界に向け発信され、受 け入れられた最初の報告として知られている。 胃潰瘍の個性は変化したのか? いや、変化してしまったのか? 本書を再読すると「内視鏡的に潰瘍の発生初期 振りかえると、胃潰瘍の病態生理学、発生病 像を予知、指摘できないか」と予言された記載 理学の立場からの追求(研究)の流れには流行 があることを知り、驚いたが、ここで、過去の があることに気づく。古くは発生病理に、近年 業績(論文)の真意、本質が上っ面的に評価、 は病態生理に視点をおいた研究の流れである。 他者の論文の表面上の引用に終わっている現状 1950 年代から見ると、プラスミン系、アラキ が多いことに愕然とし、あらためて、その過去 ドン酸系、壁細胞受容体と焦点は移り、今日の の果実(事実、真実?)をもう一度、理解し、 話題の大半は H. pylori(1983)である。加え 深く掘り下げるべきであると筆者は考え、今日 て、高齢化社会を背景に、NSAIDs、アスピリ まで実行してきた。 ンなど薬物による胃病変が注目される時代と なった。 潰瘍の発生に迫る(急性胃炎、 急性潰瘍は慢性潰瘍になるのか?) くどいようであるが、胃潰瘍の病態ことに臨 床病理に関する話題は殆ど見られない。発生病 理に関しては何をか言わんやである。 潰瘍は何故こつ然と発生するのか?の問題を ひとまず置き、急性胃病変に包含される急性潰 瘍が慢性潰瘍になるのかについては、研究は少 (1979)は 165 例の急性胃病変 ないが、鈴木5) やっと、胃潰瘍学を王道に戻す 研究が出てきた!! の切除例の検討、すなわち、切除胃における組 また、ここで問題にしたいのは、近年、学会 織学的検討から、胃炎、びらんは胃潰瘍に随伴 誌、商業誌、学会発表などにおいても、対象と して観察されているが、その特徴は胃体部に多 する胃潰瘍は、典型像どころか、胃粘膜上に発 く、不整形、楕円形を呈し辺縁は打ち抜き様 生する多彩な病像を呈する胃粘膜傷害をすべて で、穿通潰瘍が多いとし、組織病理形態として 「胃潰瘍」と断じ、臨床上のみならず、基礎研 は急性ないし亜急性であり、慢性化への経過は 究(実験モデル)においても取り扱っているの 否定しえないとしている。岡林のいう組織病理 が現状である。「びらん」であるか「潰瘍であ から、胃炎、びらん、潰瘍を胃潰瘍症候群と捉 るか」こだわらない?のが風潮である!! える追究こそが、IVY が Minerva の誕生に例 NSAIDs、ならびにアスピリンがどのような えた胃潰瘍発生の神秘に迫る道筋であると結論 形態学的特徴を持つのか、内視鏡的には、よく している。 知られており、筆者も過去には、アスピリンは 近年は、急性胃病変(AGML)の話題も乏 点状の発赤、出血斑であり、NSAIDs は前者よ しくなり、AGML の形態学的変遷の検討より りやや大きい、不整形の深い病変であると認識 も、NSAIDs、アスピリンなど薬物に起因する していた。 残念ながら H. pylori のあるなしの 粘膜傷害の発生機序に大方の話題が集まり、臨 分析はしていないが、内視鏡的に良く区別でき 床形態にこだわった分析は少ないが、急性胃病 るな!!と考え、記載した6)。 変の経過、発生背景など詳細な分析も必須の要 件として残しておきたい問題である。 最近、背景に H. pylori を意識した報告が見 7) 。すなわち、NASIDs、LDA(低 られる(Kim) 用量アスピリン)の特徴は、部位は胃の lower portion に、形態は NSAIDs は多発、不整形、 10 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図1 LDA のそれは多発であると記載している。し のみで山に登っていないと言う思いのみが残っ かし、本研究においても H. pylori を主病因? ている。 とする傷害(潰瘍?)の形態的特徴について知 りたいところである。 しかし、この分野においてすらも、過去の業 績が、真実がどうかはともかくとして事実す ら、正しく、理解(紹介)されていない多くの 本論文の結論 (事実ひいては真実の継承) 事実があることにも気付いた。本稿で詳述する ことは避けたいが…。 ([Shay13)、Robert、QOUH15),16)、サイトプロ 一方、視点を胃の病態生理(機能面)に移 テクシヨン13)、胃潰瘍ガイドラインの病態生理 し、振り返ると、胃酸分泌、胃粘膜防御機構と 解説文などの事項に関して、]多くの現象の事 の対峙も永遠の課題である。最近、病態生理学 実が理解されていないまま引用、紹介されてい 領域では、粘液の意義の再評価 8) ,9) 、ストレス ることを憂う!!) の意義(東北大震災に関連して10))を強調する 視点を本論に戻し、「胃潰瘍」の捉え方が、 業績がみられることに筆者は興奮すら覚える! 混屯とし、今日、典型的とされる個性ある胃潰 筆者は、典型的胃潰瘍の発生病態を探る試み 瘍は、時代とともに多くの修飾因子、すなわ は、まず、「胃に病変が出来ないのはなぜか?」 ち、環境要因、H. pylori 除菌の徹底などによ 「潰瘍が発生しない胃の状態はどうなっている のか?」「胃粘膜の恒常性維持とは、何か?」 り、その個性が失われ、単なる病像群となって しまったのか?の思いである。 などから始め、面から「点」に視点を移すと言 限局性で、しかも好発部位を有する個性ある うことから真実に迫るべきと考え実行してき {胃潰瘍}の本質を多くの先人が見出し、それ た11),12),13),14)。残念ながら、富士山の麓を廻った を、後世に伝えんとされた知見をもとに、新し 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 11 い病態生理、分子消化器病学的追及結果を加味 することで明らかにしようとする土壌が出来つ つあった(酢酸潰瘍;岡部、竹内) (潰瘍再発; 荒川、樋口、渡辺俊)。 岡部の酢酸潰瘍17)、渡辺の酢酸潰瘍再発モデ ル18)は QOUH の概念、粘膜防御の彗星理論13) とも絡み、その延長線上に今後の進む方向性が 見えているのではないか?と考えている。 しかし、残念ながら、この期待は頓挫し、現 状は真実が解明されないまま、今、潰瘍学の歴 史から忘却されようとしている。 くどいようであるが、NSAIDs、あるいはア スピリンなどの薬剤起因性の粘膜傷害はひとま ずおいて、H. pylori が、単独で、或いはいろ いろな背景、修飾因子などとどのようにからみ ヒトにおいて組織学的に満足できる胃潰瘍(典 型的胃潰瘍?)を作るのか、明快に説明する知 見を期待したい。 そのためには、ここで、現状を見直し、典型 的「胃潰瘍」を中心に、総ての粘膜傷害を包含 した「胃の潰瘍」あるいは「胃の粘膜傷害= Gastric Mucosal Injury(GMI)」という概念で 大きく捉え、改めて仕切り直しで、それぞれの 傷害の病態生理、発生病理学的追及を進めるべ き時期にきていると考える。 文 献 1)岡 林 篤:胃潰瘍その形態その発生,永井書店,大阪, 1954 2)森賀 本幸;我が国の潰瘍の歴史,内科側から,日本消化 性潰瘍学 医科学出版社 東京,1995 p.6 3)松尾 裕:消化管ホルモンおよび自立神経と消化性潰瘍: 胃・十二指腸潰瘍のすべて,吉利 和 編 南江堂 東 京,1971,p.31 4)増 田正典;歴史:胃・十二指腸潰瘍のすべて,吉利 和 編 南江堂 東京,1971,p.9 5)鈴木 博孝;急性胃病変の臨床病理,急性胃病変の臨床: pp.32-44,医学図書出版,東京,1979 6)小林 絢三,鎌田 悌輔;急性胃病変の臨床(1)薬剤によ る急性胃病変,急性胃病変の臨床:pp.100-124 医学図書出 版,東京,1979. 7)Kim Y., Miwa H. et al;Endoscopic and clinical features of gastric ulcers in Japanese patients with or without Helicobacter pylori infection who were using NSAIDs or lowdose aspirin, J Gastroenterology(2012)47;904-911 8)Ijima K., Shimosegawa T. et al;Reactive increase in gas tric mucus secretion is an adaptive defense mechanism against low-dose aspirin-induced gastropathy, Dig Dis Sci (2013)58(8)2266-2274. 9)Ijima K., Abe Y. et al.;Association of gastric acid and mu cus secretion Level with low-dose aspirin-induced gas tropathy. J Gastroenterology(2012)47;150-158. 10)Kanno, T., Shimosegawa T., Peptic ulcers after the Great East Japan Earthquake and tsunami;possible existence of psychosomacial stress ulcers in humans. J Gastroenterol (2013)48;483-490. 11)小 林 絢 三, 荒 川 哲 男: 非 ス テ ロ イ ド 系 抗 炎 症 薬 (NSAID)起因性胃粘膜傷害の機序と対策:最新内科学大 系,プログレス 8 消化管疾患 pp.203-209,中山書店, 東京,1977. 12)小林 絢三,荒川 哲男:消化性潰瘍ヘリコバクター時代 における現状とトピックス,永井書店,大阪,1996 13)小林 絢三;胃はなぜ溶けないの?―時代の証言―,ライ フサイエンス,東京,2005. 14)樋 口 和秀,小林 絢三:消化性潰瘍の現状について, year note 内科・外科等編(2010 年版)Medic Media,東 京,2010. 15)小林 絢三;QOUH の評価をめぐって―消化性潰瘍の最前 線(小林絢三,井田和徳,荒川哲男編)東京医学社,東京, 1993. 16)Arakawa T, Watanabe T, Tanigawa T. et al.:Quality of ulcer healing in gastrointestinal tract:Its pathophysiology and clinical relevance. World J Gastroenterol. 2012;8 (35):4811-4822. 17)Okabe S, Roth JLA, Pfeiffer CJ:A method for experimen tal, penetrating gastric and duodenal ulcers in rats. Am J Dig DiS(1971)16;277-284. 18)Watanabe, T., et al.;Role of neutrophils in rat model of gastric ulcer recurrence caused by interleukin -1 β, Am J Pathol,(1997)150, 971-979. 12 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 わたしの潰瘍学 ―スクラルファート、 シメチジンの歴史秘話― 千葉大学名誉教授 渡辺 和夫 私は昭和 33 年に東京大学大学院に進学し、 てくるのが Shay rat だった。その原報は戦時 高木敬次郎教授の薬品作用学教室の門下生と 中の雑誌で、東大図書館にもなかった。苦心の なった。その時与えられた研究テーマが「実験 末原報を手に入れ、文献を頼りに実験を開始し 胃潰瘍による潰瘍治療薬の薬効評価」であっ た。直接ご指導を頂いたのは当時助教授の粕谷 た。東大薬学部は、この年に医学部薬学科から 豊先生(後に東大教授、星薬大学長、今年 6 月 薬学部として独立した年であった。がん化学療 ご逝去)であった。粕谷先生は、独自の受容体 法剤の世界第一号のナイトロミンを開発した石 理論から既に新規抗コリン薬を開発され、アス 館守三教授が学部長で、誇らかに学部の独立宣 パミノールとして上梓されていた。この薬物を 言の演説をされたのを鮮明に記憶している。こ 抗潰瘍薬として薬効評価するのが当面の目的で の頃、高木研究室は、発足したばかりの講座の あった。 基本理念を、薬物受容体理論確立と生物検定法 紆余曲折があって、とにかく Shay rat の潰 に基づく計量薬理学的研究に置いていた。この 瘍の計量化に成功し、抗コリン薬、制酸薬がき 時代、薬物受容体は便利な仮説ではあるが、実 れいな用量-反応関係を示して潰瘍に良く効く 体の存在しないものとされていた。これを具体 ことが分かった。さらに、用量-反応関係が計 的に存在するように考えて研究するなどドンキ 量的で、計量評価がやり易いことも明らかにし ホーテだと、学会の席上で高木教授が揶揄され た。これを利用して、抗コリン薬と制酸薬の併 たのが忘れられない。揶揄した有名教授は、間 用効果を評価し、両者が Bürgi の法則に従う相 もなく神経伝達物質受容体の権威に変身した。 乗効果であることを証明した。このような成果 一方、計量薬理学は用量-反応曲線解析と病 を薬学会の地方部会で発表したとき、石館守三 態モデル利用が基本で、鎮痙薬、抗炎症薬、冠 大先生が最前列で私の講演を聴いておられ、実 血管拡張薬の研究で実績を挙げていた。つま 験の再現性などについて質問もして下さって り、「私の実験潰瘍」はこの枠組みにしっかり びっくりした。その後、石館先生から高木先生 組み込まれていたのであった。 に共同研究の申し入れがあったと聞かされた。 すぐに中外製薬から研究員が派遣されてきて、 Shay rat とスクラルファート 私の実験法を伝授することとなった。 研修を終えて、この研究員が帰られて一か月 研究室では実験潰瘍を手掛けた先輩はいな ほどして中外製薬の研究所に呼ばれ、行ってみ かったので、文献検索から始めた。一番よく出 ると、びっくりした。一室に 50 人程の女子社 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 13 員が机を並べて一斉に、ラットの幽門結紮手術 会が結成され、岡部 進先生が活躍されてい を行っていた。ヘパリンのような硫酸多糖類は た。私もここで、Shay rat の実験の話題を提 強い抗ペプシン作用と抗凝血作用がある。グル 供させて頂いた。富山での出発は、苦難の連続 クロン強肝薬を中外製薬から出されていた石館 であったが、やがて名古屋で大学院を修了した 先生は、抗凝血作用のない硫酸多糖類を作れば 後藤義明先生が馳せ参じてくれて、一気に体制 胃潰瘍の薬になると考えられたのである。当 が整った。後藤先生と私は、カエルの摘出胃粘 時、外国にも同じ考えの仕事はあったが、糖分 膜の酸分泌測定法を確立していたので、これを 析が専門の石館先生は、多糖類の糖鎖を切断し 利用してロンドン大学の H. O. Shild の提唱し て行く戦略を考えられた。この戦略が大当たり たヒスタミンの Non-H1 受容体アンタゴニス で、糖鎖を蔗糖まで短くしても硫酸化した糖は ト の 検 索 を 懸 命 に 進 め て い た。 そ ん な 折 の 抗ペプシン作用が強く残存し、抗凝血作用は消 1972 年、Nature 誌に SKF 社の J. W. Black の 失したのだった。又、制酸剤の研究でアルミニ 「Definition of H2-Receptors」の論文が出た。 ウムが粘膜を保護することも分かっていたの 後にこの業績でノーベル賞を受賞した Black で、これを利用することも進言した。蔗糖硫酸 は、受容体薬理の泰斗、ロンドン大学の H. O. エステルアルミニウム塩即ちスクラルファート Shild の一派である。私はこの研究室に留学の はかくして誕生したのであった。 予定であったが、その前に富山大学赴任が決 その後、私は博士課程で、ストレス胃潰瘍作 まった因縁があった。Nature の論文は、遺伝 成のための「水漬拘束ストレス潰瘍作成法」を 子同定以前の時代の受容体定義のお手本のよう 考案した。しかし、何といっても、自分の修士 な立派な論文であった。この論文で彼らは H2 課程の成果が実際の医療に役立つクスリの誕生 受容体の特異的アゴニストとして 4 -メチルヒ に寄与出来たことは、私のその後の人生の大き スタミンを発見し、さらに構造-活性相関から な自信につながった。 ブリマミドを合成したのだった。つまり、特異 的アゴニストとアンタゴニストが存在すること シメチジンは富山から日本に上陸 した が、H. O. Schild による受容体の定義=存在証 明の必須条件なのである。私はすぐに Black に 「画期的な成果おめでとう。ついてはブリマミ その後、私は東大助手を経て、名古屋市立大 ドを少々下さい。」と、自分達の研究の別刷り 学薬学部で福田英臣先生の薬品作用学講座の講 を添えて厚かましい手紙を出した。するとすぐ 師に就任した。ここでは福田先生のご指導で脊 に返事があって、君達の研究は知っている。 髄神経伝達、神経-筋接合部の薬理を勉強させ 我々はモルモットの腸管とラットの子宮のヒス て頂いた。それとともに、抗潰瘍薬の薬効評価 タミン受容体しか使えなかった。君達の摘出胃 も継続し、他に、摘出胃粘膜の酸分泌測定法の 粘膜標本で是非、酸分泌における H2 受容体の 開発、胃粘膜ウレアーゼの研究を行った。ウレ 特異性を証明して欲しいと、十分な量のブリマ アーゼの研究は後から思えばピロリ菌につなが ミドを送ってくれた。早速、ウシガエルの摘出 る大きなテーマであった。名古屋市立大学には 胃粘膜標本の酸分泌で、ヒスタミンの酸分泌刺 アンモニアの微量拡散定量法の大家である石坂 激作用の用量-反応曲線が、ブリマミドで特異 音治先生がおられたのであった。しかし、7 年 的拮抗の証拠となる平行移動を示すきれいな 後、縁あって富山大学薬学部の教授に招聘され データが得られた。更に、高木研究室の得意技 て移籍した。この頃、東京では、梅原千治先 であるダイベナミンを用いた受容体保護実験で 生、高木敬次郎先生を中心として実験潰瘍懇話 ブリマミドが H2 受容体を特異的に保護するこ 14 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 とを明確に証明した。この結果を福田先生が名 の高木敬次郎先生に電話して協力を依頼した。 古屋で開催された薬物活性シンポジウムで発表 高木先生は即座に快諾してくれた。ここに、シ した。この時私は、H2 受容体遮断薬は確実に、 メチジン導入の扉が富山で開かれたのであっ 画期的潰瘍治療薬になると力説した。これが、 た。最初に SKF からブリマミドとして公表さ その後の日本での H2 遮断薬の開発競争引き金 れた H2 受容体遮断薬は、それに続くメチアミ になった可能性がある。又、この結果を Black ド、シメチジンと第二、第三の矢が準備されて に送ると、しばらくしてヨーロッパ SKF 社の いたのであった。 重役が 3 人、富山に飛来してきて、日本で H2 以上のように、ビッグな潰瘍治療薬の開発 受容体拮抗薬のシメチジンを上梓したいので、 に、微力ながら直接関与できたことは、非力な 協力してくれないかと打診してきた。当時はど 自分にとっては過分の幸運であったと考えてい んな薬でも日本に導入する場合、一般薬理から る。また、多くの製薬会社に入社した門下生 薬効薬理まで、日本でのデータが必要であっ が、潰瘍学会で活躍し、実用的抗潰瘍薬の開発 た。私は即座に、この大仕事は私の手に負える に成功していることも私の誇りである。「私の 問題ではないと判断し、3 人の重役の前で東京 潰瘍学」の歴史秘話はまだまだたくさんある。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 15 私の潰瘍学 ―実験潰瘍から― 東京医科大学名誉教授 林 徹 界をリードする実験潰瘍モデルであった。とくに はじめに cortisone を併用する C-C 法はヒトの消化性潰瘍 潰瘍とは単なる粘膜表層の浅い欠損ではな く、病理学的には胃組織の粘膜下組織に達する 組織欠損であり、また炎症である。 実 験 潰 瘍 モ デ ル で あ る Clamping ulcer(C 1) ,2) ulcer) や Clamping-cortisone ulcer(C-C 1) ,3) に酷似した潰瘍であり、 他に類のないものであった。 C ulcer はラットの胃の漿膜から胃壁をメタ ルクランプ(12 × 4mm、アルミ金属板)で、 24 時間挟み 24 時間後に取り外して作製する。 一方、C-C ulcer はこれに cortisone を併用し ulcer) は、消化性潰瘍治療薬の開発・検定、 て作られた。C ulcer は完全治癒に 3~4 週間、 抗炎症薬の有害反応の判定のみならず、炎症・ C-C ulcer は約 12 週間を要した。 再生の研究に大きな役割を果たしたと言える。 C ulcer の潰瘍 1 週目は、Ul-Ⅳの潰瘍であ 私と実験潰瘍の出会いは、1964 年に東京医 り、増殖帯が潰瘍底におちこみ、粘膜の再生が 科大学の第三内科(故梅原千治教授主宰)に入 局してまもなくのことであった。当時、Clamping1) みられ、炎症の再生期に相当した。 一方、C-C ulcer の潰瘍 1 週目は、ヒトの慢 cortisone 法(C-C 法) が発表されたばかりで 性潰瘍とそっくりの胃潰瘍であり、粘膜の再生 あり、入局 1 年目から実験潰瘍に取り組むこと はみられない。 になったのである。 この潰瘍モデルの優れている点は、組織標本 で潰瘍の各部位を実測し、粘膜筋板の欠損幅 実験潰瘍 (元の挫滅組織幅に相当)に対し、潰瘍縮小指 数(潰瘍治癒指数)や粘膜再生指数(再生粘膜 恩師、故梅原千治教授によって、東京医科大 の伸び)を算出することができることにある。 学に新たに内科学第三講座が開かれて 3 年目、 また、このモデルは数少ない胃組織の炎症モ 1963 年 に Clamping 法(C 法 ) が cortisone を デルとして、胃壁欠損(挫滅で漿膜 1 枚とな 併用した C-C 法と共に、梅原らによって、そ る)後に細胞湿潤に始まる炎症過程から、膠原 1) の第 1 報 が医学と生物学に発表されている。 私は C 法、C-C 法が教室で生まれ、正に世 線維に代表される増殖過程、粘膜における腺組 織の再構築過程まで、炎症・再生を観察できる に出ようとする状況下に入局したのである。 利点がある。 1.Clamping 法 2.消化性潰瘍治療薬の薬効検定 C 法1),2),3)によって作られる Clamping ulcer は世 C-C ulcer を用いて多くの潰瘍治療薬の薬効 16 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 が検定され、また新薬が開発された。しかし、 また、胃潰瘍再発についても、同じ部位に再 当時は重曹の効果を大きく凌駕するものはな 発することは稀である。実験潰瘍モデルでこの かったのである。このモデルは、わが国で開発 2 つの点を究明して行くことが重要である。 された粘膜防御因子増強薬の検定に有用であっ 1.潰瘍発生は粘膜筋板下の傷害による ラ ッ ト を 用 い 径 6mm 円 形 コ テ に て 25 秒 たと考えられる。 また、このモデルを用いることによって、潰 瘍治療薬の薬効の特徴を、粘膜収斂、粘膜再生 や粘液分泌などの作用別に検討4)することが可 間、漿膜および粘膜面より焼灼し、焼灼潰瘍を 作製して検討10),11),12)した。 65℃漿膜焼灼で、5 日目でエロジオンにとど 能である。 まるもの(25%)、完全な潰瘍(Ul-Ⅳ)を形成 3.抗炎症薬の潰瘍治癒に及ぼす影響 するもの(62.5%)である。 C ulcer で抗炎症薬の潰瘍治癒(組織修復・ 2) ,5) 1)潰瘍形成は粘膜筋板の壊死による することができる。 65℃漿膜焼灼 1 時間では、粘膜下組織に著明 グルココルチコイド(コルチゾン酢酸エステ な浮腫と、粘膜筋板に膨化・粗糙化がみられた 再生)に及ぼす影響を検討 ル、プレドニゾロンなど)の投与により、組織 が、粘膜の欠損は認められなかった。 欠損は元のクランプによる挫滅よりより大きな 24 時間では、粘膜筋板は変性・断裂し、粘 潰瘍を形成した。一方、非ステロイド抗炎症薬 膜の炎症が強く、粘膜全層にわたり細胞浸潤が (インドメタシン、アスピリンなど)の投与に あり、変性・壊死に陥っているものも認められ より粘膜の再生が抑制された。 た。一方、基底部粘膜に変性はみられるが、表 4.アルコール、嗜好品と潰瘍 層の粘膜欠損にとどまるものも認められた。そ C ulcer でアルコール、各種嗜好品の潰瘍治 癒に及ぼす影響を検討 6) ,7) ,8) ,9) した。 のような例では粘膜筋板に膨化・変性はみられ ても、断裂・壊死は認められなかった。 アルコール(エタノール)50%・2g/kg 投与 6) で粘膜の再生が抑制され、治癒の遷延化 が起 こることが明らかとなった。 食塩(table salt)は、1.8%・90mg/kg 投与 7) で粘膜再生の抑制 が認められた。また、コー ヒー(インスタントコーヒー)3%・150mg/kg 8) 一方で、粘膜焼灼ではそのような現象は認め られなかった。 2)粘膜筋板の壊死は血流障害による 漿膜焼灼で潰瘍が 100%形成される焼灼温度 (75%)で漿膜側と粘膜側を焼灼し血行の変化 をみた。 投与で治癒の抑制 がみられたが、砂糖(グラ 漿膜焼灼では、焼灼 1 時間で固有筋層の血行 ニュー糖)60%・300mg/kg 併用ではその抑制 杜絶がみられ、粘膜下層の動静脈は拡張し、 8) はみられなかった 。 ニ コ チ ン は、0.095 %・5mg/kg、0.19 %・ 10mg/kg 経口投与で、共に粘膜再生が抑制さ 9) れ、治癒の抑制 が認められた。 stasis が認められた。また、粘膜筋板上に沿っ て走る血管は拡張し、粘膜の上行柵状血管には 乏血像がみられた。 6 時間後では、粘膜の血行は上・中層部で杜 絶した。 実験潰瘍の二つの重要なテーマ ヒトの胃潰瘍の発生機序について、粘膜消化 による形成(peptic ulcer)か、粘膜筋板下の 障害によるものなのか、未だ明らかになってい ないと言っても過言ではない。 24 時間では、粘膜下層の動静脈は著明に拡 張し、stasis の状態であった。粘膜筋板上の血 行も一部を残し杜絶し、粘膜全層で血行が杜絶 12) していた 。粘膜は壊死に陥った。 一方、粘膜焼灼では、6 時間後も粘膜筋板上 の血行は保たれ、6 から 24 時間で上・中層部 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 17 の粘膜に壊死がみられ、3 日目に浅い潰瘍(Ul- どの慢性潰瘍の再発を論じることは不可能であ Ⅱ~Ⅲ)ができるに止まった。 ると考えている。 以上の結果から、漿膜側の焼灼によって、まず たとえ関節内視鏡などを用いたとしても、内 粘膜下組織の強い血行杜絶から、粘膜筋板の血 腔の小さな胃での治癒判定には無理がある。胃 行杜絶が起こり、 粘膜筋板が断裂・壊死を引き起 を開いて初めて潰瘍が残存しているのに気付く こし、深い慢性潰瘍が形成されると考えられる。 こともあるからである。また、慢性潰瘍モデル 3)潰瘍は最初から潰瘍である では炎症の程度によって、完全治癒までの期間 岡林13)は潰瘍は粘膜筋板に起こる突然のなん にバラツキがあることも一つの理由である。 らかの病変によって、その上部が崩壊するから だと述べている。また梅原14)は、C 法を完成す る過程で、粘膜の短時間の圧迫で粘膜が殆ど崩 おわりに 壊しているにも拘わらず、潰瘍が形成されない 私の潰瘍学は実験潰瘍に始まり、日本実験潰 という事実と、一方で粘膜筋板が壊死に陥るよ 瘍学会、国際実験潰瘍学会で育てていただきま うな圧迫で忽ちのうちに潰瘍ができてしまうこ した。本論文は、2003 年 3 月の最終講義“実 とを明らかにしている。 験潰瘍と私”16)の構成に準じたものであります。 著者15)も岡林、梅原の説のように、粘膜筋板 を含む粘膜下組織の傷害が血流障害を引き起こ し、潰瘍が突然形成されると考えている。 潰瘍は粘膜側からの酸・ペプシンによる消化 によって次第に深い欠損(消化性潰瘍)になる のではなく、粘膜を支えている粘膜筋板の欠落 によって、一気にできあがる、all or none の法 則によっている。 2.クランピング潰瘍に再発はない C ulcer を作製し、潰瘍形成から治癒までの 過程において、ストレスを負荷し粘膜傷害を検 討した。ストレスは高木のストレス・ケージを 用い、20 時間拘束し、その間 2 回 25℃の水浸 ストレスを加えた。 治癒機転の高くなっている C ulcer 7 日目で は、対照に比べ潰瘍指数(ストレスによる粘膜 傷害)はむしろ低値であった。治癒期にある潰 瘍は、ストレスに対しなんらかの防御機構、た とえば酸性ムコ多糖の増加などが働いていると 推察される。対照に比べ C ulcer ではストレス 潰瘍は浅く深いものは少なかった。 C ulcer は 5 週で完全治癒するが、ストレス 負荷では C ulcer 治癒部位の粘膜傷害は認めら れず、潰瘍の再発はなかった。 著者はラットなどの小動物で、C-C ulcer な 文 献 1)梅原千治,田林忠綱,渋谷栄一他:Clamping-Cortisone 法 によるダイコクネズミの実験的胃潰瘍.医学と生物学 66: 7-10,1963 2)林 徹,梅原千治:諸種抗炎症剤の Clamping 急性潰瘍 治癒に及ぼす影響.実験潰瘍―病態モデルとその病因― 101-110,日本メディカルセンター(東京)1976 3)梅原千治,林 徹:Clamping-Cortisone 潰瘍.実験潰瘍 ―病態モデルとその病因―130-140,日本メディカルセン ター(東京)1976 4)林 徹,伊藤久雄:クランピング・コーチゾン潰瘍.実 験潰瘍 187-195,医学図書出版(東京)1987 5)Umehara S, Hayashi T, Tsuji K, et al.:Trials to evaluate the hazardous effects of anti-inflammatory and ulcerogenic drugs on the stomach, Progress in Peptic Ulcer, Akadémiai Kiadó, Budapest, 709-727, 1976 6)林 徹,井上恵一郎,林 充他:アルコール経口投与に よる潰瘍の治癒遷延化.実験潰瘍 7:97-100,1980 7)林 徹,山本 硬,海谷幸司他:潰瘍治癒に及ぼす食塩 の影響.実験潰瘍 11:128-131,1984 8)林 徹,山本 硬,村田 実他:コーヒー・砂糖の潰瘍 治癒に及ぼす影響.実験潰瘍 10:102-104,1983 9)林 徹,山本 硬,坪井紀興他:ニコチンの潰瘍治癒に 及ぼす影響.実験潰瘍 12:30-33,1985 10)辻 薫:実験的漿膜焼灼胃潰瘍の発生機序の研究―特に 漿 膜 側, 粘 膜 側 焼 灼 の 対 比 ―. 日 消 会 誌 75:607-620, 1978 11)井上恵一郎,松浦銀次郎,林 充他:漿膜焼灼法における 焼灼温度別変化の検討.実験潰瘍 8:57-59,1981 12)古守豊典,村上 浩,山口賢一郎他:漿膜焼灼潰瘍及び粘 膜焼灼潰瘍における微小血管変化の比較について.実験潰 瘍 13:140-142,1986 13)岡林 篤:胃潰瘍―その形態その発生―11-12,永井書店(大 阪)1954 14)梅原千治,伊藤久雄,田林忠綱他:胃潰瘍の成因,遷延化, 並びに抗潰瘍剤の問題点―Clamping-Cortisone 潰瘍からの 展望―.臨床科学 7:173-186,1972 15)林 徹,金沢真雄,新妻知行:焼灼潰瘍ならびにクラン ピング潰瘍からみた潰瘍発生機序の再検討.実験潰瘍 28: 45-49,2001 16)林 徹: 実 験 潰 瘍 と 私. 東 京 医 科 大 学 雑 誌 61:1-7, 2003 18 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 私の潰瘍学 ―微小循環障害の制御と外科的臓器障害― 国際医療福祉大学 学長 北島 政樹 国際医療福祉大学病院外科 教授 吉田 昌 私がこれまで外科医として観てきた重要で普 遍的な臓器障害の一面に、微小循環障害があ る。白血球依存性の微小循環障害という非特異 的な障害パターンが Helicobacter pylori(H.P.) や Candida による潰瘍形成・難治化、胃粘膜 萎縮、胃癌の発生、さらには ABO 不適合肝移 植に深く関与していることを観察し、実際の症 例管理に活用することが可能であった。この始 まりは、私がまだ医師になりたてのころにさか のぼって説明する必要がある。 私が、術後管理を始めたころ、管理の仕方が 先輩によって全く異なることにとまどった。幽 門側胃切除術後に、経鼻胃管を留置する。この 経鼻胃管は、残胃の減圧をして、まだ縫合して 間もない吻合部の負担を軽減することが目的の 一つであった。術後 3 日目ぐらいまで待って、 排ガスを確認してから抜去するように指導され ることもあったが、手術翌日に抜去するように 指示されることもあった。吻合部の創傷治癒機 図 1 Softex による microangiography 吻合部の vascular communication は、術後数日から 出現した。 序がよく解明されていないことがこの混乱の原 因であると思い、吻合部の創傷治癒機序を検討 した。 討した。検討した項目は、病理組織像、collagen 量、抗張力、Softex による microangiography 消化管吻合部の創傷治癒機序の検討 などであった。抗張力は術後 3~4 日に一旦低 下し、その後 collagen 量とともに上昇した。 消 化 管 吻 合 法 の 検 討 で は、Gambee 吻 合、 縫合糸の中では、当時の Catgut は術後 3 日も Albert-Lembert 吻合、器械吻合、連続縫合、 すると抗張力がほかの縫合糸よりも明らかに低 結節縫合、縫合糸による差異などを経時的に検 下する結果であった。Microangiography の検 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 19 図2 Silicone rubber cast 熱傷 5 時間後に arterio-venus shunting channel の 開大が観察された。 討では、粘膜下層の浮腫・血管拡張は術後数日 まで認められるが、vascular communication(図 1) が 出 現 す る と、 そ の 後 消 退 し た。 こ の microangiography が、微小循環検討の始まり であった。 図3 胃粘膜への H+ Back-diffusion 熱傷 5 時間後に胃粘膜への H+ Back-diffusion は増加 した。 留学時の研究テーマ 私が留学したのは、Harvard Medical School, 突入することになった。帰国して杏林大学第一 Masachusetts General Hospital の 外 科 で あ っ 外科に勤務していた時には、胃粘膜血流の測定 た。 私 は、 当 時 注 目 し て い た、H+ Back- (図 4) 、Prostaglandin E2、Hexosamine、CoQ10 diffusion と微小循環障害の関係について研究し anion radical、Serotonine など、多岐のパラメー たいと考えていた。ラットの背部に麻酔下に 3 ターにわたり検討し、H+ Back-diffusion が増 度 30% の熱傷負荷をおこなう、熱傷ストレス 大する機序や、それを防止する方法について検 ラットモデルで検討した。熱傷 5 時間後に胃粘 討した3,4)。Silicone rubber cast は 2 色法を行 膜血流は低下するが、silicone rubber cast で微 い、より鮮明な標本で arterio-venus shunting 小循環を観察すると、胃粘膜下層で arterio- 5) 。 channel の開大を検討した(図 5) venus shunting channel の 開 大 が 観 察 さ れ た (図 2)。同時に、H+ Back-diffusion が増加し ていることが測定された(図 3)1)。したがっ 微小循環障害の生体内観察 て、 「 熱 傷 5 時 間 後 に 胃 粘 膜 下 層 で arterio- Silicone rubber cast での胃粘膜下層におけ venus shunting channel が開大し、胃粘膜血流 る arterio-venus shunting channel の開大の報告 + が減少するため、H Back-diffusion が増加し に対し、胃粘膜下層には arterio-venus shunting て胃粘膜病変が形成される」ことを示したわけ channel は存在しない、という意見があった。 + である。H Back-diffusion が増加するために 胃の粘膜下層の微小循環の生体内観察2)を行っ は、胃粘膜の「防御因子」の低下が介在するは て も、arterio-venus shunting channel が 観 察 ずであり、胃粘膜の防御因子を検討する時代に されない、ということであった。そこで、私が 20 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図4 水素ガスクリアランス法による胃粘膜血流の測定 熱傷 15 分後、および 5 時間後に胃粘膜血流は低下した。 図6 胃微小循環の生体内観察 胃微小循環の生体内観察法の観察窓は、漿膜~粘膜下 層が切除されている。胃粘膜下層ではなく、胃粘膜基 底部の微小循環の観察であった。 6) 。したがっ 底部の微小循環であった(図 6) て、生体内観察から、「胃粘膜下層に arteriovenus shunting channel が存在しない」という 意見は、まったく的外れの主張であったことに 図5 Silicone rubber cast(2色法) 熱傷 5 時間後に arterio-venus shunting channel の 開大が観察された なる。さらに、胃微小循環の生体内観察を行い ながら、不溶性の色素である、Monastral Blue B を投与してその流れを観察すると、arteriovenous shunting blood flow も観察された(図 7)7)。 慶應義塾大学外科学教室に教授として戻ったこ ろ、この生体内観察を実際に行ってみた。これ は、胃の漿膜・筋層の一部を切除して観察窓を 白血球依存性微小循環障害 作成し、胃の中に光源を挿入して顕微鏡で観察 胃 粘 膜 基 底 部 を 生 体 内 観 察 し て、 する方法であった。当初は、この方法は、それ carboxyfluorescein diacetate, succinimidy まで報告されていたように、胃の粘膜下層を観 lester で白血球を蛍光ラベルし、蛍光顕微鏡で 察する方法と思っていた。ところが、観察窓の 観察すると、微小循環内での白血球の動きを観 組織標本を検討すると、生体内観察法で観察し 察することができる。接着分子の一つ、selectin ている部位は、胃粘膜下層ではなく、胃粘膜基 の作用を抑制するために、Sialyl Lewis X analog 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 21 図7 胃粘膜基底部血流の生体内観察 水に不溶性の色素である、monastral blue B を投与して観察すると、細動脈を出て細静脈 内に流入し、流れてゆく色素が観察された。 を投与すると、白血球の内皮細胞への rolling が抑制され、Monastral Blue B でラベルされ た内皮細胞障害は減少、胃粘膜病変の形成も抑 制された8)。一般に、白血球依存性の微小循環 障害は post-capillary venule に起こりやすいと されている。熱傷ストレスラットでも、Monastral Blue B を 用 い て 検 討 す る と、post-capillary venule に内皮細胞障害が観察される(図 8)。 Helicobacter pylori(H.P.)による胃粘膜障害 においても、サイトカインを介した白血球依存 性の微小循環障害が重要視されている。H.P. の 場合、この障害が面をもって進むのが特徴であ り、post-capillary venule から collecting venule が障害を受ける。その結果、regular arrangement of the collecting venule(RAC)が消失する現 図8 Monastral Blue B による内皮細胞障害 labbeling Post-capillary venule に障害が起きやすい。 象が重要視されている。このことが、胃粘膜の 色調変化を生み、木村―竹本分類における胃粘 膜萎縮の内視鏡診断となるのである(図 9)。 内視鏡的胃粘膜萎縮と早期胃癌 胃粘膜萎縮と胃癌発生の関係の検討は古くか 22 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 9A Helicobacter negative:Regular Arrangement of the Collecting venules (RAC) 図9B Helicobacter positive:Disappearance of RAC ら言われているが、切除標本上の検討がその基 存在する癌は、早期胃癌の 1 割未満であること 盤となっていた。内視鏡の胃粘膜萎縮分類であ が分かった。ただし、closed type の萎縮に存 る、木村―竹本分類との関係も当然存在すると 在する癌はほとんどが未分化型の癌であった 思い検索したが、2006 年まで不思議と存在し (図 10)9)。このことは、胃粘膜萎縮の内視鏡 ていなかった。組織学的な萎縮の診断は、壁細 診断と組織学的診断の整合性を意味している 胞の消失が重要な所見であるが、色調変化、す が、同時に、微小循環障害と早期胃癌の関係を なわち、微小循環の変化で診断する内視鏡分類 間接的に示唆している。 との関係は未知のものであり、調べることとし た。すると、分化型早期胃癌の 98.1%、未分 化型胃癌でも 90.4% が open type(O-1~3)の 萎縮を認める胃に存在し(萎縮側か非萎縮側か は問わない)、closed type(C-1~3)の萎縮に もうひとつの白血球依存性障害 ―Candida による潰瘍増悪― 白血球依存性の微小循環障害はストレスと感 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 23 図 10 早期胃癌の背景としての木村-竹本分類 分化型早期胃癌の 98.1%、未分化型胃癌でも 90.4% が open type (O-1~3) の萎縮を認 める胃に存在し(萎縮側か非萎縮側かは問わない)、closed type(C-1~3)の萎縮に存在 する癌は、早期胃癌の 1 割未満であることが分かった。ただし、closed type の萎縮に存在 する癌はほとんどが未分化型の癌であった。 染に大別される。胃内環境で感染症を引き起こ すことができる微生物は非常に限られており、 通常 H.P. 以外は注目されていなかった。萩原、 中村10) は、出血性潰瘍および穿孔性潰瘍を組 織学的に検討し、多くの症例で真菌の菌糸が浸 出層壊死層に存在していることから、潰瘍と真 菌の重要な関係を示唆した。そこで、慶應義塾 大学病院での穿孔性潰瘍の発症 24 時間以内の 緊急手術症例で、腹水培養を行うと、Candida 陽性 41%、培養陰性 41%、その他の細菌 18% であった。さらに、切除例での潰瘍底の組織像 を検討すると、Candida が菌糸を伸ばし、周囲 に 白 血 球 の massive な 浸 潤 を 伴 う 症 例 が、 11) 。現象は捉えられ 44.4%であった(図 11) たが、Candida が潰瘍穿孔の原因に関連してい ることを証明するためには、実験が必要であっ た。そこで、私が杏林大学第一外科在籍時代か ら行っていた、Cysteamine による十二指腸潰 瘍穿孔モデルで Candida albicans を投与した 群と生食投与群を比較した12)。すると、十二指 腸 潰 瘍 の 穿 孔 が 起 こ る 確 率 は、Candida 群 94.1%、生食群 26.7% と Candida 群で高率で 図 11 胃潰瘍穿孔切除例の病理組織像 潰瘍底に Candida が菌糸を伸ばし、周囲に顆粒球の浸 潤を認める。 24 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 12 Cysteamine ラットモデルにおける十二指腸潰瘍穿孔の割合 Cysteamine ラットモデルにおいて、十二指腸潰瘍の穿孔は、Candida albicans を投与し た群で有意に高率であった。 図 13 Cysteamine ラットモデル Candida 群の病理組織学的検討 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 25 図 15 Prostaglandin E1 門脈内投与の肝動脈血流に 対する作用 ブタでの生体肝移植において、Prostaglandin E1 の 門脈内投与すると肝動脈血流量が高値であった。 た。すなわち、Candida が、白血球の浸潤を介 して潰瘍を増悪し、潰瘍穿孔に関与しているこ とが示唆された。 白血球依存性微小循環障害制御の 移植医療への応用 熱傷ストレスラットモデルで微小循環を生体 内観察し、微小循環障害を制御する実験とし て、Prostaglandin E1 の投与や蛋白分解酵素阻 害 剤 で あ る camostat mesilate の 投 与( 図 13) をおこなった。これらの薬剤は、白血 14) 図 14 熱傷ストレスラットにおける、蛋白分解酵素阻 害剤 camostat mesilate の胃微小循環保護作用 Camostat mesilate 投 与 群 で は、 白 血 球 の rolling、 monastral blue B の付着面積(内皮細胞障害)が低値 で、胃粘膜病変も抑制された。 球の venule 内の rolling を抑制し、胃粘膜病変 の形成も抑制した。同じころ、生体肝移植は準 備段階にあり、ブタで肝移植の実験を行ってい た。このとき、Prostaglandin E1 を門脈内投与 すると、肝血流量が増加し、graft viability が 保護されることが分かった(図 15)14)。実際 あった(図 12)。さらに、潰瘍の病理組織学 の臨床で肝移植が軌道にのり、ABO 不適合移 的検討では、潰瘍底で Candida が菌糸を伸ば 植を行うことになった。ABO 不適合肝移植で し、周囲に白血球の massive な浸潤を認めた は、拒絶反応により、肝動脈内血栓を起こし、 (図 13)。Selectin の作用を抑制する Fucoidan Single organ DIC の 状 態 と な る た め、5-year を投与すると、Candida による十二指腸潰瘍増 graft survival は 20%程度と報告されていた。 悪作用は打ち消され、白血球の浸潤は抑制さ そこで、拒絶反応を抑制し、微小循環障害を制 れ、穿孔率も Fucoidan 群で有意に低値であっ 御する目的で、methylprednisolone、prostaglan 26 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 文 献 図 16 慶應義塾大学における ABO 適合および不適合 肝移植の生存率 ABO 不適合肝移植においても良好な生存率が得られ た。 din E1、gabexate mesilate を門脈注入すること を試みたが、これにより、ABO 不適合移植の 成功率が 77%と明らかに良好な結果を得るこ 15) 。 とができた(図 16) おわりに 潰瘍学を多くの方面から検討してきたが、特 に、 白 血 球 依 存 性 微 小 循 環 障 害 の 観 点 か ら over view することとした。白血球依存性微小 循環障害は、臓器や障害の種類に依存しない、 非特異的障害パターンであり、消化管潰瘍の形 成や粘膜障害に重要な役割を果たす。ストレ ス、感染、免疫に関与するため、白血球依存性 の微小循環障害を制御することは実臨床に密接 に関係する実学の代表であると考えられる。歴 史ある実験潰瘍学は、今の臨床に直結する実学 であり、今後もこの学問の潮流が引き継がれて ゆくことを願っている。 1)Masaki Kitajima, Robert R Wolfe, Robert L Trelstad, et al. Gastric mucosal lesions after burn injury:Relationship to H+ Back-diffusion and the microcirculation. J Trauma 18: 644-650, 1978 2)Guth PH, Resenberg A. In vivo microscopy of the gastric microcirculation. Am J Dig Dis 17:391-398, 1972 3)Kitajima M, Mogi M, Kiuchi T, et al. Alternation of gastric mucosal glycoprotein(lectin-binding pattern)in gastric mucosa in stress. A light and electoron microscopic study. J Clin Gastroenterol 12 Suppl 1:S1-7, 1990 4)Kitajima M, Shimizu A, Sakai N, et al. Gastric microcircula tion and its regulating factors in stress. J Clin Gastroenter ol 13 Suppl 1:S9-17, 1991 5)Kitajima M, Otsuka S, Shimizu A, et al. Impairment of gas tric microcirculation in stress. J Clin Gastroenterol 10 Sup pl 1:S120-128, 1988 6)Masashi Yoshida, Go Wakabayashi, Hideki Ishikawa, et al. A possible defensive mechanism in the basal region of gas tric mucosa and the healing of erosions. Clinical Hemorhe ology and Microcirculation 2003:29;301-312. 7)Yoshida M, Wakabayashi G, Ishikawa H et al. Arteriove nous shunting blood flow in the stomach is intravitally ob served after thermal injury in rats. Keio J Med, 51:193200, 2002 8)Ishikawa H. Yoshida M, Wakabayashi G, Nakamura M, Shimazu M, Kitajima M. Sialyl Lewis X analog attenuates gastric microcirculatory disturbance and gastric mucosal erosion induced by thermal injury in rats. J Gastroenterol Hepatol 18:47-52, 2003 9)Yoshida M, Saikawa Y, Hosoda S, et al. Endoscopic classifi cations as diagnostic factors of peptic ulcer and early gas tric cancer ― a possible reason why Helicobacer pylori in fection causes gastric ulcers along lesser curvature. Aliment Pharmacol Thera. 24:303-310, 2006 10)萩原栄一郎,中村紀夫.消化性潰瘍出血および穿孔例の細 菌学的検討.日腹救医会誌 20:505-512,2000 11)Nakamura T, Yoshida M, Otani Y. et al. Twelve years’ progress in surgery for perforated gastric and duodenal ulcers:a retrospective study of indications for laparoscop ic surgery, post–operative course and the influence of Candida infection. Aliment Pharmacol Therapeut. Symposium Series 2:297-302, 2006 12)Tetsuya Nakamura, Masashi Yoshida, Hideki Ishikawa, et. al. Candida albicans aggravates duodenal ulcer perforation induced by administration of cysteamine ion rats. J Gastro enterol Hepatol:22:749-756, 2007. 13)Yoshida M, Wakabayashi G, Ishikawa H, et al. Effect of camostat mesilate on rolling or sticking of leukocytes and endothelial damage induced by thermal injury in rats. Cur rent Therapeutic Research 57:775-781, 1996 14)Kawachi S, Shimazu M, Wakabayashi G, et al. Efficacy of intraportal infusion of prostaglandidn E1 to improve the hepatic blood flow and graft viability in porcine liver trans plantation. Transplantation 64:205-209, 1997 15)Tanabe M, Shimazu M, Wakabayashi G, et al. Intraportal infusion therapy as a novel approach to adult ABO-incom patible liver transplantation. Transplantation 73:19591961, 2002 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 27 私にとっての潰瘍学 ―消化性潰瘍との関わりと反省― 学校法人獨協学園理事長・獨協医科大学名誉学長 寺野 彰 はじめに みと関わってきた学者の懐かしい写真を提示し ながら筆を執っていく。 最近、胃潰瘍、十二指腸潰瘍の症例が激減し たと聞く。筆者は現在臨床の第一線にいないの で実感に乏しいが、まあそうなんだろうなとの 1970 年代までの消化性潰瘍 想像はついている。はじめのうちは、大学病院 筆者が医学部を卒業したのが 1966 年で、潰 などの大病院のみの現象かと考えていたが、実 瘍診断学は胃がん診断と相まって、レントゲン 際にはクリニックなどでも同じような状態とい 診断が主流であった。それも遠隔操作がようや う。確かに、H.pylori 除菌療法が始まって以 く導入され始めた頃で、多量の放射能を浴びな 来、消化性潰瘍の再発のみならず、その発生そ がらの今から思えば危険な診断方法であった。 のものが抑制されてきている。以下に述べるよ 内視鏡診断も、胃カメラが主に用いられていた うに、H2 blocker や PPI の登場によって、そ が、ようやくファイバースコープが導入され、 れまでの消化性潰瘍は減少してきていたが、再 消化性潰瘍、胃がん特に早期胃がんの診断が魅 発は抑制できなかった。H.pylori 除菌療法は、 力ある学問に発展してきていた。当時は、胃が 消化性潰瘍治療を革命的に変化させた。結核が んは胃潰瘍から発生すると信じられていた時代 ストレプトマイシンの登場によって激減して以 で、次第にその過ちが認識されてきていた。 来の医学の勝利ともいえる。H.pylori 発見者で 当時の消化性潰瘍の治療法は、入院しての安 ある B. Marshall 博士がノーベル賞を獲得した 静療法、食事療法が主流であった。慢性潰瘍に のも当然のことであった。消化性潰瘍学が若き 対しては手術療法も躊躇されなかった。胃潰 消化器病学者に魅力を感じさせなくなって久し 瘍、十二指腸潰瘍からの出血や穿孔例が多かっ い。しかし、他方では、脳卒中や冠動脈疾患予 たので当然のことではあった。さらに慢性潰瘍 防、あるいは高齢者の腰痛、肩痛治療のための で胃の変形の顕著なものも多く、狭窄例もしば アスピリン、NSAIDs の使用量の増加に基づく しばみられたのである。しかし、慢性胃炎まで 消化性潰瘍、胃炎も増加している。広い意味で 手術するという時代であっただけに、今考える の消化器潰瘍であるクローン病、潰瘍性大腸炎 と手術治療がやや安易であったのではないかと は未だ決定的な治療法は見いだされていない。 反省する場面もあったことは確かである。筆者 潰瘍学の今後を占うフィールドである。 もはじめは外科医であっただけに、やや忸怩た 以下、筆者の経験してきた消化性潰瘍学の歩 る思いは隠せない。 28 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図1 A. Robert 博士と共に(1989.8) 図 2 胃の細胞培養(Gastroenterology に掲載され たもの:後 FASEB での発表) 当時の内科治療は、安静や食事療法に加え 10-20 人の日本人しか参加していなかったアメ て、胃酸中和剤や副交感神経遮断剤が主流で リカ消化器病学会(AGA)にも一度に oral を あった。再生医療のはしりであったかどうかは 含 め て 4 題 の 発 表 を 行 っ た( 図 3)。 約 3 年 ともかく、肉芽形成促進を謳う薬剤も注射薬で 後、一応目的を達して帰国の途についたが、 多用されていた。 ちょうどその頃、消化性潰瘍の世界は大きな転 このような中で、消化性潰瘍は、学問的にも 換期にさしかかっていたのである。 非常に魅力のある領域で、胃酸分泌とその抑制 および治癒促進をめざす防御因子の研究が盛ん となり始めていた。胃酸分泌に関しては、中枢 1980 年代 性および自律神経の経路が重視されていた。ス 当時、胃酸分泌が、壁細胞の H2 受容体など トレス潰瘍(並木正義教授)はその典型であ を経てプロトンポンプによって分泌されるメカ り、我々も消化性潰瘍は人類に特有な極めて文 ニズムは解明されていた。ちょうどこの頃、分 化的な疾患と理解していた。攻撃因子と防御因 子生物学が勃興してきた情勢に合わせたかのご 子の均衡の崩れによって消化性潰瘍が発生する とく、H2 受容体拮抗薬(H2-B)が臨床に用い とするバランス説が有力で、筆者もその研究に られるようになったのである。言うまでもなく 没頭した一人である。当時、A. Robert 博士の その効果は劇的であり、消化性潰瘍の治癒は極 プロスタグランディン(PG)による cytoprotection めて早くなった。そのため、慢性潰瘍などで行 の研究が注目され、筆者もその研究に参加した われてきた手術療法は激減した。もっとも、出 一人である(図 1)。 血や穿孔はまだ多かったので、外科医が暇に この頃、やや遅まきながら、米国留学を志 なったわけではない。安静や食事療法は顧りみ し、中西部の Missouri 大学 K. Ivey 教授の下 られなくなった。入院も激減した。このような で cytoprotection の研究に従事することとなっ 中でも、消化性潰瘍の再発は防ぐことは出来 た。筆者は何か creative な研究をやりたかっ ず、再発防止のためには質の高い治癒が必要と たので、in vitro、それも培養細胞を利用した の考え(小林絢三教授)のもとに、防御因子の 真の“cyto”protection を証明してやろうと決 研究も盛んであった。今考えるとこの防御因子 断した。細部は省略するが、その結果は、当時 の研究は、潰瘍治癒のみならず、胃がん発生予 日本人としてはめずらしく、Gastroenterology 防の観点からも追求されるべきだったのではな に掲載されることになった(図 2)。又当時 いか。この頃には、消化性潰瘍と胃がんの発生 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 29 図 3 研究の同志たち(AGA にて) 左から故太田慎一教授、筆者、平石秀幸教授(1990.5) 図4 B. Marshall 博士と共に はほぼ無関係であるとの認識に変わっていた。 追求した「失敗の本質」も同様である。過去の 防御因子には、PG のみならず、活性酸素など 栄光にすがった innovation 否定が敗北をもた も大きな関連を持つとして研究がなされた。 らしたごとく、H.pylori という細菌によってい 1980 年代後半になると、さらに強い胃酸分 わば否定されたこれまでの消化性潰瘍学は、今 泌抑制剤として、プロトンポンプ阻害薬(PPI) まさに産まれかわらなければならない。既に若 が登場したが、その強力さはともかく、潰瘍治 き研究者はこのことは認識しているであろう 療の概念を変えるほどのインパクトは与えな が、消化性潰瘍学を、H.pylori 時代を前提とし かった。 た 新 し い も の に innovate し て い く 必 要 が あ ご存じのごとく、1883 年、オーストラリア る。 古 き 戦 士 の 述 懐 を 聞 き、 い か に し た ら の B. Marshall らは、無菌と言われてきた胃の innovation をもたらすことが出来るかを考えて 中に、H.pylori という細菌が生息し、この細菌 欲しい。 が胃炎、消化性潰瘍の原因である事を明らかに した(図 4)。当然、我々潰瘍を研究してきた 学者の大部分は、消化性潰瘍が細菌によって起 1990 年代 こされるなどとは認めることは出来ず、その考 H.pylori 除菌時代以降については、若き潰瘍 えをいわば否定した。この考えに賛成したのは 学者、臨床家は十分認識しておられるので、紙 主 に内 分 泌 や 大 腸の研究家で、現在でも H. 数の関係もあり省略する。もっともっと言いた pylori 研究者の大部分は元来潰瘍研究者ではな いことはあるが、老人の繰り言になるのでこの い。このことは学問上重大な意味を有するので あたりで筆を納めたい。 ある。“新しいワインは新しい嚢に入れるべき ヘリコバクター学会が盛んであるのも大いに だ”と言ったのは、イエス・キリストである 結構であり、潰瘍学会も負けずにがんばって欲 が、まさに消化性潰瘍学においてもこの格言は しいと希望している。 真実なのである。太平洋戦争の日本軍の敗因を 30 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 わたしの潰瘍学 ―過去から近未来へ― 一般社団法人京都消化器疾患リサーチセンター 岡部 進 東京の本郷にいた頃、東大の正門前にある経 師屋の家族と懇意にしていた。ご主人は三代目 の江戸っ子で、温和で、腕のいい職人であっ 慢性潰瘍(酢酸潰瘍)の作製方法の 考案 た。奥さんは健康な方で、卓球に熱中してい 筆者は学部学生時代、鎮咳薬の実験をしてい た。3 人の娘がいて、その長女からメールが届 た。ネコを使用して、脳固定位装置に固定し き、母親がニュージーランドで開催された国際 て、咳嗽中枢に電極を刺入して刺激し、咳を発 卓球大会に出場したと知って、仰天した。なん 生させ、コデインなどの効果を検討していた。 と 84 歳!杖をつきながらの海外であったよう 当時、米国の生理学者マグーンの「脳のはたら だ。凄い!と思った。2 年後には、スペインで き」(時実訳)が出版され、上行性網様体賦活 大会があるので、出席の予定ともあった。その 系に興味を持っていた。できれば、中枢神経系 時は、86 歳、思わず、ウーン!と呻いてしまっ の薬理を研究したいと思っていたので、大学院 た。そして単純にも、筆者も「わたしの潰瘍学」 に進学した。熊本から寝台車に乗って、漱石の をさらに発展させ、海外の国際学会に参加する 『三四郎』のように上京したが、途中人妻と同 ぞ!と思った。 宿することもなく、「余程度胸の無い方」と小 五所平之助(1902〜81)は映画監督で、「伊 馬鹿にされることもなかった。早朝目覚めた 豆の踊り子」「煙突の見える場所」などの作品 ら、窓外に、秀麗な富士山が聳えて、思わず息 がある。また俳人でもあり、「生きる事は ひ を飲んだことを憶えている。現在と違い、東海 と筋がよし 寒椿」がある。女優山田五十鈴 道線は富士山よりに走っていたようだ。 (1917〜2012)も、この監督の句を色紙に書い 赤門をくぐって、高木敬次郎教授に挨拶にい ていた。監督が何歳くらいの時に作った句なの くと、「君には、胃潰瘍の研究をしてもらおう かは分からぬが、晩年の句であろう。ともあ と思っています。渡辺君が、もうすぐ博士課程 れ、寒中、凛と咲く真っ赤な椿の花で、結んで を終了するので、その後をお願いします。期待 いる点は見事であり、決まっている。この度、 していますよ」。この教室の主要テーマは、中 樋口和秀教授から表記の主題で、随想を依頼さ 枢神経、平滑筋受容体、循環器、および消化器 れたので、一筆記す。 系疾患に対する各種薬物の作用の解明であっ た。教授の「期待していますよ」の一言で、我 が人生はすべてが決まった。もうマグーンもそ の他の分野も蜃気楼のように消えてしまった。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 31 図1 高木敬次郎教授のアイデア さっそく、与えられた主題の周辺を調べると、 の仕事をしていました) 潰瘍の研究は黎明期であり、現在のように優れ た抗潰瘍薬などはなく、制酸薬、抗コリン薬、 および両者の混合物が汎用されていた。薬物と 修士論文、博士論文 しては、まさに原始時代であった。今にして思 その間、修士論文として、水浸ストレスを無 えば、今後の発展性のある分野のテーマを与え 傷で、多数(30 − 40 匹)のラットに負荷でき られたのは、幸運であったと思う。 るように、特製の拘束ケージを考案した。この とりあえず、渡辺和夫先輩(現千葉大名誉教 ケージを使用して、ストレスの反復で、慢性潰 授)に潰瘍学研究のイロハであるラットの固 瘍の作製を試みたが、不成功であった。そこ 定、エーテル麻酔の掛け方、体毛の刈り方、腹 で、ストレス潰瘍の治癒に関する数種の薬物の 部の回復、幽門部の結紮など、丁寧に教えて頂 効果を検討した。この論文1)は、Citation Classic いた。まず、急性潰瘍モデルの Shay 潰瘍、水 (引用 270 回)に選ばれた。水浸ストレス潰瘍 浸ストレス潰瘍の作製方法を学んだ。暫くする に対する抗コリン薬の作用を検討している時 と、高木教授はさらに、「抗潰瘍薬の効力評価 に、使用したアトロピンが胃体部と幽門部の間 に使用できる慢性潰瘍モデルを作製してくださ に、出血性びらんを発生させることを発見し い」と言われた(図 1)。医学図書館で、大井 た。この発生機序を薬理学的に解明し、学位論 実先生の本やヒトの潰瘍の写真を見る度に、こ 文を頂いた。もちろん、この 5 年間、慢性潰瘍 のような潰瘍が小動物で作製出来るであろうか モデルの作製という主題は頭の真ん中にあった と、意気消沈していた。成せば成るで、教授か が、妙案は浮かばなかった。 ら頂いた主題を解決するまでには、6 年余の歳 月がかかった。(水島先生、この 6 年間は以下 32 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 促進され、また遅延した治癒も予防できる。こ の慢性潰瘍モデルは、既存の薬物の効果をよく 反映するという点で、抗潰瘍薬の開発に有用で あることが実証された。現在ブラジルを始め、 多くの国で、この潰瘍モデルが使用され、種々 の植物成分などの潰瘍治癒効果が検討されてい る。我が国では、防御系の薬物の開発が止まっ ているのは、残念である。なお、米国に留学し た時、ラットの漿膜側に酢酸を適用すると、胃 図2 ラット酢酸潰瘍 潰瘍や十二指腸潰瘍が発生する方法も確立し た3)。 酢酸潰瘍を使用して、ピロリ菌の研究もし 酢酸潰瘍の考案・確立 た。砂ネズミに酢酸潰瘍を作製すると、8 週間 後に完全に治癒する。その時点で、ピロリ菌を 博士課程を終了後、助手に採用され、研究を 投与すると、感染 1ヶ月後には、酢酸潰瘍を作 継続した。助手 2 年目の春頃、ラットの胃壁に 製した部位に潰瘍が再発し、以後 6ヶ月間潰瘍 ある化合物を誤って注入した結果、その部分に の再発の状態は続いた。すなわち、ピロリ菌 潰瘍が発生していた。この事象から、酢酸潰瘍 は、一旦治癒した潰瘍を再発させることが動物 を考案、確立した(図 2) 。最初 Gastroenterology 実験でも実証できた4)。 に投稿したが、潰瘍の成因の解明には有用では ないとのことで、受理されなかった。加えて、 英文はネイティブの校正もなく、下手な英文の 酢酸潰瘍と胃がんの治療 まま、沢山のタイプミス、鮮明さを欠く実体、 大分まえのことだが、岡林篤先生(病理学) 組織写真などと、受理されない条件は一通り全 から、「あなたは潰瘍の研究だけされている 部揃っていた。そこで、全面改正し、日本薬理 が、がんなどのように他の疾患は研究しないの 2) 学会の欧文誌 に投稿し、受理された。現在メ ですか?」。今にして思えば、天啓的な示唆で ドラインで酢酸潰瘍を検索すると、1300 回余 はあったが、理解できなかった。がんなどの疾 の引用数で、毎年 30-40 回引用され、増え続け 患は、他の人の仕事と思い込んでいた。がんと ている。この方法で、マウス、モルモット、イ の接点がなかった。筆者は、目下「消化器の臨 ヌ、ネコ、ブタなどにも潰瘍を作製できた。特 床」誌に「胃学のあゆみ」を連載している。臨 に、イヌ、ブタの場合、腹部を切開することな 床の論文を読み、また写真を見る機会が増え く、内視鏡の先につけた局注針で、胃粘膜下に た。早期胃がんの治療に内視鏡治療(EMR、 酢酸を注入し、簡単に作製でき、その治癒経過 ESD)などが使用され、手術方法などが、詳細 は、内視鏡で追える。胃粘膜下注入で発生した に報告されている。目から鱗ではないが、がん ラットの胃潰瘍は一旦治癒するが、内視鏡によ 組織は局在し、一括切除可能ということが判明 る観察で、再発することが確認されている。そ した。とすれば、その胃がん組織の下部に酢酸 の他の動物では、すべて自然治癒する。残念な を注入すれば、胃がん組織は壊死を起こし、潰 がら、再発の機序は不明である。抗炎症薬(イ 瘍となる。つまり、酢酸の局注で、胃がんを人 ンドメタシン、アスピリン)で潰瘍の治癒は遅 工潰瘍に変えられることに気が付いた。内視鏡 延し、各種潰瘍治療薬で酢酸潰瘍の自然治癒が 用胃粘膜下隆起剤の代わりに酢酸を注入すれば 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 33 図3 酢酸の漿膜面適用によるマウス胃がんの壊死 よ い の だ。 現 在、 臨 床 医 が 胃 が ん の 手 術 で EMR、ESD を実施すると、人工潰瘍が発生し がん細胞に対する希酢酸の作用 マウスの実験で、酢酸ががん細胞を壊死させ ている。 この仮説を米国テキサス州のベイラー医科大 ることが判明したので、次に in vitro で、酢酸 学主宰の月例講演会で、報告した時、座長の のがん細胞株に対する効果を検討した。まず、 Estes M 教授(免疫学)から「がんの新しい治 ヒト胃がん細胞(KATO Ⅲ)の培養液に、希 療法の提案ですが、がんを有する動物実験での 酢酸(0.1〜0.5%)を 1 分間注入すると、2〜5 証明が必要ですね」と言われた。そこで、ノル 分後には、濃度依存的に細胞はほぼ全部死滅 ウエーの Chey D 教授の研究室に 1ヶ月留学し し、培養 24 時間後でも、細胞は死滅したまま た。その研究室では、遺伝子改変により発生し であった6)。さらに、希酢酸(0.5%、pH5.6)を た胃がんを有するマウスを有していた。そのマ ラットの上皮細胞(RMG)と RGM のがん化 ウスの胃体部の漿膜側に、酢酸を 30〜60 秒間 し た 細 胞(RGK) に 投 与 す る と、 酢 酸 は、 塗布すると、1 時間後には、胃がん組織は壊死 RGM 細胞に比較し、RGK 細胞に対し、選択的 を引き起こし、24 時間後には、その部分は潰 に強く死滅効果を示した。つまり、希酢酸はヒ 瘍となった(図 3) 。マウスの粘膜は薄いの トおよびラットのがん細胞に対し、強力かつ速 で、粘膜下注入が出来なかったが、ヒトなどで 効的な死滅効果を有することが判明した。な は、粘膜下注入は容易であるので、この方法 お、 塩 酸 の 効 果 も 検 討 し た が、0.5% 塩 酸 で、胃がん組織を死滅させることは可能だと推 (pH1.5)は 0.5% 酢酸に比較して、効果は弱 5) 定した。 かった。また塩酸は RGM 細胞、RGK 細胞に 対する効果はほぼ同じで、約 50%の死滅効果 34 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 4 胃粘膜下層に注入した希酢酸によるリンパ節に移行した胃がん細胞の死滅の可能性(仮説) であった。すなわち、酢酸と塩酸は、異なる作 法が確立できるのではなかろうか。つまり、こ 用機序により殺がん作用を示すことが判明し のようながんの治療には外科手術の必要がな た。この希酢酸がどのような作用機序で、がん く、内視鏡的処置で、短時間で終了できるので 細胞を死滅させるのか、現在は不明である。希 はなかろうか。例えば、膵臓がんの治療には、 酢酸を胃粘膜下層に注入すれば、一部の酢酸 膵管に希酢酸を局所注入すれば、膵臓がんは死 は、リンパ節に流れ込み、リンパ節に転移した 滅するのではなかろうか。もちろん、がん細胞 胃がん細胞を死滅させると推定できる。とすれ に向かって希酢酸を噴霧するのも一つの手であ ば、リンパ節を経た、胃がんの転移は抑制でき ろう。酢酸は組織浸透性が極めて高い。目下、 るのではなかろうか(図 4)。 ヒト膵臓がん細胞に対する希酢酸の濃度反応曲 線を検討する予定である。また、がんの中で 膵臓がん、腹膜播種の新しい 治療法? も、治療が極めて困難な腹膜播種の治療にも、 希酢酸を腹腔内に数分間注入(または灌流)す れば、腫瘍は死滅するのではなかろうか。せめ ヒト胃がん細胞に対して、希酢酸は著明な死 て腹水が減少する程度にでも、腫瘍細胞が死滅 滅効果を示した。また、中皮腫がんにも、0.5% すれば、患者の苦痛は減少すると推定できる 酢酸は完全な死滅効果を示した。ヒトの早期胃 が。副作用の点であるが、ヒトの正常膵上皮細 がんには EMR、ESD が確立されているので、 胞と膵がん細胞に対する希酢酸の効果の比較検 この酢酸法を必要とはしないかもしれない。し 討が待たれる。 かし、この希酢酸が、ヒトの膵臓がん細胞、胆 最近、長浜バイオ大学の水上民夫教授は、高 管がん細胞、子宮頚がん細胞、膀胱がん細胞な 速細胞スキャナーを用いたスフェロイド培養に どにも有効であるとすれば、がんの内視鏡治療 よる抗がん剤スクリーニング法を開発した。3 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 35 次元で、細胞の生死を測定できるもので、実地 療に薬学サイドから貢献できればと願ってい 見学したが、素晴らしい装置であった。この装 る。 置を使用して、各種がん細胞に対する希酢酸の 効果を比較検討したいので、資金を集めたいと 思っている。 謝辞:筆者の研究に多大な協力を頂いた京都薬科大 学の竹内孝治名誉教授、天ケ瀬紀久子講師、応用薬 理学教室の同門生、同志社女子大学薬学部の皆様に 感謝します。 おわりに 「わたしの潰瘍学」は、慢性潰瘍のモデル作 製から始まったが、作製までに時間がかかっ た。大学院修了後に、助手に採用されなかった ら、酢酸潰瘍は世にでなかった筈だ。改めて、 大きな主題を与えて頂き、また時間を与えて頂 いた高木教授に感謝である。 以上、 「わたしの潰瘍学」の一端を述べたが、 実験潰瘍というテーマのもとに、半世紀が過 ぎ、いまや潰瘍からすこし進化して、膵臓がん などのテーマに向かって研究を続けている。こ れを一筋というか、あるいは、二筋というか、 自分でも判別できないが、寒椿のように、寒さ に耐えて、研究の花を咲かせ、消化器疾患の治 文 献 1)Takagi K, Okabe S. The effect of drugs on the production and recovery process of the stress ulcer. Jpn. J. Pharmacol. 1968;18,:9-18. 2)Takagi K, Okabe S, Saziki R. A new method for the pro duction of chronicgastric ulcer in rats and the effect of several drugs on its healing. Jpn J. Pharmacol 1969;19: 418-26. 3)Okabe S, Roth JLA, Pfeiffer CJ. A method for experimen tal, penetrating gastric and duodenal ulcers in rats. Amer J Dig Dis 1971;16:277-84. 4)Okabe S, Amagase K. An overview of acetic acid ulcer model the history and state of the art of peptic ulcer re search. Biol Pharm Bull 2005;28:1321-41. 5)Okabe S, Kodama Y, Cao H et al. Topical application of acetic acid in cytoreduction of gastric cancer. A technical report using mouse model. J Gastroenterol Hepatol 2012; 27(suppl.3):40-8. 6)Okabe S, Chen D, Zhao CM et al. A potential new therapy for gastric cancer:acetic acid induces cancer cell death. J Gastroenterol Hepatol(in press) 36 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 潰瘍研究を振り返って ―NSAIDs 潰瘍の発症における食物の役割― 同志社女子大学薬学部病態生理学研究室 佐藤 宏 はじめに に給餌するとラットは活発に摂餌するため個体 間の摂餌条件が揃い、その一定時間後にインド 私は大学を卒業する時、基礎のための基礎研 メタシンを投与するとバラツキが少なくなるの 究ではなく人の役に立っていることが実感でき ではと考え、試してみた。即ち一晩絶食後 1 時 るような研究がしたいと思い 1969 年に武田薬 間餌を与え、その後 30 分から 48 時間後にイ 品に入社した。潰瘍の研究を始めたのは 30 歳 ンドメタシン(30 mg/kg、s.c.)を投与し、そ 頃だったので、その後約 40 年余り「潰瘍学」 れぞれ 6 時間後に剖検して胃および小腸各部位 と付き合うことになった。この度、樋口先生か の損傷を調べた。その結果、給餌後 2 時間以内 ら機会を与えて頂いたので「私の潰瘍研究」に にインドメタシンを投与すると胃体部に損傷は ついて少し振り返ってみたい。研究の内容は 殆ど認められず、胃幽門前庭部と小腸に明らか 個々の論文を参照頂くとして、ここでは私の潰 な損傷が認められた。インドメタシン投与のタ 瘍研究にまつわる諸々の出来事を紹介させてい イミングを遅くするに従い胃幽門前庭部と小腸 ただくことにする。個人的な回想録になるが、 の損傷は減少し、代って胃体部に損傷が出現 若い研究者の方々に何かのヒントになれば幸い し、さらに時間が経過すると胃体部にのみ損傷 である。 が認められた(図 1、写真 1)。当時の私は潰 瘍の研究を始めて日が浅く、胃幽門前庭部に潰 インドメタシンによる胃幽門前庭 部潰瘍モデルについて 瘍の出来ることが意味のある現象とは知らな かったが、同僚がこの様な部位に潰瘍が出来る モデルは聞いたことが無い、と驚きと共に賞賛 最初インドメタシンによるラット胃潰瘍モデ してくれた。改めて文献を調べると、ヒトの胃 ルから研究をスタートしたが、実験を始めた時 潰瘍は幽門前庭部に好発するとの報告が見つ にデータのバラツキが多いのに閉口した。何故 1) かったが 、ラットの胃潰瘍はストレス潰瘍を こんなにデータがバラツクのだろうと疑問に思 含めて殆ど胃体部に生じていることが分かっ い、私より先に潰瘍の研究をしていた同僚に聞 た。胃幽門前庭部潰瘍についてその性質を検討 いたところ「ラットは絶食中にしばしば糞食す した結果、胃酸、迷走神経、副腎の関与など、 るので、これがバラツキの原因と考えられてい 空腹時にインドメタシン投与により胃体部に生 る」とのことだった。当時胃潰瘍の実験は絶食 じる潰瘍とは明らかに異なっていることが分 条件下で行うのが一般的であった。私は絶食後 かった2)。今から振り返るとヒトの場合非ステ 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 37 図 1 ラット・インドメタシンによる消化管潰瘍の形成に及ぼす薬物投与時間の影響 生後 7 週齢の雄性 SD ラットを一晩絶食した後、1 時間固形餌を給餌し、その後 30 分から 48 時間後までの各時間にインドメタシン(30 mg/kg、s.c.)を投与した。インドメタシン 投与 6 時間後に剖検し、各部位の粘膜損傷を評価した。給餌 2 時間以内にインドメタシンを 投与すると胃幽門前庭部と小腸に明らかな損傷が認められ、24 時間後以降に投与すると胃 体部にのみ損傷が認められた(文献 2 より引用)。 写真 1 ラット・インドメタシンによる胃潰瘍 生後 7 週齢の雄性 SD ラットを用い一晩絶食した後(A)または絶食後 1 時間固形餌を給餌 し、その後 30 分後(B)にインドメタシン(30 mg/kg、s.c.)を投与し、6 時間後に剖検 した。剖検 15 分前に 1%エヴァンスブルーを含む生理的食塩水 1 ml を尾静脈より投与し た。損傷部位は青色で示されている。インドメタシン空腹時投与では主に胃体部に、また食 後投与では幽門前庭部に損傷が認められる。 ロイド性抗炎症薬(NSAIDs)は主に食後に服 見逃されていたもの思われる。データのバラツ 用されているが、ラットの胃潰瘍に関する研究 キに悩み、何故バラツクのかとの素朴な疑問に では上記の如く NSAIDs を空腹時に投与する 答えを求めた結果、偶然ではあるが胃幽門前庭 のが一般的であったため、胃幽門前庭部潰瘍は 部に潰瘍が出来るモデルの作出に至った。この 38 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 研究が「私の潰瘍研究」のスタートとなった。 その都度訪問者によるランチョンセミナーが開 催されるなど、まさしく潰瘍研究のメッカの様 UCLA/CURE 潰瘍研究所でのポス ドク生活 な状況であった。当時の CURE には Grossman 先生を中心に研究に対するオープンマインドな 雰 囲 気 が 満 ち 溢 れ て い た。Grossman 先 生 は 上記の研究を進めていた時に所長からポスド 1981 年の 1 月に食道がんが見つかり、私のポ ク研究の話があり、カリフォルニア大学ロスア スドク終了(81 年 5 月)とほぼ時を同じくし ンゼルス校(UCLA)付属の潰瘍研究所(Center て逝去された。当時の米国でも異例と思うが、 for Ulcer Research and Education, CURE)の 癌が見つかって数日以内に Grossman 先生はそ Paul H. Guth 博士の下で研究させて頂くことに のことを全ての関係者に告知された。また 2 月 なった。 14 日のバレンタインデーには Grossman 先生 1980 年 3 月に、生まれて初めて太平洋を越 のためのパーティがあり、全米から関係者が参 え、飛行機の窓からアメリカ大陸を見た時、新 加された。3 月下旬に VA 病院に入院された しい生活への期待と不安が交錯する中、それな が、その直前まで上記ミーティングは続けら りに感慨を覚えた。ロスアンゼルス国際空港で れ、最後の頃は絶えずハンカチで口を拭いなが 出迎えて下さった Guth 先生にたどたどしい英 ら苦しそうな状態でしたが、なお多くのコメン 語でご挨拶をし、先生の車で片側数車線もある トを下さった。最後まで研究所のリーダーとし 広い San Diego フリーウエイにのって CURE て、また一研究者として研究生活を全うされた に向かった。Guth 先生の研究室は当時ラット 姿に本当に頭の下がる思いがした。Guth 先生 を用いて主に胃粘膜微小循環について研究され が Grossman 先生と CURE についての回想録 ていた。私は自分の研究(胃幽門前庭部潰瘍モ を Am. J. Physiol. 誌に発表されているが3)、 デル)について説明すると、先生は大変興味を Grossman 先生は亡くなられる寸前まで周囲の 示され、直ぐ所長の Morton I. Grossman 先生 人に“人は如何に生きるべきか”について話さ に紹介して下さった。Grossman 先生は、これ れていたとのことである。 は画期的な胃潰瘍モデル(“revolutional”との CURE で行った NSAIDs によるラット消化 単語がかろうじて聞き取れた)と思うので、 管潰瘍の発症における食物および細菌の役割に CURE でもこのモデルの研究を継続するよう 関する研究は幸い Gastroenterology 誌などに にと勧められた。その結果、当時の Guth 研究 公表することができた4)-6)。CURE 滞在中に私 室でただ一人潰瘍の実験を行うことになった。 は Grossman 先生、Guth 先生ご夫妻、永田博 研究テーマは「胃幽門前庭部潰瘍の発症におけ 司先生(慶應大学、医学部・土屋研究室からの る食物の役割」である。毎週月曜日に前の週の ポスドク)を始め、多くの先生方にお会いし、 成績を Guth 先生に報告し、その後 Grossman 1 年余りという短い期間でしたが研究だけでな 先生の居室で Guth 先生と 3 人で成績の解釈と く人としての生き方についても多くのことを学 次の実験について話し合った。CURE には当 ぶことが出来た。CURE でのポスドク生活で 時 C.F. Code 博 士( 副 所 長 )、A. Soll 博 士、J. 得られた人間関係は私の貴重な財産となり、そ Walsh 博士、T. Yamada 博士ら、そうそうた の後の私の研究生活を強く支えてくれている。 る研究者がおられ、また客員研究員として A. この様な経験から「私の潰瘍研究」の原点は Robert 博士、B. Whittle 博士など国際的にも CURE(Guth 研究室)にあると思っている。 活躍している研究者もおられた。毎週の如く米 な お 余 談 で あ る が 当 時 CURE で 一 研 究 員 で 国内・外からの潰瘍関連分野の研究者が訪れ、 あった Tachi Yamada(山田忠孝)博士が現在 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 39 武田薬品で研究・開発部門のトップとして活躍 士)も私も本当にびっくりした。“研究におけ しておられ、人と人の出会いとその巡り合わせ る遊び”は時に我々の思考の壁をいとも簡単に の不思議さを感じている。 打ち破ることがあり、この“break through” により研究が飛躍的に進展することがある。予 ランソプラゾール(タケプロン) の発見と開発研究 武田薬品はオメプラゾールに次いで世界で 2 想していない成績が得られるのも研究の楽しみ の一つである。これらのことを含めランソプラ ゾールの発見と開発研究について最近総説8),9) を上梓したので、参照頂ければ幸いである。 番目のプロトンポンプ阻害薬(PPI)として 1980 年 代 早 期 に ラ ン ソ プ ラ ゾ ー ル を 見 出 し た。薬理学的にはラットにおける酸分泌抑制作 用および拘束水浸ストレス胃潰瘍モデルでのラ ンソプラゾールの作用はオメプラゾールより約 塩基性繊維芽細胞増殖因子 bFGF mutein TGP-580 の潰瘍治癒促進 作用 2 倍強い程度だった。帰国後も研究を続けてい 製薬会社にいると研究のきっかけが外部から た胃幽門前庭部潰瘍モデルを用い、“試しに” 与えられることがしばしばある。タケプロン関 その作用を検討したところ、予想に反してラン 係の仕事が一段落した 1988 年末に突然所長に ソプラゾールとその関連化合物はいずれもオメ 呼び出され、年明け早々にハーバード大学で プラゾールより 10 倍以上と極めて強い抗潰瘍 Szabo 博士と共同研究を行うように指示され 作用を示す成績が得られた。当時は何故そのよ た。1989 年(平成元年)1 月 7 日朝、昭和天皇 うに強い作用を示すのか、十分説明できなかっ ご崩御のニュースが流れる中、酷寒のボストン たが、その後ランソプラゾールには“酸分泌抑 に向けて出発した。当時武田薬品とハーバード 制作用”に加えて“粘膜保護作用”のあること 大学の J. Folkman 教授(“癌と血管新生”の研 が明らかとなり、それらの作用が相加的または 究で有名)との間で血管新生を抑制することに 相乗的に作用したものと推察している。偶然得 より癌の増殖並びに転移を抑制する薬物を探索 られたこの胃幽門前庭部潰瘍モデルでの成績が するプロジェクトがあった。武田薬品では強い “抗潰瘍薬ランソプラゾール”の特許取得に貢 血管新生促進作用を有する細胞増殖因子 bFGF 献することが出来たのは幸運だった。もしこの に 注 目 し、 遺 伝 子 工 学 的 手 法 に よ り 種 々 の 潰瘍モデルが無かったらタケプロンは生まれて bFGF の mutein(mutant protein)を創出した いなかった(?)かも知れない。研究を進めて 結果、bFGF と同様の生理活性を有し、且つ比 いく過程で時々、全く予想もしなかった成績に 較的酸に安定である mutein として bFGF-CS23 出会うことがある。上記のランソプラゾールの (TGP-580)を見出した。Folkman 先生は所期 成績もその一つだが、その後当時話題になり始 の 目 標 で あ る“ 癌 治 療 薬 の 探 索 ” と は 別 に めた H. pylori 菌に対してランソプラゾールが bFGF の 創 傷 治 癒 促 進 作 用 に 着 目 し、bFGF “H. pylori 菌にのみ作用する”という極めて選 mutein に抗潰瘍薬としての可能性を考えてお 択的で、且つ強い抗菌作用を有することが偶然 られた。その評価系の一つとして Szabo 博士 7) 見つかった 。この作用は他の抗潰瘍薬の抗 H. に新しい潰瘍性大腸炎モデルの開発を依頼され pylori 菌作用の評価の時に、“ついでに調べて ていた。Szabo 博士は glutathion などの SH 基 欲しい”と依頼して得られた成績である。この を有する化合物が粘膜保護作用を有することに ような成績が得られるとは全く予想していな 着目し、逆に SH 基を阻害する化合物は粘膜を かったので、この時は実験者(故・岩日朋之博 脆弱にし、粘膜の炎症および潰瘍を惹起するの 40 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 言っていいほど二人(+α)でアルコール・テ イスティング(飲み会)を楽しんでいる。さて TGP-580 はその後ラットの胃潰瘍、十二指腸 潰瘍および潰瘍性大腸炎モデルで治癒促進作用 が認められ11)-14)、ヒトの NSAID による難治性 胃潰瘍をターゲットとしたパイロット試験でも その有用性が認められた15)。TGP-580 を開発 するターゲットとして胃・十二指腸潰瘍と潰瘍 性大腸炎の 2 つが考えられたが、会社としては 市場の大きさから上部消化管潰瘍をターゲット とすることになった。TGP-580 の開発にあたっ て既存の酸分泌抑制薬との差別化が求められ た。当時胃および十二指腸潰瘍は休薬後再発・ 再燃するのが大きな問題であったので、この問 題に取り組むことにした。酢酸法でラットに胃 潰瘍を作製し、4 週間後に潰瘍が略治癒した時 点から、ミニポンプを用いてそれ自身では損傷 を惹起しない低用量のインドメタシン(1mg/ 図 2 ラット・胃潰瘍の再燃に及ぼす TGP-580 の影響 生後 7 週齢の雄性 SD ラットを用い胃幽門前庭部の漿 膜下に酢酸液を注入して胃潰瘍を作製した。潰瘍作成 4 週間後からミニポンプを用いてインドメタシン(1 mg/ kg/day、s.c.)を 2 週間持続注入投与した。A)イン ドメタシンによる潰瘍の再燃:インドメタシン投与に より一度治癒した潰瘍が大きくなっている(再燃)。B) 潰瘍の再燃に及ぼす薬物の影響:胃潰瘍作製の翌日か ら TGP-580(0.1 mg/kg)、cimetidine(100 mg/ kg) ま た は ranitidine(100 mg/kg) を 1 日 1 回 4 週間投与した。4 週後から 2 週間インドメタシンを持 続注入投与した。Vehicle 投与群で潰瘍は再燃したが、 この再燃は TGP-580 で治癒した群では有意に抑制さ れた(文献 16 より引用)。 kg/day)を 2 週間持続皮下投与したところ、 治癒した潰瘍が明らかに悪化している(潰瘍の 再燃)のが認められた(図 2A)。このモデル を用いて検討した結果、興味あることにヒスタ ミン H2 受容体遮断薬(H2-RAs)で治癒した潰 瘍とは異なり、TGP-580 で治癒した潰瘍は再 燃し難いとの成績が得られた(図 2B)16)。一 方、Hull ら17)は 12 名の健常者で内視鏡でのバ イオプシーによりミニ潰瘍を作成し、2 週後か らインドメタシン(50 mg、t.i.d.)を 7 日間 投与して潰瘍を再燃させ、この評価系を用いて TGP-580 により治癒した潰瘍が再燃し難いこ ではとの発想のもとに研究を進めておられた。 とをヒトで明らかにしている。これらの成績か 私は Szabo 博士の研究室に約 3ヶ月滞在し、そ ら新しい作用(潰瘍の再燃抑制作用)を有する の間 SH 基阻害薬の N-ethylmaleimide(NEM) 抗潰瘍薬として TGP-580 を開発できるかと思 や iodoacetamide をラット大腸内に注入すると われたが、上記研究と並行して“H. pylori 菌 潰瘍性大腸炎様の症状が生じることを学んだ。 を除菌すると潰瘍の再発・再燃が激減する”と 帰国後さらに条件を検討し、この成果を新しい の極めてインパクトの強い成績が報告され18)、 潰瘍性大腸炎モデルとして公表した10)。余談で TGP-580 の開発は残念ながら中止となった。 あるが Szabo 博士はハンガリー出身でワイン 近年 DSS 惹起マウスおよびラット潰瘍性大腸 に造詣が深く、私と同い年であることもあり、 炎モデルにおいて bFGF が有効であると報告 その後国際学会などでお会いする度、必ずと されている19),20)。私共は NEM によるラット潰 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 41 瘍性大腸炎モデルにおいて TGP-580 は潰瘍の NSAIDs により粘液が減少した条件下で小腸 治癒を促進し、その作用はヒト bFGF より 10 運動が亢進すると食物中の不溶性食物繊維など 14) 倍以上強いという成績を得ている 。今から振 未消化固形分が粘膜とこすれ、粘膜表層に物理 り返ると Folkman 先生が当初考えられたよう 的な傷害が生じることが損傷形成の初期反応で に潰瘍性大腸炎をターゲットにしていれば あり、一方、水溶性のペクチンなどの食物繊維 TGP-580 は薬として日の目を見たかもしれな は水に溶けると粘性を示すので NSAIDs によ い。Folkman 先生は豊かな発想とするどい洞 り減少した粘液の補填により内容物が粘膜と直 察力のある素晴らしい先生でしたが、残念なが 接こすれるのを緩和し、粘膜に傷害が生じるの ら 2008 年 1 月に心臓発作で他界された。 を予防しているものと考えている23)。 鳥取大学へ-ネコにおける潰瘍研究 京都薬科大学へ 私は 1997 年に武田薬品を退職し、鳥取大学 鳥取大学を定年退職した 2009 年から京都薬 農学部(獣医学科・薬理学教室)に転職した。 科大学の竹内孝治先生のご好意により NSAID 獣医内科学および外科学の先生方から動物臨床 潰瘍に関する研究を継続する機会を与えて頂い でも NSAIDs を多く使用していること、また た。京都薬科大学では主に下記 3 つのテーマで 消化器系の副作用が多いことをお聞きし、大学 研究を進めた。一つ目は NSAIDs 潰瘍の発症 における研究テーマとして NSAIDs による消 における COX の役割である。当時 Wallace ら 化管副作用を選んだ。CURE での研究をもと により NSAIDs による消化管粘膜傷害の発症 に再び「NSAIDs 潰瘍の発症における食物の役 には COX-1 および COX-2 の両酵素の阻害が 割」について主にイヌとネコを用いて検討し 必要であることがラットの実験で報告され た。幸い獣医師の卵の学生達はイヌとネコを扱 た24)。この点を確かめるべくネコを用いて各種 うのに抵抗が無く、NSAIDs による副作用の研 NSAIDs の作用を検討したところ、小腸の損傷 究に積極的に取り組んでくれた。 については Wallace らの報告を支持する成績 この時の研究ではネコにドライフード給餌後 が得られたが、十二指腸では予想に反し COX-1 に NSAIDs を投与すると小腸の中部から下部 または COX-2 選択的阻害薬の単独投与でいず にわたって顕著な損傷が認められるが、ドライ れも顕著な損傷が認められた。従来の NSAIDs フードの代りに食物繊維が含まれていない缶詰 に比較してより安全であるとされ、ヒトにおい 餌を与えると損傷は殆ど認められなくなり、さ て汎用されていた COX-2 選択的阻害薬を投与 らに缶詰餌に不溶性の食物繊維であるセルロー したネコの十二指腸粘膜に深く、且つ大きな潰 スを添加すると損傷が再び出現することを見出 瘍が認められた時は少なからずびっくりした。 した21)。一方、興味あることに水溶性の食物繊 従来の NSAIDs をラットに投与しても十二指 維であるペクチンはセルロースと異なり、損傷 腸には殆ど損傷が認められないので、ヒトで認 を惹起せず、逆に損傷形成を予防することが分 められている NSAIDs による十二指腸損傷の 22) かった 。さらに NSAIDs をネコに投与する 性質がネコを用いることによって初めて明らか と小腸運動が明らかに亢進することが分かっ になった。これらの成績から粘膜保護における 21) た 。これらの成績から NSAIDs による小腸 COX-1 と COX-2 の役割は消化管の部位によ 損傷において食物、特に食物繊維が損傷形成 り異なり、食物、胃酸および胆汁酸など種々の (セルロース)と予防(ペクチン)に重要な役 侵害物質に晒される十二指腸では COX-1 およ 割を果していることが明らかとなった。即ち、 び COX-2 ともに粘膜防御において重要な役割 42 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 を演じており、どちらの酵素が阻害されても粘 25) 果、H2-RAs のみならず PPIs も NSAIDs によ 膜防御機構に破綻が生じるものと推察された 。 る小腸損傷を増大させるという興味ある成績が 次に近年話題になっているアスピリンによる 得られた27)。その機序として私共は胃酸分泌抑 小腸粘膜損傷を検討した。ネコにアスピリン製 制に伴う小腸内未消化固形分の増加や H2-RAs 剤(100 mg/cat)をドライフード給餌後 1 日 1 による小腸運動亢進の可能性を示唆している。 回、3 または 7 日間投与したところ、粉末アス 一方 Wallace らはラットに PPI のオメプラゾー ピリンでは胃および十二指腸を含む小腸全体に ルおよびランソプラゾールを連投するとナプロ 損傷が認められたが、腸溶性アスピリン製剤で キセンによる小腸損傷が増大することを見出 は胃に損傷は認められず、十二指腸を含む小腸 し、その機序として胃酸分泌の抑制は腸内細菌 全 体 に 損 傷 が 認 め ら れ た( 図 3a)。 前 述 の の dysbiosis(腸内毒素症)を惹起し、その結 NSAIDs による損傷と同様にドライフードの代 果 NSAIDs による小腸損傷が悪化すると指摘 りに缶詰餌を与えると損傷は殆ど認められなく している28)。NSAIDs と酸分泌抑制薬の併用は なり、缶詰餌にセルロースを加えると損傷は再 ヒト臨床の場で汎用されており、上記の悪化作 び出現した(図 3c、 d)。またドライフードに 用がヒトでも生じるか否かは極めて重要な問題 ペクチンを添加すると損傷形成は明らかに抑制 であるが、Watanabe ら29)は NSAIDs を 3ヶ月 された。興味あることに夕食にドライフードを 以上服用した患者でのカプセル内視鏡による観 与え、3 時間後(就寝前)にアスピリンを投与 察結果として PPI または H2-RA を併用すると すると胃、十二指腸および小腸のいずれの損傷 NSAIDs による小腸損傷が明らかに増悪するこ も顕著に減少した(図 3b) 。これらの成績 とを見出している。最近、私共はヒトで胃粘膜 からアスピリンによる消化管傷害の予防法とし 保護薬として使用されている抗潰瘍薬がラット ては食事内容から不溶性食物繊維を減らし、水 における NSAIDs 小腸損傷の酸分泌抑制薬に 溶性食物繊維を増やす方法または夕食 3 時間後 よる増大反応を抑制することを報告している (就寝前)にアスピリンを服用する方法が考え が30)、これら薬物のヒト小腸損傷における有用 26) られる。しかし現実問題として長期にわたって 性は今後の検討課題であろう。 食事内容をコントロールするのは難しいので、 アスピリンの就寝前服用法がより好ましいと思 われる。なおこの用法については対象疾患にお けるアスピリンの有効性などを含めた更なる検 おわりに 昔、武田薬品の研究所時代に当時所長をして おられた故・島本暉朗先生(元・京都大学医学 討が必要であろう。 三つ目のテーマは NSAIDs による小腸損傷 部、教授)から「研究はやりっ放しでは駄目で に対する胃酸分泌抑制薬の増大作用に関するも す。その研究がどこまで進んだかが分かるよう のである。鳥取大学においてイヌでインドメタ に旗を建ててきなさい(論文になって初めてそ シンによる消化管粘膜潰瘍の研究をしていた時 の研究が結実する)。」と教えられたことがあ に、上部消化管損傷の予防のために H2-RA の る。潰瘍の分野で研究を始めて約 40 年、その シメチジンを使用すると、何故か小腸損傷が増 間、武田薬品、CURE、鳥取大学、京都薬科大 大するという、一見奇妙な成績が得られた。当 学で先生方にご指導を頂き、また若い方々に支 初、酸分泌抑制薬は小腸損傷に影響するはずが えていただき、見栄えはともかくそれなりに旗 無いと思い、そのままにしていたが、その後ネ を建てることが出来たのではと思っている。現 21) コで実験した時にも同様の成績が得られた 。 在、同志社女子大学・漆谷徹郎先生(薬学部・ そこでラットを用いてさらに詳細に検討した結 病態生理学研究室)のご好意でマウスを用いて 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 43 図 3 ネコ・腸溶性アスピリン製剤による十二指腸と小腸損傷に及ぼす食餌の影響 実験用の雌雄成ネコを用い、腸溶性アスピリン製剤(100 mg のアスピリン含有)1 錠を 1 日 1 回、7 日間投与した。a. 朝にドライフードを 1 時間給餌し、その後アスピリンを投与、 b. 夕方にドライフードを 1 時間与え、3 時間後にアスピリンを投与、c. 朝に缶詰餌を 1 時 間給餌し、その後アスピリンを投与、d. 朝にセルロース 6%を含む缶詰餌を 1 時間給餌し、 その後アスピリンを投与した。成績は各群 4 または 6 匹のネコの個々の成績を示す。十二指 腸から回腸末端までを長さで 10 等分し、個々の損傷部位を示している。最初の部分を十二 指腸とした。○:浅い損傷(SL)、●:深い損傷(DL)を示す。ドライフード摂餌後にアス ピリンを投与すると十二指腸から小腸全体に明らかな損傷が認められたが、夕食 3 時間後に アスピリンを投与すると損傷は明らかに減少した。朝食にドライフードの代わりに缶詰餌を 与えると損傷は顕著に減少したが、缶詰に不溶性食物繊維のセルロースを加えると損傷は再 び認められた(文献 26 より引用)。 再び「NSAIDs 潰瘍の発症における食物の役 とがしばしばある。このことは特にオリジナリ 割」について研究している。いつの日か小さく ティーの要求される創薬研究において非常に重 ても旗を建てることが出来れば幸いである。私 要と思われるが、最近製薬会社で in vivo の実 の研究は殆どが動物を用いた in vivo の実験で 験をやる人が少なくなっているとのこと、老婆 あり、今も実体顕微鏡下で潰瘍指数を計測して 心乍ら懸念している。武田薬品の研究所時代に いる。まだそんな“泥臭い実験”をやっている 「人は時に嘘をつくが、動物は決して嘘をつか のですか、と言われそうであるが、in vivo の ない」と上述の島本所長から言われたことがあ 実験では時に我々の予想をはるかに越えた“未 る。けだし名言だと思う。動物実験に際しては 知との遭遇”があり、新しい発想が得られるこ 動物の命の重さと共に、この言葉の深さをいつ 44 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 も思い出す。今も時々自分の知識では説明の出 来ない現象に出会うが、いつか答えの分かる日 が来ることを楽しみに研究を進めている。 謝辞 最初に「私の潰瘍学」というテーマで本稿執筆の 機会を与えて下さいました樋口和秀先生に深謝しま す。このような機会がなかったなら恐らく自分の研 究を振り返ることはなかったのではと思っています。 私はこれまで武田薬品、CURE、鳥取大学、京都薬科 大学、同志社女子大学で潰瘍の研究を行ってきました が、この間、私と一緒に研究していただいた方々、特 に学生の皆様に心よりお礼申し上げます。ありがと うございました。最後に私が研究者としてスタート したのは北海道大学・獣医学部・薬理学教室であり、 この機会をお借りして当時研究のイロハをご指導下さ いました大賀晧先生と中里幸和先生に深謝いたします。 文 献 1)Oi M, Oshida K, Sugimura S. The location of gastric ulcer. Gastroenterology 1959;36:45-56. 2)Satoh H, Inada I, Hirata T, et al. Indomethacin produces gastric antral ulcers in the refed rats. Gastroenterology 1981;81:719-25. 3)Guth PH, Kaunitz JD. Personal reminiscences about Mor ton Grossman and the founding of the Center for Ulcer Research and Education(CURE). Am J Physiol Gastroin test Liver Physiol. 2008;294:G1109-13. 4)Satoh H, Guth PH, Grossman MI. Role of food in gastroin testinal ulceration produced by indomethacin in the rat. Gastroenterology 1982;83:210-5. 5)Satoh H, Guth PH, Grossman MI. Role of bacteria in gas tric ulceration produced by indomethacin in the rat:cyto protective action of antibiotics Gastroenterology 1983; 84:483-9. 6)Satoh H, Ligumsky M, Guth PH. Stimulation of gastric prostaglandin synthesis by refeeding in the rat;Role in protection of gastric mucosa from damage. Dig Dis Sci. 1984;29:330-35. 7)Iwahi T, Satoh H, Nakao M, et al. Lansoprazole, a novel benzimidazole proton pump inhibitor, and its related com pounds have selective activity against Helicobacter pylori. Antimicrob Agents Chemother. 1991;35:490-6. 8)Satoh H. Discovery of lansoprazole and its unique pharma cological properties independent from anti-secretory activ ity. Curr Pharm Des. 2013;19:67-75. 9)Satoh H. Discovery and development of proton pump in hibitors. Chiba T, Malfertheiner P, Satoh H(eds) :Proton Pump Inhibitors:A Balanced View. Front Gastrointest Res. Basel, Karger, 2013, vol 32, pp 1-7 10)Satoh H, Sato F, Takami K, et al. Szabo S. New ulcerative colitis model induced by sulfhydryl blockers in rats and the effects of antiinflammatory drugs on the colitis. Jpn J Pharmacol. 1997;73:299-309. 11)Folkman J, Szabo S, Stovroff M, et al. Duodenal ulcer. Dis covery of a new mechanism and development of angiogen ic therapy that accelerates healing. Ann Surg. 1991;214: 414-425. 12)Szabo S, Folkman J, Vattay P, et al. Accelerated healing of duodenal ulcers by oral administration of a mutein of basic fibroblast growth factor in rats. Gastroenterology. 1994; 106:1106-1111. 13)Satoh H, Shino A, Sato F, et al. Role of endogenous basic fi broblast growth factor in the healing of gastric ulcers in rats. Jpn J Pharmacol. 1997;73:59-71. 14)Satoh H, Takami K, Kato K, et al. Effect of bFGF and its mutein on healing of colonic ulcers induced by N-ethylma leimide in rats. Gastroenterology 1990;98:A203(ab stract). 15)H ull MA, Cullen DJ, Hudson N, et al. Basic fibroblast growth factor treatment for non-steroidal anti-inflamma tory drug associated gastric ulceration. Gut 1995;37: 610-2. 16)Satoh H, Asano S, Maeda R, et al. Prevention of gastric ul cer relapse induced by indomethacin in rats by a mutein of basic fibroblast growth factor. Jpn J Pharmacol. 1997; 73:229-241. 17)Hull MA, Knifton A, Filipowicz B, et al. Healing with basic fibroblast growth factor is associated with reduced indo methacin induced relapse in a human model of gastric ul ceration. Gut. 1997;40:204-10. 18)Lambert JR. Clinical indications and efficacy of colloidal bismuth subcitrate. Scand J Gastroenterol Suppl. 1991; 185:13-21. 19)Matsuura M, Okazaki K, Nishio A, et al. Therapeutic ef fects of rectal administration of basic fibroblast growth factor on experimental murine colitis. Gastroenterology. 2005;128:975-86. 20)Kojima T, Watanabe T, Hata K, et al. Basic fibroblast growth factor enema improves experimental colitis in rats. Hepatogastroenterology. 2007;54:1373-7. 21)Satoh h, Shiotani S, Otsuka N, et al. Role of dietary fibers, intestinal hypermotility and leukotrienes in the pathogene sis of NSAID-induced small intestinal ulcers in cats. Gut 2009;58:1590-1596. 22)Satoh H, Hara T, Murakawa D, et al. Soluble dietary fiber protects against nonsteroidal anti-inflammatory drug-in duced damage to the small intestine in cats. Dig Dis Sci 2010;55:1264-1271. 23)Satoh H. Role of dietary fiber in formation and prevention of small intestinal ulcers induced by nonsteroidal anti-in flammatory drug. Curr Pharm Des 2010;16:1209-13. 24)Wallace JL, McKnight W, Reuter BK, et al. NSAID-in duced gastric damage in rats: requirement for inhibition of both cyclooxygenase 1 and 2. Gastroenterology. 2000; 119:706-14. 25)Satoh H, Amagase K, Ebara S, et al. Cyclooxygenase(COX) -1 and COX-2 both play an important role in the protec tion of the duodenal mucosa in cats. J Pharmacol Exp Ther. 2013;344:189-95. 26)Satoh H, Amagase K, Takeuchi K. The role of food for the formation and prevention of gastrointestinal lesions in duced by aspirin in cats. Dig Dis Sci. 2013;58:2840-9. 27)Satoh H, Amagase K, Takeuchi K. Exacerbation of nonste roidal anti-inflammatory drug-induced small intestinal le sions by antisecretory drugs in rats:the role of intestinal motility. J Pharmacol Exp Ther 2012;343:270-277. 28)Wallace JL, Syer S, Denou E, et al. Proton pump inhibitors exacerbate NSAID-induced small intestinal injury by in ducing dysbiosis. Gastroenterology 2011;141:1314-22. 29)Watanabe T, Tanigawa T, Nadatani Y, et al. Risk factors for severe nonsteroidal anti-inflammatory drug-induced small intestinal damage. Dig Liver Dis. 2013;45:390-5. 30)Satoh H, Amagase K, Takeuchi K. Mucosal protective agents prevent exacerbation of NSAID-induced small intestinal lesions caused by antisecretory drugs in rats. J Pharmacol Exp Ther 2013;348:227-35. 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 45 私の潰瘍学 ―潰瘍研究 37 年の流れ― 大阪大学名誉教授 川野 淳 はじめに 論文を日本医事新報に書かせていただいたのが 私の初論文である。胃潰瘍再発は同所再発が 大学を退官後、実験をすることもなくまた論 52%、口側に再発するものが約 30%であり、 文を読む機会も減少し勉強不足であり、執筆依 再発は口側に向かうという内視鏡観察の成績で 頼はすべて断っていた。この文章も第 41 回日 ある。その裏付けデータとして田村和也先生の 本潰瘍学会会長の樋口教授から執筆依頼のメー もとで胃潰瘍切除標本のプレパラートを病理よ ルをいただいた時に樋口教授にお会いして直接 り借り出し潰瘍周囲の漿膜側と粘膜下側の血管 お断りしようと返事をせずにいると私が断るよ の外径及び内径をプレパラビューアを用いて定 り先に執筆を強く要請された。日ごろからのご 規を当て手作業で計測し、計算機で血管狭小度 好意、ご配慮をいただいている関係もありお受 を計算した。その結果、胃潰瘍の口側漿膜側の けし、書く元気を搾り出しているが果たしてい 血管狭小度が優位に大きくその結果胃潰瘍が口 い文章が書けるかどうかは、はなはだ自信がな 側に再発するのであろうという成績を得た。今 い。初めからお詫びを申し上げておくほうが良 から思うと、はなはだ稚拙な方法を用い、必ず いような気分での執筆である。 しも満足のいく成績ではないが生まれてはじめ てのデータであり、ただひたすら夜を徹して計 潰瘍学入門 測していた体力と気力が大変懐かしい。日本潰 瘍学会のはるかな前身である実験潰瘍懇話会に 昭和 46 年に大阪大学を卒業し、阪大病院で 出席したのは昭和 47 年からである。当時私が の臨床研修後、昭和 47 年 6 月より国立大阪病 行った潰瘍実験としてはハンダごての先端をヤ 院消化器科で研修を開始した。当時は胃潰瘍の スリで削り漿膜側に一定時間当てて作成する焼 多い時代で内視鏡検査を研修していた私は毎日 灼潰瘍モデルでの潰瘍治癒過程の血管狭小度の のように胃潰瘍を見ていた。まだ H2 受容体拮 変化や血流改善薬の潰瘍治癒に対する影響を発 抗薬のない時代であり治療は制酸剤と粘膜保護 表した。国立大阪病院での 2 年間の研修期間は 剤のみで潰瘍再発をどう防ぐか、難治性潰瘍を 潰瘍研究の第一歩であり無我夢中の時代であっ どう治療するか、潰瘍の自然史は?などが毎 たがもっとも楽しいときであった。 年、学会のシンポジウムで取り上げられてい た。国立大阪病院での恩師である福井興先生の もとで「胃潰瘍再発の方向性について」という 46 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 ME による潰瘍研究 バイオと ME による潰瘍研究 昭和 49 年夏には大学医局に帰り以後退官す 鎌田教授が第一内科の教授になられ、第一内 るまでの長い研究生活が始まった。帰局して阿 科の研究は「バイオと ME」がキーワードとし 部教授の研究方針は「全研究室、ME をやるこ て決定された。この後しばらくして佐藤先生は と、試験管を振るなんてもっての外」というこ 順天堂大学消化器内科の教授として赴任され とを聞いた。ME 的手法でしか潰瘍研究は出来 た。当然多くの微小循環計測機器は順天堂大学 ないということである。そこで、しばらくは特 に持っていかれ、私の研究室には臓器反射スペ 殊救急部で熱傷患者や頭部外傷患者の内視鏡検 クトル解析装置が 1 台だけ残された。グループ 査をしろと命じられ、もっぱら夜中に機械を引 ヘッドになった私はバイオと言われても学生時 きずって行き内視鏡検査に励んだ。そこでは房 代には遺伝子解析など習ってもなく生理活性物 本英之先生(41 卒)が出向して急性胃粘膜病 質の発見などさらに無理であることは明らかで 変の臨床研究を行なっていた。ある日、中堅の ある。そこでまず実験潰瘍や臨床研究において 上司から「鎌田先生は君に血流をやって欲しい 潰瘍発生・治癒におけるエンドセリン、NO の らしい」と告げられた。そこでラットに熱傷を 動態を検討し報告した。プロスタグランジン、 加え、アミノピリンクリアランス法で粘膜血流 ロイコトリエンの胃粘膜微小循環に対する影響 を計っていたが手技が難しく、又 ME 的手法 も検討していたが COX-2 をクローニングした はどこにもなく、これといった成果も出ず悶々 辻井正彦先生が留学先から帰国した。辻井先生 とする日々であった。そこに第二生化学荻原文 の研究は癌における COX-2 の役割であり、潰 二教授と筑波大学で共同開発された臓器反射ス 瘍における COX-2 の役割は主に辻先生が中心 ペクトル解析装置を携え第二生化学教室に出向 になって多くの論文を出した。 されていた佐藤信紘先生(前順天堂大学消化器 内科教授、現同理事)が第一内科に戻ってこら れた。ME 的手法を用いた研究の始まりであ 保健学科での潰瘍研究 る。佐藤先生はプロトタイプの本装置を大幅に さて 1999 年に保健学科に移り、第一内科消 改良され最終的には内視鏡下に用いることが可 化器研究室消化管グループは辻先生が率いた。 能なセンサーを開発、さらには住友電工から発 彼は消化管研究にいち早く再生医学を取り入れ 売された臓器反射スペクトル解析装置の開発、 て画期的な仕事を次々と打ち出した。潰瘍の組 その後は電子内視鏡による画像解析まで行い 織修復における再生、特に骨髄由来幹細胞の役 NBI の基礎的な研究にまで我々を導いてくれ 割の検討や消化管運動におけるカハール細胞の た。その結果は急性胃粘膜病変やいわゆる慢性 役割とその再生による消化管運動の回復など優 胃潰瘍の粘膜血行動態の臨床的研究、動物実験 れた業績を挙げた。一方、保健学科に移った私 を用いたその裏付け、ひいては粘膜血行動態の は幸い辻先生とともに出した科研 B があたり 画像表示などの成果につながり高い評価を受け 蛍光顕微鏡や細胞培養に必要な器具などの実験 た。この研究には私のほか辻晋吾先生(現大阪 器具を購入し研究費の一部を辻先生の好意で保 みなと中央病院副院長)や現在開業している福 健学科にもって行かせてもらい、やっと自分の 田益樹先生など数人の先生方がともに働いてく 研究室を立ち上げた。まず東健先生(現神戸大 れた。 学教授)から CagA 遺伝子を頂き Tet-Off シス テムとともに RGM1 細胞に組み込み CagA 発 現の細胞機能に対する影響を検討し始めた。行 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 47 なったのは中国からの女子留学生である富海英 の説が合っているという確証もないような気が 先生である。私が全く指導できない技術である する。さて最近ではカプセル内視鏡や小腸内視 遺伝子導入も独学で学び 6 カ月で CagA-Tet- 鏡の進歩により小腸潰瘍性病変に興味が持たれ off 細胞培養に成功した。潰瘍研究は退官数年 ている。では消化管全体で潰瘍発生機序は同じ 前に竹内孝治先生から御紹介いただいた林裕二 なのか?上皮細胞の構造や機能などの環境が違 郎先生が辻先生の指導のもと間葉系幹細胞の潰 うので胃とは潰瘍発生機序は異なるのだろう 瘍治癒に対する影響など優れた業績を発表し か?ここでも炎症説なのか循環障害説なのかと た。 いう疑問が出てくる。多因子が複雑に絡んだ多 因子説は便利がいいようで何もわからないよう 潰瘍学の疑問 な気もする。大腸の潰瘍性病変に関しては多く の研究者がおられるのでご意見を伺ってみた 樋口教授主催の第 41 回日本潰瘍学会イブニ い。次に将来の潰瘍治療はどうなるのかという ングセミナー「潰瘍学を考える〜先達からの 疑問である。この疑問は以前川井啓市元京都府 メッセージ〜」では自分の潰瘍研究のなかでの 立医科大学教授に、あるシンポジウムで質問さ 疑問(図 1)について話をさせていただいた。 れ、私の答えは内視鏡検査で発見したときにす 私の潰瘍学説とはなにかと聞かれれば 100 年以 ぐに虫歯の治療のように詰め物で治療し、あと 上前に Virchow が唱えた血流障害説である。 は来なくていいというのが理想の治療法じゃな 種々の病態での血流変化を可視化したことくら いですかと答えた記憶がある。夢のような SF いが主な業績かも知れないが自分では何も新し 的答えであったことは間違いないが最近、特に いものを発見できなかったのではないかと気に 今学会でも長崎大学の山口先生のグループが発 している。そこで自分の潰瘍学説は何ですか? 表された再生上皮を貼り付けるという手法はま ということを自問して欲しいと思い質問をし さに私の描いた夢の潰瘍治療ではないかと大変 た。一度立ち止まって自分の研究の流れと自分 興味深かった。無理に上皮を培養して貼らなく の主張を考えて欲しいと思う。2 番目の疑問は ても酸分泌抑制薬を飲めば簡単じゃないかとい 急性胃粘膜病変の発生といわゆる慢性胃潰瘍の う声も聞こえ、多くの解決すべき課題を残して 発生機序は同じかというものである。動物実験 いるが私好みの研究でもあるので是非発展させ で見られる殆んどの病変は胃粘膜病変である。 て欲しい研究であると感じるとともに期待が高 現在の多くの論文は粘膜病変といわゆる慢性潰 まった。さて最後の疑問は学会に水をさす質問 瘍を混同している。一部には意識的に混同して であったかもしれない。HP 除菌で消化性潰瘍 いるようにも思われる。胃粘膜病変がいわゆる が減少した現在、これからの胃潰瘍学はどうな 慢性潰瘍の初期病変とすると潰瘍は表層(粘膜 るのか?という疑問である。潰瘍研究者は減っ 側)から深くなっていくという機序を想定して てきているのではないかと思う。消化器病学会 いるのだろうか?ヘリコバクターピロリ(HP) のある大家は胃潰瘍研究者は上部(食道)と下 菌の発見以来、多くの人は潰瘍炎症説に傾いて 部(小腸と大腸)に移動していると言っておら いるようであるが HP による人胃潰瘍発生機序 れた。そこで上部または下部消化管で潰瘍発生 ははまだ明らかにはなっていないと思う。急性 機序を研究するのもひとつの方向であり潰瘍学 胃粘膜病変発生機序として血流障害説は私とし に未来がないわけではない。しかし胃潰瘍の発 ては間違っていないと考えているがいわゆる慢 生・治癒機序さえもまだ十分解明されていずま 性胃潰瘍では血流障害説が正しいかどうかの確 だまだ謎が多いと感じる。 証は得られなかったので判らない。勿論その他 48 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図1 おわりに 見なかった研究をしてきたような気がする。若 い人たちへのメッセージとしては何か本質的な 消化管研究グループのなかった消化器研究室 新しい物または事象を見つけ、自分の説を打ち (旧肝研)で胃潰瘍研究の華やかな時期から たて、さらに病気をなくすほどの治療法を見つ HP の発見に始まる胃潰瘍激減の今日までが私 け退官後、世の中の役に立ったと思えるように の胃潰瘍研究の流れであったと思う。本シンポ 時々立ち止まり、来し方、行く末を確認しなが ジウムのタイトルは「潰瘍学を考える〜先達か ら研究に邁進していただきたいということであ らのメッセージ〜」であるが先達というより一 る。 時代前の元研究者として、潰瘍研究の感想とし 最後に私とともに研究生活を一時期でも一緒 ては本質的なものが何も見えなかった、または に過ごした諸先生方に心から深謝いたします。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 49 私の歩んだ潰瘍研究 京都薬科大学名誉教授 竹内 孝治 はじめに 部 4 年生になり高木敬次郎先生が主宰されてい る薬品作用学教室に配属されてからである。当 日本潰瘍学会は、実験潰瘍モデルを通して消 時、同教室には中枢、循環、平滑筋、および潰 化性潰瘍の病態解明及び治療予防法の開発を目 瘍グループがあり、特別の理由もなく潰瘍グ 的として 1972 年に“実験潰瘍懇話会”として ループを志望した。潰瘍グループの助手であっ 創設されたものであり、著者にとっては最も思 た岡部 進先生は米国留学中であり、大学院生 い出深い学会である。42 年前、本学会設立当 の指導の下に基本的なモデルの作製法(ストレ 時の消化器分野における基礎研究の動向は、潰 ス潰瘍、酢酸潰瘍、Shay 潰瘍)や術式などを 瘍 発 生 理 論 と し て は Davenport の“mucosal 修得した。大学院進学後に岡部先生が帰国さ barrier”学説、酸分泌生理においてはヒスタ れ、博士課程修了までの 5 年間、研究の進め方 ミンの“final common mediator”説、および および論文作成について沢山の教えを頂戴し ヒスタミン H2 受容体の発見などが注目されて た。当時、多くの時間を費やした研究は、アス おり、国内外の製薬企業は競って新規抗潰瘍薬 ピリン胃損傷に対するグルタミンの保護作用に の開発を目指していた。米国では 1974 年に消 関するものであった。胃損傷発生における酸の 化性潰瘍に関する教育・研究センターである 逆拡散現象が注目されている時代でもあり、ア “CURE”が Morton I. Grossman を初代所長とし スピリンによる胃損傷発生と酸の逆拡散の関連 て Los Angeles に開設され、世界各国からポス 性、およびグルタミンによる酸の逆拡散阻止作 ドクあるいはサバティカルにより多くの研究者 用に関する論文を国内外の薬理学および消化器 が集まり、凄まじい勢いで研究が行われていた。 専門誌に発表した1,2)。修士論文では胃潰瘍発 この度、第 41 回本学会会長である樋口教授 生・治癒に与える妊娠の影響を検討したが、妊 の発案で「記念誌:潰瘍学―過去、現在、未 娠後期には著明な胃酸分泌の増大が生じ胃潰瘍 来―」を刊行するに当たり、潰瘍モデルを使用 モデルは一般的に増悪するにも拘わらず、ヒス した研究の紹介を中心に、著者が歩んだ道を振 タミン潰瘍は著明に抑制されること、また胃潰 り返りたい。 瘍治癒が授乳期において促進することなど、興 味ある知見を得た3)。当時は抗潰瘍薬の開発研 学生時代 潰瘍モデルと出会ったのは、東京大学の薬学 究 も 盛 ん で あ り、 潰 瘍 モ デ ル を 駆 使 し て cimetidine や carbenoxolone などの薬効評価を 行ったが、これらの実験を通して新薬の薬効評 50 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 価以外に損傷の発生機序について多くの情報を 4) pH 勾配の実証と調節機序、およびプロスタグ 得た 。一例として、水浸拘束ストレス胃損傷 ランジン(PG)E2 の酸分泌に対する二相性作 の発生機序を検討している中で、幽門結紮する 用の実証などであり11)-13)、潰瘍モデルと接する ことにより通常の線状形を呈した胃体部損傷が 機会は殆どなかった。しかし、重炭酸イオンの 消失し、幽門部に点状の損傷が集中して発生す 粘膜保護における重要性を検討する一貫とし 5) ることを見出した 。幽門結紮により胃内に胃 て、摘出ウシガエル胃を用いた in-vitro 実験に 液が貯留することにより、通常のストレス胃損 おいて損傷発生を調べるという貴重な経験もし 傷が抑制されたわけである。この知見はストレ た。この仕事は帰国後、データを追加して発表 ス胃損傷の発生における胃運動亢進の重要性を した14)。また、ノルウェー・ベルゲン大学から 示唆していた。また、幽門結紮ラットにおける サバティカルで滞在していた Svanes 博士との ストレス胃損傷の発生機序を検討する中で、酸 共同実験で高張食塩水適用後の傷害胃粘膜にお の逆拡散量はストレス胃では減少するが、逆拡 け る 上 皮 の 迅 速 再 構 築 現 象(epithelial 散した酸の粘膜に対する有害作用は著明に増大 restitution)を実証した15)。この研究では、酸 することを見出した。この結果はストレス状態 分泌が傷害発生に伴い激減することも見いだ 下における酸の処理機構の破綻を示唆してお し、帰国後の研究における重要なテーマとなっ り、この点をさらに追究し学位論文として纏め た。 6) た 。 京都薬大時代 留学時代 1981 年秋に岡部先生が主宰されている京都 1977 年 9 月より 4 年余りの歳月を博士研究 薬大の応用薬理学教室に赴任し、帰国後の研究 員 と し て 米 国 で 過 ご し た。 最 初 の 2 年 半 は をスタートさせた。1980 年代は、多くの研究 ヒューストンにあるテキサス大学医学部生理学 者が Robert 博士の提唱した“胃粘膜保護現象 教室(LR. Johnson 教授)に在籍し、急性およ (cytoprotection)”に真剣に取り組んだ時代で び慢性胃・十二指腸潰瘍モデルを用いて粘膜 あり、胃損傷モデルとしてはエタノール胃損傷 DNA 合成能変化と損傷発生および潰瘍治癒と が頻用され、PGE2 による粘膜保護作用の機序 の関連性を調べることにより、粘膜増殖能(cell と し て 多 く の 説 が 提 出 さ れ た。 中 で も、 proliferation)の低下が損傷発生要因の一つで Mersereau & Hinchey により提唱された“粘 あると共に潰瘍治癒の遷延因子にもなり得るこ 膜ヒダの緩解”に興味を持ち、この説を検証す 7)-9) 。また、消化管における粘膜成 る目的で様々な薬物による胃運動抑制と胃粘膜 長の担い手であるガストリンの受容体について 保護作用を調べ、両者の間に正の相関があるこ も検討した10)。その後、ボストンに移り、ハー とを確認した16)。学生時代にストレス胃損傷の バード大学医学部付属病院であるベスイスラエ 発生研究に携わって以来、損傷の形態学的特徴 ル病院の消化器外科(W. Silen 教授)に 1 年半 を説明できる機能変化こそ、最も重要な発生要 在籍した。Silen 教授は、血流、細胞内 pH 調 因であるとの信念を持っていたため、その後も 節 系 な ど の 機 能 的 要 因 を 含 め た“dynamic インドメタシン胃損傷モデルを用いて、損傷発 barrier 学説”を 1977 年に提唱しており、彼の 生と胃運動変化の関連性を中心に追究した。そ 防御理論の根底には適応性機能変化の重要性が の結果、インドメタシン胃損傷が外因性の酸の 示唆されていた。ボストンでの研究は主として 存在下においてもアトロピンによって抑制され 重炭酸イオン(アルカリ)分泌の調節、粘液 ること17)、副腎摘出ラットではインドメタシン とを示した 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 51 に対する感受性が増大し、胃運動亢進と胃損傷 33) を介して発現することを明らかにした(図 1) 。 が共に低用量で発現すること18)、また胃運動の EP 受容体のサブタイプに関しては、PGE2 に 異常亢進は胃粘膜微小循環障害を引き起こし、 よる様々な機能調節についても検討し、例えば 局所的に虚血再還流状態を惹起することな 酸分泌抑制は EP3/IP 受容体、酸分泌促進は 19) ど 、NSAID 胃損傷の発生と胃運動性異常の EP4 受 容 体、 粘 液 分 泌 促 進 は EP3/EP4 受 容 密接な関連性を実証した。一方、留学時代に始 体、小腸運動抑制は EP4 受容体を介すること、 めたアルカリ分泌の研究では、十二指腸アルカ さらに興味あることにアルカリ分泌は胃と十二 リ分泌が粘膜酸性化によって促進し、この反応 指腸で関連する EP サブタイプが異なり、前者 には内因性 PG 以外にカプサイシン感受性知覚 では EP1 受容体、後者では EP3/EP4 受容体を 神経(capsaicin-sensitive afferent neurons: 介することなどを明らかにした33),34)。また、ア CSN)が関与することを世界で最初に報告し ル カ リ 分 泌 の 関 連 で は、CSN と PGE2 と NO 20) た 。さらに胃酸分泌亢進状態下に粘膜酸性化 の相互作用35)やカプサイシンによる胃アルカリ によるアルカリ分泌反応をインドメタシンの前 分泌の促進機序を解明し36),37)、さらに酸による 処置、ストレス負荷、あるいは知覚神経麻痺な CSN 活性化機構に関しては TRPV1 以外に酸 どによって低下させることにより、十二指腸潰 感受性イオンチャンネル(ASIC3)を介する場 瘍が発生することも実証した21),22)。また、傷害 合もあることを見出した。一方、NO の粘膜恒 発生に伴う酸分泌変化に関しては、調節機序を 常性維持における二面作用を調べる目的で 担っている PG および一酸化窒素(NO)の役 NSAID 小腸損傷も研究対象とした。非選択的 割、および胃酸分泌の減少と亢進という二相性 NO 合成酵素(NOS)阻害薬である L-NAME 変化も含めて、傷害胃における合目的な酸分泌 の投与タイミングを変化させることにより、 23)-25) 。その他、CSN の脱 NSAID 小腸損傷の発生において cNOS/NO は 感作により傷害胃における酸誘起粘膜血流の増 保護因子として、iNOS/NO は傷害因子として 調節を明らかにした 26) 大が抑制され、損傷治癒が遷延化すること 、 作用するという NO の二面性を証明した38)。 また PGE2 は胃粘膜において両面作用を示し、 NSAID に よ る 胃 腸 損 傷 に 関 し て は、 選 択 的 ヒスタミン誘起胃損傷が PGE2 の併用投与によ COX-1 および COX-2 阻害薬を用いて更に検 り著明に増悪し、この場合の機序として血管透 討し、損傷発生には COX-1 と COX-2 の両者 27) 過性の亢進が関与することなども報告した 。 の阻害が必要であり、この場合、COX-1 阻害 1995 年、京都薬大に新設された薬物治療学 との関連により COX-2 が誘導されることなど 教室に移り、少人数ながら新たなテーマにも取 も明らかにした39),40)。また、小腸粘膜の恒常性 り組んだ。まず、ストレプトゾトシン高血糖 維持においては cNOS/NO も COX-1/PG と同 ラット(糖尿病モデル動物)を使用し、糖尿病 様に重要な役割を演じており、実際、cNOS 阻 状態下における胃粘膜の易損性の増大、増殖因 害下に選択的 COX-2 阻害薬を投与することに 子の発現低下に伴う急性および慢性胃潰瘍の治 よって小腸損傷が誘起されることも明らかにし 癒遅延、胃酸分泌変化、および十二指腸アルカ た41)。興味あることに、NSAID 小腸損傷の発 リ分泌異常などを報告した28)-30)。一方、種々の 生も機能的には腸運動亢進と関連しており、胃 胃腸損傷モデルを使用して PGE2 の保護作用と 損傷と共通する機序の存在が推察された42),43)。 EP 受容体サブタイプの関連性について検討 潰瘍治癒に関しても、COX アイソザイム、増 し、食道および胃粘膜保護作用の発現には EP1 殖因子や EP 受容体サブタイプとの関連につい 31) ,32) 、十二指腸粘膜 て追究し、酢酸胃潰瘍および NSAID 小腸損傷 および小腸粘膜の保護作用は EP3/EP4 受容体 の治癒における COX-2/PGE2/EP4 受容体の重 受容体の存在が必須であり 52 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 1 種々の潰瘍モデルにおける PGE2 の保護・治癒促進作用および関連する機能変化と EP 受容体サブタイプ EP receptor subtypes involved in the protective and healing-promoting actions of PGE2 in the gastrointestinal tract. The EP receptor subtypes involved in these actions differ depending on the tissue, for example, the protective effect in the stomach is mediated by EP1 receptors, while that in the duodenum is mediated by both EP3 and EP4 receptors. In addition, PGE2 promotes healing of gastric ulcers or small intestinal lesions via the activation of EP4 receptors. Certainly, the functional changes responsible for these actions also differ depending on the tissues and mediated by different EP receptor subtypes. 要性を証明した44)-46)。その他、骨粗鬆症薬のビ 40 年の研究の中で潰瘍モデルを扱ったものを スフォスフォネート、抗鬱薬の選択的セロトニ 中心に紹介した。潰瘍モデルは、薬効評価には ン再取り込み阻害薬(SSRI)、抗血栓薬、およ 勿論のこと、抗潰瘍薬の作用機序や損傷の発生 び貧血治療薬の鉄剤による胃粘膜障害なども検 機序を検討する上で必須であり、今後の研究に 討し、これら障害に対する薬物療法について情 おける夢も与えてくれた。学生時代には漫然と 47) -49) 。最近、NSAID による 既存のモデルを使用していたが、留学経験から ラットの胃・小腸損傷モデルを用いた研究にお 生理学的変化を利用したモデルの考案を目指 いて、抗分泌薬であるポンプ阻害薬やヒスタミ し、それなりの成果を納めることも出来た。ま ン H2 拮抗薬は胃損傷の発生を抑制するが、小 た、損傷の発生機序の追究からは、所詮モデル 腸損傷に対しては逆に増悪作用を示すことを見 において得られた知見であろうと、生体の合目 報提供を行ってきた 50) 出し 、改めて動物モデルの重要性を確認した。 的な機能変化に驚嘆しながら多くのことを学ん だ。2002 年 11 月には、長年に亘る潰瘍研究が おわりに 学生時代に実験潰瘍モデルと出会ってから約 評価され、ハンガリーのペチ大学医学部から名 誉医学博士の学位を授与されたことも良い思い 出として残っている(図 2)。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 53 図2 Pécs 大学における “Doctorem Medicinae Honoris Causa” の授与式(2002.11.7.) 21 世 紀 は ま さ に ポ ス ト ゲ ノ ム の 時 代 で あ り、潰瘍研究も内容的には飛躍的に進歩してい るが、疾病の病態解析や創薬研究には生体位の モデルが必須であり、潰瘍モデルは依然として 必要と思われる。日本潰瘍学会は、基礎と臨床 がお互いの垣根を越えて“潰瘍学を極める”と いう志を持った人達の集まりです。今後とも、 基礎・臨床、医師、メーカーを問わず潰瘍につ いての知識を集め、潰瘍医学の進歩・発展に貢 献することを願っています。 文 献 1)Okabe S, Takeuchi K, Nakamura K, et al. 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J Pharmacol Exp Ther 343:270-277(2012) 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 55 私の潰瘍学 大阪市立大学大学院医学研究科消化器内科学 荒川 哲男 プロローグ 血流をどうやって測るか 私は大阪市立大学医学部を卒業した後に第三 血流がすべての胃粘膜防御機構の元締めだと 内科に入局した。本当は、「腕」が即効果をも 考えて、血流を測定することから実験を開始し たらす外科に進みたかったが、マスクにアレル た。犬に酢酸潰瘍を作成して、交差熱電対とい ギーがあって、長時間の手術を行うのは無理だ う装置で血流を測ってみると、潰瘍辺縁で増加 と判断し、外科的な内科である消化器内科、す していた。傷を治そうとする生体の自然な反応 なわち当時の第三内科を選択した。1975 年の だろう。人工潰瘍でちょうどポリペクトミー後 ことだ。第三内科は肝臓と消化管の 2 つのグ の潰瘍に当たる。当然治癒は速い。病的な状態 ループに分かれており、内視鏡というツールが で生じる消化性潰瘍は当然、血流が減っている ある消化管グループを選んだ。その頃はポリペ と想像できるが、熱電対をヒトに埋め込む訳に クトミー程度の観血的手技程度であったが、将 はいかない。要するにヒトで証明する手段がな 来を予感させる魅力を感じたし、実際、今、早 い。その上、血流を潰瘍辺縁で増加させる手段 期癌の切除をはじめ、内視鏡治療手技が花盛り がない。行き詰まってしまった。 になっている。 しかし、大学院に進んで私を虜にしたのは、 「なぜ胃は溶けないのか?」という命題であっ プロスタグランディンとの出会い た。強烈な酸とペプシンが肉を溶かす。第一線 1972 年にヴェイン博士が、アスピリンの作 の消化隊だ。殺菌作用も発揮する(ピロリ菌は 用としてプロスタグランディンの合成を阻害す 別物)。しかし、「肉」である胃壁は消化されな ることを見出し、のちにノーベル賞を取る。さ い。生命の神秘を地で行く。一方で消化性潰瘍 かのぼって 1936 年にフォン・オイラー博士が という、胃壁が溶ける病気がある。何が胃壁を 精液中の子宮収縮物質を発見・分離し、精嚢線 溶かさないように守っているかを調べると、胃 由来を前立腺(prostate gland)由来と誤認識 粘膜防御機構というテクニカルタームに行き着 したためプロスタグランディンと名づけた。こ いた。粘液とか重炭酸イオン、血流などで成り の発見もノーベル賞に輝いた。アスピリンは胃 立つシステムだ。 潰瘍の大きな成因の一つとなっており、プロス タグランディンこそが、胃壁が酸によって溶か されない機構の主役ではないかと色めきだった。 56 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 1 当教室オリジナルの凍結下粘膜剥離法 そこで、まず、胃潰瘍患者にインフォームド 薬(NSAIDs)、あるいは胃粘膜傷害をきたし コンセントを取って、生検組織のプロスタグラ やすい門脈圧亢進症3)などの病態時を再現させ ンディンを測定させてもらった。瞬間凍結しな る動物実験がぜひとも必要だと感じた。そのよ いとプロスタグランディン合成が刺激されて元 うな病的状態での胃粘膜プロスタグランディン の値を保つことができない。液体窒素で生検組 量を測定することが重要なのだ。ところが、 織を瞬間凍結し、そこからプロスタグランディ ラットなどの動物の胃粘膜を刺激せずに剥離す ンを抽出して RIA で測定する。簡単に書いて ることは不可能といえる。先述したように、機 いるが、安定化させた粗抽出液から精製抽出し 械的刺激を加えれば、瞬時にプロスタグラン て測定段階まで持ってくるのに翌朝までかか ディン合成が起こり、もはや病態時を反映する る。潰瘍辺縁でのプロスタグランディン値は、 プロスタグランディン値を得ることはできな 背景の正常粘膜よりは高いが、それほどでもな い。大きな壁にぶつかった。 い。そこで、人工潰瘍であるポリペクトミー後 粘膜層は粘膜下層というルーズ(粗)な層で の潰瘍辺縁のプロスタグランディン量を測らせ 筋層と境されている。もしかしたら。胃壁を 2 1) てもらった 。そうすると正常粘膜に比しべら 枚の「板」に挟み込んで瞬間凍結し、2 枚の ぼうに高い値を示した。これで、潰瘍がなぜで 「板」を 2 つに割ったら、ルーズな粘膜下層を きるかの病的状態がわかった。「消化性潰瘍は 堺に粘膜層が筋層と分離されるかもしれない。 プロスタグランディン欠乏症候群である」こと ドライアイス・アセトン浴中にキセノンをビー 2) を医学誌に発表したのである 。 カーに入れて置くと -20℃となる。これにプレ パラートに挟んだ胃壁を浸すと瞬間凍結する。 パッカーンでブレークスルー! この 2 枚のプレパラートをヘラでパリっとはが すと、なんと見事に 2 つに割れた。病理組織的 これだけで済むわけはない。潰瘍の原因とな に確認すると、予想通り粘膜層がきれいに筋層 るとされるストレスや非ステロイド性消炎鎮痛 から外れていた(図 1) 。あまりにもあっけな 4) 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 57 図2 1980 年に東京で開催された第 3 回国際潰瘍学 会。演者の私に質問しているのがアンドレ・ロベール 博士である。 図 4 1985 年にロベール博士に招かれた彼のラボ。 着くと「パッカーン」の準備がされていてサプライズ。 本当にできるのか試されたようだ。結果は見事に成功! の凍結下粘膜剥離法を、PG(Prostaglandin) グ ル ー プ( の ち に GP グ ル ー プ:Gastro 図 3 ロベール博士の最後の婦人のトモコさん。カ トゥーンは私の作品で、生前ご両人にさし上げたもの である。 Protection)の連中は「パッカーン」と呼んだ。 2 枚のプレパラートが分離するときの音だ。 アンドレ・ロベール博士との出会い く(といっても何ヶ月も悩んだ末のアイデア 動物実験の成果を初めて国際学会で発表した だったが)うまくいったので、戸惑いながらも のは 1980 年、大学院の 4 年生の時である。東 嬉しさが何倍にも達し、プレパラートを両手で 京で開かれた国際潰瘍学会でのことで、ストレ 持って狂喜乱舞しながら消化管のヘッドの小林 ス負荷ラットでは、胃粘膜プロスタグランディ 絢三名誉教授(当時講師)の部屋に走りこんで ン値は初期に上昇し、その後、徐々に低下する 行ったのを今でも昨日のことのように覚えてい ことに伴い胃粘膜傷害が発生することを報告し る。35 年前のことではあるが。 た4)。緊張で足は震え、心臓は口から飛びでそ この発明により、動物実験が飛躍的に進み、 うで喉はカラカラ。その時、颯爽と質問に立っ 次々と潰瘍発生の病態に迫ることができた。こ た の が ア ン ド レ・ ロ ベ ー ル 博 士 だ っ た( 図 58 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 5 ロベール博士が来阪された時の風景。カトゥーンは私の作品。“Cytoprotection” 現 象の発見者であり、世界をあっといわせた。一番奥が小林絢三名誉教授(当時助教授)。 2)。もう、その時は私は倒れる寸前だったが、 たった 3ヶ月であったが、濃い 3ヶ月で、門脈 この栄誉に浸りたい思いが私に何とか意識を保 圧亢進症における胃粘膜上皮細胞を分離して、 たせた。その出会いのお陰で、その後、彼が最 その機能や強さを実験し、2 本の論文を書い 後の婦人(日本人バイオリニスト)(図 3)に た5),6)。第 3 の恩師である。私の研究生活は、 看取られて、膵癌で他界されるまで、友として この 3 名の偉大な恩師(図 6)に出会わなかっ 親交を深めることができた(図 4、5)し、今 たら、痕跡すらなかったであろう。 でも私の心のなかでは笑顔でジョークを飛ばし ておられる。第二の恩師である。 タルナウスキー教授との出会い 研究グループの改名 プロスタグランディン研究に端を発し、PG グループと命名して発展してきた我々のグルー 1984 年にリスボンで国際消化器病学会が開 プは、文字通り、胃粘膜防御機構の王道に踊り 催された。そのとき、タルナウスキー先生の発 でた。そこで、自然とアルファベットをひっく 表を巡って激しい論争が巻き起こった。ほとん り返した GP、すなわち“胃粘膜防御(Gastro ど英語が理解できてなかったが、あとで考える protection)”グループと呼ぶようになった。そ と、自分の主張を通さないと淘汰される世界な の後、私を筆頭に次々と海外留学にも行くよう んだなあ、と思った。そのあと、土産物屋で になり、グループも大きくなるとともに、世界 ばったりタルナウスキー夫妻と出会い、私の発 に友が増え、輪が拡がった。最高の財産だと 表を褒めてくれたあと、ラボに来ないかと誘わ 思っている。 れた。それから数年後、カリフォルニア大学 その後、研究課題は変遷を遂げたが、ヘリコ アーバイン校の関連病院、ロングビーチの VA バクター・ピロリの発見による流行にも惑わさ (退役軍人)病院に留学した。留学と言っても れず、一心に胃粘膜防御機構にこだわり続けた 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 59 図 6 私の偉大な 3 名の恩師。左から小林絢三名誉教授、アンドレ・ロベール博士、タルナ ウスキー教授。 研究生活を誇りに思っている。とくに、QOUH (Quality Of Ulcer Healing)7-10)、Bioregula tion11)(図 7)など、実証に基づく新語を生み 出し、世界に評価されるグループに成長したこ とは、何にもまして小林絢三名誉教授のご指導 と後輩たちの飽くなき探究心に支えられたお陰 と感謝しております。最後に、今後目指すべき 方向性(私見)を図 8 に示します。 エピローグ 私の研究の初期の話を中心に述べたあと、い きなり最終項に突入するが、その間の話は別の 機会に述べたい。 さて、「私の潰瘍学」は 3 つのメリハリで締 図 7 小林絢三先生の教授退職を記念して、京都府立 医科大学の吉川敏一学長(当時助教授)と 2 人で編集 したグローバル単行本「Bioregulation」。世界有数の 著者が並んでいる。安藤 朗教授、R. Blumberg 教授、 馬場忠雄教授、J. Crabtree 教授、日比紀文教授、樋 口和秀教授、平川弘聖教授、伊藤 誠教授、岩尾 洋 教授、城 卓志教授、川野 淳教授、北島政樹教授、 近藤元信教授、SK Lam 教授、松本誉之教授、内藤裕 二 病 院 教 授、B. Peskar 教 授、 坂 本 長 逸 教 授、Z. Sandor 教授、S. Szabo 教授、A. Tarnawski 教授、 寺 野 彰 教 授、J. Wallace 教 授、 渡 辺 守 教 授、B. Wong 教授など(アルファベット順)。 めくくることができると思っている。ひとつ は、私が国際人(と言えるかどうか怪しいが) としてデビューした国際潰瘍学会を、その 25 年(4 半世紀)後に会長として主催できたこと (図 9)。これは、当時はもちろん、直前でも夢 にも思っていなかったことで、私のルーツ、育 ての親の学会をお世話できたことは何より幸せ であった。もちろん、何の政治的な駆け引きも なく、自然なかたちで推薦されたことも嬉しさ 60 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図8 潰瘍治癒に関与するであろう今後の研究課題となりうる標的分子(私見)。 図9 2006 年に大阪で主催した国際潰瘍学会。大げさに言うわけではないが、盛大でユ ニークな会としてしばらく語り継がれた。変装して歌ったレイ・チャールズのジョージア・ オン・マイ・マインドはオオウケであった(と思っている)。 を倍増させたかもしれない。 そして 3 番目が現在進行中の Chan 教授(香 次いで、QOUH の集大成として、2012 年の 港中文大学医学部長)との国際臨床研究シリー World J Gastroenterology9 月号の表紙を「男 ズだ。RAINBOW study(低用量アスピリンに 前」の顔が飾ったこと(図 10) 。QOUH の よる胃粘膜傷害・出血イベントに対するプロト 10) レビューはトップに掲載された。これは神棚に ンポンプ阻害薬の効果を H2 受容体拮抗薬と比 飾る価値があると思っている。 較する多施設共同国際二重盲検臨床試験)と 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 61 図 10 GP グループの研究成果が評価され、QOUH のレビューとともに代表の私が World J Gastroenterology の表紙を飾った(CG ではありません)。 SAMURAI チーム。共同で臨床研究などを行っている。国際メンバーとして、香港 図 11 の Chan 教授、米国の Fass 教授、シンガポールの Fock 教授が入っている。 over the RAINBOW study(低用量アスピリン を SAMURAI チーム(図 11)(代表:私)で による小腸粘膜傷害に対するミソプロストール 進めている。大阪市立大学医学部学舎内に国際 (プロスタグランディン製剤)の治癒効果のプ 消化管研究センターを設置し、そこを起点とし ラセボ対照多施設共同国際二重盲検臨床試験) て い る( 図 12)。 英 語 名 称 は SAMURAI GI 62 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 12 国際消化管研究センター(SAMURAI GI Research Center)開設における調印式 (2013 年 5 月 1 日。於大阪市立大学医学部学舎内の Guest Room)。香港中文大学医学部 長の Chan 教授と。 図 13 我々が提唱した潰瘍再発の機序(作業仮説)。 文献 16 より引用。 図 14 我々が提唱した NSAIDs/ アスピリンによる小 腸粘膜傷害の機序(作業仮説)。文献 27 より引用。 Research Center。 授が率いている。 GP グループは、現在 3 つのグループに発展 とくに「私の潰瘍学」においては、渡辺俊雄 してきた。ひとつは、胃食道逆流症の基礎と臨 君の存在なくしては語れない。彼は世界ではじ 床を中心にした食道グループであり、藤原靖弘 めて潰瘍再発モデルの作成に成功した12)。キー 准教授が指揮している。2 つ目は、胃のファン を握るのは炎症性サイトカイン12)-16)であり、ピ クションとオンコロジーの基礎と臨床を追求す ロリは NSAIDs やストレスと並ぶ 1 大要因に る富永和作准教授のグループ。そして 3 つ目 すぎないという仮説を可能なものにした(図 は、GP グループのルーツを引き継ぐ胃粘膜防 16) 。また、最近注目を集めている NSAIDs/ 13) 御機構グループであり、近年では小腸粘膜防御 アスピリン小腸粘膜傷害の機序解明に資する成 と傷害の基礎と臨床、とくに NSAIDs/ アスピ 績を次々に発表しており17)-27)、TLR-4 がキー リンに関する仕事で活躍している渡辺俊雄准教 27) 。 を握るという仮説に行き着いた(図 14) 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 63 そして何よりも「私の潰瘍学」の立役者は、 今回の日本潰瘍学会を主催された樋口和秀教授 をおいて他に居ない。樋口先生は、我々の同門 であり、准教授時代にこの 3 つのグループを率 いて獅子奮迅の活躍を見せてくれた。今こうし て、彼の学会開催の記念誌に、思いの丈を書か せていただいていることは感無量です。 私もそろそろリタイヤの時期が近づいてお り、Chan 教授と我が SAMURAI チームでの臨 床研究の成果を男の花道として、後輩にバトン タッチしていきたい。 最後っ屁 潰瘍学は、ピロリがごとき新参者に敗れるよ うな、やわで浅い学問では断じてない! 文 献 1)Kobayashi K, Arakawa T, Nakamura H, Chono S, Yamada H, Satoh H, Kamata T, Ono T. 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Curr Med Chem. 2012;19(1):77-81. 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 65 始まりは実験潰瘍から 埼玉医科大学総合医療センター 屋嘉比 康治 私が初めて見た動物実験が水浸拘束ラットを 例を「胃潰瘍脳原因説」の例として著書の中で 用いた実験潰瘍作成とその予防に関する研究で 紹介されている。今では胃酸分泌抑制薬の予防 ある。当時、本会の前々理事長の松尾裕先生が 投与にてその発症がほとんど抑制されている 関敦子先生、それに牛尼元東大病院放射線部技 が、松尾先生を始め多くの先生がたのストレス 師長と共に、毎週のように東大病院第 3 内科第 潰瘍実験に基づく成果である。確か、本会で 1 研究室の片隅にて水浸拘束ラットを用いた実 あったと記憶するが旭川医科大学の並木正義教 験潰瘍作成を行っていた。その時に初めて自律 授の講演を聴けたのも貴重な経験であった。実 神経の潰瘍発症における役割を目の当たりにし 験潰瘍作成方法として水浸拘束以外に狭いとこ た。立位で体半分以上水中に浸かる状態でラッ ろに押し込む拘束ラットの方法、さらに仰天し トを拘束すると胃潰瘍ができる。さらにラット たのはラットのケージの隣に猫を置き潰瘍を作 の自律神経を切断するとまた結果が異なってく る実験などが紹介された。記憶では、三日間こ る。交感神経を副腎の周辺で切断すると胃潰瘍 のストレスに曝すとラットが死んだと言われた が悪化するが、迷走神経を横隔膜直下で切断す ように思う。今なら動物愛護協会からお叱りを るとなんと潰瘍発症が予防されるのである。潰 受ける実験と思われるがストレスの怖さを思い 瘍発症に迷走神経、すなわち中枢神経が大いに 知らされる実験であった。 関与していることを示した感動的な実験であっ 入局してから間もなく私自身の実験が始まろ た。迷走神経を切断することで胃酸分泌が抑制 うとする時、てっきり水浸拘束実験が始まると され潰瘍発生が予防されると説明を受けたよう 思いきや、松尾先生から「これからは消化管免 に記憶する。松尾先生は良く「脳があるから潰 疫の分野が発展すると思うから消化管免疫と自 瘍ができるのだ。」と話されていた。自律神経 律神経の関係を研究するように。」との指令が 切断で脳からの影響を抑制するとストレス下の 出た。1 年間はとにかく苦労しながら免疫染色 状態でも潰瘍ができないこと、すなわち「胃潰 を行い、蛍光顕微鏡を眺めていた。視力が極端 瘍脳原因説」を実験で教えていただいた。松尾 に悪化したのはその頃であった。しかし、牛ア 先生からは「胃の病は脳の病」と Rokitansky ルブミンの経口免疫による特異抗体の誘導がプ の言葉を教えていただいた。しかし、その学説 ロトコールとしては無理であることが判った も松尾先生の臨床経験に基づいていることも後 時、次の指令が出た。「屋嘉比君、これからは で知った。若き日の松尾先生の症例で小脳出血 細胞レベルの研究が重要だから単離壁細胞を用 後大きな出血性十二指腸潰瘍にて亡くなった症 いる研究をやるように」と松尾先生ご自身が手 66 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 がけていた実験手技を渡された。その当時は必 性潰瘍の発症予防および治療のために酸分泌機 ずしもうまくいっている訳ではなく引き継ぎを 序を解明し効率よく酸分泌が抑制できるか説明 受けたエルトリエーターローターでなんとか細 することに留まった。1990 年代になるとヘリ 胞分画が取れるという状態であった。ましてや コバクターピロリの研究が華々しく展開され、 酸分泌活動が無傷の壁細胞を分画採取すること 基礎研究においても細菌学や免疫学、炎症学が は我が国のどこの施設でもうまく行ってなかっ 大きくなった。それでも私は酸分泌機序の病態 た。しかし、この単離壁細胞を手がけたことが 研究から離れず所定位置に留まった。良かった その後の私の進路を変えることになったのであ か悪かったかは別として、おそらく悪かったか る。2 年ほど苦労して酸分泌機能が良い壁細胞 もしれないが、研究を続ける活路であったのは を 60-70% の含有率で採取できるようになり、 間違いなかったと思う。サイトカインによる酸 その後、学位論文となる消化管ホルモンの研究 分泌異常についてはいくつか論文を発表し外国 や 1980 年頃開発されたヒスタミン H2 受容体 の論文にも引用してもらいピロリ研究の流れか 拮抗薬やムスカリン受容体拮抗薬の研究がブー ら外れないようになんとか留まった。その当 ムとなり、多くの学会や研究会にて発表させて 時、多くの研究者が「ピロリ除菌で消化性潰瘍 いただいた。当時、UCLA CURE の Dr. Yamada の研究はやることが無い、終わった。」と思い から声をかけられたのも単離壁細胞実験の発表 込んだこともあったのではないか。考えてみる 会場であった。本会においても発表させていた と消化管は全領域にわたって粘膜に覆われてお だくチャンスがあったが、何度か手痛い目に り、消化管の疾患はほとんどが粘膜欠損、すな あった記憶がある。本会は基礎の研究者も多数 わちびらんと潰瘍につながる病変を生じる。胃 参加されており、そこからの質問によって自身 だけではなく消化管全域にわたって NSAIDs の研究を振り返る貴重なチャンスでもあった。 潰瘍が発症することが注目されている。最近で 司会の先生から「あなたの神の手でなければ得 は NSAIDs による出血性潰瘍は消化管出血の られない細胞ですね。」と厳しい批判を受け、 一大原因になっている。今後も老齢化社会を迎 科学的証明の厳しさと重さを感じたこともあっ え多くのヒトが腰痛や膝痛を持ち、NSAIDs を た。しかし、批判をいただいた先生から「一緒 服用する。さらに血管梗塞性病変予防のための に発表しよう。」と誘われてドイツの国際学会 バイアスピリン服用が否が応でも増加する。消 にて共同発表を行い、大変にうれしく自信につ 化管潰瘍発生が増加する傾向が明らかであるか ながった。本会では他施設からの発表も大いに らこそ潰瘍学は必要である。さらに消化管には 勉強になった。酸分泌機序しか研究したことが 原因が明らかでない原因療法ができない炎症性 なかった当時は、防御因子や血流の研究を拝聴 腸疾患やベーチェット病など難病がその解明を し潰瘍学の広さをいくらかでも学んだように思 待 た れ て い る。 だ か ら こ そ、 研 究 テ ー マ は う。酸分泌だけが研究ではない、胃には酸など 二十一世紀にも続くと確信できる。これからも の攻撃因子に対する防御機能があり、その破綻 潰瘍学会は必要であり、いっそうの奮起が期待 が病態としては重要であることを多くの発表か される。改めて頑張ろうと思う今日この頃であ ら学んだ。しかし、それでも私のテーマは消化 る。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 67 潰瘍とピロリ菌と私 杏林大学医学部第三内科 高橋 信一 ピロリ菌との邂逅は偶然のことではなかっ た。学生時代から臨床細菌学に興味があり、勧 められるままに栄研化学から発行されていた 「モダンメディア」(主に感染症関係の学術情報 誌)を購読していたが、ある日、そこに腸炎起 炎菌のキャンピロバクターが胃内に生息してい るとの文献を見つけた。著者は、学生時代、長 期休暇のたびに実習させていただいた東京都立 衛生研究所(以下、衛研)の伊藤武先生であ り、ここにも何か因縁のようなものを感じた。 早速、伊藤先生にご連絡し、お会いしたが、先 生も臨床とのかかわりを強く希望されていたた め、意気投合、ここから共同研究が始まった。 まず取り掛かったのが、ピロリ菌は本当に病 気を引き起こすのか?本当に胃内に生息できる のか?の証明である。それを実現するには動物 感染実験が最適であった。衛研で飼育している カニクイザルにピロリ菌を感染させ、1 週間後 に胃内視鏡検査を施行、びらん性胃炎の発症を 確認し、生検材料からピロリ菌を分離培養する ことに成功した(図 1)。その内容については 1993 年ドイツの細菌学会誌に報告したが、そ の後の定期的な胃内視鏡検査において一度とし て潰瘍の出現は見られなかった。ヒトとサルと 図 1 衛研におけるカニクイザル感染実験 (一番奥が伊藤武先生) の違いはあるが、このことこそがピロリ菌は胃 炎を惹起するが、潰瘍発症には他の要因が大き 在しても PPI で胃酸分泌を抑えるとほとんど く関与するとの小生の硬い信念が培われた。他 の潰瘍が治癒するのである。潰瘍発症に胃酸が の要因とは胃酸分泌である。例えピロリ菌が存 大きく関与していることは疑問の余地はない。 68 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 しかし、問題は高率な潰瘍再発であった。小生 る。ピロリ菌に感染した子供は大きくなるにし が Boston 留 学 中 の 1994 年、 米 国 NIH に て たがってピロリ菌が長期感染することとなり、 Consensus Development Conference が開催さ 慢性胃炎を惹起してくる。このピロリ菌感染胃 れ、小生も招待されたが、そこでピロリ菌除菌 炎が背景となり、ピロリ菌の菌種や感染期間、 により潰瘍再発が大きく抑制され、胃潰瘍、 宿主の感受性、食餌などの環境因子などにより 十二指腸潰瘍においてはピロリ菌除菌が第一選 種々の異なる疾患が発症してくる。すなわちピ 択治療とのコンセンサスが成立し、世界に向け ロリ菌感染胃炎の治療はその後発症してくる各 発表された。ピロリ胃炎を断ち切ることにより 疾患を予防するという大きな意義があるのであ 潰瘍の再発が抑えられることが公に確認された る。 のである。しかし、本邦において胃・十二指腸 あの小さな細菌が火山の噴火口のような潰瘍 潰瘍のピロリ菌除菌が保険収載されたのが 6 年 を作り上げてくる、考えたら想像もつかない話 後の 2000 年であった。世界に取り残された思 だが、この真実を信じ、研究を続けた Marshall いであった。 と Warren には心からの敬意を表したい。 ピロリ菌は宿主が 5 歳以下の小児期に感染す ピロリ菌感染胃炎の除菌が全国的に普及し、 る。大人は自身の胃酸や免疫能によりたとえピ 消化性潰瘍の減少とともに胃がん撲滅に連携し ロリ菌に感染しても自身で排除できるからであ て行くことを強く願っている。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 69 私にとっての日本潰瘍学会 ―実験研究を始めた時代から― 名古屋市立大学大学院消化器・代謝内科学 城 卓志 日本潰瘍学会は、その前身である日本実験潰 り、当時の実験的研究を振り返ってみることに 瘍学会の時代から、消化性潰瘍をはじめとする なったが、いい機会なので、潰瘍学会、特に実 さまざまな粘膜傷害の発生メカニズムを研究 験潰瘍学会時代の私の活動などについて多少で し、その成因を突き止めるとともにその発生の はあるが回想してみたい。 予防や治療方法を追求することを大きな目的の 私は医学部を卒業後、名古屋市立大学第一内 ひとつとしていた。どうして、「実験」という 科(現 名古屋市立大学 消化器・代謝内科) 言葉が外れたのかということについては、一度 に入局してからの数年間は、100%、臨床に没 じっくり考えてみたいと思っているが、少なく 頭していたが、入局以前から、「サイエンス」 とも当時の私には、実験潰瘍という言葉が非常 には結構な興味があり、学生時代には生化学教 に心地よく響いていたのは事実である。医師 室に私個人の机をいただき実験も行っていた。 が、臨床の仕事をこなしたうえで生化学や生理 当時の生化学研究は、何種類ものカラムを巧み 学あるいは分子生物学的な研究を理解し、世界 に用い、蛋白の機能が失活しない様に分離・精 レベルで「実験」を実践することに対し、ある 製し、その構造や生理的、病態生理的意義を明 種のリスペクトというかカッコよさみたいなも らかにするのが主な研究スタイルであった。当 のが感じられる時代だったように思われる。 時の私には、このような仕事に対して自らに十 現在では、臨床が内容的に高度になったうえ 分な才能を見出すことができず、基礎への道を 医療の質や安全性も厳しく問われるようにな 断念した経緯がある。しかし、卒後 5 年間を経 り、格段に手間取るようになった。また、臨床 て大学に戻ってくるように言われた時に、「大 を実践するうえで科学的エビデンスを明らかに 学で過ごすならもう一度研究を」、という強い する純臨床的研究が極めて重要になってきた。 意欲がわいてきたことを、今も記憶している。 一方で、基礎研究についても臨床の合間に行う 学生時代にお世話になった生化学教室に再び籍 にはあまりに専門的で高度になり、さらに臨床 をおくことにし、当時先端的と思われた内因性 応用につながる、産業や社会の発展に寄与でき EGF を研究テーマに選んだ。EGF は細胞増殖 るレベルのものが要求されるようになった。こ 作 用、 胃 酸 分 泌 抑 制 作 用 を も ち、 当 時 の のように臨床家にとって実験的な基礎研究を十 Nature 誌の論文によれば、十二指腸 Brunner 分に行える環境は大変厳しいものとなってい 腺に EGF が局在するということで、必ずや消 る。 化性潰瘍の病態に関係すると思ったからであ 今回、潰瘍学会に関して寄稿をするにあた る。大きな紆余曲折はあったものの、結局、マ 70 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 ウス、ラット、ヒト、3 種類の EGF 特異抗体 けた。研究室に尿をぶちまけたこともあった を 独 自 に 作 成 し、 抗 血 清 か ら 独 自 に 高 感 度 が、何とか約 1 トンの尿処理の終了が目前と EIA 系を各々について調整し、3 つの英語論文 な っ た あ る 日、 遺 伝 子 工 学 で 作 ら れ た ヒ ト として、国際医学雑誌に発表することができ EGF が 100µg、5 万円で販売されることをチラ た。これらの仕事には、語りつくせない数々の シで知ることになった。これまでの苦労も大事 苦 労 や 失 敗 談 が あ る。ラットの EGF の研究 にしたかったが、結局は 1mg のヒト EGF を購 は、顎下腺切除ラットを用いた実験潰瘍研究を 入することとし、恐る恐るウサギに免疫し、幸 進める一方で、約 200 匹分のラットの顎下腺か 運にも抗体価の高い抗血清を得ることができた ら EGF を、最終的には HPLC を用いて精製し、 め、最終的な目的を果たすことができた。その ウサギに免疫し抗血清(抗体)から EIA 系を 後、留学先の米国の生理学教室では、消化管微 調整したうえで、その系を用いラット潰瘍モデ 小循環について研究し、帰国後はラットを用い ルにおける内因性 EGF を測定した研究であ た粘膜透過性の研究などに研究分野を変えた る。2 年以上の時間を費やした仕事で、今から が、いつも研究成果の発表の場として潰瘍学会 振り返るとよくこんなことができたと思える は重要であった。 が、「ラット EGF に対する高感度 EIA 系の確 その後の潰瘍研究は、ピロリ菌と消化性潰瘍 立とラットを用いた実験潰瘍モデルにおける内 の関連が明らかになり、大きく変化もしたが、 因性 EGF の研究」といった課題名で、初めて HB-EGF の発見者で、名古屋市立大学生化学 申請した科研費が採択された思い出もある。ヒ 教室の大学院時代から親しかった愛媛大学東山 ト EGF に関しては、どうしても測定したいと 教授との縁もあって、現在は再び EGF ファミ の強い思いから、無謀にも約 1 トンのヒトの尿 リーの研究に戻っている。EGF リガンドが前 を集める決意をした。論文からの計算では、約 駆体から放出されるメカニズムや前駆体の細胞 1 トンの尿から 0.5-1mg 程度のヒト EGF が 内ドメインの役割など、当時は全く想像できな 精製できる。EGF は、酸にも熱にも強い極め かった新しい方向性が明らかになっている。 て安定的な蛋白で、分解を止めれば活性は保た 実験潰瘍学会の時代は、一昔以上の古い時代 れるはずと考え、1 トンといっても、100L(30L のように感じられる。しかし、ピロリ菌感染の のポリタンク 3 つ強)を 10 回集めるというの 重要性が明らかになっても、実験潰瘍学会が目 は気長になれば可能と思えたので、医局に近い 指した消化性潰瘍の本当の発生メカニズムは、 トイレ、自宅のみならず、無理のきく病院にも いまだに解明されていない。今後、実験潰瘍学 お願いし、防腐剤入りのポリタンクを置き、 会の精神は、潰瘍学会として引き継がれ、ます 80L ほどのゴミ捨て用ポリバケツ 1 杯をめどに ます発展することを祈念したい。 蛋白分画を沈殿させて回収する作業を気長に続 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 71 胃潰瘍発生機転における ストレス学説の系譜から 北里大学薬学部臨床薬学研究・教育センター臨床医学病態解析学 中村 正彦 はじめに こういったいわゆるストレスの関与が強い症 例の検討の際には、個人の性格、生活史上のイ 潰瘍症をどのように捉えるかは、消化器病に ベント、脳器質的疾患(Cushing 潰瘍)などの おける長い間の命題であり、自律神経系や微小 中枢性の障害あるいはショック、腹膜炎などに 循環などを介した全身性疾患の一症候として考 よる敗血症、呼吸不全、腎不全、肝不全、火傷 えるべきか、それとも胃粘膜の局所論で解決さ (Curling 潰瘍)などの過度の生理的ストレス れるものなのかについては多くの議論がある。 を含めた多くの因子と酸分泌、胃潰瘍発生との 近年は、Helicobacter pylori(Hp)感染症であ 関連について総合的に検討する必要があるが、 るとするのが主流の考え方であり、除菌の効果 その複雑な関連性のためそれぞれの重み付けを などのエビデンスからも強く支持される。しか 明確にすることは困難である。 し、潰瘍の好発部位や深い潰瘍が急速に形成さ 調節機構という面からの胃の特徴は、酸、ペ れるメカニズムなどには、局所の感染症だけで プシノゲン分泌調節が、胃運動と協調して、神 は説明のつかない部分もあり、病態生理の解明 経性、体液性調節が行われる点であり、ストレ による locus minoris としての潰瘍症という観 ス学説の観点からは、この調節の破綻が潰瘍に 点も必要であると考える。 つながると考えられてきた。また組織解剖学的 Hp 発見以前は、胃潰瘍、十二指腸潰瘍は心 特徴として消化管は自律神経あるいは壁在神経 身症の代表的な疾患と考えられ、その機序とし enteric nerve が極めて豊富に分布する臓器で ては、酸分泌亢進と微小循環傷害、特にストレ あり、自律神経の機能異常が病態形成に強く関 スによる酸分泌亢進が重要であるとされてき 与すると考えられる。すなわち、この自律神経 た。また、ストレスの影響については、東日本 性調節機構に破綻を来たし、自律神経の過剰興 大震災の際に非 Hp 非 NSAIDs 性潰瘍が増えた 奮により微小循環障害を主体とした臓器障害が とする報告からも、否定できない潰瘍発生因子 おこり、潰瘍症がひきおこされると考えられる。 と 考 え ら れ、1961 年 に 提 唱 さ れ た Sun and そこで本稿では、post-Hp era に至るまでの Shay のバランス説も一面では再評価すべき点 自律神経による胃潰瘍形成機序の変遷について もあると考えられる。一方では、非 Hp 潰瘍と 振り返り、現時点におけるその意義について再 して再発あるいは初発するものが存在し、且つ 評価したい。また、近年われわれが検討してい その割合が徐々に増加していることも明らかと る Helicobacter heilmannii(Hh)による MALT なってきた。 リンパ腫形成における自律神経の関与という点 72 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 からも、ヘリコバクター属の感染と自律神経の 関連について考察したい。 消化性潰瘍形成に関する自律神経系 の生理学的研究の歴史 自律神経と胃・十二指腸、消化性潰瘍の関係 については、1813 年 Jäger が頭蓋内病巣との 間に関連があることを示唆した。また、1841 年に Rokitansky は消化性潰瘍に迷走神経刺激 による胃酸分泌亢進が関与することを主張し た1)。この考えが、胃酸分泌亢進による潰瘍形 成説のはじまりである。 潰瘍の成因として防御因子の破綻のうち特に 局所の循環障害を重視する説は、Cruveilhier にはじまり、Virchow が、1852 年潰瘍周辺の 動脈および静脈血栓を観察し、局所循環障害の 重要性を指摘した。また、 Hoffmann(1863 年) 、 Benek(1903 年)らは、消化性潰瘍発生におけ 図1 Reilly 現象の考え方。 る神経系の重要性を示唆した。1912 年 Rässle は他臓器の病巣からの刺激が迷走神経緊張状態 をもたらし潰瘍を発生させるという第二疾患説 全身の諸臓器におこることを指摘し、これが消 を提唱した。また、1913 年に Bergmann は全 化性潰瘍をはじめとした種々の病態をもたらす 身性の自律神経失調として消化性潰瘍をとらえ 4) 。 こ の 考 え が そ の 弟 子 Hans と し た( 図 1) た2)。すなわち、潰瘍形成において循環障害を Selye の汎適応症候群(1936 年)の元となった 重視したが、その血管変化には必ずしも形態学 と考えられる。Selye は stressor が負荷された 的変化を必要とせず、機能的な血管攣縮でも同 時に、生体の非特異的な反応として副腎の肥 様の作用をきたすとした。1931 年 Cushing ら 大、胸腺とリンパ節の萎縮、胃・十二指腸潰瘍 は、脳外科手術に合併して急性な胃出血、穿孔 が形成されるが、その機構に内分泌系、特に間 を観察したことから、視床下部に副交感神経中 脳、下垂体、副腎系が関連することを指摘し 枢が存在し、その中枢刺激による迷走神経の機 た5),6)。しかし当初は消化性潰瘍は異なる機序 能的亢進が胃運動および胃酸分泌の亢進をおこ によるとされ、その後の検討で加えられた。 し、このため局所の血流障害と胃液の作用によ 3) さ ら に、Penner と Bernheim(1939 年 ) お り潰瘍が発生するとした 。また、Keller は、 よび Boles と Riggs(1940 年)は、神経原性潰 頚部迷走神経切断後には、視床下部に病変が 瘍の発生に副交感神経刺激のみでなく、交感神 あっても潰瘍が形成されず、また交感神経の切 経性循環障害による胃局所の血管攣縮が重要で 断後には胃出血は起こらないことを認めた。 あることを指摘した。1942 年 Dragstedt は、迷 1934 年 Reilly は、感染症に関する研究から、 走神経切断により胃・十二指腸潰瘍形成が抑制 irritation syndrome、いわゆる Reilly 現象、す されることを報告し、胃酸分泌に迷走神経が強 なわち自律神経過剰刺激により血管運動障害が く関与することを明らかにした。1952 年 French 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 73 は、消化性潰瘍を出血型と潰瘍型にわけ、視床 下部前部が副交感神経中枢で、この刺激が潰瘍 型がおこり、視床下部後部が交感神経中枢であ り、この部位の刺激が出血型をおこし、この両 者のアンバランスが胃潰瘍を発生させるとした7)。 本邦では、1959 年、山口らは消化性潰瘍形 成時などに認められる生体反応の根源に自律神 経系が重要であることを確認した8)。すなわ ち、胃が特に微小血管に富んでいることから、 容易に副血行を形成し、その部分に血管神経的 な Reilly 現象がおこり、複雑な病理組織学的変 化をおこし、組織の軟化から潰瘍形成に至るも のとした。また、1961 年松尾らは、自律神経 の高位皮質中枢である前頭葉眼窩面後部を刺激 する実験を行い、胃血流と胃運動は異なった神 経支配を受け、前者は交感神経、後者は副交感 図 2 胃粘膜固有層内には上皮細胞(壁細胞:P。主 細胞:C)および微小循環系(真性毛細血管:TC)に 近接して無髄神経線維(Ax)が分布する。cf:膠原線 維 Ruthenium red ブロック染色。 神経の強い影響下にあり、潰瘍の元となる血管 攣縮は交感神経刺激によることを明らかとし 9) た 。 成されることが明らかとなった。この終末の構 造は終網、Terminalretikulum、あるいは Nervöse Syncytium、Plasmodiale Nervennetz と呼ばれ 消化性潰瘍形成に関する自律神経、 壁在神経系の組織学的研究の歴史 びまん性に原形質に連続すると考えられた。一 方、Jabonero は、節前線維、節後線維のいず れを切断してもこの神経網は変性しないことか Langley らは 1898 年、消化管の自動能の観 ら、この神経網は、節後神経とは連続せず特別 察から、神経性機能調節の面での消化管の特徴 の神経線維から成るとした。すなわち、節後線 が、体性神経系および自律神経系から独立した 維とは異なる神経細胞から成り、節後線維とは 壁在神経系、enteric nervous system、が発達 単にシナプスを形成するのみとしたが、これが し、いわゆる“gut brain”としてその機能調節 現在壁在神経叢と呼ぶものに相当すると考えら 上大きな役割を果たしていることであるとした。 れる。また、その末梢は平滑筋細胞、細網線維 この考えは、Michael Gershon の“the Second と接触していることが明らかにされたが、微小 Bain” や Helen Cooke ら の“Little Brain in 循環系や上皮細胞との関係については不明だっ the Gut”につながると考えられる。 た。その後、Stach らは粘膜下層の細動脈に近 胃に分布する神経系に関する形態学的研究 接する無髄神経線維の存在を電子顕微鏡的に見 は、1800 年代の Golgi、Cajal らの鍍銀法によ 出したが、胃粘膜層内の無髄神経の分布につい る検討などもあるが、詳細な報告は、1930 年 ては明らかにしなかった11)。著者らは、その 代の Stöhr らの鍍銀法による検討がその中心的 後、粘膜固有層内における無髄神経の分布を観 10) なものである 。その結果、交感、副交感神経 察し、上皮細胞および微小循環系の両者に作用 は走行の途中に少なくとも一度は神経細胞を交 する所見を得た(図 2、3)。 代することにより節前線維から節後線維に移行 一方、瀬戸らは12)Bielschowsky 鍍銀法の変 し、この節後線維からさらに網の目状構造が形 法による検討により知覚神経の存在をはじめて 74 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図3 胃粘膜内自律神経と上皮細胞、微小循環系のシェーマ。 示した。すなわち、神経線維が終末に近い末梢 討から、神経伝達物質の種類に基づきコリン作 まで有髄で、脊髓後根に神経細胞を持ち、その 動性、アドレナリン作動性およびペプチド作動 終末まで神経の交代がない神経が、前述の自律 性神経の 3 者に分けられた。 神経と比較すると量的には少ないが存在するこ それぞれの神経の同定には、コリン作動性神 とを明らかとし、その性質が体制神経と変わら 経 は、 ア セ チ ル コ リ ン の 合 成 酵 素 の choline ないことから、知覚神経で、脳脊髄性のもので acetyltransferase(ChAc)免疫組織化学、分解 あるとした。また、木村ら13) は、この知覚神 酵素の acetylcholinesterase(AChE)の組織化 経が終末に近い末梢まで有髄性であり、脊髄後 学(Karnovsky-Roots 法15)など)が、アドレナ 根神経節内に神経細胞を有し、終末に到るま リン作動性神経は、ノルアドレナリンの局在を で、神経元の交代がないことを明らかにした。 Falck-Hillarp 法16) などのホルマリン惹起性蛍 horseradish peroxidase(HRP)の胃前壁注入 光組織化学、formalin-induced fluorescence、 実験からも、脊髄性胃知覚神経は、Th4 から あるいはノルアドレナリンの合成酵素 dopamine- L3 の脊髄後根を通り、胃からの交感神経求心 β-hydroxylase(DBH)に対する抗体を用い 路はほとんど腹腔神経を経由することが報告さ た免疫組織化学が、ペプチド作動性神経は、そ 14) れている 。しかし、この知覚神経と自律神経 れぞれの脳腸ペプチドに対する抗体を用いた免 求心路の関係およびその終末器官の構造の詳細 疫組織化学が一般的に用いられる。 はいまだに不明である。 1970 年代から 1980 年代前半にかけては Dale の仮説、すなわち単一ニューロンは単一の神経 消化性潰瘍形成と自律神経に関す る最近の検討 消化管の壁在神経叢は、最近の組織化学的検 伝達物質を含むという考え方が一般に当てはま ると考えられていたが、免疫組織化学的検討な どから、特に末梢神経は、神経伝達物質毎に独 立して存在するのではなく、アセチルコリン、 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 75 図 4 ラット胃粘膜内 acetylcholinesterase 陽性 神経分布(Karnovsky-Roots 法)。 アミン、脳腸ペプチド、ATP などが神経線維内 に共存することが明らかとなり、消化管の壁在 神経叢においても同様な考えが当てはまること が分かってきた。すなわち、ペプチド作動性神 経の主要な神経伝達物質と考えられるvasoactive 17) 、gastrin releasing intestinal peptide(VIP) peptide(GRP)は粘膜内では従来コリン作動 性神経と同定されていた神経内にアセチルコリ ンと共存することが報告された18)。しかし、筋 層内では VIP 含有神経はコリン作動性神経と は別個の神経として存在することが明らかと なっている19)。また、neuropeptide Y(NPY) 図 5、6 ラ ッ ト 胃 粘 膜 内 acetylcholinesterase 電顕細胞化学。真性毛細血管(TC)(図5)および壁 細胞(P)(図 6)近傍に小型無芯小胞を主体とする自 律神経(NE)が分布し、反応産物はその基底膜上に分 布する。 はアドレナリン作動性神経と協調して作用する ことが示されている20)。しかし、NPY を含有 学的観察から、副交感神経活性亢進、交感神経 する神経の中には VIP、CCK、CGRP と共存 24) 。さ 活性の低下を明らかとした(図 8、9) する神経の存在も報告され、単純に 2 群に分け らに交感神経活性亢進は、拘束潰瘍に防御的に ることはできないと考えられる21)。 働くことが、SHR ラットをもちいた関根らの 胃潰瘍形成との関連では、1981 年著者らは、 検討により明らかとなった25)。すなわち、SHR 胃粘膜基底部から先端部まで副交感神経を中心 ラットでは、胃粘膜、粘膜下層内のノルアドレ として自律神経が豊富に分布し(図 4 − 7) 、 ナリン陽性神経線維が対照群より著明に増加 22) 心筋などと同様に 23) 交感、副交感神経線維が 胃粘膜内の Schwann 細胞のレベルで共存する し、拘束潰瘍形成に抵抗性を示すことから、交 感神経活性亢進の防御効果と考えられた。 ことを認め、この構造が両自律神経の協調作用 このように、胃の機能は、自律神経系に強い に重要であることを指摘した。また、ラット石 影響を受け、疾患形成にも強く関与すると考え 膏拘束潰瘍およびヒト胃粘膜生検組織の組織化 られてきたが、ストレス性潰瘍との関連につい 76 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 7 ラット胃粘膜、粘膜下層内の monoamine の 分布(Falck-Hillarp 法)。 ては、疫学的な検討はあるが、実験的な検討は 少ない。これは、倫理的問題からストレス潰瘍 図 8 ラット拘束潰瘍胃粘膜の生体顕微鏡による観 察。健常群(左)では、拡大内視鏡観察で用いられる RAC (regular arrangement of collecting venules)が認められるが、拘束負荷時(右)には出 血、周辺の虚血が観察される。 の動物実験を用いた検討が難しい時代になって いることが大きな要因と考えられるが、薬剤な どによる検討によりさらに解明されるべきテー マと考えられる。 胃 MALT リンパ腫と自律神経の関連 著者らは、近年 Hp 陰性潰瘍の検討から、そ のなかに Helicobacter heilmannii(Hh)による ものが含まれていることを見出し、その観点か らの検討を加えてきた。この菌は、Hp と同様 に胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃炎、胃癌などでも 陽性例が見出されているが、特に胃 MALT リ ンパ腫形成26),27),28)について注目している。 自律神経との関連については、この MALT リンパ腫内に synaptophysin、CGRP、substance P などの免疫活性陽性の神経線維が特に形成早 期に豊富に分布することを報告した。今後は、 図 9 石膏拘束潰瘍形成時の AChE 活性および血管透 過性の変化。 上:horseradish peroxidase 経尾静脈注入によりび らん形成部の血管透過性亢進が観察される。 下:AChE 活性は、びらん形成部で著明に亢進する。 こういった胃腫瘍形成と壁在自律神経系の関与 も重要なテーマになると考えられる。 できない概念ではあるが、単独では重篤な病変 には進展しないとするのが現在の考え方であろ おわりに Post-Hp era である現在、19 世紀初頭から始 うし、Hp 感染とストレスの両者を考慮して治 療に当たるというのが、妥当な線であると思わ れる。 まるストレス性潰瘍症という概念との擦り合わ しかし、社会環境の変化に伴い疾患自体の変 せという命題が残されている。臨床的には無視 化がおこってくることも想定されることから、 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 77 図 10 国際自律神経学会にて座長を勤められる松尾裕 教授(写真右)と土屋雅春教授(同左)(1990 年)。 今後ストレスによる疾患という観点からの検討 の意義がさらに増してくることも考えられる。 なお本稿は、自律神経の観点に絞ったため、 微小循環関連の記載を割愛した。その点は、別 の総説29)などをご参照いただきたい。 自律神経研究でご指導頂いた恩師の故土屋雅 春先生、学会では暖かい助言を頂き、本稿の参 考とさせて頂いた原稿を多数残されている故松 尾裕先生に感謝の意を表します(図 10)。 文 献 1)Rokitansky, C.:A manual of pathological anatomy, trans lated by Swaine, W. 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Granger 教授の研究室では、小腸虚血 Kvietys)からの指示で、当時発見があいつぎ 再灌流傷害の形成に活性酸素が関与することを 炎症領域で注目されだした細胞接着分子と消化 世界に先駆けて解明し、Gastroenterology をは 管炎症の研究に携わった。まず、朝 8 時前に研 じめとする一流誌に多くの論文を発表し活性酸 究室にいき、学生ボランティアから採血をして 素と消化管粘膜傷害研究のメッカになりつつ 白血球を分離することが日課となった。研究助 あった。 手がヒト臍帯から分離培養してくれた血管内皮 私自身の潰瘍研究は、京都府立医科大学第一 細胞に、Cr 標識した白血球を加え、両者の接 内科で、近藤元治先生(現名誉教授) 、吉川敏 着や内皮細胞障害を観察した。まず、ミッショ 一先生(現学長)のもとで、熱傷、水浸拘束、 ン 1 は、Granger 教授の専門である虚血再灌流 PAF(血小板活性化因子)などのストレスに 傷害の vitro モデルを作成して、好中球の内皮 よる胃粘膜傷害の形成に好中球や血管内皮から への接着現象を観察せよとの実験であった。来 産生される活性酸素が関与することを発表した る日も来る日も、内皮細胞を低酸素にして、そ 1) ,2) 。毎日のように夜中に の後再酸素化とともに好中球を添加しいかに接 ラットを熱湯や水につけ胃粘膜傷害モデルを作 着が促進されるかを繰り返した。何人ものボラ 成していたある日、SOD やカタラーゼなどの ンティア白血球を無駄にした後の 6 月のある 活性酸素消去剤の投与により、粘膜損傷が著明 日、日本での SOD 抑制実験以来の感動を味わ に抑制された実験結果に興奮したことを今でも うことができた。低酸素と再酸素化の時間比率 覚えている。間違いではないかと何度も同じ実 により、好中球・内皮細胞接着が著明に促進さ 験を繰り返し、ラットや高価な試薬をふんだん れることがわかった。それからは、研究室にい に使い研究経費を圧迫したことも今ではなつか くのが楽しくなり、短期間のうちに、低酸素 / しい思い出である。当時日本では、消化管と活 再酸素化により ICAM-1 などの細胞接着分子 性酸素の関わりを研究していたのは、われわれ が発現する結果、好中球・内皮間相互作用が誘 の研究室くらいであり、毎回学会発表の時の 1 3) 導されることがわかった 。その後のミッショ 枚目のスライドで、活性酸素とは何かを説明し ン 2 お よ び 3 は、 ア ス ピ リ ン(ASA) や HP ていた。発表する学会も、消化器病学会、微小 の刺激による接着現象の検討であったが、ミッ 循環学会、炎症学会、過酸化脂質学会(現酸化 ション 1 での辛苦に比べれば、英語がすこし理 ストレス学会)、実験潰瘍学会(現在の本学会) 解できだした心理的余裕もありスムースにすす など多岐にわたっていたが、1 − 2 年繰り返し めることができた。結果をだせば翌日からの待 発表している間に、認知されるようになってい 遇がよくなり、こちらの指示もよく聞いてくれ た。 るというアメリカのドライな一面も実感した。 ことが最初であった 学位の仕事も終え、昼は社会保険京都病院に 最終的に、ASA や HP の刺激により、白血球 出向し臨床、夜は大学での研究の二足のわらじ や内皮細胞から種々の接着分子が発現し、その 80 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図1 胃粘膜傷害と好中球 / 内皮間相互作用 後の接着や細胞浸潤、内皮傷害が誘導され、最 容体拮抗剤(ARB)が、本来の作用のみなら 終的に胃粘膜傷害が惹起されることを証明し、 ず、これらの炎症惹起物質の産生を選択的に抑 それぞれ Gastroenterology 誌に報告すること 制することにより、消化管粘膜損傷の治療およ ができた(図 1) 。研究を通して当時からプ び予防に有効であることを vitro と vivo で証明 ロスタグランジンや接着分子の視点より消化管 することができた10),11),12),13),14)。現在、臨床的に 粘膜傷害(vivo)を精力的に研究していた Dr. ASA/NSAID 小腸傷害の治療や予防がトピッ J.L. Wallace(現カナダ カルガリー大学教授) クスになっているが、われわれの基礎的検討で と親しくなれたことも、研究の励みになった。 は、短期投与の PPI や ARB は抗炎症効果を有 その後、私どもの研究室から多くの若い研究者 し小腸粘膜傷害予防に有効であった。さらに が Granger 教授のもとに留学できたことは、 ASA が頻用される今日、HP 感染有無が粘膜 研究室の発展に大いに役だった。 傷害に与える影響は臨床的にも興味深いが、わ 4) ,5) れわれが検討した HP 胃炎モデルでは、非感染 に比べ、ASA やインドメタシンなどの NSAID 日本での研究継続 投与により、微小循環障害や炎症反応が相乗的 2 年半の米国留学を終えて 1992 年に帰国し に誘導される結果、著明な胃粘膜傷害が発生す てからは、京都駅前の武田病院で臨床をしなが る と の 大 き な 成 果 を え る こ と が で き た( 図 ら、大学での基礎研究を続け、1995 年に大学 15) ,16) ,17) 。この基礎実験もひとつのエビデンス 3) にもどった。留学中に行っていた培養細胞をつ となり、胃粘膜傷害の発生を予防するために、 6) ,7) のみならず、実際の実験潰瘍モ ASA/NSAID 内服開始前に HP 除菌すること デルを使って、接着分子、サイトカイン、活性 が推奨されることになった。胃や小腸のみなら 酸素などの機能を抑制することによる抗潰瘍、 ず、炎症性腸疾患(IBD)モデルを用いて、抗 抗炎症実験などに取り組んだ(図 2) 。防御 酸化剤や抗炎症剤が IBD の治療に有効である 因子増強剤や一部の PPI、アンギオテンシン受 ことを実証し、いくつか特許申請できたのもこ かった実験 8) ,9) 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 81 図 2 NSAIDs/ASA 惹起胃粘膜傷害における好中球の関与 (吉田憲正ほか:消化器科 31:121-128, 2000) NSAIDs/ASA により、直接的およびロイコトリエンを介して、好中球 / 内皮間相互作用依 存性の微小循環障害が誘導され、胃粘膜傷害が惹起されることが想定される。 図 3 HP および ASA による胃粘膜傷害における好中球の局在 HP 感染後の胃粘膜では、サイトカインネットワークにより血管外遊走した好中球が粘膜傷 害を誘導するが、ASA や NSAID の傷害時には、血管内好中球による微小循環障害が主体と なる。HP 感染粘膜に ASA/NSAID が投与されると、血管内外の好中球が活性化され、胃粘 膜炎症は相乗的に増悪する (文献 17 より引用)。 82 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 4 潰瘍性大腸炎における抗トリプターゼ療法の有効性(文献 21、22 より引用) 5-ASA 製剤およびステロイド坐薬で改善しない UC 患者に、メシル酸ナファモスタット (10-9M: トリプターゼのみ選択的に阻害する濃度)の注腸療法を行うことにより、臨床症状 (図 4A)、内視鏡所見および肥満細胞浸潤(トリプターゼ染色、図 4B)は著明に抑制された。 の頃であった18),19),20),21),22)。特にトリプターゼ阻 が、日本のメーカとの調整がうまくいかず、中 害剤のヒト注腸療法(図 4a、図 4b)は、欧 途半端になってしまったのは残念であった。 米のベンチャー企業から問い合わせをもらった 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 83 図 5 炎症性疾患 GERD と機能性疾患 NERD の想定される病態(文献 22 − 28 から作成) 逆流するトリプシンや胆汁酸(酸性)の刺激により食道上皮細胞から IL-8 が産生され、好中 球依存性の炎症(GERD)が惹起される。一方、NERD 患者では、酸やトリプシンに対する 受容体が増加しており、少量の酸やトリプシンの刺激により知覚神経が活性化し、知覚過敏 (胸焼け)や神経性炎症の誘導が想定される。(赤字:食道粘膜内で増加) 消化管障害の機序にも、微小な粘膜炎症の関与 GERD と炎症 が示唆されている。私どもの研究でも、NERD 2000 年頃から我が国でも GERD が増加して 患者の食道粘膜内に、IL-6 や IL-8 などの炎症 きたが、胃や大腸に比べて粘膜傷害の機序に関 性サイトカインが軽度増加していたが、逆流症 する検討はあまり行なわれていなかった。大学 状とは相関しなかった。しかしながら、酸の受 倫理委員会の承認をえてヒトの食道粘膜生検を 容体 TRPV1 やトリプシンの受容体 PAR2 な 行い、炎症マーカの測定からはじめた。各種の どの侵害受容器、およびその活性化により遊離 サ イ ト カ イ ン の な か で も、IL-6、IL-8、 されるサブスタンス P と受容体(NK1R)など MCP-1 が粘膜傷害程度に相関して増加する の神経伝達物質も増加し、サブスタンス P 量 が、一部のサイトカインは PPI 投与により速 は胸焼け症状の強さと相関していることよ 23) やかに低下することがわかった 。GERD 実験 り27),28)、NERD 患者の知覚過敏の一因に神経性 モデルにおいて少量の酸やアルカリ逆流で、粘 炎症が深く関与していることが明らかとなった 膜内サイトカイン遺伝子が粘膜損傷前から著明 (図 5)。 24) に増加すること 、食道上皮細胞からこれらサ イトカイン産生が誘導されることも明らかとな り25),26)、他の消化管傷害と同様に炎症の重要性 を認識する結果であった(図 5)。 最近では、NERD、FD、IBS などの機能性 おわりに これまで、多くの研究者・臨床家にご教授い ただきながら基礎及び臨床研究に従事すること 84 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 ができたが、研究の魅力は、やはり未知への挑 戦につきると感じている。多くの基礎実験はう まくいかずに終了してしまったが、一部の研究 は大学院生の頑張りで潰瘍学や炎症学の論文と して完成させることができた。現在の病院で は、年間 16000 件近い消化管内視鏡検査をおこ ない、各種の臨床検体も豊富に手に入るため、 今後も基礎的発想に基づいた臨床研究を続けて いければと考えている。研究をはじめた当初か ら本学会で発表する機会が多く、基礎から臨床 まで幅広い潰瘍学を勉強させていただいた。こ れからも、潰瘍学の発表の場として門戸を広く 開き、益々発展することを祈念している。 文 献 1)Yoshikawa T, Yoshida N, Miyagawa H, et al. 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Dig Dis Sci 58:22372243, 2013. 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 85 私の潰瘍研究 筑波大学医学医療系日立社会連携教育研究センター 教授 谷中 昭典 潰瘍研究を始めたきっかけ (学部生時代 1978~1980) 黙々と胃液検査をされていた消化器内科、武藤 弘講師(後に筑波大学保健管理センター教授、 所長)に出会った。その後、私自身が胃液検査 私は、学生時代、反復する腹痛に悩み何度も の被験者になったり、胃液酸度測定の手伝いを 内視鏡検査を受けたが、いつも病的な所見は認 したりしているうちに、消化管の機能に興味を められなかった。今の言葉で言えば、精神的ス 持つようになり、気がついた時には武藤先生の トレスによる機能性胃腸症であったと思うが、 弟子になっていた(図 1)。 そのような折、内視鏡室の奥にある小部屋で 図 1 米国消化器病学会(DDW 1988 , New Orleans)における最初の演題発表(大学院 時代の指導教官、武藤弘先生と共に) 86 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図2 十二指腸潰瘍における壁細胞の酸分泌刺激反応性は再発群で亢進している 攻撃因子を追いかけた大学院生時 代(1981~1985) て日本消化器病学会の和文誌に投稿、原著論文 3 部作として掲載され私の学位論文となった。 当時は英文でなくても学位が取れた時代だった 当時は H2-RA、PPI という新しい酸分泌抑 が、論文は英語で書かなければ意味がないと力 制剤が次々に開発されつつある時代で、院生に 説された武藤先生の勧めで、データをまとめて なったばかりの私に与えられた最初の仕事は 海外のジャーナルに投稿した。国際的に評価の YM-11170(治験薬 famotidine)の夜間分泌抑 高い一流誌からはことごとく reject されたが、 制効果をヒトで検討することであった。口コミ 紆余曲折を経て 3 年後に original article として で集めた被験者の学生と共に数日間内視鏡室に 海外の英文誌に掲載された1)。この間、武藤先 泊まり込んだ。やがて武藤先生から「消化性潰 生には、研究、臨床面だけでなく私生活に至る 瘍再発と壁細胞刺激反応性の関係」という研究 まで社会人としての基本的心構えをたたき込ま テーマをいただき、朝から晩まで胃液検査に没 れた。 頭する日々が続いた。研究を始めて 2 年後に は、再発を繰り返す十二指腸潰瘍で胃酸分泌刺 激に対する胃酸分泌反応性が亢進していること が明らかになり、1982 年 10 月山形で開かれた 防御因子研究から海外留学を模索し たレジデント時代(1985~1988) 消化器病学会で初めて演題を口頭発表した(図 大学院修了後、大学病院での臨床研修で悪戦 2)。この研究成果は、その後、筑波大学基礎 苦闘していた頃、武藤研究室に 3 年後輩の横田 医学系解剖学の内山安男助教授(後に岩手医科 光医師が入門し、私は横田君の研究の面倒をみ 大学、大阪大学、順天堂大学の各医学部解剖学 る形で、防御因子研究に関与するようになった。 教授を歴任)のご指導のもと、内視鏡的に採取 当時、防御因子研究では UCLA の John Isenberg したヒト壁細胞形態に関する電顕的考察を加え らが十二指腸潰瘍において胃酸刺激に対する 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 87 図3 十二指腸潰瘍における球部粘膜酸中和能は再発群で低下している 十二指腸粘膜の重炭酸分泌反応が低下している 待っていると言って、ご自身の分厚い業績集を ことを報告して注目されていた。我々は、内視 私に手渡してくれた。その中には、Koji Takeuchi 鏡的に十二指腸粘膜の酸中和能を測定する方法 という日本人の名前が入った論文が多数記載さ を独自に開発し、十二指腸潰瘍再発群の潰瘍瘢 れており、その人物は、数年前までサイレン教 痕粘膜では酸中和能が著明に低下していること 授の研究室に留学していた京都薬科大学応用薬 を明らかにした(図 3、横田博士学位論文)2)。 理学の竹内孝治助教授(後に同大学薬物治療学 一 方、 胃 粘 膜 領 域 で は 米 国 Upjohn 研究所の 教授、現日本潰瘍学会理事長)であることが判 Andre Robert 博士が prostaglandin(PG)によ 明した。早速、京都まで出向いて竹内先生にお る adaptive cytoprotection の 概 念 を 提 唱 し、 会いして、推薦状を書いていただいた。その 一世を風靡していた。そのような状況の中で、 時、竹内先生の上司である岡部 進先生(京都 私の心の中で海外に留学して防御因子について 薬科大学応用薬理学教授)にも初めてお会いし 学びたいという思いが日増しに強まっていっ たが、岡部先生は初対面の私に「サイレン教授 た。しかしながら自分の周囲には留学先のコネ にまともに相手にしてもらいたかったら死ぬ気 は全くなく悶々とした日々を過ごしていた。そ でやりなさい」と厳しい口調で叱咤激励され、 の頃、防御因子研究で世界をリードしていた 私も「死ぬ気でやるしかない」と覚悟を決め Harvard Medical School, Beth Israel Hospital, た。両先生からは、留学前に「実験潰瘍研究会」 Department of Surgery の William Silen 教 授 という会に出席して防御因子の勉強しておくよ (以下、サイレン教授)が講演のため来日し、 うにとご助言をいただき、1987 年 11 月前橋で 崎田隆夫先生(筑波大学消化器内科初代教授) 開かれた研究会に初めて参加した。そこでは他 のご尽力により、サイレン教授にお会いする機 の学会では見たことがない真剣勝負の議論が行 会を得た。自分の思いをつたない英語で伝えた われており、そのすさまじさに圧倒された。 ところ、サイレン教授は application letter を 88 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図4 PPI、H2-RA による酸分泌抑制は壁細胞の胃酸排泄能力を低下させる 基礎研究に没頭したアメリカ留学 時代(1988~1991) 験系で裏付けることができた。3 年間の留学中 に は、 サ イ レ ン 教 授 の 友 人 で あ る Harvard Medical School 解剖学教室のイトウ・ススム教 私が渡米した 1988 年 7 月当時、サイレン教 授(日系 2 世)からもご指導いただき、サイレ 授の研究室では、胃上皮細胞の細胞内 pH 調節 ン研究室で得られた生理学実験の結果を電顕的 機構に関する研究がメインテーマであった。私 に裏付けることができた6),7),8),9)。サイレン教授 に与えられた課題は、ウシガエルの in vitro は厳しい性格だがいざという時には弟子のため intact sheet 胃粘膜を用いて、極性が保持され に尽力してくれる人、一方、イトウ教授は普段 た状態の胃上皮細胞における細胞内 pH 調節機 は仏のように優しい性格であったが、研究につ 構について研究をすることであった。当時、開 いては厳しい一面を見せる人であった。私は留 発されたばかりの pH 感受性蛍光色素 BCECF 学先で出会ったこの 2 人の先生のご指導によ を胃粘膜の漿膜側に投与すると、BCECF は壁 り、研究の醍醐味を知ることができたととも 細胞内にほぼ選択的に取り込まれる。私はこの に、その後の自分の研究に対して、何とか続け 標本を用いて、粘膜側に胃酸を曝露した時の胃 ていけるのではないかといういささか楽観的な 上皮細胞内 pH 調節機構について検討した。そ 人生観を持つことができたように思う(図 5) 。 の結果、H2-RA、PPI 等の酸分泌抑制剤は、 壁細胞の細胞内 pH 調節能力を低下させ胃酸に 対する胃粘膜抵抗性を脆弱化させることを発見 した(図 4)3),4)。一方、これに対して PG は酸 分泌を抑制するにもかかわらず細胞内 pH 調節 5) 帰国後の研究(1992~2002) 1.Restitution に関する研究 1991 年 7 月、ボストンから帰国した私は筑 機能を強化することを確認し 、Robert らの提 波大学の関連病院に勤務することになり、夜間 唱した PG の cytoprotection 作用を自分達の実 と休日を利用して研究を続けた。武藤先生にお 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 89 図5 アメリカ留学中の恩師、William Silen 教授と Susumu Ito 教授 願いして Ussing chamber という電気生理の実 細胞から大量の IL-1βが産生されることを発 験装置を買っていただき、留学中に始めた胃粘 見した13)。これらの成績は、両医師の学位論文 膜修復機構の一つである restitution の研究を続 として世に出たが、ピロリ菌感染者における酸 け、nitric oxide、TGF-β、EGF 等 が 胃 粘 膜 分泌抑制治療や食塩の過剰摂取が胃炎を悪化さ restitution を促進する機序を解明した8),9),10)。 せるという内外の研究報告を支持するものであ 2.ピロリ菌に関連する研究 り、臨床的意義の深い研究である。 1995 年より、筑波大学の光学医療診療部講 師として、内視鏡を中心とする業務に従事する ようになり、日常臨床でピロリ菌と対峙するよ 最近の潰瘍研究と今後の展望 うになった。当時、ピロリ菌の産生するアンモ 1.Adaptive Cytoprotection から Cancer ニアが胃粘膜傷害惹起物資として注目されてい Chemoprotection へ(2002~) たが、その頃、武藤研究室に入門した大学院生 2007 年から 5 年間、東京理科大学薬学部で の鈴木英雄医師(現筑波大学医学医療系准教 薬学生の臨床教育に従事しながら、医薬連携に 授)の指導役として、アンモニアが胃粘膜防御 よるトランスレーショナルリサーチを学ぶ機会 機構に及ぼす影響について検討した。その結 を得た。その後、2012 年から筑波大学に戻り、 果、アンモニアの胃粘膜に対する毒性は、酸性 現在は地域医療学講座の教員として、臨床面で よりもアルカリ性の環境下で強まることを見い は主に茨城県北地区の医療に従事しているが、 だした(図 6、7) 。また中国からの留学 所属が変わっても研究テーマは基本的に変える 生、張松華医師(現、米国 Brown University、 ことなく、これまでと同じ路線で研究を続けて 医学部講師)は、in vitro の実験で、高張食塩 いる。 7) ,11) ,12) 水中でピロリ菌と共培養することにより胃上皮 現在の研究テーマは、2002 年頃から、筑波 90 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図6 ピロリ菌の産生する濃度のアンモニアは、アルカリ環境下で胃粘膜防御能を低下させる 図 7 ピロリ菌の産生する濃度のアンモニアは、アルカリ環境下で胃粘膜細胞にアポトーシ スを誘導する 大学生命領域学際研究センターの山本雅之教授 phytochemical によるがん予防研究を始めたこ の紹介で、Johns Hopkins 大学医学部の Talalaly とが発端となっている。ブロッコリースプラウ 教授、Fahey 博士らとともに植物の有効成分 トに豊富に含まれる sulforaphane(SFN)は、 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 91 図 8 ブロッコリースプラウトの摂食はピロリ菌感染者の胃内ピロリ菌数を減少させ胃炎を 軽快させる mild irritant として作用し生体の持つ抗酸化作 16) 。SFN が実臨床に とを明らかにした(図 9) 用を増強することが明らかにされている。我々 おいて小腸 NSAID 潰瘍の予防、治療に応用が は、SFN が胃粘膜の抗酸化作用を増強するだ 可能かどうか今後の研究が期待される。 けでなく、ピロリ菌の増殖も抑制し、胃炎を軽 快させることをマウスとヒトの両者で確認した (図 8)14),15)。SFN には細胞増殖抑制作用、ア おわりに ポトーシス誘導作用も存在することから、胃が 「ピロリ菌の発見によって潰瘍研究は終わっ ん以外のがんに対しても幅広く予防効果を発揮 た」と言われてからすでに 20 年余りになるが、 する可能性が期待されている。 幸か不幸か私の潰瘍研究はいまだに終わってい 2.小腸潰瘍研究と今後の展望(2010~) ない。これまで 35 年に及んだ私の研究生活の 強力な酸分泌抑制剤が開発され、ピロリ菌除 中で、時間がない、金がない、ポストがない、 菌療法が普及した現在、胃十二指腸潰瘍研究は 才能がない、研究に向いていない?等々、悩み 峠を越えた感があるが、それ以外の消化管傷害 はつきることがなかったが、この 35 年間、私 に関しては、治療法が完成したとは言い難い状 を指導して下さった恩師の先生方に支えられ、 況にある。特に超高齢化時代を迎えアスピリン また研究を通じて知り合った仲間達との交流を の服用により惹起される小腸潰瘍、生活習慣の 励みにしながら、何とか今まで研究を続けるこ 欧米化に関連して増加しつつある炎症性腸疾患 とができた。特に 2011 年の晩秋、東日本大震 に関しては有効な治療薬が開発されないまま患 災直後で沈みきっていたつくばの地で、多くの 者が増加している。最近、我々は、SFN が酸化ス 仲間に支えられながら第 39 回日本潰瘍学会の トレス応答遺伝子 nrf2 の活性化を介して NSAID 当番会長をつとめさせていただいたことは、私の による酸化ストレスから小腸粘膜を保護するこ 研究人生の中で最大の喜びである(図 10)。 92 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 9 スルフォラファンは、酸化ストレス応答遺伝子 nrf2 を介してマウスにおけるインド メタシン小腸潰瘍の発生を抑制する 図 10 第 39 回日本潰瘍学会(つくば国際会議場) 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 93 昨年話題になった NHK 朝ドラのセリフではな いが、たとえ自分は向いていないと思っても、 自分を信じて長く続けていくことは研究人生を 送るうえで大変重要なことであると思う。この 拙文を通してこれから研究を志す若手諸君へ何 らかのメッセージを伝えることができれば幸い である。 (2014 年 6 月) 文 献 1)Yanaka A, Muto H:Increased responsiveness of parietal cells to tetragastrin in patients with recurrent duodenal ulcer. Dig Dis Sci, 33, 1459-1465, 1988 2)Yokota H, Yanaka A, Muto H:Impaired neutralizing ca pacity of duodenal mucosa following luminal acidification in recurrent duodenal ulcer. Jpn J Med 30, 103-107, 1991 3)Yanaka A, Carter KJ, Goddard PJ, Silen W:Effect of lumi nal acid on intracellular pH in oxynticopeptic cells in intact frog gastric mucosa. Gastroenterology, 100, 606-618, 1991 4)Yanaka A, Carter KJ, Goddard PJ, Heissenberg MC, Silen W:H+/K+-ATPase contributes to regulation of intracel lular pH in frog oxyticopeptic cells. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 261, G781-G789, 1991 5)Yanaka A, Carter KJ, Goddard PJ, Silen W:Prostaglandin stimulates Cl-/HCO3- exchange in amphibian oxyntico peptic cells. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 262, G44-G49, 1992 6)Yanaka A, Carter KJ, Goddard PJ, Silen W:Effect of hy poxia on function and morphology of in vitro frog gastric mucosa. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 262, G405-G419, 1992 7)Yanaka A, Muto H, Ito S, Silen W:Effects of ammonium ion and ammonia on function and morphology of in vitro frog gastric mucosa. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 265, G277-G288, 1993 8)Yanaka A, Muto Fukutomi H, Ito S, Silen W:Role of nitric oxide in restitution of injured guinea pig gastric mucosa in vitro. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 268, G933-G942, 1995 9)Y anaka A, Muto Fukutomi H, Ito S, Silen W:Role of transforming growth factor-β in restitution of injured guinea pig gastric mucosa in vitro. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 271, G75-G85,1996 10)Yanaka A, Suzuki H, Shibahara T, Matsui H, Nakahara A, Tanaka N:EGF promotes gastric mucosal restitution by activating Na(+)/H(+)exchange of epithelial cells. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 282, G866-G876, 2002 11)Suzuki H, Yanaka A, Muto H:Luminal ammonia retards restitution of injured guinea pig gastric mucosa in vitro. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 279, G107-G117, 2000 12)Suzuki H, Yanaka A, Shibahara T, Matsui H, Nakahara A, Tanaka N, Muto H, Momoi T, Uchiyama Y:Ammonia-in duced apoptosis is accelerated at higher pH in gastric sur face mucous cells. Am J Physiol - Gastrointest Liver Physiol, 283, G986-G995, 2002 13)Zhang S, Yanaka A, Tauchi M, Suzuki H, Shibahara T, Matsui H, Nakahara A, Tanaka N:Hyperosmotic stress enhances Interleukin-1β expression in Helicobacter pylori-infected murine gastric epithelial cells in vitro. J Gastroenterol Hepatol, 21, 759-766, 2006 14)Fahey JW, Munoz A, Matsuzaki Y, Suzuki H, Talalay P, Tauchi M, Zhang S, Hurt C, Yanaka A:Dietary ameliora tion of Helicobacter pylori infection:design criteria for a clinical trial. Cancer Epidemiol Biomarkers Prev, 13,16101616, 2004 15)Yanaka A, Fahey JW, Fukumoto A, Nakayama M, Inoue S, Zhang S, Tauchi M, Suzuki H, Hyodo I, Yamamoto M:Di etary sulforaphane-rich broccoli sprouts reduce coloniza tion and attenuate gastritis in Helicobacter pylori-infected mice and humans. Cancer Prev Res(Phila), 2:353-360, 2009 16)Yanaka A, Sato J, Ohmori S:Sulforaphane protects small intestinal mucosa from aspirin/NSAID-induced injury by enhancing host defense systems against oxidative stress and by inhibiting mucosal invasion of anaerobic enterobac teria. Curr Pharm Des, 19, 157-162, 2013 94 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 私の潰瘍学 ―今なお楽しい消化管の潰瘍研究― 大阪医科大学第二内科 樋口 和秀 1 つ目の発見:壁細胞が胃粘膜に おけるプロスタグランジンの主た る産生細胞 た。これまでのプロスタグランジンの研究は、 そのほとんどが生化学的な手法で行われてい た。そこで、当時免疫組織化学の手法が確立さ れてきていろんな分子の局在が染め分けられ、 我々 (当時大阪市立大学第三内科)は、1980 新知見が次々と明らかになってきている時代で 年頃から胃粘膜防御機構の研究、とくにプロス あった。その当時大腸グループの松本誉之先生 タグランジン(PG)に関する研究を盛んに行 および名古屋大学の名倉宏先生に師事し研究を なっていた。私の研究テーマは、胃粘膜防御機 進めていった。まず、PGE2 の抗体を使って胃 構の根幹をなしている PG の産生細胞はどれか 粘膜での PG の局在を染色で見たが、なかなか を追求することであった。胃粘膜には、被がい はっきりとした結果が出てこない。PG は脂質 上皮細胞・壁細胞・主細胞・副細胞など数種類 であることより、まず、胃粘膜の固定方法から の異なる細胞で構成されている。すべての細胞 いろいろ試し最適な方法を見つけ出した。その で PG が産生されるのかそれとも単一の細胞で 結果、胃粘膜で主に PGE2 を産生しているの しか PG は産生されないのか誰も知り得なかっ は、被がい上皮細胞、壁細胞で(図 1)、PGI2 図1 プロスタグランジンの胃粘膜における局在 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 95 を産生しているのは血管内皮細胞であった。さ らに、その合成酵素であるシクロオキシゲナー NP ゼの局在を電子顕微鏡レベルで明らかにしまし た(一つ目の大きな発見、私の学位1))。この 結果で興味深いのは、被がい上皮細胞はだれし もが PG 産生細胞として認識できるが、どうし て酸分泌細胞である壁細胞が PG を産生するの H2-blockers histamine (gastrin) (cholinergics) 自己防御機構なる説と壁細胞が胃粘膜防御機構 の司令塔的役割を果たしている可能性を発表し cytoprotection cytoprotection PC:parietal cell NP:non-parietal cell PG:prostaglandins た(図 2) 。 2) 前述したごとく我々のグループは、PG を中 PG H+ H2-receptor PC PG NP かの理屈がわからなかった。我々は、壁細胞の 2つ目の発見:胃潰瘍の再発は潰 瘍治癒の質に左右される NP 図 2 壁細胞の dual effect とサイトプロテクション の司令塔としての位置づけ(仮説)(荒川哲雄・小林絢 三:プロスタグランディン「胃のサイトプロテクション とその周辺」竹本忠良・小林絢三編,医歯薬出版,東 京,pp94~103,1986.より引用) 心とした粘膜防御機構の仕組み、創傷・治癒の メカニズムを研究していたが、私が医師になっ たころ、H2 ブロッカーが世の中に登場し、潰 瘍の治療は一変した。これで、潰瘍治療も解決 したかのように見えたが、治癒後 H2 ブロッ カーを中止すると瞬く間に再発することがわ かってきた。そこで、再発のメカニズムはどう かを検討していると、どうも再発しやすい潰瘍 瘢痕と再発しにくい潰瘍瘢痕には組織学的に違 いがありそうであることが毎日顕微鏡を見てい 3) 。そのことを組織学 ると見えてきた(図 3) 図3 組織学的にみた QOUH 的、生化学的に証明し、通常の内視鏡検査の現 場でそれを診断する方法を新たに提唱した。そ れが、潰瘍治癒の質(QOUH)である。それと ニズム、再発抑制の治療法の開発などでいろい 同時によい QOUH を持った瘢痕を作るための ろと発表していた。そんなとき、Helicobacter 治療法はどのようなものかを臨床試験で証明し pylori が発見され、とくにその除菌により消化 4) て行った 。すなわち、PG を増加させるよう 性潰瘍の再発が有意に抑制されることが発表さ な抗潰瘍剤を併用することがその方法の一つで れ、非常に衝撃を受けた。抗潰瘍薬では、H2 あることが解明できた。 ブロッカー、プロトンポンプ阻害剤(PPI)が 出現し、さらに H. pylori 除菌療法がそこに加 Helicobacter pylori の 登 場 と 胃 潰瘍診療ガイドラインのなぞ QOUH の研究により、胃潰瘍の再発のメカ わることにより、消化性潰瘍診療もこれで終結 したかと思えた。と同時に、我々潰瘍学研究者 が長年その成果を積み重ねてきたことが、H. pylori 除菌療法と PPI により吹っ飛ばされた感 96 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図4 3 剤除菌療法群と PPI 群の潰瘍径による潰瘍治癒率 もあった。そのような時、2003 年 4 月に胃潰 5) という感覚を持っていた(エビデンスはなかっ 瘍診療ガイドライン が、厚生労働省の 21 世紀 たが)。これらのことから、採りあげられた論 型医療開拓推進事業「科学的根拠(evidence) 文と我々の感覚との違いは、おそらく欧米人の に基づく胃潰瘍診療ガイドラインの策定に関す 胃潰瘍と日本人の胃潰瘍の性質に差があるから る研究班」によって作成され、これまでのエビ ではないかと推測できた。また、これまでの本 デンスに基づき臨床研究成果がまとめられた。 邦での H. pylori に関する臨床研究は、除菌率 しかし、それらを読むと、疑問がいっぱい湧い や再発率に関するものがほとんどで、除菌療法 てきた。まだまだ解明されていない点が山積さ そのものが潰瘍治癒に与える影響に関しては研 れていることに驚愕した。 究されていなかったのも事実であり、日本人を H. pylori の除菌のメリットは、潰瘍再発を 対象とした臨床試験の成績が皆無であった。 抑制することと潰瘍治癒を促進することであ る。このことより、H. pylori 陽性の胃潰瘍で あれば、除菌が第一選択として行われる。1 週 間の H. pylori 除菌療法のあとの抗潰瘍療法に 関しては、驚くべきことに何の治療をしなくて も、これまでの PPI8 週間治療と同等の治癒率 3つ目の発見:日本人の胃潰瘍は、 1 週間の除菌療法だけでは治癒し ない そこで、我々は、初版の胃潰瘍診療ガイドラ インが出版されるまでエビデンスがなかった、 が得られると書かれた。 このステートメントを作成するために採りあ 日本人の H. pylori 陽性胃潰瘍が 1 週間の H. げられたエビデンスとしての論文を紐解いてみ pylori 除菌療法で 8 週間の PPI 治療と同じぐら ると、欧米の患者が対象となったもので、古典 い治癒するかを検証した(実際は、ガイドライ 的 H. pylori 除菌療法のみで治療した群と PPI ンが出版される以前に行っていたが、論文の発 で治療した群の比較で、それらに有意な差はな 表がガイドライン作成には間に合わなかっ 6) く同等であるとしたものであった 。しかし た)。想定されたごとく、H. pylori 除菌療法の 我々臨床家は、日本人の H. pylori 陽性の胃潰 み治療群は、8 週間 PPI 治療群に比較して有意 瘍は、H. pylori 除菌療法のみでは治癒しない に治癒率が低く、約半数しか治癒しなかった。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 97 それも大きさが大きくなれば、治癒率が下がる 7) 。要するに、 ことも明らかとなった(図 4) 日本人の H. pylori 陽性胃潰瘍は 1 週間の H. pylori 除 菌 療 法 だ け で は 治 癒 し な い こ と が randomized study で証明されたわけである。 一般的に、欧米の胃潰瘍は前庭部を中心として おり、どちらかというと十二指腸潰瘍にその性 質が近く、日本人の場合は、胃角部から胃体部 にかけてできることが多く、酸分泌動態も十二 指腸潰瘍より低酸であるとされている。これら 図5 ガイドラインのステートメントの変遷 の病態の差が、H. pylori 除菌療法の効果の差 として現れたのではないかと考えられる。 と結論づけた。このように、わずか 6 年の間の このような新たな日本人に関するエビデンス 3 つのガイドラインで、H. pylori 除菌療法後の (我々の論文)が追加され、2007 年 4 月その改 潰瘍治療に関してかなり書き変えられてきた 訂版が出版された。改訂版ガイドラインにおけ (図 5)。だから、日本人のエビデンスが少ない る除菌治療の評価は、以下のようになってい 領域では、新たな日本人に関するエビデンスに る。H. pylori 除菌単独の治療で、PPI による よりステートメントが修正される可能性を常に 治療と同等の治癒率が得られる。但し、潰瘍の 秘めていることを頭の片隅に置いておかなけれ サイズが大きい場合には胃酸分泌抑制治療を加 ばならない。 えることが望ましいとグレード B で評価され ている。しかし我々の前述した臨床試験を正確 に表現すると、“H. pylori 除菌単独の治療で は、PPI による治療に比較して治癒率は有意に 低い。但し、潰瘍のサイズが小さい場合には除 4 つ目の発見:1 週間の除菌療法 後に用いるべき薬剤は PPI だけで はない 菌療法のみで PPI による治療と同等の治癒率 H. pylori 除菌単独の治療では、日本人の胃 が得られる。”となる。このように、論文の著 潰瘍は治癒しないことが明らかになったが、そ 者とガイドラインの作成者の間に解釈の差が生 の後の 7~8 週間の治療が PPI でなければなら じるのも危険なことである。 ないというエビデンスは存在しない。日本人の 2009 年に作成された消化器病学会作成の消 胃潰瘍、とくに胃体部に存在する潰瘍の場合 化性潰瘍診療ガイドラインでは、酸分泌抑制薬 は、H. pylori 感染のための萎縮性胃炎の進展 を含まない H. pylori 除菌療法による胃潰瘍治 で酸分泌能は低下しており、PPI のような強力 癒率は PPI 単独投与による潰瘍治癒率に比較 な酸分泌抑制は必要ないと考えられる。そこ して、海外の報告では同等である(レベルⅡ)。 で、我々は、この点に関する日本人でのエビデ 日本の報告(我々の論文)では、胃潰瘍の大き ンスを作るべく、防御因子増強剤のレバミピド さが 15mm 以上の開放性潰瘍では、H. pylori を用いて次のようなプロトコールで全国レベル 除菌単独による潰瘍治癒率は PPI 単独投与に の多施設二重盲検比較試験を組んだ。すなわ よる潰瘍治癒率に比較して劣るとする報告があ ち、1 週間の H. pylori 除菌治療後の胃潰瘍治 る(レベルⅡ)と記載された。最終的にこのガ 癒効果に及ぼす影響をみるために、レバミピド イ ド ラ イ ン で は、 開 放 性 胃 潰 瘍 に 対 し、H. とプラセボを 7 週間投与した比較試験を企画し pylori 除菌療法後に潰瘍追加治療が必要である た。除菌治療後にレバミピド単独 7 週間の胃潰 98 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 瘍治療を行うことにより、プラセボに比較して り13)、潰瘍再発抑制に貢献できる。H. pylori 除 有意に治癒率を上昇させた。このことより、防 菌が成功した後も、約 10%の潰瘍は再発する。 御因子増強剤でも PPI と同様に力を発揮する これらの再発を考慮すると、ただ単に潰瘍を治 8) 可能性が示された 。これを受けて、消化性潰 癒させるだけではなく、除菌成功後の潰瘍再発 瘍診療ガイドラインでは開放性胃潰瘍を対象と 抑制という付加価値を含めた治療薬を使用する した H. pylori 除菌治療後に酸分泌抑制薬以外 べきである(エビデンスはまだない)。 の抗潰瘍薬の追加投与とプラセボ投与を比較し ところで、十二指腸潰瘍の治癒に関する除菌 た日本での RCT により、H. pylori 除菌治療後 療法の影響については、まだエビデンスがな の抗潰瘍薬追加治療による胃潰瘍 8 週治癒率の かった。日本人においては、胃潰瘍も十二指腸 向上が示された(レベルⅡ)と記載された。防 潰瘍も除菌療法では治癒しないのかが解明され 御因子増強剤は、単独では、酸分泌抑制剤に匹 ていない。我々は、除菌療法だけでその後抗潰 敵する治癒率は示さない。しかし、1 週間の H. 瘍剤を投与しない群と PPI を投与する群で比 pylori 除菌療法直後であれば、ある種の防御因 較した。何と十二指腸潰瘍は除菌療法だけで治 子増強剤に限り、酸分泌抑制剤と同等の治癒率 癒することが明らかになった12)。このように、 を発揮することが明らかとなってきた。これ 日本人において、胃潰瘍と十二指腸潰瘍は除菌 は、最近でのトピックスといえ、防御因子増強 に対して異なる反応をすることが解明できた。 剤を見直す一つの端緒となり、続々と臨床試験 今後、これらの臨床試験の内容は、必ず、ガイ がなされ、次回の改訂では、それらのエビデン ドラインで引用されると確信している。 スがさらにいくつか取り上げられると予想され る。 5 つ目の発見:胃潰瘍と十二指腸 潰瘍では、除菌療法の潰瘍治癒に 及ぼす影響が違う 6 つ目の発見:NSAID 起因性小腸 潰瘍に効果のある薬剤をスクリー ニングし特定できた 2009 年のガイドラインでは、胃潰瘍と十二 指腸潰瘍をとりあげ、消化性潰瘍の診療ガイド となれば、効果のある防御因子増強剤と酸分 ラインと位置付けた。近年、カプセル内視鏡な 泌抑制剤との使い分けはどうすればいいのであ どの進歩により、小腸を中心とした下部消化管 ろうか。我々は、防御因子増強剤のソファルコ 病 変 に 注 目 が 集 ま っ て い る。 そ の 一 つ に、 ンと酸分泌抑制剤であるシメチジンを比較検討 NSAIDs による小腸傷害である。NSAIDs やア 9) した 。その結果は、治癒率において同等で差 スピリンの使用頻度が増加し、小腸出血や貧血 がなかった。そのほかの臨床試験、イルソグラ で小腸を検査すれば、多発性の潰瘍性病変が発 ジンとファモチジン10)、レバミピドとオメプラ 見される時代になってきた。これらを薬剤で治 ゾールの比較試験 11) においても同等という結 果が報告されている。我々が行ったテプレノン 療・予防しようとすると、どのような薬剤が適 切かが今問題となっている。 とラベプラゾールの試験では、15mm 以上の潰 小腸においては、胃酸は関係ないことより、 瘍であれば、防御因子増強剤と PPI で差が出 基本的には酸分泌抑制剤は効かない。そこで、 るという結果になった。大きな潰瘍では、防御 小腸粘膜防御能を腑活化するには、PG 製剤か 12) 因子増強剤にも限界があることが分かった 。 防 御 因 子 増 強 剤 が 候 補 と な る。 実 際 に、 一方、レバミピドなどの防御因子増強剤には、 NSAIDs やアスピリンなど小腸粘膜傷害で困っ 潰瘍治癒の質を良好にするという特徴があ ている患者が我々の目の前にいる。いますぐに 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 99 図6 図7 NSAIDs 小腸粘膜傷害のメカニズム カプセル内視鏡を用いた NSAIDs 起因性小腸粘膜傷害に対する予防薬、治療薬投与試験 でも治療・予防することが求められている。小 ミソプロストール、レバミピド、テプレノン、 腸潰瘍に対する保険適応をもつ薬剤はなく、そ イルソグラジンで、酸分泌抑制剤も予想に反し れどころかどの薬剤が効果を発揮するのかさえ て効果を発揮する薬剤があり、ロキサチジン、 わかっていない。そこで、我々は、現存する抗 ラフチジン、ランゾプラゾール、ラベプラゾー 潰瘍剤をラットのインドメタシン惹起性小腸潰 ルがそうであった。実際、ボランティアを用い 瘍をつくるモデル(これは今小腸が話題になる た臨床試験でいくつかの薬剤に関しては、ヒト 以前に作られたモデル)を使用してスクリーニ でも効果を発揮する可能性を示した(図 6、 ングした14),15),16)。その結果、防御系薬剤では、 17) ,18) 。 7) 100 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図8 NSAID 長期投与時の小腸粘膜傷害の動向 7 つ目の発見:小腸粘膜も NSAID に よ る 傷 害 に 対 し て adaptation を示す 図9 Schematic representation of the three main types of developmental cell death (by Clarke, 1990) すると驚くなかれ、いままでアポトーシスで細 胞死になっていると信じていたが、その細胞死 の機構の中にオートファジ機構がうまく働かな く な っ て 死 に 至 る こ と を 発 見 し た( 図 9、 NSAID 投与時に上部消化管の傷害を予防す 20) 。これまでの、NSAID による細胞死の 10) る た め に PPI は よ く 使 用 さ れ る。 し か し、 概念を変える、これまでの常識を変える大きな Wallace は、PPI を使用すると PPI が原因で小 発見と考えられる。現在胃粘膜の傷害との比較 腸内では dysbiosis がおき、そのために小腸病 を電子顕微鏡レベルで行っている(また大きな 変はより悪化すると Gastroenterology に発表 発見があるのではとワクワクしているが)。 した。本当にヒトでもそうかということを検証 するために、ボランティアでの長期投与試験を 行った。そうすると、NSAID による小腸病変 最後に は、2 週目が一番ひどく 4 週目、6 週目と軽快 私が手を染める何百年も前から脈々と続いて して来て、それ以後 10 週目まで経過を見たが きた潰瘍学は今も健在である。本稿でご紹介さ さらに悪化することはなかった。このことから せて頂いたのは、我々(大阪市立大学消化器内 は、まず、小腸粘膜にも胃の粘膜と同じように 科・大阪医科大学第二内科など)の研究室で行 NSAID に対する adaptation 機構の存在が明ら われた研究のほんの一部である。我々臨床家は かになった(図 8) (これも大きな発見であ 臨床で疑問に思うこと、新しい治療法を開発し る)。もうひとつは、PPI を併用投与しても、 ていくことにおいて、臨床試験はもちろんのこ 現在の PPI の投与量では、病変を抑制しない と、臨床では明らかにしにくいことを基礎実験 が、さらに悪化させるところまではいかないと で解明し、それを再び臨床にフィードバックす 考えられた。 るいわゆる translational research も進めてい 19) かなければならない。この潰瘍学は、良性の疾 8 つ 目 の 発 見:NSAIDs に よ る 小 腸細胞死は、アポトーシスだけで なくオートファジも関与 さらに、電子顕微鏡レベルで粘膜傷害を観察 患を主に扱うが、患者の数はかなり多く、ヒト の生命に関わることも少なくない重要な学問分 野である。また、粘膜防御機構を解明するなか で、癌化のメカニズムも見えてくる。今後、大 腸も含めた消化管の生理、難治性疾患の病態を 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 101 図 10 autophagic vacuole・拡張 sER の増加を示す TEM 像 解明するために、若手の研究者を育成していか なければならず、そのことが医学の進歩につな がる。これが我々の責務と考え、このことに精 進していきたい。 文 献 1)樋口和秀:胃粘膜におけるプロスタノイド産生細胞に関す る免疫組織化学的研究,大阪市医学会雑誌,1989,38, 691-707 2)小林絢三,荒川哲男,樋口和秀,他:胃粘膜とプロスタグ ランディン,小林絢三編,(株)ライフサイエンス,1987 3)樋口和秀,荒川哲男,根引浩子,小林絢三:QOUH の機能 的評価―プロスタグランジン,QOUH の評価をめぐって, 小林絢三,伊田和徳,荒川哲男編,東京医学社,1993 4)Higuchi K, Arakawa T, Kobayashi K.:Helicobacter pylori and the quality of ulcer healing, Bioregulation and its dis orders in the gastrointestinal tract, Edited by Yoshikawa T and Arakawa T, 1998 5)科 学的根拠(evidence)に基づく胃潰瘍診療ガイドライン の策定に関する研究班 編:EBM に基づく胃潰瘍診療ガ イドライン:じほう,2003 6)Sung JJ, et al. Antibacterial treatment of gastric ulcers as sociated with Helicobacter pylori. N Engl J Med 1995; 332:139-142 7)Higuchi K, et al. Is eradication sufficient to heal gastric ul cers in patients infected with Helicobacter pylori? A ran domized, controlled, prospective study. Aliment Pharmacol Ther, 17(1):111-117, 2003 8)Terano A, Higuchi K, et al. Rebamipide. A gastro-protec tive and anti-inflammatory drug, promotes gastric ulcer healing following eradication therapy for Helicobacter pylori in a Japanese population:a randomized, double-blind, placebo-controlled trial, J Gastroenterol 2007;42:690693 9)Higuchi K, et al. Sofalcone, a gastroprotective drug, pro motes gastric ulcer healing following eradication therapy for Helcobacter pylori:a randomized controlled compara tive trial with cimetidine, an H2-receptor antagonist. J Gastroenterol Hepatol. 2010 Suppl 1:S155-60 10)Murakami K, et al. Comparison of the efficacy of irsogla dine maleate and famotidine for the healing of gastric ul cers after Helicobacter pylori eradication therapy:a ran domized controlled prospective study. Scand J Gastroenterol. 2010 Nov 14.[Epub ahead of print] 11)Song KH, et al. A comparative study on the healing effects of rebamipide and omeprazole in Helicobacter pylori-posi tive gastric ulcer patient after eradication therapy. Gastro enterology 2008:134, Supplement 1:A-476 12)Takeuchi T, Higuchi K, et al. Strategies for peptic ulcer healing after 1 week proton pump inhibitor-based triple Helicobacter pylori eradication therapy in Japanese pa tients:differences of gastric ulcers and duodenal ulcers. J Clin Biochem Nutr. 2012 Nov;51(3) :189-95 13)Higuchi K, Arakawa T, et al:Rebamipide prevents recur rence of gastric ulcers without affecting Helicobacter pylori status. Dig Dis Sci 43 suppl:99s-106s, 1998 14)Higuchi K, Arakawa T, et al. Present status and strategy of NSAIDs-induced small bowel injury J Gastroenterol 2009;44:879-88 15)Higuchi K, Yoda Y, et al. Prevention of NSAID-induced small intestinal injury:prophylactic potential of lansopra zole. J Clin Biochem Nutr. 2009;45(2) :125-30 16)Yoda Y, Amagase K, Higuchi K, et al. Prevention by lanso prazole, a proton pump inhibitor of indomethacin-induced small intestinal ulceration in rats through induction of heme oxygenase-1. J physiol Pharmacol. 2010:61(3): 287-94 17)Kuramoto T, Higuchi K, et al. Preventive effect of irsogla dine or omeprazole on non-steroidal anti-inflammatory drug-induced esophagitis, peptic ulcers, and small intesti nal lesions in humans, a prospective randomized controlled study. BMC Gastroenterol. 2013 May 14;13:85. 18)Umegaki E, Higuchi K, et al. Geranylgeranylacetone, a gas 102 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 tromucoprotective drug, protects against NSAID-induced esophageal, gastroduodenal and small intestinal mucosal injury in healthy subjects:A prospective randomized study involving a comparison with famotidine. Intern Med. 2014;53(4):283-90 19)Narabayashi K, Higuchi K, et al. Indomethacin suppreses LAMP-2 expression and induces lipophagy and lipoapopto sis in rat enterocytes via ER stress pathway. J Gastroen terol, 2014, in press 20)Kojima Y, Takeuchi T, Higuchi K, et al. Effect of longterm PPI administration on NSAID-induced small-intesti nal lesions and effect of irsogladine for such lesions in healthy volunteers: a randomized controlled trial, PLOS ONE, 2014, in press 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 103 私の潰瘍学 金沢医科大学消化器内科学 有沢 富康 私は 1983 年に大学を卒業し、4 年間市中病 ていただきました。そこで、後藤先輩からの、 院で一般内科医として学び 1987 年に当時の名 学位論文が完成したら次の世代の足がかりを残 古屋大学第 2 内科に帰局して以来、思えば約 すのが仕事だという教えに従い、それまで学ば 25 年以上もなんらかの形で大学に関係し、消 せていただいたことから、何か新しいことが見 化器病という学問・研究に関わってきました。 いだせないかを考えるようになりました。 私は当時、中澤三郎先生が率いていた第 6 研究 私が肥満細胞の研究から得た結果は、肥満細 室に所属し、初めて潰瘍学というものを学ぶこ 胞は決して組織障害性ばかりのものではなく、 とになりました。ちょうどヒスタミン H2 拮抗 組織修復に関与しているというものでした。当 薬が様々に開発され、また PPI が世に出てこ 時は、cyto-protection という言葉が流行し、 ようという時期で、消化性潰瘍の治療が大きく 細胞保護という観点からの仕事が多かったので 変貌し、潰瘍は治癒はするものの、中には治療 すが、私は組織の修復機構、その土台となる結 に抵抗したり、いったん治癒しても再発する、 合組織の再構築に興味を持ち研究を始めまし いわゆる難治性潰瘍や再発性潰瘍の研究が全盛 た。その理由は、実際に日常臨床で遭遇する潰 期の時期で、学会では prostaglandin の作用や 瘍は、目の前のひとに潰瘍ができないように予 EUS が脚光を浴びておりました。第 6 研究室 防することではなく、できあがった潰瘍を修復 も 芳 野 純 治 現 藤 田 保 健 衛 生 大 学 教 授 が EUS することがほとんどですから、その方が理にか を、後藤秀実現名古屋大学教授が prostaglandin なっていると思ったこともあります。また、当 をと、そうそうたるメンバーが潰瘍研究に携 時の私の研究室の臨床班が、EUS を用いて潰 わっておりました。そのとき、新参者の私が中 瘍エコーの消失が潰瘍の完全治癒に重要であ 澤先生から与えられた研究テーマは胃の肥満細 る、すなわち土台の修復なくして潰瘍治癒はな 胞でした。研究室の流れから言えば、反主流で いことを明らかにしていたことも研究を進める あり、その分気楽でもあって、ちょうど大学時 力になりました。そして、コラーゲンの定量・ 代の悪友が第 1 病理学教室に在籍していたこと 定性分析などの生化学手法、線維芽細胞や内皮 もあり、日常臨床の合間に病理学に顔を出し、 細胞、好酸球の潰瘍治癒過程における phenotype 2 年ぐらいで得られた結果を Digestion 誌に報 変化を表面抗原をマーカーにして調べる免疫染 告させていただきました。その間、バランス説 色、培養系を用いた間葉系細胞-細胞外基質の や酸の逆拡散説、大井先生の二重規制説など潰 相互作用などの研究を行いました。研究を始め 瘍学の基礎的な部分を様々な先生方から学ばせ た頃は、まだバランス説が全盛であり、攻撃因 104 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 子・防御因子の観点から潰瘍の治癒経過をみて に思っていたが、それらも H. pylori 感染でか いると、治癒に関係するサイトカインや成長因 なりの部分が説明できると考えられました。さ 子、すなわち防御因子が思い切り頑張っている らに、受容体の可溶化機構を介した TNF 作用 中で、さらにそれを頑張らせることは難しい、 の細胞レベルでの制御機構も明らかにすること 例えてみれば疲れた馬にどれだけ鞭を打っても ができました。 馬は動かない、やはり背の荷を下ろすのが一 その頃から消化性潰瘍に対する H. pylori 除 番、要は治癒を妨げている酸分泌を抑制、攻撃 菌治療が行われるようになり、胃潰瘍の背景は 因子を減弱することで負荷をとってやった方が H. pylori 起因のものから薬剤性のものへとシ 潰瘍治癒に対し効果が出やすいのは当たり前 フトをしていき、私自身は藤田保健衛生大学に か、などと考えていました。しかし、酸分泌を 移籍し、中野浩教授の元で新たに教えを請うこ 抑制して潰瘍が治るのはいいが、何故再発す とになり、薬剤性潰瘍が研究の target になり る? 私たちの得た結果は、酸分泌を抑制すれ ました。中野教授は消化管の形態学の大家であ ば潰瘍は治る、しかし潰瘍の肉芽に慢性炎症が り、H. pylori 起因性潰瘍と薬剤性潰瘍の形態 存在、炎症性肉芽が形成されれば再発するとい 的に違うことを示唆されました。すなわち、前 うものでした。ちょうどその頃、徐々に潰瘍の 者はぼこっと掘れたようであり、後者は浅かっ 病態に Helicobacter pylori(H. pylori)感染が たり二段構造であったりと、確かに薬剤性潰瘍 深く関与するという知見が蓄積されつつありま は粘膜表層より傷害物質が浸透してできた形跡 した。やはり、避けては通れない道であろうと があるように感じられました。すなわち、薬剤 いうことで、H. pylori 感染に関し研究を開始 性潰瘍はできるべくしてできたという潰瘍より しました。H. pylori に関しては細胞障害性と はある傷害物質をむりやり作用させてできた潰 いう観点から多くの研究がなされていました 瘍、ある意味動物での実験潰瘍に近く、従来の が、私たちは慢性感染症である以上その病態の バランス説で説明しやすい病態であると考えら 主は免疫応答であると考えました。そこで、胃 れました。そこで、ある傷害物質に対し潰瘍の の H. pylori に対する局所免疫応答を検討する できる者とできない者、その個体差に興味を持 こととし、手軽さも考えて胃液中の免疫グロブ ち行き着いたところが現在の私の研究の主流に リンやサイトカインと病態の検討を行いまし なっている遺伝子多型でした。当初は代謝酵素 た。その結果、胃の H. pylori に対する免疫応 CYP3A4 も視野に入れていましたが、結果的 答は、粘膜免疫や Th1 応答が確かに目立つの に有意な偏りが見られたのは PTGS1、COX-1 ですが、そればかりではなく、確実に Th2 応 でした。そのデータをパリの UEGW で発表し 答も起こっており、胃粘膜には IgG、IgA を細 たのですが、大変歓迎された(そう思っている 胞表面に有する形質細胞が多数存在し、胃液中 のは私だけ?)のを記憶しています。 には H. pylori に対する IgG は早期より分泌さ 現在は、薬剤性潰瘍も PPI の予防的投与が れ、当たり前のことですが、IgA は腸上皮化生 一部認められており、H. pylori の除菌も併せ に伴い polymeric Ig receptor の発現を介して 潰瘍の臨床は一段落といった感じでしょうか? 胃腔内に遅れて分泌されること、それとともに 現在の私自身の仕事も、機能性胃腸症や炎症性 胃に起こる疾患が変化することを報告しまし 腸疾患、カプセル内視鏡などが多くを占めてい た。また、私たちは胃潰瘍の炎症性肉芽形成に ます。しかし、消化器病学の世界に足を踏み入 おいて MMP-1 発現好酸球の重要性を見出して れ初めて接した潰瘍学は、消化管の機能、炎 いましたが、また同時に胃粘膜内に何故好酸球 症、免疫など様々なことを理解する上で、今も がたくさん浸潤しているのかと以前より不思議 私自身の根底に存在し、土台を形成していま 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 105 す。消化性潰瘍そのものも、いまだ不明なこと が、疾患そのものが少なくなる、臨床上カタが がたくさんあります。確かに、H. pylori 陰性 つけば必然と研究する余地も少なくなります。 の潰瘍は少なく、除菌により潰瘍の再発は抑制 しかし、潰瘍というものに真正面から向かい合 されます。しかし、菌は胃にび漫性に存在する い、考えてきたことは現在他疾患の病態を理解 のに、何故潰瘍には好発部位が存在するのか? する上においても決して無駄になってはいませ それは大きな疑問のひとつでしょう。大井先生 ん。私にとっての潰瘍学、それは研究者とし の 2 重 規 制 説 が す べ て な の か? そ れ を H. て、医師としての私を育成し支えている大きな pylori による慢性炎症が複雑に見せているだけ もののひとつであると言えるでしょう。 なのか?興味あることはたくさん存在します 106 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 私の潰瘍学 ―活性酸素研究から始まった潰瘍研究― 京都府立医科大学大学院医学研究科消化器内科学 内藤 裕二 1983 年京都府立医科大学を卒業後、何の迷 リーラジカルを測定することが必要であった。 いもなく本学第一内科近藤元治教授の医局に入 ホタルが光るようにルシフェリン誘導体(ウミ 局した。2 年間の初期臨床研修後、2 年間関連 ホタルルシフェリン誘導体)を用いて化学発光 病院での一次出張を終え、大学に帰学したのが による活性化好中球が産生する活性酸素を定量 1987 年春であった。消化器疾患の臨床に忙し 的に測定する系を確立した。ヒト末梢血から好 い中、消化管疾患の研究を少しずつ始めようと 中球を分離し、オプソニン化ザイモザンやホル していた。研究室(同時は二研と呼んでいた) ボールミリスチン酸などで刺激し、経時的に化 に出入りしながら、研究の手解き、ラット実験 学発光を定量することにより各種薬剤や天然物 の方法論を少しずつ学び始めていた。そんな の活性酸素産生抑制作用を評価することが出来 折、留学から帰学された当時の吉川敏一講師に た。化学発光による活性酸素測定法は当時の第 出会ったことが、その後の研究の方向性を大き 二研究室の吉田憲正先生が先駆的仕事をされて く決めることとなった。私の潰瘍学といった学 いて、ご指導をいただいた。その後、フリーラ 問的なことは執筆できそうにないが、貴重な機 ジカルを特異的に測定可能な磁気共鳴スピン装 会を得たのでこれまでの研究の経緯を記述し 置(ESR)を用いたスピントラッピング法を確 た。 立した。当時、ESR 装置を使用している医学 部の大学はなく、スーパーオキシドラジカルや 活性酸素・フリーラジカルを 測定する ミトコンドリアによるエネルギー産生に酸素 ヒドロキシルラジカルを特異的に測定すること が可能であり、それらのフリーラジカルを定量 的に測定するだけでなく、各種薬剤のフリーラ ジカル消去活性の評価を数多く実施した。谷川 は必要であり、酸素無しには生きていけない。 徹先生に ESR の基本を教わり、ラットにタバ そんな酸素にも悪い酸素があって活性酸素と呼 コを吸わせて血中のフリーラジカルを測定され ばれている。不対電子を有する分子をフリーラ ていたことを記憶する。国内の製薬企業の中に ジカルと呼ぶが、分子状酸素に由来するより活 も胃粘膜防御系抗潰瘍薬を開発しようとする機 性の強いフリーラジカルがある。そんな活性酸 運があり、多くの共同研究をさせて頂いた。な 素・フリーラジカルを研究して、新たな胃粘膜 かでもゼリア新薬工業の米田智幸氏との共同研 傷害治療薬を開発する。以上が大まかな研究計 ® 究で Z-103(プロマック )の活性酸素消去作 画であった。そのためには、まず活性酸素やフ 用のメカニズムの詳細な研究を行ったことは、 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 107 図1 胃粘膜防御機構の解明と防御系抗潰瘍薬の臨床応用 私自身の研究開始と薬剤の開発が重なってお 受けて、レバミピドの類似化合物を桜井一志氏 り、大変お世話になった。あまり知られていな に数多く合成いただき、ESR 法によるラジカ いが、DIC やショック治療薬のメシル酸ガベ ル消去活性の違いを評価しながら、レバミピド ® キサート(FOY )やメシル酸ナファモスタッ ® の構造式上でヒドロキシルラジカルの消去に重 ト(フサン )、抗アレルギー薬のアゼラスチン 要な構造を決定していくという極めて基礎的な (アゼプチン®)、脳梗塞や胃潰瘍に使用された 研究であった。1995 年にフリーラジカル研究 ® ソルコセリル 、各種漢方薬、インターフェロ のトップジャーナルである Free Rad Biol Med ン、ピシバニール(OK-432)、各種プロスタグ にその詳細が掲載された時の喜びを記憶してい ランディン、各種 H2 受容体拮抗薬などの活性 る。 酸素消去作用、産生抑制作用についての基礎的 評価も数多く実施した。これらの成果の多くは 「医学のあゆみ」という日本語ジャーナルに発 表していて、英文化されていないものも数多 い。論文に使用した図なども手書きで作製した 胃粘膜傷害モデルで活性酸素の 役割を明らかにする 実験潰瘍学会に参加すると各種胃粘膜傷害モ デルが報告されていた。学会での発表や論文を ものであった。 ® レバミピド(ムコスタ )の実験で ESR の結 参考に、水浸拘束モデル、急性熱傷モデル、薬 果を見たときの最初の驚きを今でも覚えてい 剤性(血小板活性化因子、Compound 48/80) る。最初の実験でヒドロキシルラジカルの消去 モデルなどを用いて活性酸素により膜脂質過酸 作用が極めて強いことを見いだし、レバミピド 化反応の指標であるチオバルビツール酸反応物 という薬剤の構造式からその消去作用のメカニ 質(TBA 反応物質)を測定したり、脂質過酸 ズムを解明しようといったプロジェクトが始 化の強力な抑制作用を有するビタミン E 欠乏 まった(図 1a)。大塚製薬山崎勝也氏の命を ラットの影響をみることが中心であった。活性 108 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 酸素の産生源としてキサンチンオキシダーゼと 独、アスコルビン酸単独では潰瘍が出来ないの 活性化好中球が重要視されていたため、キサン に、両者を混合投与すると筋層を超える円形潰 チンオキシダーゼ阻害剤アロプリノールや抗好 瘍 が 出 来 た( 図 1d)。1995 年 Digestion 誌 に 中球抗体の効果を検討した。なお、抗好中球抗 掲載されたが、本モデルは Z-103 などの薬効 体はフロイントアジュバントを用いてウサギの 評価としても利用されるようになった。 背部に免疫して、作製していた。その後、イン ドメタシンによるラット急性胃粘膜傷害の実験 を中心に実験を開始した。このような in vivo ヒト二重盲検比較試験の実施 の実験では、数名でチームを作り、毎週同じ曜 正確には記憶していないが 1996 年頃に基礎 日に実験を行い、一回の実験で一つずつ課題を 研究をしていたレバミピドを使用したヒト臨床 繰り返すことを継続的に実施した。インドメタ 試験の依頼があった。健常人にインドメタシン シンによる実験の成果は、博士論文として京都 を投与した時の急性胃粘膜病変を内視鏡で観察 府立医大誌に掲載されたが、活性酸素消去作用 し、レバミピドの有効性を評価するといったも に関する成績は 1993 年 Gut 誌に掲載された。 のであった。それまでに胃潰瘍患者に対する臨 本論文はインドメタシン惹起性急性胃粘膜傷害 床比較試験の経験はあった、健常人の薬剤性胃 の成因における活性酸素の重要性を見い出した 粘膜傷害予防試験は初めての経験であった。20 点で思い入れもあるが、これまでに 280 回の引 人 の 健 常 人 を 対 象 と し た イ ン ド メ タ シ ン 75 用(Google Scholar による)がされている。 mg/day、7 日間投与によるレバミピドとプラ 急性胃粘膜傷害と活性酸素との関与が次第に セボの比較試験であった。当時インドメタシン 明らかになるなかで、研究室では活性酸素その 75 mg/day を臨床で使用することはよくあっ ものによる胃粘膜傷害を作る計画が進んでい たため著明な病変の出現は期待していなかった た。上田茂信先生が中心となり腹腔動脈を血管 が、プラセボ群で 30%に胃潰瘍が発生したに 鉗子により遮断し、一定時間後に解放すること もかかわらずレバミピド群には潰瘍の発生はな による虚血再灌流性胃粘膜傷害モデルが開発、 かった(図 1e)。この結果はウィーンでの世 作製された。虚血時間、再灌流時間などの検討 界消化器病学会で発表し、その後 Dig Dis Sci が何度も繰り返され、最終的に、1989 年 Free に論文化されている。レバミピドのインドメタ Rad Res に本モデルを発表した(図 1c)。そ シン胃粘膜傷害予防効果以上に興味をもった の後数年間は実験潰瘍学会、日本消化器病学会 データは、ヒト胃粘膜でもインドメタシン投与 で発表を続け、前述の Z-103、レバミピドだけ 後 TBA 反応物質が増加し、ヒトで活性酸素の でなく多くの抗潰瘍薬の in vivo での活性酸素 傍証が得られたことが嬉しかったことを覚えて 消去能の評価系となった。さらに活性酸素によ いる。この臨床研究は 2 次出張先の病院である るヒト胃潰瘍類似モデルが開発できないかと考 彦根中央病院で行われたものであり、かなり無 えていたところ、近藤元治教授から免疫複合体 謀な試験であったが、当時の大塚製薬の池末金 を局所に投与すると胃潰瘍が出来ること、京都 剛氏の情熱に負けた形で内視鏡を何度も検査す 薬科大学の岡部 進教授が酢酸を局所投与する るプロトコールで実施された。 とヒト類似の胃潰瘍が出来ること、吉川敏一講 師から活性酸素産生系としては鉄 - アスコルビ ン酸系を基礎研究者が良く利用していることな オミックス研究への誘い どを聞き、ラット胃壁に鉄 - アスコルビン酸を 島津製作所田中耕一氏、John B Fenn、Kurt 局注するモデルの開発に着手した。硫酸鉄単 Wuthrich ら 3 人が 2002 年ノーベル化学賞を受 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 109 賞して以降、タンパク質研究は加速し、化学の 解析(マイクロバイオーム)などとともに大き 領域だけでなく医学領域の研究に利用されるよ な展開が開けるのではないかと期待している。 うになってきた。彼らは、タンパク質を壊さな いでイオン化することに成功し、質量分析によ りタンパク質を研究する道を開いたともいえ る。質量分析装置はさまざまな改良が加えら 終わりに 胃粘膜防御系における活性酸素の役割を中心 れ、高感度化や高精度化が進んでいった。われ に潰瘍学を進めてきた。研究を開始した当時、 われは、これまで翻訳後修飾のなかでも酸化ス 「胃潰瘍は潰瘍症であり一生再発を繰り返す」 トレスによる酸化反応特異的翻訳後修飾に焦点 とされていた。その間に、ヘリコバクター・ピ を当て、各種疾患の病態解析を行っていった。 ロリ菌が発見され、除菌療法により胃潰瘍は再 幸いに遺伝子発現を網羅的に解析するGeneChip 発しなくなった。最近では、小腸潰瘍、大腸の 装置が研究室にあり、また質量分析装置につい 難治性潰瘍性大腸炎なども増加しており、これ ても島津製作所との共同研究講座が設立され、 まで胃粘膜で展開してきた粘膜防御機構の考え 2000 年を境に研究手法も大きく変化していっ 方も極めて重要となっている。胃粘液の研究を た。GeneChip によるデータも、プロテオミク されている研究者は激減しているが、小腸や大 スによるデータもその情報量の多さから当時の 腸においては腸内細菌との相互作用もあり極め 研究室では十分な解析が出来なかったことを悔 て重要である。この原稿は、ソルトレークシ やんでいる。質量分析計によるタンパク質の同 ティーの山中のホテルで一気に書き上げた。そ 定は急速に解析手法が進み、血液中のタンパク こ で 最 近 の Nature Medicine の 見 出 し「Stay 質を定量することにより、診断や治療に役立つ the course」というタイトルが気になった。英 バイオマーカーが多数報告されたものの臨床応 語で意味することを理解することはなかなか難 用されたものはほとんどないのが現状である。 しいが、これは「めげずに最後までやり遂げよ 今後、代謝物解析(メタボローム) 、腸内細菌 う」という意味であるようだ。 110 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 潰瘍学会 40 周年記念 日本大学医学部消化器肝臓内科 中島 典子 日 本 潰 瘍 学 会 40 周年おめでとうございま 指摘され、Cushing 潰瘍をテーマに中枢神経系 す。記念誌を作成するために何か書くようにと に病変がある解剖症例に対して胃を観察してそ のお達しがきたため、私ごときがお受けするの の機序を解明しようとしたのが潰瘍学の研究の か迷ったところもあるですが、この学会の発起 始まりであったとご本人から伺ったことがあり から長きに渡って関与され、今は亡き我々の恩 ます。昨今、消化性潰瘍は Helicobacter pylori 師であられる松尾裕教授のために何か思いを書 の感染症だと一次的に考えやすくなっているの ければと思いお引き受けした次第です。そのた は大きな問題であり反省すべき点でもあるので め学問的潰瘍学の変遷については割愛させてい すが、感染に加えても、ストレスなどの自律神 ただき、松尾教授の思い出をここに記してご勘 経系が潰瘍の発症に対して重要な因子であるこ 弁いただければと思います。 とは切に感じる点であります。 日本潰瘍学会のホームページには、第 1 回開 その後、日本大学には 1977 年当時は第 3 内 催が 1973 年と記されており、1982 年 1 月に国 科という名称でしたが、主任教授として就任さ 内で初めて H2 Receptor Blocker の注射薬が発 れました。私はその当時は学部の 5 年生で、松 売されたので、学会発足当時は治療薬も現在と 尾教授の講義のテーマは自立神経と消化管ホル は異なってあまりない時代であり、潰瘍治療は モンでした。正直、講義途中でその講義のス かなり困難をきわめておられたであろうと推測 ピードと次々と内容が展開することから、理解 されます。松尾教授は東京大学時代の 1976 年 するのを諦めたことを記憶しています。毎回全 12 月に第 4 回の学会を開催されたと記録され 部理解できたらきっと楽しいのにと後悔ばかり ています。ご本人が 1931 年のお生まれであっ していたように思われます。あのときから 30 たので換算すると 45 歳の時に開催されたこと 年近くたった今、糖尿病の治療薬と消化管ホル になるのです。松尾教授にこの学会は分野の垣 モンとの関連は注目されていることであり消化 根を超えて純粋に潰瘍学を極めようという趣旨 管ホルモンが生涯のテーマと定められた松尾先 のもとで開催されたと伺ったことがあるのです 生はやはり先を見てらしたんだな、とつくづく が、松尾教授は東大時代からずっと自律神経と 思いながら、講義の内容をきちんと理解してい 潰瘍との関連をテーマになされていました。当 たら、新しい糖尿病薬の薬効を理解するのが容 初内視鏡や胃の造影検査にどっぷり浸かって臨 易であったのにと思う日々であります。 床家として仕事をなされていたそうですが、そ 1980 年代になると、新しい潰瘍治療薬とし ろそろ研究もしなければだめだと教室の教授に て H2 Receptor Blocker や粘膜防御剤が次々と 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 111 開発されていましたが、そのほとんどすべての するのかと思って参上すると、松尾教授がソ 薬剤の基礎研究の依頼が松尾教授のところへ ファーに寝そべられており、その横に小さい椅 入っていました。どれかを受けてどれかを受け 子がポツンと。教授は“なんとかちゃん”とあ ないと、何に関わったのかわからなくなるから だ名がついていた枕を抱っこして、ソファーに 全部関わる!とおっしゃっていましたが、その なんと寝そべられておられそこに座って音読し 薬効の一つとして胃粘膜上皮の細胞回転に対す ろとの命令が。「音読?」と疑問をもったまま る効果について検討すべしと命令が発せられ、 声に出して読んでいると、途中、「ちょっと待 夜昼なく、研究室にこもって、ラットの細胞に て、そこはこう直して」との訂正がはいりま 投与して、検討したことを記憶しています。あ す。慌ててメモしていると、「前の文章から読 まりにも膨大な仕事だったし、薬物がとめども み直すように」との指示が。その繰り返しで論 なく研究室に入ってくることから、時折ちょっ 文を校正していただくのですが、これは絶対で と疲れちゃったと思っていると、それを松尾先 きないとびっくりするやら唖然としてしまうや 生は察せられたのか、「中島くん、日曜日に実 らでした。音読し内容を理解して訂正、なん 験室にいるといくらかかる?」、私「定期券使っ て、今でも絶対できないので、すごい人だと改 ているので交通費はかからないし、飲み物とか めて感激したものでした。さてそろそろ完成と で 1000 円ぐらいでしょうか?」松尾先生「ね、 なり、教授の印鑑を押していただくその瞬間、 お金もかからなくて、一日楽しめるよね。ゴル 私をじろっとみて、手には印鑑を持ったまま、 フに行くと、3 万円かかるんだぞ」と言われて、 「中島くん、一生細胞培養する?」とちょっと あっけにとられ、苦笑した記憶があります。そ だけ微笑むように、でも詰問されたのです。こ れほど松尾先生にとって研究は道楽だったので の状況でいやと言えば押してもらえないし、思 す。川島クリニックのサイトにも趣味は研究、 わず反射的に「はい」と言ってしまったので今 とくに自律神経と消化管ホルモンと書かれてあ でもクリーンベンチの前に座っている自分がい りました。 るのです。しかし、その前に座って作業してい そんな厳しい教授でしたが、初めて学会発表 ると、「中島君、研究や科学は裏切らないけど をしたときにはたまたま教授が座長であられ、 男性は裏切るから、実験するのが一番だよ。」 いやー、本当に学会発表は緊張、いまでもしま と言われたのを常々思い出されます。しかし松 すが、(皆様、意外とうそーー、信じられない 尾教授に私は言いたい。細胞はたまにコンタミ とお思いかもしれないのですが、著者は見た目 するので、細胞にも裏切られますと。 よりめちゃめちゃシャイで恥ずかしがりやなの 松尾教授が駿河台病院に入院されている最中 です。)、初めての発表の時は、松尾先生のほう も仕事しなさい、論文をちゃんと書くように、 が私の発表の間中緊張されていたらしく質問時 と叱られそうだったので、なかなか重い腰を上 間になると、フロアーを睨めつけていたと伺っ げることができずに病室にお邪魔せずになんだ たことがあります。また、質問がきてもご自身 かんだといってお見舞いに行くのを避けていま で全部答えてしまって、最後に、「ね?」と私 した。いい加減、顔を出せとの指令に、母の地 に同意をさせるという状況。気が気でなかった 元出身の魁皇関のお相撲をテレビで見せていた んだろうと思うのと、教授の医局員を守るとい だくという理由で病室へ参上したことがありま う信念を感じた瞬間でもありました。 した。でもその時でさえも、今実験はなにを その後、そろそろ博士号取得の作業となりま やっているのか、これから何をすべきか、後輩 した。その時の手順はまず論文を書き教授室に の指導をちゃんとするようにと、ずっと叱咤激 持ってくるようにと連絡がありました。お渡し 励の連続でした。怒られっぱなしなので、「書 112 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 かなければいけない論文がたまっていたので、 と、世界中でこの結果を知っているのは、私だ 先生、ここで書いてください」と逆襲してし け、なんて楽しい事だ、ということが一番教え まったこともありました。しかし今、なかなか られたことではないかと思われます。きっと空 松尾教授が考えられるようなペースでは仕事が の上で今でも、実験!実験!を叫ばれているの できていないにしろ、継続して潰瘍学をやりま ではないでしょうか。 すのでご安心をとお伝えしたいものです。 最後に潰瘍学会 40 周年の記念の内容として 松尾教授の思い出は尽きることがなく、話が ふさわしいかいささか疑問であるのですが、松 ばらばらになってしまったのですが、しかし松 尾教授のあの絶対負けてしまうニコニコ笑顔が 尾教授から教えていただいた事で絶対的に言え これを読んでいただけた皆様の心に浮かんでく ることは、学問をするのは本当に楽しいことだ ることができましたら、幸いと存じます。微力 し、まだまだ潰瘍学という学問は終わってない ですができましたら、教授の精神を引き継ぎた ということです。学問をするということは決し いと思っている次第です。 てきついことではなく、知らないことを知るこ 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 113 スパイスの利いた私の潰瘍学 城西国際大学薬学部薬理学研究室 堀江 俊治 トウガラシの作用点 TRPV1 トウガラシの辛味の本体はトウガラシ果実中 に含有されるカプサイシンおよびその類縁化合 呼ばれている。 ひりひりする痛みを伴う辛味 物である。トウガラシを摂取した場合に引き起 トウガラシの辛味を示す成分はカプサイシン こされる生理作用の多くは、このカプサイシン である。その化学構造は脂肪酸とバニリルアミ などによるものと考えられる。カプサイシンの ンがアミド結合したもので脂溶性であるため、 モレキュラーターゲットは、1997 年に一次知 細胞膜を通過しやすく組織への浸透性は高い。 覚神経細胞に存在するバニロイド受容体(カプ カプサイシンの辛味は、味覚を感じる舌の味蕾 サイシン受容体)として発見された。バニロイ を通り抜けて、その深部にある TRPV1 発現知 ド受容体はラットの場合 838 個のアミノ酸から 覚神経で感受されている。トウガラシを食べて なるタンパク質で、6 回膜貫通型のカチオンチャ から辛さを感じるまでにタイムラグがあるの ネル構成型受容体であり、transient receptor は、カプサイシンが組織深部に浸潤するスピー potential(TRP)スーパーファミリーに分類さ ドに由来する。カプサイシンの一次知覚神経に れ て い る。 発 見 当 初 は vanilloid receptor 対する作用は選択性が高く、他の神経や他の作 subtype 1(VR1)と名づけられたが、TRP スー 用点にはあまり作用しない。 パーファミリーを構成することが判明し、現在 熱 い 温 度 の 感 覚 に つ い て も、 熱 刺 激 が はtransient receptor potential vanilloid receptor TRPV1 により活動電位に変換され、知覚神経 subtype 1(TRPV1)の呼び方が定着した。 を介して脳に伝えられる。高温は生命を脅かす カプサイシンが TRPV1 に結合すると、構成 ので、その温度感覚は危険を避けるための強い されている非選択的カチオンチャネルが開孔 シグナルになっている。約 43℃以上の温度は し、細胞外から細胞内にカルシウムやナトリウ 温度感覚に加えて痛みをもたらすが、これは高 ムイオンが流入し、これが引き金となって一次 温の温度感覚にプラスして痛みを加えることに 知覚神経細胞に活動電位が発生する。この活動 よって脳の対応をすばやくするためであるとさ 電位が軸索を伝導すると神経終末から神経ペプ れている。このような理由から、トウガラシを チドが放出され、情報が伝達されることにな 食べると口の中でやけつくような熱さと辛さを る。TRPV1 は 43℃を超える侵害性の熱刺激に 感じるのは、カプサイシンによって TRPV1 が よっても活性化されるため、熱刺激受容体とも 活性化されるため、侵害性熱刺激と同じ情報が 114 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 知覚神経を介して脳に伝えられるからである。 摂取量が多い人には胃潰瘍患者が少ないという 報告がある。また、健常人ボランティアにおい カプサイシン感受性一次知覚神経 の研究が華やかなりし頃の思い出 カプサイシン感受性一次知覚神経の基礎研究 が華やかなりし頃、千葉大学薬学部 渡辺和夫 てチリペッパーを予め摂取しておくと、アスピ リンによる胃・十二指腸潰瘍の発生が有意に抑 制されることも報告されている。これらの報告 より、実はトウガラシは胃に対して保護的に働 くということがわかっている。 研究室も、胃潰瘍とカプサイシン感受性一次知 実験動物ラットを用いた基礎研究からも、ト 覚神経の研究に力を注いでいた。当時、筆者は ウガラシ辛味成分カプサイシンが顕著に胃損 渡辺研の助手に採用されたばかりの時期で、兄 傷・胃潰瘍発生を抑制することがいくつか報告 弟子の内田勝幸氏(現株式会社明治)は実験的 されている。このカプサイシンの胃粘膜保護作 ラット幽門洞潰瘍モデルの確立をされつつあっ 用は、TRPV1 遮断薬の前処置やカプサイシン た。その頃のある時、内田氏は実験的ラット幽 感受性知覚神経の除神経処置により消失するこ 門洞潰瘍モデルにおいてカプサイシン感受性一 と か ら、 カ プ サ イ シ ン は 一 次 知 覚 神 経 上 の 次知覚神経の除神経処置を施すと、潰瘍が胃幽 TRPV1 を活性化することにより胃粘膜保護作 門洞全域を覆い尽くすことを発見して、渡辺先 用を示すことがわかった。 生をびっくりさせた。それを見て、たいそう教 授は上機嫌であったことを思い出す。 カプサイシンが TRPV1 を活性化すると、軸 索−軸索反射により TRPV1 発現知覚神経終末 から CGRP やタキキニン、さらに一酸化窒素 カプサイシンの TRPV1 を介した 胃粘膜保護作用 (NO)が遊離される(図 1)。また、別の胃粘 膜防御物質であるプロスタグランジンや NO な どの産生が増大して、それらが協調しあって、 少量のカプサイシンが末梢の求心性一次知覚 胃粘膜血流増加や胃粘液分泌亢進、胃酸分泌抑 神経を活性化すると、中枢神経側にある神経終 制など、さまざまな胃粘膜防御機構を増強する 末からカルシトニン遺伝子関連ペプチド ことによって、胃粘膜を保護すると考えられて (CGRP) や タ キ キ ニ ン( サ ブ ス タ ン ス P や いる(図 2)。 ニューロキニン A)の遊離が起こり、痛みな TRPV1 発現知覚神経を介する胃粘膜血流増 どの知覚情報がすみやかに脊髄・脳へと伝達さ 加作用は、胃粘膜保護だけでなく、胃損傷の修 れる。また同時に、末梢神経系においても、軸 復・治癒過程においても重要であり、急性・慢 索−軸索反射という特徴的な反射経路を介し 性胃潰瘍の治癒にとって大きな意義を持つこと て、末梢組織へ神経ペプチドを放出し生理作用 もわかった。トウガラシ先進国であるハンガ を引き起こす。その結果、胃保護作用が引き起 リーでは、アスピリンやインドメタシンといっ こされたり、神経原性炎症が引き起こされた た非ステロイド性抗炎症薬にトウガラシエキス り、平滑筋収縮や神経伝達物質・ホルモン・ を添加した製剤を開発しつつあると聞く。トウ オータコイド分泌が調節されたりする。このカ ガラシエキスの添加によって非ステロイド性抗 プサイシンにより選択的に活性化される求心性 炎症薬の副作用である消化性潰瘍の発生を抑制 一次知覚神経(主に無髄の C 線維)をカプサ するというコンセプトの製剤開発である。 イシン感受性知覚神経ともよぶ。 興味深いことに、シンガポールにおける疫学 的調査によると、普段の食事でチリペッパーの 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 115 図1 胃壁組織における外来性一次知覚神経と神経伝達物質 図2 カプサイシンによる胃機能亢進のメカニズム トウガラシの諸刃の刃 韓国では、キムチなどで子供の頃からかなり のトウガラシを摂取しているが、韓国の人々は では胃粘膜防御能を亢進させるが、多量に投与 するとカプサイシン感受性神経が退行変性し、 胃粘膜防御機構が脆弱して、胃潰瘍はかえって 悪化することはよく知られている。 胃潰瘍に悩むケースが多いという。実験動物を 私たちも、胃幽門洞潰瘍モデルラットを用 用いた検討においても、カプサイシンは低用量 い、胃潰瘍に対するカプサイシンの薬理作用を 116 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 3 ラット胃幽門洞横断面おける TRPV1 発現神経 TRPV1 発現神経を免疫組織化学的 な手法により緑色蛍光で染色し、共焦点レーザー顕微鏡で観察した。 検討した。その結果、少量のカプサイシンは胃 え、身体機能を著しく衰弱させる。 幽門洞潰瘍形成を抑制し、潰瘍治癒を促進し カプサイシンの刺激作用は用量に依存的であ た。一方、カプサイシンの高用量(神経毒性を り、少量の摂取では求心性一次知覚神経を選択 示す用量)を処置すると、胃幽門洞潰瘍はか 的に興奮させる。一方、大量の急性摂取ではこ えってひどく悪化することが観察された。トウ の知覚神経を機能的に麻痺させる。トウガラシ ガラシはその摂取量によって、胃に対してベル の主成分カプサイシンの用量作用曲線はベル型 型の薬理作用を示す。したがって、トウガラシ になるという特徴を有する。さらに、カプサイ の胃保護作用を過信して食べすぎると、思いも シン大量の慢性摂取では、この知覚神経が退行 よらない非常事態になりかねない。 変性してしまうほど強い効果を有している。す なわち、少量から胃粘膜保護作用が始まるが、 香辛料のそもそも論: 香辛料はストレッサー 適度な刺激は人にとって必要なものである。 依頼される仕事はある種のストレッサーである 適量で最大反応となり、それを過ぎると、反応 は減弱し、最後には悪化の方向へ転じるという ことになる。これを一般化すると、香辛料はそ もそも毒なるモノで、胃粘膜にとってストレッ サーであるとなる。 ので、適度にいただけるのでれば精神的には 医師・薬剤師は、「胃が荒れた患者には刺激 ちょうどよいストレスとなり、それに対応して 性のある香辛料はとらないでくださいね」と指 身体機能が亢進して、生活にハリが出る。退職 導する。しかし、不思議なことに、カプサイシ すると胃腸機能が減弱するという報告を聞いた ンは胃保護作用があることは、上述のとおりで が、やはり普段の仕事がよいストレッサーに 明白である。この矛盾はどこから来るのであろ なっていたものと考える。しかし、過度の仕事 うか?香辛料も適度であれば胃の環境にとって は精神的な強いストレス(悪いストレス)を与 はよいストレスであろうと考える。しかし、適 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 117 量を超すと取り返しがつかないことになる。さ らに、胃潰瘍状態では TRPV1 神経が増え、さ らに受容体が増感作するので、普段の適量が過 剰量になってしまうものと思われる。 胃粘膜防御政策も三本の矢 胃粘膜防御機構は三つバリアで構成されてい る。第 1 の胃粘液バリアは胃粘液と重炭酸のバ リアで、第 2 の胃粘膜上皮バリアは粘膜上皮細 消化管におけるカプサイシンの ターゲット TRPV1 の分布 胞の頂端膜と細胞間接着構造によるバリアで、 第 3 の胃粘膜下バリアは微小循環系であり、こ れらにより胃酸などの粘膜上皮細胞への攻撃を 消化管の知覚神経は大きく分けて、細胞体を 防いでいる。この三本の矢は強力な防御機構で 筋間神経叢あるいは粘膜下神経叢に持つ内在性 あり、管腔側から多少の強い刺激があったとし 知覚神経と、細胞体を脊髄後根神経節あるいは ても胃粘膜は保護されていて、胃損傷に至るこ 節上神経節にもつ外来性知覚神経に分類され とはない。しかし、ストレスによる防御機能減 る。この中で、平滑筋層、筋間神経叢、粘膜下 弱、およびヘリコバクター・ピロリ、非ステロ 層や粘膜層に分枝を持つような外来性知覚神経 イド性抗炎症薬などの攻撃因子による第 1・第 がカプサイシンに感受性であることは以前より 2 のバリアブレイクが胃粘膜下層の微小炎症を 知られていた。 引き起こすことがある。 近年の報告から、口から直腸にいたる消化管 Holzer は、消化管において TRPV1 神経はエ のほぼ全域で、壁内神経叢や筋層、粘膜下層の マージェンシーの際に働き出すことを提唱し 外来性知覚神経に TRPV1 が発現していること た。第 1・第 2 バリアがやられると、胃酸が胃 が 明 ら か に さ れ て い る。 壁 内 神 経 叢 で は 粘液層を通過し、胃粘膜層にまで浸潤してき TRPV1 発現知覚神経が内在性神経の細胞体を て、胃壁組織ではたいへんなエマージェンシー 取り囲むような形態をとっており、末梢内在性 状態となる。TRPV1 は痛みを惹起する酸(プ 神経と中枢神経系との間の情報伝達に重要な役 ロ ト ン ) に よ っ て も 活 性 化 さ れ る の で、 割を担っていると考えられる。 TRPV1 がプロトンを受け止め、この非常事態 私たちもラット胃体部切片において、TRPV1 を感知すると、すみやかに脳に非常事態を伝達 が胃粘膜層をはじめすべての層で、外来性知覚 すると同時に、軸索−軸索反射として末梢組織 神経線維上に発現していることを観察した。胃 へ神経ペプチドを放出し、第 3 バリアを賦活化 粘膜層では胃腺に沿うようにまっすぐに TRPV1 させると考えられている。同時に、TRPV1 神 神経線維が走っており、胃粘膜の表層にある被 経は神経原性炎症を引き起こし、目には見えな 蓋上皮細胞の近くまで到達していた。これらの いが深部の微小炎症に進展する。神経原性炎症 観察より、TRPV1 神経は胃管腔内の胃酸や辛 とは、TRPV1 神経の刺激により軸索−軸索反 味性化学物質を受容するアンテナ的な役割を 射により、神経終末から神経ペプチド CGRP 担っていると考えられる。 やタキキニンが遊離され、血管拡張と血管透過 TRPV1 発現神経線維は胃粘膜層ばかりでな 性亢進が引き起こされることである。 く、粘膜下層の血管周囲と筋間神経叢に豊富に TRPV1 神経は神経原性炎症を引き起こすだ 存在していることも観察した。したがって、 けではなく、中枢にこの情報を痛みとして伝え TRPV1 は管腔や消化管壁の化学的・物理的変 る。これが本来の TRPV1 神経の役割である。 化に応答し、軸索−軸索反射によって消化活 これが大脳皮質まで伝わると、胸やけ、膨満感 動、粘膜血流、運動性、分泌活動に影響を与え になるものと考えられる。ここで見た目上、器 ていると考えられる。 質的な変化は起こっていない場合は、ある種の 118 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 機能性ディスペプシア状態と考えられる。 が、TRPV1 の消化管における分布から考える さらに、この状況で TRPV1 神経が機能低下 と、辛味は口から肛門までの消化管全域で受容 や機能不全に陥ると、第 3 のバリアである微小 していると考えられる。このように、トウガラ 循環系に異常を来たし、攻撃因子を胃粘膜下層 シのほどよい辛味は胃腸でも味わい、胃腸に対 から排除できなくなり、三本の矢がすべて崩壊 してよい影響、場合によっては悪い影響を与え することになる。これが胃潰瘍に進展すると考 て い る。TRPV1 は カ プ サ イ シ ン を 受 容 す る えられる。最初は小さな穴から水が漏れて堤防 が、この他にコショウ、ショウガやサンショウ が崩れ落ちるように、微小炎症は TRPV1 神経 などの香辛料の辛味受容にも関与している。ス の状態次第で胃潰瘍へ進展するのであろう。幽 パイスのきいた生活は人生にハリを持たせる。 門洞に潰瘍ができやすいのは、TRPV1 神経が しかし、これが間断ない大きなストレスの襲来 幽門洞に多いためであろうと考える(図 3)。 にあうと、胃腸機能は衰弱してしまう。スパイ スをうまく利用して健康な生活をしたいもので トウガラシの辛味は胃腸でも味わう トウガラシの辛味は舌で味わうものである ある。これが私のスパイス潰瘍学である。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 119 私の潰瘍 慶應義塾大学医学部内科学(消化器) 鈴木 秀和 実は、医学部の学生のころから、心窩部痛や 円形あるいは楕円形の深い潰瘍をつくるのは困 背部痛があり、食事をすると収まるので、自分 難でした。できたのは、急性潰瘍、実際には急 は胃が弱いと思っていました。大学を卒業し 性胃粘膜病変(AGML)に相当するものでし て、内科に入局すると、生活のリズムが急激に た。そのようなころに、京都薬科大学の岡部教 変わり、これまでの常識では考えられない環境 授が、酢酸潰瘍モデルで慢性の見事な円形の潰 に入ったこともあり、この症状が益々増強し、 瘍を発表され非常に感動しました。このモデル 頻度も多くなりました。配属された研究室は土 が様々な薬物効果の評価基盤になったことはい 屋雅春教授の主宰する微小循環の研究室でし うまでもありません。そういったわけで、この た。潰瘍学関連の仕事としては、胃の小彎に流 当時、我々は、電気刺激や irritant 注入モデル 入する小動脈に間欠的に電気刺激(反復電気刺 で潰瘍の実験を盛んにやっていました。大学院 激)をかけて、虚血 - 再灌流状態を再現し胃潰 4 年生の春、1992 年 4 月 8 日から 10 日にかけ 瘍 を 惹 起 さ せ る モ デ ル や、 胆 の う に 刺 激 剤 て、第 78 回日本消化器病学会総会を土屋教授 (irritant)を注入して、自律神経を介した臓器 が会長をされることになりました。教室として 相関により、胃潰瘍を惹起するモデルを作製 は非常に光栄なことであり、感謝すべきことで し、自律神経や微小循環障害から胃潰瘍を考え ありますが、教室員、特に微小循環グループの る研究に従事しました。このころ消化性潰瘍の メンバーにとっては大変なことになったのであ 病態は、酸を中心とする攻撃因子と微小循環、 ります。なぜかといえば、消化器病学会総会に 粘液、プロスタグランジンを中心とする防御因 は、会長講演があるのです。会長講演は、実に 子のバランス説(Sun & Shay)で説明されて 数十年に及ぶ教授のライフワークについて講演 おり、各学派は、どちらかを中心に研究し、学 するというのが通例で、土屋教授は、 「Irritation 会では非常に盛んな議論が繰り広げられていた syndrome と消化器障害」という題名で、教授 のです。自分では、どちらかというよりは、そ のフランス留学以来のライフワークを総括する れぞれが複雑に絡み合って病態ができていると ということになったのです。それに際して、そ 考えた方が妥当ではないかと思っていました。 の長年にわたるライフワークの研究を、教室員 実際、我々の微小循環障害のモデルでも、胃酸 に半年で追試せよというご命令が下ったわけで の存在下でないと、うまく潰瘍ができなかった す。会長講演というよりは、むしろ宿題報告の のです。ところが、これらのモデルは、線状潰 ような状態となり、研究室のリーダーであった 瘍(びらん)はできても、ヒトでみるような、 三浦総一郎講師(現・防衛医科大学校・校長) 120 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 の下、研究室あげての総力戦がはじまりまし れらの過剰刺激により胃潰瘍を実験的に惹起さ た。まさに、これまでの 30 年におよぶ仕事を せるのが命題でした。 再度実験して検証するという破天荒なプロジェ 最近では、想像できないような光景ですが、 クトでした。ちなみに、このときの学会の抄録 このときに信濃町の消化器内科の研究室の中 には、以下の記載があります。 は、ウサギ、モルモット、ラットなどで一杯に “腹腔内臓器とくに消化器は自律神経系の豊富 なりました。何度やっても、うまく再現ができ な innervation を受け、その統御のもとに機能 ないことが多く、実験動物センターに確保して を営んでいる。私は 1957 年パリ―大学 Claude いた実験動物はすぐに足りなくなり、大学院生 Bernard 病院の Reilly 先生のもとへ留学する機 らが自家用車で埼玉の実験動物会社の飼育場 会を得て以来、常に侵襲論の立場より、消化器 (当時は農家)まで直接購入しに行ったわけで 臓器あるいは消化器疾患をとらえてきたが、臨 す。毎日、朝早くから、夜遅くまで、延々と実 床的に Reilly 現象が関与していると考えられる 験をやりました。そういえば、この当時は、夕 消化器障害の多岐に及ぶことを痛感する次第で 方、診療が終わると、実験動物を運んで、大学 ある。自律神経の過剰興奮というと H. Selye よりも設備の整っている関連病院(国立病院な の stress 学説が想い出されるが、この Selye 自 ど)の実験室まで行って、OB の先生と一緒に 身、Reilly のもとに学んだことがあり、学説の 夜中に実験し、未明に帰ってきて、翌朝の診療 展開に Reilly の影響をみることができる。胃・ に従事するという日も多かったわけです。忙し 十二指腸潰瘍や潰瘍性大腸炎はその病因に いときは、朝昼晩の食事も、研究室で動物を観 stress が明白に関与している疾患といえるが、 察しながら、すませたことを思い出します。 急性膵炎、肝不全、ショックや DIC における 中々、動物に潰瘍ができないで悩んでいると、 消化管出血などのように、Reilly 現象が病態の こちらの方が胃が痛くなってくるわけです。こ 進展・悪化に大きく寄与していると想像される んなとき、自分で、Boas の圧痛点(第 10-12 病態も多く、その阻止に関する研究も臨床上大 胸椎棘突起領域)や小野寺の圧痛点(臀部、左 変重要となる。さらに、内臓疾患での臓器相関 腸骨稜の下部;九州大学第三内科初代教授 小 を考える上で、Reilly 現象の概念は大事であ 野寺直助先生が提唱)を押すとズキンとくるわ り、肝膵相関、肝腎症候群、胆のう心症候群な けです。今から思うと、このときに、動物には どの病態を解く鍵となると考えられる。これら うまくできなくても、自分には潰瘍ができてい のことは、自律神経への反復電気刺激や腹腔神 たのだろうと思います。実験潰瘍という研究 経節や腸間膜リンパ節へのクロトン油やエンド は、動物ではなく、それに従事する人間(研究 トキシンの注入といった実験操作により、胃・ 者)に起こすモデルなのかと思ったくらいで 腸・肝などに微小循環障害を主体とした出血性 す。 病変を形成しうることより証明される。 この大変だった消化器病学会総会(図 1:学 Reilly 現象の反応の場は常に微小循環であ 会当日は教室員全員笑顔で記念撮影、撮影:中 り、これが Reilly 現象の非特異的性格と関連し 村正彦先生)も終わり、大学院も卒業という 3 て い る。 …………”( 日 本 消 化 器 病 学 会 雑 誌 学期の終わりに、土屋教授がインドの消化器病 89(臨時増刊号)187 ページ、1992 より引用) 学会の講演に招待されました。私もお供でつい ここでいう、下線部、“自律神経への反復電 ていって、自分の発表もさせていただくことに 気刺激や腹腔神経節や腸間膜リンパ節へのクロ なりました。インド行きについて、土屋教授は トン油やエンドトキシンの注入”というところ 東京オリンピックの聖火リレーのときに行かれ が、我々の検証実験のプロトコールであり、こ た思い出があることもあり、大変積極的であり 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 121 図1 第 78 回日本消化器病学会総会にて(北里大 中村正彦教授 所蔵写真) ました。ところが、行ってみると、当時の日本 ます。すぐに準備します」といって、本当に 2 の学会とは比べものにならないくらい、ラフな 週後にサンディエゴの空港に降り立ってまし 運営で、いつも教授が持参する、16 ミリのフィ た。空港には、カリフォルニア大学サンディエ ルムがうまく上映できるかが心配で、また、潰 ゴ校の Geert W. Schmid-Schoenbein 教授と当 瘍様症状が頻発してました。さらに、当地の宿 時、そちらに留学されていた末松誠先生(現・ 泊施設でも、飲み物も自由にいかないという環 慶應義塾大学医学部長)が迎えに来てくれまし 境で、これまた大変なことになりました。午後 た。南カリフォルニアの青い空の下に降り立っ 5 時にならないとアルコールは出していただけ たとき、もう、ポケベルはならない(当時は携 ないということを教授に伝えると、「君はまだ 帯電話や PHS はない)という異常なくらいの まだ青い。頼み方がわかっていない」と激怒さ 解放感があったのを今でも覚えています。まる れました。その後、具体的に、交渉術をご教示 で、塀の中から、出所したみたいな感じであっ いただき、その通りに頼むと、見事に、豪華な たと思います。ここから、2 年 8 か月、カリフォ カートで運ばれてくるではありませんか。自分 ルニア大学サンディエゴ校(UCSD)で微小循 の人生経験の浅さを痛感しました。学会のあと 環の研究をしました(1993 年から 1995 年)。 には、ニューデリーからタージマハールまで連 慣れない外国での生活で、多少なりともストレ れて行っていただき、今では大変懐かしい大切 スはあったはずですが、不思議なことに一度も な思い出になっております。このインド講演か 潰瘍様症状はありませんでした。 ら帰国して、教授室に呼ばれたのですが、突 1995 年に帰国するときには、すでに、その 然、2 週後にカリフォルニアの La Jolla に留学 土屋教授は退任され、石井裕正教授に代替わり しなさいといわれたのです。当時は、NO とい しておりました。石井教授は、この当時、非常 う返事はありえないので、「ありがとうござい に話題になっていた H. pylori の仕事をしては 122 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 どうかと提案されました。このころ、鈴木雅之 先生が活性酸素やオキシダントの関係から H. pylori の研究をされていたので、一緒に勉強さ せていただくことにしたわけです。1996 年に なると、吉富製薬の平山文博先生が、日本実験 潰瘍学会(現・日本潰瘍学会)でスナネズミの H. pylori 感 染 胃 潰 瘍 モ デ ル を 発 表 さ れ ま し た。福岡県の吉富研究所に習いにいって、スナ ネズミのモデルを研究室に導入しました。当 時、慶應義塾大学の医化学の講師になっていた 末松先生のご厚意で、医化学教室の地下の動物 室をお借りして研究を始めたわけです。このこ ろ一緒に実験をやった懐かしい仲間は、森三樹 二先生、永橋正一先生、宮澤正治先生、正岡建 図 2 私の十二指腸潰瘍(撮影:慶大 岩男泰教授) 洋先生です。 日本実験潰瘍学会や日本ヘリコバクター学会 で発表したり、司会をさせていただく機会が多 であったわけです。案の定、二度目もしっかり くなり、多くの研究発表があり除菌療法の議論 飲んだにもかかわらず、除菌不成功に終わりま についても大変白熱しておりました。そろそ した。まだ、当時は、二次除菌は保険適用でな ろ、自分の胃袋も視るべきだと決心したのは、 かったので、その後はどうしようかと悩みまし 実はやっとこのころになってからでした。内視 たが、フラジールを用いて、二次除菌をするこ 鏡で覗いてもらうと十二指腸球部に見事な潰瘍 とにしました。漸く、三度目にして除菌に成功 と数条の瘢痕と著明な変形がありました(図 したわけです。その後が驚きでした。それまで 2)。これまでの空腹時の心窩部痛、食後の背 は、少し、不規則な生活が続いたりするとすぐ 部痛の原因がはっきりとわかったわけです。実 に、心窩部痛や胃もたれを感じていたのに、こ は、ザンタックなどを時々飲むと、症状がおさ の時点から、ピタッとなくなったのです。 まっていたので、うすうす予想はしていました その当時、消化器血流研究会というのがあっ が、その通りだったわけです。このとき、H. て、1998 年 10 月に第 15 回消化器血流研究会 pylori を調べると陽性だったので、丁度、一次 「H. pylori 感染と胃粘膜血流の関連を巡って」 除菌が保険適用となった時期でもあり、早速、 というシンポジウムで講演する機会をいただき 除菌しました。自分では患者さんに「服用する ました。そのときの記録集(消化器血流の研究 1 週間は禁酒で、全てしっかりと服用してくだ 15)の 35 ページに、自ら、“スナネズミのモデ さい。」といっているのですが、実は自分は全 ルでは、反復電気刺激のような過剰刺激(スト く守れませんでした。除菌判定も忙しさにかま レス)を負荷すると、H. pylori 感染の有無に けて失念しておりましたが、しばらくたって尿 関係なく、出血性病変が起こる”と書いていま 素呼気試験で除菌判定をしたら、残念ながら、 す。このとき、“では、H. pylori は出血性潰瘍 一次除菌は不成功でした。これはコンプライア とは関係ないのか”という議論になったのを思 ンスが悪かったためと考え、当時の保険適用の い出します。この頃、in vivo 顕微鏡で微小循 ルールに準じて再度、同じレジメンで除菌しま 環レベルでみていた漏出性出血は、内視鏡でみ した。今から思うと極めて理論的ではない方法 るところの点状出血であり、このような表層性 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 123 変化は、ストレスが加われば、非感染胃でも起 若いころから、時々あった症状として、 “おな こってきます。潰瘍からの出血とは些か異なる かがすくと、みぞおちのあたりが痛くなる”と ものであったわけです。特に、反復電気刺激な いうのです。マスコミ関係の仕事のようで、忙 どの過剰刺激による虚血 - 再灌流状態では、感 しくて長い時間食事を摂れない時間が続くとさ 染の有無にかかわらずスナネズミで点状出血が らに痛くなるというわけです。その女性は、は 起こったのです。しかし、潰瘍形成となると別 じめ、“これは昔から時々そういう症状がでて で、やはり、H. pylori の存在は大きかったわ いたので、病気ではないかもしれない、自分の けです。このときは、ストレス下の非感染胃に 気持ちの持ちようの問題かもしれないけれど” もおこる点状出血と、主に感染胃におこる潰瘍 といって訪れました。なんだか、学生時代の自 による出血は全く性質の異なるものです。自分 分を思い出しました。私は、症状があるのだか が除菌後に十二指腸潰瘍が全く再発していな ら、どこかに病気があると断言し、まずは、自 かったことを考えると、それは非常に納得がで 分のときと同じように、内視鏡を飲んでみては きます。しかし、さらに過剰なストレスがか 如何でしょうかとお勧めしました。そして、消 かったら、また起こることも考えられます。勿 化 性 潰 瘍 や H. pylori に つ い て 説 明 し、 さ ら 論、潰瘍がなくても、同様の症状があることも に、たとえ潰瘍がなくても、FD という病気が あります。Non-ulcer dyspepsia(NUD)とい あることも話しました。これだけの話で、この う概念は、土屋教授が会長をされた 1992 年の 方は、大変安心し、検査を受けていただくこと 消化器病学会でも主題として議論されていまし になりました。 た。NUD は、この時点では Rome 委員会の議 微小循環やストレスの研究からはじまり、H. 論を経て、機能性ディスペプシア(FD)へと pylori の世界にのめり込み、今また、ストレス 概念が変遷し、2006 年の Rome III では、食後 に関連する症候といった面から FD の研究に没 愁訴症候群と心窩部痛症候群という亜群が定義 頭しております。振り返って考えてみると、結 さ れ、 症 候 学 的 疾 患 と し て 確 立 し、 現 在 は 局、すべては、外的内的ストレスに対する生体 2016 年の Rome IV への改訂作業が行われてい 反応、つまり、土屋教授に伝授していただいた るところです。 irritation syndrome を終始一貫、勉強してきた 先日、ある若い女性の患者さんが相談に来ら れました。入社して数カ月だというのですが、 のだと思っています。 124 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 私の潰瘍学 大阪市立大学大学院医学研究科消化器内科学 渡辺 俊雄 Takagi1)、Okabe ら2)が作成した酢酸潰瘍は、 肉眼的あるいは病理組織学的所見に留まらず、 その自然史においてもヒト消化性潰瘍と類似し ている優れた実験モデルである。すなわち、酢 酸胃潰瘍は自然再発・再燃を繰り返すことが特 徴であり、これまでに潰瘍の病態生理の解明や 抗潰瘍薬の薬効の評価などの様々な研究に用い られている。 さて、私が大学院入学時に恩師の小林絢三教 授(現大阪市立大学名誉教授)から与えられた 研究テーマは、「ラット酢酸胃潰瘍の治癒過程 ならびに再発・再燃を 1 年間定期的に内視鏡観 察する。そして、潰瘍の初期治療がその後の再 発に及ぼす影響を検討し、抗潰瘍薬が QOUH 図 1 針状硬性鏡で観察したラット酢酸胃潰瘍 3) (quality of ulcer healing:潰瘍治癒の質) に 与える影響を評価する」という壮大なもので あった。ラット胃潰瘍の内視鏡観察は、その当 くなったが、この事が契機になり本格的な潰瘍 時既にグレラン製薬のグループにより確立され 研究を開始した次第である。本小文では、約 ており、樋口和秀助手(現大阪医科大学教授) 20 年間の研究で得られた知見を紹介し、“消化 と二人で同社を訪問し、耳鼻科領域などで用い 管における傷害”の病態について考察するとと られていた針状硬性鏡を用いた内視鏡観察法を もに、今後の研究展開について展望する。 ご教授頂いた。しかし、胃内洗浄を含めたラッ ト内視鏡観察は、ヒトの内視鏡とは比較になら ない程困難であった。その修得には大変な時間 的・精神的な労力を必要としたが、荒川哲男講 胃潰瘍再発と炎症ネットワーク 1.潰瘍再発と prostaglandin 師(現大阪市立大学教授)を初めとする諸先輩 我々が研究を開始した時点で、indomethacin のご指導により約半年後には 1 日 20 匹程度の (IND) な ど の NSAID を ラ ッ ト に 投 与 し 観察が可能なまでに上達した(図 1)。少し長 prostaglandin(PG)欠乏状態を惹起すると胃 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 125 潰瘍の治癒が遅延することが既に報告されてい た。我々も針状硬性鏡を用いた内視鏡観察で 1 mg/kg の IND の連日経口投与により、酢酸胃 潰瘍の治癒が遷延することを確認した。そし て、驚いたことに 60 日目以降 IND の投与を中 止すると潰瘍治癒は対照群と差がなくなるもの の、 治 癒 後 の 再 発 が IND 群 で 高 率 に 起 こ っ た4)。また、このような潰瘍再発は外因性 PGE1 誘導体や PG 誘導作用を有する rebamipide の 治癒過程期の投与により抑制された5)。 ところで、潰瘍再発を規定する独立した因子 である QOUH の本態は、潰瘍瘢痕局所の炎症 反応である。IND 投与群に認められた顕著な 組織学的特徴は潰瘍部への好中球浸潤の増加で あったが、この炎症反応の亢進は IND 中止後 も長期間にわたり持続した。以上の結果から、 治癒過程における PG 欠乏は、潰瘍瘢痕部の炎 症を遷延させて QOUH を悪化させると考えら れた。 2.新規潰瘍再発モデルの作成 図 2 IL-1β惹起性再発胃潰瘍 (A)肉眼像。腺境界に潰瘍が再発している。 (B)組 織像。潰瘍辺縁の腺管に嚢胞状拡張などの再生 性変化が認められ、この部位が瘢痕部であったこ とを示している。 前述したように、我々は酢酸胃潰瘍が自然再 発することを内視鏡観察により確認したが、再 然再発と潰瘍瘢痕部の炎症細胞浸潤が相関する 発するのは全体の 50% 未満であり、また再発 ことに注目し、サイトカインによって瘢痕部粘 時期も定まっていなかった。したがって、本モ 膜を刺激することにより潰瘍再発が惹起できる デルをこのままの状態で用いても再発機序の解 のではないかと考えた。 明は困難と考えられた。 そこでラット酢酸胃潰瘍を作成し、作成 90 ところで、消化性潰瘍再発の代表的な原因は 日目に内視鏡観察を行い、治癒を確認しえた例 H. pylori 感染、NSAIDs あるいはストレス負 に対して代表的な炎症性サイトカインである 荷 で あ る が、 こ れ ら は 胃 粘 膜 に お け る IL-1β(0.01-1 µg/kg)を腹腔内投与してみ interleukins(ILs)や tumor necrosis factor-α た。その結果、外因性 IL-1βは予想どおり投 (TNF-α)などの炎症性サイトカインの発現 与 48 時間後に再発を惹起した(図 2A)。興味 6) を増強させる 。炎症性サイトカインは、他の 深いことに、潰瘍再発はヒトと同様に瘢痕部に 炎症性サイトカインの発現亢進や種々の炎症メ 起こり(図 2B)、再発は IL-1βの用量依存的 デ ィ エ ー タ ー の 遊 離、 さ ら に は 白 血 球 の に増加し、1 µg/kg の用量では 87.5%(7/8) lymphocyte function-associated antigen-1 が再発した7)。さらに我々は、IL-1βと多くの (LFA-1、CD11a)や Mac-1(CD11b)あるい 作用を共有する TNF-αも同様に潰瘍再発を惹 はこれらの血管内皮上のリガンドである 起させることを見出し8)、サイトカインによる intercellular adhesion molecule-1(ICAM-1) 短時間で高率に胃潰瘍再発を来すモデルの作成 などの細胞接着分子の発現誘導などを介して局 に成功した。 所に炎症を惹起する。我々は、酢酸胃潰瘍の自 126 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 3.胃潰瘍再発と炎症ネットワーク 次に、潰瘍再発機序を解明するために、IL-1β ることにより再発を惹起すると想定される。 4.潰瘍再発における胃酸の役割 投与後の潰瘍瘢痕部の組織学的変化を観察し H. pylori の除菌治療を施行しなくても、消 た。無処置(IL-1β投与前)の瘢痕部粘膜にお 化性潰瘍の再発は PPI の継続投与により胃酸 いても軽度から中等度のマクロファージを中心 分泌を抑制することにより予防できる。しかし とする炎症細胞浸潤が認められたが、IL-1β投 ながら、胃酸による潰瘍再発機序は不明であっ 与後には浸潤細胞は著明に増加し、投与 24 時 た。IL-1β惹起性胃潰瘍再発モデルでは潰瘍再 間後には瘢痕部粘膜の一部に好中球の集簇と、 発は PPI である omeprazole(OPZ)の前投与 その部位に一致した上皮の剥離像が認められ により完全に抑制されたが、この抑制作用は外 た。そして、48 時間後の再発潰瘍部には著明 因性に生理的濃度の塩酸を投与し胃内の酸性化 7) な好中球浸潤が認められた 。なお、同様の変 を図ることにより消失した9)。すなわち、本潰 化は TNF-α投与後の瘢痕部組織にも認められ 瘍再発モデルは好中球依存的であるとともに胃 8) た 。 酸依存的であることが判明した。 さて、好中球などの白血球の炎症局所への浸 そこで、潰瘍再発過程における炎症と胃酸の 潤には細胞接着分子が重要な役割を果たしてい 関連について検討した。OPZ は潰瘍再発時に る。そこで、IL-1β投与後の細胞接着分子の発 認められる LFA-1 や Mac-1 あるいは ICAM-1 現を検討したところ、LFA-1 や Mac-1 陽性細 などの細胞接着分子やマクロファージにおける 胞数や血管内皮の ICAM-1 発現の経時的な増 サイトカイン発現を著明に抑制した。これらの 加が認められた。しかし、このような発現亢進 OPZ の抑制作用は外因性塩酸により完全に消 は瘢痕部局所に限られおり、正常粘膜における 失し、瘢痕部粘膜に過剰な炎症反応が引き起こ 発現は変化しなかった。そして、潰瘍再発は抗 された。また、塩酸単独投与群では瘢痕部粘膜 好 中 球、 抗 ICAM-1、 抗 LFA-1 お よ び 抗 に有意な炎症を惹起しなかったことから、胃酸 7) Mac-1 抗体で抑制されたことから 、本潰瘍再 は潰瘍再発時など粘膜炎症存在下では単なる傷 発は好中球依存性であり、好中球の潰瘍瘢痕部 害因子ではなく、強い起炎因子として作用する への浸潤には細胞接着分子が関与していること 可能性が示唆された。 が証明された。 以上の結果から、消化性潰瘍の再発機序とし ところで、本潰瘍再発モデルにおける白血球 て、マクロファージなどの炎症細胞の浸潤によ 浸潤にはマクロファージが産生するケモカイン り炎症刺激に対する感受性が亢進した瘢痕部粘 が重要な役割をはたしている可能性が示唆され 膜に、H. pylori や NSAIDs あるいはストレス ている。瘢痕部におけるマクロファージの浸潤 などの炎症性サイトカイン誘発因子が作用する は TNF-α投与後 4 時間で増加するが、これに ことにより炎症反応が惹起され、さらにこのよ は CC ケモカインの MCP-1 が関与し、一方、 うな粘膜に胃酸が作用することにより炎症反応 好中球浸潤は 24 時間後から増加するが、これ が増幅されて、最終的は好中球が浸潤すること には CXC ケモカインである MIP-2 や CINC-2 により潰瘍再発が引き起こされるものと考えら 8) αが関与している 。以上の結果から、サイト カインに対する瘢痕部の感受性の亢進には、潰 瘍治癒後も多数残存するマクロファージが関与 し、IL-1β や TNF-α で 刺 激 さ れ た マ ク ロ ファージが種々のサイトカインやケモカインを 産生し、局所の炎症ネットワークを活性化させ れる(図 3)。 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 127 図3 サイトカインによる胃潰瘍再発機序 NSAIDs 起因性小腸潰瘍の病態生 理と治療 1.小腸研究のはじまり 度に小腸粘膜傷害を惹起することを示してい た。我々は関節リウマチ患者 28 例に対してカ プセル内視鏡を行い、NSAIDs の使用の有無に より小腸粘膜傷害の発症頻度を比較した。ビラ 小腸は暗黒大陸と称され観察困難な臓器で ンや潰瘍などの粘膜欠損は NSAID 非使用群で あったが、周知のとおり 21 世紀に入りカプセ は 33.3%(4/12)に認められたが、NSAID 使 ル内視鏡あるいはバルーン内視鏡などの画期的 用群では 81.3%(13/16)と有意に高く、本邦 な modality の開発により精査可能になった。 においても NSAIDs の常用により高頻度に小 我々の教室も 2004 年からこの 2 種類の内視鏡を 腸傷害が発症していることを初めて確認し 導入したが、実際に診療を始めると小腸からの出 た10)。我々はその後も検討を続け 100 例以上の 血と考えられる OGIB(obscure gastrointestinal NSAID 常用関節リウマチ患者に対してカプセ bleeding:原因不明の消化管出血)患者に占め ル内視鏡を行い、小腸粘膜欠損の頻度が 52.7% る NSAIDs 服用の割合の高さに驚いた。そし (57/108)であったことを最近報告している11)。 て、これを契機に NSAIDs 起因性小腸傷害の ところで、NSAIDs による小腸粘膜傷害の発 基礎ならびに臨床的研究を開始した。 症 に は、cyclooxygenase(COX) 阻 害 に よ る 2.NSAIDs/ 低用量アスピリン起因性小腸傷 PG 欠乏と topical effect による小腸上皮の直接 害の疫学研究 傷害の両者が必須であると考えられている12)。 2005 年頃から欧米を中心に NSAIDs 内服者 ところが、アスピリンは通常胃や上部小腸で速 における小腸傷害の発症頻度に関する報告が散 やかに吸収されて、さらに腸肝循環せずに尿中 見されるようになった。これらの検討の多く に排泄されるため小腸粘膜と接触することがな は、カプセル内視鏡を用いた健常ボランティア く topical effect を発揮できない。したがって、 を対象としたものであったが、NSAIDs が高頻 低用量アスピリンを含むアスピリン製剤は小腸 128 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 粘膜傷害性が低いと考えられていた。実際、ヒ に、本傷害は外因性 LPS の投与により増悪し、 トでの臨床試験において IND などの他の NSAIDs 抗 好 中 球 抗 体、 抗 TNF-α 抗 体 あ る い は 抗 と比較してアスピリンの小腸透過性の亢進作用 MCP-1 抗体により抑制された14)。 は弱いことが報告されていた。しかしながら ところで、TLR4 を介するシグナル伝達には 我々は現在頻用されている低用量アスピリン腸 MyD88 依存的経路と非依存的経路が存在する 溶剤は、当然小腸で溶解するために高濃度のア ことが知られているが、MyD88 ノックアウト スピリンが小腸粘膜に接触することになり、十 マウスでは TLR4 ノックアウトマウスと同程 分な topical effect が発揮されて小腸傷害が発 度に傷害が抑制されていた。したがって、本傷 症するのではないかと考えた。 害の発生機序に TLR4/MyD88 経路の活性化が そこで、低用量アスピリン腸溶剤を 3ヶ月以 重要な役割を果たしているものと考えられる。 上内服し、胃潰瘍を発症した虚血性心疾患ある なお、TLR4 の発現は主に小腸粘膜内のマクロ いは脳血管障害患者 11 例にカプセル内視鏡を ファージに認めら、小腸上皮における発現は僅 施行し小腸粘膜傷害を評価した。やはり我々の かであった。 予想どおり、内服者の 91%(10/11)という極 さらに、我々は興味ある知見を見出した。所 めて高頻度に粘膜欠損が認められ、低用量アス 謂 alarmin のひとつである high mobility group ピリン腸溶剤の高い小腸粘膜傷害性が明らかに box 1(HMGB-1)が、NSAIDs 投与後に傷害 13) なった 。これらの一連の検討により された小腸上皮細胞から放出された後、TLR4 NSAIDs/ 低用量アスピリン内服者の小腸粘膜 のリガンドとして作用し炎症反応を増悪させる 傷害に対する方策の確立が急務になった。 ことが判明した15)。また、HMGB-1 は胃潰瘍 3.NSAIDs 起因性小腸傷害の発症機序 や NSAIDs 胃粘膜傷害の発生過程にも関与し Germfree ラットやある種の抗生物質で前処 ており、胃と小腸における共通した粘膜傷害因 置したラットでは、NSAIDs 小腸傷害はほとん 子であることがその後の検討で明らかになって ど発症しないことから、本傷害の発症に腸内細 いる16)。 菌が関与している可能性が示唆されていた。 以上の結果から、NSAIDs 起因性小腸傷害で 我々の検討ではグラム陰性菌にのみ抗菌活性を は、PG 欠乏や NSAIDs の topical effect による 有する aztreonam は、グラム陽性および陰性 上皮細胞傷害などにより粘膜バリアー機能が破 菌の両者に有効な ampicillin と同様に著明に病 綻し、続いてグラム陰性菌の小腸内への侵入が 変形成を抑制したが、グラム陽性菌に抗菌活性 起こり LPS を放出し、LPS がマクロファージ を有する vancomycin は抑制作用を発揮しな 上の TLR4 を活性化して、MyD88 依存的経路 14) かった 。したがって、腸内細菌のなかで特に を介してシグナルが伝達される。また、傷害過 グラム陰性菌の関与が強く示唆された。 程 で 小 腸 上 皮 か ら 放 出 さ れ た HMGB-1 も そこで我々は、グラム陰性菌の細胞壁の主要 TLR4 を介して同経路を刺激する。その結果、 構成成分である LPS と生体の LPS 受容体であ サイトカインなどの炎症メディエーターの発現 る Toll-like receptor 4(TLR4)の役割に注目 が亢進し、小腸粘膜内への好中球浸潤が誘導さ した。TLR4 変異型マウスでは IND ならびに れ、組織傷害が惹起されるものと考えられる diclofenac による小腸傷害は著明に抑制され、 また野生型マウスではこれらの NSAIDs 投与 後に小腸粘膜に認められる好中球浸潤や TNF-α (図 4)。 4.NSAIDs 起因性小腸傷害に対する治療戦 略 などの炎症性サイトカインや MCP-1 などのケ NSAIDs 起因性小腸傷害の治療・予防には、 モカインの過剰発現も認められなかった。さら 上述した発生機序の何処かの step をブロック 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 129 図4 NSAIDs 起因性小腸傷害の分子生物学的機序 することが有効であると考えられる。例えば、 クアウトマウスでは小腸虚血再灌流傷害は増悪 欠 乏 し て い る PG を PGE1 誘 導 体 で あ る し、COX-2 発現ならびに PG 産生が有意に減 misoprostol で補充すると、低用量アスピリン 少する18)。 起因性小腸傷害が軽減する13)。また、腸内細菌 一方、抗サイトカイン療法は有望な治療法に をターゲットとする治療も期待がもたれるが、 なり得ると考える。我々は、関節リウマチで 抗生物質の長期投与は副作用が懸念される。し NSAIDs を常用している患者を対象に、TNF-α たがって、probiotics のような腸内細菌環境を 阻害療法の施行の有無で小腸傷害の重症度を比 改善し、かつ副作用がない薬剤の使用が適して 較する観察試験を行った。TNF-α阻害療法施 いる。我々は、本邦における代表的な probiotics 行群では非施行群に比較して、臨床的に重要な で あ る Lactobacillus casei シ ロ タ 株 が IND 惹 重症小腸傷害の発症が顕著に抑制されてい 起性小腸傷害を著明に抑制することを見出した た19)。現在、TNF-αをターゲットとした抗サ が17)、後に本 probiotic の有効性は臨床試験で イトカイン療法が、新たな治療法としてクロー も確認された。 ズアップされている。 さらに、TLR4 受容体拮抗薬などの TLR4 シ グナル抑制剤なども既に開発されており、本傷 害への適用も期待される。しかし、TLR4 シグ 消化管傷害研究の今後の展望 ナルはサイトカイン発現などの炎症シグナルを 本稿では、消化性潰瘍(再発)と NSAIDs 伝達すると同時に、創傷治癒に重要な役割をは 起因性小腸傷害に関して、我々が見出した知見 た す COX-2 発 現 も 誘 導 す る。 し た が っ て、 を概説した。面白いことに、両傷害ともマクロ TLR4 シグナル抑制剤を本傷害の治癒促進を目 ファージが炎症ネットワーク形成において中心 的に使用することについては慎重になるべきで 的な役割をはたし、巧妙なサイトカイン・ケモ ある。実際傷害モデルは異なるが、MyD88 ノッ カインの発現調整が行われ、最終的に好中球が 130 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 浸潤し肉眼的な潰瘍が形成されるという共通し た機序を持つ。そして、上部消化管では胃酸 が、小腸では腸内細菌が炎症ネットワークの維 持・活性化に不可欠な役割を果たしていること を証明した。しかしながら、未だ十分な解明が 行われたとは言い難く、今後も様々な面からア プローチしていきたい。特に、胃酸による傷害 発生の分子生物学的な機序は全くわかっておら ず、その解明に強い関心を寄せている。 また、小腸傷害に関しては有効な予防・治療 法の開発が急務であると考える。様々な薬剤が 候補として挙げられているが、現時点で臨床的 に最も重要である“NSAIDs 起因性重症あるい は出血性小腸潰瘍”に対して有効性が証明され た薬剤は皆無である。我々は、抗サイトカイン 療法が有望と考えており、臨床試験を含めた更 なる検討を予定している。 以上記したように、“消化管の潰瘍学”は奥 深く、極めて魅力的である。研究者が一生を費 やして究明するに値する学問である。 文 献 1)Takagi K, Okabe S, Saziki R. 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Gut 2014;63:409-14. 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 131 私の潰瘍学 京都薬科大学病態薬科学系薬物治療学分野 加藤 伸一 はじめに て消化管障害を誘起することが知られている。 本学会でも、薬剤起因性消化管傷害については 今回、記念誌「潰瘍学の過去、現在、未来」 頻繁に取り上げられており、特に非ステロイド において、「私の潰瘍学」を執筆させて頂く機 性抗炎症薬(NSAID)による胃および小腸傷 会を頂きましたこと、大変光栄に思っておりま 害に関する研究は広く行われ、その全容はかな す。 り明らかになってきた。一方、近年、抗がん剤 私 は、 日 本 潰 瘍 学 会 に は、 大 学 院 時 代 の が高頻度に重篤な下痢などを主徴とする消化管 1990 年に初めて参加し(当時は日本実験潰瘍 傷害を誘起することが、安全かつ効果的ながん 研究会)、1995 年以降、20 年近くにわたってほ 化学療法を行う上で大きな問題となってい ぼ毎年参加し、多くのことを学び、また経験さ る1)。抗がん剤による下痢には、コリン作動性 せて頂きました。私自身の「潰瘍学」あるいは 神経の活性化などによる機能性のものと腸粘膜 「潰瘍研究」は、粘膜傷害や潰瘍などを伴う種々 傷害に基づくものが想定されており、特に後者 の消化管疾患の実験動物モデルを用いて、それ は重篤でかつ有効な治療法がないのが現状であ らの病態を解析し、治療・予防法を提案するこ る。我々は、臨床において頻繁に用いられる抗 とを目標にしており、特に、薬学という立場か がん剤の 1 つである 5-フルオロウラシル(5- ら、標的分子あるいは薬物を中心に研究を展開 FU)を用いて実験的マウス腸炎モデルを作製 してきました。本学会を通じて、私は種々の疾 し、種々の解析を行った。 患の病態や治療法、実験手技や実験動物モデル 2.5-フルオロウラシル(5-FU)誘起腸炎 などに関する多くの最新情報を得て、私自身の 5-FU 誘起腸炎の実験動物モデルはこれまで 研究の中に取り入れてきました。すなわち、私 にもマウスやラットを用いて数多く報告されて 自身の潰瘍研究は、本学会を基に成り立ち、展 いる。マウスを用いた検討では、5-FU の高用 開してきたというのが実感です。 量(200〜450 mg/kg)の単回投与による腸炎 本稿では、最近私自身が興味を持ち、研究を モデルがよく使用されており、5-FU の高用量 展開している薬剤起因性消化管傷害の 1 つであ 単回投与後、経日的な体重減少と 3~4 日後か る抗がん剤誘起腸炎について、紹介させて頂き らの下痢の出現、5~6 日後における小腸絨毛 ます。 の短縮および腺窩(crypt)の破壊が観察され 1.薬剤起因性消化管傷害 る。一方、5-FU は臨床では連日投与される場 臨床で使用される薬剤の多くは、副作用とし 合が多いことから、我々は 5-FU の比較的低用 132 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 図 1 5-FU 誘起大腸炎 A:5-FU 投与期間中の体重および下痢の変化、B:5-FU 投与 5 日目における腸炎の組織学 的所見、C:5-FU 投与によるアポトーシス誘導(文献 2 より改変) 量である 50 mg/kg を 1 日 1 回連続投与する腸 にはアポトーシスが関与していることが知られ 炎モデルを作製した2),3)。5-FU(50 mg/kg)の ている4)。そこで、アポトーシス誘導を TUNEL 連続投与は、対照群と比較して経日的な体重減 染 色 に よ り 評 価 し た と こ ろ、5-FU(50 mg/ 少を誘起し、特に 3 日目以降の体重減少は顕著 kg)の初回投与後 24 時間後(Day 1)に腸腺 であった(図 1A)。また、明らかな下痢も 3 窩に限局して著明なアポトーシス誘導が観察さ 日目から出現した。投与開始 5 日目には、高用 れた。興味深いことに、5-FU 投与 3 日目(Day 量単回投与の場合と同様に、小腸絨毛の短縮お 3)にはアポトーシス誘導は明らかに減少して よび腺窩の破壊が観察され、さらに著明な炎症 いたことから、低用量の 5-FU であっても、初 性細胞の浸潤が観察された(図 1B)。 回投与 24 時間後という極めて初期にアポトー これまでの検討から、5-FU 誘起腸炎の病態 シスが誘導されるものと考えられる。また、 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 133 発表)。 5-FU 誘起腸炎におけるアポトーシス誘導機 構については、これまでの報告では 5-FU によ る直接作用やミトコンドリア障害に起因した内 因性経路(Intrinsic pathway)が関与している 5) ,6) ことが報告されている 。我々は、5-FU 初回 投与 24 時間後における Bax/Bcl-2 発現を検討 したが、何ら変化は認められなかった2)。一 方、Caspase-3 の 活 性 化 と 共 に、 サ イ ト カ イ ン・シグナルを介した外因性経路(Extrinsic pathway)である Caspase-8 の活性化、さらに 5-FU 初回投与初期に TNF-α発現が増大する ことを観察した2),3)。これまでの報告では、高 図2 5-FU 誘起腸炎の発症機構 用量の 5-FU 単回投与によるモデルが用いられ ており、この場合には外因性経路に加えて内因 性経路も活性化するが、我々が用いた低用量の 5-FU の投与は腺窩の細胞増殖を著明に抑制す 連続投与では、内因性経路よりも、サイトカイ ることも観察した。すなわち、5-FU による絨 ン・シグナルを介した外因性経路を介したアポ 毛の短縮および腺窩の破壊などの形態学的な変 トーシス誘導が優位に生じている可能性が考え 化は、腸管の増殖細胞帯におけるアポトーシス られる。これらの点については更なる検討が必 誘導と細胞増殖抑制により引き起こされている 要であると思われる。 ものと考えられる。 5-FU の連続投与 5 日目には形態学的変化に 加えて、炎症性細胞の浸潤を特徴とする明らか おわりに な炎症像が観察された。実際、好中球浸潤の指 これまでの検討から、5-FU 誘起腸炎の予防 標であるミエロペルオキシダーゼ(MPO)活 および治療に関しては、初期のアポトーシス誘 性を経日的に測定したところ、投与開始 3 日目 導とその後に引き続く二次的炎症を抑制するこ まではほとんど変化はなく、4 日目以降から急 とが有効あると考えられる。特に、初期のアポ 激に増大した(データ未発表)。また、MPO トーシス誘導を抑制することは、その後に生じ 活性の増大に比例して、各種サイトカインおよ る二次的な炎症自体も抑制することに繋がるも びケモカイン産生も著明に増大した。これらの のと考えられるが、5-FU の抗がん作用自体に 結果から、5-FU 腸炎の病態においては、初期 影響を及ぼす可能性も考えられる。今後、さら にはアポトーシス誘導と細胞増殖抑制に起因し に検討を行い、5-FU 誘起腸炎の病態をさらに た形態学的変化が、その後二次的な炎症反応が 明らかにし、予防および治療法の提案に繋げて 生じているものと推察される。おそらく、初期 いきたい。また、5-FU 以外の他の抗がん剤で の形態学的変化により、腸内細菌などに対する も下痢や腸炎を誘起するものがあり、また臨床 腸粘膜バリアが破綻した結果、二次的な炎症反 でのがん化学療法ではこれらの抗がん剤の併用 応が生じたものと推察される(図 2)。実際、 が一般的である。ゆえに、他の抗がん剤の腸炎 抗生物質の投与やプロバイオティクス製剤が腸 発症機構について、併用時も含めてさらに詳細 炎を抑制するという結果も得ている(データ未 に検討していく必要がある。これらの検討結果 134 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 については、今後も日本潰瘍学会において発表 し、多くの意見やアドバイスを頂きながら、さ らに発展させていければと考えている。 文 献 1)Benson AB, 3rd, Ajani JA, Catalano RB, Engelking C, Ko rnblau SM, et al.(2004)Recommended guidelines for the treatment of cancer treatment-induced diarrhea. J Clin Oncol 22:2918-2926. 2)Yasuda M, Kato S, Yamanaka N, Iimori M, Matsumoto K, et al.(2013)5-HT(3)receptor antagonists ameliorate 5-fluorouracil-induced intestinal mucositis by suppression of apoptosis in murine intestinal crypt cells. Br J Pharma col 168:1388-1400. 3)Yasuda M, Kato S, Yamanaka N, Iimori M, Utsumi D, et al. (2012)Potential role of the NADPH oxidase NOX1 in the pathogenesis of 5-fluorouracil-induced intestinal mucositis in mice. Am J Physiol Gastrointest Liver Physiol 302: G1133-1142. 4)Sonis ST(2004)The pathobiology of mucositis. Nat Rev Cancer 4:277-284. 5)Bowen JM, Gibson RJ, Keefe DM, Cummins AG(2005) Cytotoxic chemotherapy upregulates pro-apoptotic Bax and Bak in the small intestine of rats and humans. Patholo gy 37:56-62. 6)Bowen JM, Gibson RJ, Cummins AG, Keefe DM(2006)In testinal mucositis:the role of the Bcl-2 family, p53 and caspases in chemotherapy-induced damage. Support Care Cancer 14:713-731. 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 135 潰瘍学会と私 京都薬科大学病態薬科学系薬物治療学分野 天ヶ瀬 紀久子 日本潰瘍学会記念誌「潰瘍学の過去、現在、 までノンストップ、連日投与、投与、投与の毎 未来」に寄稿の機会を頂きましたことを大変光 日でした(幸い、夏休みはハワイ大学薬理学教 栄に思っております。 「私の潰瘍学」というテー 室への短期留学が決まっていましたので、ラッ マを頂いておりますが、潰瘍研究を始めた頃の トと格闘する日々からは解放されました)。抗 思い出から現在まで、私が行ってきた潰瘍研究 潰瘍薬として用いたのが PPI のみならず、制 の流れに沿って少し述べさせて頂こうと思いま 酸剤、H2 拮抗薬や、スクラルフェートなどで す。 したので、1 日に 1〜3 回投与という複雑なス 私は、大学院に入学して間もない 4 月中旬、 ケジュールとなりました。動物の扱いや投与が 当時所属していた京都薬科大学応用薬理学教室 まだまだ不慣れであったことと、1 匹に 2 剤の 主任の岡部進先生から「今日入荷したラット 併用投与もあり、誰よりも朝早く研究室に行き 100 匹全部を天ヶ瀬さんに渡すから、まず酢酸 (と言いましても朝一番に研究室に来られてい 潰瘍を作製して、それにインドメタシンを投与 るのは岡部先生でしたが)、薬物調整をして動 して、難治化潰瘍モデルを確立してください。 物舎に向かう。全ての動物に投与を済ませ戻っ 抗分泌薬で治癒しない潰瘍があるので、そのモ てきたらもう昼食時間。昼食が済むとまたすぐ デルを秋にある学会のシンポジウムで発表する に 2 回目の投与に出かけ、研究室に戻ったかと 予定だから・・・。」と言われ、私の実験潰瘍 思えば、またすぐに投与準備、の繰り返しでし 研究が始まりました。その学会が、千葉で開催 た。1 日の延べ投与匹数は 600 以上だったと記 された第 21 回日本実験潰瘍学会でした。もち 憶しています。大学院生としてまだ駆け出しの ろん、学会への参加はそれが初めてであり、歴 段階で大量のラットと格闘させて頂いたお陰 史ある、また迫力のある学会で、自分が実際に で、実験動物の取扱いについては、自信が持て 動物に薬物投与、剖検した結果を岡部先生が発 るようになりました。これが私の潰瘍研究のス 表されることに気づいたのは、学会会場に入っ タートでした。岡部先生のシンポジウム発表 てからでした。岡部先生と相談して決まった実 で、データや潰瘍の実体像がスクリーンに映し 験系が 4〜12 週間と長いため、12 週の結果が 出された時は嬉しく、来年はもっと検討を重ね 出てからの追加実験では、12 月初めの実験潰 て自分自身で発表できるように知識を付けよ 瘍学会には間に合いません。最初に頂いた 100 う!と思い新幹線に乗ったことは今でも思い出 匹のみならず、実験計画は、何通りにも重ねて します。帰路の新幹線では、岡部先生から、日 走らせることとなりました。もちろん、夏休み 本実験潰瘍学会の設立当時からの歴史について 136 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 似した病態モデルの作製が極めて重要であると 聞かせて頂きました。 この難治性胃潰瘍モデルは、胃酸分泌抑制薬 考え、「薬剤起因性消化管傷害の予防および治 に抵抗性を示し、内因性プロスタグランジン含 癒に関する研究」をメインテーマとし、動物モ 量に非依存性であり、持続的な好中球の浸潤、 デルの確立とそれらモデルを用いた薬効評価を 血管新生の抑制および潰瘍底部における重度の 通じて、傷害発生ならびに治癒機転に関する研 線維化を特徴とする従来のモデルとは異なる新 究を一貫して行ってきました。複雑化する現代 1) ,2) および本学会にお 社会において使用される薬剤は多様化し、非ス いて発表致しました。私の学位論文題目は、 「新 テロイド性抗炎症薬(NSAID)はもちろんの しい急性および慢性胃潰瘍モデルの考案−発生 こと、うつ病治療薬である選択的セロトニン再 および治癒に関する薬理学的研究−」でありま 取り込み阻害薬(SSRI)、骨粗鬆症治療薬であ す。難治性胃潰瘍モデル以外に、新たな急性胃 るビスフォスフォネート系薬剤などによる消化 損傷モデルの確立も試みました。胃血管を結紮 管傷害が臨床で問題視されています。中でも、 したラットに、ヒスタミン刺激をすることによ ビスフォスフォネート系薬剤は胃幽門洞に傷害 り、虚血・再灌流様状態となり発生する胃損傷 を惹起し4)、さらには、既存の慢性胃潰瘍の治 です。左胃血管結紮ラットにおけるヒスタミン 癒を遅延させることなどを明らかにしまし 誘起胃損傷モデルは、ヒスタミン刺激による非 た5),6)。これらの研究結果は臨床における薬剤 結紮血管(右側)および / あるいは結紮血管(左 起因性消化管傷害の危険性を動物モデルによっ 側)の血管拡張作用が成因であると考えられま て確認すると共に、一部の抗潰瘍薬が傷害発生 した。血管内皮細胞からは、一酸化窒素(NO) および危険性増大に対して有効であることを示 あるいはプロスタグランジン(PG)が産生さ しました。また、NSAID による小腸損傷の発 れ、この血管拡張作用に重要な役割を果たして 生予防および治療法の確立を目指して基礎およ いると推定され、当モデルは粘膜血流障害に関 び臨床の両面から研究が進められています。多 連した急性胃粘膜損傷の発生機序を検討する上 くの基礎研究では NSAID としてインドメタシ で有用なモデルとして論文3)および本学会にお ンが用いられていますが、本邦ではロキソプロ いて報告致しました。この学位論文の主テーマ フェンの使用が 80% 以上であることから、ロ 以外にも、酢酸潰瘍モデルを用いて、慢性胃潰 キソプロフェン誘起小腸傷害モデルを確立する 瘍の治癒機転に関する研究を行い、その成果を と共に、既存の抗潰瘍薬の薬効評価7)を行いま 本学会においてほぼ毎年のように発表させて頂 した。近年では、ピロリ菌誘起胃・十二指腸疾 きました。もちろん、発表直前になると、前の 患や NSAID 誘起胃腸傷害などを未然に防ぐ目 年の発表・質疑応答の厳しさを思い出し、もう 的で、天然由来の成分や乳酸菌製品を含めた機 来年は演題を出さずに参加だけにしよう、と思 能性食品が注目を集めています。そこでアミノ うのですが、その年の潰瘍学会 2 日間が終わり 酸の一つであり粘膜防御作用を有するグルタミ 京都に帰る頃には、また来年も潰瘍学会で発表 ン酸ナトリウムの継続摂取が、ロキソプロフェ できるように研究を継続しよう!と思うことの ン誘起小腸傷害の発生抑制ならびに治癒反応に 繰り返しです。不思議ですが、私にとっては、 対しても促進的に作用すること8),9)、また乳酸 この潰瘍学会が 1 年の区切りとなっています。 菌製剤の持続投与が NSAID 誘起小腸傷害に対 岡部進先生の御定年退職後は、竹内孝治先生 して有効性があることを検討し報告していま しいモデルとして、論文 が当時主宰されていた京都薬科大学薬物治療学 す10)。 分野に籍を頂きました。種々の疾患の成因解明 またこれら研究成果を本学会で発表させて頂 および治療薬の開発のためには、人の疾患と類 く中で、第 40 回日本潰瘍学会におきまして「乳 第 41 回日本潰瘍学会記念誌 137 酸菌市販製剤がロキソプロフェン誘起小腸傷害 に及ぼす影響」で、奨励賞を受賞させて頂きま した。大学院に入学後、ただ岡部先生、竹内先 生や諸先輩方の後ろについて千葉まで行き参加 した学会がこの潰瘍学会であり、それ以来、毎 年欠かさず出席させて頂き本賞を頂けたました ことは、非常に嬉しくまた光栄に思います。科 学技術の発達により、基礎および臨床研究が進 んでも未だ全てが解決できていない「潰瘍」と 今後も向き合い、コツコツと消化器研究に取り 組んでいきたいと、この受賞によって改めて気 が引き締まりました。これまでの研究は、終始 懇切丁寧なるご指導を賜りました岡部進先生、 竹内孝治先生をはじめ、多くの先輩方、研究室 員の皆様に支えられご協力頂き進めてこられま したこと、本当に感謝しております。これから も、私にとりましては、この潰瘍学会に参加・ 発表することを 1 年 1 年の節目とし、多くの先 生方からご意見・ご助言を頂きながら、常に小 さなことから新しい発見を心がけ、薬学界から 潰瘍研究に貢献できるよう、益々精進・努力し ていく所存でございます。今後ともご指導・ご 鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。最後 になりましたが、本学会のさらなる飛躍と発展 を祈念しております。 文 献 1)Kikuko Amagase, Susumu Okabe:A new ulcer model, “unhealed gastric ulcers”, induced by chronic treatment with indomethacin in rats with acetic acid ulcers. J. Physiol. Pharmacol., 50, 169-181(1999). 2)Kikuko Amagase, Mika Yokota, Yasuhiro Tsukimi, and Su sumu Okabe:Characterization of “unhealed gastric ul cers” produced with chronic exposure of acetic acid ulcers to indomethacin in rats. J. Physiol. Pharmacol., 54, 349360(2003). 3)Kikuko Amagase, Susumu Okabe:On the mechanisms underlying histamine induction of gastric mucosal lesions in rats with partial gastric vascular occlusion. J. Pharmacol. Sci., 92, 124-136(2003). 4)Eitaro Aihara, Shusaku Hayashi, Kikuko Amagase, Shinichi Kato, Koji Takeuchi:Prophylactic effect of rebamipide against the irritative and healing impairment actions of alendronate in rat stomachs. Inflammopharmacology, 15, 196-202(2007). 5)Kikuko Amagase, Shusaku Hayashi, Kaoru Nishikawa, Eit aro Aihara, and Koji Takeuchi:Impairment of gastric ul cer healing by alendronate, a nitrogen-containing bisphos phonate, in rats. Dig. Dis. Sci., 52, 1879-1889(2007). 6)K ikuko Amagase, Aya Inaba, Toshihiro Senta, Yuka Ishikawa, Kazuo Nukui, Toshiko Murakami, and Koji Takeuchi:Gastric ulcerogenic and healing impairment ef fects of risedronate, a nitrogen-containing bisphosphonate, in rats:Comparison with alendronate and minodronate. J. Physiol. Pharmacol., 62, 609-618(2011). 7)Kikuko Amagase, Akimu Ochi, Tetsuya Sugihara, Shinichi Kato, and Koji Takeuchi:Protective effect of lafutidine, a histamine H2 receptor antagonist, against loxoprofen-in duced small intestinal lesions in rats. J. Gastroenterol. Hepatol., 25, S111-S118(2010). 8)Kikuko Amagase, Akimu Ochi, Azusa Kojo, Ami Mizunoe, Masaya Taue, Naoya Kinoshita, Eiji Nakamura, Koji Takeuchi:New therapeutic strategy for amino acid medi cine:Prophylactic and healing promoting effect of mono sodium glutamate against NSAID-induced enteropathy. J. Pharmacol. Sci., 118, 131-137(2012). 9)天ヶ瀬紀久子,中村英志,加藤伸一,竹内孝治:グルタミ ン酸による消化管粘膜保護作用.薬学雑誌 ,131,17111719(2011). 10)天ヶ瀬紀久子,村上季子,今里彩乃、竹本春亮、田中里穂、 加藤伸一,竹内孝治 : ロキソプロフェン誘起小腸傷害に対 するプロバイオティクス製剤の効果.薬理と治療 ,42, 581-589(2014). 潰瘍学 ―過去、現在、未来― 第 41 回日本潰瘍学会 記念誌 編著者 樋口 和秀(大阪医科大学第二内科) 発 行 第 41 回日本潰瘍学会事務局(大阪医科大学第二内科) 発行日 平成 26 年 9 月 29 日 表紙・装丁デザイン 株式会社クリエイティブセンター広研 印刷 広研印刷株式会社 Ⓒ2014 Printed in Japan
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